あの太陽が眩し過ぎて目が心が溶けてしまいそう。地底の奥深く、作り物の癖に温度だけは本物だなんて。
はじめて出会った時は何時だったろうか。
あなたはそんな大事なことも思い出せないのかと笑うだろう。
あたいは、いや、あたいが忘れていて貴方が覚えている事なんて無いだろうけどと笑い返す。
それは特別大切なことだと人は言うだろうね。
でもあたいにはそんな事関係ない。
いつの間にか存在に気づいて、いつの間にか好きになっていたのなら。
きっと、出会いなんか関係ないことじゃない?
外のことは地底からは分からない。だから天候なんてものはあたいたちには関係ない。
けれども、今のあたいの心の中を表すのならば、間違いなく快晴だ!
落下していく感覚。下の視界を確保するため、スカートを手で押さえながら。
落ちていく。潜っていく。地底の深くへ。その先にある地獄へ!
さとり様ははしたないと、眉間に皺を寄せるかもしれない。
でも元が動物だからだろうか、あたいはこの爽快感がたまらなく好きだった。
前髪が風によって上向きに引っ張られるのも、普段感じることの出来無い下からの風も、重力が内臓を持ち上げるのも。
でも今のあたいを高揚させているのは、それらではない。その先に彼女がいるということが、その先にいる彼女に会えるという事が、どうしようもなくあたいの胸をいっぱいにする。
ほら、地底の底が見えてきた。その中、無数の黒い点、それらの奥。彼女の姿を視界に捉える。
緑の大きなリボン、ぼさぼさの黒髪。鼓動が高鳴っていく!
彼女はあたいに気づいたようで、上を見上げるように首をひねり、そして、視線が交錯する。
「おくう~!!」
たまらず叫んだ。
「あ!来てくれたのね!お燐!!」
おくうも、大きな声で返してくれた。
そして、バッと腕を広げた。その腕に何時ぞやの異変の時の制御棒は無い。
抱きとめてくれるつもりなのだろう。
おくうほどの力を持つ妖怪ならば、この速度のあたいを受け止めるなんて朝飯前に違いない。
落下してくるのを見て、地獄鴉達が急いで道を明ける。その中には変化しておくうにちょっかいを出している者もいくつかいて、そいつらを横目で見て気味が良かった。
それらを抜けると、もうおくうは目の前。普段のように両腕を広げずに、お尻を下に向けて椅子に座るような体勢で落下する。この間地上の妖怪がしていて、大層憧れたのを覚えている。おくうも理解してくれたようで、掌の方を上に、肘を少し曲げた風に突き出した。
瞬間、衝突。おくうはあたいの背中と太ももの裏が腕に当たった瞬間、その大きな翼を目いっぱい広げた。ものすごい勢いで減速しているのが抱えられている自分でも分かる。おくうを見ると、その瞳は楽しそうに細められ、口元には笑みが浮かんでいた。
……おくうはすごいな。なぜか誇らしかった。
あたいたちは火焔地獄跡の底でようやく停止した。おくうはその両足でしっかりと地面を踏みしめ、背筋もピンと張っている。その状態であたいを両の腕で抱きとめている。
その上白いマントが、広げられた黒い翼に追従するように広げられれば、まるでおくうは王子様!
つまり私達の状態、これはいわゆる、『お姫様抱っこ』!!
直にお姫様抱っこがしたいっていうのはあまりにも気が引けたから、無理矢理過ぎる手段を取ってしまった……。
「大丈夫かしら?お燐?」
おくうが笑顔で尋ねる。歯をちらつかせるその笑い方は、どこか少年のよう。王子様なのに少年。不思議とおくうには良く似合っていた。
「大丈夫よ、ありがとう」
夢に見たお姫様抱っこに、少しはにかみながら答える。多分あたいの頬は赤かっただろう。頬に流れる血管の熱さがそれを物語っていた。
おくうを見ると、彼女の頬もほんのりと桃色に染まっていた。
なんだ、おくうも雰囲気読めるじゃない。
「ねぇ」
唇を僅かに持ち上げて囁く様におくうが語りかけてくる。
それはまるで王女様に愛を囁く王子様のようで。
おくうの続きをなんだか胸をいっぱいにしながら待ち構えた。
「重いから、そろそろ降ろしていいかしら?」
「このカラスがー!」
このトーヘンボク!この空気を読みきらないのか、他に言う事があるでしょうに!言うに事欠いて、言うに事欠いてあたいが重いだって!?重いから真っ赤になってたって言うのかい!!
