Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

手を繋ぐ

2009/02/12 06:08:09
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寝苦しさに目を覚ますと、体中がべっとりと冷や汗に濡れていた。
古明地さとりは、まだ暗い部屋の中で目をとじ、じっと耳を澄ませた。
自分の心臓が早鐘のように打つ以外は、声一つ、心の声一つ聞こえてこない。
時間は正確にはわからないが、夜中であることは間違いなかった。

「私は」

白い手のひらが、ぼんやりとした暗さの中でくっきり浮かび上がる。
ぎゅっと握り締めては力を緩める。

「臆病者、なのでしょうかね」

つい先ほどまでさとりは、夢を見ていた。得体の知れない誰かに罵倒される夢。
暗い靄のようなものの隣には、誰よりも愛しているはずの妹、こいしが能面のような表情で立っていた。

はて、なぜここまで罵倒をされなければならないのだろう。
さとりは、夢の中で自分が何をしていたかまったく思い出せずにいた。
しかし、じっと手のひらを見つめていれば感じるところもある。

(この手のひらが冷や汗に濡れているところを見ると、夢の中の私は臆病者だったのかもしれませんね)

夢の中で、私は無力だった。所詮夢の中のことだと割り切ればいいのだけど、生憎そこまで、切り換えは上手くなかった。
煩わしいことだが、現実にも重くのしかかってくるよう。
なんせ現実の古明地さとりも、無様にも妹を御することができていないのだから。

(いまさら、ね)

歪つな関係だということは痛いぐらいにわかっている。
だからといってそれを打開する具体的な方策が、さとりには浮かばない。
結局今のままの距離感を保ちつつ、毎日を過ごしているのだ。

「寝ようかしら」

また同じ夢を見るかもしれないが、暗闇の中で一人考えごとが過ぎれば、それこそ頭がどうにかなってしまう。
さとりは広いベッドに潜り込み、かけ布団に包まった。もう、怖い夢を見てしまわないよう。



古明地こいしは、もう数週間地霊殿へと戻っていないことにふと気づいた。
数日はもちろん、場合によっては数ヶ月空けることも珍しくないこいしにとって、数週間は特別長い期間ではない。
けれどせっかく帰っていないことを思い出したのだ。

「久しぶりに帰ろうかなー」

地上の居心地は良い、とこいしは思う。
地下のように空気が淀んではいないし、太陽は人々の心を照らして余りあるほどに輝いている。
すっかり地上の空気が気に入ってしまったこいしは、このまま地上に住んでしまおうかとすら考えていた。

しかしいまのところの自分の家は、地霊殿なのである。
久方ぶりの帰郷を決めたこいしは、お土産代わりに大量のお菓子を持っていくことにした。
能面のように、表情を変えず。



こいしが地霊殿の扉を開けると、まずはお燐が出迎えた。
黒猫の姿で飛びつき、にゃーごにゃーごと鳴き声をあげてほお擦りをする。
直接の主人であるさとりのことをお燐は敬愛していたが、それと同じぐらいにこいしのことを愛していた。
心を読んでズバズバと口に出してしまう、常に相手の地雷原をひた走る不器用な姉。
心を閉ざし、一体何を考えているのかさっぱりわからない、同じように不器用な妹。
この二人が普通の姉妹のように振舞える日がくるとは正直なところお燐には思えなかったし、それでも良いと思っていた。
彼女らには彼女らの距離感があって、今はそれが上手くいっているのだからそれでいい。
ペットの分際で、そのことに口を出すつもりにはなれはしなかったのだった。

「……」

こいしは微笑みながら、お燐へと声をかけた。かけたつもりだった。
しかし口はパクパクと動きはしたものを、声としての空気が吐き出されることはなかった。
お燐はその仕草を、胸元に飛びついていたせいで見逃した。

「ただいま、お燐」

今度こそ声が出たと、こいしは内心ほっとした。最近このように、声が出なくなることがあるのだ。
きっとそれは誰かと話すということが少ないからで、決して大事ではないのだと思っていた。
根拠はなかったけれど、声が出なくなること以外に弊害などなかったし。

