☆この作品は拙作『きっと変わらない夏』の視点変更Verです。そちらを読んでいなくても問題ありません☆
☆それでもよろしければ☆
八雲 紫は、幸せの極致にいた。
どこがどう幸せなのかと問われれば、迷い無く『霊夢の寝顔を眺める以上の幸せがどこにありますの?』と逆に質問してくることだろう。
質問に質問で返すな、と妖怪の賢者様は教わらなかったらしい。
別段、それで不自由するわけでもないが。
「……………………」
声は出さない。霊夢を起こしてしまうかもしれないから。
少しでも長い時間、この幸せを享受していたかった。この小さな躰で数々の異変を解決し、幻想郷の平和を半ば強引に守ってきた少女に、紫は見惚れていた。
整った顔立ち、黒く艶やかな髪、透き通りそうな白い肌。
言葉にすれば、なんと陳腐なことか。しかし、それらは紫を惹きつけて放さない。
無言のまま、ゆっくりと霊夢の寝顔に引き寄せられていく。
身を屈め、彼我の距離が縮まっていく。10cm……5cm……2cm……。
びし
「目が、目がぁーーーー!!!!」
霊夢の目潰しが紫の眼球を的確に捉えた瞬間であった。
※
※
※
「まったく、おちおち寝てもいられないのね」
身支度を調えた霊夢がため息混じりにお茶をすする。つい先ほど、人の眼球を指で突いたとは思えないほどのんびりとした声。
「……もう少し、愛に溢れた言葉はありませんの?」
「封じなかっただけ、有り難いと思いなさいよ。贅沢な」
紫の控えめな抗議も意に介さず、霊夢は卓上の煎餅をかじる。血涙を流す紫が気持ち悪いのか、若干視線は逸らし気味だ。
「だって、緊張のあまり睡眠不足な貴女を起こしてしまうのは忍びなくて」
ぴたり、霊夢の動きが止まる。ぐぎぎ、と錆び付いた音を立てて霊夢の首が紫の方向を向く。
「な、なんのこと? 別に毎年やってることじゃないの。緊張なんてするわけが」
「何を、ですの?」
やはり、質問を質問で返す賢者。その瞳はイタズラ心で輝いている。
「霊夢は、毎年『何を』しているのかしら?」
「あ、うう……」
強調してたたみ掛け、僅かな綻びすら見逃さない、スキマ妖怪の面目躍如である。
霊夢は、毎年この日に人里で行われる祭の最後に、神楽を奉納している。
この神楽は、霊夢だけでなく歴代の博麗の巫女が行っている伝統的な祭事なのだが。
「行きたくない」
今年もか。紫は内心で苦笑する。
霊夢は神楽舞いをすることを異様なまでに嫌う。下手な訳ではない、それどころか博麗の巫女という神性を見た者全てに知らしめるほどの実力を持っている。
しかしながら。
「嫌なものは嫌なの。今年は早苗だっているんだから、私が出なくてもいいでしょ」
このように、霊夢は頑なに神楽を拒否し続ける。今年は守矢神社の風祝の存在が、拒否反応に拍車を掛けていた。
いっそ、風祝を謀殺してしまおうかとも考えたが、それは結果として霊夢を悲しませることになりそうだったので思いとどまる。
昼から神楽の最終打ち合わせがある。どうせ今年も、霊夢が駄々をこねるだろうと様子を見に来てみれば案の定だ。
「霊夢」
「なによ、脅しには屈さないわよ」
一段階声のトーンを下げた紫に、半ばムキになった霊夢が噛み付く。弾幕ごっこなら相手するわ、なんて息巻いた霊夢に対して一言。
「いい加減にしないと、心ゆくまで愛でますわよ」
「…………は?」
いきなり何をいいだすのかと呆けたところに、トドメとばかりに具体例を持ち出す。
「家事全般を引き受けて、隙あらば撫で回して、甘えさせるだけ甘えさせますわ。もちろん此方からも甘えまくりですけれど。最終的に私なしでは生きられないくらい依存させますの」
「え? はえ?」
「結界の管理や諸々を藍に任せ、ここに住み込んで四六時中一緒にいます。それでもいいのかしらね」
久しく見たことのない、本気の目だった。
博麗の巫女としての役目を果たさないのなら、容赦はしない。霊夢を一人の少女として扱い、これまで以上に入り込み、愛し尽くす。
そう、紫は宣言する。
それが、どんなに恐ろしいことか霊夢は直感的に理解した。そして想像してしまう。
紫に撫で回され、恍惚の表情を浮かべる自分。
紫と朗らかに食卓を囲む自分。
紫の膝で安心しきったまま、眠る自分。
ぼひゅ!!
