Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

優しい人のためのジェラシー

2009/03/13 01:41:18
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【プロローグ……一日目】

 華の旧都は喧嘩まつり(主催・前田慶次郎氏)の真っ只中、普段は薄暗い大通りも提灯が掛けられて、暖かい光に包まれている。屋台と人混みの数が盛り上がりを物語っている。通りの先には広場があり、鬼たちが酒を飲みながらよくわからない踊りを踊っていた。
 そんな中、提灯も通らない狭く暗い路地裏の奥に、パルスィの小さな家がある。何度も補修をした形跡がある木造の窓枠から、古いベッドに寝転がる彼女が見える。継ぎはぎだらけの毛布を被りながら、パルスィは眠りもせずに祭りの声や音を聴いていた。
 部屋の中は埃っぽかった。溜息が漏れる。直後、薄ら寒さが全身を襲う。その次は眩暈、そして頭痛。
 パルスィ、風邪相手にフルボッコである。門番の仕事はキスメちゃんに代行してもらっている、風邪のときに無理に仕事をするなんて馬鹿げたことはしない。だが、こんな日にタイミングの悪い祭りの音が煩くて、頭に響いて、堪らなく憎らしかった。
 脳内はいつも通りである。

  * * *

 見当は付いている。土蜘蛛の仕業だ。昨日たまたますれ違ったあの瞬間から、私の身体はウイルスがフィーバーだったのだ。そうに違いない。そうでなければ困る、このパルパルを何処にぶつければいいのか分からなくなるではないか。人の横で「パルパルおひさー」とか言いつつスプリッドウイルスアタックしておきながら、その後も平然と人々と接することができるとは、なんと妬ましい。ちょっと可愛いぐらいでちやほやされやがって! 私の嫉妬オーラで、あいつのハートをパルパルにしてやる。
 パルスィは苛立つ心を隠しもせず、ベッドの中で土蜘蛛を呪った。
 詳しく言えば、ベッドの中で騒音にイライラしながらも嫉妬オーラを身に纏い、土蜘蛛である黒谷ヤマメに復讐を決意した。
 ぼかしていえば、ベッドの中で彼女を思って、した。
 いつも通りである。

  * * *

 風邪を抱えたまま祭真っ只中の広場へこっそりと現れたパルスィ。旧都のアイドルヤマメちゃんを探してうろついているところだ。赤々と揺らめく提灯の光が、風邪でもともと赤いパルスィの頬をさらに赤くする。
 ここでふと、マスクをしてきたほうがよかったかな、などと思い至る。このままヤマメに会ったところで、「風邪をうつすなんて、ひどいやつだ!」とか言いながら口から流行性感冒アタックしていたら、お前が言うなという以外の言葉が返ってこようか。これでは復讐にすらならない。
 かと言ってマスクをして会ったところで、謂れもないしっとマスク扱いされて笑われるだけの気もしたので、パルスィは考えるのをやめた。
 やっぱり、うちで安静にしていよう。踵を返そうと足を止めたところ、後ろを歩いていた誰かに背中がぶつかってしまう。人ごみの中であるから、当然とも言える。
「あ……ご、ごめんなさい……」
 振り向き様、パルスィは小さくそう言って頭を下げた。
「……気をつけてくださいね」
 淡々とそう答える声は、透き通って、しかしどこか重たく感じた。顔を上げるとそこには何処かで見たような見てないような顔――ああ、そうだ、あまりいい噂を聞かない街外れの館の主だ。
「……『げぇっ、さとり!(ジャーンジャーンジャーン!)』ですか……。ご期待に添えぬようで残念ですが私は美髯公ではなくて美少女です」
 珍しく鼠色の地味なコートを着ていたから、わからなかった。一切表情を作らずに自画自賛するさとりは、パルスィにとっても苦手意識のある相手であった。

 * * *

「どうぞ」
 そして何故かたこ焼きを奢ってもらったのでした。
 薄暗い路地裏の壁に並びもたれかかって、さとりの持っているたこ焼き(8コ入り)を、パルスィが横からつついて食べる。
「たぶん、あっついですよ」
 口に入れてから、さとりが注意を喚起する。遅い。
 無論、熱かった。
「ハムッ、ハフハフッ、ハフッ!」
 予想より遥かに。舌が、頬が、上の歯茎の裏らへんが湯気の熱気によって一瞬で熱を受け、痺れるように感覚を失っていく。
 それをようやく飲み込んだ頃、さとりは平然と言った。
「あっついですってば」
「言うのが遅いのよ……!」
 それとも、私が速いのか。

