「だから、もうはたらけません。しばらくおやすみをいただきます」
・U・――その身躯を紺に染めた兎が、屈託の無い(具体的にいうと口がU字の)笑みを顔に貼り付けたまま告げた。
彼女に対するは3つの人影。
八意永琳。
因幡てゐ。
蓬莱山輝夜、である。
そのうちのひとつ、てゐは首を傾げる。
「よく事態が飲み込めないから、もう一回いってくれない?」
その頼みに・U・は頷く。
「鈴仙・U・イナバはかいさんしました。だから、もうはたらけません。しばらくおやすみをいただきます」
それは、鈴仙が解散した、といっている。
今日は朝から鈴仙の姿を誰も見ていない。その代わりにこの紺色の兎がいた。
どこか鈴仙のことを思わせる兎。その鈴仙は今どこにいるのか。兎の存在は永遠亭の者の不安を煽った。
そして、皆うすうす感じていた。
――この兎が鈴仙の一部で、鈴仙は今何匹かの兎に解散、つまり分離してしまっているのではないか、と。
「一体、何匹に解散したのかしら?」
今度は輝夜が質問する。
「鈴仙、・U・、イナバのさんびきです。ちなみにわたしは・U・です、かぐやさま」
その言葉は予感を確信に変える。鈴仙は三匹の兎に分裂しているのだ、と。
理由は判らない。ただ、異常なのはわかる。
輝夜は質問を続ける。
「他の二匹はどこに行ったの?」
「鈴仙はきがついたらどこかへいってしまいました。イナバはおくないにいるとおもいますよ、かぐやさま。――わたしもそろそろおいとまさせていただきます」
それでは、というと・U・は背中を向けて跳んでいってしまった。
廊下の角に消える。その先は玄関に繋がっていおり、・U・は屋外に出て行ってしまったと思われた。
残る3つの影。
少しの間が過ぎて、八意永琳が重い口を開いた。
「……とりあえず、その三匹を探しましょう」
皆、顔を見合わせて頷く。なぜ鈴仙が分離したのか、探し出しても元の鈴仙に戻るのか、疑問は解決しないが、まずは鈴仙の三匹を探し出すことが先決だった。
永琳は続ける。
「手分けして探しましょう。私が一番目の鈴仙を担当します」
それに輝夜が続く。
「だったら私は三番目のイナバを」
そしててゐが。
「じゃあ、私が二番目の……ふふうぅんを……」
尻すぼみにいった。
「ふふうぅん、じゃないわ、てゐ。あの兎の名前は・U・っていってたでしょう」
「発音できないわよ!」
ヒステリック気味にてゐは叫ぶ。それを見て輝夜は首を捻る。
「あれ、発音出来ないの? ・U・、って。ねぇ、永琳?」
「・U・、ほら出来るわ」
「・U・、ねえ」
「・U・」
「・U・」
「ふふうぅん」
「・U・」
「・U・」
「みんな寄って集って宇宙人!」
そして、彼女たちは散会する。
鈴仙・U・イナバ、その分裂した三匹の兎達を探し出すために。
□
輝夜は永遠亭の廊下を歩いていた。彼女が探すのは、屋内にいるらしい三番目のイナバである。
「イナバー、イナバー?」
輝夜の呼ぶ声に反応してわらわら集まる白兎たち。
「いやいや貴方達を呼んだわけじゃ……あー」
輝夜は気付く。
彼女が永遠亭の兎達も、今探している兎も、呼び名が同じことに。
――選択、間違えたかしら?