音を立てるかというくらい、霊夢の顔が赤く染まる。だめだ、とてもじゃないが耐えられる所業ではない。
しばし人妖は見つめ合い、そして人間が折れた。妖怪は少し残念そうだった。
※
※
※
打ち合わせをするべくやってきた里長の家には、祭の関係者が揃っていた。
そこには里の相談役たる上白沢 慧音や、霊夢と共に神楽を舞う東風谷 早苗もやってきていた。
「賢者殿、お役目ご苦労様です」
慧音が開口一番そう言って、紫にうやうやしく一礼する。
それを皮切りに、次々と里の重鎮から敬意を払われる紫を、霊夢は微妙な心持ちで見つめていた。
自分を目の前にした時と、こういった公の場での紫は、もはや別人と言って差し支えないほどの違いがあった。
誰に言っても信用されないので、それを他人に伝える努力は早々に放棄したのだが。
そして、自然と口をついて出てきそうになる『格好いいかも』という言葉を押しとどめる。
なんだか、言ったら負けな気がして。
霊夢がそんな気持ちを抱えたまま、打ち合わせが始まった。
とはいえ、この時点では話し合うべき事も殆ど残っていない。
時刻、場所、衣装合わせ。それにちょっとした諸注意。
「むぅ」
「霊夢さん、どうかしましたか?」
「……私より大きい」
「あ、ありがとうございます」
「褒めてない」
「え、あの、すいません」
「謝って欲しい訳でもない!」
衣装合わせの一風景。
二時間ほどで打ち合わせも終了し、外からお囃子や屋台を組み上げる音が聞こえてきた。
さて、どうにかして現状を打開しようか。
そんな考えをこね回す霊夢に。
「珍しいな、霊夢がそんな顔をするなんて」
慧音が声を掛けてくる。心配、というよりは疑惑の目なのかもしれない。
「どうしたら舞わなくて済むかなって考えてたのよ。ああ、もういっそ逃げちゃおうかしらね」
結論から言えば、霊夢はこの時致命的な失策を犯した。
もちろん、彼女に本気で逃げ出すつもりなどない。考え込む姿を見られた気恥ずかしさから、つい何気なく返した軽口であった。
しかし、生真面目な気質の慧音には通用しなかったようで。
「まだ、そんなことを言っているのか。お前に全力で逃げられたら、捕まえられる者など殆どいないんだからな」
慧音が言う。
博麗と守矢の共同での神楽、これを楽しみにしている者は多い。
その期待を裏切ろうとする発言に、慧音は軽い憤りを感じていた。
「分かってるわ、じょ……」「仕方がないな」
冗談よ、と言おうとした霊夢を制するように、慧音が傍らでのんびりしていた紫に声を掛ける。
紫は、驚いた様子もなくちらり、と慧音を見る。扇子であおぐ手を止め、視線を霊夢から外して。
「賢者殿、お頼みしたいことがあるのですが」
※
※
※
霊夢は拘束されていた。
しなやかで、人形のような美しさを持つ腕に。抱きかかえられているとも言う。
足が自分の意志とは関係なく宙に浮き、バタつかせるついでに踵で拘束者への蹴りを敢行するも当たらない。
苦しくならない程度の絶妙な力加減で、霊夢は紫に抱きしめられ、祭の中を移動させられていた。
「放してよ」
「ダメですわ」
もう幾度目かわからないやりとり。
紫にしてみれば渡りに舟な頼み事であったものの、逃がさないという目的のためならば祭の会場へまでやって来る必要など無いはずなのだが。
こんなところをもし知り合いに見られたら。
そんな考えが霊夢の脳裏を掠めた時、不安は現実へと姿を変える。
行く先に見えたのは、蓬莱の姫と健康マニアの焼鳥屋。その表情は凍り付いている。
若干の絶望と諦念を込めて、霊夢が口を開く。
「……見世物じゃないわよ」
「いや、その、すまん」
