ここはおおむね静かなヴワル魔法図書館。
ある時間を除けば、とても快適に読書を楽しめる空間である。
そのある時間については、もはや説明は要らないであろう。
そんな図書館の静かではない時間には、いろいろな事が起こるのである。
「なぁパチュリー、『エントロピー』ってのが分かりやすく書いてる本とかないか?」
「あなたは実に⑨ね」
「うわ唐突に酷いぜパチュリー。
そんなことを言われたら私は、傷ついた乙女心を癒すために全力で恋符を使わねばならんのだが」
言って、本当にスペルカードを取り出す魔理沙。
普段はヤマザナドゥに説教される程度に嘘を吐く彼女だが、こういう時だけは本気と書いてマジなのだ。
「……あのね。仮にも魔法を使う者が、エントロピーを知らないなんて言わせないわよ」
「知らないぜ」
「…………」
片手で額をおさえるパチュリー。苦しげに閉じられた両目が実に悩ましい。パチェ萌え。
「いえ、なんとなくで魔法を使ってそうなあなたならそうなのかもね」
「うわまた⑨にされた気がするぜ」
「そんなことはないわ。ただ単に、余りにも非常識な事態に自分なりの解釈を付けてみただけだから。
で、なんでまたそんなことを?」
「なんだか釈然としないが……いや、この前借りた本に『マクスウェルの悪魔』ってのが出てきてな。
エントロピーがどうのこうのって話らしいんだが、肝心のエントロピーってのが分からんのだ」
「それで調べに来た、と」
「そういうことだぜ」
答えながら、その辺にあった本を適当に積んで椅子代わりに座る。
パチュリーは「本が傷むからやめろ」と言いたかったが、無駄なので代わりにこう言った。
「あなたは実に実に⑨ね」
「そういうこと言ってると私の魔砲が跡形も無くすぜ?」
「あの程度の能力しか持ってないのに悪魔なんてよく言ったものだわ。外の世界の人間って分からないわね」
「ん? パチュリーはなんか知ってるのか?」
「まあね」
「じゃあ分かりやすく説明してくれよ。その方が本を探すより手っ取り早い」
そんな魔理沙の要望に、パチュリーは少し考えてから答えた。
「……分かったわ」
「お、みょんに素直だな」
「代わりに、明日までに持って行った本を返して頂戴」
「ぐ……まだ読み終わってないのがあるんだが……」
「明日までに読み終わることね」
「ひどいぜ」
「そうね。で、聞くの? 聞かないの?」
パチュリーはそう聞いてはみたが、『本を返す』と言う交換条件の下で魔理沙がうなずくとは思ってはいなかった。
ダメもとでリスクの少ない賭けをしてみただけである。
しかし、意外にも魔理沙の答えはイエスであった。流石の好奇心である。
「……分かったぜ。明日までに返せる分は返す」
パチュリーはそれに少し驚いたが、すぐに落ち着いてその提案に妥協した。
「……まぁ、あなたの家の散らかり具合は新聞にも載るほどだしね。それでいいわ」
「で、なんなんだ? マクスウェルの悪魔って」
「せっかちね。順番に説明していくから待ちなさい」
「わかったぜ」
「……まず、マクスウェルっていうのは外の世界の学者ね」
「じゃあ、マクスウェルの悪魔ってのは学者の悪魔なのか?」
「違うわ。マクスウェルが定義したからマクスウェルの悪魔というだけよ」
「む?」
「気体の分子の速さを見極められる程度の能力、とでも言えばいいのかしらね。
その能力を持っているものを、仮にそう名づけたのよ」
「きたいのぶんし?」
「……精霊に置き換えて説明しようかしら」
「おう、その方がたぶん分かりやすいぜ」
「精霊はどこにでもいるけれど、よほど力の強い精霊か、よほど密集していない限り目には見えないわね?」
「当たり前じゃないか」
「でもマクスウェルの悪魔は、どこに・どんな精霊が・どういう風に動いているかが見えるの」
「ほう、そりゃすごい……のか?」
「大してすごくはないわね。見えるだけで使役できるわけではないから」
「……で、その悪魔は何をするんだ?」
「まず前提条件として、1つの窓で繋がった2つの部屋を用意するの」
「で?」
「2つの部屋には……そうね、火の精霊と水の精霊がいるとしましょうか」
「随分と珍しい部屋だな」
「いいのよ仮の話なんだから。そして、その悪魔が窓を開け閉めできるの」
「ふーん?」
「片方の部屋をA、もう片方をBとしましょうか。
Bの部屋の火の精霊が、窓にぶつかりそうになった時に窓を開けたらどうなるかしら?」
「そりゃあ、Aの部屋に入っちまうだろ」
「そうね。じゃあ逆にAの部屋の水の精霊が窓にぶつかりそうになったときに窓を開けたら?」
「Bの部屋に入る」
「それを繰り返すと?」
「Aの部屋に火の精霊が、Bの部屋に水の精霊がたまっていくな」
「そうなると精霊の特性上、Aの部屋は熱く、Bの部屋は寒くなっていくわね?」
「そうだな」
「つまり、マクスウェルの悪魔は、窓の開け閉めだけで暑さと寒さを操ったわよね?」
「おぉ、言われてみれば。……そういえば、エントロピーはどうなったんだ?」
「エントロピーって言うのは、無秩序性のこと。ところで、魔法を使うときには魔力を使うわね?」
「あぁ」
「魔力はそのままの状態では何の意味もないけれど、ある一定の術式で方向性を持たせれば、魔法になるわね?」
「そうだな」
「その『方向性を持たせる』ことを、エントロピーを減少させるって言うんだけど……
さっきの悪魔は窓の開け閉めだけで、精霊を使役したのと同じことをしたわよね?」
「あ、つまり……」
「そう、魔法を使わないのに魔法と同じようなことが出来るっていうこと。
初歩的な精霊の召喚に限られるし、条件も厳しいけどね」
「なーんだ、全然大したことないな」
「だから最初に言ったでしょ? 「大したことない」って」
「うむ、つまりこんなつまらない説明を延々と聞かされたんだから、本の返却はなしだな」
「……言ってなかったけど、今日は喘息の調子がとてもいいのよ」
「……あぁ、だからこんなに長々とくだらない講釈をたれてたのか」
「いい加減本返せこの黒白鼠!」
「死ぬまで借りとくぜ紫もやし!」
いつも通りの弾幕ごっこが始まった頃、図書館の片隅では日ごろの疲れのためか居眠りしてしまう小悪魔がいたのでした。
「……うぅ~ん……えぇ? 魔理沙さん…本を返しに来てくれたんですかぁ? ……わぁ~い…うれしいなぁ……むにゃ……」
良い夢を☆
魔理沙の口調が実に「らしい」のも素敵です。