 * * *

「で?」
「ん?」
 さして面識もない二人が、人目に付きにくいこんなところで逢引しているのは些か不自然である。が、ならば、それを自然とする理由があればいい。さとりは真っ直ぐパルスィを見つめ、
「『何を企んでいる?』……ですか」
 なんて考えた。パルスィはそれきり何も言わず、流し目で何となく見つめ返すだけだった。さとりはそれを見てから目を逸らす。
「そうですねー……」
 そして、考え込む振りをした。
「強いて言えば、お祭を一緒に楽しむ相手が欲しくて」
 言うさとりの視線は、もうたこ焼きに移っていた。
 妬ましい女。っていうか変な奴。パルスィはつい、そんなふうなことを頭に浮かべ、少し冷めたたこ焼きをひとつ、つついた。

 * * *

「花火、見たいですね」
 おもむろに、天井を見渡していたさとりが呟いた。
「そう、どうして?」
 純粋な疑問を返したつもりで振り返って、真っ直ぐ目が合ってしまった。
「お祭ですもの」
「そういうものかしら」
「そういうものですよ」
 何故だかよくわからないが、さとりはそこで初めて笑顔を見せた。秋桜のように。慎ましく穏やかに笑った。
 以前、星熊だったかヤマメちゃんだったか、誰かが苦手だと言っていたことがあって、自ずからパルスィが抱くイメージもそんな感じになっていた。だが、今の瞬間そんなイメージは崩れていく気がして、ああ、こりゃ妬ましいわと、パルスィは再び目を逸らして俯くよりなかった。







 * * *







【些細な言葉ひとつ】

「まあ、暇なときにでも、どうぞうちにいらして」







 * * *








【温かい手 I】

 別れた途端、思い出したように寒気が舞い戻ってくる。いや、実際忘れていたが、途端に寒くなるこの現象に見舞われると、何故だか悔しい。そして、それ以上に悔しいのは、終始さとりのペースで会話が終わったことだった。
 きっと、全て見られてしまったことだろう。
 これが、二人で過ごした初めての祭とは。
"どうぞうちにいらして。"
 別れ際、そう言い去ったさとりの言葉が気になって仕方ない。
 そんな言葉を平気で言えること、なんて妬ましい。

 * * *

 その日は結局、目的の人には会えなかった。
 夜が更けてこようが祭は終わらなくて、古いベッドに横たわるパルスィの長い耳に、太鼓の音や人々の歌声が響き続けるのだった。
 嗚呼、祭ではしゃぐなんて、本当に妬ましい。








 * * *









【終始 I】

「あわわ、ヒッキーのさとりさまがお祭に出かけていたなんて。明日は雨ですね!」
 地霊殿に帰るなり開口一番、燐がひどく失礼な言をのたまった。
「うるせーぼけ。街でナンパぐらいするんですよ、私も」
 少し言葉を悪くしたぐらいでは、こいつは驚かない。長く寝食を共にした間柄の、ある意味での信頼である。

 提灯のぼんやりとした灯りに慣れていたからか、地霊殿の赤と青の床は少し眩しく見えた。さらに燐を見ていると、赤と青が目の錯覚を起こして3Dメガネみたいな状態になる。自分の家に居心地の悪さを覚えたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「ナンパねぇ」
 燐は考え込む振りをしながら呟く。何を考え込んでいるのか興味がないわけではなかったが、動物の心の中をわざわざ読むのは何だか馬鹿馬鹿しく思えるから、あまりしたくない。
 尤も心の声なんて、勝手に雪崩れ込むことのほうが多いのだが。
「そういえば、あたいもナンパされたんだっけ」
「そうだっけ?」
 執念深い猫は、いつまでも余計なことばかり覚えていた。無論「ハーイお嬢ちゃんお茶しない?」とか言ったことはないが、まあ、結果的には、似た様なものだった。
 さとりは昔話が好きではなかった。いくら心を強化しようとも、絶対無敵になんてならないからだ。そこでふと妹の顔が頭を過ぎって、その後、街角で偶然出会った少女のことを思い出したりしてみた。
「ひどいですよう、出会ったあの日を忘れるなんて。確か公園のトイレの脇に捨てられてみゃーみゃー啼いてたあたいに向かって、ベンチに座っていたさとりさまが『お茶やらないか?』って……」
「ウホッ。……って、捏造をするな捏造を。何一つ合ってないよその記憶」
「違いましたっけ?」
「貴方も忘れてるんじゃない……」
 呆れた顔をしつつも、いつものことと軽く流す。これも信頼関係、と。
 鼠色のコートを燐に手渡して、さとりはすぐに浴室へと向かった。嫌なことを早く忘れてしまいたかった。