イナバと聞いて、一番平凡そうな兎だと思った。その兎が屋内に逃げたと聞く。他の兎達に紛れようが、さっきの・U・みたいに毛色が違えば簡単に見つけられると思ったのだけれど――。
「もしかして、そのイナバは毛色が白なのかしら」
他の兎達と同じように。
だったらどうやって見分けるのだろうか。
考える。
私が探しているのは、イナバではなく――鈴仙・優曇華院・イナバなのだから、その違いを考える。
そして、問う。
「――貴方は地上の兎に紛れたいのかしら?」
彼女はそうだっただろうか。普段の行動を思い返すが、そうでなかったとも思うし、そうだったとも思う。
しかし今、彼女は地上の兎に紛れている。彼女がそうありたいと願っている部分がイナバを動かしているのだ。
イナバは誰かに紛れて姿を消したいのだろう。
でも。
「貴方は地上の兎になれないわ。――罪を背負いて生きる月の兎」
その点では私と同じなのだろうか。いや、違う。
彼女はここにいない。私はここにいるというのに。
彼女は今、地上の兎達と共にいて、しかし共にいることを拒んでいる。
「貴方は、逃げ出した罪、仲間を見捨てた罪に苛まれ、新しく仲間を持つことを躊躇っているんじゃないのかしら」
自分達から身を一歩引いた場所に置いている。それは普段から彼女に感じていたものだ。
「イナバ――鈴仙・優曇華院・イナバ」
私は見つける。
私に集まっているイナバ達から、一歩引いた場所にいる白い兎を。
「――いつまで逃げているつもりかしら?」
彼女はびくりと身体を動かした。
□
てゐは竹林を彷徨っていた。外に逃げ出したと思われる・U・を探すためだ。
彼女は口に手を添え、
「ふふうぅん……」
名前が発音できないでいた。
――まったく、面倒なことになった。
今探している兎は他の兎達と色が違う。紺色だ。だから兎達に、紺色の兎を探させている。
が、あまり期待はしていない。やはり自分の手で探し出さねば見つけられない気がした。
……そもそも気が進まなかったが、それでも彼女を見つけ出さねばいけない。
鈴仙・U・イナバがいなくても永遠亭は上手く回るだろう。上手く回らないこともあるだろう。
だがその、鈴仙・U・イナバなしの永遠亭を彼女が見たとき、彼女はどのように感じるだろうか。
おそらくは――。
「自分を責めてしまうんだろうねぇ」
鈴仙はそういうものだ。
彼女ひとり欠けたところで世界が回っていることに、自分を不要に思ってしまうだろう。
彼女ひとり欠けて世界の歯車が乱れていることに、申し訳なく思ってしまうのだろう。
「なんて面倒な性格。なんて要領の悪い思考」
私は、そう思うでしょう、と声をかける。
その先に動きが生まれた。
そして、草の陰から紺色の兎――ふふうぅんが姿を現した。その笑みを顔に貼り付けたまま。
「……よくわかりましたね、てゐ」
「舐めないでくれる……ふふうぅん。鈴仙の三分の一しかないくせに」
挑発に、ふふうぅんは震えた。
「わたしはふふうぅんではない――」
私達は対峙する。
「……・U・だっ!」
発音できないもんは仕方ないだろう。
「ついてきなさい、てゐ! そしてわたしをつかまえてみなさい!」
彼女は大きく跳躍する。その姿が空中で突然掻き消えた。
……波長をずらしたか。
だが――草を踏む音が聞こえる。風を切る音が聞こえる。見えないのは姿だけだ。
甘い。三分の一鈴仙は甘すぎる。
私は足を折り、そして、跳ねる。
「――そんな程度?」
音を追う。
跳ぶ。
新たに生まれる音。それを追う音。その音の連続が竹林に響く。
瞬発力に土が抉れる。
音は止まない。
ただ、音はジグザグに流れていた。私は姿が見えない以上、急な方向転換に対応できない。身体は制動に多くの時間を要する。まるで振り回されている感覚だ。
――それが三分の一鈴仙の勝機か。
喉から、く、という音が漏れる。
「――なにがおかしいのです」
「おかしい、そりゃあおかしいさ。……あんたは逃げ切れない」
「つかまえることもできませんよ」
そんなこと、ふん、と鼻で笑う。だが、ふふうぅんも余裕の笑みだ。
「……てゐ、あなたにいいことをおしえてあげましょう」
「最後語り?」
「鈴仙・U・イナバのかいさんをのぞんだのは、鈴仙・U・イナバそのひとです」
こんな面倒なことを、鈴仙自らが望んだという。
しかし、だからこそ現実味があった。鈴仙は面倒な性格だが、彼女の行動も面倒なのである。
林立する竹の間を縫いながら、言葉は続く。
