長い冬が終わった。
春妖精は喜びを歌い、祝福の言葉が野山に木霊する。
誰かのほんの気紛れで。
例年より遅れること数ヶ月、幻想郷に春が訪れた。
「春ですよー」
その言葉は歓びの歌。野に山に里に、命を吹き込む春告の歌。
リリーホワイトは、春の訪れを、溢れんばかりの喜びを、幻想郷中に告げて回っていた。
残雪は既に無い。山もすぐに鮮やかな緑へと色をかえることだろう。
人間の里。人々は春を我先にと迎え入れた。
家の中に篭り、命奪われぬよう耐える季節が、終わったのだ。
村人達はリリーに満面の笑みで手を振る。
「今年の冬は長かったねェ」老婆がリリーに語りかける。
「でもお前さんが来たことだし、これでようやく畑に出られるよ」
なんて清々しい気持ちだろう。
花咲き命育む季節。人々に幸せを与える季節。
春を伝えるという事は、相も変わらずに喜ばしい。
人々の喜びの表情に笑顔で返し、リリーは里を後にした。
里を出てから暫く後、ふと見ると野の一端に白い絨毯。
いや、それは絨毯というには余りに粗末な、穴だらけの代物。
放って置いてもやがて消え行くだろうそれは、春告精には少し不快なものだ。
草や花が、明るく野を染め上げて、ようやく春だというのに。
強情な冬がそこに居座っているというのか。
「もう、春ですよー」
そこで気付く。
残雪の上に、青と白の影がひとつ。
僅か残る雪を掬い上げ、名残惜しむように目を細める、少女の姿。
「…そう、来たのね。春告の妖精」
どこか寂しそうな声。
一見すれば冷たい印象を与えかねない姿は、しかし不思議と優しさすら感じるオーラを纏う。
レティ・ホワイトロックは、ゆっくりとリリーへ目をやった。
「あの、貴女は」
「私は冬の忘れ物。誰かの気紛れにほんの少し期待してしまった、愚かな妖怪よ」
「冬の…」
リリーにも思い当たる節はある。冬に現われ、寒気を強める妖怪が居るという話は知っている。
しかし、逢ったのはこれが初めてだった。
「…そうね、わかってるわ。もう春だって」
レティは両手で掬った雪をそっと地面に落とした。
「春をこうして告げられるまで、冬を諦められなくて。去ってしまった冬にも置いていかれて。無様よね」
寂しそうに微笑んだレティを前に、リリーに今まで体験しなかった感情が駆け巡る。
――私が春を告げたことが、彼女の幸せを、壊してしまった?
「ごめんなさいね、冬は退散するわ。次の冬には、ちゃんと春が来る前に消えるから」
「あ、あの!」
リリーは気付いたら声を上げていた。
「その、えっと…ごめんなさい。まだ、ここには春を告げませんから。まだ、残ってても」
何故そんな事を言ったのか、自分でも良くわからない。
ただ、この妖怪に春を告げてしまったのが、自分の犯した罪のように思えたから。
「ありがとう。…やっぱり、春は優しいのね」
レティはニコリと微笑んだ。冬に相応しくない、暖かな表情だった。
「でもね。同じ白い名前を持つのに、貴女は優しい春で、私は冷たい冬… 決して、一緒には居られないわ」
日差しが眩しい。
冬のささやかな抵抗など意に介さぬかのごとく、幻想郷を春が包み込む。
「私の白は、全てを覆い隠してしまう雪の白。そして、私はその白を愛してしまった。だから…」
「私はこれで、さようなら」
リリーは言葉を発することが出来なかった。
雪の結晶のようなその心は、春でも、夏でさえ、溶けることの無いものだと思われて。
その様子に気付いたのか、レティはリリーの傍まで来ると、そっとその頭を撫でた。
ひどく冷たい手だった。冬を愛し、雪を愛した少女の手。
「さ、まだ春を告げるところは一杯あるんでしょう?待たせたら可哀想よ」
レティは表情を崩さない。
リリーが小さく頷くと、レティは応える様に頷いた。
「それじゃ、ね。私は次の冬まで、おやすみなさい」
もう雪の無い草原を、レティは歩き出す。
春風が吹き、太陽が照る春の風景に、白き影がただ一つ。
その姿が遠く小さく消えるまで、リリーは彼女の背中を見つめていた。
戸惑うリリーと、寂しげだけど優しいレティにしんみりさせて頂きました。
冬がおわりかけている、ある日のお昼にこの二人は出会ったのでしょう。
さみしくてもあたたかい雰囲気に、すこし心があたたかくなりました。