「ごちそうさま」
ああ、今日も早苗のつくる朝ご飯はおいしかった。
いや、朝だけでなく昼も夕も、ついでに言うならおやつもおいしい。ただ、信仰を集めるのにいそしむ早苗におやつまでつくってもらえるのは珍しいことであるし、その時間、私はよく湖を眺めている。
話題は変わるが、なぜか最近やたら料理にこんにゃくが混入している。こんにゃくだって食材なのだから混入ではおかしいのだろうが、何もハンバーグの中に入れるのはどうかと思うよ早苗。まあ味噌汁なら合うから今日の朝ご飯に問題はない。
「諏訪子さま、もう少しご飯は噛んで食べないと駄目ですよ」
早苗に注意される。そんなに早かっただろうか。早苗はまだ半分ほどそれぞれの皿に食事が残っていた。自分が遅いから?
まあ早苗に注意されるのは少しこそばゆいが、悪い気はしない。
だが、このまま素直に答えるのも祀られる神様としてはどうなのだろうか。
とりあえずあたりさわりのない軽口でも。
「蛙だからね、もとが丸呑みなの。ケロケロ」
「そんなあ、今は歯あるじゃないですかぁ」
「これ本当に歯だと思ってるの?」
「え、違うんですか!」
「いや歯」
「ええー」
「ごちそうさま」
「ああ神奈子さままで、もっと食事はゆっくり」
「蛇だからね、みょんみょん」
それはどこぞの半霊だよと思いつつ、なんとなく神奈子が早苗をいじるのは気に食わないので早苗の助太刀をする。
先にからかったのは私だけれど。
「んー、早苗は私たちと少しでも長くいたいからゆっくり食べたいんじゃない? ほら風祝のしごとあるから」
「へぇ、そうなのかい早苗」
「そそ、そんなことは」
言葉で遊ばれていて上気した顔から本心を衝かれて赤くなる顔に変わる。
そんな照れる事かなあ。
「そんなこと思ってるなんて可愛いなあ、早苗は」
「うんうん、可愛い可愛い」
「違いますってばぁ」
必死に手を振り、顔を真っ赤にして否定する。
おやおや、助太刀と思ったらどうやらその刃は裏切ったらしい。
可愛いのでよしとする。自分を含め、二人はにやけている。
「では、よく噛めという忠言は私たちの健康に気遣って?」
「そ、そうです! 諏訪子さまも神奈子さまももっと健康に気を遣ってください」
食べなくとも信仰があれば姿を保てるのに早苗さんはなかなかおもしろい事をおっしゃる。
信仰が健康につながるのならば、信仰獲得に駆け回る早苗が健康であればいい。早苗の健康が私たちにとっても早苗にとっても一番なのだから。
ふと頭をよぎった解釈がすっきりとしたもので、ふふっと笑いがこぼれる。既に意地の悪い笑みをうかべていたが。
その横で神奈子が爆弾を投下。
「まるでお母さんみたいだ」
あ、早苗が黙った。手がぷるぷる震えている。
私にはわかった。震度4というとこか。泣きながら切れるのを震度7とした早苗の怒りが。
4ならまだ大丈夫だろうと思い、神奈子をちらりと見た。
「というか、行動がいちいちおば」
爆弾はコンビナートに直撃した。
言い切る前に爆風が襲う。
震源地が近いから初期微動がない。
「誰がおばさんですかぁーっ!!」
いたって普通のツッコミに守矢神社が揺れた。
「じゃあ、ちょっと散歩してくるよ」
靴を履きながら言った。
「はい、気をつけてくださいね」
春、山の木々は新緑、花は咲き、草が萌ゆる。
少しばかしの散策にはぴったしの季節だ。
坤を操る私にとっては大地が富へと向かう大切な時期、見て回る事にした。
「お昼はもどるかどうかわからないから帰ってこなかったら先に食べてね」
「はい」
行く前にもう一度早苗を見る。
青と白の巫女装束?に身を包み箒を軽く握っている。
目が合うと微笑んでくれたので微笑み返す。
奥の部屋には今まで神奈子だったものが倒れていた。あれはもはや神奈子ではないのでどうこうする義理はない。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
春の空気は柔らかかった。
一日にたった三回しかない早苗の手作りご飯、結局もどることにした。
しかしいろんなものを見ることができた。
青々とした重なる葉からこぼれる光、ひらひらと風に舞う虫、ラフレシア。
清流で遊ぶ河童の童たち、春霞をも裂くように空を翔る天狗、草に埋まる秋穣子。
話す事がたくさんある。
ふわりと境内の降り立つ。
おや、炊事の匂いがしない。まだなのだろうか。
それならば一緒につくってやってもいいな。神奈子は手伝わないだろうし。
縁側へと駆ける。
玄関から入らないと怒るかもしれないが、そっちにいるような気がしたのだ。
くっと足に力を入れて止まる。
「ただいま」
「おかえり」
そう言ったのは早苗でなかった。
「おかえり」
それを呟いたのは神奈子だった。縁側に片方の足をぶらぶらさせながら座っている。
早苗は。すぐに見つかった。神奈子のもう片方の足を枕にし、眠っていた。
神奈子は無表情で早苗の顔はよく見えなかった。
正直言っていらいらする。
確かにもうお互いの間に確執はない。いまでは悪友にも家族にもとれるような関係だ。
だが、早苗に関しては別だ。
早苗があいつを慕っているのはわかっている。だけどどうしてか癪にさわる。
子供の時から見てきた年数は同じであるし、大事に思っている事も知っている。
けどなにか、早苗があいつを見るたびに、自分の一部が溶け、あいつに流れていってしまうような気がした。
‥‥‥
けれど、
耐えるのだ、私。このくらいの事は数回ある。激昂して関係をつぶす事はない。
「仲直りしたんだ」
平静をできるだけ保つ。
「ああ、わりとすんなり」
怒ってはいけない。
「意外だね。あんなにも怒ってたのに」
神奈子がほんの少し唇をゆがめて笑う。
「ふん、気づかなかったのかい」
!
