「徹夜はするな、睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに美容にも良くねぇ」
―― ポルコ・ロッソ(紅の豚)
【湯難の相】
「……こんなはずじゃ、なかったんだがな」
真夜中の自室。私は、今なお完成しない霊薬を前に一人呟いた。
本当ならとっくに完成して澄んだ琥珀色になっているはずなのだが、目の前の霊薬はまだ乳白色のままだ。
霧雨魔法店の夜は長いが、今回は特に長い。
私はもうコイツに、かれこれ二日ほど釘付けだ。下ごしらえまで勘定するなら半月以上は費やしている。
とりあえず面倒な調合は最後まで終わっているので、後はゆっくり温め続ければいいだけなのだが。
この調子だと、朝まで温め続けないとダメなようだ。
厄介な事に、最終段階で一度でも冷ましてしまうと、別の反応を起こしてダメになってしまう。
かといって、強火で一気に煮詰めてしまえば良いというものでもない。
魔法はいつだって我儘なのだ。少なくとも、徹夜の作業を強いる時点で人間には優しくない。
睡眠の要らない魔女なら話は別だろうが……。
用意してあったアルコールランプは、予備も含めてもう尽きる。本来、一時間ぐらいしか火が続かない代物なのだ。
私は仕方なしに、ミニ八卦炉をそこにあてがった。
本当ならケチケチしないでもっとこう、大量に仕入れて置けばよかったのだが。
酒はともかく、純粋なアルコールはそんなに手に入らないのだ。気長に輸入品を待つか、酒から蒸留して作るしかない。
火符があればそもそもアルコールランプなど要らないのだが、私にとっては火符=ミニ八卦炉だ。
そしてミニ八卦炉は他にも冷暖房や空気清浄、マスタースパークと私の生活の大半を支えている重要なアイテムでもある。
こいつを手放すのは、生命線を手放すのに等しい。
「でも仕方ないよな。他に手は無いんだし」
不安は残るが、実験で数時間あてがっておくぐらいなら問題ないだろう。
この時には、私もそう思っていた。
◇◇◇
幸いナチュラルハイになっているので眠気は無いが、少し平衡感覚が怪しくなってきている。
本当なら今すぐ休むべきなのだろうが、それは出来ない相談だった。
本の山と格闘し、失敗に失敗を重ね、ようやくここまでたどり着いたのだ。最後で詰めを誤りたくない。
となると、眠れないならせめて食べなきゃ体が持たない訳で。
私は軽く食料庫の中を見てみたが、手軽につまめそうな物はほとんど残っていなかった。
連日続く雨と長引く実験でついつい食べてしまったのだ、そして使えば無くなるのが物の道理。
しかし『ほとんど』と『全く』には大きな違いがある。
そう、私の切り札はまだ健在だったのだ。
「よし、あったあった」
キノコ魔法失敗作の流用、もとい外の世界の「かっぷらーめん」をヒントに作り上げた即席森のキノコスープ霧雨風!
何と熱湯をかけてかき混ぜるだけで、美味しいキノコスープが完成するというスグレモノだ。
輸入品の調味料と、乾燥させた魔法の森キノコ数種類を贅沢に組み合わせてある。
食料作成魔法と言ってもいいぐらい、画期的な発明だ。量産できたらきっと爆発的に売れるに違いない。
そうと決まれば早速お湯を沸かそう……としたところで、はたと気付いた。
唯一かつ最大の障害が私の前に立ちはだかっていた事に。
お湯、どうしよう?
