阿求から渡された書を見ながら、筆で白紙の本に複写していく。
霖之助が幼い頃、稗田書店で丁稚奉公していたときに身についた技術だが、腕は錆び付いていない。
今でも似たようなことをたまにやっているせいだろうか。
人の手で写した本は量産が出来ない上高価になってしまう。
今までは本など滅多に売れなかったためそれほど問題ではなかったのだが、
最近は本を買っていく妖怪もいるため在庫整理も兼ねて霖之助が手伝いに呼ばれることが増えていた。
これも文々。新聞が売れているせい……と言うのは考えすぎだろう。
天狗の持つ印刷技術があればもっと簡単で早いのだろうが、残念ながら人間にその技術はない。
天狗と言えば、文は本日後輩に泣きつかれたとかで妖怪の山の仕事を手伝っているらしい。
「霖之助さん、今誰のこと考えてます?」
「……いや、別に」
「まあ、いいですけど」
阿求は大きくため息を吐いた。
そして視線を横にずらしたので、彼女が口を開く前に霖之助は墨汁を取って渡す。
長年の付き合いだ、目を見ただけである程度わかる。
この墨汁は霖之助が無縁塚で拾った物で、わざわざ墨を擦らずともちゃんとした濃さの墨が出てくる優れものだ。
拾ったときには少し減っていたので、おおかた環境が変わって墨を使うことがなくなり
そのまま忘れ去られ、幻想郷に流れてきたのだろう。
阿求には万年筆やシャープペン、ボールペンなどいろいろ渡したことがあるが、やはり筆で書くのが一番落ち着くらしい。
その割りには墨を擦るのが面倒だというので、墨汁を渡したときはことのほか喜んでいた。
もっとも文字通り落ち着くだけなので、仕事の時は書きやすいのを選んで使っているようだが。
実際、今阿求が書いているのは仕事とは関係のない絵のようだった。
霖之助は設計図のような理路整然とした絵なら得意なのだが、似顔絵やその類はどうも苦手としていた。
幼い頃、阿求や慧音の似顔絵を描いて怒られたことがある。
(そう言えばあの絵はどこに行ったのだろうか……さすがにもう残っていないと思うが)
「と言うわけで、そろそろ準備しようかと思うんですよ」
「……なんのだ?」
「もう、やっぱり聞いてなかったんですね」
むくれる阿求。
しかしそんな霖之助になれているのだろう。
気を取り直して……彼女は事も無げに言い放つ。
「転生の、です」
「…………」
「あ、別にすぐ転生するってわけじゃないですよ。
準備と言っても何段階もありますから、その最初のほうです。安心してください」
阿求が珍しく慌てて付け加えた。
どんな顔をしていたのだろうか、と霖之助は自分でも首を傾げる。
……あまり知りたくはないが。
「それで、準備とは?」
「ええと、次代に向けての幻想郷縁起の準備……とかあるんですけど」
そこで阿求はちらり、と隣に置いてあった文々。新聞のバックナンバーに視線を送る。
「それは新聞を作ることで私自身関われてますし、実は助かってたりするんです」
「そうだったのか」
「ええまあ、少しだけですけどね」
コホン、と咳払い。
「でもやっぱり自分で体験したことのほうがすぐに思い出せますので、ここはひとつ取材をしようと思いまして」
「取材?」
「はい。取材です」
まるで文のように目を輝かせる阿求。
なんだかんだでずっと一緒にいるせいか、少し似てきたのではないだろうか……と霖之助は思わず心配になってしまった。
「それに今連載しているのがもうすぐ一区切り付くので、次の題材のためにも一度やってみたかったんですよ。
実は長年温めてたネタがあって……」
阿求は懐から手帳のような物を取り出した。
文が使っているネタ帳のような物らしい……が、中は白紙である。
取材をするに際して形から入るために用意した物だ、と霖之助は後から聞いた。
「この辺でひとつ、変わったジャンルに挑戦してみようかなと」
「それはいいとして、何故取材なんだい? 君ならその必要は……」
「確かに私は記憶力はいいですけど」
予想していたかのように……いや、実際していたのだろう。
阿求はすらすらと答える。
「私の記憶力は記録するための物ですから。
今度やろうと思ってるのは、フィクションの小説です。
それで、体験していないことを想像で書こうとするなら、やはり別の体験で足りない分を埋める必要があるかと」
「なるほど、そのための取材なのか」
「はい。その通りです」
「いいんじゃないか、思うようにやればいい」
文と違って、阿求なら危険なことはしないだろう。
霖之助はそう思い、阿求が出かけるのならと帰る準備を始めた。
「何を言ってるんですか、霖之助さんも行くんですよ」
「……僕も?」
荷物を纏めようとした手が止まる。
「はい。今回の取材に霖之助さんの存在は必要不可欠ですから」
「……別に構わないが、どこに行くんだ」
「町中です」
☆
「やはり帰ろう」
「もう、最近何度も来てるじゃないですか。大丈夫ですって」
「それでも僕は人目を集めるから」
「自意識過剰です」