こいしはお燐を肩元に載せて地霊殿の暗い廊下を一歩ずつ進んでいく。
ペットたちはこいしの姿を見ても、何の反応を返さないことも多い。大半のペットには、こいしの姿を知覚することができないのだ。
確かにそこにいるはずのこいしを認識することができない。これこそがこいしの持っている「無意識の力」だった。

誰にも相手にされず、誰にも大事にされない。
それだけ見ると酷く寂しい能力ではあったが、こいしは存外これを気に入っていた。
常に傍観者の立ち位置を保てるというのは楽しいもので、他の妖怪との関係などを煩わしいと思うこともない。
幻想郷を俯瞰の目で眺めていられるこの能力を、こいしは誇ってすらもいた。

最近こいしが楽しんでいるのは、人間たちの家へと勝手に上がりこみ、その姿を眺めることだった。
にこやかに食卓を囲んでいる様、子供をしかりつける母親、孫に話を聞かせる老婆。
そして何よりもこいしが好きな光景が、人が逝くその時を眺めていることだった。
多くの人が泣きながら、看取るその中に紛れ込み、蝋燭が燃え尽きるその瞬間を見送る。
それを見るたびに、何も感じないはずの心の奥がぞわぞわと痒くなる。

その感覚が面白くて、こいしは幻想郷中をまわって死を見届けていた。
体から抜け出た魂はしばらくふよふよと漂い、彼岸を目掛けて未練たらしく飛んでいく。

あるときこいしは、魂を追いかけ、無縁塚まで一緒に旅をした。
魂は直接無縁塚へと向かおうとはせず、幻想郷の各所を順繰りに巡った上でようやく無縁塚へと向かった。
途中にある再思の道にはその時、彼岸花が咲き乱れていた。
そこを抜けることで辿り着ける無縁塚は、生者は滅多に近づくことのない寂しい土地だ。
無縁塚に幽玄に咲く紫の桜、この桜が散ってようやく、死者は迷いを解き放ち中有の道へと進み、三途の川へと進むことができる。

こいしはこの無縁塚がお気に入りで、一度訪れてからは何度となく足を運んだ。
色濃く漂う死の匂い。縁者もなく捨て置かれた無縁仏たち。
心を閉じきったこいしにとっては、それらが優しく染み込んでくるように思えた。

「ねぇ、お燐は無縁塚に行ったことはある?」

お燐はこいしの言葉に、にゃーと猫の言葉で答えた。若干声が高かったのは、肯定の意を込めてだろう。
遺体を運び地獄の釜で燃やすことが生業の火車。お燐にとっては、誰も弔うことのない無縁仏が主な相手だった。

「そっかぁ、あそこは素敵な場所だね」

こいしの声は感動の色がなく、酷く平坦なものだった。
ただその目は、うっとりと艶やかな色を帯びている。

こいしがリビングの扉を開くと、さとりは来ることをずっと以前から知っているようにソファーへと腰をかけていた。
目の前には湯気の上がる紅茶が、二つ。

「あなたの分よ」

「ありがとう、お姉ちゃん」

お燐はこいしの肩から降りると、さとりの膝の上へと飛び乗った。
それに対して、ソファーの縁に乗っかっていたおくうが羽ばたくことで抗議してみせた。

「喧嘩しないの、せっかくこいしが帰ってきたんだから」

柔らかく微笑むさとりと、凝り固まった表情でソファーへと腰をかけるこいし。
ティーカップに砂糖を入れてかき混ぜ、その上でミルクをたっぷりと入れる。
ミルクティーは香りが感じられないから邪道とさとりは言うが、こいしはそうは思わなかった。
まろやかな味わいのミルクティーの体に染み渡ることといったら、ほかのものには替え難いものだ。
ティーカップを傾けてほっと一息つくと、ようやく帰ってきたのだという実感が沸いた。
さとりの入れてくれるミルクティーが、ほかの何よりも美味い。
そのことは口に出すこともなかったし、仏頂面をしている姉に読まれることもない。

