「鈴仙が独立してから、どのぐらいになるのかしらね」
ある日のことだった。そうのんびりと言った輝夜の言葉に、永琳は薬棚を調べて回りながら、―暮れどきであるから、そろそろ在庫の確認である。これが終われば、夕食の準備にかかる―その片手間に、答えてのけた。
「どうかされましたか? 急に」
「いえ。そういえば、久しく顔を見ていないようだと思ってね」
「そうですね……ここ五十年ほど会っていませんかしら」
「……まだ数年くらいでしょう」
微妙にぼけたことを口にする侍従に、半眼になりつつ、輝夜は言った。手にした扇子が、やわらかい調子を持って、はたはたと揺れ動いている。軒先を飾る風鈴がりりん、と鳴る音がして、輝夜はちらりとだけ、そちらを見た。
「あれもそろそろ一人前なのかしらね。どうなの? 師匠としての意見は」
「さあね」
永琳は曖昧に答えた。重要な、と思われることを話すときには、くだけた口調になるのが、癖ではある。
薬の在庫の数など、永琳の規格外の脳を持ってすれば、わざわざ記しておくまでもないことだったが、弟子がいたときの習慣だった。 最後から二番目辺りの確認を終えて、棚を閉めていると、どかだかと遠慮のない足どりで、知己のワンピース姿の兎が上がりこんできた。
「とあーす。永ちゃん、ぐーやちゃん。お邪魔ーっす」
「挨拶はきちんとしなさい、大馬鹿者」
「間違えました。ご機嫌よろしゅう御座います、お師匠様。姫様。お二方とも、あいかわらずお暇そうなことで、なによりでございます」
しれっと言ってのけつつ、てゐはわざとらしいお辞儀を垂れた。
それから、わざと自分を無視している永琳のほうへ、すすす、と歩み寄ってくる。
「今日の晩飯なんっすか、オシショウサマ」
「兎鍋」
「うーわ、こわ。肉食べるなら鳥にしなさいよ、せめて」
「それもいいわね」
「だめよー。だいたいね。おたくたちは、死なないからって、ちょっとばかし食べ物とかそういうものにたいしてずぼらになりすぎだと思いますわ。肉なんか控えてもっと草喰えって、草」
「あなたたちと違って、雑草だけで生きられるほど消化が良くないのよ」
「雑食を嘗めた発言ですわね。何でも喰って年中発情してるのは、兎と人間だけなのよ」
無意味ににやにやしつつ、てゐは続けて言った。
「まあそんなことはどうでもいいんですけどね。
実は、また鈴仙から薬の補充頼まれているのですよ。まったく、人がせっかくたまに遊びに来ましたよって言うのに、無碍にしたあげくにヒマならお遣い行ってきてよだとかね。人のことをなんだと思ってんのかしら?
久々にいっちょう悪戯でもしてやろうかしらね。というかお師匠様からも、なんか言ってやってくださいよ」
「立っている者は親でも使えというのは、私が教えたのよ」
「あんら?」
「それに、今あんたがやったら、どうせしっぺ返しを喰らうだけでしょう」
そっけない永琳の返事に、わざとくさく口をとがらせ、てゐは頭の後ろに手を組んだ。
「つまらんねえ。寂しすぎてころっと死んじゃいそうだわ」
「帳面は預かってきてるでしょ? 必要な分の薬は、もうそっちに取り分けてあるから、持っていきなさい」
「はいはい」
「個数は控えてあるから、あとで調べるわよ。無駄にくすねるんじゃないわよ」
「はーい」
てゐは存外素直に従って、おっくうそうに予備の薬棚からひょいひょいと、慣れた手つきで取り寄せ始めた。手元の帳簿と在庫を見比べながら、個数を確認している。とにかく人のことには、つねにいい加減にやりがちなのがこの兎だが、さすがにそろそろ手際はよくなっているようだ。
「えーと。これにこれにこれと…」
ひいふうみいよう、と数える兎耳を見るともなく見つつ、輝夜は暇そうに欠伸をした。
「ん? 永ちゃんよ。この、超銀河爆裂☆猛烈下剤βXってどれ?」
「その青いラインが入っている箱よ。左から二列目の三番目にあるでしょう」
