アリスが死んだ。
死因は老衰。アリスには身寄りがおらず、魔法の森にある自宅で眠るように死んでいたところを、とある人外が見つけたという。
葬儀は里の人間たちが集会所と呼んでいる堂で行われ、そこには彼女と旧知の仲であった人外たちや、里で知り合った人間たちが集まっていた。
遺影にはすっかり皺だらけになった彼女の写真が飾られている。
かつて魔法使いだった彼女は、あるとき捨虫という不老不死の術を捨て、再び「人形を操る程度の人間」として生きる道を選んだ。以後は里で人形劇をしたり人助けをしたり。そうした彼女の純朴で親しみやすい人柄に惹かれ、里の者達はみなアリスのことが好きだった。
みな一様に故人を悼んでおり、人目を憚らず涙する者も少なくなかった。
式の最後には、アリスとごく親しかった人物が別れの言葉を読み上げた。
『冥界のアリスへ。
貴方は老いていっそう美しくなった。いつだったか、私に言ったわね。「里に降りるとかわいい孫達に会えるのよ」って。その時の貴方は幸せそうに微笑んで、今でもその優しい微笑みは思い出せるわ。
そんな孫達に看取られて逝ける貴方は――
この辺りでついに耐えられなくなった人間の何人かが、集会所から叫びつつ飛び出していった。
それでも葬式はしめやかに続行され、アリスの亡骸は皆に見送られ運ばれていった。
葬儀の翌日、未だアリスの死を悲しむ人間たちが集まって湿っぽい話をしていた。
墓は例のごく親しい人が旧アリス邸の裏に作ったそうだ。その人だけが知っている、「人形のお墓」らしい。
大切にした人形と一緒に眠れて幸せだろう、と村の男は語る。
この話を聞いた別の男が、そうだ墓参りをしようと提案した。
昨日は大々的に弔ったが、今度は個人的にやろうじゃないか。
男は何度か魔法の森で「迷って」アリスの家に泊めてもらったことがあるらしく、道案内ができると豪語している。
故人の人徳の為せる技か、善は急げと乗せられた若い男どもがたちまち数人集まって墓参りに赴くことになった。
時刻は正午過ぎ、まさか魔法の森で一晩明かすわけにも行かないので、取るものも取りあえず一行はとっとと出発した。
* * *
湿った森で一際異彩を放つ洋風の建物。場違いとも言える雰囲気に、彼らは飲み込まれるようにして歩みを進めていく。日も傾きかけた頃、一行は旧アリス邸へ辿り着いた。
しかし森の不気味さゆえか、それとも墓参りへの異様な緊張感からか、ともかく彼らは重い沈黙に包まれていた。
い、一番安全で一番の近道を通ってきたんだ。
案内役の男がたまらず沈黙を破る。
その呟きで意識を現実に引き戻され、男たちは漸く本来の目的を思い出した。
……アリスの墓へ、いざ両手ほどの桔梗を。尽きない別れの言葉を。
無言に沈む館の裏へ回ると、果たして墓はそこにあった。無用な飾り気のない素朴なつくりである。アリスさんらしい、男たちは口には出さなかったが、みなそう感じていた。
さて墓参りをするからには墓標の掃除だが、しかしすぐにその必要のないことが分かった。
墓は見事に手入れされ、土埃一つ被っていない。
またお供えものも同様であった。
つい先程まで別の客が来ていたのだろうか、彼らは訝しがったが、ひとまずは自分たちの用事を済ませることにした。
持ってきた桔梗と好物だったお菓子を墓前に供え、誰からともなく合掌していく。
感極まって鼻を啜り上げる音が聞こえたが、それ以外は何も聞こえない。
ややあって一人二人と目を開けていった。
二番目に目を開けた男が、墓をもっと脳裏に焼きつけようと一歩近づく。
見とれつつも墓碑に刻まれた「アリス」の文字に万感の思いをこめ、そしてその下に薄い字で何かが書かれていることに気付いた。
男はあっと声を上げ、食い入るようにしてそれを黙読し……
「あら、迷い人? そこで何してるの」
そして突然かけられた声に全員が驚いた。
急に声をかけられたこともそうだが、それ以上に今まさに弔った筈の女性の声だったからである。
彼らが狼狽していると、館の裏口の方から年端もいかない少女が出てきた。金髪のショートカットに透き通った蒼い目、髪には赤い髪飾りをしており、青いワンピースと白いケープを身に纏っている。
幸運にも、いや惜しむらくは男たちが初老から後のアリスの姿しか知らず、少女の姿を見てもうろたえるしかなかったことだろう。
「い、いえ、アリスさんの墓参りに来たんです」
戸惑いながらも男の一人がなんとか声を絞り出す。
「墓参り……そう。わざわざ有難う」
