幸せねそうだな幸せだな幸せねそうだな幸せだな
朝六時に私は起きる。
これは毎日変わらないことだ。昨日も、一昨日も、そのまた前もずっと私は同じ時間に起きる。
目を開けて時計を確認すると、うん、六時きっかり。私の体内時計に狂いはないようだ。
隣で眠る魔理沙を起こさないようにそっと立ち上がり、パジャマを一枚一枚脱ぐと、人形が着る物をそのまま大きくしたようないつもの服をクローゼットから取り出して着替える。
衣擦れの音が微かに響く。なるべく音を立てないようにするのはいつものことで、今日も魔理沙が起きることはなかった。眠りが深い彼女は滅多なことでは目を覚まさない。
とはいえ別に彼女は普段から寝坊しているわけではない。彼女は彼女なりの体内時計を持っていて、その中に定められた起床の時間が私より少し遅れているというだけのことだ。
静かにドアを閉めて洗面所へ向かう。
鏡に映った私の顔は昨日と変わりなかった。肌がくすんでもいないし瞳の輝きも何も同じ。今日も異常なし。
短い金髪を櫛でとかすと、大した抵抗もなくすっすと櫛は流れていった。髪がほつれたり痛んでいることもないようだ。毎日丁寧にケアしているおかげだろう。
後で魔理沙の髪も梳いてやろう。彼女のくせっ毛はいつまで経っても直らないのだ。そのくせ本人はあまり髪の毛に頓着していない。人形みたいな姿をしているのになんとももったいないことだ。
顔を洗い、私はリビングへ向かった。
リビングの壁には天井まで届く棚がいくつも備え付けられ、所狭しと人形達が並んで座っていた。
手の平サイズにデフォルメされた可愛らしい人形達。戦闘用のものもいくつかある。
「おはよう、上海」
朝の挨拶をしてやるのも毎日のこと。
人形に話しかけるなんて、と思われるかもしれないが、この子達は私にとって家族であり、一種の同族と言っても良い。だから挨拶をするのは当然のことだと思っている。
そして返事が返ってこないのも毎日のことだ。
棚に収まった彼女達はもうどれだけ動いていないだろう。
毎日決まった時間に掃除をしているので埃が溜まることはないが、今度一つ一つ点検して破れた箇所がないか調べないといけない。まあそんなヤワに作られてはいないが。
結局挨拶は一つとして返ってこなかったが、構わず私は朝食を作り始めた。
コンロに火を灯し、フライパンに油をしき、その上にベーコンを二枚ずつ、合計四枚を分けて置いて焼いていく。
じゅわ、と肉汁が弾け、薄い肉はあっという間に温度を吸収していく。
ひっくり返し、すぐに上から卵を二つ落とした。
じゅう、と双方から白身が広がり、お互い手を取るようにして繋がっていく。
私の分と魔理沙の分。手を取り合って焼かれていく。
なんだか可笑しくて微笑ましくて愛しくて、私は人には滅多に見せない笑顔を自然と浮かべていた。
後は蓋を閉め、少し待ってから火を消し、いくらか蒸したら出来上がり。
毎日やっていることなので少しの狂いもなく出来る自信がある。蒸す時間は三分十七秒。それが何度も目玉焼きを作って来た私が見つけた最高の焼き時間だ。
私がそうして朝食を作っている間、人形達は私を手伝うこともせず、棚に収まったまま微動だにしない。
それはそうだ、魔力が供給されていないのだから動けるはずがない。あの子達が動きを停止してからどのくらい経っただろう。この家にはもう私と魔理沙しか動く者はいない。
人形達の感情の灯っていない無数の瞳がリビングを交差し、死角になる場所など一つとしてありはしない。それはまるで屍が見つめているようで、死体に囲まれて私は食事を作っていた。
私は次に食パンを二つ切り分け、オーブンにセットして火種を入れた。
これもいつものように五分もすれば焼きあがるだろう。
後はコーヒーを淹れにかかる。
とその頃、ようやく魔理沙が起きてきた。とはいえこれも時間きっかりなんだけど。
私と同じクローゼットに入っていた黒白の魔法使いの衣装に身を包み、寝ぼけているのか気だるい顔つきで歩いてくると、テーブルの側に置いてある椅子に座り込む。
これも毎日のことだ。
私が朝食を作って魔理沙がテーブルで待っている。
彼女は物ぐさなので食事の準備を手伝ってはくれない。
