世はなべて事もなく、今日も博麗神社の境内には人っ子一人いない。名も知らぬ小鳥が一羽、ぴーちくと陽気に鳴いて青い空を横切った。閑古鳥というやつかもしれない。
いや、訂正しよう。社の縁側、めったに用を為さない賽銭箱の前に、一人の人間が座っている。墨を流したような黒髪に紅白の衣装。ご存知、楽園の素敵な巫女さんである。これで現在神社にいる人間は全部だ。
そして、たった今石段を登ってきた人間以外が一人。
薄紅色のドレスの似合う小柄な影。真っ白な日傘は高級なティーカップのようにおしゃれで、くるくる、くるくる、持ち主の気分につられて楽しげに回る。柔らかな日のさすその光景はとても画になるけれど、その少女の名前がレミリア・スカーレットとなると、少々事情が違う。
今、「石段を登ってきた」と書いた。夜天の女王ともあろう者が地べたを歩いてきたのだ。それはもちろん忌まわしい太陽のせいだった。日中の彼女の能力はそれなりの制限を受ける。普段の彼女なら、棺の中で眠っている時間のはずだ。
そして、本来その日傘をささげ持つはずの従者がいない。眠ったと見せかけて館を抜け出してきたのだった。日中に出かけるなどと正直に言えば、門番を質に叩き込んでも付いて来ることは明白だったからだ。忠臣見上げたものだが、ちょっと困る。
お嬢様にも、屋敷の者から離れてグリーンティーが飲みたい日ぐらいあるのだ。
「霊夢」
神社のひさしの下に来て、レミリアは声をかけた。もう日陰に入ったので、日傘を閉じた。
「……霊夢?」
返事をしない。霊夢は縁側に座ってうつむいたままだった。顔を覗き込んでみると、顔中の筋肉が見るからに緩みきっている。規則的な呼吸。ものの見事に眠っていた。レミリアはなんとなく境内を見渡す。あちらこちらに落ち葉が散乱している。足元にはホウキがうち捨てられたように転がっている。ため息が漏れた。
「霊夢」
肩をゆする。起きない。
おなかをつついてみる。寝息は乱れない。
頬をぺしぺしと叩いてみる。鼻ちょうちんが出た。
「……」
お嬢様としては面白くない。わざわざお忍びで来たのに愛しの人がこうでは甲斐がないではないか。ちょこっといらだたしげに目じりを吊り上げると両手で霊夢のむき出しの肩をガッシとつかむ。
「れーいーむーっ!」
がくがくがくがくがく。前後に揺られて、程よくシェイクされる霊夢の頭。振動を止めるとまた糸が切れた人形のようにグタリとうな垂れる。だらしなくぱかりと開いた口からは今にもよだれが垂れてきそうだ。怒りを通り越して呆れる。脳が年中春だからって、春眠暁を覚えずを年がら年中適用するものではない。とうとう脳内も素敵に異常をきたしてきたのだろうか。というかここまで無防備なのは生物としてどうよ。
「…………」
それは突発的好奇心というか、悪戯心というか、行動に移すコンマ数秒の前まで、お嬢様的にはそれに特に深い意味を見出していなかったに違いない。とにかく、レミリアの両手が花咲くように伸びたとき、なんつーか歴史とかいろいろなものが動いた。
ふにん。
その効果音が意味するところは一つで、つまりお嬢様の両手は素敵な巫女さんの素敵なふくらみをつかんでいろいろハッピーな状態になった。
「……ふぁ……っ」
ピクン、という反応とともに、なにやら切ない息が漏れた。そして、ここまでわかりやすい反応をしておきながらやっぱり巫女さんは起きない。
どこまで無防備やねん。
かまってもらえない苛立たしさ半分、悪戯心半分、愛おしさ半分、転じて煩悩十五割を以って、お嬢様の中でナニかが壊れ始める。表情も見る見る変わって、描写するのも忍びない顔を形作る。なので、その意味するところだけを書くとこうなるだろう。
据え膳食わぬはなんたらかんたら。
ふにふにふに。ああ、柔らかいものを揉みしだくと、かくもステキな効果音がするものなのですか。
「あ、ん……やっ…ぁ……」
悩ましげな声だけはきっちりとあがる。レミリアはその感触を手のひら全体で楽しむように、やわらかに形を変える霊夢の胸をもてあそぶ。ふに、ふに。そして……
やがて、その手が止まる。
「……」
両手を霊夢の胸に置いたまま、彼女のひざの上にレミリアは腰掛ける。非常に密着した、恋人同士の蜜月のような姿勢。忌まわしい太陽は神社の屋根がさえぎる。その影の中でさえ映える白い肌に、レミリアは思わず喉を鳴らした。