もちろん料理が出来ないわけではない、お湯を沸かすなんて料理のうちにも入らないし。
でも、火が起こせないのだ。
やり方を知らないわけじゃなくて、起こす方法そのものが無い。
料理も暖房も全てミニ八卦炉に頼りっきりになっていたから、薪なんてここの所使っていない。
お風呂だって温泉だし、使う必要が無かったのだ。置き場所だって困るし。
と言うわけで当然、在庫も無い。
ちなみに温泉のお湯は、スープが作れるほどの熱さが無い。かけ流しでちょうどいい程度の熱さしかないのだ。
しかも温泉の成分の関係で、こいつでスープを作っても味がおかしくなってしまう。
となれば魔法か。熱を加える魔法を知らないわけではないが、まずい事に火力の微調整が効かない。
何故なら弾幕はパワーであり、本来は料理になんて使わないからだ。
そもそも私のは炎じゃなくてレーザーだし。そしてよく失敗して、魅魔様に怒られたものだ。
……でも、今の私は見習いの時と違う。
私は普通の魔法使いで霧雨魔法店の店主、小さいながらも一国一城の主だ。
もしかしたら、今は出来るかもしれない……試した事ないけど。
いや、今度こそうまくやってみせる。今は居ない魅魔様、どうか見守っててくれ!
そうと決まれば『善は急げ』だ。
古びたヤカンに水を張り、慎重に炙っていく。
今はミニ八卦炉がない、全て手動だ。少しでも出力調整が狂えばヤカンに穴が空いてしまうだろう。
あれは増幅装置なだけでなく、制御装置でもあるのだ。
アリスあたりが聞いたら『不器用にもほどがある』と言いそうだが、これはパワー型でないと分からない悩みなのだ。
一種の職業病と言ってもいい。今の所誰も分かってくれないが、フランならきっと分かってくれる気がする。
よし、今度会ったら聞いてみよう。
時間の経つことしばし、ヤカンは微かにカタコトと音を立て始める。
「まだ、まだ早い……」
台所は少々肌寒い、やはり大雨が降っているせいだろうか。でもその雨音はもう私の耳に届かない。
「もう少し……」
もう頭の中は熱々のキノコスープの香りでいっぱいだが、ここはぐっと我慢。
「後一歩……」
ついにピーッ♪ と軽快な音を立ててお湯が沸いた。
ほら見ろ、やった、さすが私! ミニ八卦炉がなくたって普通の魔法使いは健在だ。
慣れない事やって死ぬほど疲れたが、ようやく素敵な夜食タイムだ。
これで私は、あと十時間は起きていられる。もう待ちきれずにヤカンを持ち上
バキッ、バシャ、ドンガラガッシャン!!
「ぅ熱っちゃ!」
感じたのは痛み、次の瞬間私は飛び跳ねていた。
そしてそのままフリーズ、一瞬何があったか分からなかった。もちろんその間に全ては終わっていたのだが。
つまり勢いよく持ち上げたヤカンの取っ手がもげ、ヤカンは派手に転がっていったのだ。
火傷は大したこと無かったが、お湯は全部ぶちまけられていた。
「こ、こ……このポンコツヤカンめっ!!」
これはひどい、とコメントするしかない状況だ。でもどうしてこんなことに?
もしかすると、魔法レーザーで炙ったせいでヤカンそのものが脆くなっていたのかもしれない。
となると、壊れたヤカンでもう一度試すのは危険だろう。
他の鍋とかでやり直すのも止めておいた方がいいのかもしれない。鍋まで壊れたらたまったものじゃないし。
今の私は昔とは違う、と思っていたけど。やっぱり私は私だったぜ。
だから魅魔様……今回はどうか無かったことに。
私は水で手を冷やしながら、一人で必死に言い訳を考えていた。
やはり時代は『急がば回れ』だ。
魔法ですぐ沸かしてしまえと思ったのが良くないのだ、お湯ぐらい普通に沸かすべきなのだ。
しかしそれには燃料というものが必要だ。しかしさっきも探したが薪は無い。他に使えそうな燃料も無い。
一応、デビルダムトーチならあるが。こいつは焼夷弾だし……こんなの使ったら台所が吹っ飛んでしまう。
さてどうしたものか、今から薪を取りにいくか?