別にそれを不満に思ったことはない。役割分担というものだ。まあ魔理沙が何を分担しているのかと聞かれたらうまいこと答えられないけど。共同生活に支障は無いから大丈夫。
そういえば、私と魔理沙が同棲を始めていったいどれだけの時間が経っただろう。常識的には女同士なんておかしいけど、誰かに反対されたことはない。
「おはよう、魔理沙」
呼びかける。
しかし魔理沙は答えてくれなかった。
椅子に座ったままじっとうな垂れているだけだ。
どうしたのだろうか。魔理沙は私に挨拶をしてくれない。不機嫌にむすっと口を結んでいるだけだ。
今日は虫の居所が悪いのかもしれない。
私は構わずコーヒーを淹れる。
魔理沙は砂糖を三杯――彼女は苦いのが苦手だ。私は二杯。
うん、料理はどれも焦げ目は見当たらない。いつも同じ物を作っているので当たり前か。
出来栄えは上々。すなわち昨日と一緒。
夕食はともかく、朝食にバリエーションなどいらないと思っているけど、魔理沙はどう思っているだろうか。
不満を漏らしたことなんて無かったけど、案外和食派だったりするだろうか。まるきり西洋の外見だけど、魔理沙は純粋な日本人だ。家を飛び出すまではずっと日本食に慣れ親しんでいたに違いない。とはいえまあ何も言われない内はこのままでいいだろう。
私は出来上がった目玉焼きとパンを皿に乗せ、テーブルの上に置いていく。
魔理沙の前に一つ、向かいの席に一つ。
目の前に朝食を出されたというのに魔理沙はじっと押し黙ったままだ。顔も上げない。
そんな態度に私は腹を立てるでもなく、ミルクとバターを並べ、朝食は完成した。
魔理沙の向かいの椅子に座る。
湯気が立ち昇り、美味しそうな香りが魔理沙の鼻孔を刺激しているのだと思う。相変わらず反応は無いけど。
「さ、魔理沙、いただきましょう」
「…………」
私が呼びかけても、魔理沙はうな垂れたまま答えなかった。ナイフとフォークに手を伸ばそうともしない。
構わず私は話しかけた。
「ちゃんと食べないと体に悪いわよ」
「…………」
「今日は家の掃除をしようと思うの。人形達も一体一体手入れをしたいし」
「…………」
「魔理沙も少しくらい手伝って頂戴ね」
「…………」
そうして話しかけて場を和ませようとしていると、やがて魔理沙が歯をぎゅっと噛み締めるのが分かった。
震えている。
泣いているのか怒っているのか悲しんでいるのか、いずれにせよ負の感情であることは間違いないだろう。
それを感じ取り、私は緊張で戦慄した。私は何か落ち度のあることをした覚えは無い。ということは魔理沙は何か別の事柄について怒っているということになる。
一体なんだろうか?
やがて魔理沙は下を向いたままぽつりと呟いた。
「うるさい」
彼女の今日一番最初の言葉だった。
あまりに短く、あまりに心を鋭く切りつける言葉。
しん、と部屋全体が静まり返った気がする。
人形達は一体も動かないので、すなわち私一人が押し黙ったということになる。
場にぴりぴりとした緊張感が漂い、空気が乾いてぱきんと音を立てて割れた気がする。
私の体が自然と強張る。
私の内に湧いてきたこの感情は悲しみか、絶望か、胸を抉られるというのはこのことか。悲哀が沈痛を伴って私の足元を通り過ぎていく。
「魔理沙……」
たまらず呼びかけると、それが合図となったのか、魔理沙は苛立ったように声を荒げた。
「うるさいうるさい! 私の名前を呼ぶな! 私の食事を作るな! 私の向かいに座るな!」
「あ……」
あまりに感情的で、直接的で、遠慮と配慮の欠片も無い、ただ自分の感情だけを吐き出して相手を傷つける過酷な言葉。物言い。
顔を上げた魔理沙は泣きそうに顔を歪めていた。そこからは怒りと悲しみ以外の感情を私は読み取ることが出来ない。
バンとテーブルを力いっぱい叩き、衝撃で食器がガチャンと音を立てる。
コーヒーが大きな波を立て、カップの端から零れてテーブルクロスに染みを作る。
私は困ったように眉を寄せ、魔理沙のことを見つめるだけだ。下手に何かを言ったら逆効果なのは目に見えていた。
私に構わず魔理沙の叫びは、叫びなどという生易しいものではない、わめき、怒鳴り、慟哭を、断末魔のようにがなり立てる。
「なんてお前なんかがいるんだよ! お前なんかいらないんだよ! どうしてだよ! どうして……」
皿を乱暴に押しのけ、魔理沙はテーブルに腕を組んで頭を埋めた。
