Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

それでもヴェアヴォルフですかっ

2009/02/08 23:33:47
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警告:
椛が男の子という扱いです。
慧音先生のキャラが軽く崩壊している可能性があります。
以上二点に留意しつつお願いしますm(_ _)m




















 犬走椛は妖怪の山を駆けていた。
 山の地理を熟知しているが故、そして小柄な体が生み出すフットワーク故、条件さえ合えば飛翔の三倍の速度で移動できる。白狼天狗とはそういうものである。木々の間を縫うようにして奔り、岩場を跳び越え、そしてもはや大地を蹴りつけるような急な方向転換をして先を急ぐ。そこまでして椛が急ぐ理由は己の中にある白狼としての本能でも竹馬の友の命を救うためでもなく、部外者の侵入を許さぬ山の妖怪の絶対正義故であった。
 千里を見通す目に山で見慣れない者の姿が一瞬映った。椛の行動原理としてはそれだけでも十分である。姿を見失っても椛には万里を嗅ぎ渡す嗅覚があり、嗅ぎ慣れない臭いを感じ取ったら後はこちらのもの。研ぎ澄まされた土地勘と瞬時の判断力、そして比類なき身体能力をもってすれば目を瞑ってもこの山を駆け目標を捉える事ができると椛は自負している。白狼天狗は山の忠実な番人であり優秀な狩人でもあるというわけだ。

 ……と、瞬く間に椛は獲物の姿を間合いに捉えた。椛よりさらに小柄な体には虫のような透き通った羽が生えており、その姿はどこからどう見ても妖精のそれである。今いる場所が水場である事を踏まえると飲み水か遊び場を求めてここにたどり着いたといったところだろう。物事を深く考えぬ妖精なりの行動原理の賜物と言える。
 だが椛は妖精の存在を許さなかった。
「そこの妖精!」
 甲高い声を聞いて妖精はようやく椛の存在に気づいた。
 だが自分がなぜ呼び止められたのか分かっていないらしく、小川に膝まで浸かったまま椛の顔を不思議そうに見つめている。それだけだ。眉をつり上げた椛を見つけても驚きの声すら上がってこない。
もともと口の利けない類の妖精か、あるいは妖精として生まれて間もないのかも知れないが先方の都合など椛には関係ない。山の秩序を守るため、そして己のもう一つの行動原理を満たすため、椛は湾曲した刀を抜く。
「汝の闖入、ここを妖怪の山と知っての事か!」
「……」
「直ちにこの山より去れ、さらば手出しはしない!」
「……?」
「答えよ! 我が声が届いているのなら!」
 しかしと言うべきか案の定と言うべきか返事はなく、椛の警告だけが付近に響いて消える。
こうなると此方の言葉を理解しているかどうかも怪しいもので、もしそうならば百万の言葉を並べ立てても全ては徒労に終わるだろう。もしかしたら椛が抜刀した意図さえも把握できていないかも知れない。
 だが、そういう手合いを前にしてイロハのイから教えてやるほど椛は悠長ではない。懇切丁寧な言葉を紡ぐ代わりに刀を地に向ける。
「ならば……!」
 足元に刀を突き立てた途端、剣気と妖気が周囲に走った。
 椛の力は水面の波紋のごとく広がり、大気を震わせ、木々の葉を落とし、大きな奔流となって天へ向かっていく。
 そこにいるのは白狼天狗である。山の妖怪の中では小物とはいえ白狼の獣性に天狗の知性、そして妖怪の力を併せ持つ幻想郷の強者である。それが敵意を剥き出しにし、威嚇を行なってきたのだ。例え言葉が通じぬ妖精であっても、力の差という物を本能で感じ最善の行動を導き出すはずである。それすらしないのなら余程の愚者か死にたがりか、あるいは周到に隠し玉でも用意しているのだろう。勿論、妖精風情にそんな用意があるとは椛は露ほども考えていないのだが。
「もし去らぬのならこの白狼天狗、犬走椛が相手になろうぞ!」
「……!」
 椛が声を上げると共に山のざわめきが激しさを増す。
 今や、椛は背に巨大な白狼を負っていた。狼の幻影を纏い敵を打ち砕く一本の牙であった。一介の妖精に、獰猛な狼の牙に単独かつ無策で立ち向かう術などあるはずもない。己の身に降りかかる危機を肌で感じ、一目散に麓へと羽ばたいていく。その様は戦略的後退などという格好のいい物ではなくただの敗走であり、弾幕の一筋も交える事なく勝負は決した。たかが妖精が相手だったとはいえ、山に戦いの爪痕をつける事なく追い払えたのだから戦果は上々だ。