窓から外を見てみるが、相変らず雨だ。しかも丑三つ時と来ている。
これじゃ外の枝を拾ってきても使い物にならないだろう、人里の店だって閉まっている。
強引に乾かせば薪になるかもしれないが、それができるのは今塞がっているミニ八卦炉だけだ。
「物はすぐ傍にあるのに、手が出せないっていうのも皮肉だよなぁ」
そんな状況に誰がした。不可抗力だと言いたい所だが、結局は私だ。
やはり、人間一人では限界もある。なら誰かに助けを求めればいい……でも誰に?
まず思い浮かんだのは、口うるさいお隣さんだったが。シミュレーションする事少し、却下する。
確かにアリスならお湯と薪はくれるだろうし、夜食も作ってくれるだろう。
しかし真夜中に叩き起こされては不機嫌だろう。そして「魔法使いがお湯ひとつ沸かせないのか」と延々と皮肉るのだ。
睡眠も食事も要らない魔女のくせに、人間みたいな生活をするなと言いたくなるが。
そういう奴なんだから仕方が無い。
ではもう少し足を伸ばして、光の三妖精の所か? ツチノコの一件以来、知らない仲ではない。
……だが待て、何が悲しくて人間が妖精相手に助けを請わなきゃいけないんだ。
人間の尊厳はどこへ行った?
そんなことをしたら、格好の噂話のネタにされてしまうだろう。何せ連中は口が軽い。
それに良く考えてみたら、あいつらだって深夜は寝ているじゃないか。今は草木も眠る丑三つ時だ。
じゃあ他か、森の外に出るしかないのか。
しかし神社も古道具屋も真夜中は寝ている、反応の悪さはアリスといい勝負だろう。遠いだけ損だ。
むしろ、この辺で深夜営業なのは紅魔館と夜雀の屋台ぐらいしかない。
魔法で灯りを作り放題の魔法使いと違い、一般家庭じゃ光熱費は深刻なのだ。
この雨じゃ屋台は出ていないだろうし、紅魔館か?
だが待て。ただでさえ空腹で寒い思いをしているのに、雨の真夜中にそんな遠くまで行かなければならないのか。
霧の湖を超えて? 星空ならともかく、真っ暗な夜の湖って何か出そうで嫌なんだが。
おまけにこの状態じゃ門を抜けられないだろう。それとも、素直に事情を話して通してもらうのか?
「お湯が沸かせない、助けて」
おお、何と恐ろしい。その光景を想像してみたが、どうみても道化だ。
美鈴を笑い死にさせるつもりなら話は別だが、そんなみっともない事出来るはずが無い。
いや、むしろ本気で哀れむだろうか? それはそれで、やっぱり嫌だ。
早く霊薬が完成してくれればこの悩みから解放されるのだが、その気配は無さそうだ。
雨もまだ当分止みそうに無い。
静まり返った室内、聞こえる音は雨音とコポコポと霊薬の泡立つ音だけだ。
もう少し私に余裕があれば、それを楽しむ事ができたのかもしれないが。今はただ鬱陶しいだけである。
それならいっそ、天気を変えるか? 私は特殊カード『気質発現』をじっと見つめた。
でもあの天人が暴れていた時には有効だったこのカードも、ほとぼりの冷めてしまった今では効果が無いだろう。
緋想の剣で集められていた気質は、とっくの昔に散ってしまっただろうし。
試してみてもいいが、勝率はあまりに悪そうだ。私は『気質発現』をそっと引き出しに戻した。
チャレンジ精神旺盛なのは素晴らしい事だけど、資源は有限なのだ。使う魔力も馬鹿にならない。
何でもかんでも猪突猛進で突っ込めば良いというものではない。
それが、ついさっき身を持って得た教訓だった。
……ふん、私は一人暮らしの専門家だ。無い無い尽くしだって、お湯の一つぐらい沸かしてみせる。
燃料が無いなら自分で作ればいいだけのことだ。それぐらい、一人で出来る。
これだけモノが溢れているんだ。紙くずとか、新聞紙とか、薪代わりになるものぐらい転がっているはずで……あ。
「しまった。久々に大掃除したんだっけ……」
人間は、忙しくて行き詰ってどうしようも無い時。普段全くやらないことをあえてやってしまう習性がある。
私とて例外ではない、燃えそうなゴミは全部掃除して片付けてしまった。
おまけにミニ八卦炉で焼いたものだから、炭どころか灰すら残っていない。
他に燃やせそうなものといったら服とか家具とか、後は人形とか本ぐらいしか残っていない。
もちろん、燃やしてはいけないものばかりなのだが。
特に人形や本に手を出した日には、あいつらに何をされるか分かったものじゃない。
それでもあえてやるなら服か? 要らない服があったか?