 * * *

"読まないんですね。あたいの心は。"
 きっとそれも信頼だよ。さとりは心の中でだけ呟いて、いや、それは言い訳に他ならないと自分自身を戒める。
 心が乱れていく気がする。もどかしい、そして頭が痛かった。








 * * *








【ヤマメのメ】

 次の日には結局、旧都のアイドルヤマメちゃんは彼女自身から会いに来た。
 黴臭い家の中に入られるのが少し恥ずかしい。
「おいすー。相変わらずパルパルしてるのかい?」
 誰からも愛される気さくな笑顔。誰をも愛する砕けた口調。対してパルスィは寝癖で髪が跳ねている。水分不足か肌荒れしている。軋んで煩いベッドの上に不貞腐れた顔で横たわっている。嗚呼、嗚呼、この対比は何を意味するのか。ただひたすらに、彼女が妬ましい。
 目なんて合わせられるものか。
「昨日はごめんね。久しぶりで興奮したものだから、つい感染症をばら撒いちゃったよ」
 パルスィは沈黙を守る。ヤマメとは逆方向にある窓――その先にある景色、路地裏、広場――を見つめている。
 ヤマメにとってのパルスィは、やはりいまいち理解の出来ない子、だと思う。優しい、厳しい? いい奴、悪い奴? その結論としては、複雑な感情が好きな奴とでも形容しておこうか、なんて形で、然る後に纏まるのだが。
「具合悪そうって聞いたときは焦ったよ。ああしまった、やっちゃったかも、って」
 パルスィは動かない。ヤマメの表情が曇る(尤も、パルスィは見ちゃいないが)。
「あー、いやまぁその。でも、ただの風邪でまだよかったよ。これがもしマラリヤだったりしたら目も当てられない……ってそれは蜘蛛じゃなくて蚊だっちゅーの! あはははは」
「……」
 緑眼は依然窓の外を映している。ヤマメもこれには参ってしまう。話を聞いているのかどうなのか。この格好のまま死んでいるのではないかと、変な心配さえしてしまう。
「あー、えっと。……怒ってる、かな……?」
 妬みという殻に覆われ、パルスィの本心というのはなかなか見えない。それが彼女の枷であり、またひとつの完成形でもある。ただそれは、ヤマメにとっては鋼鉄の鎖としてしか見えない。
 だが、だからといって、よくわからないから放っておく、そんなことがヤマメには出来ないようなのだ。

 * * *

「誰に聞いたの」
 微動だにせずに、ただ一言、パルスィが呟いた。ヤマメは少しの安堵と、新しい不安を覚えた。
「古明地の姉さんから」
「……そう」







 * * *








【ジェラシー I】

 心の外側で感情が昂る。
 こればかりは、どうしようもない運命なのか。








 * * *









【終始 II】

「かくかくしかじか……ということがあったのよ」
 昼下がり、ヤマメは地霊殿の客間でお茶していた。お相手は、昨夜に偶々出会った主さん。落ち着いた物腰のお嬢さんだと思っていたが、館を見るに、かなりの派手好きのようだった。眩暈を起こしそうである。
「かくかくしかじかって、それでわかる訳ないでしょうに」
「心読めよ」
「そう言われればそうね」
 そして、古明地の姉さんは意外と抜けているところがあるようだった。ヤマメは屈託のない笑顔を送る。
「笑顔で誤魔化してもダメ。失礼なこと、考えたでしょう」
「抜け目ない……」

 * * *

 よくわからない。二人は声を揃えて言った。
 あの子のこともよくわからないし、自分が何を思って行動したのかも、よくわからない。ただ、何かしなきゃいけないような気がした、というよりない。不思議なものだ。ここに、珍しい組み合わせがお茶しているのが、彼女のせいに違いないのも、また。
「これが一目惚れって奴かしら……」
「そうかな」
「ナンパって、一目惚れした人がするものよね」
「そりゃそうだね」
「なら、一目惚れなのね」
「ナンパねぇ」
 奇妙な話は、奇天烈な話として纏まった。