妹紅はとっさに謝ってしまう。紫に抱えられた霊夢は、仏頂面を隠そうともせずふたりを睨みつける。
「まあ、ラブラブね」
と、輝夜。
頼むから混ぜっ返すな、相手をするなと妹紅がアイコンタクトを送るも無視される。
「いい加減降ろしなさいよ、もう逃げないから。これじゃ晒し者じゃないの」
「駄目ですわ。きちんと神楽の時間まで捕まえておくように、と上白沢さんにも頼まれましたし」
ぐっと霊夢を抱く腕に力を込める。
「こんなに良い抱き心地なんですもの」
はーなーせー、と真っ赤になって暴れる霊夢。しかし、妖怪と人間の力の差は絶対的で。
信じられないモノを見た、といった顔の不死人ふたりを置き去りに、一対の人妖は幸せオーラを振りまきながら通りを進んでいく。
※
※
※
すとん。
ある程度までやってきたところで、霊夢の足が地面に降り立つ。
びっくりして振り返れば、紫が立ち並ぶ屋台のひとつで買い物をしている。確かに霊夢を抱きかかえた状態では出来ないことではあるのだが。
こうなると、先ほどまで感じられていた優しい温もりがなんだか惜しい気がしてくる。
ふるふると首を振り、浮かんできた何かを振り払う。そんな霊夢の眼前に、白い大きな固まりが差し出された。
「はい、霊夢」
「なによ、これ」
「あら、霊夢は綿菓子を知らないのかしら?」
ここでも、質問を質問で返す紫。
「知ってるわよ。そうじゃなくて、なんでアンタが私に綿菓子を渡そうとするのよ?」
「簡単なことですわ。霊夢が、綿菓子を食べたがっていたからに決まっています」
紫が断言する。
「食べたがってなんかない」
「そうかしら、他の屋台に比べて1秒以上見ている時間が長かったのも気のせいですの?」
「な……」
「ちなみにその時、霊夢の首が13度ほど右方向に旋回しました。確信する為には十分すぎる動きでしたわ」
「…………」
刑事ドラマで追い詰められてゆく犯人のように、霊夢は黙りこくってしまう。
「かかえられていては、食べられませんものね。だから、こうしましょう」
とても自然な動作で、紫は霊夢の手を握る。
嬉しさやら悔しさやら、いろんな感情が入り交じる中、霊夢は精一杯の反撃を試みる。
「……アンタが妖怪なんだって、改めて実感したわ」
「ふふ、照れてしまいますわ」
「褒めてない」
それも幻想郷最強と言われるスキマ妖怪には、通じない。
※
※
※
里の奥まった場所に造られた、野外舞台の一角。そこへ祭を堪能した人間と、霊夢を堪能した妖怪が辿り着いた。
「まだ、風祝は来ていませんのね」
「そうみたいね」
霊夢の表情は暗い、やはり神楽に乗り気ではないのだろう。祭の最中には見せなかった姿に、紫の心が軋む。
この子にこんな顔をさせたくない。その一念が、紫の口を開かせる。
「何故、そんなに神楽を嫌がるんですの?」
「ん、いつかは訊かれるんじゃないかと思ってたけど」
「……自分でも驚きですわ」
そう、本心で紫は驚いていた。霊夢の心の内へと入り込む言葉。ともすれば疵に触れ、ともすればそれを開く言葉。
それが、自らの口から発せられたという事に。
誰よりも霊夢を大事に想っている自分の言葉だとは、にわかに信じられなかった。
「特別だって、自覚させられるから」
霊夢の答えは簡潔で、しかし素直なものだった。すぐに、これでは足りないと思い直したのか、あわてて言葉を継ぎ足す。
「私は博麗の巫女で、他の人とは違うんだって思い知らされるから。異変を解決するときはそんなの気にならないんだけど、神楽はダメ。いろんな人に私の舞いを見られると、どうしても、ね」
親子連れとかは特にキツイわ。そう言って霊夢は、顔を伏せてしまう。
泣いてはいない。堪えているふうでもない。ただ、己の裡をさらけ出してしまった後悔だけが見える。