でも服を焚き付けにしてお湯を沸かすなんて、無駄遣いの極みだ。だいたい何着あれば足りるんだソレ。
それにこの長雨のせいで生乾きの洗濯物ばかり、残りは心もとない。どんなボロ服でも乾いているなら残しておきたい所だ。
じゃあ家具か? 家具なのか?
待て、落ち着け私。私はお湯一杯が欲しい為に、椅子一つ分解しなきゃならんのか?
さすがにそれはシュールすぎる、フランだってそんなことはしない。
ああ、あいつのレーヴァテインがあればお湯なんかすぐ沸かせるだろうに。
でも無い物ねだりしたって仕方ない、発想を変えよう。
燃料切れでもアルコールランプはあるのだ、コイツの燃料さえ何とか調達すればいいだけじゃないか。
幸い、酒の貯蔵ならたっぷりある。焼酎みたいに強い酒だってある。
こいつを蒸留すれば、キノコスープを作れるぐらいのアルコール燃料は自作できるだろう。
幸い、蒸留用の器具には事欠かない。何だ、簡単じゃないか。
……で、蒸留ってどうやるんだっけ?
「落ち着け、まだ慌てる時間じゃない」
そう、別に何かを燃やす必要は無いのだ。要はお湯が沸く程度の熱量が得られればいいだけだ。
例えばそう、カイロの原理を利用するとか。といってもベンジンとプラチナを使うわけじゃない。そんなもの手元に無いし。
外の世界では火もお湯も要らない、不思議のアンカがあるのだ。
残念な事に使い切りタイプで、今手元に未使用品は無い。
しかし私は普通の魔法使いだ。
こんな事もあろうかと、事前に使用済みの実物を古道具屋から取り寄せ、中身を全て解明しておいたのだ。
あの袋を作るのは難しそうだが、中身は至極単純。砂鉄、塩、あとは炭だ。
これを混ぜ合わせれば、いい具合に熱くなるはずだ。その中に水を張ったビーカーを突っ込んでおけば、お湯になるだろう。
材料は変哲も無い代物ばかりだ、お財布にも優しい。
さすがに砂鉄のストックはないが、磁石を使えばすぐに調達できるだろう。
さて、そうと決まればすぐにでも実行して……あれ?
問題1:ビーカーいっぱいのお湯を沸かすのに必要な砂鉄の量を求めよ。
問題2:土砂降りの魔法の森で砂鉄を確保するのに必要な労力を求めよ。
だめだ、どう考えても赤字になる。
空腹で肌寒いからキノコスープを作りたいのに、何故土砂降りの中で砂鉄集めをしなきゃいけないんだ?
確かに風邪を引けば熱は出るが、それじゃ本末転倒だ。
私が飲みたいのはキノコスープであって、煮え湯じゃない。
「……お腹すいた」
しかし少し冷静になって考えてみると、さっきから危険な案しか思い浮かんでいない気がする。
何でお湯一つ沸かすだけなのに、そんな大騒ぎしなきゃいけないんだ?
