暗く静かな部屋に、無遠慮な月明かりが差し込む。
大きな満月は自分を見ろとばかりに夜空に煌々と光り輝いている。
時折、その満月がそっと雲の陰に隠れると今度は爽やかな風が吹き抜ける。
この熱帯夜にある一杯の清涼剤は、一瞬の心地よさを運んでまたどこかへいってしまう。
霧雨魔理沙は寝苦しさに喘いでいた。
もう床に着いてから何度寝返りを打っただろう。
寝返りを打っても、枕の位置を変えても一向に夢の世界へ届かない。
ただひたすらに汗で冷えた下着が張り付いて寝苦しさを感じるばかりだ。
「うー、どうしてこんなに暑いんだ。 ここのところ雨は降らないし、外で起きてるなんちゃらってやつか。
まったく人様の迷惑を顧みないやつってのは最低だな。 こっちの身にもなれって言うんだ」
悪態を吐いても不快感は解消されることは無い。
余計に鬱憤が募っていくだけで肝心の問題はなんら解決しない。
そのうえ頭が変に働き出して眠りを妨げる。
どこかで聞いたような言葉やら新しい魔法式やら明日の味噌汁の具やら、考えが渦を巻いていく。
ふと、窓の外に目をやるとさっきまで輝いていたやけに自己主張の強い月がいなくなっている。
代わりに窓枠一杯をうめつくす黒い雲が怪しげな音を立てていた。
雨が降るならこのまま寝付けるな、そう思い、少し嬉しくなってもう一度寝返りを打った。
雨粒が薄い屋根を叩いた。
こちらの事情などお構い無しに煩く騒ぎ立て、彼女の眠りを妨げる。
「……勘弁してくれ、うちは24時間営業じゃないんだ……」
Closedの看板はかけていないが閉まっているのは見ればわかるだろう。
突然の急患でも対応する医者はすごいなと思いながら窓を閉め、布団をかぶった。
雨は一定のリズムを保って壁や窓を叩く。
その音がどうやら彼女には合うらしく、やたらと耳に残る。
人間の耳はこんな時、実に不便に感じる。
口と同じように閉じてしまえれば楽なのに、そんなに音は大事なのか。
そう言えば死ぬ最期の時まで残る感覚は聴覚だと聞いたことがある。
大事な相手に看取ってもらえても、その姿は最期まで見ていられない。
その暖かい手は最期まで感じることが出来ない。
最期まで分かるのは、その沈痛な叫びと悲しい声だけだと。
もし本当ならば、私は最期も笑って見送ってやりたい。
死なないで、ではなく、今までありがとうとか、あの時は楽しかったとか。
また向こうでも一杯やろう、なんて余裕を持っていられたらいいか。
最期に聞く言葉くらいは、安心したいだろうし、私もそう思う。
少しして、また変な考えごとをしてしまったと後悔する。
雨のおかげで涼しくなってきたのだからこのまま寝てしまえたのに、と。
気を取り直して、もう一度寝返りを打って布団をかぶった。
「ひゃうっ!?」
途端に轟音が響き渡る。
恐る恐る布団をよけて外を覗いていると夜空が引き裂かれ、激しい音が鳴り響く。
ここまでくると誰かが寝るなと言っているようにすら思えてくる。
だが雷を伴うような豪雨はどうせ通り雨だろう、そう思ってもう一度布団をかぶった。
一応しっかりとお腹を抱えた。
雨音は次第に小さくなっていき、雷の音も聞こえなくなっていた。
まだ眠りにつけていない魔理沙は窓に近づき、止んだのを確認すると目一杯に開いた。
涼しげな風が勢いよく部屋に転がり込む。
心地よい空気を胸いっぱいに吸い込み、ほんの少しの覚醒とわずかな眠気を覚え、布団にもぐりこんだ。
風の音がやけに騒がしかった。
調子に乗って天狗でも飛んでいるのだろうか。
雨が降る前までは精々そよそよとしか吹いていなかった風がびゅうびゅうと音を立てて吹いている。
「まぁこの程度なら気にしなければいいだけだ、寝よう……寝よう……!」
一向に風は止む気配がなかった。
それどころか先ほどよりも強くなっている気がした。
そして、彼女はここで一つの重大な選択を迫られることとなった。
「窓を閉めれば、音は静かになる。 だが……閉めればまた暑くなる……」
二兎を追うものは一兎も得ず、涼か静かを魔理沙はじっくりと考え抜いた。
「それほど暑くもないな……よし、今度こそ寝るぞ」
かすかに風の音は聞こえてくるが、気になるほどではなかった。
せいぜい汗で濡れた服が肌に張り付いて冷たいくらいだ。
逆に少し涼しくなって寝やすいはずだと言い聞かせて、寝返りを打った。
「う、おぅっ!」
窓が嫌な音を上げて揺れる。
