□ 中から続いています。
「小悪魔、それにかかってる布を取って頂戴」
小悪魔が言われたとおりにすると、紅い布の下から四角い箱が顔を出した。形は歪で、一面だけ窓のように枠にガラスがはめ込まれている。その面が私たちに顔を向けていた。
「――モニターよ。外の世界の道具で、視界を別の場所に繋げることができる」
ただ中に水晶の仕掛けを仕込んだだけだ。この点に関してはまだ改良の余地があると考えている。
「これでレミリアの寝室の様子を見ることが出来るわ」
そのことに、小悪魔と咲夜の顔が急に明るくなった。
出歯亀気質丸出しだ。私のような崇高な目的を持っているものとは大違いである。
「……まあいいわ」
特に追い出す理由もなかった。
私は手をひとつ叩く。乾いた音と共に、モニターの窓は光を放った。まるで息を吹き返したように。それから明滅を繰り返し、やがて安定する。窓の向こうの視界は、ベッドを見下ろすものだった。
ベッドの上。二つの影。
正座で向き合っているレミリアとフランの姿が映し出されていた。
「――何やってるのよあいつら」
□
というのも、私は非常に困っていた。
いざフランを目の前にしてみれば、私は手も足も出なかったのだ。
白のネグリジェに身を包んだフランは借りてきた猫のように大人しかった。
ネグリジェは半透明、灯りは蝋燭の炎だけ。
目を細めてみると何も着ていないように見える。眼福、眼福。
「お姉様、目つきが怖い」
「……あら、そう?」
そもそも本人を目の前にしているのでその必要はなかった気がした。
「あのね――恥ずかしいから、布団の中に入ろ、ね」
なるほどベッドインか。そんなこと考えながら、私は頷いた。
私たちはマットレスに横になって、掛け布団を肩まで持ってきた。二つ並んだ枕に頭を沈めれば、相手の身体は首元までしか見えなくなった。惜しい。
仄暗い部屋はさっきよりもずっと狭く感じた。
それからどれくらいだろうか、ずっと眺めあっていた。寝床を同じくしたことなんてあっただろうか、遠くの記憶はこの部屋の隅に転がっているのかもしれない。けれど私は、今見つめ合っているだけで充分だった。心は穏やかなようで、興奮して落ち着かない。
そんな中、唐突にフランは口を開いた。
「――小悪魔が」
「えっ?」
急なことだったので私はすぐに聞き返してしまった。
「小悪魔が、お姉さまが何かサプライズを用意している、っていってた」
確かにその通り、私はベッドサイド・レッドマジック――略してベッドマジックを考案してきた。しかしそのことを小悪魔に話しただろうか。パチュリーにも直前に話したのだから小悪魔も知らないはずだが。
「そういって、このネグリジェを渡された」
「それは小悪魔の趣味よ」
「だと思ってた」
小悪魔め、勝手なことをして。
私はパチュリーがいっていた小悪魔の言葉を思い出す。やれ「フランちゃんは翼の付け根が弱いんだよウフフ」だの「フランちゃんは耳の穴を舐められるのが弱いんだよウフフ」だの、散々なことをいってくれた。刑罰をくれてもいい。
それはそれとして。
「でも、何も用意してこなかったわけじゃないわ」
「本当?」
途端、フランの目がきらきらと輝き始めた。
期待は大きい。そして私はフランの期待に見事応えてみせるわ!
「ちょっと待ってなさい」
――で、具体的には何をすればいいんだろう。
パチュリーに豪語してきたものの、ベッドマジックとは何をするものなのか。私には皆目見当がつかなかった。
咲夜はあんなに簡単に手品をやってのけるから、何も準備しなくていいものかと思ったが、目前に迫って何をしていいのかわからない。どうしたものか。
「ええと、ね」
即興でできるものを考える。が、思えば私には心得がない。アドリブが利くものではない。
とにかく飽きさせないように言葉を続けなくては。
それにこれを聞けばフランの期待はもっと高まるだろう。
「今からご覧に入れるのは――ベッドマジックよ!」
……露骨に嫌そうな顔をされた。
静かにマットレスを蹴り、私から少しずつ離れている。シーツが寄ってできた皺は、私とフランを隔てる巨大な山脈のように思えた。
「……一応聞くけど、何する気?」
「ネタばらししたら面白くないわ。でもあえて言うなら、楽しいこと、よ」
楽しいこと、という単語に反応してさらに私との距離を開けた。仕方ないので近づくと、同じだけ後ずさった。
「それ以上近づいたら、怒るよ」
何をそんなに怒ることがあるのか!