「ああ、これね」
そのやり取りを聞いた際、輝夜の扇子がぴた、と一瞬だけ動きを止めたが、その場の誰も気がつかなかった。気がついていても、気には留めなかったかもしれないが。
「ん? 永ちゃんや。この、待宵反射高軌道精神安定剤『ぐるぐるジェット・ストリーム!』って言うのは?」
「その、黒い三本線が引かれてある小箱に入っているやつよ。この前教えたでしょう」
「あら、そうだったっけ?」
「……」
輝夜がそよそよとそよぐ扇子の影で黙りこんでいるあいだに、てゐは薬のより分けを終えたらしい。手にした帳簿と照らしあわせて、ふんふん、と無言で確認を行っている。
以前は鈴仙ていどの言うことなら、いくら口をすっぱくしても、反省のかけらも見せなかったものだが、今では小言を言われると従うことにしてるものらしい。
本人いわく、何度か適当にやって数を間違えて持っていくたびに、鈴仙に鬼のような形相で威嚇されたのだそうだ。
とはいえ、この妖怪兎に、威厳だけでこのような対応を取らせるようになれば、それは一人前の証しとも呼べるかも知れなかったが。
それはそれとして、輝夜はなるだけ素知らぬ顔に戻って、揺れる兎の白い耳などを見ていた。その下にある小柄な頭の持ち主は、取り分けた薬を適当な手つきで自前の薬箱に詰め終えて、ご、ご、とどこかいい加減な手つきで、予備棚の引き出しを閉め終えている。
「ううし。それじゃあひとつ、飯でもごちそうになってから行くかね。あ、ちょいと邪魔するよ」
「用意ならしておくから、先に届けてきてからにしなさい。冷めた飯を食べたくなければ、あなたが急げばいいだけのことよ」
「おやまあ、とことん冷たいお返事ですね。まあいいや。しかたない」
よいしょ、と背のひくい身体には、大きく見える薬箱を背負い、とっとっと、と身軽な足どりで、てゐは暮れどき間近の外へと出ていった。基本夜行性の生き物であるうえに、竹林を己の庭とする妖怪兎である。思えば、あれほどに、こういう役割に適している者もいないのだろう。
薬棚の点検を終えて、永琳は手早く帳簿をしまい、いつもの帽子を脱いで近くの机に置いた。
これから、夕飯の支度に入るようだ。もともと急ぎや相当訳ありの患者でもない限り、今の永遠亭を訪れる者というのは、滅多にいない。
しわ一つない白衣を脱いで、前掛けを取り上げる侍従の姿を見つつ、輝夜はしばしのあいだ外の風が、風鈴を通って過ぎていく音に耳を向け、晩夏の遅い夕暮れどきの、ツクツクボウシの遠く響く声を聞いた。
髪をなでる涼しい風が、夏季の終わりを告げていた。そろそろ日中を過ぎれば、もう秋風も間近い季節のようだ。
「さっきの話だけれど」
「ええ?」
肩の辺りを整えていた手を止め、永琳が答えた。
「鈴仙のことなんだけどね」
「ええ」
「あれもまあ、少なくとも、どうやらなんとか、一人でやっていけそうな具合だとは言えるようになってきたくらいでしょう」
「……まあ、それはそうね」
「それでね。まあね。あの、なんと言ったかしら? あなたがあれに付けていた名前」
「……優曇華院?」
「そう。それよ」
「……」
いきなり何を言い出すのか、と怪訝そうな顔をして、永琳が見やっていると、何を思ったか、輝夜はそそ、と歩んでいって、さっきてゐが手をつけていた予備棚に手をやった。
引き出しを引くと、いくらか余った薬がそこに残っているのが見える。その一つを取り上げて、輝夜は聞いた。
「これは?」
「これって?」
「この薬は、なんという薬?」
「……超究明快視界爽快目薬αXだけど?」
「……これは?」
「胃腸快調糖衣丸Aのこと?」
「これは」
「風邪用内服液激効結構副包薬ββ」
「……」
「……それは痛み止め用塗り薬『透透』(すうすう)Xよ」
「……今のを聞いて、なにか感じるところはない?」
「いいえ? ……特には」
