~まえがき~
遅ればせながら節分ネタです。
特定のキャラ同士が、脈絡もなく仲良しだったりします。
たまにこういうヤマもオチもない百合話が書きたくなるんです。
◇ ◇ ◇
「それでは神奈子さま、諏訪子さま。私たちもいただきましょうか」
参拝客がふと途切れ、静けさを取り戻した神社の一室にて。
風祝の少女――東風谷早苗が、巻き寿司の乗った皿を厳かに差し出した。
「おや、私たちの分が余ったのかい?」
「余ったというか、取っておいたんですよ。やっぱり縁起物ですから、皆で食べないと」
「ほほう……」
「うんうん。さすが早苗、抜かりがないね」
守矢神社の二柱、八坂神奈子と洩矢諏訪子がそれぞれに感心した様子で頷く。
今日は二月三日。節分のこの日、麓の神社では鬼や吸血鬼の幼女を猛然と追い回して大豆責めにするイベントが催されていたが、ここ山の上の守矢神社はいたって平穏なものだった。神社の祭事を取り仕切る立場にいる早苗は、どうせなら麓の神社とは違う事をしようと、節分におけるもう一つの縁起物を提案した――それが恵方巻きである。
恵方巻きは、主に西日本で節分の日に食される巻き寿司だ。幻想郷の外で生まれ育った早苗にとってもつい昨日までは縁のない食べ物だったのだが、本日、守矢神社の信仰獲得活動の一環として大量にこしらえ、山の妖怪たちに振る舞ってみたというわけだ。
貴重な備蓄のツナ缶を開けて具にしたり、入手不可能な海苔の代わりに高菜やなんかで巻いてみたり――と、出来上がったのは色々と涙ぐましい代物ではあったが、妖怪たちにはすこぶる好評で、一晩かけて用意したものはあっというまに無くなり、いま早苗が手にしている三つを残すのみとなっていた。
「はい、お二人とも一つずつどうぞ」
「うーん」
「……諏訪子さま? どうかなさいましたか?」
神妙な面持ちで腕を組む諏訪子に、早苗は首を傾げる。
「あのさ」
「はい」
「このお寿司って、食べるときの作法があるんだよね?」
「ええ。確か……歳神さまのおわす恵方を向いて、一本を切らずに丸ごと、頭の中で願掛けをしながら、終始無言で食べるものだそうです」
ふむ。
諏訪子は少し考えるそぶりを見せ、
「じゃあさ、早苗が最初に食べて見せてよ」
「えっ、私がですか? 別にお手本が要るほど難しい事ではないと思うんですけど……」
「いやいや。三人がいっぺんに黙りこくって食べ始めたりしたら、急なお客さんなんかが来たときに困るでしょ?」
「はぁ」
変な事を心配するんだなあ。
早苗はそう思ったものの、まあ一理あることはある。
「えっと、諏訪子さまがそうおっしゃるなら……。神奈子さまもよろしいですか?」
「ああいいとも。先にお食べ」
「では、その、お先に失礼して。いただきます」
早苗はそう宣言すると、今年の恵方――真東よりやや北の方角に向き直って居住まいを正し、手を合わせて一礼してから、はむっと恵方巻きに歯を立てた。
「……」
「……」
はむはむ。
静かに巻き寿司を頬張る早苗を、じっと見守る神二人。
(た、食べにくい……)
早苗は心の中で呻吟する。
物理的にはかなり食べやすく作ってある恵方巻きだったが、こうも見つめられていては緊張して仕方がない。おまけにこの沈黙である。
(私は黙ってるしかないんだし、お二人で雑談でもしてくれないかなあ)
早苗がそんな事を考えた、その時だった。
「さーなえ」
恵方を向く早苗の前に、諏訪子がけろりとにじり出てきた。
巻き寿司をくわえたまま、早苗は小首を傾げる。
「?」
「ああ、いいのよ。そのまま聞いて」
早苗は頷く。
「今、食べながら願い事をしてるよね? 早苗のことだから、神社に信仰が集まりますようにとか、三人で健康に過ごせますようにとか、そんなところだろうけど」
「。」
「でもね、さっき早苗が言ったとおり、黙って食べるなんてのは誰にでもできる事よ。神様にお願いをするのに、それじゃちょっと熱意が足りないと思わない?」
「……?」
ぺらぺらと、諏訪子が得意げな顔で説く。
そこはかとなく、嫌な予感がする。
「やっぱりここは、願い事への真摯な姿勢を見せるためにも、ちょっとした試練が必要だと思うのよ。そう、プチ試練が」
「……」
「黙って食べることを難しくするような、何かが」
前言撤回。
ものすごく嫌な予感がする。
「つまり……こんな事よっ!」
「!?」
目の前の諏訪子が一瞬で掻き消え、背後に気配。
気付けば、早苗の両の脇腹に、白くしなやかな手が添えられていた。
その手がにわかに蠢き始め――
「うりゃ―――っ!!」
「……っ!? ……、…………っ……!!」
こちょこちょこちょこちょもにょもにょもにょ。
激しく早苗をくすぐる。くるぐる。
「さあ、早苗は黙って恵方巻きを食べきることができるかなー?」
「~~~~!!」
(……謀られた!)