「何にだよ」
こいつは確実に私を怒らせようとしている。
「何にでしょう」
たまにこういうことはある。
「おい」
私を怒らせてその反応を楽しんで。
「早苗が怒ったあと」
幻想郷に来てからは一度もなかったが。
「止めずに」
何で急に。
「寂しそうだったよ」
何を言っている。早苗が寂しそうだった。いたって普通だったじゃないか。いつも通りの笑顔を私に見せてくれた。
だいたい理由がわからない。起こったあと? あのつまらない会話のどこにそんな要素があったというのだ。
何もない。何もないはず。
そうでなければ私が気づかなかったことにあいつが気づいたということになる。
もしそうであれば私はあいつも自分も許せなくなる。
「神奈子、何をもってそんなことを言うんだ?」
「私は冗談で早苗にお母さんと言っただろう。あれについて考えることがあったみたいでね、自分の事を思い返していたらしい」
神奈子の言った事ならば責任はお前だろう。
「早苗は母を向こうへ置いてきた。おそらく幻想となった早苗の事は覚えていないだろうね。つまり今の早苗に母はいない。だから早苗は母を演じてきたんじゃないか。私たちは母にかわる存在として頼ることを早苗はしなかった。一人で立ってきたも同じだね。それが今度の事で崩れた。私を頼ってきたよ。私はもちろん応えてやったさ。やさしく抱きしめてやっただけだけどね」
神奈子の言葉に衝撃を受ける。私は早苗についてわかっていなかったと通告されたも同義だから。
でも、紡がずにはいられない。神奈子に負けないため。
「それで? 今言った事が本当なら私は責められても文句は言えない。そしてそれはお前も同じだ、神奈子。お前もそばにいながら今の今まで気づかなかったんじゃないか。よくそれで人のことが言える。私たちは早苗の事をわかっていなかった。なら今からわかればいいじゃあないか。なぜ私を責める。自分がわかってやれなかったことのやつあたりか。
そんなもの私も一緒だ。それとも自分が頼られたんだという思い上がりか? そんなもの私がたまたまいなかっただけじゃないか!」
「ああ、たまたまな。ただし、いなかったのは事実だ」
言葉が心情を吐き出した心に突き刺さる。
「早苗がぐらついた時、外でほっつき歩いてた。理由なんてそれで十分だ」
淡々とした調子の神奈子。
私はそれに背を向ける。
これ以上ここにいられる自信はなかった。
あの面を見ていると今にも飛び掛ってしまいそうで、その言葉を聴いていると自身も壊してしまいそうで。
ああ、また逃げるのだ。今度は仲間でなく自分を守るために。
「出てくる」
ぶっきらぼうに言い放ち歩き出す。
「ああ、それとな」
神奈子が何か言うが決して振り向かない。
「お前をいじめる理由もな」
午後の空に飛び出す。
春の空気が生暖かく絡みついた。
飛んだ。山をひたすら。茂みに突っ込もうが関係ない。
落ち着けばいろいろな景色が見えたはずだ。今の私には目にも入らない。
こんなにも脆かったのかと私たち三人を思う。
私がそこにいないために、神奈子が被虐心を満たすために、簡単に壊れてしまった。
早苗が頼ってきてくれたのに、私たちは何を。
全ては変な心を起こした神奈子の勢だと思っても、あの言葉がよみがえる。
いっその事、神奈子と共にきえてしまおうか。そして早苗を泣かすのか?