どうしてここまで拒絶されるのか。悲しくなって、それ以上動くことが出来なかった。
……すると、フランの表情がふっと柔らかくなった。
「冗談だよ」
「え?」
また問い直す言葉が出た。虚を突かれたこともあったが、フランの前では自分は強く出られないのだと思うと、少しおかしかった。
「だって、今までそんな風に迫ってきたことなかったでしょ」
そんな風に、という言葉に思い当たることは無かった。が、フランが言うからには何かがそんな風なんだろう。
「ねぇ、何をするつもりだったの?」
それは、と口ごもる。だが、フランの諭すような口調に、これ以上白を切るつもりは起こらなかった。
「手品を見せようと思って……」
「ふうん……」
フランは少し考えて。
「レッドマジック?」
と尋ねてきた。
「レッドマジック」
鸚鵡返しに答えた。
フランはひとつ溜め息を吐く。
「……別に無理してやらなくてもいいよ」
――かちん、ときた。
いや、正確には闘争心に火がついたといったほうがいいか。とにかく、フランの小馬鹿にしたような態度がどこか気に食わなかった。
そもそもこの子は姉のレッドマジックをきちんと見たことがあるのか。レッドマジックとは、咲夜のような小賢しくちまちまとした手品ではなく、もっと壮大な、夜を駆ける紅なのだ。人々は目を離すことが出来ず、数瞬をもってその優雅な動きに吹き飛ばされてしまうのだ。この子はその素晴らしさをわかっていない。
――どうやら私はレッドマジックを見せてあげなくてはいけないようだ。
「……よく見てなさい」
フランは間抜けた顔をする。私はその間に始まりの鐘――スペルカードを枕元から取り出した。
気付いても、もう遅い。
「夜は美しく飾り上げられる――『レッドマジック』――!」
「やめて、殴るよ!」
頭上に掲げた腕は掴まれ、組み伏せられる。
身体ひとつ分の重みを感じたときには空いた手も押さえつけられていた。
握力は強く、締め付けられたように痛む。
身動きが取れない。
上乗りになって、私は押さえつけられる。
「――っ」
フランは、私を見下ろしている。
私は、視界が弾ける光景を、思い出していた。
□
椅子が床を叩く音。
咲夜が立ち上がっていた。勢いで椅子を蹴ったのだろう。
箱の中、画面の向こうでは、フランがレミリアを押し倒している。
どちらかといえばこれは、危機、なのだろう。だが、私の心は落ち着いていた。
「――座りなさい、咲夜。貴は今回の作戦に組み込まれていなかった。その理由を信じなさい」
□
フランの唇は、瞳は、揺れていた。その身体は僅かに震えているのが判った。
私の腕を掴む力は弱い。
何か言おうとしているのか、しかし言葉は途切れ途切れに出た。
「っ……ちがっ……」
そんなフランを見ている私はどんな表情をしていたのだろうか。
わからない。
もしかしたら、恐れ、というものだったのかもしれない。
だって、今、私は。
いつ視界が弾けるのか。
いつ取って食われるのか。
いつ壊れるのか。
そんな事ばかりが、頭の中をぐるぐると巡っていたからだ。
「……そん、つもり……なか……っ!」
フランの表情の変化は目まぐるしかった。
笑っている。
泣いている。
怒っている。
哀しんでいる。
私は瞬きひとつせずその様子を眺めていた。
彼女の細切れに吐く息が私の顔にかかる。それから大きく頭を振った。
「ごめ……なさい……」
――どうして謝るのか。その目は私ではない何かを見ていた。
「ごめん、なさい」
大粒の涙が、私の頬を打つ。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいゴメンナサイ――!!」
彼女は吐き出すように叫ぶ。
まるで癇癪を起こした子供のようだった。獲物を捕らえて嬉々としている狼の声にも聞こえた。
だから、私は――。
「別に、私が下でもいいわよ。おいで――抱きしめてあげる」
「――えっ?」
今度は、フランが虚を突かれる番だった。
フランの首に手を回す。触れたとき、びくりと跳ねたが、それでも私の手に従ってくれた。頭が私の胸に沈む。