ばたばたと腕の中で暴れるのを、おくうは苦笑いしつつ、落とさないようにしっかりと抱えてくれている。
ふん、空気を読むところが違いやしないかい?
「それで、珍しいね。今日はどうしたの?」
……いや、珍しいって言うか昨日も来たんだけどさ。
まあ私はこの子の記憶力には余り期待してはいない。けれど、なんだか胸が苦しくなる。
とりあえずこんな場所もなんだし、仕切りなおしと行こうじゃないか。
「おみやげー!」
唐草模様の手提げからハンカチに包まれた箱を取り出し、高く掲げる。
おくうの目が輝いた。
「うにゅ~~!美味しそうなお肉!!」
地獄の淵に腰掛け、彼女が丁寧にラッピングされたピンク色のお弁当箱を開けると、笑顔の花が咲いた。
それはなんというか物寂しい停止した地獄にあって一層明るくて、なんだかおくうによく似合っていた。
おくうのこういう笑顔が大好きだ。上流の清流のような、何にも染まらない純粋な笑顔。
食欲に掛けてそれを引き出そうとするあたいは卑怯だろうか?
しかし結果としてあたいは満たされた。それならば十分じゃないか。
「ねぇ、食べていいんですの?いいんですの?これ!」
「いいに決まってるでしょ、そのためにわざわざ持ってきたんじゃないのさ」
「ありがとう、お燐!頂きます!!」
ああ、体に染みていく。おくうが期待に満ちた眼差しであたいを見つめる事。
あたいの言葉がおくうの表情を変えていく事。
おくうが嬉しそうに肉とご飯をほお張る事。
その全てが愛おしくて、喉のカラカラのときに飲む湧き水のように、地下を走るマグマのようにあたいの体に幸福を駆け巡らせる。
おくうという存在は、もう十分言ってきた気もするけれど、あたいの憧れだ。神様達から力を貰うずっと前から、地獄鴉、ひいてはさとり様の中ペットで一番の実力を持っていたし、彼女の話し方や身のこなしは嫌味にならない程度にメリハリが効いていて、かっこ良かった。背も高いから余計に似合うしね。
でも、あたいが惹かれたのはそんな所じゃない。
彼女は、その名前の通り、『空』なんだ。
この地下深くの地霊殿の、あたいたちにとっての、空。
何を言っているのかと笑うのかもしれない。
でも、彼女の、ただひたむきに前を向く姿。そこにある気高さ。
狭いはずの地底を、彼女はあんなに楽しそうに飛ぶ。その姿にあたいも皆も、あるはずの無い空を連想する。
そして彼女はみんなに、みんなに笑顔を振りまくのだ。その笑顔は色が付いてないくせに熱量ばかりが大きくて、彼女は大空いっぱいに輝きを広げる太陽になるのだ。
そんな太陽であるところのおくうと互いに親友と呼べる仲になれたということは、あたいにとって大きな喜びだ。
こればかりは地獄に箱庭のような環境を作ってくださったさとり様に感謝し無くてはならない。
でも、さとり様は……。
おくうをちらと見やる。どうやらまだお弁当に夢中のようだ。
あんなに目を輝かせて。そんなに美味しいのだろうか、そのお弁当は。
そういえば中身は、おくうの好物が野菜も肉もたんまり詰まっていて、その癖綺麗に並べられていたのを覚えている。
心の中でため息を付き、ここに来た理由を話すため、重たい口を開けた。
「そのお弁当、さとり様が持っていってやれ、だってさ、全くペット使いが荒いんだから」
その言葉を聞いた瞬間、おくうの箸を動かす手がぴたりと止まる。
ほれ見たことか。だから言いたくなかったんだ。
「さとり様、が?」
おくうが小鳥のように小さく首を傾げて尋ねてくる。
その大きな瞳はなんか喜びに溢れているんだけれど、それが大きすぎて、どう処理しようもなくて、動揺しているようにゆれている。
かわいい。
でも、それを引き出したのが自分でないことが、悔しい。
「ん」
だから、つい投げやりな返事が出てしまう。
「……そっかぁ」
対して、おくうは嬉しそうだ。お茶を飲んでいるため口元は窺えないが、その目は幸せをかみ締めるように細められている。
それを見て、あたいは、肋骨の中の臓器たちが急に鉄製のものに変わってしまったかのような感覚を覚えた。ひどく重たい何かが、体の中を這う感覚。
そんな感覚を覚えても何も不思議は無かった。なぜなら昨日は、あたいが作ったお弁当をおくうに持って行ったのだから。