「そう」
従者の答えを聞き、輝夜はゆっくりと扇子を扇がせた。前掛け姿の従者は、髪を後ろに流して整えながら、かわらずいぶかしむ目をむけてきている。輝夜はやれやれ、と言った具合に眉尻を下げて述べた。
「……なんだかどうもいまいちわからないようだから、はっきりと言っておくけれどね」
ふう、と花を揺らすようなため息をついて、輝夜は目蓋を閉じた。
「永琳。まえまえから思っていたのだけどね」
「ええ」
「あなたの感性というのは、どこかしらが激しく決定的にずれているのよね。おもに、こういう、『ものの名前』というものに関してね」
言われた永琳は、眉をひそめ、いくばくかのあいだ沈黙した。目をまたたかせて、聞き直す。
「……。え?」
「ええ。断言しますわ」
「……」
「だって変でしょう。今のなんとも言い難い類の名前を聞いて、まるで当たり前のように聞き流して、何もないなんて」
「……」
ええと、と言う顔をして、永琳は若干考えこむような顔になった。
「……変かしら?」
「変よ」
「……。いえ、そうでもないでしょう」
「そうでもなくないわよ。なんなら試しに貴女が今までに付けた薬の名前で、一番自身のあるものを上げてみなさい」
「……一発快晴頭痛薬『気分晴れ晴れ小春日和ミックススペシャルエディション』」
「眩暈がしてきたわ」
「いえ。姫。この名前のどこが素晴らしいかというとですね」
「残念ながら私にはどう捻ってもそれが思いつかないし、むしろ素晴らしいのはそれを思いつく貴女の感覚だと思うわ。どっちかというと」
「……」
永琳はどことなく納得のいかない様子で黙りこんだ。
「……勘違いして欲しくはないのだけど、これはべつに貴女を貶す意味で言っているのではないのよ。ただね、前々から思っていたものでね。
優曇華、うどんげ、と言うのは、意味はともかく、響きとしてはちょっとどうなのかとね。そう。あまり美しくないと思うの。一言でいって。貴女はそう思わないのかも知れないけどね……私もちょっと、自分で呼ぶのは、どうかとね……まあ」
「……」
「とにかくね。あれもいつまでもあの名前のままでは、少々気の毒よ。あなた、良い機会だから、なにかすこしばかり考えておあげなさいな」
輝夜はきっぱりと言った。
それから程なくしたある日のこと、永琳は弟子を呼んだ。
「お久しぶりでございます、師匠」
一昔前よりも成長した弟子は、少し堅苦しい口調で微笑み、挨拶をした。永琳はいつもの親しすぎではなく、かといって冷たすぎもしない微笑を向けた。
「元気そうね。向こうは忙しいの?」
「はい。なんだか、以前よりも、少し評判が広がったみたいで。里の人たちにも良くしていただいていますし…」
「そう」と若干そっけなく答えて、永琳は笑ったが、実を言うと、てゐからさりげなく聞き出していることは多いので、知ってはいた。
今も以前も、永琳はあまり人里には降りないままの身ではある。本心から気になるようなことも少ない身だが、手元に置いた弟子の近況は、なんのかのと言いながら、自然と気にかけてはいた。おそらく愛弟子のほうとしては、この存在の大すぎる師に対しては少々親しく付き合いづらいところがある、とは思われるところがあるから、今ではあまりおおっぴらには会うことがなかったのだが。
所作にあわせて程良く揺れる髪は、肩口あたりよりもさらに短く整えられ、自然とまとまっている。そのため、昔とは別人のようにも見える。
この弟子が永遠亭を離れてほどなく髪を切ったのは、永琳も知っていたが、あまり似合わない、とはっきり言うと、やや気にしたような顔をしていたのは、覚えている。永琳は思いだして、すこしばかり妙な心地を覚えた。今になって、あらためてそれを言うべきかもしれない、と、思うと、おかしさがこみ上げてくるようだとは感じられる。