「……ふぅぅ」
 一仕事終わって納刀し肩の力を抜く。他に侵入者の臭いらしき物は感じず、逃げ出した妖精も千里眼で追う限りでは寄り道はしていないらしい。これで今回の一件を覚えている限りは山には近寄らないだろうし、妖精仲間にも話をするだろう。山には恐ろしい番人がいて近づけば脅され追い払われる、とでも。
 ともあれ椛は侵入者を追い払ったのである。部外者の侵入はこの妖怪の山においては滅多になく、それこそ一人追い払えばその日の仕事はほとんど終わったと言っても過言ではない。仕事モードから通常モードへ急速に戻り、しかめっ面も体のサイズ相応の可愛らしい顔に戻っていく。
「お仕事終わったっ♪ 文様に褒められる~♪」
 そう、こちらが椛の、ひいては山に棲む妖怪の多くの本性である。
山の警備をしている時の固い口調はいわば営業用であり、年中あのような喋り方と顔をしていたら顔が強張り体とのバランスが取れなくなって傍目には珍妙不可思議にて胡散臭い生物になってしまう。
「ふ~ん♪ ふんふふ♪ ふんふんふんふふふ~ん♪」
 天狗の里への帰路を歩み出した椛からは鼻歌まで出てくる始末。だがそれも無理からぬ事、仕事をやり遂げた椛にはお楽しみが待っているのだ。小姓のように仕え、日頃から可愛がってもらっている射命丸文に頭を撫でてもらう。椛にとってこれ以上の報酬があろうか、いやない。
 意図せずとも尻尾をせわしなく振り、歩みはスキップとなり軽やかに山を駆け上がっていく。己の感情をこれほど分かりやすく表現する者も山の中では珍しかった。

「文様、ただいま帰りましたー」
 天狗の里は射命丸邸。日が落ちかけてきた頃に純和風の屋敷に戻ると、書斎で射命丸文が文机に向かっていた。今日も今日とて幻想郷中を駆け回ってはネタ集めに終始し、今は記事の執筆中と言ったところだろうか。椛の声に反応して振り返るまでに一瞬の間があったが、その一瞬で椛は文に飛びかかっていた。もちろん文からの報酬……否、ご褒美が目的だ。団扇のように尻尾が高速で往復し、その顔には約束された幸せへの期待が満ちている。椛の一日の中で最も幸せな瞬間であろう。
「お帰りなさい、椛君。今日はまた嬉しそうね」
「えへへ、侵入者を追い払ってきました!」
「一人で大丈夫だった?」
「はい、ちょっと脅かしてやったら尻尾を巻いて逃げて行きました!」
「やったじゃない、椛君」
 応対する文も嬉しそうである。満面の笑みを浮かべて飛びかかってきた椛を受け止め、記事の執筆は置いといて頭をたっぷり撫でてやる。しなやかな銀髪の中に隠れた耳は力なく伏せていて、一撫でするたびに併せて震える。幸せそうな椛の顔と反応の一つ一つを見て文の顔も幸せそうに弛緩する。
「わふぅ~」
「よしよし……椛君、まるで犬みたい♪」