もういい加減、キノコスープなんて諦めて大人しくしていた方がいいのかもしれないが。
私のお腹はすっかりスープ受け入れ態勢になっていて、空腹のままでは意地でも引き下がらないつもりらしい。
今寝るつもりはないが、仮にこのまま横になったとしても寝付けないだろう。
今なら、一向に賽銭の入らない霊夢の気持ちが分かる気がする。
自宅で遭難するってこんな気分だったのか。正直、笑って済まなかった。
……いやいやいや、一緒にしたらだめか。貧乏という訳じゃないんだ。
物はあるんだ、ただお湯が手に入らないだけなんだ。
やっぱりもう少し良い手がある気がする。
私は、ミニ八卦炉無しじゃ何も出来ない駄目魔法使いなんかじゃないはずだ。
これだけ蒐集品が揃っているんだ、中には役立ちそうなマジックアイテムとか、文明の利器とかあるかもしれない。
例えばストーブとか。でもあれにも燃料が必要だし……その燃料がなくて困っているんだよな。
他にもっと何かないかと思っていた所、ふと閃いた。
「……!」
どうやら私は、重大な見落としをしていたらしい。
魔法と外の科学だけを見ていて、幻想郷の中の科学をすっかり忘れていた。
あるじゃないか……輸入品じゃなくても、進んだ技術の産物が。
居るじゃないか……幻想郷の技術革命を目指す、人間の盟友が。
そう。河童のにとりから、まさにうってつけのアイテムを借りていたのだ。
その名も電気レンジ!
中に物を入れてスイッチを入れるだけで、すぐ温まるというスグレモノだとか。
しかもこいつは燃料なしでも、全自動発電機で動く特製らしい。原理が分からないのがアレだが。
騙されたと思って使ってみてよ、と言われたものの使わず終いだったが。今では神に見える。
しかし何と言う素晴らしき思いつき、あるのに今まで思いつかなかったのが不思議だが気にしたら負けだ。
そうと決まればさっそくお湯などを。
しかしここまで振り回されたのだ。いい加減お腹も減ってきているし、何かオマケを追加したいところだ。
せっかく手軽に温められるのだ。お湯だけでなくこう、手軽な料理をついでに作りたいところ。
お湯で作れるお手軽な料理、例えば……ゆで卵なんてどうだろう?
ゆで卵が出来ればマヨネーズと塩胡椒を混ぜ、バターを塗ったパンに挟めばタマゴサンドの完成だ。
もちろん、アリスに作れて私に作れないはずがない。
あのこってりした中に、柔らかい甘さとほどよい塩味酸味……よし、これでいこう。ちょうど珍しい卵もあるし。
私は水を張ったビーカーに卵を沈め、電気レンジの中に入れた。
さあ、ポチっとな。
「まだ、まだ早い……」
台所は少々肌寒い、やはり大雨が降っているせいだろうか。でもその雨音はもう私の耳に届かない。
「もう少し……」
もう頭の中は滑らかなタマゴサンドの味でいっぱいだが、ここはぐっと我慢。
「後一歩……」
ついにピーッ♪ と軽快な音を立ててお湯が沸
……
…………
私は電気レンジが吹っ飛んだと思ったら、喰らいボムを撃っていた。
意味不明だが、私にも何があったのか分からなかった。
でもこれだけは分かる。失敗とか、故障とか、そんな生ぬるい事では断じてない。
もっと恐ろしい何かが起きたのだ。
「だ、騙された……」
ミニ八卦炉が無いと使えないスパーク系スペカではなく、箒がないと使えない突進系スペカでもなく。
一発で星符『メテオニックシャワー』を引いた強運は我ながら大した物だ……と言いたい所だが。
おかげで台所は滅茶苦茶になってしまった。
ぶちまけられた残骸と星弾、そして硫黄と金属の焼ける臭い。
ど、どうするんだこれ、どうやって収拾つけるんだ。
誰が片付けるんだよ、これ。
もちろん自分でやるしかない、しかも寝る前に。
「うふ、うふふふ……」
神は死んだ、犯人はにとり。そのあまりの理不尽な仕打ちに、私の中でついに何かが折れる音がした。
も、もう嫌だ。助けて魅魔様……私はヘナヘナと崩れ落ちるしかなかった。
◇◇◇
「……理沙、魔理沙ってば。あーもう、何やってるんだよ」
どれぐらい時間が経ったのだろう?