 * * *




「……それが愛ゆえなら――いや、奇天烈な話だけども」
「自信が付いたわ。奇天烈な自信が」








 * * *








【優しい人】

 風邪を引いて三日目の午前中、そろそろ熱も下がってきたかという頃合。さてベッドでもう一眠りと横になるとき、その人がわざわざパルスィの住所を調べてまでやってきた。
 調べてというか、どうせヤマメに聞いたのだろうが。
「こんにちは」
 脇にある小椅子を連れてきて、さとりはそこにちょこんと座った。
 言葉を返してなどやるものか、毛布を頭まで被ってしまおうか、とパルスィは思ったが、先日ご馳走してもらった身、そこまで邪険に扱うのは気が引けて、結局、小さくも挨拶を返してしまう。
「一昨日から、風邪を引いていたんですってね。ごめんなさいね、気付かなくて」
 その日と同じ、穏やかな口調で告げるさとり。
 気づいていながら何も言わなかったくせに。バレバレの嘘を塗りたくった優しさなんて……。
「わざわざこんなところまで。狭い路だったでしょう、お嬢さまには」
 毛布に顔を半分埋めて、パルスィは口調を尖らせて強がる。
 貧富の差は妬みの定番。妬みマスター水橋としては、そんな芸のない妬み方はしたくなかったのだが。きっと病のせいだろう。
「ああ、妬ましい妬ましい」
 さとりは大げさに零す。一昨日と変わらぬ可憐な笑顔だった。
 人の決め台詞を取らないでほしい。
「私は何もしてないわよ」
「いいえ、苦しそうに頬を赤らめています」
「風邪を引くことが妬ましいの? 変な人」
「こんなキュートな女の子にお見舞いに来てもらえるなんて」
「くだらない」
 その笑顔が本当に可愛らしいものだから、妬ましさしか起こらない。
 パルスィは寝返りを打って、また窓のほうを眺めた。祭が終わってから、旧都の天井が以前よりも暗くなったように感じる。不思議なものだ。

 * * *

「これ、お見舞いの品です」
 さとりが八百屋の買い物袋から林檎を二つ取り出して、ベッドの横にある小さな机に並べて置いた。
「何が好きかわからなかったから、無難なものになっちゃいましたけど」
 パルスィは何も言わずに、もそもそと再び寝返りを打つ。さとりはこの間、終始パルスィを見つめ続けていたのだろうか、すぐに目と目が合う。気持ち悪いような、照れくさいような。
 無論すぐに目を逸らすのはパルスィ。目線を林檎へと切り替える。あまり色付きはよくないものだった。こんな地下で栽培している植物なんて、だいたい皆そんなものだから仕方ないのだが。
「今、剥きましょうか」
「え……」
 始めからそのつもりでした、とでも言いたげに、買い物袋から果物ナイフを取り出すさとり。ああ原因不明の親切、一体全体何が彼女を駆り立てるのか。パルスィの頭は疑問符で満ちていく。
 さとりは何も言わなかった。
 何も言わずに指を切った。

 * * *

 パルスィは――もしかすると初めてかもしれない――さとりをまじまじと見つめていた。果物ナイフで切った左の親指を自分の口でちゅーちゅー吸っている、その仕草が何処となく愛らしく見えたから。
 少し経って、出血が止まりほっとするさとりは、そこでパルスィの視線に気付いて頬を染める。パルスィ自身もそれを見てようやく、自分がさとりに熱い視線を送り続けていたことに気付いて、はっとして目を逸らす。一体私は何に見惚れているのかと、悶々と自問自答することになるのだった。








 * * *








【すきなもの】

 別れ際、さとりは言った。
「次は貴方の好きなものを持って来ますね」
 せめてこれだけでも、パルスィには、答えてほしい。
「何がいいですか?」
「……ハーゲンダッツ」
 よかった。










 * * *










【緑眼の視線】

 ベッドに横たわったまま窓を見上げても、暗い天井しか見えず。
 ここから地霊殿を眺めるには、身体を起こさねばならない。
 ずっと遠くだが、それが確かに見える。
 一人になったパルスィは、眠る時間を随分失った。








 * * *










【終始 II……漸近線】

「貴方が妬ましいよ、古明地の姉さん」
「ふふ、嬉しいわ」
 昨夜のことであった。








 * * *











【裏側 I】

 タイミング悪く、さとりの留守中、ヤマメが再び地霊殿を尋ねた。大きくはないが、立派な門構え。だが、何処となく洋風の外観は、それだけで旧都からは浮いて見える。故にかどうか街外れに位置するこの館は、周りに建物が少ないせいで、広場から眺めると、却って目立っていた。

 * * *

 ヤマメはピカピカのドアベルを一回、そして二回鳴らす。そして、思考を読まれることを分かっている上で、
(さとりーん、早く出ないと門にノロウィルス塗りたくるよー)
 頭の中でそんなことをぐるぐる廻した。細菌テロ。迷惑この上ない。
 しかし、少し待ってみても館主は現れなかった。聞こえなかったかなあ、などと思考は流れ、もう二回、ピカピカのドアベルを鳴らす。まさか、この大きくはないが立派な屋敷の中に、誰もいないなんて無用心なことはあるまい。たとえさとり本人が外出中であっても、メイドさんの一人ぐらい、いてもおかしくないだろう。
 暫く経ってから、聞きなれない声がして、それから門が開いた。予想は半分だけ当たっていた。