 ぴくり。

 しかし、幸せの刻はそう長くは続かないらしい。
 伏せていた耳がピンと立ち、安らぎに満ちていた椛の顔はたちまち凍りついた。
「文様、今何と……?」
「え? 椛君、犬みたいでホントに可愛いなあって」
「あ、ああ、うん……可愛いんですかそうですかありがとうございます……」
「……椛君?」
 椛の視線は虚空を泳ぎ、世界が独楽のように回り出す。
 今更蒸し返すまでもなく椛は白狼天狗である。可愛らしさに埋もれてしまってはいるがその心の内には妖精を追い払った時のような獣性が眠っており、山の面子の中では弱小の部類とはいえ弾幕だって張れる。彼の中に眠る白狼が元を辿れば犬と同類である事は重々承知で、むしろそれだからこそ椛は白狼である事に拘っている。
 なぜなら椛は白狼天狗だから。彼の誇りは、拘りを持つには必要にして十分な理由であった。
 それなのに、椛は犬と呼ばれた。素性を知らぬ者に言われるのならまだ諦めがつくのだが、自分の事を誰よりもよく知っている筈の文に犬のようだと断言された。どこぞのメイドなら犬呼ばわりされても趣味の悪い軽口と捉え即座かつ瀟洒に切り返すところなのだろうが、椛にとっては重大である。文にとってはある種の賞賛として贈った言葉も椛にとってはすなわちアイデンティティの否定に等しく、真面目な椛がその言葉を真に受けてしまったら受ける心の傷は下手な悪口よりも遥かに甚大である。
「……ちょっと出かけてきます」
「え? どこへ?」
「自分探し……とでも言っておきましょうかフフフフフ」
「はい? 言ってる事がよく……ていうか椛君、様子が変よ?」
「大した事はありませんよ。ボク自身のちょっとした問題で……ではッ!」
「椛君!?」
 文の制止を振り切って椛は飛び立った。
 行く当ては一応ある。自分の悩みに答えてくれる者が定石だが、椛の考えではただの識者ではまず役不足である。悩みに完全に答えてくれるにはそれ相応の智慧と特別な能力を持つ者でなければならない。
 そして椛にはその当てがあった。傍目にはくだらないと切り捨ててしまいそうな自分の悩みを果たしてその者が聞いてくれるかは定かでないが、椛は他にすがるべき場所を知らなかったりする。もっともその相手は幻想郷内では人格者で通っており、こちらの出方がよほど拙くない限り話は聞くだけ聞いてくれる筈。ならば何でも試してみるのが男の度胸という物である。

 山を下り、原野を越えた彼方に見える人間の住む里へ。
 椛が目指す場所はそこにあった。


* * * * *


「犬か狼かハッキリさせたい、ね……来る所を間違えたんじゃあないかな?」
 その日の寺子屋を終えた上白沢慧音は来客の報を受け、椛に応対した。
 人間の里に妖怪が来る事は珍しくもないのだが、それが山の妖怪ともなると話が違ってくる。元々排他的な連中の集まりだから、進んで外のコミュニティに出向く事も少ないのだ。ブン屋として幻想郷中を駆け回る文は数少ない例外と言ってもいい。
 だから椛が、というより文以外の天狗が人里に下りてきた事で周囲の者は俄かにざわめき立ったが、慧音だけは別段慌てる事もなかった。
「いえ、あなたでなければきっと駄目なんです。他にいい人を知りませんし……」
「私もだ。その手の質問は初めてだし、獣医の知り合いなどもいないしな」
「上白沢様なら……歴史を操るあなたならあるいは、と思いまして」
「頼って来てくれたのは光栄だが、あいにく今の私は歴史を隠す事が専門でね。満月の夜だったら君の悩みに応えられん事もないと思うのだが」
 椛は慧音の前で己の悩みを全て明かした。
 果たして自分は犬か、あるいは狼か。白狼天狗としての誇りを捨てたわけではないが、敬愛する文に犬呼ばわりされてしまってはその確信も揺るごうというもの。ならばその悩みを解決する為にはどうしたらいいか……椛なりに考えた結果、『未来の自分の姿を見ればいい』という所に行きついたのである。歴史を隠し、あるいは創る事ができる慧音はまさに最適任というわけだ。
「やはり上白沢様でも……無理ですか」
「んー……実は、今の姿でも無理ではないんだ」
「本当ですか!?」
「ただし、少々乱暴な手を使う事になるがな。それでもいいというのなら準備しよう」
「お、お願いします!」
 席を外した慧音を見送り、椛はその背に深々と頭を下げた。
 乱暴な手という一言が少々引っかかっているが、所詮は極めて理知的な慧音の弁である。そこまで荒唐無稽な事はしないに違いない。彼女が繰り出してくる手とそれによって起こる事象をあれこれ想像し、椛は自分の選択が間違っていなかった事を天に感謝した。