ふわり
考えなど無かった。今この時を境に『妖怪の賢者』という二つ名も、返上するべきかもしれない。
「ごめんなさい」
「なんで、アンタが、謝るのよ」
紫に抱きしめられながら、切れ切れに霊夢が問う。
「わかりませんわ」
うなだれる霊夢を見ていたくなかったから。
「放しなさいよ」
甘えてしまいそうだから。
「いやですわ」
放したら、消えてしまいそうだから。
しばらくそうしていただろうか。
紫が、霊夢の頭を撫でながら、優しく声を掛ける。
「もっと、甘えてもいいんですのよ? 霊夢が普通の女の子だということは、私が知っていますから」
誰に、とは言わない、言えないのかもしれない。
そんな紫の胸中を見透かしたように、霊夢が言う。
「足りないわね」
「そうかしら?」
こちらも、何がとは言わない。照れながらただ、望みだけを伝える。
「足りないから……もっと私に構いなさいよ」
「ええ、喜んで」
今年からは、違った気持ちで舞うことができそうだ。
紫の温もりを受けながら、霊夢は今までにない心地よさを感じていた。
~~おまけ~~
その様子を物陰から見ていたふたりの会話。
「とてもじゃないけど、出て行ける雰囲気じゃないですよね」
「やめておけ。今、姿を見せれば間違いなく双方から恨まれるぞ。着替えなら、私の家を使うといい」
「ご迷惑をかけます……」
そんな、半獣と風祝。
☆それでもよろしければ☆
八雲 紫は、幸せの極致にいた。
どこがどう幸せなのかと問われれば、迷い無く『霊夢の寝顔を眺める以上の幸せがどこにありますの?』と逆に質問してくることだろう。
質問に質問で返すな、と妖怪の賢者様は教わらなかったらしい。
別段、それで不自由するわけでもないが。
「……………………」
声は出さない。霊夢を起こしてしまうかもしれないから。
少しでも長い時間、この幸せを享受していたかった。この小さな躰で数々の異変を解決し、幻想郷の平和を半ば強引に守ってきた少女に、紫は見惚れていた。
整った顔立ち、黒く艶やかな髪、透き通りそうな白い肌。
言葉にすれば、なんと陳腐なことか。しかし、それらは紫を惹きつけて放さない。
無言のまま、ゆっくりと霊夢の寝顔に引き寄せられていく。
身を屈め、彼我の距離が縮まっていく。10cm……5cm……2cm……。
びし
「目が、目がぁーーーー!!!!」
霊夢の目潰しが紫の眼球を的確に捉えた瞬間であった。
※
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「まったく、おちおち寝てもいられないのね」
身支度を調えた霊夢がため息混じりにお茶をすする。つい先ほど、人の眼球を指で突いたとは思えないほどのんびりとした声。
「……もう少し、愛に溢れた言葉はありませんの?」
「封じなかっただけ、有り難いと思いなさいよ。贅沢な」
紫の控えめな抗議も意に介さず、霊夢は卓上の煎餅をかじる。血涙を流す紫が気持ち悪いのか、若干視線は逸らし気味だ。
「だって、緊張のあまり睡眠不足な貴女を起こしてしまうのは忍びなくて」
ぴたり、霊夢の動きが止まる。ぐぎぎ、と錆び付いた音を立てて霊夢の首が紫の方向を向く。
「な、なんのこと? 別に毎年やってることじゃないの。緊張なんてするわけが」
「何を、ですの?」
やはり、質問を質問で返す賢者。その瞳はイタズラ心で輝いている。
「霊夢は、毎年『何を』しているのかしら?」
「あ、うう……」
強調してたたみ掛け、僅かな綻びすら見逃さない、スキマ妖怪の面目躍如である。
霊夢は、毎年この日に人里で行われる祭の最後に、神楽を奉納している。
