その日、紅魔館に激震が走った。
知らせは、瞬く間に館の中を駆けめぐり、主たるレミリア=スカーレットの耳にも入る。
馬鹿な、そんなことはあり得ない。
知らせを聞いたレミリアが、驚愕を思わず口にする。
腰掛けていた玉座から身を跳ね上げ、出口の扉をぶち破る。知らせに来た妖精メイドがピチュっていたが、構っている余裕はない。
この時間なら、咲夜は厨房に居るはずだ。足よ千切れろとばかりに、塵ひとつ落ちていない廊下をひた走る。
厨房の扉を開け放つ。大勢の妖精メイドに混じって、夕食の準備をする咲夜を見つけた。
「咲夜!」
「お嬢様、お食事でしたら、もう少しだけお待ちください」
その言葉と共に、美味しそうな香りがレミリアの鼻腔を叩く。くぅ、と可愛く腹が鳴る。
「ああ、楽しみだ……そうじゃない。咲夜、お前」
一拍の間を置いて、知らせの真相を確認するべく声に出す。
「見合いをするって本当なのか?」
ざわ、妖精メイド達の手が止まる。噂の真相が気になるのは、何もレミリアに限ったことでは無いのだ。
咲夜の返答を心待ちにする一同。どうでもいいが、フライパンから黒い煙が上がっている。
「はい、不本意ながら」
メイド長が簡素に答える。表情が微妙に顰められていることから、不本意、という言葉に嘘はないのだろう。
「不本意なら見合いなんてやめてしまえ。何故そんな話を受けたんだ」
全身から怒気を放ち、咲夜を睨めつける。咲夜は、一瞬きょとん、とした後。
「この話をお受けしたのは、お嬢様ではありませんか」
レミリアが、物言わぬ灰の柱と化した瞬間であった。
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「そんな、困ります。館の仕事もありますので……」
「そんなこと言わないで。ここは私の顔を立てると思って、ね? 先方がどうしてもって聞かないのよ」
珍しく、昼間に目が覚めたレミリアが、ふと庭先を見ると、咲夜と一人の女性が揉めていた。
あれは、商家の女将だったか。紅魔館で使う食料や調味料の類を扱う、顔なじみの一軒だったはずだ。
困惑する咲夜に、何度も強く何事かを勧める女将。なかなか面白い場面に遭遇したものだ、とレミリアは窓を開け声を掛ける。
「おい、咲夜。なんだか知らんが、そこまで無碍にすることは無いだろう? 一時よりも紅魔館は開かれた場所になったんだ。付き合いというのも大切だぞ」
「お嬢様」
「まぁ、これはこれは御当主様、いつもお世話になっております。そうですわよねぇ。じゃあ咲夜さん、後ほどお相手の絵姿をお持ちしますから」
一礼して、そそくさと去っていく女将。
咲夜が呆然と女将を見送っていた。
……そんなことも、あったっけか。
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「バカね」
「バカだね」
深夜の図書館。小悪魔が入れた紅茶を嗜みながら、親友と妹にバカよばわりされるレミリア。
かしゃん、と乱暴にカップを叩きつけ。
「あんまりバカバカ言うな。まさかこんな展開になるなんて思っても見なかったんだ」
あきれ顔の二人に噛み付く。すると、二人とも、ますます呆れた様子を強めて。
「レミィ、貴女は自分の能力を忘れたのかしら。こんな事態も回避できないで『運命を操る』とか言わないでちょうだいね」
「咲夜が出て行くことになっちゃったら壊すからね。お姉様を」
と、つれない返事。レミリアにしても、咲夜に居なくなられるのは非常に困る。妹に壊されるのはもっと困る。
紅魔館は、実質咲夜の活躍によって支えられている。数ばかりで役立たずな妖精メイド、精神的に不安定な妹、引きこもりで生活能力に欠けた魔女。
多才で気を使う門番だけでは、館の運営も立ちゆかなくなるだろう。考えれば考えるほど、ひどい家族構成だ。
それがわかっているからこそ、レミリアは己の迂闊さを呪った。
「今からでも遅くはないわ。お見合いがご破算になるように、運命を操ればいいんじゃないの?」
パチュリーが提案する。
「それは出来ないわ」
レミリアが答える。
「なんで?」
フランドールが首を傾げる。
