私と母の関係は一口で説明できないような複雑な関係だ。
そのことに気付いたのも、つい最近のことだ。私にしてみればそれほど意識するようなことでもなかったし、一般の母娘の関係と大きな違いはないように感じている。多くの者が魔界神と呼ぼうと、母は母である。母との関係を引け目に感じたことはないし、むしろ誇りのように感じている。
それでも、私と母の関係を説明するのは難しい。
簡単に言えば、母の日に軽いジャブのつもりで白のカーネーションを送ったときはマジ泣きされた。そのような関係だ。
かつてのことを思い出す。年々色褪せていくことが、わずかに哀しい思い出たちを。
私は回想する。不確かながら、楽しかったと確かにいえるような思い出を。
□
爽やかな朝。
私はお母さんの家で過ごしていた。
食卓に付くと少し疲れた風だが満面の笑みを浮かべているお母さん――魔界神、神綺の姿がある。聞けば、しばらくかかりきりだった小説の原稿が書きあがったらしい。その原稿、魔界黎明期に焦点を置いた時代小説「風と共にサリエル」は私も興味があったのだが、校正作業が済んでいない原稿は魔法書染みており私にはとても解読できない代物だと知っていたのでせがむことはなかった。それにまだ小さい私には内容が難しかった。
小説の主人公のモデルとなったサリエルは、私の師だ。魔界神のお母さんとタメを張れる彼女は「死の天使」と呼ばれ、私も肖って「死の少女」という字名を持っていた。そのことを誇りに思っていたが、幻想郷に来てから魔理沙に話すと苦い顔をされたのでそれからはなるべくいわないようにしている。
誰しも忘れたい過去を持っている、と遠くを見詰めながらの魔理沙の言は心に染みた。
そんなサリエルも朝食の席にいた。昨日の夜に、「風と共にサリエル」を物理的に出版差し止めに来たついでにそのまま泊まっていったからである。珍しいことじゃなかったし、サリエルに親しみを覚えていた私は迷惑に感じるようなことはなかった。
朝食を作っているのはメイドの夢子である。魔界神専属のメイドで、その能力は魔界一といわれている。魔界統一メイド大会ナイフ投げ部門では常に一位を獲得している。身体能力も常軌を逸している。それに加えて魔法による加速を得た動きは視認することすら難しい。人差し指一本で木材に穴を開けるのを見た日から、彼女に触れられると背筋が凍るような思いをしている。
そんな三人と私は朝食を共にする。
夢子の作る今日の朝食は、和食だ。机の上に並べられた膳の彩りは鮮やか。黒と朱の器を満たしている味噌汁からは良い臭いが漂っている。
それを一口含み、「辛い」といったのはサリエルだ。
「塩を入れすぎ。何これ、殺す気? よくこれで神綺のメイドをやってられるね」
瞬間、私の向かいに座っていたサリエルが、横に飛んだ。頭があった位置には、夢子のしなやかな脚が横たわっている。指一本で木材に穴を開ける夢子の蹴りだ。鉄を穿つことなど容易いだろう。
その蹴りが空振りに終わったことは、夢子の舌打ちから判った。サリエルは己から横に飛び、蹴りを回避したのだ。
それから夢子の姿が消えるのと、ガラスの割れる音が聞こえたのは同時。サリエルと夢子の乱闘は窓を突き破り、屋外に移動したのだろう。
いつものことだ、と私は思う。
お母さんは、あはは、と笑った。きっと私と同じように感じているのだろう、と思った。
味噌汁を一口飲む。口に出して指摘しなければいけないほど塩辛いのだろうか、私には判らなかった。
――サリエルと夢子は仲が悪い。サリエルが何かにつけて文句をいえば、夢子との戦闘が開始する。街の広場を癒す噴水、その中心に立っている石像が身体に七つの傷を持っているのもそれが原因らしい。筋骨隆々の男が胴に七つの穴を開けているので、初めてその石像を見たときは歴戦の勇者のように思われた。なんとなく物騒なので別の石像を建てる案が出たこともあるらしい。それこそ今度は癒しの象徴になるように、女性か子供の像にしよう、などといわれていたが、それらをまた歴戦の勇者に仕立て上げられては困るのでそのまま放置されたのだとか。
サリエルと夢子は仲が悪い。サリエルが口癖のように「夢見る夢子ちゃん」となじっては、夢子の神経を逆撫でする。
嫁と姑のような関係――私は本で得た知識から最も近いものを彼女らに当てはめた。
お母さんは白菜の浅漬けや白いご飯を口に入れ、笑みを浮かべた。お母さんはいつもニコニコしている。