言葉とは裏腹に、少女はちっとも有難がっている様子はなかった。眉を一段吊り上げ、値踏みするように一行を見回している。
そんな剣幕に押されたものだから、男たちはそそくさと逃げ帰ろうとした。用は済みましたのでじゃあおれたちはこれで、と誰かが口を開こうとしたときである。
「悪い人間じゃないみたいね。墓参りのお礼よ、今日は泊まっていきなさい」
男たちは飛び上がらんばかりに、腰を抜かした。
* * *
旧アリス邸は見事に整理が行き届いていた。
家主が死んで空き家になっていたとばかり思われていたが、食糧の備蓄などからして間違いなく誰かが住んでいる。そして住人はもちろん目の前の少女だろう。
一人が名を尋ねると、彼女はアリスと名乗った。
そんなもの、性質の悪い冗談でしかない。一行はごくりと唾を飲み込んだ。
その後結局夕食をご馳走になり、流されるまま一晩泊まることになった。
しかし食事の間も少女は口を利かず、それ以外の時間はずっと人形を弄っていた。
彼らはより一層気味悪くなり、かと言って今更逃げ出すわけにもいかず、悶々とした不安と疑問を浮かべたまま寝床に就いた。
その夜寝就けなかった者が用を足そうと立ったとき、居間で一睡もせずに怪しげな魔術を操る少女の姿を見た。
となると少女は人外の類だったのか。故・アリスには身寄りがないという話であるし、少女はアリスの関係者なのかも分からない。
故人と同じ名を名乗り、ついでに住家を乗っ取っている。しかも正体不明のオマケつき。さらに人外と来たものだ。
この話を聞いた人間の身の毛がよだったのも無理からぬ話だろう。
そして夜が明ける。
トーストとスープの朝食を頂くだけ頂き、若い男たちは一宿二飯のお礼もそこそこに里へと逃げ帰って行った。
その様子を、少女は表情一つ変えず見送った。
墓参り客の帰った旧アリス邸には得体の知れない少女が依然居座り、そして今もそのままだ。
惜しむらくは、
いや幸運にも、若い男たちには館で出会った少女の印象だけが残っていた。
人里には館に不法滞在する人外の話のみが伝わり、墓碑の内容は誰も覚えていない。
死因は老衰。アリスには身寄りがおらず、魔法の森にある自宅で眠るように死んでいたところを、とある人外が見つけたという。
葬儀は里の人間たちが集会所と呼んでいる堂で行われ、そこには彼女と旧知の仲であった人外たちや、里で知り合った人間たちが集まっていた。
遺影にはすっかり皺だらけになった彼女の写真が飾られている。
かつて魔法使いだった彼女は、あるとき捨虫という不老不死の術を捨て、再び「人形を操る程度の人間」として生きる道を選んだ。以後は里で人形劇をしたり人助けをしたり。そうした彼女の純朴で親しみやすい人柄に惹かれ、里の者達はみなアリスのことが好きだった。
みな一様に故人を悼んでおり、人目を憚らず涙する者も少なくなかった。
式の最後には、アリスとごく親しかった人物が別れの言葉を読み上げた。
『冥界のアリスへ。
貴方は老いていっそう美しくなった。いつだったか、私に言ったわね。「里に降りるとかわいい孫達に会えるのよ」って。その時の貴方は幸せそうに微笑んで、今でもその優しい微笑みは思い出せるわ。
そんな孫達に看取られて逝ける貴方は――
この辺りでついに耐えられなくなった人間の何人かが、集会所から叫びつつ飛び出していった。
それでも葬式はしめやかに続行され、アリスの亡骸は皆に見送られ運ばれていった。
葬儀の翌日、未だアリスの死を悲しむ人間たちが集まって湿っぽい話をしていた。
墓は例のごく親しい人が旧アリス邸の裏に作ったそうだ。その人だけが知っている、「人形のお墓」らしい。
大切にした人形と一緒に眠れて幸せだろう、と村の男は語る。
この話を聞いた別の男が、そうだ墓参りをしようと提案した。
昨日は大々的に弔ったが、今度は個人的にやろうじゃないか。
男は何度か魔法の森で「迷って」アリスの家に泊めてもらったことがあるらしく、道案内ができると豪語している。
故人の人徳の為せる技か、善は急げと乗せられた若い男どもがたちまち数人集まって墓参りに赴くことになった。
時刻は正午過ぎ、まさか魔法の森で一晩明かすわけにも行かないので、取るものも取りあえず一行はとっとと出発した。
* * *
湿った森で一際異彩を放つ洋風の建物。場違いとも言える雰囲気に、彼らは飲み込まれるようにして歩みを進めていく。日も傾きかけた頃、一行は旧アリス邸へ辿り着いた。