顔はぐしゃぐしゃに濡れていた。
「んっ」
嗚咽に、小さく声を漏らす。
それだけだ。先のような自分が取って食われるような思考など、かつての闇が見せた妄想に過ぎない。
馬鹿馬鹿しい。私はふんと鼻を鳴らす。
「……大丈夫、フラン?」
私の腕の中で、彼女は小さく頷いた。
「ん、だいじょうぶ」
その声はまだくぐもっていた。
そう、と応えて私は天井を見た。目頭は熱がこもったように熱かった。
□
「……ふぅ」
私は大きく息を吐く。心は達成感に満ちていた。
それから咲夜に一瞥をくれる。
「ほらね。心配するようなことなかったでしょ?」
「……そうですね」
言って、咲夜はゆっくりと立ち上がった。
「持ち場に戻ります」
持ち場、とは、主の心配をしなくていいような平穏。
私はひらひらと手を振る。
彼女は音も無く消えた。
「それじゃあ私も」
小悪魔が言った。
「これで終わりみたいですからね。パチュリー様はどうされます?」
「もう少しだけ見ておくわ」
「ふふ、パチュリー様も好きですね」
「何がよ」
私の反論にも小悪魔は小さく笑うだけだった。
そうして子悪魔も部屋を出ていった。対策本部、などと銘打たれたこの部屋ももう用なしだろう。
私はぼんやりとモニタを見ていた。
簡易ベッドに寝かされていたので、このまま眠ってしまうのだろう。穏やかな吸血鬼の姉妹を見ながら眠るのも悪くなかった。
□
朝が始まっているのだろう。吸血鬼は寝る時間だ。
フランは胸元で小さく呼吸をしていた。このまま眠ってしまうのだろう、とうまく働かない頭が告げている。
――きっと幸せなことだろうな。
私はくすりと笑った。
「……ん」
フランの翼が視界に入った。
『フランちゃんは翼の付け根が弱いんだよウフフ』
耳元で小悪魔が呟いた。そんな気がした。
翼の付け根。
フランの翼は硬質だ。肩甲骨のあたりから出ているそれと、柔肌の境は、曖昧な色をしている。
ごくり、と喉が鳴る。
衝動は私を掻き立てる。
しかし、もしも翼の根元を撫ぜ、フランが少しでも妙な反応を見せれば、私は小悪魔を時計台に磔にしなくてはならない。
そんなことはしたくなかった。
だから、そこに触れてはならないと、頭が警告する。
しかし同時に、言っていたことが本当なのか確かめたい気持ちもあるのだ。
「……んぅ」
フランの声が、迷いを断ち切った。
私は、翼の根元に触れる。撫ぜる。柔らかいような硬いような感触は、癖になりそうだ。
そして、フランは背中を震わした。
「ん、くすぐったいよ……」
眠たいのだろう、ゆったりとした声だ。
私は抑えられなかった。柔らかい背中と硬い翼を行ったり来たりするのは気持ちがよかった。そうしているとフランがもっと背中を震わせるものだから、私はもっと撫ぜた。
「……やぁ……」
フランは私の背中に手を回して抱きついた。顔は胸に埋めている。
タガが外れる――そう表現するのが正しいのだろう。
私の耳元ではさらに小悪魔が囁くのだ。
『フランちゃんは耳の穴を舐められるのが弱いんだよウフフ』
見る。ゆるいウェーブがかかった金の髪は少し乱れていて、そこから小さく可愛らしい耳がちょこんと出ていた。
美味しそうだ、と私は思った。
私はフランの腰を少し押し上げた。その美味しそうな耳が目前まで近づいた。
鼻息が荒い。フランの前で醜態を晒している、そう気付いてももう取り繕う気も起こらない。
私は狙いを定め、その耳を甘噛みした。
「ふにゃぁっ……!」
そしてタガが外れた。
□
画面の向こうで繰り広げられている光景に、まず目を疑った。
由々しき事態だ。これを放置しておけば、紅魔館の秩序は守れない。
私は簡易ベッドから身体を起こした。
すると、視界が揺らぐ。立ち眩みだ。
「……うっ……」
この程度でなんだ。私は紅魔館の風紀とレミリアやフランの貞操を守らなくてはいけないのだ。
私は奮起する。レミリアの部屋などすぐそばだ。
立ち上がる。
走る。
扉を蹴飛ばし、中に飛び込む。
ベッドの中で、レミリアはフランを押さえつけ、耳に噛り付いている! 何をしているんだ馬鹿たれ!