余りに非常で無情な物言い。
しかし私にはどうすることもできない。
彼女が嗚咽を漏らすのをただじっと聞いていることしかできない。
文句など言えない。
彼女が泣いている理由が私には分かるから。
当の昔から分かっていることだから。
「アリス……どうしてだよ……」
魔理沙は震える声で呟いた。
「どうして………………死んだんだよ…………」
そうしてむせび泣くのを、私は暗い面持ちでじっと見つめていた。
それきり魔理沙は泣き声以外を出さなくなり、居間にはどよんとした陰気が垂れ込めてくる。それがあまりに重たかったので、私は押し黙り、魔理沙に聞こえないように深く小さく息を吐いた。
アリス・マーガトロイドは死んだ。
避けられない病だった。
あの日、悲劇は突然やって来た。
普段から怪しげな瘴気漂う魔法の森で、突然変異によって突如として発生した強烈な病原菌。
妖怪の賢者達のいち早い対応で魔法の森は隔離され、他の場所に広がることはなかった。
そう、見捨てられたのだ、魔法の森に住まう者は皆。感染が広がるからという理由で強力な結界が張られ、必死に助けを求める者を見殺しにした。
そしてアリスは晩年に、私というアリスそっくりの完全自立人形を作り上げて息を引き取った。
アリスが長年取り組んでいた完全自立人形も、ついに完成の憂き目を見たというわけだ。
やがて感染症を撲滅する方策が開発され、今は完全に浄化されているが、森に住まう者はその多くが死に絶えた。もう手遅れであった。元に戻る事などできない。
運が良かったのか耐性があったのか、僅かな生き残りは今も森の中で住んでいる。恐ろしい病原菌に耐えられたのは極僅かであった。
主であるアリスほど強い魔力を持っているわけでもない私には人形を操ることなどできない。主が死んで以来、他の人形達はずっと棚の中で眠っている。死んでいると言ったほうが正しいかもしれない。主からの魔力供給無しに動けるのは完全自立人形だけだ。
私に下された命令は一つ。
本物のアリスのように生活すること。
この家で主と同じように振る舞い、主と共に暮らしていた魔理沙とも、そのまま主と同じように接する。
主の愛した魔理沙が少しでも寂しい思いをしないようにという主の配慮だろうか。それともアリスという痕跡を刻み付けたかったのか。
それは魔理沙を傷つけることになるかもしれないけれど、今更命令は取り消せない。
私の名前もアリスだけど、魔理沙が私のことをそう呼んだことは一度も無い。
私は偽物だから。
ただの人形。
魔理沙にとって、私は一緒にいるのが辛い存在なのかもしれない。
アリスと似た姿、似た声、似た仕草、似た思考。
似ているだけで決して同じではない。私はアリス・マーガトロイドになれない。空洞の空いたがらんどう。一度命令を受けたらそれを繰り返す事しかできない人間のできそこないとしての人形。それが私だ。
それでも私は命令を遂行しなければならない。
私はアリス。完全自立人形。
この家を守り、魔理沙と共に暮らす存在。
だから精一杯アリス・マーガトロイドを演じましょう。
私は立ち上がり、魔理沙の側に寄ると膝をつき、アリスがそうするように震える彼女をそっと抱きしめた。安心させるように、安心してほしいように、優しく強く抱きとめる。
「私はアリス」
赤子に言い聞かせるように私は語りかけた。
「う……う……?」
魔理沙が体を震わせ僅かに反応を返す。
「私はアリスよ、魔理沙。だから大丈夫、どこへも行かないから」
ワタシハアリス。
本物のアリスとして行動する完全自立の自動人形。私はアリスになる。
「な……あ……」
「これからずっと、私は絶対に死んだりしないから。だから安心して」
主のように終わったりしない存在。
「あ…………」
魔理沙は涙で汚れた顔を上げ、微笑む私の顔をじっと見つめた。
ポケットからハンカチを出して涙を拭ってやると、魔理沙は掠れる声を絞り出した。
「あり、す……」
魔理沙は初めて私の名を呼んだ。
その瞬間、私の中に歓喜が、満足が、至福が、愉悦が、感動と感激と高揚と狂喜が乱舞して家の中を駆け巡る。
私は初めて魔理沙に認められたのだ。
私は実に満ち足りた笑顔で頷いた。
「ええ、私はアリスよ」
私はアリスになる。それが主も望んだことでしょう?