「日本人の朝はやっぱりご飯と味噌汁ね」
お母さんはいつもこのようにいう。
一度、「日本人って何?」と問うたことがある。そのときお母さんは。
「和がわかる人のことよ」
といった。後にサリエルにも尋ねたがまったく別の返答を貰った。
どちらの意見が正しいのか。サリエルは、
「きっとどちらも正しいよ」
と苦笑。
私は、正しさは一つではないことを学んだ。
お母さんから学ぶことは、そんな抽象的なことばかりだったと思う。一方サリエルからは、将来アリスがなりたいものになれるように、と具体的な知識を教えてもらった。だから私はサリエルを師と仰いでいた。
そんな日々に私は幸せを感じていた。私は幸せな家庭の下にいた。
□
朝食を終えた私は街へ繰り出す。
Romantic と書かれた看板を通り過ぎる。それから少し歩くと Children! とテンションの上がった看板があり、その向こうが目的地だ。ちなみに看板を立てたのは誰でもないお母さんらしい。この頃には、お母さんは変わり者なのだという自覚があったので、特別な感情を抱くこともなくなっていた。
赤レンガの敷き詰められた道の途中、ひとりの女性の姿を見つけた。
ルイズである。
「おはよ、アリス」
弓なりの目が私に微笑んでくれる。
「ん、おはよう、ルイズ」
私は微笑み返した。これもいつものことである。
そして、いつもルイズの背には手押し車が停まっている。
ルイズは載っている箱の中からアイスキャンディーを一本取り出し、私の方に向けた。お腹の弱い私はアイスキャンディーをあまり食べないように制限されていた。そのことがより一層、アイスキャンディーがとても貴重なものに思わせていた。
私は礼をいってそれを受け取る。彼女は笑みを深くする。
舐める。
冷たい。舌がひりひりするほどに。
お母さんに秘密で食べるアイスキャンディーはとても美味しかった。
「……アリス、神綺様の調子はどう?」
ルイズが尋ねる。きっと原稿の話をしているのだろう。
「サリエル様が飛んでったけど、まさか原稿を燃やされたりしてないよね」
私は首を横に振る。すると彼女は安心したように嘆息した。ルイズもお母さんの本のファンらしかった。
それから私は原稿はすでに出来上がったことを話した。これから友達の家に遊びに行くことも話した。
「それじゃあ、紙芝居は見に来れないんだね」
ルイズは残念そうにいった。彼女は広場で紙芝居を子供達に見せていた。そのついでにアイスキャンディーを売っているのだ。世間的にはぷう太郎と呼ばれていた。
私はルイズの紙芝居を楽しみにしていたが、友達の家に遊びに行くことが優先事項だった。
ルイズに別れを告げると、目的地へ急いだ。
□
その友達というのが、双子のユキとマイのことだ。黒いほうがユキで白いほうがマイだ。
私は専ら彼女らふたりと遊んでいた。あまり快活でなかった私が幼なじみといえる友人といえば彼女らに限られる。
「今日は何して遊ぶ?」
ユキが楽しそうに問う。だがそれも形だけの問いだ。
この頃、私たちには決まってする遊びがあった。
「……沈黙遊びっ」
マイが嬉しそうに答える。
当時、私たち三人の間では「沈黙遊び」という遊びが流行っていた。名前の通り、一言も喋ってはいけない、声を出しては負けとなる遊びだ。相手に声を出させるために、様々なことをしてもいい。ただし平和的なことに限られるという暗黙の了解があったのだが。制限時間内に誰も声を出さなければ仕切りなおしだ。
私は頷く。「沈黙遊び」をすることは判っていた。そしてそれを、楽しみに思っていた。
タイマーとして目覚まし時計をセットする。
「用意……スタートっ!」
勢いのある合図とは裏腹に私たちは押し黙る、というのは今にして思えば滑稽だった。
そして、この遊びそのものも滑稽としかいいようがなかった。
三人でやるこの遊びはほとんどの場合、ふたりが手を組む形になる。マイがうまく立ち回るため大抵不利を強いられるのは私かユキだ。今回はマイが私の手を後ろに取ったので、私が集中攻撃を受けることになるのだった。
その攻撃の内容だが、もちろん相手に声を出させようとするものだ。初期のころは相手をくすぐっていた。しかしすぐに耐性がついたり、防御術を身につけて勝負にならなくなった。
――では、今はどのような攻撃手段をもって相手に声を出させるのか。
ユキは、身動きの取れない私の、ブラウスのボタンに手を掛けた。そしてそれを外し始めた。