「そこまでよ!」
制止の言葉を叫び、私は力尽きてその場に倒れた。
酷い眩暈が、私の視界を混ぜこぜにしていた。
肩で息をする。それから咳が出た。
「げほっ……ふふ、お楽しみのところ、悪いわね」
「パチェ……」
驚いた顔でレミリアはこちらを見ている。それから、フランの身体から飛び退いた。フランは顔を赤らめながら、恥ずかしそうに布団を引き寄せた。
「私は、紅魔館の名誉のために来たのよ。吸血鬼は寝る時間、といっても、朝っぱらからやってくれるじゃない」
語気を強める。
「紅魔館の主君たるもの、妹を襲うなんて豪語同断!」
「ご、ごめんなさい……」
わかればいいのよ――そう言おうとして、だが。
「げほっごほっ……!」
無理が祟ったようだ。身体が言うことを聞かない。視界がぐにゃぐにゃに曲がっている。
言いようの無い不快感が、私の意識を蹴飛ばした。
「おはよう、パチェ」
「……んぅ?」
目が覚める。レミィの顔は近かった。どうしてこんなことになっているのか、私は判らなかった。
レミリアは言葉を続ける。
「飛び込んできた後、気を失うなんて思わなかった」
そんな見っとも無いことになっていたのか。
それからベッドに運ばれたのだろう。背中を見れば、フランが眠っていた。
フラン、私、レミリアの順に川の字になって寝ていたようだ。
「……悪いわね、姉妹水入らずのところを邪魔して」
「別に。恥ずかしくてフランの顔を見れなかったから、丁度良かったわ」
言いながら、レミリアは身体を起こした。
私は、黒のネグリジェを通してレミリアの腰からお尻、太腿のラインを見ることになる。
「夕方よ。もうすぐ咲夜が起こしに来る頃だわ」
その咲夜がいうには耽美な曲線。柔らかそうな肌は噛み跡を付けたくなる。
どうして私は風紀を守ろうとしていたのか。起き抜けの頭は答えを返してくれなかった。
「どうしたの、パチェ?」
「ん? ……あ、いや」
……少しくらい羽目を外してしまってもいいんじゃないだろうか。
私はレミリアの背中に手を伸ばし、翼の付け根を撫ぜる。フランと同じ反応をするのか興味があった。
「……こら、何してるのよ」
嫌そうに身体を振る。だが脈ありではなかろうか。
次に私はレミリアの耳の穴を舐めなくては。
「ちょっと、何する気?」
まだ友人のことを信用してくれているのは有難いが、どうやら期待に応えることはできそうにない。
私はレミリアの肩を掴み、ベッドに倒す。反抗されるが、力が入っていない。OKサインか。
「――んふぅ!?」
開いた口に中指を押し入れると、妙な声を上げた。そこがなかなか可愛らしい。
――視線を感じた。
隣を見れば、フランがこちらを見ていた。まだ寝起きで頭がうまく回らないのか、目を白黒させているだけだ。
が、すぐに気付き、短い悲鳴を上げながら手を振りかぶった。何か魔法を放とうとしているのである。
なんて危ないことをするんだ。私はすぐにフランを押し倒し、馬乗りになった。
手首を押さえつける。魔法は出せない。フランの扱う魔法は広範囲高威力かつ高速なのだが、このような超接近戦のことを視野に入れていない。フランにとってはこのような事態は滅多にないだろうが、それでも私は知識として彼女に教えてやらなくてはならない。
「妹様、私が近接魔法について教えて進ぜよう――ウフフ」
思わず魔女的な笑みが付いてしまったが、何も問題はない。
そのあとはまさに弾幕ごっこのように荒々しいものだったと思える。それほどまでに凄絶だった。
フランの上の私をレミリアが引き剥がそうとし、それをタイミング良く咲夜が止めに入る。
扉の開く音が聞こえたかと思うと「部屋を間違えましたぁ!」と門番の悲鳴じみた叫び声。
流れに便乗してきた小悪魔をレミリアが突き飛ばしたのだが、それでは咲夜が止められない。
いくら生地が薄いとはいえ、咲夜がネグリジェを素手で引き裂く様は豪快だった。
このようにして、紅魔館のように紅いヨルが始まったのである。
「小悪魔、それにかかってる布を取って頂戴」
小悪魔が言われたとおりにすると、紅い布の下から四角い箱が顔を出した。形は歪で、一面だけ窓のように枠にガラスがはめ込まれている。その面が私たちに顔を向けていた。