この神楽は、霊夢だけでなく歴代の博麗の巫女が行っている伝統的な祭事なのだが。
「行きたくない」
今年もか。紫は内心で苦笑する。
霊夢は神楽舞いをすることを異様なまでに嫌う。下手な訳ではない、それどころか博麗の巫女という神性を見た者全てに知らしめるほどの実力を持っている。
しかしながら。
「嫌なものは嫌なの。今年は早苗だっているんだから、私が出なくてもいいでしょ」
このように、霊夢は頑なに神楽を拒否し続ける。今年は守矢神社の風祝の存在が、拒否反応に拍車を掛けていた。
いっそ、風祝を謀殺してしまおうかとも考えたが、それは結果として霊夢を悲しませることになりそうだったので思いとどまる。
昼から神楽の最終打ち合わせがある。どうせ今年も、霊夢が駄々をこねるだろうと様子を見に来てみれば案の定だ。
「霊夢」
「なによ、脅しには屈さないわよ」
一段階声のトーンを下げた紫に、半ばムキになった霊夢が噛み付く。弾幕ごっこなら相手するわ、なんて息巻いた霊夢に対して一言。
「いい加減にしないと、心ゆくまで愛でますわよ」
「…………は?」
いきなり何をいいだすのかと呆けたところに、トドメとばかりに具体例を持ち出す。
「家事全般を引き受けて、隙あらば撫で回して、甘えさせるだけ甘えさせますわ。もちろん此方からも甘えまくりですけれど。最終的に私なしでは生きられないくらい依存させますの」
「え? はえ?」
「結界の管理や諸々を藍に任せ、ここに住み込んで四六時中一緒にいます。それでもいいのかしらね」
久しく見たことのない、本気の目だった。
博麗の巫女としての役目を果たさないのなら、容赦はしない。霊夢を一人の少女として扱い、これまで以上に入り込み、愛し尽くす。
そう、紫は宣言する。
それが、どんなに恐ろしいことか霊夢は直感的に理解した。そして想像してしまう。
紫に撫で回され、恍惚の表情を浮かべる自分。
紫と朗らかに食卓を囲む自分。
紫の膝で安心しきったまま、眠る自分。
ぼひゅ!!
音を立てるかというくらい、霊夢の顔が赤く染まる。だめだ、とてもじゃないが耐えられる所業ではない。
しばし人妖は見つめ合い、そして人間が折れた。妖怪は少し残念そうだった。
※
※
※
打ち合わせをするべくやってきた里長の家には、祭の関係者が揃っていた。
そこには里の相談役たる上白沢 慧音や、霊夢と共に神楽を舞う東風谷 早苗もやってきていた。
「賢者殿、お役目ご苦労様です」
慧音が開口一番そう言って、紫にうやうやしく一礼する。
それを皮切りに、次々と里の重鎮から敬意を払われる紫を、霊夢は微妙な心持ちで見つめていた。
自分を目の前にした時と、こういった公の場での紫は、もはや別人と言って差し支えないほどの違いがあった。
誰に言っても信用されないので、それを他人に伝える努力は早々に放棄したのだが。
そして、自然と口をついて出てきそうになる『格好いいかも』という言葉を押しとどめる。
なんだか、言ったら負けな気がして。
霊夢がそんな気持ちを抱えたまま、打ち合わせが始まった。
とはいえ、この時点では話し合うべき事も殆ど残っていない。
時刻、場所、衣装合わせ。それにちょっとした諸注意。
「むぅ」
「霊夢さん、どうかしましたか?」
「……私より大きい」
「あ、ありがとうございます」
「褒めてない」
「え、あの、すいません」
「謝って欲しい訳でもない!」
衣装合わせの一風景。
二時間ほどで打ち合わせも終了し、外からお囃子や屋台を組み上げる音が聞こえてきた。
さて、どうにかして現状を打開しようか。
そんな考えをこね回す霊夢に。
「珍しいな、霊夢がそんな顔をするなんて」
慧音が声を掛けてくる。心配、というよりは疑惑の目なのかもしれない。