飛んでいた意識が戻った頃には、どこから沸いたのか河童が、にとりが私の目の前に居た。
床に座りこんでいた私の顔を、前かがみで覗き込んでいる。
「それはこっちのセリフだぜ、よくも騙してくれたなっ!?」
「ちょ、故障警報が出たからすっ飛んできたのに。酷い言われようなんだけど」
「信じていたのに、お前を信じていたのにっ……!」
私の敵は目の前に居るっ!
一気に手を伸ばしその胸倉を掴む。さあ捕まえた、もう離すものか。
私は涙目になりながら、にとりにくってかかった。
「ち、ちょっと待った。そっちこそ何でスペカ撃ったんだよ、何か恨みでもあったの?」
「そっちこそ、爆弾なんか送りつけて酷いじゃないか!」
「爆弾なんて送ってないってば。これは 電 子 レ ン ジ、料理の道具だよ」
「嘘だっ、卵が爆発なんてするものかっ!」
「なるほど、卵いれちゃったんだね。だめだよ、マイクロウェーブで卵爆発は常識だよ?」
「そんな常識あるものか! それに電気レンジって言ったじゃないか!」
「言ってないってば、言葉は正確に覚えようよ。大体どうしてそんな事しようとしたのさ?」
まずい。にとりの私を見る目が、チルノを見る目だ。
何やら私は、河童基準ではありえないぐらいのミスをしてしまったらしい。
失敗を悟った私は、掴んでいた手を離すしかなかった。
……自分の頭の中を整理するためにも、今日何があったのかをポツリポツリと説明していく事しばし。
じっと聞いていたにとりは、ようやく口を開いた。
「なるほど、事情は分かったよ。災難だったね」
「うぅ」
「ちなみに卵をどうしても温めたかったら、殻と黄身を割ってからのほうが良かったかな。もしくはアルミホイルで包んでから水に沈めるとか」
「アルミホイルって何だよ、そんなの持ってないぜ」
「まあ素人にはお勧めしないよ、卵は危ないとだけ覚えておけばいいさ。他にも入れちゃいけない物あるから、一応メモっておくね」
スカートのポッケから手帳を取り出して、にとりは何やら書き出していく。
銀杏、栗、焦げた焼き芋、飴、炭、非耐熱ガラス、金属全般、濡れた式神……ちょっと待て、後半おかしいだろ。
でもさすがにこの流れじゃ何も言えない。
「どんな便利な道具も使い方次第だよ。修理しておくから、次から気をつけて。……あと説明書も読んでくれると助かるけど」
「な、なぁにとり。……悪かったよ、あと助かったぜ」
「ふむ、誤解が解けて何よりだよ。来た甲斐があったというものさね」
ようやく、にとりは微笑んだ。
何だかんだで真夜中に心配して来てくれたのだ、最初に礼を言っておくべきだった。
恥ずかしいやら情けないやらで、私の顔は今更真っ赤になったがもう遅い。
「だからその……今日のことは言うなよ? 絶対誰にも言うなよ!?」
「あ~……うん、ごめん。それ無理」
「な、何でだよぅ」
「後ろ、見てみ」
バツの悪そうな顔をするにとり、災難はまだ終わっていなかった。
いや、むしろこれからが本番だった。言われてようやく気付く、後ろに人の気配がする。
「……一人で来たんだよな?」
「そんなこと誰も言ってない」
凍りつく背筋、嫌な汗が流れる。もちろん、今のやり取りも全部聞かれていただろう。
ああ、足音が近づいてくる。でも振り返ってはいけない、振り返ったら……
「ええ、もちろん誰にも言わないわよ? 誠意次第だけど」
「料理が下手な人は結構見たけど、さすがに料理を爆発させた人は初めてね」
な、何てことだ。パチュリーにアリス。よりにもよって、一番見られたくない連中に!