「館の住人に能力は使わない、それがどんな細かいことであったとしてもだ。何かを成し遂げても『ああ、レミリアの能力のおかげなのか』と思われたら、誰も努力なんてしなくなるだろう?」
レミリアが宣言する。レミリアの能力は、曖昧だが汎用性も高く、使い方によっては影響も大きくなる。しかし、万能とはかけ離れた能力でもある。
それでも『なにもしなくても運命を変えてもらえる』と諦めたら、その存在は死んだも同然だ。レミリアは、自己の能力の危険性を把握していた。
しかし、友人には理解して貰えなかったようだ。
「そんなことを言っている場合じゃないでしょ? ご高説はもっともだけれど、それで咲夜が居なくなるのでは本末転倒というものよ」
パチュリーが、とん、と一冊のファイルを机に置く。
「これは?」
「咲夜の見合い相手のプロフィール。つてを使って調べてもらったの、読んでみなさい」
─少女熟読中─
「なんだ、この完璧超人は……」
「咲夜と良い勝負だと思うけどね、そういう意味ではお似合いなのかも知れないわ」
レミリアは頭を抱えた。ルックスよし、品行方正、頭脳明晰、加えて大商人の一人息子。隙が無い、隙がなさ過ぎて何か裏があるのでは、と疑ってしまうくらいに。
「レミィ、そろそろ本音で話しましょう。貴女、咲夜がいなくなってもいいの?」
「うー、よくない」
レミリアが屈した。今の自分に、咲夜のいない生活など考えられない。それが信頼関係なのか依存なのかは別にしても。
「なら、能力を使うことね。それが」「出来ない」
強硬にも繰り返す。自分が余計なことを言ったせいで、ということもあるが、咲夜が人間としての幸せを追ってもいいのではないか。と考え始めているのだ。
咲夜が、紅魔館に、レミリアに仕えるようになって。
日々の仕事を平然とした顔でこなしてゆく。それが咲夜にとって幸せなことなのか、いままで確認したことは無い。
だから、彼女が人間として紅魔館を出る決断をしたときは。
せめて、笑って見送ってやりたい、と思うのだ。悪魔らしくない感情だと理解している。
ふぅ。とパチュリーがため息をつく。
「そう、仕方ないわね。できる限りの忠告はしたつもりだから。それが貴女の決断なら、もう何も言わないわ」
「パチェ」
「最近、図書館が手狭になってきたのよ。大事を控えた咲夜に負担を掛けたくないから、貴女の部屋に本を置かせてね」
「うーん、今からお姉様を壊す練習しておかなきゃ!」
こいつら、マジで鬼だろ。
※
※
※
「それでは、行って参ります」
咲夜が一礼する。
「ああ、言うまでも無いことだが、気をつけてな」
「はい」
短い主従のやりとり。これだけでも、二人の絆の強さが伺える。
咲夜は、レミリアが用意したドレスを身に纏い、ごく自然な動作で地を蹴った。
レミリアは、迷っていた。咲夜と離れたくはない、しかし、ここで引き留めるのも違う気がする。
見合いの話を知ってからここまで、咲夜と話し合う機会は幾度となくあった。
だが、咲夜の顔を見ると言い出せず、ずるずるとこの日まで来てしまった。
自分が踏み出せない原因は解っている。その気持ちがエゴを押し切れない現状も。
「お嬢様」
幸せを願う、という気持ちすらエゴであるのには違いない。咲夜にとって、何が幸せなのか。
「お嬢様?」
わからない、わからない、わからない、ワカラナイ。
「お嬢様!」
呼び声に驚いて顔を上げれば、長年門番を務める妖怪の心配そうな顔が見えた。
「大丈夫ですか? あまり顔色が優れませんけど」
「……大丈夫だ」
嘘だ、そんなはずはない。咲夜が自分の手を離れること。
大した覚悟もなく訪れた現実に、レミリアは押しつぶされそうだった。
「レミィ」
七曜の魔女がやって来る。そして突然、こんな事を言い出した。
「死にそうな顔しているところ悪いんだけど、今日は咲夜がいなくて手が足りないの。中庭に陰干ししてある日傘を、取り込んでおいて貰えないかしら」
「あ、それくらいなら私が」
「空気読みなさい美鈴」
ずどん、と美鈴に回し蹴りを決めるパチュリー。お前絶対喘息治ってるだろ、具体的に言うと萃夢想の頃から。