何もできない。無力感に襲われ、止まる。
いつの間にか麓の方まで来ていた。日の差さぬ鬱蒼とした森。
目の端で何かをとらえる。
目をやった。
いくらか早苗よりも濃い緑の髪、血の様にくらい深紅のドレスに身を包み、森の中で浮いて回る。周りには色のついた靄のようなもの。その少女は‥‥‥。
洩矢諏訪子、確かそんな名前だった。
いつものように厄を集めて森を飛んでいた。
いつものように回っていた。
いつもでないことに不思議な帽子をかぶった少女がこちらを見つめている。
洩矢諏訪子とは宴会にはあまり行かないので、会ったと言えるのは神社が越してきたころの挨拶程度。ほかには森ですれ違う程度であった。
一応私は一介の厄神、あちらさんは土着神の頂点にも立った者、敬うべき対象だった。
私を見つけるとずんずん近づいてくる。人や妖怪なら追い払うが神なら問題ない。
ついには目の前まで来た。
ひどくやつれた顔をしている。
一目惚れだった。
私は厄神として変わっているらしい。
厄神は厄を集め、それを浄化できる神へと引渡す。そのような集める厄は多くは場所に残っていたりするものだ。その厄は歪みを生み、害を引き起こす。
しかし人に会い、もしその人に厄がついていればその厄もとる。
厄がついている人は大抵不幸な顔をしている。厄をとれば晴れやかな顔になる。
私はその顔が好きだった。また顔が不幸そうであればあるだけ私もやりがいがあった。
故に私は人の前に現れる。警告と称し厄をとるため。
厄神は人から疎まれ姿を滅多に見せない。だから私は変わっていた。
洩矢諏訪子の顔は絶望に塗れていた。ゾクゾクする。
これを幸せな顔へと変えることができたら!
これは口を開いた。
「その厄食べさせて」
「なるほど、そういうわけであなたはここへ」
「ああ、本当は誰にも話さないつもりだったけれど。お前が厄神だからかな。しゃべる事で少しは悪い気を払って欲しかったのかもしれない」
そう言って厄にパクつく。厄を浄化する神ではないが腹の中で浄化できるらしい。
ちなみに海栗の味がするらしい。
もっとも私は食べる気などおこすわけもなかったが。
しかし重い話だった。どうにかできるのか私がこの負を。
表面上、あまり暗くないように思われた。だが、その仕打ちに精神が傷ついていないわけがない。心に予想以上の荒みと闇を見るかもしれない。
それでも何とかしたかった。この神はあまりに人間くさい。迷い、ためらい、弱くしてそこに在る。
自分よりはるかに高位の神が見せる儚さ。なんと惹かれることであろう。
絶望から救ってやりたいと思いつつその物憂げな表情をいつまでも見ていたかった。
相反する感情、どちらもこの土着神を想っている。
決断するのは私、不幸を払う厄神としてか、神に憧れる八百万の一としてか。
後者は選べない、だってこんなにあの神様と人間を想って苦しんでいるのだから。
だが、どうしてこの厄をとる。人の様にはいかない、いくわけがない。とる厄がないのだから。
穢れなき神に厄はつかない。私の前の小さな神はそれでも苦悩する。
何をして良いのか、皆目検討もつかなかった。
考えろ、考えるのよ鍵山雛。人も神も関係なく一人を救うために。
今までどんなに嫌われても厄神として役割をこなしてきた。
投げられた石で傷つき、棘のある言葉に涙しようとも、私は厄神だった。
その厄のとれた顔を見るためなら幾等でもがんばれる‥‥‥気がする。
さあ、回りまわった幾世紀、鍛えられた三半規管が私に知恵を。
このちっぽけな神にこれまた小さな神を救わせて!
自分自身が神であっても今は神に祈りたい。
ほんの少しの奇跡に!