しかし森の不気味さゆえか、それとも墓参りへの異様な緊張感からか、ともかく彼らは重い沈黙に包まれていた。
い、一番安全で一番の近道を通ってきたんだ。
案内役の男がたまらず沈黙を破る。
その呟きで意識を現実に引き戻され、男たちは漸く本来の目的を思い出した。
……アリスの墓へ、いざ両手ほどの桔梗を。尽きない別れの言葉を。
無言に沈む館の裏へ回ると、果たして墓はそこにあった。無用な飾り気のない素朴なつくりである。アリスさんらしい、男たちは口には出さなかったが、みなそう感じていた。
さて墓参りをするからには墓標の掃除だが、しかしすぐにその必要のないことが分かった。
墓は見事に手入れされ、土埃一つ被っていない。
またお供えものも同様であった。
つい先程まで別の客が来ていたのだろうか、彼らは訝しがったが、ひとまずは自分たちの用事を済ませることにした。
持ってきた桔梗と好物だったお菓子を墓前に供え、誰からともなく合掌していく。
感極まって鼻を啜り上げる音が聞こえたが、それ以外は何も聞こえない。
ややあって一人二人と目を開けていった。
二番目に目を開けた男が、墓をもっと脳裏に焼きつけようと一歩近づく。
見とれつつも墓碑に刻まれた「アリス」の文字に万感の思いをこめ、そしてその下に薄い字で何かが書かれていることに気付いた。
男はあっと声を上げ、食い入るようにしてそれを黙読し……
「あら、迷い人? そこで何してるの」
そして突然かけられた声に全員が驚いた。
急に声をかけられたこともそうだが、それ以上に今まさに弔った筈の女性の声だったからである。
彼らが狼狽していると、館の裏口の方から年端もいかない少女が出てきた。金髪のショートカットに透き通った蒼い目、髪には赤い髪飾りをしており、青いワンピースと白いケープを身に纏っている。
幸運にも、いや惜しむらくは男たちが初老から後のアリスの姿しか知らず、少女の姿を見てもうろたえるしかなかったことだろう。
「い、いえ、アリスさんの墓参りに来たんです」
戸惑いながらも男の一人がなんとか声を絞り出す。
「墓参り……そう。わざわざ有難う」
言葉とは裏腹に、少女はちっとも有難がっている様子はなかった。眉を一段吊り上げ、値踏みするように一行を見回している。
そんな剣幕に押されたものだから、男たちはそそくさと逃げ帰ろうとした。用は済みましたのでじゃあおれたちはこれで、と誰かが口を開こうとしたときである。
「悪い人間じゃないみたいね。墓参りのお礼よ、今日は泊まっていきなさい」
男たちは飛び上がらんばかりに、腰を抜かした。
* * *
旧アリス邸は見事に整理が行き届いていた。
家主が死んで空き家になっていたとばかり思われていたが、食糧の備蓄などからして間違いなく誰かが住んでいる。そして住人はもちろん目の前の少女だろう。
一人が名を尋ねると、彼女はアリスと名乗った。
そんなもの、性質の悪い冗談でしかない。一行はごくりと唾を飲み込んだ。
その後結局夕食をご馳走になり、流されるまま一晩泊まることになった。
しかし食事の間も少女は口を利かず、それ以外の時間はずっと人形を弄っていた。
彼らはより一層気味悪くなり、かと言って今更逃げ出すわけにもいかず、悶々とした不安と疑問を浮かべたまま寝床に就いた。
その夜寝就けなかった者が用を足そうと立ったとき、居間で一睡もせずに怪しげな魔術を操る少女の姿を見た。
となると少女は人外の類だったのか。故・アリスには身寄りがないという話であるし、少女はアリスの関係者なのかも分からない。
故人と同じ名を名乗り、ついでに住家を乗っ取っている。しかも正体不明のオマケつき。さらに人外と来たものだ。
この話を聞いた人間の身の毛がよだったのも無理からぬ話だろう。
そして夜が明ける。
トーストとスープの朝食を頂くだけ頂き、若い男たちは一宿二飯のお礼もそこそこに里へと逃げ帰って行った。
その様子を、少女は表情一つ変えず見送った。
墓参り客の帰った旧アリス邸には得体の知れない少女が依然居座り、そして今もそのままだ。
惜しむらくは、
いや幸運にも、若い男たちには館で出会った少女の印象だけが残っていた。
人里には館に不法滞在する人外の話のみが伝わり、墓碑の内容は誰も覚えていない。
最後はゾクゾクきました。面白かったです。
墓碑ではこう綴ってはいるけど、アリスもアリスでこの自律人形と同じ様な人生を歩みそうですね
ちょっと改行しすぎで逆に読みづらいと思いました
ぞくっと来ました。