「はちょうをみっつにぶんだんしてうまれたうさぎたち。鈴仙、・U・、イナバ。――イナバはしゅうだんにまぎれることをのぞみました。わたし、・U・はじゆうであることをのぞみました」
その彼女を、私は追っている。自由にさせないために。
「では、鈴仙はなにをのぞんだとおもいますか?」
「知らないね」
「――だったらおしえましょう」
その時、彼女の足音が消えた。私も足を止める。
「鈴仙は――かえることをのぞんでいます」
どこに、とは問わない。その言葉の続きを直感していた。
「鈴仙はつきにかえることをのぞんでいるのです」
耳を澄ますが、動きの音は聞こえない。おそらく彼女は立ち止まっているのだろう。
「そして鈴仙がいちばんきょうこないしをもっています。鈴仙にくらべれば、われわれなどようどうにすぎません。なぜならわれわれぜんいんののぞみは、つきにかえることによってすべてかいけつします。それのいみするところがわかりますか、てゐ」
声だけが聞こえる。しんと静寂を保った世界は、彼女を声だけの存在にする。
声だけが、響く。
「――月に帰ることが鈴仙・U・イナバの望みです」
紺の兎はいった。
彼女は姿を現し、こちらをじっと見詰めている。
「それでもわたしをとめますか、てゐ」
顔には笑みが張り付いたままだ。まるで私のことをせせら笑っているかのような笑みだ。
彼女の問いは、鈴仙・U・イナバの問いだろう。なぜならふふうぅんもまた鈴仙・U・イナバの内なのだから。
だから、私の答えは鈴仙・U・イナバに対するものだ。
「――止めないと、鈴仙は困るでしょうに。この嘘吐き兎」
「なにをいっているのですか」
紺の兎は本当に判らない風だ。しかし薄々判っているはず。それが本心のはず。
まだその本心を隠し通すというのなら、私が教えてやろう。
「鈴仙・U・イナバは臆病者。自分のためにならない嘘ばかり吐く、馬鹿な兎さ」
ふん、と鼻を鳴らす。
「イナバは嘘。彼女は自分を認めてほしくて仕方がない子。
お前は嘘。誰かの元でなければ生きていけない寂しがり屋。
鈴仙は嘘。月に帰ることを止めて欲しい困ったちゃん。
鈴仙・U・イナバは嘘。止められないと帰ってしまう意地っ張り。――だから止める」
「われわれをばかにするのか……!」
「馬鹿はどっちだ、この馬鹿」
私は腕を組み、彼女を見下ろす。
「だったら――付き合ってあげるから、逃げてみなよ。捕まらない自信があるんでしょう?」
「ああ、にげますとも。あなたはずっとわたしにふりまわされるのです。こけにされるきぶんはどうですか……!」
笑って、彼女は姿を消す。次に草が揺れる。
彼女は行ってしまった。
私は腕を組み、その場に立ち尽くしているだけだ。
――しばらくすると、紺の兎の悲鳴が聞こえてきた。
その方向を見る。彼女は縄にかかり、宙にぶら下がっていた。
「ひぎぃ! わながあるとは、うんがよかったですね……!」
「確かに私は幸運の素兎だけど、運が良かったわけじゃない。残念だけど、ここは罠に囲まれた行き止まり」
私は言い放つ。
「あんたが振り回してたんじゃなくて、私が追い掛け回してたのさ」
□
永遠亭の縁側。永琳は重い腰を上げる。それから、そっと地面を蹴る。
彼女の身体は宙に浮き、屋根を越える高さまで上昇する。
そして、彼女は見る。夜空を照らそうと昇り始めている満月の姿を。
屋根の上に佇み、満月を眺めている淡い紫色の兎――鈴仙の姿を。
「見つけたわよ」
呼びかけられ、鈴仙は永琳を見る。その眼は泣き腫らしたような赤。
「師匠……」
永琳は、鈴仙の隣に立つ。同じように満月を見詰める。その眼はもう鈴仙を見ていない。
「――月に帰る決心は付いたかしら?」
「……止めてくれないのですか?」
「それが本心のようね」
そうですね、と鈴仙は静かに答える。
「素直ね。それじゃあ今回は、自分の居場所を見失ったって所かしら?」
「そうなるんでしょうね」
永琳と鈴仙は満月を眺めていた。
それは彼女達がかつて居た場所。ここよりもずっと遠い場所だ。
「鈴仙、貴方はここに居ることを誰かに強いられているの?」
「いいえ、違います」
「そう。じゃあ、これが最後の問い――」
永琳は鈴仙を見ていない。
「――貴方は、自分がここに居てもいいのかと問いたいの?」
それは今回の騒動に関してだ。
この永遠亭に自分の居場所を見失った鈴仙は、それをもう一度見つけるために自分を消失させた。自分が居た世界と自分の居なくなった世界を比べて、自分の居場所を見つけ出そうとした。
それは己に自信が持てていないのだろう、と永琳は思う。
居場所を見失った彼女の疑問。
――自分がここに居てもいいのか?