 * * *

 お昼には少し早いけど、お茶にしませんか。燐はそんなことを言いつつ、昨日の客間に招待しては、セイロンティーと小さなモンブラン・ケーキを差し出してくれた。味は上々、さすがは天下に名高い猫耳メイドの料理である。
 これで、部屋がもう少しシックな色調であれば文句ないのだが。

 * * *

「さとりさまが随分お気に召したようですね」
 ピンク色のクロスを掛けたテーブルを挟んで、向かいに座っている猫耳メイドが話題を切り出した。綺麗な座り方だった。
 不思議と表情は一切なかったものの、動物というものは、たとえ表情がなくとも感情が分かりやすくできているものなのだ。彼女もそうであるし、ヤマメ自身もきっとそうなのだ。
 この猫は何を勘違いしているのか。
「嫉妬してるのかい?」
「な……」
 わかりやすい。実に単純明快に女の子猫である。自分と似ているから、そういう相手は好きだった。
 燐は顔ごと視線を何処かへ逸らした。図星なのだろう。両手を膝に置いてもじもじしだす。だがそれでも背筋が伸びていて、綺麗な座り方は崩さなかった。行儀のいい猫だ。
 ヤマメは紅茶を一口付けてからこう言った。
「嫉妬は成長の元だが、破滅の元でもある」
 燐の目線だけがヤマメを向く。
「……って、さとりが昨日言ってた」
 ヤマメは屈託なく笑った。燐も溜息交じりに笑った。一瞬だけ真っ直ぐ目を合わせて、そしてやっぱりもじもじしながら、今度は俯き加減に言った。
「やっぱり、妬ましいです」
「そうかい。嬉しいねえ」
 私も同じ気持ちだよ。
 ヤマメは燐にとって、奇天烈なことを言っていたように見えた。






 * * *







【ノイズの平面が稲妻を連れて】

 四日目。発熱とさとりが再び現れた。前者は咽の痛み、後者はハーゲンダッツを持って。
 顔がやけに熱い。なのに寒気がした。ハーゲンダッツなんて食ってる場合じゃない。昨夜、風邪が治りかけたというのに、可愛い子ぶってお風呂に入ったのは間違いだったのかもしれない。
 そうさせたのは、彼女だというのに。皮肉。
「こんにちは」
 こいつら、拒絶しても来るのだろう。
「……こんにちは」
 って……何故私が素直に挨拶しているのか。パルスィは妙な悲しさを覚えた。
「顔、赤いですね」
 さとりは昨日と同じように小椅子に座って、買い物袋からハーゲンダッツを二個取り出す。そして、それを林檎と同じように机に並べて置くのも、同じように。
「熱がぶり返しちゃって」
 昨日と同じように、パルスィは毛布で口元を隠す。本人は反抗のつもりなのだ。
「……そうだったんですか。じゃあ、アイス食べるのはやめたほうがいいかしら」
「そう、ね……。寒気がしてるし、今も」
「それは大変」
 さとりは表情なくハーゲンダッツを袋に戻す。パルスィは、自分が別に悪いことをしているわけじゃないのに、何故だか申し訳なく思った。







 * * *








【貴方と私のジェラシー】

 だからって素直に言えるわけ、ない。そのために心が読めるんじゃないのか。
「じゃあ、―――――」
 さとりが耳元で囁く。痛いぐらい突き刺さる言葉だった。







 * * *








【ジェラシー II】

 優しい人を嫌いになれない。







 * * *







【終始IV……裏側II】

 四日目の夜。
 さとりは自室にある専用バスルームの湯船に、昨日と同じように口元まで沈んでいた。悩みがあるときは、ここで沈むのが秘かなストレス解消法になっている。
 自分の行動が読めない。よくわからない。それこそ、あの子以上に。ただ少し饒舌になって、ただ少し優しくなれて、ただ少し楽しくなる。それだけの変化。それだけの変化の意味が、わからない。
 ささやかな悩み。何年ぶりかの。