「…………」
ちょっと肩を落とす霖之助。
そこまではっきりと言われると釈然としない物があるのだが。
どちらにしろ霖之助と一緒にいると言うことは阿求も注目を集めているはずなのだが、彼女は気にした様子はない。
「せめてもう少し人の少ない場所に……」
「そうですね、じゃああそこに入りましょうか」
阿求が指さしたのは、最近出来たという甘味処だった。
確か新聞の記事にそんなことが載っていた気がする。
記事といっても新聞を置く代わりに載せることになった広告欄だが。
「こういうところによく来るのかい?」
「いいえ。うちの場合頼めば配達してくれますし」
席に案内され、ふたり向かい合って座る。
最初は窓際の席に案内されたのだが、霖之助が渋ったため一番奥にある席に落ち着いた。
「先代の頃に比べて、いろいろ食べ物も増えた気がします」
「西洋の妖怪とかが文化を持ち込んでいるからね」
しかしこの店の給仕がどう見てもメイド服なのは、少々文化を取り入れすぎではないだろうかと心配になった。
……それだけあの館が人間の憧れである、と言うことにしておこう。
「じゃあ、あれ頼みましょうか」
「僕はお茶でいいよ」
「……もう」
お品書きも見ずに注文を済ます霖之助に、阿求は口を尖らせた。
しばらくして運ばれてきた商品を見て……少し後悔する霖之助。
「さすがに大きいですね」
「知ってたら止めていたよ」
デラックスジャンボパフェと聞こえたのは……気のせいではなかったようだ。
阿求の顔より器が大きいのではないだろうか。
「では、いただきます」
「溶ける前に……って、そうそう溶けるものでもなさそうかな」
スプーン片手に気合いを入れる阿求に、霖之助は思わず笑みを浮かべる。
それにしても最近は昔に比べて氷が手に入りやすくなった
氷を売る妖怪などが町に出入りするようになったせいだろう。
着実に人間と妖怪の共存は進んでいるらしい。
阿求は上品に食べようと努力しているようだったが、口の周りにクリームが付いていた。
霖之助は苦笑しながらおしぼりで彼女の顔をぬぐう。
「むむ、失敗しました……」
「それも取材の一環なのかい?」
「いえ、これを食べただけでは……そうですね」
うーんと考え、阿求はやや身を乗り出し、口に運ぼうとしたスプーンを霖之助に差し出した。
「はい、あーん」
「……?」
「取材です、協力してください」
「いや、意味がわからない」
「わからないでもいいですから、口を開けてください」
「断固断る」
しばしふたりの視線がぶつかる。
やがて諦めたのか、阿求が腰を落とした。
「……まあいいです。こういうイベントのルートもあるでしょう」
「なんなんだ、一体……」
困惑する霖之助。
こういうことはもっと段取りを踏んで、しかるべき相手にやるべきではないだろうか。
突然やられるとその……困るではないか。
「実は、今度連載しようと思っているのは男女の仲を書いたラブストーリーなんです」
「…………」
「それで、そのための取材なんですけど」
「……僕じゃ役者不足だな」
席を立とうとする霖之助の行動を読んでいたのか、阿求は先に言葉を放つ。
「いいえ、心の機微については既に情報はあるんです。その……先代とか」
「ああ、そう……か」
複雑な表情で、再び霖之助は腰を下ろした。
「それで、主人公は人間の女の子なんですよ」
「ふむ」
「相手は妖怪の男の子です」
「…………」
思わず絶句し、阿求を見つめる。
「それは……」
「ただの作り話ですよ。今の幻想郷と私の知識、それを元にして作るだけの、ただのお話です」
「…………」
「協力してくれませんか?」
「正直、気乗りはしない」
「当初は人間の復権を期待していた幻想郷縁起も、今ではただ好奇心を満たすだけの書になりました。
妖怪と人間の関係も変わっていくと思いますよ」
「…………」
「霖之助さんはいつも通りにしてくれるだけでいいですから」
「わかった……」
主人公が女の子、そして今日の取材と言うことはおおかた阿求自身がモデルと言うことか。
なんだか複雑な心境ではあるが、作り話に付き合うくらいならいいだろう。
そう自分自身に言い聞かせ……しかしやはり、霖之助の心はどこか落ち着かないのだった。
☆
「それで、次はどこに行くんだい」
微妙に不機嫌そうな声色になってしまうのは、やはり仕方のないことだろう。
しかしそんなことには少しも気にした素振りを見せず、阿求は霖之助を先導して歩く。
「本当は手を繋いで歩きたいところなんですけど……」
「ん?」
「なんでもありません。そうですねぇ、何人か登場人物の参考になりそうな人を見ておきたいんですけど」
「登場人物、ね」
相手が妖怪だというならやはり妖怪なのだろう。
男……というのにそう心当たりがなかったが、阿求の知り合いなのだろうか。
「うーん、この時間ならこの辺にいると思うんですけど」
「この辺?」
と言ってもこの辺は商店が建ち並ぶ区画だ。
里で商売程度ならともかく、店を持っている妖怪はいないはずだ。