やられた。これで向こう一ヶ月は、同じネタでいじられるのが目に見えている。
「何でお前ら、ここに居るんだよ!」
「だって……にとりに道案内頼まれたから」
「だって……パチュリーに鍵開け頼まれたから」
私のせいじゃないもん、と言わんばかりな魔女2人。タイミングはピッタリ同じだ。
こいつら絶対謀ったな。
「何でパチュリーなんかに道案内を?」
「私がこの辺で知ってて、夜やっているのは紅魔館ぐらいだからね」
「それならメイドとか咲夜とかに聞けばいいじゃないか」
「聞いてみたけど。前にも魔法の森で見事に迷ったから、案内出来ないって言われたのさ」
なるほど、にとりの言い分はもっともだ。凄くもっともだ。
雨が降っているんじゃフランもレミリアも駄目だし、美鈴も門から離れられない。
でも何でパチュリーなんだ、小悪魔でいいだろ?
こいつが私の家に来ると決まって……
「だから私が引き受けた訳よ。ついでだしね」
「ついでって何だよ、何しに来たんだよ」
「もちろん、延滞中の図書の回収に」
弱みに付け込んで何て奴だ、この人でなしめ。いや、元々人間じゃなかったか。
悲しい事に、私の知っている魔法使いで人間なのは私だけだ。
パチュリーとアリスは種族が魔女だし、今居ないフランも吸血鬼。
霊夢には同じ人間の巫女の知り合いが出来たというのに、この差はあんまりだ。
「も、もうちょっと待ってくれ、まだ使うんだ」
「それが、あなたの誠意?」
「……分かった、返す」
「分かってくれて嬉しいわ」
ああ、せめてこの霊薬が成功するまでは資料を確保しておきたかったのに。
気分は踏んだり蹴ったりだが、悪いのはこっちだから何も言い返せない。
「ところでアリス。私は合鍵渡した覚えはないぞ、どうやって開けたんだよ」
「私も受け取った覚えはないけど、隙間からこう小さな人形をね」
「まさか、家に穴空けたのか?」
「空けないってば、どこからだって入れるし。後は中から開けるだけね」
なるほど、それは便利……じゃなくって。
全く、ウチのセキュリティはだだ漏れだな。近いうちに徹底的に穴埋めしなきゃならないだろう。
こっちはぶち破らないとアリスの家に入れないのに、アリスは普通に私の家に入れるなんて不公平だ。
人形避けの罠でも張っておくか? しかしこの手の小細工勝負でこいつに勝てる気がしない。
「でも、でも。こじ開けなくたってノックすればいいだろ」
「したわよ、声もかけたわよ。でも出なかったじゃない」
「聞こえなかった、のぜ」
「放心してたみたいだしね。……まあ合鍵渡してもらえれば、私もこんな真似しなくて済むけど」
「代わりにそっちの家の鍵を寄越すなら、考えてもいいぜ」
「ふむぅ……」
まあ本当は人形屋敷の鍵を貰っても困る訳で、冗談で言ったのだが。
アリスに招かれてならともかく、一人で動く人形だらけの室内に踏み入るのは正直怖い。
おまけにアリスの人形は火薬内蔵のカミカゼ仕様ときてるし。
……だから真剣に考え込まないでくれ、頼む。
「見た目より酷くはないし、ここで直せるかな。ちょっと工具広げるけどいいよね?」
「一人で努力も悪くないけど、手当たり次第にウチの本を漁るのは止めなさい。効率悪いだけだわ」
「まあ……まあそれは、後でゆっくり話し合いましょ。ほら、怪我は無い? 熱は大丈夫?」
「ともあれ、発電機が無事でよかったよ。アレが壊れたら惨事になるところだった」
「私はいつも図書館に居るんだし、分からない事は聞いたほうが早いわよ?」
「ここは片付けておくから、先にお風呂でも入ってきなさい」
あぁもう、うるさい。お前らは私の親か。
確かにパチュリーは私の曾おばあちゃんぐらいの年齢だし、にとりも似たようなものだろうが。
アリス、お前だけはダメだ。お前は私と同じぐらいだろ!