 * * *

「入りますよ~」
「はぁ!?」
 そんなところに燐が乱入してきた。全裸で。直後、「うおりゃ!」とかいう掛け声と共に湯船に飛び込む。湯は派手に飛沫を上げてさとりに降りかかる。ついでに膝を踏まれた。痛い。
「えへへ」
 燐はご機嫌の模様。
「えへへじゃないです。何するんですか」
 さとり専用の湯船は、燐が肩まで湯に浸かるには少し、狭かった。仕方なくさとりが正座して、ようやく容積に余裕ができる。燐もそれが最も快適と感じたのか無意識に真似するも、今度は膝と膝がぶつかり合ってしまって、地味に居心地が悪かった。
 そんなことは構いもせず、燐は満面の笑みで答える。
「さとりさまにサービスでもと思いまして」
「コレのどの辺がサービスなのかわからない」
「えっと……おりんりん石鹸ランド?」
「いい加減にしろ」

 * * *

 燐は言う。
「さとりさまはずるいんですよ。自分の心だけ隠しちゃうんだもん」
 そうなのだろうか。
 よく、思考を隠そうと必死になられることはあるが、それがうまく出来た相手は殆ど見たことがない。心を操るとは難しいことなのだろう。それゆえ燐が言うように、自分が心を操って、胸の奥に隠してしまうなんてことができているとは思えない。
「燐は、さとりさまと違って、言われないとわからないですから」
 燐が乗り出した。顔が近づいていく。さとりの三つの目には、髪を降ろした燐は何処か大人っぽく、そして何処か複雑な心情を孕んでいるように見えた。
 ああ、そうか。
 そういうことなのか。
「さとりさま。さとりさまがもし、燐を――」
「燐」
 言葉に言葉が重なる。さとりの声は、尖るような、機械的で冷たい声だった。
「よしなさい」
 さとりはもう本意を見てしまったから、それだけ告げて静止すればいいと思ったのだ。





 * * *





【ジェラシー感染拡大】

 夜中の庭には、隠れて眠る何匹かの猫しかいない。今夜は燐も同じように、此処で隠れて眠ることにした。
 燐には、今のさとりの無表情は崩せなかった。うまくいかないものだ。燐はただ、さとりに笑顔を取り戻して欲しいだけなのに。
 胸に痛みが走った。

 * * *

 ただ、さとり自身はというと、何か得るものがあったように微笑んでいた。
 きっと最近は、燐やヤマメやパルスィの溢れ出る気持ちが雪崩れ込んで、さとりの第三の目が回ってしまっただけなのだろう。
 明日、燐にちゃんとお礼を言おう。晩ごはんは燐の好きなものにしよう。そう決めたところでさとりは、占いの本を片手に寝台へ向かうのだった。









 * * *








【プラスチックハート】

 妬ましい。
「パルスィ」
 妬ましい妬ましい妬ましい。
「パルスィ、寝てしまったの?」
 妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい!
「そんなふうに名前を呼ぶな!」
 闇の中、愛しいさとりが差し出した手を、無我夢中で振り払う。
 愛とか優しさとか、そんなものを信じるものか。優しい言葉を掛けられたぐらいで、靡くものか。何のために、私は鬼となったか――






 * * *





【温かい手 II】

「パルスィ」
 さとりの声は止まなかった。ふと手を握られてる感じがして、自分が今まで眠っていたのだと気付いた。
 目を開けると、心配そうな顔をしたさとりがいた。
「……さとり」
「ごめんなさいね、起こしてしまって」
 それはすぐ、安堵したように変わる。
「うなされていたようだったから」
「ん……」
 ゆっくり起き上がる。じっとり汗を掻いている。悪い夢を見ていたような気がする。気分が悪い。

 さとりのほうを見ると、ハーゲンダッツの入れ物がひとつ、空になっていた。
「ああ、ごめんなさい。放っておいたら溶けちゃうと思ったから……」
 心を読んだのか視線を読んだのか、さとりはしゅんとして告げた。
「いいよ別に」
 また窓のほうを向いたパルスィは、自分でも素っ気ない返事だと後悔していた。









 * * *









【裏側III】

 三たびの来訪である。そのうち二度目の接客ともなれば燐も慣れたもの、と思いきや、滅多に来ない来客に関してはなかなか勝手がわからない。
「お待たせしました」
「待ったね」
 鬼は嘘吐かない。

 * * *

 昨日とは打って変わって、アッサムティーとハーゲンダッツが出てきた。無理にでも茶菓子を出そうとする心意気が伝わってくるようだ。やはりよくできたメイドだ、ということにしておこうと思う。