そのときのおくうも美味しい美味しいといってほお張っていたけれど、今のような表情は欠片も見せなかった。
それは、やはり親友とご主人様の違いであったし、気の許せる仲間と思い人との違いなのだろうと、一人理解した。
「どうしたの?箸、止まってるよ?」
「あ、あわ!」
急に話を振られて、吃驚したのだろう。おくうは箸を取り落としそうになる。
そんなにさとり様に思いを馳せていたなんて。また胸に、ちくりと痛みが走る。もっと、意地悪してやる。
「食べないなら、貰っちゃおっかな?」
「にゅ!だめだめ!」
あたいが手を猫の形にして冗談交じりに箱に手を近づけると、ものすごいオーバーリアクションでお弁当箱を遠ざける。
その様を見て、やっぱり敵わないのかなあと、心の中で一人ごちた。
おくうは、それまでのばくばくっていう感じの食べ方を止めて、一口一口をとても時間をかけて口に含んでる。
咀嚼にしても、顎の動きを追えるほどであるし。飲み込むにしても喉の上下をはっきりと確認できた。
そう、みんなに、平等に、太陽の光を浴びせるって言うのに。いざ彼女が地上に降りてきてみれば、たった一人にベタベタ。それが彼女、霊烏路空だった。
あたいは、光が眩し過ぎて防ぎようが無いって言うのに、結局のところおくうの瞳にはさとり様ただ一人しか映っていないのだ。
それは光が必ずみんなに降り注ぐと知らないからこその、残酷さだった。
でも、駄目だよね。貴方が手に入れた幸せに、さとり様を想う幸せに、あたいがどうこう言うなんて。
今のあたいに出来ることはそんな彼女を、うれしそうに食べ続ける彼女を見ている事くらいなんだ。
「私の顔に何か付いてる?」
「え?」
考え込みすぎたようだ。急に声をかけられて、はっと我に返る。気付けば彼女の顔が、睫毛の本数も数えられそうなほど近くにあった。心臓がトクンと一際大きな音をたてる。
「いや、なんでもないよ」
「そう、ならいいですけれど」
本当はほっぺたに一粒付いていたけれど。
ふと、おくうに抱えられたお弁当箱に視線をやる。ご飯粒の一つも残っていなかった。
「嘘、やっぱりついてる」
私はおくうが反応するよりも早く頬に付いた米粒を指先で摘み取り、口に放り込む。急がないと、それにありつけなくなるような気がしたから、とにかく手早く。
「あっ」
おくうが何だか情けない声を上げる。
普段からお行儀良く振舞っているおくうにとって、米粒を人に取ってもらったのが、悔しかったのかもしれない。
もう一つの可能性も考えたけれど、そっちは考えないように封印した。
「お行儀が悪いですよ、空さん?」
「いいえ、行儀が悪いのはお燐の方よ」
少し茶化してやると、やっぱり悔しかったのだろう、おくうが反論に出る。少しほっとした。
「いや、ご飯粒付けてたのはおくうじゃないの」
「いいえ、ご飯粒を拾い食いするお燐の方が清潔さにかけるわ」
お弁当箱を脇に下ろしナプキンで口の周りをふき取りながら、おくうが言い放つ。
何なんだ、全然理論的じゃない。いや、理論とかを期待していたわけじゃないのだけど、やっぱりこちらが悪者にされると腹も立ってくる。
「ほっぺたについてたじゃないの!」
「私の頬に落ちていたのよ!」
「滅茶苦茶な屁理屈を捏ねるんじゃないの!その減らず口、黙らせてやるよ!」
あたいがおくうを押し倒し、火焔地獄跡の淵で二人縺れ合うように転がり合う。
交互に地面に打ち付けあう背中の痛みが、酷く懐かしい。
「だいたい綺麗に食うって、バランまで食ってんじゃないわよ!」
「さとり様が食べられないものを入れるわけが無いでしょう!」
「あれは飾りだって何度言えばわかるのよ、この鳥頭!」
昔はこんな言い争いが、それこそ毎日で。ただ楽しかったはずなのに。
あたいはもうあの頃には戻れないのだろうか。
はじめて出会った時は何時だったろうか。
あなたはそんな大事なことも思い出せないのかと笑うだろう。
あたいは、いや、あたいが忘れていて貴方が覚えている事なんて無いだろうけどと笑い返す。
それは特別大切なことだと人は言うだろうね。
でもあたいにはそんな事関係ない。
いつの間にか存在に気づいて、いつの間にか好きになっていたのなら。
きっと、出会いなんか関係ないことじゃない?