「――モニターよ。外の世界の道具で、視界を別の場所に繋げることができる」
ただ中に水晶の仕掛けを仕込んだだけだ。この点に関してはまだ改良の余地があると考えている。
「これでレミリアの寝室の様子を見ることが出来るわ」
そのことに、小悪魔と咲夜の顔が急に明るくなった。
出歯亀気質丸出しだ。私のような崇高な目的を持っているものとは大違いである。
「……まあいいわ」
特に追い出す理由もなかった。
私は手をひとつ叩く。乾いた音と共に、モニターの窓は光を放った。まるで息を吹き返したように。それから明滅を繰り返し、やがて安定する。窓の向こうの視界は、ベッドを見下ろすものだった。
ベッドの上。二つの影。
正座で向き合っているレミリアとフランの姿が映し出されていた。
「――何やってるのよあいつら」
□
というのも、私は非常に困っていた。
いざフランを目の前にしてみれば、私は手も足も出なかったのだ。
白のネグリジェに身を包んだフランは借りてきた猫のように大人しかった。
ネグリジェは半透明、灯りは蝋燭の炎だけ。
目を細めてみると何も着ていないように見える。眼福、眼福。
「お姉様、目つきが怖い」
「……あら、そう?」
そもそも本人を目の前にしているのでその必要はなかった気がした。
「あのね――恥ずかしいから、布団の中に入ろ、ね」
なるほどベッドインか。そんなこと考えながら、私は頷いた。
私たちはマットレスに横になって、掛け布団を肩まで持ってきた。二つ並んだ枕に頭を沈めれば、相手の身体は首元までしか見えなくなった。惜しい。
仄暗い部屋はさっきよりもずっと狭く感じた。
それからどれくらいだろうか、ずっと眺めあっていた。寝床を同じくしたことなんてあっただろうか、遠くの記憶はこの部屋の隅に転がっているのかもしれない。けれど私は、今見つめ合っているだけで充分だった。心は穏やかなようで、興奮して落ち着かない。
そんな中、唐突にフランは口を開いた。
「――小悪魔が」
「えっ?」
急なことだったので私はすぐに聞き返してしまった。
「小悪魔が、お姉さまが何かサプライズを用意している、っていってた」
確かにその通り、私はベッドサイド・レッドマジック――略してベッドマジックを考案してきた。しかしそのことを小悪魔に話しただろうか。パチュリーにも直前に話したのだから小悪魔も知らないはずだが。
「そういって、このネグリジェを渡された」
「それは小悪魔の趣味よ」
「だと思ってた」
小悪魔め、勝手なことをして。
私はパチュリーがいっていた小悪魔の言葉を思い出す。やれ「フランちゃんは翼の付け根が弱いんだよウフフ」だの「フランちゃんは耳の穴を舐められるのが弱いんだよウフフ」だの、散々なことをいってくれた。刑罰をくれてもいい。
それはそれとして。
「でも、何も用意してこなかったわけじゃないわ」
「本当?」
途端、フランの目がきらきらと輝き始めた。
期待は大きい。そして私はフランの期待に見事応えてみせるわ!
「ちょっと待ってなさい」
――で、具体的には何をすればいいんだろう。
パチュリーに豪語してきたものの、ベッドマジックとは何をするものなのか。私には皆目見当がつかなかった。
咲夜はあんなに簡単に手品をやってのけるから、何も準備しなくていいものかと思ったが、目前に迫って何をしていいのかわからない。どうしたものか。
「ええと、ね」
即興でできるものを考える。が、思えば私には心得がない。アドリブが利くものではない。
とにかく飽きさせないように言葉を続けなくては。
それにこれを聞けばフランの期待はもっと高まるだろう。
「今からご覧に入れるのは――ベッドマジックよ!」
……露骨に嫌そうな顔をされた。
静かにマットレスを蹴り、私から少しずつ離れている。シーツが寄ってできた皺は、私とフランを隔てる巨大な山脈のように思えた。
「……一応聞くけど、何する気?」
「ネタばらししたら面白くないわ。でもあえて言うなら、楽しいこと、よ」
楽しいこと、という単語に反応してさらに私との距離を開けた。仕方ないので近づくと、同じだけ後ずさった。
「それ以上近づいたら、怒るよ」
何をそんなに怒ることがあるのか!