不条理なくすぐり攻撃に息を詰まらせながら、早苗は歯噛みする。実際に噛んだのは飯粒であるが。
おそらく諏訪子は『早苗が最初に食べて』なんて言い出した時からこの悪戯を思いついていたに違いない。変なところで策略家なんだから――ああもう。
根が真面目な早苗は、食べるのを中断して抗議の声を上げることができず、角度で言えば十五度しかない恵方を向いたままろくに抵抗することもできず、諏訪子の指技になすがまま翻弄される。
(か、神奈子様~)
早苗は視界の外にいるはずの神奈子に祈りを向けてみるも――ああ考えてみれば神奈子さまだってこんな悪戯とっくにお気づきだったんじゃないかしら。いやむしろ解っててスルーしたに違いない。きっと今ニヤニヤしてる。ぜーったいニヤニヤしてる今。あっほら今聴こえたニヤニヤって。
「ふほほほほ。おやぁ? 早苗、食が進んでいないようねぇー?」
食えるかこんな状態で。
脇腹やら首筋やら、的確なくすぐりポイントを諏訪子の猛攻にさらされ、声を上げそうになるのを必死にこらえながら早苗は身をよじる。
まだ半分以上を残している恵方巻きと、それをくわえる唇の隙間から、苦しげな息がフーフーと漏れる。
我慢も空しく、早苗が限界の訪れを予感する中、脇腹をまさぐっていた手はおもむろに北上を始め、さらには右耳の至近に諏訪子の息遣い、そして、
「――ふっ――」
「ひゃっ……!?」
腋をみこみこされるのと同時に耳に息を吹き込まれ、堪らず早苗は声を上げてしまった。
無惨に食いちぎられた恵方巻きがその口からぽろりとこぼれ落ち――横から伸びた諏訪子の手にキャッチされた。
「はい、早苗アウトー♪」
「もうーっ、諏訪子さま酷いです!」
「あっはっは! ごめんごめん。ちょっと興が乗っちゃってねー」
悪びれた様子も見せず、諏訪子は笑いながら早苗の食い残しを一口噛る。
いわゆる間接キスである。
「……って、食べないで下さいそんなのっ!」
早苗は顔を真っ赤にして諏訪子の手から恵方巻きをもぎ取り、自分の物だとばかりにかぶりついた。
悪かったってば、と猫撫で声で身を寄せてくる諏訪子から顔を背け、早苗はあくまでも恵方を向いて憮然と巻き寿司を頬張る。もぐもぐ。
二人の様子を傍観していた神奈子が、呆れたような溜め息をついた。
「まったく……諏訪子、あんたも大人げないねえ。早苗が自分を差し置いて余所の神様に祈ったりするもんだから、やきもち焼いたんでしょう?」
「うっ……」
諏訪子が言葉に詰まる。
どうやら図星らしい。
「ほらほら、早苗も機嫌直しなさい。諏訪子も悪気があってやったんじゃないんだし、願掛けのことなら、恵方の神様には後で私たちがナシつけとくからさ」
「……はぁい」
まだ少し拗ねているそぶりを見せながら、早苗は応える。
実際のところ、もう腹は立っていなかった。むしろ、そういう諏訪子の子供っぽさは、風祝としていささか不敬ながら『ちょっと可愛いかな』とも思う。
「――さて、諏訪子」
「な、なに?」
泰然と構える神奈子が、ゆっくりと、再び諏訪子の方に視線を向けた。
得体の知れない迫力に諏訪子が怯む。
「恵方巻きは私たちの分もあるわけだけど……当然あんたも受けるのよね? その試練とやらを」
「えっ? いや、私は……」