「どうしたら舞わなくて済むかなって考えてたのよ。ああ、もういっそ逃げちゃおうかしらね」
結論から言えば、霊夢はこの時致命的な失策を犯した。
もちろん、彼女に本気で逃げ出すつもりなどない。考え込む姿を見られた気恥ずかしさから、つい何気なく返した軽口であった。
しかし、生真面目な気質の慧音には通用しなかったようで。
「まだ、そんなことを言っているのか。お前に全力で逃げられたら、捕まえられる者など殆どいないんだからな」
慧音が言う。
博麗と守矢の共同での神楽、これを楽しみにしている者は多い。
その期待を裏切ろうとする発言に、慧音は軽い憤りを感じていた。
「分かってるわ、じょ……」「仕方がないな」
冗談よ、と言おうとした霊夢を制するように、慧音が傍らでのんびりしていた紫に声を掛ける。
紫は、驚いた様子もなくちらり、と慧音を見る。扇子であおぐ手を止め、視線を霊夢から外して。
「賢者殿、お頼みしたいことがあるのですが」
※
※
※
霊夢は拘束されていた。
しなやかで、人形のような美しさを持つ腕に。抱きかかえられているとも言う。
足が自分の意志とは関係なく宙に浮き、バタつかせるついでに踵で拘束者への蹴りを敢行するも当たらない。
苦しくならない程度の絶妙な力加減で、霊夢は紫に抱きしめられ、祭の中を移動させられていた。
「放してよ」
「ダメですわ」
もう幾度目かわからないやりとり。
紫にしてみれば渡りに舟な頼み事であったものの、逃がさないという目的のためならば祭の会場へまでやって来る必要など無いはずなのだが。
こんなところをもし知り合いに見られたら。
そんな考えが霊夢の脳裏を掠めた時、不安は現実へと姿を変える。
行く先に見えたのは、蓬莱の姫と健康マニアの焼鳥屋。その表情は凍り付いている。
若干の絶望と諦念を込めて、霊夢が口を開く。
「……見世物じゃないわよ」
「いや、その、すまん」
妹紅はとっさに謝ってしまう。紫に抱えられた霊夢は、仏頂面を隠そうともせずふたりを睨みつける。
「まあ、ラブラブね」
と、輝夜。
頼むから混ぜっ返すな、相手をするなと妹紅がアイコンタクトを送るも無視される。
「いい加減降ろしなさいよ、もう逃げないから。これじゃ晒し者じゃないの」
「駄目ですわ。きちんと神楽の時間まで捕まえておくように、と上白沢さんにも頼まれましたし」
ぐっと霊夢を抱く腕に力を込める。
「こんなに良い抱き心地なんですもの」
はーなーせー、と真っ赤になって暴れる霊夢。しかし、妖怪と人間の力の差は絶対的で。
信じられないモノを見た、といった顔の不死人ふたりを置き去りに、一対の人妖は幸せオーラを振りまきながら通りを進んでいく。
※
※
※
すとん。
ある程度までやってきたところで、霊夢の足が地面に降り立つ。
びっくりして振り返れば、紫が立ち並ぶ屋台のひとつで買い物をしている。確かに霊夢を抱きかかえた状態では出来ないことではあるのだが。
こうなると、先ほどまで感じられていた優しい温もりがなんだか惜しい気がしてくる。
ふるふると首を振り、浮かんできた何かを振り払う。そんな霊夢の眼前に、白い大きな固まりが差し出された。
「はい、霊夢」
「なによ、これ」
「あら、霊夢は綿菓子を知らないのかしら?」
ここでも、質問を質問で返す紫。
「知ってるわよ。そうじゃなくて、なんでアンタが私に綿菓子を渡そうとするのよ?」
「簡単なことですわ。霊夢が、綿菓子を食べたがっていたからに決まっています」
紫が断言する。
「食べたがってなんかない」
「そうかしら、他の屋台に比べて1秒以上見ている時間が長かったのも気のせいですの?」
「な……」