八意永琳という、この世に二人とない人物を師に持ってしまったことは、この弟子にとって幸運だが、逆に酷なことでもあったかも知れない。
なにせ、一生をかけても絶対にかなわない領域の体現者が、現実に目の前にいるのだ。弟子はその業を盗み学んで、自分の力を高めるとする。そうして成長すればするほどに、この弟子は、自分の拭いがたい劣等感と向き合い続けないとならなくなるだろう。
下手に自分の限界に諦めをつけ、卑下して過ごしていくようでは、望む自分にはいつまでもたどり着けない。また、自立することもかなうはずがないだろう、としだいに分かってくるからだ。弟子が望んだのは、そういうことなのだし、ここにいたままではそのために必要な自分の立ち位置もおそらく確立できないだろう、とは本人も思ったのだろう。弟子がそう思ったのも、無理からぬこととはいえる。この師のそばに、同等の存在として立つのなら、弟子としては、せめて、より確固たる自分というものを築かなければ立ちいかない、とそうも思ったのだろう。
(一途だからね、これも)
髪を切ったのは、もしかするとその現れの一つであったのかも知れないが、まあ、永琳がそれを口に出して聞くわけにもいくまい。まあ昔よりも似合っているようではないか。今はそうも思う。永琳はまだ口に出しては言ってなかったが、それを言い出すのは、もっと先のことになるようには思われた。
「ところで、今日は、なにかお話があるとか……」
「ええ」
弟子の言葉に頷いて、永琳は言った。
急にそう言って呼び出されたことを、やはり少しは妙に思っていたらしい。大事なことは、わざと言葉の中にぼかして伝える。そうして弟子に自分で考えさせるよう、癖をつけさせるのはこの師がいつもやることだった。
「久しぶりに顔が見たい」と、本題のように言ったのが、建前であるとちゃんと気づいていたようだ。大げさに言うほどのことでもないが、こういう細かなところであっても、容易に相手を信用するようではいけない、とは教えたことがある。冗談じみて言ったことだが、弟子はどれだけ、その意味をまともに受け取っただろうか。
「ねえ、優曇華」
永琳はすらりとした口調で切り出した。
「実を言うと、あなたの向こうでの話は、前前から色々と聞いているのよ。いえ。私も、なかなか様子を見に行くと言うことができない身だからね。なんだかこそこそするようで済まないけれど、慧音やてゐからね。すでにいくらか評判や近況なんかは聞いているわ」
「……はい」
やや自信なげに萎縮したような弟子に、内心で微笑み返したまま、永琳は顔には出さず、穏やかな口調で続けた。
「よくやっていると思うわ。いま、あなたが様々の周囲から得ているものは、それはあなたが独力でつかんできたものだと思う。こういう言い方はどうかと思うけれど、あなたの師事を執る立場の者として、鼻が高い、と言わせてちょうだい」
「……」
「あ、え……」と、一瞬、びっくりしたように目を彷徨わせ、弟子は驚いた顔で自分の師を見た。
まさか、それを聞くことになるとは、思っていなかったような言葉だったのだろう。この弟子の師は、ほかの誰よりも真摯なようでいて、実はだいぶ厳しいところのある、言うなれば、ちょっとしたひねくれ者でもある。
素直な賞賛の言葉を他人に浴びせるのは、その者にとって重大な害にすらなる、とも考えているところがあるのだ。だから、聞けるようでいて、このような言葉が出るのは、非常に希だった。鈴仙は完全に不意を突かれて、目を彷徨わせてから、それに気づいて、頬をわずかに紅潮させた。
「……ありがとう、ございます。これ以上ないお言葉です、けど。ええと……」
鈴仙はとまどいがちに言って、照れたような、困ったような眉尻の下がった微笑を浮かべた。照れ隠しに耳に掛かった髪をかるくかき、しかし、内心の怪訝さを隠さずに、言ってくる。
「師匠? ……あの、けど、どうしたんです、急に?」