でもこの劣勢じゃ口に出せるはずが無い。どうせ私は一人じゃお湯も沸かせない駄目魔法使いだよぅ、くすん。
……夜中にわざわざ来てくれたのは感謝するし、片付けてくれるのも有り難いけど。
それでも、私は頼んでない。
「何やらお腹が空いてそうな顔してるけど、きゅうりスティックでも食べる?」
「何が悲しくて、寒いのに生きゅうり齧らなくちゃいけないんだよぅ」
「それなら温める? レンジを直すついでにさ」
「人間はそんなもの食わん。温めるならお湯をくれ、私はもう限界なんだ」
「魔理沙が白湯好きだとは知らなかったよ、すぐ沸かしておくさ」
違う。せめてキノコスープにしてくれ、一口でいいから。
しかしこうも吹っ飛んでしまうと、どの残骸がキノコスープの素だったかもう分からない。
お気の毒ですが、霧雨魔理沙のキノコスープは消えてしまいました。
お気の毒ですが、霧雨魔理沙のタマゴサンドも消えてしまいました。
いっそ私も消えてしまいたい。
「ああもう。家戻って何か作って来るから、少し待ってなさい」
「それなら私が片付けておくから、アリスは料理お願いね」
「喘息は大丈夫なの?」
「マスク持ってきたし何とかなるでしょ、珍しく片付いていたみたいだし」
「そう? じゃあお願いね。実験中のミニ八卦炉をひっくり返さないように」
「ミニ八卦炉もないと困るだろうし、火符と入れ替えておくわ」
……我が家が妖怪たちに蹂躙されていく。
家主の私は置いてきぼりで、テキパキと片付けられていくのをただ見守るしかない。
「あれ、ネジが余った?」
「それにしても湿気っぽい家ね。日符で軽く炙っておこうかしら?」
も、もうダメだ。幻聴まで聞こえてくる。
今の私に出来ることはただ一つ、素直に風呂に入る事だけだった。
【後日談】
アリスの夜食は美味しかったし、パチュリーも実験手伝ってくれたし、霊薬も無事完成したけど。
にとりが後で持ってきた『電気ヤカン』も確かに便利だけど。
いい加減、珍獣を見るような目で私を見るのは止めて欲しい。あの時はちょっと調子が悪かっただけだ。
今から落ち着いて考えてみると、最初の方法をちょっと工夫すればいけたかもしれない。
例えばレーザーで直接ヤカンを炙らず、石でも炙ってヤカンに入れるとか。
何故あの時、考えを戻さなかったのだろう? と思わなくも無いけど。
でも、結果論。
対策としては割った卵に針か何かを刺して穴をあけておく、とか聞いたことがある気がしますw
Σしまった、このままだと作者の勘違いのせいで、にとりまでボケキャラにっ。
急いで直しておきますね。
>>2様
「いくら寝不足でも魔理沙はこんな間抜けじゃない!」と怒られるのが一番怖かったので、助かります~。
面白かったです。
良い
さりげなくみんなに愛されてる魔理沙がよかった
>>4様
オチも山場も無い話ですけど、笑ってもらえたなら嬉しい限りです~。
>>5様
途中で1時間でも寝れば徹夜じゃないはずなので、徹夜はしてません(キリッ
>>6様
パチェのセリフを嫌味すぎずデレすぎず、でもさりげなく……にしようとして苦労しました。
ちゃんと表現できていたみたいでよかったです。
まさか投稿から半年以上経ってからコメもらえるとは思ってもみませんでした。
返信遅れて申し訳ありません&どうもありがとうございます~。
何やら作品集45では最長になったようですが、それでも読みやすく思っていただけたなら何よりです。