「こいし、元気にしてた?」

「……」

また声が上手くでない。咄嗟にこいしは喉に手を当てて、風邪を引いているとアピールしてみせた。
そして声が出せることを再確認して、質問へと答える。

「うん、元気だよ。助けて欲しいことなんてないよ」

言葉に出してから、こいしは思わず首をかしげた。

(あれ? 言おうとしたことと違うこと言ってるなぁ、まぁいいか)

テーブルの上に置かれていたバスケットからスコーンを取って口へと放り込む。
なんとなく目が合わせ辛くて誤魔化しつつ、もう一つスコーンを手に取る。

「こいし、お姉ちゃんは大丈夫よ?」

さとりの言葉には心配をしているようなニュアンスはなく、ただひたすらに甘く優しかった。
その言葉の響きが、こいしの居心地を少しだけ悪くさせた。

「ちょっと今日は疲れたから、もう部屋に戻るね」

「こいし……」

「ばいばい」

飲みかけのティーカップをテーブルの上へと置いて、そのままリビングをあとにするこいし。
その足の向かう先は、帰ってきたときだけ使う自分の部屋。



「さとりさま」

「お燐」

「どうして悲しそうな顔をしているのですか?」

「おくう」

さとりは悲しそうに目を伏せて、二匹を自らの胸元に抱き寄せた。
二匹は目を閉じ、幸せそうに頬を緩めている。

「私にあの子を、救えるでしょうか」

さとりの問いかけは一体誰に向けてのものだったのだろうか。
壁にかかっている時計の針の音だけが、チクタクと嫌に大きく聞こえた。
先ほどまでこいしの座っていた場所には、今は袋だけが寂しそうに鎮座していた。



自室に戻ったこいしは、壁にかかっていた鏡を見て思わず悲鳴をあげた。
そこには精気の欠片もなく、やつれきった自分の姿が映っている。
どうにか取り繕うと笑顔を作ろうとしても、笑い方を思い出すことができない。

「笑え、笑え!」

手を当てることで無理やり笑った形を作ろうとするこいし。
けれどどうしたって笑う形にはできなかった。

(こういうときって、一体どういう気持ちになればいいんだっけ?)

不安や怯え、それすらもどこかへと忘れてきてしまったこいしは、途方に暮れてその場にへたり込んだ。
一人が恐ろしいのならば、誰かに寄り添えばいい。そんなことすらも、こいしは忘れてしまっていたのだ。



さとりは本をめくりながら、先ほどのこいしのことについて思いを馳せていた。
言葉を上手く紡げない、言ったあとで、自分の言葉に首を傾げる奇怪な行動。

(一体どういうことかしら)

こいしが普通の覚りとは違う成長を辿っていることはさとりも重々承知していた。
姉として妹を正しい方向に導ければいいのだけど、それには幾分か力不足なことも。

(見守ることしかできないっていうのも、はがゆいわ)

さとりは普段は仏頂面を崩さないが、その表情はその実豊かだ。
目を伏せれば悲しむ、目尻を上げれば驚く、眉をひそめれば怒っている。
常に明るい表情をしているが、それが一切変わらないこいしとは対照的だった。

(こいしの様子、見にいこうかしら)

――さとりさまがソワソワしてる

――トイレに行きたいのかしらね

お燐とおくうが鼻をくっつけあい、小声で話し合う声はさとりには聞こえない。
心は無意識に読んではいるが、その能力だって決して万能ではないのだ。



「こいし、ちょっといいかしら?」

扉をノックしても返事が帰ってこない。
もう寝てしまったのだろうかとさとりが訝しがっていると、一緒についてきたお燐がピンと耳を立てた。

――いますねぇ、中に。座ってるみたいです

――いぇーい、さとりさま見てるー?