 * * *

「やれやれ、こう目当ての人に会えないんじゃ寂しいねえ」
 なんて、ちょっとからかってみることにした。燐は昨日と同じように、ヤマメの目の前の席に座って、言ったのだった。
 だが、燐の反撃は手痛かった。
「妬ましいでしょう、何時でもさとりさまに会えるあたいが」
 してやったりー、とでも言いたげな笑顔が小憎らしかった。これにはヤマメも苦笑いするしかない。
「こいつー」
 言い捨てるように。そのままの勢いで紅茶を口に付ける。うん、やはり美味である。むしろ、彼女をメイドにしているさとりが妬ましい、などとヤマメは邪な考えを抱く。
 もちろん実際には、燐がメイドであるわけではない。










 * * *








【暗転して一回転】

 五日目。
 昨夜さとりには止められたが、じっとり掻いた汗がどうしても我慢できずに一風呂浴びてしまった。今回の風邪は長引きそうだった。
 浴室から出て見れば、さとりがいつの間にかいた。しかも、幸せそうな顔で眠っていた。それも小椅子に座ったままついつい、みたいなのならまだいいものの、何故かパルスィのベッドで派手に眠っていた。幸せそうな顔で。
「どういうことなの……」
 ちなみに経緯は単純で、あまりの睡眠欲に無意識の領域が干渉してきただけである。やっぱりこいつボケてるんじゃないだろうか。
 そんなことは露知らず、さとりの意外な一面というか愛らしい寝顔に心奪われるパルスィであった。
「……って、馬鹿じゃないの私は」
 あー妬まし妬まし。さとりが起きていたら、どういう反応をしていたことか。
 振り払うように言い捨てて、昨日さとりが座っていたまま置いてある小椅子に腰掛ける。その座り心地は、とてもいいとは言えない。何で私の私物はこうしょぼくれてるのかしらと、パルスィは自分のところに来ない高級家具を妬ましく思った。
 視界には穏やかな寝息を立てるさとり。その左側には、机の上に置きっぱなしの空箱がふたつ。
 せっかくだし、片付けようかしらと、空箱に手を伸ばそうと椅子から立ち上がった直後。
 風邪のせいなのだろう、立ち眩みのようなものを起こし、パルスィはバランスを崩してしまった。そういうとき、咄嗟に人は頭をぶつけまいと手を前に出す。

 無意識、そうこれは無意識なのだそうに違いない。無意識に手が出て、パルスィはさとりの上に覆いかぶさるような形になって、一応頭に直撃するのは寸前で回避して、しかし古いベッドは派手に軋む音を立てていて、
「ん……?」
 眠りの浅かったさとりが目を覚まして。一瞬で目まぐるしく事態が動き、パルスィはただただ硬直するしかなく、さとりはただただ唖然とするしかなく。
「あの……」
「ち、ちが……これは……」
 不必要に見つめ合う二人。無駄にピンク色した空気が噎せ返るような芳香を放ってドロッドロに纏わり付いてくる嗚呼何だこれは気持ち悪い。パルスィの思考が宙に舞うまでに破綻して沈んでいく。無論、その全てがうねりとなってさとりの目に雪崩れ込んでいく。
 結果、二人とも混乱した。このまま起き上がることは暫く、なかった。









 * * *









【裏側III……駆け込み乗車】

「ところで」
 明るい燐とヤマメの花咲く会話は、傍から見ているだけでも楽しいものであっただろう。そんな中、ヤマメが切り出した話題は、それを急転させる。
「さとりは何処へ行っているの?」
「え?」
 そんな馬鹿な、というように燐は困惑した。
「何処って……さとりさまは『ヤマメに聞けやぼけ』としか」
「ええ?」
 奇妙な話である。クエスチョンマークはヤマメにもうつって、両者は腕を組んで唸るよりなかった。
 と思いきや、ヤマメはあることを思い出した。
 ああ、そうか。

「燐、どうやら私たちは妬む相手を間違えたようだ」
「へい?」








 * * *








【見たいもの 見せたいもの】

 古いベッドに二人の少女が並んで腰掛けている。嗚呼、何故こんなことをしているのか、パルスィはまだわからないでいる。古明地さとり、貴方はいったい何なのか、と。
「妬ましい」
 宙を見つめながら、おもむろにパルスィが呟く。
「何がです」
「貴方の目が」
「あら」
 さとりが微笑んだ理由は、パルスィにはわからない。
 いや、だからこそか、その話はそこで終わり、
「私に関わるのは何故かしら、古明地」
 ずっと訊きたかったことを、ようやく訊けた。
「私の心を見て何か面白いかしら。ただの醜い嫉妬の塊でしょうに」
 なのに。声が震えて、はっとした。
 さとりの顔を見ると、いつの間にか彼女の微笑みは消えていた。
 それが酷く残念に思える。
 あの微笑が妬ましくて、尚且つ愛おしいのに。
 終いには目を逸らされて。
 嗚呼、どうして、今になって不安にさせるのか。
 欲深いパルスィの瞳は、もう目を合わせることは出来ないと感じた。
 しかし、それでも、さとりは淡々と、けれども柔らかく囁くものだから。
「貴方の心も、そして貴方の瞳も――宝石のように綺麗だから」
 そして、まるで小悪魔のように、
「欲しくなっちゃうんです」
 微笑むものだから。