「お待たせした」
「うわっ」
 ややあって部屋に戻ってきた慧音を、椛は驚きの声で出迎えた。
 その手には棒とも槌ともつかぬ、白い物体が握られていたのだ。
「そ、それは一体……」
「外の世界の漂着物だ。調べたところによるとこの手の道具は人に向けて使う物だそうで、そこそこ歴史が長いらしい。五十年ほどかな」
「短ッ!」
「人間の尺で考えたら結構な長さだよ……とにかくこの道具は年季に応じて時の力を積み重ねていくというわけだ。私はモノに対してしか使った事がないのだが、これで君の歴史を暴き出そうと思う」
 少し目を凝らしてみたらそれは白い紙で出来ていた。大きな紙を波状に折りたたみ、片方を紐で縛り柄とする。柄の部分には「歴史注入」と小さく書かれているが、その真新しい字は慧音が書き足したものだろう。紙の塊そのものはどこかくたびれた感じで、小さな折り目や皺がいくつも見える。なるほどそれなりの歴史を持っているという慧音の言葉は嘘でも出鱈目でもないようである。
 その道具を手で弄ぶたびに乾いた紙の音が小気味よく響く。紙と言ってもちり紙のようなヤワな物ではなく、相応の厚みと強度を兼ね備えている事は音を聞いただけで容易に分かる。いったいそんな物をどうやって使うのか……幸か不幸か、椛にはその使い方がおぼろげに想像できていた。
「……さあ、始めよう。動くなよ?」
「え、え、え、ちょっ、ちょっと待って!」
 慧音が右腕を高く振り上げた所で椛はたまらずその腕を止めた。
「どうした、心の準備か?」
「いやそうじゃなくって……やっぱりそれって……」
「乱暴な手段だと言っただろう? それに君は乱暴でも構わないと言ったじゃないか」
「確かに言いましたけど! でもそんな硬くて重そうな物を使うなんて……上白沢様を信用してないわけじゃないですけど、もしもの事があったら文様が……」
「Wait(待て)!」
「へっ?」
「ウェイウェイウェイウェイウェイ……」
「か、上白沢……様?」
「Don't wait」
「待つのか待たないのかどっちなんですか」
「案ずるな、死にはしない」
「フルスウィングする気満々ですかー!?」
 改めて右腕を振り上げ背を反らす慧音を前にして椛は愕然とした。
 自分の選択は正しいどころか白を黒と言う程の大間違い、理知的な人物だと信じ切っていた慧音はその目を光らせ(比喩ではない!)妙に鼻息が荒い。ほんの少し前と比べても最早完全に別人である。
「確かに衝撃で首が胴にめり込むような錯覚を覚えたり目の前が真っ白になったり痛みよりむしろ眩暈や吐き気の方が強かったり足元さえおぼつかなくなったりもするだろうが……たかが紙だ、死ぬ事はない。多分な」
「いや死にますよそれ! ていうか『多分』って! そこは自信持って下さいよ!」
「ああ、自信満々さ……この一撃を外さない自信がな」
「や……やっぱり今日は頭痛がするからこの辺でっ!」
 正当防衛に当たるとはいえ、まさか人里で慧音に迂闊に攻撃を仕掛けるわけにはいかず、そして体格差から慧音の腕をいつまでも止められるわけでもない。三十六計逃げるに如かず、椛は慧音を突き飛ばしその反動で部屋の出口を求め飛び出した。天狗と半人半獣では瞬発力には天と地ほどの開きがある。絶対に逃げ切れる自信が椛にはあった。