おくうの邪魔な思考を排除して、思い切って扉を押す。
暗い部屋の中に目を凝らすと、部屋の隅でこいしは体育座りをしていた。

「こいし?」

さとりの呼びかけにこいしは反応を示さなかった。
様子がおかしいと近づくと、こいしは虚ろな目で宙を睨みながら、何事かをぶつぶつと呟いている。

「こいし……。こいし! どうしたの!? 大丈夫!?」

我を忘れたさとりが、こいしの体を揺さぶる。
揺さぶられるがままのこいしは、さとり、お燐、おくうの顔をそれぞれ一瞥し、目を閉じた。
その目に欠片の興味すら込められていなかったことに、さとりと二匹は慄然した。

「本日の降水確率が30%、全国的に晴れるでしょう」

こいしの口から漏れる言葉は、言葉としては成立していても意味が通じることは決してない。
開かれたその目は今を見据えてはおらず、どこか遠い場所を見ているかのようだった。

「こいし、こいし。お姉ちゃんのことがわかる? わかるわよね?」

「ここらで一杯茶が怖い」

さとりは息を呑んだ。最愛の妹は、一体いま何を見ているのだろうか。
お燐もおくうも、こいしの様子に怯え、両手を繋いで震えている。

――怖い怖い何なのさこれは

――どうしちゃったの!? 鳥頭になっちゃった!?

さとりは、こいしの異変に気づけなかった自分を責め、唇を噛み締めた。
そして、震えている妹の体を抱きしめ、優しく背中を撫でる。

「大丈夫、お姉ちゃんが守ってあげるからね」



こいしが眠りに落ちるまでには、そう時間はかからなかった。
傍らに立ち、寝顔を心配そうに眺めている一人と二匹。さとりはこいしの手を取って、目を伏せていた。

(こんな目、何の役にも立ちやしない)

妹が苦しんでいるというのに、私は何もしてやれないのか。
心を読むことばかりに頼り切って、心を閉じた妹のサインに気づいてやれなかった。

二匹はおろおろと、さとりとこいしの二人を交互に眺めてはしょぼくれていた。
二匹にとってはさとりとは畏怖の対象であり、完璧な存在だった。
このように目に見えて落ち込まれると、皆目検討がつかなくなる。

二匹の不安をさとりは痛いほどに感じていたが、今はそれよりもこいしのことが大事だった。
寝て起きたら治っている、そういう単純なものであるならば良いのだけれど、世の中はそんなに甘くはない。

「う……」

寝ているこいしの顔が一瞬歪み、すぐにまた穏やかなものになる。

(……もしかして)

さとりは無意識に心を閉ざしている。しかしそれは寝ている時にも適用されているのだろうか。
そっと第三の目に手を添える。この目、能力は、覚りとして生まれてしまったから背負った業。
妹はその業から逃げて、自由気ままに振舞っている。そんな妹のことを、一度だって卑怯だと思ったことはなかった。
こいしにはこいしの進む道があり、それが姉である自分とは違う道であろうとも応援していたのに。

「こいし、みせてちょうだい、あなたの心を」

さとりがこいしの額に触れ、目を閉じる。灯りのない中、こいしの心の声は一向に聞こえてこない。

(もっとだ、もっと深くまで降りていこう)

寝ているいまならば、綻びもあるかもしれない。
淡い期待だったが、今はそれにかける以外はさとりにはなかった。

「お燐、さとりさま凄い汗垂らしてるよ、暑いのかな? 服脱がせてあげようか」

「バカおくう、今さとりさまは一生懸命なのに、なんでそれの邪魔をしなきゃいけないのさ」

ぽかりと頭を叩かれたおくうは、頭を叩くなバカになる! と抗議の声をあげていた。
しかし集中しきっているさとりに、雑音など入ろうはずがない。

(だめ、か)

暗い洞窟の中を、灯りもなく彷徨っているようなものである。
こいしの心は頑強に閉じられており、ほんの僅かな隙間すらそこには存在しなかった。
身内である姉でさえも、受け入れはしないのか。
わかっていたつもりではあったが、突き付けられれば堪える。