何故そのようなことを問うのか。ここに居てはならない理由があるのか。自分が受け入れられるのか心配なのだろうか。
きっと彼女はそうなのだろう。
自分は裏切り者だと、一歩引いている。
臆病者。自分のためにならない嘘ばかり吐く。
「そんな貴方はここに居て、心はいつまでもここに居ない。だから聞いておきたいの、貴方の気持ちを」
それは。
「――貴方はここに居たくないのかしら?」
「私は……」
鈴仙は叫ぶ。
「私は……!」
鈴仙は――その、人の姿をした兎は、叫ぶ。
「私はここに居たいです……!」
永琳は微笑む。
「貴方を認めましょう。ようこそ、そしてお帰りなさい――鈴仙・優曇華院・イナバ」
□
それから、鈴仙・U・イナバは元に戻り、永遠亭はまるで一連の騒動がなかったかのように回る。
それを鈴仙は寂しく思うことはなかった。
彼女は今まで通り一歩引いた場所に居るのではなく、兎達の先頭に立とうとしているほど能動的に生活している。
それが実現するかどうか、兎達が彼女のいうことを聞くかは別だが。
けれど、彼女は笑顔だった。
・U・――その身躯を紺に染めた兎が、屈託の無い(具体的にいうと口がU字の)笑みを顔に貼り付けたまま告げた。
彼女に対するは3つの人影。
八意永琳。
因幡てゐ。
蓬莱山輝夜、である。
そのうちのひとつ、てゐは首を傾げる。
「よく事態が飲み込めないから、もう一回いってくれない?」
その頼みに・U・は頷く。
「鈴仙・U・イナバはかいさんしました。だから、もうはたらけません。しばらくおやすみをいただきます」
それは、鈴仙が解散した、といっている。
今日は朝から鈴仙の姿を誰も見ていない。その代わりにこの紺色の兎がいた。
どこか鈴仙のことを思わせる兎。その鈴仙は今どこにいるのか。兎の存在は永遠亭の者の不安を煽った。
そして、皆うすうす感じていた。
――この兎が鈴仙の一部で、鈴仙は今何匹かの兎に解散、つまり分離してしまっているのではないか、と。
「一体、何匹に解散したのかしら?」
今度は輝夜が質問する。
「鈴仙、・U・、イナバのさんびきです。ちなみにわたしは・U・です、かぐやさま」
その言葉は予感を確信に変える。鈴仙は三匹の兎に分裂しているのだ、と。
理由は判らない。ただ、異常なのはわかる。
輝夜は質問を続ける。
「他の二匹はどこに行ったの?」
「鈴仙はきがついたらどこかへいってしまいました。イナバはおくないにいるとおもいますよ、かぐやさま。――わたしもそろそろおいとまさせていただきます」
それでは、というと・U・は背中を向けて跳んでいってしまった。
廊下の角に消える。その先は玄関に繋がっていおり、・U・は屋外に出て行ってしまったと思われた。
残る3つの影。
少しの間が過ぎて、八意永琳が重い口を開いた。
「……とりあえず、その三匹を探しましょう」
皆、顔を見合わせて頷く。なぜ鈴仙が分離したのか、探し出しても元の鈴仙に戻るのか、疑問は解決しないが、まずは鈴仙の三匹を探し出すことが先決だった。
永琳は続ける。
「手分けして探しましょう。私が一番目の鈴仙を担当します」
それに輝夜が続く。
「だったら私は三番目のイナバを」
そしててゐが。
「じゃあ、私が二番目の……ふふうぅんを……」
尻すぼみにいった。
「ふふうぅん、じゃないわ、てゐ。あの兎の名前は・U・っていってたでしょう」
「発音できないわよ!」
ヒステリック気味にてゐは叫ぶ。それを見て輝夜は首を捻る。
「あれ、発音出来ないの? ・U・、って。ねぇ、永琳?」
「・U・、ほら出来るわ」
「・U・、ねえ」
「・U・」
「・U・」
「ふふうぅん」
「・U・」
「・U・」
「みんな寄って集って宇宙人!」
そして、彼女たちは散会する。
鈴仙・U・イナバ、その分裂した三匹の兎達を探し出すために。
□
輝夜は永遠亭の廊下を歩いていた。彼女が探すのは、屋内にいるらしい三番目のイナバである。
「イナバー、イナバー?」
輝夜の呼ぶ声に反応してわらわら集まる白兎たち。
「いやいや貴方達を呼んだわけじゃ……あー」
輝夜は気付く。
彼女が永遠亭の兎達も、今探している兎も、呼び名が同じことに。
――選択、間違えたかしら?