「やあ」
「ひッ!?」
「これはこれは……随分と久しぶりだな」
 だが椛の考えは脆くも崩れ去った。種も仕掛けもなかった筈だし、椛が部屋の中で躓いたわけでもない。なのに、襖を越えるあと一歩の所で見慣れた影に行く手を阻まれたのだ。相手が白狼よりさらに素早い烏天狗ならともかく、たかが半人半獣にである。銀髪をなびかせた賢人は相変わらず目を光らせ、三日月のように口をつり上げていた。
 椛の悩み事など、突き詰めれば下らない他人事である。顔を見知った文の紹介があるわけでもなく、徹底的に付き合わなければならない義理が慧音にあるわけではない。
 だが慧音は椛の悩み事……ではなく椛に一撃を加える事に執着していた。
 手に持った道具に積み重なった歴史の重み、すなわち大仰な見た目と派手な音と共に人を張り倒すという存在意義。それが慧音を狂わせているのだが、その事には誰も気づかない。
「ちょっ、速……!」
「頭痛の事も心配しなくていい。頭痛は今これより起こるのだからな」
「上白沢様が起こすんじゃないですか! あなたが踏み止まってくれれば頭痛は起きませんよ!」
「犬走殿と言ったか、だがな……」
 慧音の表情が一瞬和らぐ。
「先人達はこう言ったものだ、『ヤらずに後悔よりヤって後悔』」
「いやどう考えても僕しか後悔しないじゃないですか!」
「男の子なら何事も試してみるものだよ……おや、御機嫌よう射命丸殿」
「え、文様?」

「スキありぃっ!」
「あ」


* * * * *


 目が醒めるどころか逆に卒倒してしまいそうな程の一撃が椛の脳天に決まった。
 幾重にも折りたたまれた紙同士が派手な音を張り上げ、紙に刻まれた歴史の力が次々と椛に降り注ぐ。歴史の力の残滓は閃光となって部屋を満たし、照明が不要な程に明るく白く染め上げている。慧音の圧倒的な勝利だ。
「さあて……何が出る」
 慧音の顔は正気に戻っていた。歴史の重みによる呪いから解け、ほんの少し前まで見せていた狂気の姿は面影さえ残していない。
 手に持った道具を地に置き足元に目をやる。この光の海のどこかに、歴史を強制的に積み重ねられた椛がうずくまっている筈だ。
「う……ん」
「むっ」
 光の海のある一点が揺らぎ、椛が身を起こす。その声は少年から青年への過渡期のそれであり、影も少しずつ大きくなってきているように見える。慧音の仮説と椛の計画はとりあえず成功したと言えるだろう。後はその姿を確認し、犬か狼かの区別をするのみ。白狼天狗と言うくらいだからわざわざ肉体を成長させなくとも分かりそうなものだが、後顧の憂いのないようにしっかり確認しておく必要がある。
「……見た目が凶悪かどうか、程度でいいかな」
 椛を叩く事に夢中で犬と狼の区別の付け方という最も重要な件を慧音は失念していたが、今更後の祭り。それなりにもっともらしく説明してやれば椛も納得してくれるだろうとアバウトな線引きで慧音は妥協し、一歩寄った。
「犬走殿、気分はどうかな?」
「ひ、ひどいですよ上白沢様。騙すなんてぇ……」
「すまんな。だが、ああでもしないと君に逃げられると思ったんだ」
「……うー、まだ頭が痛いです」
「だが君の計画は成功したようだ。体の調子はどうだ?」
「ああ……そういえば体がゴツゴツしてきたような」
 愚痴りながらも身を起こす椛。その体躯は慧音と肩を並べる程度にまでなり、先ほどまでの子どもの姿から二回りは成長している。過度に成長して年老いた姿になるのでは……という考えも(叩いた後に)脳裏をよぎったが杞憂に終わったようで、声質も変声期を越えた青年のまま。すぐに、整った顔立ちの青年が慧音の前に現れた。
 しなやかな銀髪とイヌ科の耳は健在で、あとは八重歯が目立ってきたという程度。椛が元々優しい顔つきのせいなのだろうか、狼のような険しさは感じられず、これがもし人間なら好青年と言って全く差し支えのない程度だったりする。
 そして優しい顔立ちに見合った線の細い肌が……