「あ、さとりさま泣いてる」

「静かにしろってばっ」

涙がひと筋流れたぐらいで解決するのならば、それは安っぽいメロドラマ。
問題はいつだって複雑に絡み合い、それを一つ一つ、地道に解きほぐすしか他に道はないのだ。

(そのために、お願い、心を開いてこいし)

さとりがぎゅっと、手を握りしめる。
しかし、こいしがそれに応えることはない。
ただ時間だけがゆっくりと無為に、進んでいく。

(何か、ないの? 私は何もできないの?)

これほど自分が情けないと思うこともない。
心を読める能力を持っているくせに、一番使いたいときには、何の役にも立たないだなんて。
血が浮き出るほどに下唇を噛み締めるさとり。二匹はいよいよ、泣き出しそうに顔をゆがめた。

「さとりさま、私たちにも何かできることはないですか?」

「お医者さまとか巫女とかなんでも、頭下げて連れてくるよ?」

地上の知り合い。先日怨霊が湧き出してくると文句をつけてきた巫女や魔法使い。
彼らの協力を仰げば、あるいは何かが掴めるかもしれない。

(でも、人任せにはしたくない……)

それは半ば意地だったのだろう。できればこの手で妹を救いたい。
今朝見た夢では何もできなかったけれど、それを正夢にするわけにはいかないのだ。

(夢……。夢?)

さとりは一つ、妙案を思いついた。心を閉ざし、無意識で生きているこいし。
ならばその無意識を外から覗くことができるのならば。あるいは。

「スペルカード……。トラウマ想起『テリルスーヴニール』」

こいしの胸元に発動させたスペルカードを置くと、夢の光景が第三の眼を通し、流れ込んできた。





さとりの両の眼は閉じていたが、心の目には人間たちの住む住居が映っている。

ふわふわとして、それでいて生ぬるい。これが、他人のトラウマの中なのか。
ぐるりと辺りを見回すと、ぼんやりと風景が浮き上がってきた。

灯りの落とされた部屋で、誰かが嗚咽を漏らしている。一人や二人ではない、もっと大勢の人間の声だった。
よく目を凝らすと、黒い服を着た人間たちが目元を押さえて涙を流している。

(葬式、か)

さとりはどうにも、この空間が居心地悪くてたまらなかった。こいしが体調を崩しているだけで、ここまで取り乱しているのだ。
もしも亡くすようなことがあれば……。想像したくはなかったが、きっと塞ぎこんで、立ち直ることはできないかもしれない。

(これがなぜこいしのトラウマになっているか、探らないと)

そう多くの時間はない、さとりは夢の中でこいしの姿を必死に求める。
ほどなくして、こいしの姿を見つけることができた。
こいしは部屋の隅のほうで、ぼんやりと葬式の光景を眺めている。

「こいし」

さとりが呼びかけると、こいしはくるりと向きかえった。

「お姉ちゃん、来たんだ」

感情の欠片も篭っていない声だった。
さとりは身震いを隠して、そっと一歩踏み出した。

「何しに?」

「そりゃ、あなたが心配で」

「目も合わせられないくせに?」

くすり、とこいしが笑う声を聞いて、さとりは決死の覚悟で顔を上げた。
目の前に立っているのは、愛する妹なのだ。
その瞳が背筋が凍るほど冷たかったとしても、肉親として、姉としては目を背けられない。

「そうやってすぐに、自分に言い訳をする。お姉ちゃんっていつもそう。
 姉としての理想的な振る舞い方を、いつも心の中で考えてる。不器用だから、臨機応変に対応できないんだ」