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奇跡も神もいなかった。いるけれども姿はないのかもしれない。
こんな厄神が土着神を救おうなんて思い上がりも甚だしかった。
自分に酔っていたのかもしれない。
何も思いつかなかった。どんなに想っても想っても、どんなに考えても考えても届かなかった。
所詮分を超えた事はできないと暗に言われているようだった。
厄神であり続けた私は厄神とも言い難い。
厄を食べ終えたあなたがこっちを見る。
ずっと黙っていた私を心配そうに見る。
ああ、何もできなかった。何かしてあげたかった。
厄神として何もできない私は誰にでも出来る事をした。
自分より少し背の低いあなたを抱きしめる。
そう言えば抱きしめた温もりなんてここしばらく感じてすら‥‥‥。
「何のマネ」
不機嫌そうに言われる。
顔はお互いに見えない。
少し泣きそうだった。
でも放さない。
「何もできませんでした」
「あんたは私のために何かしようとしてくれたの」
「けど考えても何一つ出てこなくて」
「ふうん」
「ごめんなさい。迷惑でしたよね」
そこまで話して泣くのを堪えた私は、体を放そうとしてつかまれた。
「いいよ、このままで」
「え‥‥‥」
「まだ夕方になると冷えるからね」
「はい‥‥‥」
「何よりも傷心のケロちゃんには効いたよ、その気持ち」
「はい‥‥‥。ぐすっ‥‥‥」
せっかく耐えたのに泣いてしまった。
「じゃあ、帰るね。ありがとう」
「とんでもない。こちらこそ」
慌ててお辞儀をする。
それを見たあなたは、苦しみが全部消えていなくとも、幸せそうに笑ってくれた。
そしてそのまま夕方の空に見えなくなって。
「神様、やっぱり神様は神様でした」
風は冷たかったけれど、ずっとその空を見ていた。
本日二度目の帰着。境内に降り、今度は玄関へ向かう。
開けるのは怖い。どうしようもなく怖くて、不安で不安でたまらない。
けれど勇気をくれた子がいた。知り合いってだけなのに真剣に悩んでくれた。ここで立ち止まってはならない。
地獄の門に手をかけ、振りぬいた。
「おかえりなさい」
「‥‥‥ただいま」
普通に早苗が「おかえり」と言ってくれた。拍子抜けした。台所の方で聞こえたのでおそらく夕飯の支度の最中であろう。
気を抜かないまま居間へ。
神奈子がどっかと卓袱台の横に腰を据えている。
目を合わせようとしたらそっぽを向かれた。
しょうがないから反対側へ座る。
なんだかあいつのほうが居辛そうだった。
本来ならおそらく今日私は家に戻らず、湖で月でも眺めていただろう。
しかし今の私の精神力は無限大、何を言われても受け流せそうだ。
台所から早苗がお盆と共に湯気の立つおかずを持ってきた。
既に卓袱台に茶碗とお櫃は用意されている。
「そう言えば、午後から妙に神奈子さまがおかしかったんですよ」
「おぉ、どんなふうに」
神奈子はそっぽを向いたままだ。
「そわそわしてるかと思ったらウジウジしてたり、外に行くと言いながら結局ずっと家にいたり」
「ふーん」
変化がないようだが耳が赤い。こいつはおもしろくなった。
「あとずっと呟いてたり」
「どんな風に?」
「さっさと食おう、冷めてしまう」
「っと、そうですね。この話は食べながらにしましょう」
「!?」
口を挟むときちんと仕返しされていた。
そうだ、あることを思いついて実行する。
「そうだ、神奈子」
「なんだい?」
畳の上をするすると動き、私は神奈子を抱きしめた。
「むっ、いきなりな」
早苗に見えない位置から密着時でも放てる打撃を腹に打つ。
悶絶。
「今日は仲が良いですね」
ニコニコしながら早苗が言う。
私は神奈子の耳元で
「素直じゃないんだから」
と、囁き、早苗の方へ行って抱きしめる。
「わわっ」
「うーん、早苗は柔らかいなあ」
そういってほっぺたを合わせる。
「はずかしいですよぉ」
「諏訪子、飯が」
なんだか神奈子も照れているように見える。
「じゃあ、いただきますか」
危うい守矢神社は今日も続く。
「いただきます」
ああ、またため息をついた。これで何度目だろうか。一つの木から舞い散る落ち葉ほどではないにしても、一房の葡萄の実の数くらいはありそうだ。
さっきからあの厄神サマは池に映る自分を眺めて嘆息している。
自己陶酔するような奴じゃないから恋かしら。
あれが恋するなんて、余程の不幸ヅラ?
「おーい、静葉―」
「あら、姉を呼び捨てにするなんて偉くなったのね」
「同じ八百万なんだから気にしないことにした」
妹ながらアバウト過ぎる気がする。
「何眺めてんの?」
「アンタにはまだ早いわ。それで何のよう?」
「野苺採ってきた。食べるよね」
「すっかり春の実りを楽しんでるわね。でもいただくわ」
木の上から降り、突き出されたカゴから一つ取って口に含む。
「‥‥‥酸っぱい」
「あらー」
池の方を一瞥する。
「あの調子じゃまだ始まってすらいないわね」
「何の話?」
「まだ早いわ。ん、酸っぱい」
というのが自分の理想像ですがサディスティックツンデレ乙女でも良いのではないかと。
あれですよ、実は早苗さんが御生誕されてから諏訪さまと\にゃんにゃん/するのが恥ずかしい神奈さまだったりするのですよ。
つまりこれはフラg(返事が無いどうやら柱につぶされた様です