「ぶおぅ!?」
「? どうしました、上白沢様?」
「い、いや、その……」
 吹いた。
 衝撃のあまり、吹かざるを得なかった。
 体が成長するという事は今着ている服も用を為さなくなってしまう。なぜその事も失念していたのだろう。
「どうですか、僕の姿……犬か狼か、見分けがつきます?」
「ぶっ! ちょっ、待っ……いやその少しだけ待っててくれすまん頼む」
「?」
 慌てて背を向ける慧音。その顔は真っ赤に染まり、服と髪の色と合わせてきれいな三色旗になっている。
 慧音にとってはあまりにも見慣れていない、殿方の素肌である。しかも美しい。その体のラインは力強さよりむしろたおやかさを思わせ、優しげな顔立ちを含めその手の趣味を持つ女性なら十人中十人が即座に惹かれてしまいそうな勢いだ。それの直視による衝撃たるや、女性の裸体を初めて目にした時の少年の興奮に似る。ましてや部屋に二人きり、相手は全裸。好色の気があるのなら何も言わず肌をすり寄せてしまいそうな状況だ。
 だが慧音がそうするわけにはいかない。いやしくも教職の立場にある者、そしてここは人里のど真ん中。こんな所で半獣の本能の赴くままに椛を誘うなり襲うなりすれば、烏天狗のスッパ抜きを待たずして良からぬ噂が人間たちの間で吹き荒れるに違いない。
(顔だけ見ろ、顔だけ見ろ、顔だけ見ろ、顔だけ見ろ、私ぃ~……)
「どうなさったんですか? さっきから様子が……」
「ききき気にするな。すすすすす少し風邪気味なので咳き込んだだだけだよ」
「あ、そうなんですか。お大事にして下さいね」
「ふぅ……もう大丈夫だ。大した事はな……い……」

 今度は吹かなかった。
 というより、吹くどころの騒ぎではなかった。慧音は硬直してしまったのだ。
 徐々に光の海が退いていく中で椛の全身が明らかになっていく。その過程で慧音は不覚にも見てしまったのだ。顔だけ見る、と心の中で何度も何度も念を押していたのに、それは反射的だったのか女性としての本能か、あるいはただの好奇心か。ともかく視線を下げて椛の『下』についている物を直視してしまったのだ。

 そう。
 寺子屋に来る子ども達とは一線を画す、逞しい……

「くぁwせdrftgyふじこlp;@:!!!」
「ごッ!?」
 思わず至近距離から掌を突き出してしまった。純粋な妖怪や妖獣には及ばないにしても、慧音の身体能力は並の人間よりは十分高い。突き出した掌は強力無比な掌打となり、不意打ちとはいえ無防備の椛を吹き飛ばすには十分な一撃だった。
「はあ……はあ……あっ」
 今一度正気に返り、高鳴る鼓動を抑えて椛の歴史を弄った道具を拾う。
 椛は部屋の反対側でひっくり返っており、すぐに起き上がってくる気配はないようである。呼吸を整えつつゆっくり歩み寄り、ただ目を回しているだけという事を確認し……手にした得物を再び振り下ろした。椛の体から今度は歴史が抜けていく。
「ひ……ひどい……上白沢様ぁ」
「度々すまん……だがこれでもうお終いだよ」
 幼い体を取り戻した椛に服を着せ、元の白狼天狗に戻してやる。
 そして、慧音は椛の体を軽々と抱き上げた。
「突然だが射命丸殿の所へ行きたい。案内してくれるか?」
「え、文様の所に?」
「彼女に話がある。君にも関係する大事な話がな」

 文と自分の名を出されては、椛は断るわけにはいかなかった。


* * * * *


「犬走殿を婿として頂きたい」

「「なんで!?」」

 天狗の里に、混声合唱と弾幕が木霊する。
「……まあ、椛君は犬じゃなくって白狼よ。それは私が保証してあげる」
「文様……!」
「昔から言うでしょう? 『男なんてみんな狼だ』って♪」
「その言い方は何か嫌だあああああああああ」


椛の鼻歌はフォールオブフォールだと思います。多分。
0005
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
椛=男の子。前提を変えた上での東方SSもおつなものがありますね。
間の置き方といい、適度に壊れたキャラといい、けっこう好みの話でした。