心を読まれているのかと、さとりは咄嗟に第三の目を隠した。
こいしはニッコリ笑って、一歩さとりへと近づいた。

「心が覗けなくたって、心の内ぐらい簡単にわかるわ。興味はないけれど」

途端、辺りに紫色の桜が咲き乱れた。
さとりが驚いて辺りを見回すと、既に葬式の会場はそこにはなく。
桜の木に囲まれた、静然とした寂しい広場だった。

「ここ、私のお気に入りの場所なのよ。素敵でしょう?」

こいしが妖艶に微笑むと、桜の花が風もないのに舞い散った。
空に巻き上げられた花びらが、ゆらりゆらりと雪のように積もらんとばかりに舞い遊ぶ。

(泣いているわね、この桜)

あくまで冷静に、さとりはこいしの心を読み取ろうとした。
この風景は、こいしの心象をダイレクトに映し出しているものだ。
目の前にいるこいしはいやに攻撃的だったけれど、この際それは放棄しておく。
心の中に土足で入られて、気分の良いものなどいないからだ。
目の前には相変わらず、こいしが立っている。
しかし、風景は一瞬で切り替わる。それはここが、こいしの見ている夢の中だからだろう。

(世界そのものがこいしならば、目の前にいるのはこいしの一部、かしら)

はじめに見た風景に人間たちが居たため、ついついこいしの姿を探してしまったが、その人間たちはどこかへと霧散した。
地面を軽く掘ってみて足をのけると、白い骨のようなものが覗く。しかし、地面を掘ってわかったことがある。

「間違いなく、あなたはこいし本人ではないと」

とするならば、とさとりは天蓋を見上げた。眼を凝らせば、ここは非常に小さな箱のような空間であることがわかる。
花弁はある程度の高さ以上には上がらないし、雲も流れる様子はない。
そもそも、ここには空気の流れというものが存在しないのだ。
地面は土を掘った感触を伝えず、住み慣れた地霊殿のカーペットの感触が伝わってきた。

「当たり前だわ、ここはこいしの夢の中。私はベッドの横で、あなたの手を握っているもの」

さとりが見据えると、俯き加減になっていたこいしはゆっくりと顔をあげた。
そこには先ほどまでの、拒絶の意を露骨に出していた表情はなかった。
笑おうとして顔が引きつり、泣こうとして目を伏せている捻じ曲がった心。

「お姉ちゃんはどうして泣きそうな表情をしてるの? どうして私が戻ってくると、嬉しそうな表情をするの?
 わからないの、どうしてみんな、他人が死んだりすると泣くのか。誰かと一緒に居て、楽しそうにする理由がわからないの。
 でも、楽しいよ。みんなが泣いてる姿を見てると、なんだか胸がすく想いがするの……。
 ふわぁって、そのままどこかへ飛んでいきそうになるの。ね、素敵でしょう?」

嬉しそうな、弾むような声をしているのに、瞳には光がない。
ざわざわと桜たちは花を散らし、土の中からは、白い骨がむくりと起き上がっている。

「この人たちは私と同じ。死んじゃったからもう何も感じない。自分のために涙を流してもらってたってわからないんだよ。
 それに、無縁塚の屍骸はみんな、弔ってくれる人もいないのよ。誰もこの人たちのために、泣いてはくれなかったの」