イナバと聞いて、一番平凡そうな兎だと思った。その兎が屋内に逃げたと聞く。他の兎達に紛れようが、さっきの・U・みたいに毛色が違えば簡単に見つけられると思ったのだけれど――。
「もしかして、そのイナバは毛色が白なのかしら」
他の兎達と同じように。
だったらどうやって見分けるのだろうか。
考える。
私が探しているのは、イナバではなく――鈴仙・優曇華院・イナバなのだから、その違いを考える。
そして、問う。
「――貴方は地上の兎に紛れたいのかしら?」
彼女はそうだっただろうか。普段の行動を思い返すが、そうでなかったとも思うし、そうだったとも思う。
しかし今、彼女は地上の兎に紛れている。彼女がそうありたいと願っている部分がイナバを動かしているのだ。
イナバは誰かに紛れて姿を消したいのだろう。
でも。
「貴方は地上の兎になれないわ。――罪を背負いて生きる月の兎」
その点では私と同じなのだろうか。いや、違う。
彼女はここにいない。私はここにいるというのに。
彼女は今、地上の兎達と共にいて、しかし共にいることを拒んでいる。
「貴方は、逃げ出した罪、仲間を見捨てた罪に苛まれ、新しく仲間を持つことを躊躇っているんじゃないのかしら」
自分達から身を一歩引いた場所に置いている。それは普段から彼女に感じていたものだ。
「イナバ――鈴仙・優曇華院・イナバ」
私は見つける。
私に集まっているイナバ達から、一歩引いた場所にいる白い兎を。
「――いつまで逃げているつもりかしら?」
彼女はびくりと身体を動かした。
□
てゐは竹林を彷徨っていた。外に逃げ出したと思われる・U・を探すためだ。
彼女は口に手を添え、
「ふふうぅん……」
名前が発音できないでいた。
――まったく、面倒なことになった。
今探している兎は他の兎達と色が違う。紺色だ。だから兎達に、紺色の兎を探させている。
が、あまり期待はしていない。やはり自分の手で探し出さねば見つけられない気がした。
……そもそも気が進まなかったが、それでも彼女を見つけ出さねばいけない。
鈴仙・U・イナバがいなくても永遠亭は上手く回るだろう。上手く回らないこともあるだろう。
だがその、鈴仙・U・イナバなしの永遠亭を彼女が見たとき、彼女はどのように感じるだろうか。
おそらくは――。
「自分を責めてしまうんだろうねぇ」
鈴仙はそういうものだ。
彼女ひとり欠けたところで世界が回っていることに、自分を不要に思ってしまうだろう。
彼女ひとり欠けて世界の歯車が乱れていることに、申し訳なく思ってしまうのだろう。
「なんて面倒な性格。なんて要領の悪い思考」
私は、そう思うでしょう、と声をかける。
その先に動きが生まれた。
そして、草の陰から紺色の兎――ふふうぅんが姿を現した。その笑みを顔に貼り付けたまま。
「……よくわかりましたね、てゐ」
「舐めないでくれる……ふふうぅん。鈴仙の三分の一しかないくせに」
挑発に、ふふうぅんは震えた。
「わたしはふふうぅんではない――」
私達は対峙する。
「……・U・だっ!」
発音できないもんは仕方ないだろう。
「ついてきなさい、てゐ! そしてわたしをつかまえてみなさい!」
彼女は大きく跳躍する。その姿が空中で突然掻き消えた。
……波長をずらしたか。
だが――草を踏む音が聞こえる。風を切る音が聞こえる。見えないのは姿だけだ。
甘い。三分の一鈴仙は甘すぎる。
私は足を折り、そして、跳ねる。
「――そんな程度?」
音を追う。
跳ぶ。
新たに生まれる音。それを追う音。その音の連続が竹林に響く。
瞬発力に土が抉れる。