うおおおおお、ともがく美鈴を尻目に、パチュリーが明後日の方向を見ながら呟く。
「あまり溜め込むのも良くないわ。相手の気持ちと自分の気持ち、どっちかを優先させなきゃいけないなら、迷い無く自分の気持ちを取りなさい」
「それは、どんな本の受け売りだ? パチェ」
「本じゃないわ、数少ない友人の言葉。今の貴女へ送るに相応しいと思ったまでよ」
あくまでもレミリアを見ない魔女は、優しく背中を押していた。
「ふん、余計なお世話だな。と、言いたいところだが、今回ばかりは感謝する」
「そういう言葉は、咲夜と一緒に帰ってくるまで取っておきなさい。有り難みが薄れるでしょう?」
後は貴女次第ね、と言い残し、魔女が去る。レミリアの心に確たる覚悟が出来ていた。
レミリアが、日傘を手に人里の方角へ飛び去った後。
痛がる振りにも飽きた門番が、芝生に寝転がりながら空を仰ぐ。そして一言。
「私としては、咲夜さんに『人間として』幸せになって欲しいんですけどねぇ」
気を使う程度の能力は、ここでも健在であった。
※
※
※
人里の中にある一軒の小料理屋。その座敷の入り口に、レミリアは立っていた。
ここに来る途中、ハクタクが何事か喚いていたが知ったことではない。そんなに立ち入られたく無ければ結界でも張っておけ。
中からは、内容こそ聞き取れないが男女の談笑する声が聞こえてくる。
レミリアは震えていた。
自分の気持ちを押しつけて、この場に乱入して。それが原因で咲夜に見限られてしまったら。
薄い襖一枚隔てた空間は、紛れもなく『人間』のもの。『妖怪』である自分が踏み込んでいい領域ではない。
そう、自分を納得させてしまいそうになっていた。
いやだ。
呆れられてもいい。見限られたってかまわない。力の限り叫んで、強引にでも連れ戻そう。
咲夜のいない生活など考えられない。誤魔化さない、私の幸せの為に。
運命を操るのではなく、切り開く為に。レミリアは『人間の』領域に踏み込んだ。
室内の男女が一斉にレミリアを見る。さあ、帰るわよ。
たったそれだけの言葉が出てこない。覚悟は決めた、自らの意志でこの場に足を踏み入れた。なのに言葉が出てこない。
何が足りない? 何を間違えた?
混乱する頭を、必死に落ち着かせようとするが上手くいかない。
唇が、言葉を出そうとして震え続ける。両の腕は襖を開け放った形のまま、硬直してしまっている。
「お嬢様」
咲夜の、大切な人の声が聞こえた。涙が溢れてくる。
その時レミリアは、自分を押しとどめている最後の欠片の正体に気がついた。
「さくや」
レミリアが駆け出す。咲夜を目指して。
「さくやぁ、行っちゃいやだよぅ」
この瞬間、レミリアは普段の自己を形作る『プライド』を捨てて、咲夜を求めた。
※
※
※
それから。レミリアは咲夜に背負われながら、紅魔館を目指していた。
今回の一件に限っては、完全にレミリアの勇み足であった。
恥も外聞もかなぐり捨てて、なんとか絞り出した言葉に返されたのは「はい、何処にも行きません」と分かり易い返事。
聞けば、レミリアが到着するより随分前に、見合いは咲夜が断るという形で終了していたらしい。
料理を楽しみながら歓談するだけのロスタイム。そこに踏み込んでの失態に、きまりの悪くなったレミリアは相手の男への挨拶もそこそこに、咲夜の背中で寝たふりを決め込むことにした。
「お嬢様」
咲夜の声に、レミリアは応えない。それに構わず言葉を続ける。
「……ありがとうございます」
背負われているため、咲夜の顔を見ることは出来なかったが、おそらく自分と同じように真っ赤なのだろう、レミリアはそう確信していた。
そこで、照れ隠しなのか従者の余計な一言。
「お見合いなんて、柄にもないと考えていましたけれど。ああいう可愛らしいお嬢様が見られるのでしたら、また受けてみてもいいかもしれ……痛っ! 痛いですお嬢様!」
咲夜は主人に首筋を噛まれながらも、幸せそうに笑っていた。
話の構成がうまくてスラスラと読めてしまいました。
おまえこそ真の勇者だ・・・
かわいらしいおじょうさまを書くために貫かれた勇者を…
羞恥で更紅くなったお嬢様からグングニルとか御褒美じゃないか