こいしは腰を下ろすと、地面に落ちていた白骨を一つ手に取ってみせた。

「私もこの人たちと変わらないから、泣いてあげようと思ったんだけど、ね。
 どうしてかなぁ、この人たちの気持ちも、泣く気持ちもわからないんだ」

私が選んだ道なのに、ね。そうこいしは笑ってみせた。

「こいし、悲しい?」

「わかんない」

さとりの問いかけに、こいしは手を振って見せる。

「悲しいのか、苦しいのか、嬉しいのか。お姉ちゃんは私の心が、わかる?」

「わからない」

迷いなく言い切ったさとりに、こいしは自嘲の笑みを浮かべてみせる。

「わからないよね、そうだよね。私にだってわからないもの」

「でも私は、あなたが傷ついたら泣くでしょうね」

「……? どうして?」

「私がそうしたいから、ね」

僅かな躊躇もなく踏み出された一歩。
さとりはこいしの小さな体を抱きしめ、背中を慈愛を持って撫でる。

「相手のために泣くのに、相手の心を知る必要なんてないわ。想いはきっと、伝わるもの」

心を読む妖怪である自分が、このような歯の浮く台詞を話しているだなんて。
さとりは心の中で己を自嘲した。

心が読めるゆえに、見たくもない部分まで覗き込むことになる覚り。
読まれることを嫌って、覚りから離れていった他の妖怪たち。
けれど最愛の妹だけは隣に残っていてくれた、いてくれたと信じていたのに。

ペットに囲まれて過ごす生活もそう悪くはなかったけど、物足りなさ、やるせなさは常に付きまとう。
心を開いて欲しい、思わず喉から出かかった言葉を、さとりはすんでのところで飲み込んだ。

「お姉ちゃんは、あなたのことを愛しているわ」

言葉に出さなければ伝わらないだなんて、愛とはなんと空虚なものなのだろうか。
それでも伝えなくては、この胸が潰れてしまいそう。

――さとりさま、起きてください!

――あーもう、ひっぱたいたほうがいいかなぁ。きっと制御棒で殴ったら起きるんじゃない?

――ばか!

(まずい、入りすぎたか)

こいしの体を抱きしめつつも、さとりは顔を上げて辺りを確認した。
先ほどまで寂しそうに揺れていた桜の木は既になく、暗くぼんやりとした闇だけが辺りに広がっている。
もはや、一刻の猶予も残されてはいないようだった。

「ごめんなさいこいし、もう、戻らないといけないわ」

「ん……」

ほのかに瞳を潤ませているこいし。
その頭をさとりは、何度も何度も惜しむように撫でていった。

「忘れてしまうかもしれない。けどきっと覚えてて欲しいの。あなたは決して、独りじゃないってことを」

――せーのでいこうおくう

――わかった、耳元で叫ぶのね

やれやれ、本当に厄介なペットを持ったものだ。
心配してくれるのは嬉しいのだけど、もう少し優しく起こしてほしいのだけど……。
さとりがため息を吐くのと、鼓膜が破れんばかりの大声が響いてくるのは、ほぼ同時のことだった。



「あ、よかった……。さとりさままでどっかおかしくなるんじゃないかって心配だったので」

「ね、だから言ったでしょ? 大声出したら起きるーって」

尻尾を揺らしながら心配そうに覗き込んでくるお燐と、えっへんと胸を張っているおくう。
両の目を開けたさとりが最初に見たのは、可愛がっている凸凹コンビだった。

「こいしは……?」

握った手の温かみに頬を緩めるさとり。
寝顔も、心なしか先程よりも柔らかいものになった気がする。

(私がどこまで、姉としての役目を果たせたかは疑問ですが……ね)

夢の中のこいしは、普段とは違い感情を表に出していた。
無意識の中の無意識では、閉ざした心も開いているのか、はたまた全ては幻か。
寝息を立てるこいしの目元から、涙が一粒、零れ出した。
それに気づいたさとりは、指でそれを拭う。

「お燐、おくう、寝かせてあげましょう。きっと、疲れてたのよ」

「え、あ、はいっ」

「はーい」

踵をかえし、部屋から出て行くさとりと、それについて出て行くお燐とおくう。
薄暗い部屋に、柔らかい呼吸音だけがやけに五月蝿く響いていた。





地下の朝は存外遅い。鬼たちは毎夜遅くまで宴会をしているし、太陽も登らないため、生活リズムもそれ相応に崩れているのだった。

「よし、準備できたっと」

そんな中でこいしは、小さなリュックサック一杯に思い思いの品々を押し込んでいた。

(山の上に行って、博麗神社に行って、それからはまぁ、適当でいいや)