音は止まない。
ただ、音はジグザグに流れていた。私は姿が見えない以上、急な方向転換に対応できない。身体は制動に多くの時間を要する。まるで振り回されている感覚だ。
――それが三分の一鈴仙の勝機か。
喉から、く、という音が漏れる。
「――なにがおかしいのです」
「おかしい、そりゃあおかしいさ。……あんたは逃げ切れない」
「つかまえることもできませんよ」
そんなこと、ふん、と鼻で笑う。だが、ふふうぅんも余裕の笑みだ。
「……てゐ、あなたにいいことをおしえてあげましょう」
「最後語り?」
「鈴仙・U・イナバのかいさんをのぞんだのは、鈴仙・U・イナバそのひとです」
こんな面倒なことを、鈴仙自らが望んだという。
しかし、だからこそ現実味があった。鈴仙は面倒な性格だが、彼女の行動も面倒なのである。
林立する竹の間を縫いながら、言葉は続く。
「はちょうをみっつにぶんだんしてうまれたうさぎたち。鈴仙、・U・、イナバ。――イナバはしゅうだんにまぎれることをのぞみました。わたし、・U・はじゆうであることをのぞみました」
その彼女を、私は追っている。自由にさせないために。
「では、鈴仙はなにをのぞんだとおもいますか?」
「知らないね」
「――だったらおしえましょう」
その時、彼女の足音が消えた。私も足を止める。
「鈴仙は――かえることをのぞんでいます」
どこに、とは問わない。その言葉の続きを直感していた。
「鈴仙はつきにかえることをのぞんでいるのです」
耳を澄ますが、動きの音は聞こえない。おそらく彼女は立ち止まっているのだろう。
「そして鈴仙がいちばんきょうこないしをもっています。鈴仙にくらべれば、われわれなどようどうにすぎません。なぜならわれわれぜんいんののぞみは、つきにかえることによってすべてかいけつします。それのいみするところがわかりますか、てゐ」
声だけが聞こえる。しんと静寂を保った世界は、彼女を声だけの存在にする。
声だけが、響く。
「――月に帰ることが鈴仙・U・イナバの望みです」
紺の兎はいった。
彼女は姿を現し、こちらをじっと見詰めている。
「それでもわたしをとめますか、てゐ」
顔には笑みが張り付いたままだ。まるで私のことをせせら笑っているかのような笑みだ。
彼女の問いは、鈴仙・U・イナバの問いだろう。なぜならふふうぅんもまた鈴仙・U・イナバの内なのだから。
だから、私の答えは鈴仙・U・イナバに対するものだ。
「――止めないと、鈴仙は困るでしょうに。この嘘吐き兎」
「なにをいっているのですか」
紺の兎は本当に判らない風だ。しかし薄々判っているはず。それが本心のはず。
まだその本心を隠し通すというのなら、私が教えてやろう。
「鈴仙・U・イナバは臆病者。自分のためにならない嘘ばかり吐く、馬鹿な兎さ」
ふん、と鼻を鳴らす。
「イナバは嘘。彼女は自分を認めてほしくて仕方がない子。
お前は嘘。誰かの元でなければ生きていけない寂しがり屋。
鈴仙は嘘。月に帰ることを止めて欲しい困ったちゃん。
鈴仙・U・イナバは嘘。止められないと帰ってしまう意地っ張り。――だから止める」
「われわれをばかにするのか……!」
「馬鹿はどっちだ、この馬鹿」
私は腕を組み、彼女を見下ろす。
「だったら――付き合ってあげるから、逃げてみなよ。捕まらない自信があるんでしょう?」
「ああ、にげますとも。あなたはずっとわたしにふりまわされるのです。こけにされるきぶんはどうですか……!」
笑って、彼女は姿を消す。次に草が揺れる。
彼女は行ってしまった。