「いえ。私も近頃、姫に言われて、少々思うところがあってね」
永琳は、静かな笑みを崩さずに言い添えた。
「私もね。いままでこういったことを、すこし蔑ろにしてきたか、とは思うのよ。あなたは私が口に出さずとも、私があなたを認めていることを、十分にくみとっているし、それで十分やっていけているものだと思っていたのよ。だからあえて何も言わなかったわ。
昔のように、ただ師匠として言うのなら何でもないことでしょう。でも今のあなたには立場が出来たのだし、ただ単純に私からの言葉を師事として伝えても、そのままに受け取ることはできないでしょう? 対等な「薬師」同士としてなら、迂闊な教えや褒め言葉なんて、邪魔になるだけだもの。だから私は、あえてあなたに何も言わなかったわ」
じっと黙って聞く弟子に、ひとつひとつ語りかけるような口調で言う。いまの言葉こそが、師が弟子に送る、てらいのない言葉であり、それが数少ない、永琳という個人の「本音」であることをわきまえているのかどうか。
なんにせよ、そのつもりで永琳は続けた。
「……けど、言われてみれば、こういうことも大事なのよね。区切り、というのだか、けじめというのだかね。こうして、言葉に表して伝えると言うことも重要なことなんだってね。今さら気づいたのよ。そうしたら、いままで、ほとんどあなたに何も言って来なかったのだと思ってね。
だから、遅れて済まないけれどね。言わせてちょうだい。おめでとう。そして、胸を張りなさい。
あなたは私の自慢の弟子よ。これからも、研鑽を怠ることなく、よりいっそうの精進をなさい」
「はい……」
鈴仙は、師の言葉を受けて頷いた。答える声が、喜びにか、こらえきれないように少し震えており、赤い瞳が少しだけ潤んでいた。これが師の前でなかったら、みっともなく鼻をすすって泣きだしていたかもしれない。いっぱしの女性らしくなった顔が、ほんのわずかに下を向き、それからすん、と微笑んで、あらためて師を見返した。
それを見て、よくできました、と永琳が言ったかどうかは、定かでないが。
「それでね。あなたの名前のことなんだけど」
「? ええ?」
「ひとつのけじめとしてね。そろそろ新しいものに変えようと思うのよ。私から送る、という形でね。ほら、あれは私があなたにつけた、渾名のようなものだったでしょう。だものだから、この際、もっとちゃんとしたものにね」
「はあ、……あ、いえ。まあ、師匠がそう仰るのでしたら、私としては……」
構いませんけど、というのを言外に聞いて、永琳は笑って頷いた。
「真・優曇華院『甲型』改エクステンドモデル、でいこうと思うのよ」
「…………」
鈴仙は、黙りこんでのち、聞きかえした。
「はい?」
「いえ。私もね。だいぶ悩んだのよ。上にするべきか、下にするべきか……」
額に手を当てて、永琳は綺麗な愁眉をひそめた。なにか、信じがたい事を聞いたように固まってしまった弟子の顔は、とりあえず見えていないらしい様子で言う。
「ええ。本当にここ三月ばかりは、考え通しだったわ。けっこうあらためて考えてみると、悩むものよね……。ああ、けれど、そのおかげで善い名前が思いつけたと思うわ。散散吟味した甲斐があったというものね。なんといおうか、我ながら、区切りにはふさわしいものができて、とても晴れ晴れとしているのよ」
「……」
彼女の愛弟子は、瞠目したまま、いつのまにかだらだらと冷や汗を掻きつつ、敬愛する師の千年変わらぬ美しい微笑を眺めた。
「……え、ええと。し、しし師匠……?」
ぎぎぎ、と音を立てそうな様子で、鈴仙は口を開いた。なにかしらの凄まじい動揺等の精神的圧迫により、顔の筋肉が強ばっているかのような面持ちで、尋ね返す。
「ん? ……何?」
永琳は実に自然な面持ちで、問い返した。