外のことは地底からは分からない。だから天候なんてものはあたいたちには関係ない。
けれども、今のあたいの心の中を表すのならば、間違いなく快晴だ!
落下していく感覚。下の視界を確保するため、スカートを手で押さえながら。
落ちていく。潜っていく。地底の深くへ。その先にある地獄へ!
さとり様ははしたないと、眉間に皺を寄せるかもしれない。
でも元が動物だからだろうか、あたいはこの爽快感がたまらなく好きだった。
前髪が風によって上向きに引っ張られるのも、普段感じることの出来無い下からの風も、重力が内臓を持ち上げるのも。
でも今のあたいを高揚させているのは、それらではない。その先に彼女がいるということが、その先にいる彼女に会えるという事が、どうしようもなくあたいの胸をいっぱいにする。
ほら、地底の底が見えてきた。その中、無数の黒い点、それらの奥。彼女の姿を視界に捉える。
緑の大きなリボン、ぼさぼさの黒髪。鼓動が高鳴っていく!
彼女はあたいに気づいたようで、上を見上げるように首をひねり、そして、視線が交錯する。
「おくう~!!」
たまらず叫んだ。
「あ!来てくれたのね!お燐!!」
おくうも、大きな声で返してくれた。
そして、バッと腕を広げた。その腕に何時ぞやの異変の時の制御棒は無い。
抱きとめてくれるつもりなのだろう。
おくうほどの力を持つ妖怪ならば、この速度のあたいを受け止めるなんて朝飯前に違いない。
落下してくるのを見て、地獄鴉達が急いで道を明ける。その中には変化しておくうにちょっかいを出している者もいくつかいて、そいつらを横目で見て気味が良かった。
それらを抜けると、もうおくうは目の前。普段のように両腕を広げずに、お尻を下に向けて椅子に座るような体勢で落下する。この間地上の妖怪がしていて、大層憧れたのを覚えている。おくうも理解してくれたようで、掌の方を上に、肘を少し曲げた風に突き出した。
瞬間、衝突。おくうはあたいの背中と太ももの裏が腕に当たった瞬間、その大きな翼を目いっぱい広げた。ものすごい勢いで減速しているのが抱えられている自分でも分かる。おくうを見ると、その瞳は楽しそうに細められ、口元には笑みが浮かんでいた。
……おくうはすごいな。なぜか誇らしかった。
あたいたちは火焔地獄跡の底でようやく停止した。おくうはその両足でしっかりと地面を踏みしめ、背筋もピンと張っている。その状態であたいを両の腕で抱きとめている。
その上白いマントが、広げられた黒い翼に追従するように広げられれば、まるでおくうは王子様!
つまり私達の状態、これはいわゆる、『お姫様抱っこ』!!
直にお姫様抱っこがしたいっていうのはあまりにも気が引けたから、無理矢理過ぎる手段を取ってしまった……。
「大丈夫かしら?お燐?」
おくうが笑顔で尋ねる。歯をちらつかせるその笑い方は、どこか少年のよう。王子様なのに少年。不思議とおくうには良く似合っていた。
「大丈夫よ、ありがとう」
夢に見たお姫様抱っこに、少しはにかみながら答える。多分あたいの頬は赤かっただろう。頬に流れる血管の熱さがそれを物語っていた。
おくうを見ると、彼女の頬もほんのりと桃色に染まっていた。
なんだ、おくうも雰囲気読めるじゃない。
「ねぇ」
唇を僅かに持ち上げて囁く様におくうが語りかけてくる。
それはまるで王女様に愛を囁く王子様のようで。
おくうの続きをなんだか胸をいっぱいにしながら待ち構えた。
「重いから、そろそろ降ろしていいかしら?」
「このカラスがー!」
このトーヘンボク!この空気を読みきらないのか、他に言う事があるでしょうに!言うに事欠いて、言うに事欠いてあたいが重いだって!?重いから真っ赤になってたって言うのかい!!