どうしてここまで拒絶されるのか。悲しくなって、それ以上動くことが出来なかった。
……すると、フランの表情がふっと柔らかくなった。
「冗談だよ」
「え?」
また問い直す言葉が出た。虚を突かれたこともあったが、フランの前では自分は強く出られないのだと思うと、少しおかしかった。
「だって、今までそんな風に迫ってきたことなかったでしょ」
そんな風に、という言葉に思い当たることは無かった。が、フランが言うからには何かがそんな風なんだろう。
「ねぇ、何をするつもりだったの?」
それは、と口ごもる。だが、フランの諭すような口調に、これ以上白を切るつもりは起こらなかった。
「手品を見せようと思って……」
「ふうん……」
フランは少し考えて。
「レッドマジック?」
と尋ねてきた。
「レッドマジック」
鸚鵡返しに答えた。
フランはひとつ溜め息を吐く。
「……別に無理してやらなくてもいいよ」
――かちん、ときた。
いや、正確には闘争心に火がついたといったほうがいいか。とにかく、フランの小馬鹿にしたような態度がどこか気に食わなかった。
そもそもこの子は姉のレッドマジックをきちんと見たことがあるのか。レッドマジックとは、咲夜のような小賢しくちまちまとした手品ではなく、もっと壮大な、夜を駆ける紅なのだ。人々は目を離すことが出来ず、数瞬をもってその優雅な動きに吹き飛ばされてしまうのだ。この子はその素晴らしさをわかっていない。
――どうやら私はレッドマジックを見せてあげなくてはいけないようだ。
「……よく見てなさい」
フランは間抜けた顔をする。私はその間に始まりの鐘――スペルカードを枕元から取り出した。
気付いても、もう遅い。
「夜は美しく飾り上げられる――『レッドマジック』――!」
「やめて、殴るよ!」
頭上に掲げた腕は掴まれ、組み伏せられる。
身体ひとつ分の重みを感じたときには空いた手も押さえつけられていた。
握力は強く、締め付けられたように痛む。
身動きが取れない。
上乗りになって、私は押さえつけられる。
「――っ」
フランは、私を見下ろしている。
私は、視界が弾ける光景を、思い出していた。
□
椅子が床を叩く音。
咲夜が立ち上がっていた。勢いで椅子を蹴ったのだろう。
箱の中、画面の向こうでは、フランがレミリアを押し倒している。
どちらかといえばこれは、危機、なのだろう。だが、私の心は落ち着いていた。
「――座りなさい、咲夜。貴は今回の作戦に組み込まれていなかった。その理由を信じなさい」
□
フランの唇は、瞳は、揺れていた。その身体は僅かに震えているのが判った。
私の腕を掴む力は弱い。
何か言おうとしているのか、しかし言葉は途切れ途切れに出た。
「っ……ちがっ……」
そんなフランを見ている私はどんな表情をしていたのだろうか。
わからない。
もしかしたら、恐れ、というものだったのかもしれない。
だって、今、私は。
いつ視界が弾けるのか。
いつ取って食われるのか。
いつ壊れるのか。
そんな事ばかりが、頭の中をぐるぐると巡っていたからだ。
「……そん、つもり……なか……っ!」
フランの表情の変化は目まぐるしかった。
笑っている。
泣いている。
怒っている。
哀しんでいる。
私は瞬きひとつせずその様子を眺めていた。
彼女の細切れに吐く息が私の顔にかかる。それから大きく頭を振った。
「ごめ……なさい……」
――どうして謝るのか。その目は私ではない何かを見ていた。
「ごめん、なさい」
大粒の涙が、私の頬を打つ。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいゴメンナサイ――!!」
彼女は吐き出すように叫ぶ。
まるで癇癪を起こした子供のようだった。獲物を捕らえて嬉々としている狼の声にも聞こえた。
だから、私は――。
「別に、私が下でもいいわよ。おいで――抱きしめてあげる」
「――えっ?」
今度は、フランが虚を突かれる番だった。
フランの首に手を回す。触れたとき、びくりと跳ねたが、それでも私の手に従ってくれた。頭が私の胸に沈む。