私は腕を組み、その場に立ち尽くしているだけだ。
――しばらくすると、紺の兎の悲鳴が聞こえてきた。
その方向を見る。彼女は縄にかかり、宙にぶら下がっていた。
「ひぎぃ! わながあるとは、うんがよかったですね……!」
「確かに私は幸運の素兎だけど、運が良かったわけじゃない。残念だけど、ここは罠に囲まれた行き止まり」
私は言い放つ。
「あんたが振り回してたんじゃなくて、私が追い掛け回してたのさ」
□
永遠亭の縁側。永琳は重い腰を上げる。それから、そっと地面を蹴る。
彼女の身体は宙に浮き、屋根を越える高さまで上昇する。
そして、彼女は見る。夜空を照らそうと昇り始めている満月の姿を。
屋根の上に佇み、満月を眺めている淡い紫色の兎――鈴仙の姿を。
「見つけたわよ」
呼びかけられ、鈴仙は永琳を見る。その眼は泣き腫らしたような赤。
「師匠……」
永琳は、鈴仙の隣に立つ。同じように満月を見詰める。その眼はもう鈴仙を見ていない。
「――月に帰る決心は付いたかしら?」
「……止めてくれないのですか?」
「それが本心のようね」
そうですね、と鈴仙は静かに答える。
「素直ね。それじゃあ今回は、自分の居場所を見失ったって所かしら?」
「そうなるんでしょうね」
永琳と鈴仙は満月を眺めていた。
それは彼女達がかつて居た場所。ここよりもずっと遠い場所だ。
「鈴仙、貴方はここに居ることを誰かに強いられているの?」
「いいえ、違います」
「そう。じゃあ、これが最後の問い――」
永琳は鈴仙を見ていない。
「――貴方は、自分がここに居てもいいのかと問いたいの?」
それは今回の騒動に関してだ。
この永遠亭に自分の居場所を見失った鈴仙は、それをもう一度見つけるために自分を消失させた。自分が居た世界と自分の居なくなった世界を比べて、自分の居場所を見つけ出そうとした。
それは己に自信が持てていないのだろう、と永琳は思う。
居場所を見失った彼女の疑問。
――自分がここに居てもいいのか?
何故そのようなことを問うのか。ここに居てはならない理由があるのか。自分が受け入れられるのか心配なのだろうか。
きっと彼女はそうなのだろう。
自分は裏切り者だと、一歩引いている。
臆病者。自分のためにならない嘘ばかり吐く。
「そんな貴方はここに居て、心はいつまでもここに居ない。だから聞いておきたいの、貴方の気持ちを」
それは。
「――貴方はここに居たくないのかしら?」
「私は……」
鈴仙は叫ぶ。
「私は……!」
鈴仙は――その、人の姿をした兎は、叫ぶ。
「私はここに居たいです……!」
永琳は微笑む。
「貴方を認めましょう。ようこそ、そしてお帰りなさい――鈴仙・優曇華院・イナバ」
□
それから、鈴仙・U・イナバは元に戻り、永遠亭はまるで一連の騒動がなかったかのように回る。
それを鈴仙は寂しく思うことはなかった。
彼女は今まで通り一歩引いた場所に居るのではなく、兎達の先頭に立とうとしているほど能動的に生活している。
それが実現するかどうか、兎達が彼女のいうことを聞くかは別だが。
けれど、彼女は笑顔だった。
ふふうぅん、ふふうぅん・・・やはり発音出来ぬかwww
しかしいい話だったw
貫禄があるね
面白かったけど顔文字がwww
しっかしてゐ貫禄あるなぁ
わかりやすくて、ストレートにくるね
何でいい話になってるんだ……
おもしろかったです
ふふうぅんで台無しだ……しかしシリアスだ
すごくおもしろかったです。
でもふふうぅんはやめてw
てゐカッコいいよてゐ。
もっと早く知りたかった。
いかし・U・って何て読むんだ……