ばたばたと腕の中で暴れるのを、おくうは苦笑いしつつ、落とさないようにしっかりと抱えてくれている。
ふん、空気を読むところが違いやしないかい?
「それで、珍しいね。今日はどうしたの?」
……いや、珍しいって言うか昨日も来たんだけどさ。
まあ私はこの子の記憶力には余り期待してはいない。けれど、なんだか胸が苦しくなる。
とりあえずこんな場所もなんだし、仕切りなおしと行こうじゃないか。
「おみやげー!」
唐草模様の手提げからハンカチに包まれた箱を取り出し、高く掲げる。
おくうの目が輝いた。
「うにゅ~~!美味しそうなお肉!!」
地獄の淵に腰掛け、彼女が丁寧にラッピングされたピンク色のお弁当箱を開けると、笑顔の花が咲いた。
それはなんというか物寂しい停止した地獄にあって一層明るくて、なんだかおくうによく似合っていた。
おくうのこういう笑顔が大好きだ。上流の清流のような、何にも染まらない純粋な笑顔。
食欲に掛けてそれを引き出そうとするあたいは卑怯だろうか?
しかし結果としてあたいは満たされた。それならば十分じゃないか。
「ねぇ、食べていいんですの?いいんですの?これ!」
「いいに決まってるでしょ、そのためにわざわざ持ってきたんじゃないのさ」
「ありがとう、お燐!頂きます!!」
ああ、体に染みていく。おくうが期待に満ちた眼差しであたいを見つめる事。
あたいの言葉がおくうの表情を変えていく事。
おくうが嬉しそうに肉とご飯をほお張る事。
その全てが愛おしくて、喉のカラカラのときに飲む湧き水のように、地下を走るマグマのようにあたいの体に幸福を駆け巡らせる。
おくうという存在は、もう十分言ってきた気もするけれど、あたいの憧れだ。神様達から力を貰うずっと前から、地獄鴉、ひいてはさとり様の中ペットで一番の実力を持っていたし、彼女の話し方や身のこなしは嫌味にならない程度にメリハリが効いていて、かっこ良かった。背も高いから余計に似合うしね。
でも、あたいが惹かれたのはそんな所じゃない。
彼女は、その名前の通り、『空』なんだ。
この地下深くの地霊殿の、あたいたちにとっての、空。
何を言っているのかと笑うのかもしれない。
でも、彼女の、ただひたむきに前を向く姿。そこにある気高さ。
狭いはずの地底を、彼女はあんなに楽しそうに飛ぶ。その姿にあたいも皆も、あるはずの無い空を連想する。
そして彼女はみんなに、みんなに笑顔を振りまくのだ。その笑顔は色が付いてないくせに熱量ばかりが大きくて、彼女は大空いっぱいに輝きを広げる太陽になるのだ。
そんな太陽であるところのおくうと互いに親友と呼べる仲になれたということは、あたいにとって大きな喜びだ。
こればかりは地獄に箱庭のような環境を作ってくださったさとり様に感謝し無くてはならない。
でも、さとり様は……。
おくうをちらと見やる。どうやらまだお弁当に夢中のようだ。
あんなに目を輝かせて。そんなに美味しいのだろうか、そのお弁当は。
そういえば中身は、おくうの好物が野菜も肉もたんまり詰まっていて、その癖綺麗に並べられていたのを覚えている。
心の中でため息を付き、ここに来た理由を話すため、重たい口を開けた。
「そのお弁当、さとり様が持っていってやれ、だってさ、全くペット使いが荒いんだから」
その言葉を聞いた瞬間、おくうの箸を動かす手がぴたりと止まる。
ほれ見たことか。だから言いたくなかったんだ。
「さとり様、が?」
おくうが小鳥のように小さく首を傾げて尋ねてくる。
その大きな瞳はなんか喜びに溢れているんだけれど、それが大きすぎて、どう処理しようもなくて、動揺しているようにゆれている。
かわいい。
でも、それを引き出したのが自分でないことが、悔しい。
「ん」
だから、つい投げやりな返事が出てしまう。
「……そっかぁ」
対して、おくうは嬉しそうだ。お茶を飲んでいるため口元は窺えないが、その目は幸せをかみ締めるように細められている。