顔はぐしゃぐしゃに濡れていた。
「んっ」
嗚咽に、小さく声を漏らす。
それだけだ。先のような自分が取って食われるような思考など、かつての闇が見せた妄想に過ぎない。
馬鹿馬鹿しい。私はふんと鼻を鳴らす。
「……大丈夫、フラン?」
私の腕の中で、彼女は小さく頷いた。
「ん、だいじょうぶ」
その声はまだくぐもっていた。
そう、と応えて私は天井を見た。目頭は熱がこもったように熱かった。
□
「……ふぅ」
私は大きく息を吐く。心は達成感に満ちていた。
それから咲夜に一瞥をくれる。
「ほらね。心配するようなことなかったでしょ?」
「……そうですね」
言って、咲夜はゆっくりと立ち上がった。
「持ち場に戻ります」
持ち場、とは、主の心配をしなくていいような平穏。
私はひらひらと手を振る。
彼女は音も無く消えた。
「それじゃあ私も」
小悪魔が言った。
「これで終わりみたいですからね。パチュリー様はどうされます?」
「もう少しだけ見ておくわ」
「ふふ、パチュリー様も好きですね」
「何がよ」
私の反論にも小悪魔は小さく笑うだけだった。
そうして子悪魔も部屋を出ていった。対策本部、などと銘打たれたこの部屋ももう用なしだろう。
私はぼんやりとモニタを見ていた。
簡易ベッドに寝かされていたので、このまま眠ってしまうのだろう。穏やかな吸血鬼の姉妹を見ながら眠るのも悪くなかった。
□
朝が始まっているのだろう。吸血鬼は寝る時間だ。
フランは胸元で小さく呼吸をしていた。このまま眠ってしまうのだろう、とうまく働かない頭が告げている。
――きっと幸せなことだろうな。
私はくすりと笑った。
「……ん」
フランの翼が視界に入った。
『フランちゃんは翼の付け根が弱いんだよウフフ』
耳元で小悪魔が呟いた。そんな気がした。
翼の付け根。
フランの翼は硬質だ。肩甲骨のあたりから出ているそれと、柔肌の境は、曖昧な色をしている。
ごくり、と喉が鳴る。
衝動は私を掻き立てる。
しかし、もしも翼の根元を撫ぜ、フランが少しでも妙な反応を見せれば、私は小悪魔を時計台に磔にしなくてはならない。
そんなことはしたくなかった。
だから、そこに触れてはならないと、頭が警告する。
しかし同時に、言っていたことが本当なのか確かめたい気持ちもあるのだ。
「……んぅ」
フランの声が、迷いを断ち切った。
私は、翼の根元に触れる。撫ぜる。柔らかいような硬いような感触は、癖になりそうだ。
そして、フランは背中を震わした。
「ん、くすぐったいよ……」
眠たいのだろう、ゆったりとした声だ。
私は抑えられなかった。柔らかい背中と硬い翼を行ったり来たりするのは気持ちがよかった。そうしているとフランがもっと背中を震わせるものだから、私はもっと撫ぜた。
「……やぁ……」
フランは私の背中に手を回して抱きついた。顔は胸に埋めている。
タガが外れる――そう表現するのが正しいのだろう。
私の耳元ではさらに小悪魔が囁くのだ。
『フランちゃんは耳の穴を舐められるのが弱いんだよウフフ』
見る。ゆるいウェーブがかかった金の髪は少し乱れていて、そこから小さく可愛らしい耳がちょこんと出ていた。
美味しそうだ、と私は思った。
私はフランの腰を少し押し上げた。その美味しそうな耳が目前まで近づいた。
鼻息が荒い。フランの前で醜態を晒している、そう気付いてももう取り繕う気も起こらない。
私は狙いを定め、その耳を甘噛みした。
「ふにゃぁっ……!」
そしてタガが外れた。
□
画面の向こうで繰り広げられている光景に、まず目を疑った。
由々しき事態だ。これを放置しておけば、紅魔館の秩序は守れない。
私は簡易ベッドから身体を起こした。
すると、視界が揺らぐ。立ち眩みだ。
「……うっ……」
この程度でなんだ。私は紅魔館の風紀とレミリアやフランの貞操を守らなくてはいけないのだ。
私は奮起する。レミリアの部屋などすぐそばだ。
立ち上がる。
走る。
扉を蹴飛ばし、中に飛び込む。
ベッドの中で、レミリアはフランを押さえつけ、耳に噛り付いている! 何をしているんだ馬鹿たれ!