「ちなみにその時、霊夢の首が13度ほど右方向に旋回しました。確信する為には十分すぎる動きでしたわ」
「…………」
刑事ドラマで追い詰められてゆく犯人のように、霊夢は黙りこくってしまう。
「かかえられていては、食べられませんものね。だから、こうしましょう」
とても自然な動作で、紫は霊夢の手を握る。
嬉しさやら悔しさやら、いろんな感情が入り交じる中、霊夢は精一杯の反撃を試みる。
「……アンタが妖怪なんだって、改めて実感したわ」
「ふふ、照れてしまいますわ」
「褒めてない」
それも幻想郷最強と言われるスキマ妖怪には、通じない。
※
※
※
里の奥まった場所に造られた、野外舞台の一角。そこへ祭を堪能した人間と、霊夢を堪能した妖怪が辿り着いた。
「まだ、風祝は来ていませんのね」
「そうみたいね」
霊夢の表情は暗い、やはり神楽に乗り気ではないのだろう。祭の最中には見せなかった姿に、紫の心が軋む。
この子にこんな顔をさせたくない。その一念が、紫の口を開かせる。
「何故、そんなに神楽を嫌がるんですの?」
「ん、いつかは訊かれるんじゃないかと思ってたけど」
「……自分でも驚きですわ」
そう、本心で紫は驚いていた。霊夢の心の内へと入り込む言葉。ともすれば疵に触れ、ともすればそれを開く言葉。
それが、自らの口から発せられたという事に。
誰よりも霊夢を大事に想っている自分の言葉だとは、にわかに信じられなかった。
「特別だって、自覚させられるから」
霊夢の答えは簡潔で、しかし素直なものだった。すぐに、これでは足りないと思い直したのか、あわてて言葉を継ぎ足す。
「私は博麗の巫女で、他の人とは違うんだって思い知らされるから。異変を解決するときはそんなの気にならないんだけど、神楽はダメ。いろんな人に私の舞いを見られると、どうしても、ね」
親子連れとかは特にキツイわ。そう言って霊夢は、顔を伏せてしまう。
泣いてはいない。堪えているふうでもない。ただ、己の裡をさらけ出してしまった後悔だけが見える。
ふわり
考えなど無かった。今この時を境に『妖怪の賢者』という二つ名も、返上するべきかもしれない。
「ごめんなさい」
「なんで、アンタが、謝るのよ」
紫に抱きしめられながら、切れ切れに霊夢が問う。
「わかりませんわ」
うなだれる霊夢を見ていたくなかったから。
「放しなさいよ」
甘えてしまいそうだから。
「いやですわ」
放したら、消えてしまいそうだから。
しばらくそうしていただろうか。
紫が、霊夢の頭を撫でながら、優しく声を掛ける。
「もっと、甘えてもいいんですのよ? 霊夢が普通の女の子だということは、私が知っていますから」
誰に、とは言わない、言えないのかもしれない。
そんな紫の胸中を見透かしたように、霊夢が言う。
「足りないわね」
「そうかしら?」
こちらも、何がとは言わない。照れながらただ、望みだけを伝える。
「足りないから……もっと私に構いなさいよ」
「ええ、喜んで」
今年からは、違った気持ちで舞うことができそうだ。
紫の温もりを受けながら、霊夢は今までにない心地よさを感じていた。
~~おまけ~~
その様子を物陰から見ていたふたりの会話。
「とてもじゃないけど、出て行ける雰囲気じゃないですよね」
「やめておけ。今、姿を見せれば間違いなく双方から恨まれるぞ。着替えなら、私の家を使うといい」
「ご迷惑をかけます……」
そんな、半獣と風祝。
予想以上に甘くて大満足でした
かまって欲しくて我儘な振る舞いをしてるんですね、霊夢さん。甘えん坊な一面が可愛すぎますぜ
包容力ある紫も素敵。もっと甘やかしなさい
素敵なゆかれいむ、ありがとうございました!
甘いだけでなく所々塩味があるというか。
兎に角良かったです。