私の、白い肌が露になる。
ユキの手が、恐る恐るといったように、まだ膨らみのない胸に触れる。こねるように撫でまわす。
くすぐったくて、私は身をよじる。声を出さないように堪えることで精一杯だった。無骨な胴の上に、ピンクの二点が私の意思に反して自己主張し始めて、少し恥ずかしく感じられた。
「……っ……」
吐息が漏れる。
ユキとマイの息も荒い。お互いの息遣いだけが耳に響いた。妙に湿っぽく感じられた。
それから、背中のマイがサスペンダーに手を掛け、ずらす。ユキがスカートのボタンを外し、ずり下ろす。
私の、水玉模様のコットンパンツが披露された。
緊張から、私は息を呑んだ。
――繰り返すが、この「沈黙遊び」は三人の中で当時流行していたものだ。それは、少なくともこの遊びをすることを仲の良い三人が了承し、少なくとも私にとってはルイズの紙芝居よりも楽しみだったのだ。
下着を見られたことで、もう慣れたつもりでも、自分の顔が上気しているのが判った。もう抵抗することもない。目の端に涙を溜めながら、次の展開を待つだけだ。鼓動は高鳴り、期待高まる心が瞼を強く閉じさせる。
ユキの細い指が、下着のクロッチ部分に触れる。それから、そそ、と上へなぞる。私は堪らなくなって、背筋を振るわせた。
マイは私がもう抵抗しないと判って、掴んでいた腕を開放した。はだけたブラウスをすくう様に腕を回し、私の胸をこねる。それから、突然、もうすっかり硬くなっているピンク色の小さな突起を指で強く摘むのだ。
私は思わず仰け反ってしまった。背筋を駆け上がる電撃を抑え込もうと必死に歯を噛み縛る。呼吸が不規則になるのは存外辛く、呻き声を泣き言のように吐いてしまえばどれだけ楽だろうか、と思った。ただそれも一瞬頭をよぎっただけで、まだこの感覚を味わいたいという気持ちの方がずっと強かった。
波をひとつ乗り越えて、ふっと全身から力が抜けた。背をマイに任せ、明後日の方向をぼんやりと見つめる。なるようになればよかった。「沈黙遊び」がやってはいけないだろうことはうすうすとわかっていた。だからこそ「沈黙遊び」は私たち三人の仲で流行った。「沈黙遊び」は禁断の果実に手を触れるような感覚で、私たちをくらくらに酔わせた。その点ではアイスキャンディーと同じだと、今では思う。ちっぽけな禁忌を犯す行為が、子供心を喜びに打ち震わせていたのだ。
マイが私の首筋に口付けをする。舌を這わせる。湿った息を吐く。私は堪える。太腿にかく汗がユキにバレないかが気になった。
ユキの手が、コットンパンツにかかる。それを剥ぎ取ってしまえば、私は恥部を晒すことになる。そう考えるだけで、私は興奮した。パンツを剥ぎ取られてからが本番だ。優しいユキが、それを躊躇する時間が、私にはじれったくて仕方がなかった。
ふと視線を感じたような私は窓に目を遣った。
窓ガラスには、リボンを付けた一匹のコウモリが張り付いていた。
私は、悲鳴を上げた。
□
「沈黙遊び」は終わりを告げた。私はそそくさと着衣の乱れを直す。何事もなかったように、済ました顔で。
ユキとマイに適当に別れを告げ、ふたりの家を飛び出した。顔を伏せたまま街道を走った。
勢いは徐々に衰え、走りが歩みになり、その歩みも静止に変わる。顔を上げると、大きなリボンを付け、額に一角を生やした金髪の少女――といってもこのときの私よりずっと背丈も高いのだが――の姿がすぐ前にあった。左頬に入った星の模様と、背中の大きな悪魔の翼が一際目立っている。
彼女は憎たらしい笑みをこちらに向けて立っていた。
「――見てた見てたっ。さすが魔界神の寵愛を受けるアリスちゃんは、過激な遊びを知ってるわねぇ?」
私はこの少女を知っている。コウモリに姿を変えることができる、悪魔の少女を知っている。
「――エリス」
彼女の名前を呼ぶ。その声は力ないものだった。
私の心は失望感に満ちていた。この悪魔の少女は、「沈黙遊び」の一部始終を覗いていたのだ。「沈黙遊び」が他人に知れたらと思うと、気が気でなかった。顎ががくがくと震えた。何かをいおうにも、言葉が出なかった。
そんな私を見て、エリスの笑みはより一層深くなるのだ。
「ふふっ、ねぇ、何でそんなに真っ青になってるの――?」
判っているくせに――私はこの場から立ち去りたい気分に駆られた。そうするわけには行かない気持ちが激しく反抗した。なぜ自分がこんな思いをしなくてはいけないのか。自分が嫌になる。