 ずるい。
 そんな風に言われたら、目を向けないわけにはいかないじゃないか。
 パルスィはやはり、何も言わない。だが、素直になんかなりたくないと、パルスィの心が、そしてさとりに向けられた瞳が、嘆いている。
「素直にならなくたって、いいですよ」
 嗚呼、本当に、何て妬ましい目。
「私なら受け止められます」
 パルスィはその感情が、自分では悔しいのか、それとも嬉しいのか、わからなかった。ただ、嫉妬の殻にひとつだけ、罅が入ったような気がしていた。
















 * * *














【エピローグ】

 路地裏にあるゴミ置き場より、覗く怪しい影二つ。
「十メートル先にある他人の部屋を覗く女、黒谷ヤマメ!」
「色々と台無しにしてるよ、お姉さん……」
 ヤマメの予想は、今度は的中していた。見紛う事なき逢引である。色々と妬ましい。
 燐はこれまで、妬ましさに胸が張り裂けそうであった。しかし、
「人はこうして大人になり、巨乳になる」
 というヤマメの格言に心奪われ、大人になることを決めたのだった。

 結局、最初から答えは出ていた。さとりに笑顔がなかったのは、気になる人が苦しんでいる、たったそれだけの単純な理由だったのだ。燐は、さとりにそれを気付かせたこと――転んだ拍子にたまたま答えが転がり出てきたようなものだったが――を、誇りに思っている。ヤマメも、彼女がそれでいいなら、いいのだろうと考えていた。
 ヤマメの目には、鉄の鎖が少しだけ緩んだように見えたから。
 本当に、複雑な感情を持った子だ。私にはわからない。
 彼女の相手は、さとりが適任なんだろう。妬ましいが。

「さて。ウチで酒でも呷ろうか、お燐ちゃん?」
「いいですね。じゃあ、見つからないうちに」
 二人は見合って、悪戯な笑みを漏らした。
 ジェラシーは、心の表面を覆うように固まっていく。その内側にあるハートの核を解放するには、ちょっとした刺激が必要なのだ。お酒とか。







 了
「ところでお燐ちゃん、私のメイドにならない?」
「いいですよー」
「あはは冗談……え?」
 酒の席では、軽はずみにご用心。

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地霊殿が旧都に馴染む始めの一歩。
まさかその橋渡し役が彼女とはね。
嫉妬は嫉妬を生むが、それだけじゃないのです。
いやまぁその。
おひさ。
oblivion
コメント



1.過酸化水素ストリキニーネ削除
「うるせーぼけ」等のちょろちょろと顔を覗かせるさとり様の暴言に心奪われました。
どのキャラも活き活きとしていて面白かったです。
さとり様かわいいよさとり様!
2.名前が無い程度の能力削除
また貴方の作品が読めるなんて思ってもみなかったです。
いい話をありがとうございました。
3.名前が無い程度の能力削除
おお、読み終わった後に作者さんの名前に気がついたぞ。
暴言を吐けるペットとさとりの距離感が素敵です。

あとがきのヤマメとお燐が素敵なことに。
4.つくし削除
久しぶりに貴方のお話を読めて幸せ。
そしてこの地霊殿超ステキ。
5.白徒削除
くそぅ、最初カップリングが多すぎて混乱して。
段々さとパルでニヤニヤしながら4角関係にどぎまぎして。
最後に「人はこうして大人になり、巨乳になる」で大爆笑。
もう、いっぱい入りすぎてて感情大爆発しました。
本当、面白かったです。いいなぁ。
6.謳魚削除
本当に、おひさ。
>>「十メートル先にある他人の部屋を覗く女、黒谷ヤマメ!」
全部持って逝かれてしまいあいやお見事ヤマメさん。
さとパルやらヤマ燐やら憎いトコ突きやがってくれやがりますね。
そして貴方のアリパチュの続きが見たくて。
ふと思い出すと見に行ってます。
こあさんが粋。アリスさんが若干ヘタレ。パッチュさんが乙女。もう大好き。
ごめんなさい脱線しました。