元々大きな家ではないので風で揺れやすいのだが、あまりの音に少々不安になってくる。
明日になったら……朝になったら河童に点検を頼もうと思い、深く深く布団をかぶる。
………ャ ……ニ…ル… …
「っ!?」
慌てて布団から飛び上がる。
「……だ、誰かいるのか?」
何もいないはずの暗闇に問いかける。
返事は、もちろんない。
あるはずがない、魔理沙以外にこの家にはツチノコくらいしかいないのだから。
落ち着いて考えればただの風の音だったに違いない。
そもそも、もし何か恐ろしい化け物か何かの類ならば自分が退治してやる。
幽霊だって吹き飛ばしたし、鬼だってやっつけた、そうそう怖いものなどあるはずがない。
そう言い聞かせながら、カーテンを下ろして眠りにつく決心をした。
ァ……… ………ィ…… …
「な、なんだよ!?」
枕元に置いておいた八卦炉を手に取り、辺りを見回す。
確実に何かの声が聞こえた……気がした。
八卦炉をぎゅっと握り締め、ゆっくりと窓辺に寄っていく。
家の外に誰かがいるような気配は無い、だが緊張を緩めずにカーテンを開ける。
両手を構え、窓の外に向き直る。
外には、いつもどおりの景色が広がっている。
「……だよ、な。 はぁ……何ださっきから」
窓を開いて身を乗り出した、するとすぐに犯人の目星がついた。
「ははぁ、あれか」
怪しげな鳥のようなものが空を翔けている。
それは原色に光る声のような、刺激の強い音のようなものを響かせていた。
奇怪な歌の歌い手はおそらくは夜雀であろう。
あの歌声が風の音に混じり、誰かの声に聞こえたに違いない。
胸のつかえと小さな恐怖心がなくなり、魔理沙はもう一度布団をかぶった。
…タシ… …コ……ル… …
「ま、また出たな妖怪!」
体をびくつかせて魔理沙は飛び起きる。
汗ばんだ手で八卦炉をしっかりと掴み、窓を開け放った。
両の手でそれを握り締め、深く息を吸い込んだ。
魔法の森の奥深く、草木も眠るが妖怪は眠らない丑三つ時。
一人の魔法使いが人形に釘を打ち付けていた。
彼女は強い念を持って発動させる新しい魔法の研究をしていたのだ。
「この魔法が完成すれば、私の夢に近づく。
それに……私だって一人でできるってところを見せないと」
健気な少女の自分を鼓舞する言の葉と、釘を打つ不気味な音は風に乗ってどこかへと響いていた。
そして少女の元へも、何かの音が響いてきた。
「あら、すごい音……雷はもういったはずだけど。 あっちの方向かしら」
恋符「マスタースパーク」
「ふぅ……これで妖怪もしばらくは悪さできまい。
いやあ、いいことをすると気持ちがいいな、さて寝よ寝よ」
冷や汗をだらだらと流しながら少女は布団にこもる。
もう何も出てこないように、何も聞こえないようにと祈りながら。
フ…ンチャ…ウフ…
「聞こえない、聞こえないぞ、私は寝るんだ」
さと……ゃん…わい………ふふ ……し…の ……が…なく……い……よ …ら……ちに……で(ry
「もう悪いことしません、本も返します、色々返します、だから勘弁してくれ……」
……すん …っ…… ご……ん
「お化けなんてないぜ、お化けなんて嘘だ、寝ぼけた霊夢が見間違えたんだぜ」
……ふ……うふ……うふふふ……
「アーアーキコエナーイ、チチチチtピチューン、アーアーアー」
…っくり…て……て…
「……うぐっ……聞こえない……聞こえるはずがないぃぃ……」
…んっ しん… …ちゃ…よ……
「うっ……うっ……」
…いが…要だ…… …ボォ…
「……ぐすっ…… ……ぅぇぇ……」
「……静かになったな……でも結局ほとんど徹夜か……
情けない……いや、これはきっと何か異変か何かだ、そうだ、そうに違いない!
霊夢だな……待ってろ霊夢! 今私が異変解決してやるぜ!!」
一晩泣き明かした少女は一つの結論に勝手に至り、箒にまたがり朝靄の中を飛び出した。
朝の空気は澄んでいて冷たく、まるでこの世のものとは思えない雰囲気を持っている。
特に朝日が昇りだす前の数分間、空が紫に滲む時間。
あちらとこちらの境界は限りなく薄くなり、限りなく近い場所に存在しているのかもしれない。
「霊夢! 起きろ、異変だ! きっとまたあの亡霊かスキマ妖怪が――」
「 アタシャココニイルヨ 」
その境界の向こう側を、こちら側にいた時と同じように認識できるかは定かではないが。
「きゃあああああああああああああ!!!!」
そう言えば昨晩は珍しく星の綺麗な夜だった。
アリスとばっちりw