そのとき聞こえた、とくん、という血流の音はどちらのものだったか。
「……」
とくん。
とくん。
霊夢の首筋の曲線が目に飛び込んでくる。丸みを帯びた肉付き、どこか官能をそそる鎖骨のライン。そして、うっすらと、青く見える紅い命の流れ。牙が、夜天の女王の本能がうずく。柔らかい肉を突き破れ、奪え、支配しろと暴れだそうとする。
ああ、そう。愛しい人はいま、完全に我が手の中に。
「……」
さや、と風が吹いて、境内の木々のみずみずしい枝葉を揺らして。
レミリアはそっと、霊夢の首筋に口付けした。
そして、それだけだった。
「……すぅ」
穏やかな寝顔をいつくしむように眺める。夢の中でもお茶でも飲んでるのかもしれない。
「……アンフェアだものね」
誰にともなく、レミリアは言い訳してみた。悪びれた様子はなく、女王然とした誇りに満ちた表情をしていた。しかしその表情は一瞬のこと。いまだ眠りこける霊夢のひざから降りて、隣に寄り添うように腰掛ける。少女然とした表情でその顔を見上げて、
「……」
こてん、と首を霊夢の肩に預けた。その光景は幼子と母親のようであり、甘い時を過ごす恋人たちのようでもあった。
闇の冷たさを愛するお嬢様が、はじめて日の温かみを快く思った瞬間だった。愛しい人の体温を感じ、つられるように眠気が押し寄せる。意識が胡乱げな明るさとともにフェードアウトしてゆくのにまかせて目を閉じた。……
「珍しい画だな」
境内に着くなり、魔理沙が述べた感想がそれだった。この白黒魔法少女が神社に来る理由といえばお茶をたかってダラダラすごすことに決まっているのだが、そのお茶のアテは目の前ですぅすぅと寝息をたてている。しかも真紅の悪魔というオマケつきで。夜天の女王が神社でお昼寝などと、ひどくミスマッチなはずなのに、二人が眠る光景は仲の良い姉妹かなにかのように安らかで、とても画になった。悔しいが、と魔理沙は思う。いま少しだけ、あの鬼っ娘(別名:幻想郷一の視姦魔)の気持ちがわかった気がしたのだった。
「それは別にして、だ」
こんなところでサボっている巫女を見過ごすことはできない。あたたかくなったとはいえこんなところで寝ては風邪を引くかもしれないし、あと、こんなところでレミリアを放置してはあとでメイドとかがいろいろとうるさいだろう。つーか茶が飲みたい。私が来たときに寝てるとは何事だ。ひと通り自分の中で言い訳してから、魔理沙は霊夢の頬をぺちぺちと叩いた。
「おーい起きろ紅白」
起きない。肩をゆすってみる。
「幻想郷の一大事だ、茶を出せ」
起きない。頬をむにーっとつまんでみる。
「大変だ賽銭が盗まれたぜー。って元々無いか」
起きない。ふむ、と魔理沙はあごに手をやる。昨夜の宴会で派手にやったのが悪かったのか。ちょっとステキなお酒をチャンポンで無理やり飲ませたあたりから霊夢の様子はおかしかったのだ、片付けの後で疲れ果てて眠っていれば、起きないのも無理からぬことかもしれない。
そこまで考えて、気の毒に思う白黒ではなかった。
むしろこう考えた、なんつーかチャンスだ、と。
お嬢様でなくとも、行動不能な巫女に悪戯をしたくなるのは幻想郷住人の大多数の共通思考なのかもしれなかった。
「前から、やってみたかったんだよな……」
魔理沙の両手がわきわきと軟体動物のような動きを見せた。「ふ、ふ、ふ。悪く思うな霊夢」
その腕が、素敵な巫女装束の、むき出しの腋に伸びたとき、
くわ、と霊夢が開眼した。
幻想郷の晴れ晴れとした空を、今日も飛ぶ影がひとつ。幻想ブン屋は今日も今日とてネタ探しにいそしんでいた。
博麗神社の上空あたりを通りがかったとき、彼女は目撃した。白黒の物体がものすごい勢いであさっての方向に吹っ飛ばされてゆくのを。なにやら、「腋はダメなのかあああぁぁぁ……!?」という謎の断末魔を残して、それはキラリと真昼の星と化した。
「…………」
文は、こっちには記事になるネタはなさそうだと踏んだ。メモを取り出して、ペンをくわえてウーンとうなってから、なにやら思いついたようにくるりと身を翻して、幻想郷一の速さで飛び去り……やがて、見えなくなった。
世はなべて、事もなし。
これだけでもう…、もう…っ!!
ラヴアンドピース!
やっぱりこの霊夢は、最近の流れに沿って「巻いてな(ry