「アリ、ス…………アリス……アリス!」
私は力強く魔理沙に抱きしめられた。
しゃくり上げた声が耳元で空気を震わせる。
ああ、私が作りだされて以来、ここまで感動を覚えたことがあっただろうか。感激が音を立てて割れ、虹色の正の感情がまろび出てくる。
「アリス……お前、お前はアリスなんだな? アリス……でいいんだな?」
「ええ」
「アリス……アリス……良かった……」
魔理沙の嬉しそうな笑い声が聞こえる。
これでいい。
私は本物のアリスではないけれど。
これがいい。
私という存在が彼女の支えになるのならこれで。
それでいいのよ、魔理沙。疲れたでしょう? あなたはもう悲しまなくていい。空虚な狂喜で乱舞すればいい。私も一緒に踊りましょう。この家の中で精一杯気のふれたダンスを続けましょう。あなたが死ぬまで踊りましょう。
これは主も望んだことだから。いや、主以上に私は魔理沙に愛されればいい。愛されよう。
私はアリス。
完全自立の自動人形。今はもう、この家の主。魔理沙と愛し合う存在。
「アリス……アリス……!」
「もう泣かないで、魔理沙。これからはずっと一緒よ」
「ああ……ああ、そうだな……」
私と魔理沙以外に動くもののいない家の中、私達はいつまでも抱き合い、お互いを確かめ合っていた。
◇◇◇
その様子を窓の外から見つめている存在がいた。
パチュリー・ノーレッジ。
紅魔館に住まう魔法使い。
抱き合う二人を見て暗い表情を落とす。
その瞳には、僅かな悲しみと幾ばくかの苛立ちが揺れ動いていた。
パチュリーは機嫌が悪かった。今あんなものを見たからだ。その表情には侮蔑すら浮かんでいる。
死んだ後に本人そっくりの人形を残すなど、人形が本人に成り代わるなど、悪趣味にも程がある。
「くだらない……」
そう吐き捨て、パチュリーは中に入ることなく飛び立っていった。
やがて辿り着いたのは魔法の森にある小高い丘の上。
そこにはアリスの墓が建っていた。
今日はアリスの命日である。
そのついでにアリスの家に寄ったのだが、行かなければよかったとパチュリーは今更になって後悔していた。
死んだ者の代わりに人形を住まわせる。なんと馬鹿げたことだろう。一体誰が癒されるというのか。誰が救われるというのか。アリスと魔理沙、二人が共に生きた痕跡を残したかったのか。
かつては幾度となく図書館に黒白の泥棒が入ったものだが、それももうなくなった。
アリスと、魔理沙と、パチュリーでテーブルを囲んで魔法の研究をした日々も、深い記憶の湖に沈んでしまっては時折思い出したように浮き上がってくる。決して戻ってはこないあの時。
今から思えば、あの日々はとても短かったけれど眩しいくらい輝いていた。図書館の中で一人本を読んでいるよりもずっと楽しかった。アリスと魔理沙が一緒に暮らし始めてもそれは変わらなかった。
しかし死という悲劇が全てを掻っ攫っていった。
全てを破壊した。蹂躙した。
「はあ……」
もう行こう、とパチュリーは嘆息する。
病原菌が撲滅されて以降、何度も訪れたあのアリスの家を思い浮かべ、パチュリーは言葉を吐き捨て去っていく。
「……いつ来ても、あの家の中では同じ事しか起きないのね」
小高い丘の上にはアリスの墓と、隣に魔理沙の墓が建っていた。
了
まさに「人形劇」。
同じ事しか起きないエンドレスな人形劇も悲劇だけど、それが判っていて何度も訪れてしまうパチュリーの気持ちも切ないなあ
救いのない悲劇ゆえ素晴らしい。
これから先もずっと同じ事が続くのかと思うと、パチュリーも含め切ない
とするならこれほど悲しいことはない。
先に死んだのは…おそらく魔理沙なんでしょうね。永遠の人形劇は残されたアリスの絶望と狂気の産物でしょうか。
ただ、読んでよかったと思った。
としか言いようがないです。
このオチは予想しててもぞくりときますね。
お願いだから『終わらせて』あげて……
まさかのオチ。最後まで読んで鳥肌がたって、読み終えた後に
タイトルを見てさらにゾクリとしました。
正に「幸せそうな狂気の人形劇」
読んだ後でタイトル読み直してまた鳥肌。
読み直すと、一度も魔理沙が生き残ったとは書いてないんだよね。
魔理沙どうやって生き延びたんだろうとか考えてたらこのオチ。コメントせずにはいられなかった。
「魔理沙」にああいう行動を取らせるというのがまた何とも…
タイトルが全てを表していた
読み終えたあとタイトルをみて、もう一度ゾクリとしました。
作品の本質ではないけどベーコンエッグをつくる描写が素晴らしい。
面白かった
もう「すげえ!」としか言いようがない。