「い、いえ。その。まさかひょっとするともしかしてですけど、その、大事な、お話、というのは、それ……の、ことっで……?」
「ええ?」
あっさりと首肯して返され、鈴仙はじっとりと固まった。
「ほら。いい区切りだから」
「……」
まじまじと偉大なる己の師を見つめつつ―なにか、なにかはわからないが、なにか具体的にけして認めたくはないものをそこに見いだして、激しく葛藤しているかのようである。
彼女は脂汗のような冷や汗を滂沱と流したまま、やがて、「あ、え、ええっと……」と、取り繕うように述べて、視線をせわしなく動かした。
そして、しどろもどろに言った。
「そ、そうですね……え、あ。ええと。そ、そうですねえ! ええ。そ、その辺りは師匠のお好きなようにしていただければ、わ、私はまったくその、不本意なこととかはございませんので……あ。な、なるべくなら、私は今までの通り、師匠のお口から呼ばれます通り、優曇華、とそう呼んでいただけるほうが、いいかなあ、とおもわなかったり、なかったり……ええ、その、いえ! けして師匠にお考えいただいたもののほうが不満、というわけではないんですけど……あ、ええと! そ、そそそれじゃあ、まあ、そういうことなので、今日のところはこれで! 失礼を致しますね! また機会がありましたら、ぜひお会いしましょうね、師匠! 今日はあ、有り難うございました!」
思いきり快活な愛想笑いに顔を張りつかせ、そそくさと、成長したすらりと伸びる手足を折り曲げるようにして、弟子は立ち上がって、がたん、とそこらにつまづいた。いたた、と声には出さずに言いながら、転げるように部屋を出ていく。
「……」
永琳はひとり残されて、弟子の出ていった出口の方を見て、目をぱちくりとさせた。
「……。あれ?」
呟いて首を捻る。顎に指先を寄せ、眉根を寄せて、んん? と考えこんだが、弟子の逃げ去るような不自然な態度については、とくに思い当たるところはなかった。
「……気にいらなかったのかしらね……?」
さてと。
永琳はうまくやっただろうか、と後日、輝夜は考えていた。
まったくあれでいて、結構、不器用なところがあるからいけない。あれもたいそうな天才であるからか、彼女の従者と来たら、人と人の関係というものを自覚せずにおろそかにしがちだと思う。
天才には誰も追いつけない。その考えを理解することは難しい。
そのことはあれもわきまえているのだろうが、いかんせん鈍い。彼女の弟子に対する今までの対応というのは、なにより如実にそれを物語っていたと思う。
(先生にほめられて嬉しくない生徒がいるものですか。心から尊敬しているのなら、なおさらよ)
それをあらためて考えさせ、言わせるきっかけにするために、輝夜はわざわざあのようなことを言ったのだ。まあ、感性うんぬんについては、彼女のいかんともしがたい本音を伝えてやったつもりだが。
「ご機嫌麗しゅうございますわ、姫様」
「あら。お早う、てゐ。今日は早いのね?」
「ええ。あ。そうそう。姫様。そういえば、もうお聞きになりました? 私も昨日聞いたんですけども、鈴仙が今度改名するんだとか。なんでもお師匠さまに新しい名前をいただいたんだそうですよ。こないだ」
「へえ。初耳ね」
「ええ。鈴仙・真☆うどんげ院『甲型』改エクステンドモデルハイスペックエクストリームエディション改・イナバと言うんだそうですけど」
輝夜は手にしていた扇子を、ぼろり、と取り落とした。
これで不覚にもww
確かに永琳のネーミングセンスはちょっと妖しい。
ホントに鈴仙さんの名前があれになってたりは…しないよ…ね?
なんという厨二病ネーム
独立してからも相変わらず師匠に振り回されるうどんげに涙を禁じえない・・・
それは想像を絶する名前……
でもないかw
これは意外とネーミングセンス良いんじゃないかと思ってしまったのは
私はエーリングセンスだからでしょうか・・・