いつだって行き先は、曖昧のままにしてある。当たり前、そのほうが面白いからだ。

「よいしょっと」

昨日帰ってきたときは少し体調が悪かったけれど、きっと疲れが溜まっていたんだろう。
一晩ぐっすり寝たら、すっかり元気になった。

「よし、行こう」

地霊殿を出るときは、こいしはいつも、こっそりと抜け出している。
お燐やおくう、ほかのペットたちに見つかると厄介だったし、次はいつ戻ってくるかを聞かれても答えられない。
それに遊びに出かけるときから、帰ってくるときのことを考えなくてはいけないだなんて興が削がれてしまうから。

「お姉ちゃん、行ってきます」

廊下を忍び足で歩いている最中、こいしはさとりの自室の前で軽く頭を下げた。
直裁口に出すことは一度もなかったけれど、この地霊殿がいつだって帰る場所なのだ。



「いってらっしゃい、こいし」

敏感に足音を聞き分けたさとりは、本のページをめくりながらこいしの出立を送った。
普段の無感動な声でなく、少し上ずった声。きっとその表情は、迷いなく澄み切っていたに違いない。
そのような心持ちであるから、こいしは遊びに行くことを決めたのだろう。

「少しは、役に立ちましたかね」

またあの夢を見てしまうのではないだろうか。
そう思っていたさとりは、寝る勇気が出ずに夜を一人明かした。
しかしようやく、床に入ることが出来そうだ。

「できれば、しばらく夢とは縁遠くなりたいものですがね」

あくびをして軽く伸びをするさとり。
布団にもぞもぞと入ると、中には数匹の先客が紛れ込んでいた。

「……」

気持ち良さそうに寝ているペットらをどかすのも可哀想だ。
仕方がないとさとりはソファーで横になり、薄いブランケットを被った。

「風邪、引かないといいんだけど」

それは自分へと向けた言葉か、妹へと向けた言葉なのか。
すぐにうとうとし始めたさとりには、そんなことはもう、どちらでも構わなかった。



「いよっし、今日は妖怪の山を登ろう」

リュックサックの中は、着替えにお菓子に起きたことを書き留めるための小さな手帳を詰め込んでいる。
そしてこいしはなんとなし、いつだか撮ったさとりとお燐、おくうとの写真を、ポケットへと仕舞いこんだのだった。

こいしの顔は、いつになく晴れやかだった。まるで、背負っていた憑き物が、落ちたかのように。
君ら豆腐好きすぎるだろ……
電気羊
http://ayayayayayayayaya.blog43.fc2.com/
コメント



1.NEOVARS削除
さとり様、豆腐に相談すればよかったのに。
2.薬漬削除
前回のアレか・・・
3.名前が無い程度の能力削除
くそっ、こんなときに豆腐の兄貴はどこ行ってやがるんだ!
さとり様が悩んでいるってのに!

とまぁ冗談はこの辺にして。
良かったです。姉としての振る舞いに悩むさとりも、無意識であろうと一番底辺の部分では地霊殿にいる家族を想うこいしも、もちろんあの凸凹コンビも。
なんだかんだ言って上手く回ってるですよね。ここは。
4.名前が無い程度の能力削除
紅魔館に奥深い耽美が似合うとすると、対する地霊殿は痛々しいほどの頽廃的なムードが似合いますねえ。
ラストの一瞬通じ合った姉妹にほっとしつつ、前半のぎくしゃくした関係の2人のシーンも楽しめました。
豆腐の兄貴が出てきたらせっかくの冷え冷えした雰囲気が前半10行くらいで一気に解決しそうなので、
ここはおとなしくお燐の胃袋に納まっててほしいと思います。
5.名前が無い程度の能力削除
「豆が腐ると書いて豆腐だが、あいにく性根は腐ってはいない」

なんというか、孤独の匂いが緩くなった気がします。
あとお空がかき乱しがいい感じでした。
地霊殿は紅魔館と似ていて違うのは、ヒエラルキーの緩さかな、とか思いました。
6.白徒削除
本文で感動してたのにっ。
あとがきがカウンターパンチ並に強烈すぎた。