後悔した。今までの自分の楽しい日々が、走馬灯のように流れた。
――するとどうしたことだろう。エリスはふっと笑みを緩くすると、私の頭を小突いた。
私は、訳が判らなくなって、ただエリスの目を見詰めた。彼女の笑みはずっと優しいものにすり替わっていた。
そして、その優しい笑みで囁くのだ。
「誰にも喋らないわよ」
「えっ……」
驚いた。その声だけがぽろりと零れた。
「他人の楽しみを邪魔するほど、私は無粋な女じゃないもの。子供の遊びを邪魔するほど、暇人じゃないのよ」
「……いいの?」
「そりゃあもう。――ただ、カーテン閉めるくらいは気を付けなさいよ」
予想とは違った展開に、私の頭はついていけなかった。困惑していたが、恐怖から開放されたと思うと、安堵の息が漏れた。
エリスは私に背を向けると、翼を広げた。彼女はいつも魔界の空を好き勝手に飛んでいる。これからもそうするのだろう。もう用事はないとでもいうようだ。
「子供の遊びじゃなくなったら私も考えるけどね」
最後の一言が私にはよく判らなかった。
□
それから家に戻り、お母さんとふたりきりの昼食を迎えた。サリエルと夢子は腕やら脚やらの骨を粉々にして、今日は自宅療養するらしいことをお母さんはいった。
お昼はチャーハンだった。
ぱらぱらになった黄色のお米を口に入れながら、エリスが「沈黙遊び」のことをバラしていないか心配で、お母さんの顔をちらちらと窺った。能天気そうな顔からは、エリスが嘘を吐いたとは考えられなかった。
今、どれだけの者が「沈黙遊び」のことを知っているのかはわからないが、少なくともエリスが私の秘密を握っているのは確かだ。そのことが今でも私の心境を複雑にする。弱みを握られているのだ。エリスの前では下手な行動は取れなかった。とても窮屈な思いを今でも引きずっている。
「沈黙遊び」はもう止めた方がいいのだろうか――昼食の席、私はそんなことを漠然と考えていた。
■
「――そんなことがあったのよ」
酒の席。アリス・マーガトロイドは酔っており、普段より饒舌になっていた。
酒を呑めないからか、部屋の隅で小さくなっていた早苗に向かって幼少の頃の話をするほどにだ。
「今では誰かと"喋って"友好的に見えるけど――心のどこかでは、本当の友達なんていない気がするの。ユキやマイのような心からの友人はいないって」
自重気味に笑む。
「言葉があるうちは、ね」
早苗は戸惑っているのが表情から判る。それでも私は構わず、言葉を続ける。私を酔わす酒が、私の心の内を吐露させるのだ。彼女のような純真な少女なら、心の隙間を埋めてくれるような、そんな期待を持たせるのだ。
だから、いう。
「"黙って"私の友達になってくれるかしら――?」
早苗は顔を真っ赤にする。
「ええと、そ、それはつまり――」
身振り手振りで何かを伝えようとして。
「す、すみませんっ――!」
どこかへ駆けていった。
……私はその背中を見詰めていた。ただ明瞭としない頭をよぎるのは。
「冗談を真に受ける子って可愛いわね」
今夜は悪酔いしている。そう思った。
■
「新聞でーす」
「あ、ご苦労様、サラ」
お母さんは、四つ折りになった新聞を広げてめぼしい記事を探す。
「『神綺様の待望の新作、出版はもうすぐか』――だって、なかなか私も有名ねぇ」
私は聞き流す。
直後、玄関のチャイムが聞こえた。新聞に釘付けになっているお母さんを放って、私は訪問客の応対に出た。
扉を開けると、二つの影が立っていた。一方が黒で、一方が白だ。
「急に遊びに来たけど、いい?」
「えっと……たぶん、いいかな。何して遊ぶ?」
私の問いに、ふたりは顔を見合わせて微笑む。
「それはーっ」
「……ねっ」
その沈黙が答えだった。
子供が普通にやることなのだから、全く問題ない。多分。
けどまぁ楽しめました
出す場所を間違えましたね。
感動した!もっとやれ
早苗さん…アリスは駄目で手ごろな妖怪はいいのかw
思わず叫びそうになっただよw
本人たちに性的意志とか無い分、どうやって注意したものかオトナの方が悩んでしまう。
これ以上やったら不味いとは思うけど、今回のは全くの許容範囲でしょう。
一般の商業小説(非R-18)でもこの程度の描写はよくあります。最近の少女漫画などもっと露骨だし。
いささか過剰反応が過ぎるんじゃない?
それにしても早苗さんwww
それとは関係なく、普通に面白かったですw
だって俺の股間がおっk(ry
でも面白かったぜ。