それを見て、あたいは、肋骨の中の臓器たちが急に鉄製のものに変わってしまったかのような感覚を覚えた。ひどく重たい何かが、体の中を這う感覚。
そんな感覚を覚えても何も不思議は無かった。なぜなら昨日は、あたいが作ったお弁当をおくうに持って行ったのだから。
そのときのおくうも美味しい美味しいといってほお張っていたけれど、今のような表情は欠片も見せなかった。
それは、やはり親友とご主人様の違いであったし、気の許せる仲間と思い人との違いなのだろうと、一人理解した。
「どうしたの?箸、止まってるよ?」
「あ、あわ!」
急に話を振られて、吃驚したのだろう。おくうは箸を取り落としそうになる。
そんなにさとり様に思いを馳せていたなんて。また胸に、ちくりと痛みが走る。もっと、意地悪してやる。
「食べないなら、貰っちゃおっかな?」
「にゅ!だめだめ!」
あたいが手を猫の形にして冗談交じりに箱に手を近づけると、ものすごいオーバーリアクションでお弁当箱を遠ざける。
その様を見て、やっぱり敵わないのかなあと、心の中で一人ごちた。
おくうは、それまでのばくばくっていう感じの食べ方を止めて、一口一口をとても時間をかけて口に含んでる。
咀嚼にしても、顎の動きを追えるほどであるし。飲み込むにしても喉の上下をはっきりと確認できた。
そう、みんなに、平等に、太陽の光を浴びせるって言うのに。いざ彼女が地上に降りてきてみれば、たった一人にベタベタ。それが彼女、霊烏路空だった。
あたいは、光が眩し過ぎて防ぎようが無いって言うのに、結局のところおくうの瞳にはさとり様ただ一人しか映っていないのだ。
それは光が必ずみんなに降り注ぐと知らないからこその、残酷さだった。
でも、駄目だよね。貴方が手に入れた幸せに、さとり様を想う幸せに、あたいがどうこう言うなんて。
今のあたいに出来ることはそんな彼女を、うれしそうに食べ続ける彼女を見ている事くらいなんだ。
「私の顔に何か付いてる?」
「え?」
考え込みすぎたようだ。急に声をかけられて、はっと我に返る。気付けば彼女の顔が、睫毛の本数も数えられそうなほど近くにあった。心臓がトクンと一際大きな音をたてる。
「いや、なんでもないよ」
「そう、ならいいですけれど」
本当はほっぺたに一粒付いていたけれど。
ふと、おくうに抱えられたお弁当箱に視線をやる。ご飯粒の一つも残っていなかった。
「嘘、やっぱりついてる」
私はおくうが反応するよりも早く頬に付いた米粒を指先で摘み取り、口に放り込む。急がないと、それにありつけなくなるような気がしたから、とにかく手早く。
「あっ」
おくうが何だか情けない声を上げる。
普段からお行儀良く振舞っているおくうにとって、米粒を人に取ってもらったのが、悔しかったのかもしれない。
もう一つの可能性も考えたけれど、そっちは考えないように封印した。
「お行儀が悪いですよ、空さん?」
「いいえ、行儀が悪いのはお燐の方よ」
少し茶化してやると、やっぱり悔しかったのだろう、おくうが反論に出る。少しほっとした。
「いや、ご飯粒付けてたのはおくうじゃないの」
「いいえ、ご飯粒を拾い食いするお燐の方が清潔さにかけるわ」
お弁当箱を脇に下ろしナプキンで口の周りをふき取りながら、おくうが言い放つ。
何なんだ、全然理論的じゃない。いや、理論とかを期待していたわけじゃないのだけど、やっぱりこちらが悪者にされると腹も立ってくる。
「ほっぺたについてたじゃないの!」
「私の頬に落ちていたのよ!」
「滅茶苦茶な屁理屈を捏ねるんじゃないの!その減らず口、黙らせてやるよ!」
あたいがおくうを押し倒し、火焔地獄跡の淵で二人縺れ合うように転がり合う。
交互に地面に打ち付けあう背中の痛みが、酷く懐かしい。
「だいたい綺麗に食うって、バランまで食ってんじゃないわよ!」
「さとり様が食べられないものを入れるわけが無いでしょう!」
「あれは飾りだって何度言えばわかるのよ、この鳥頭!」
昔はこんな言い争いが、それこそ毎日で。ただ楽しかったはずなのに。
あたいはもうあの頃には戻れないのだろうか。