「そこまでよ!」
制止の言葉を叫び、私は力尽きてその場に倒れた。
酷い眩暈が、私の視界を混ぜこぜにしていた。
肩で息をする。それから咳が出た。
「げほっ……ふふ、お楽しみのところ、悪いわね」
「パチェ……」
驚いた顔でレミリアはこちらを見ている。それから、フランの身体から飛び退いた。フランは顔を赤らめながら、恥ずかしそうに布団を引き寄せた。
「私は、紅魔館の名誉のために来たのよ。吸血鬼は寝る時間、といっても、朝っぱらからやってくれるじゃない」
語気を強める。
「紅魔館の主君たるもの、妹を襲うなんて豪語同断!」
「ご、ごめんなさい……」
わかればいいのよ――そう言おうとして、だが。
「げほっごほっ……!」
無理が祟ったようだ。身体が言うことを聞かない。視界がぐにゃぐにゃに曲がっている。
言いようの無い不快感が、私の意識を蹴飛ばした。
「おはよう、パチェ」
「……んぅ?」
目が覚める。レミィの顔は近かった。どうしてこんなことになっているのか、私は判らなかった。
レミリアは言葉を続ける。
「飛び込んできた後、気を失うなんて思わなかった」
そんな見っとも無いことになっていたのか。
それからベッドに運ばれたのだろう。背中を見れば、フランが眠っていた。
フラン、私、レミリアの順に川の字になって寝ていたようだ。
「……悪いわね、姉妹水入らずのところを邪魔して」
「別に。恥ずかしくてフランの顔を見れなかったから、丁度良かったわ」
言いながら、レミリアは身体を起こした。
私は、黒のネグリジェを通してレミリアの腰からお尻、太腿のラインを見ることになる。
「夕方よ。もうすぐ咲夜が起こしに来る頃だわ」
その咲夜がいうには耽美な曲線。柔らかそうな肌は噛み跡を付けたくなる。
どうして私は風紀を守ろうとしていたのか。起き抜けの頭は答えを返してくれなかった。
「どうしたの、パチェ?」
「ん? ……あ、いや」
……少しくらい羽目を外してしまってもいいんじゃないだろうか。
私はレミリアの背中に手を伸ばし、翼の付け根を撫ぜる。フランと同じ反応をするのか興味があった。
「……こら、何してるのよ」
嫌そうに身体を振る。だが脈ありではなかろうか。
次に私はレミリアの耳の穴を舐めなくては。
「ちょっと、何する気?」
まだ友人のことを信用してくれているのは有難いが、どうやら期待に応えることはできそうにない。
私はレミリアの肩を掴み、ベッドに倒す。反抗されるが、力が入っていない。OKサインか。
「――んふぅ!?」
開いた口に中指を押し入れると、妙な声を上げた。そこがなかなか可愛らしい。
――視線を感じた。
隣を見れば、フランがこちらを見ていた。まだ寝起きで頭がうまく回らないのか、目を白黒させているだけだ。
が、すぐに気付き、短い悲鳴を上げながら手を振りかぶった。何か魔法を放とうとしているのである。
なんて危ないことをするんだ。私はすぐにフランを押し倒し、馬乗りになった。
手首を押さえつける。魔法は出せない。フランの扱う魔法は広範囲高威力かつ高速なのだが、このような超接近戦のことを視野に入れていない。フランにとってはこのような事態は滅多にないだろうが、それでも私は知識として彼女に教えてやらなくてはならない。
「妹様、私が近接魔法について教えて進ぜよう――ウフフ」
思わず魔女的な笑みが付いてしまったが、何も問題はない。
そのあとはまさに弾幕ごっこのように荒々しいものだったと思える。それほどまでに凄絶だった。
フランの上の私をレミリアが引き剥がそうとし、それをタイミング良く咲夜が止めに入る。
扉の開く音が聞こえたかと思うと「部屋を間違えましたぁ!」と門番の悲鳴じみた叫び声。
流れに便乗してきた小悪魔をレミリアが突き飛ばしたのだが、それでは咲夜が止められない。
いくら生地が薄いとはいえ、咲夜がネグリジェを素手で引き裂く様は豪快だった。
このようにして、紅魔館のように紅いヨルが始まったのである。
遅ぇよ、美鈴!! wwwww
パチュリー、マジで自重しろwww
あとは魔理沙に希望を託すしかないのか…………いや、最悪、射命丸文が乱入してくることも…………