そもそも聞いたことがない。
「あ、いました」
阿求が指さした先には、紅白の衣装を身につけた少女の姿。
思い切り現れた知り合いの姿に、霖之助は少し頭が痛くなった。
「何をやっているんだ、霊夢」
「あ、霖之助さん。ちょっと小銭が入ったから食料を買いに来たのよ。この辺で一番安い店を探してるの」
「……そうか」
今度は目頭が熱くなった。
霊夢の話を聞いて、阿求が自信たっぷりに胸を張る。
「先日護衛を依頼しましたからね」
「そうそう、もっとあなた私に頼んできなさいよ。面倒だけど引き受けてあげるわ」
「そうですね。でも香霖堂までならそんな危険はないんですよ。守矢神社の分社もありますし」
「またあの神社……」
なにやら落ち込む霊夢。
少しは信仰について気にしているのだろうか、と思ったが。
「あの神社のせいでうちのお賽銭が減ってるのよ。霖之助さんのところにうちの賽銭箱置いていい?」
「それは君のためにも断らせてもらうよ」
気にしていたのは別のことらしい。
それにしてもやはりというかなんというか、香霖堂にあった守矢神社用の賽銭箱はちゃんとチェックしていたようだ。
「と言うか霊夢さんはお賽銭が入ってもすぐ使うからまずいんだと……」
「なんでよ。お金は使わないと損でしょ」
「だって、朝入れたお賽銭をその日のうちに巫女が持ってきたらどう思います?」
「商品が売れて嬉しい」
「そう思うのは霖之助さんだけです」
「いや、まさか」
さすがにそれはない。
そもそもわざわざ博麗神社に賽銭を入れるわけがない。
「うう、そうよね……。自分が持ってたお金なんて見分け付いて当然よね……」
「その通りです」
「普通の人間には無理だと思うが」
たぶん普通の妖怪にも無理だと思う。
このふたりは別として。
もちろんそんなことを面と向かって言うとこの少女たちは不機嫌になるので、霖之助は黙っておいた。
沈黙は金なり、である。
「でも霊夢、今日はお賽銭じゃないのだろう。堂々と買い物すればいい」
「そうよね。買い物すれば信仰も増えて一石二鳥よね。
あ、霖之助さん。またお茶貰いに行くから用意しておいてよね」
それだけ言うと、喜んで霊夢は行ってしまった。
買い物したくらいじゃ信仰が増えるわけはないと思うのだが。
これからまた、値切り交渉が始まるのだろう。
霊夢の姿が見えなくなってから……霖之助は阿求に声をかける。
「……これが登場人物の取材?」
「はい」
「霊夢は人間だが」
「参考だからいいんです」
どんな話になるのだろう、と普通に興味が出てきた。
「さて、どんどん行きますよ」
「次はなんだ」
「寺子屋です」
「…………」
「そのあとは、幼馴染みと悪友と庭師と薬屋と年上です」
「それ、全部かい?」
「はい、全部です」
霖之助は違和感を覚えた。
阿求が書こうとしているのは彼女がモデルの話のはずではなかったのか。
何かが違う気がした。
それが何かは、わからなかったが。
☆
「……もうこんな時間ですね」
「また今度でいいじゃないか」
「また付き合ってくれるんですか?」
「……一応、読んでみたくはなったからね」
結局、あれから回ることができたのは寺子屋だけだった。
と言うのも慧音にいろんな理由を付けて引き留められたり、阿求が授業をさせられたりしたからだ。
「ま、今日の取材はまずまず成功と言ったところしょうか。
やっぱり霖之助さんにお願いしてよかったです」
「それはどうも」
阿求について回っただけのような気がしたが、問題なかったならいいのだろう。
彼女は満足したのか、稗田の屋敷への道を歩きながら大きく背伸びひとつ。
「これでようやくエンディングが決まりました」
「エンディング?」
「はい。ハッピーエンドにしようかバッドエンドにしようか迷ってたんですけど」
「…………」
しばし沈黙。
霖之助の前を歩く阿求の顔はいつもの微笑をたたえ、何を考えているのか読み取ることが出来ない。
「それで、どっちに?」
「秘密です。最終回を待っててくださいね」
阿求は意地悪そうに首を振った。
すべては彼女の頭の中、と言うことか。
「やれやれ、仕方ないな。
ところで結局、今回の件が転生の準備にどう関係が?」
霖之助は少し考え、疑問に思っていたことを尋ねた。
「決まってるじゃないですか」
阿求は立ち止まり、霖之助を待った。
そして彼の手を取り、ふたり並んで歩き出す。
「次の私に幸せな記憶を持って行くこと、ですよ」
いや、実はもう投稿する気がないのかとか思ってましたが、新しいのが来て何よりです
自分は慧音×霖之助が好きです。出来れば慧音ルートもm(_ _)m
神奈子×霖之助は知らないんで見たいです。
18禁は夜伽話のほうじゃ・・・
続編期待!!
3に同じく慧音がいいです!
厚かましくも言語ミス指摘。
役不足:力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。この場合は力不足が適切。