「あんなもっともらしい理屈を捏ねておいて、自分は普通に食べるだけだなんて言わないわよね?」
「あー、うー、えっと……ほら、私たちって神様じゃない? この場合、神様が神様に願掛けをするっていうのもどうかと――」
「問答無用っ!」
「もが―――っ!?」
苦しい弁明を続けていた諏訪子の小さな口に、巻き寿司の一つが速やかにねじ込まれた。棒状のものを突っ込むことにかけて神奈子の右に出る者はいなかった。
ひとたまりもなく目を白黒させる諏訪子に、神奈子はさらなる追い打ちをかける。十本の指を蛇のように蠢かせ、諏訪子の全身を容赦なくまさぐる。
「ふひゃっ、わひゃっ、や、あっ、はぁぁぁんっ!」
「うっふっふ、あんたの弱点は全部知ってるんだから。どこまで耐えられるかしらね? ほれほれ」
「らめぇ―――っ!!」
耐えるもなにも、真っ先に『もがー』とか叫んでた時点で恵方巻き的にはアウトだろうに、と早苗は思った。
そもそも恵方向いてないし。
「あのぉ、神奈子さま……」
「ん、なんだね早苗? あんたもやる?」
「いえ……なんでもないです。遠慮しておきます」
早苗が自分の恵方巻きの残りを食べ終わった頃、ようやく諏訪子は解放された。
精も魂も尽き果てた様子で倒れ伏し、それでも根性で手放さずにいた恵方巻きを握り締めながら、諏訪子はぐんにゃりと神奈子を見上げて怨嗟の言葉を吐く。
「か~な~こ~、覚えてなさいよ~」
「ふふん、よぉく覚えといてやるわよ、その痴態。さて、私もいただこうかね……」
「ちょっとあんた、この期に及んで自分はちゃっかり穏便に食べようなんて思ってないでしょうね。一人だけくすぐり得なんて認めないわよ」
「ほう、それじゃどうする? あんたがくすぐってくれるのかしら?」
「うー……」
そうしたいのは山々だけど、と呟き、諏訪子はごろんと寝返って早苗を仰いだ。
「早苗、やっちゃいなさい」
「――え、えっ? 私がですか?」
「うむ、私はこのとおり動けぬ。早苗や、母の仇を討っておくれー」
「で、できませんよそんなの。神奈子さまをくすぐるだなんて、畏れ多くてとても……」
どさくさまぎれの諏訪子のカミングアウトは普通にスルーされた。
「あら、私は構わないわよ?」
「神奈子さままでっ?」
「こういうお遊びは皆で参加した方が楽しいものね。ひとつ私も仲間に入れてもらおうじゃないか」
「そだー! 早苗、私が許す! くすぐり殺してしまえー!」
「あぅあぅ」
諏訪子が発破をかけ、早苗がオロオロと尻込みする中、神奈子は恵方巻きの最後の一つを手に取った。東方やや北に向かってどっしりと腰を据えると、颯爽と巻き寿司をくわえ、流し目で早苗を指招きする。
どうやら、本当にやるしかないらしい――早苗はひとしきり逡巡してからようやく腹を決め、悠然と座る神奈子の背中にしずしずと歩み寄る。
「それでは……あの、失礼いたします。神奈子さま」
余裕の笑みで神奈子が頷く。
まあ、私なんかがくすぐったところで神奈子さまがどうにかなるとは思えないけど――。
そう思いながら、早苗は遠慮がちに手を伸ばした。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい神奈子さまっ!」
半泣きの風祝が平身低頭しながら縋りつくのは、白目を剥いてぶっ倒れている風神様。
少し齧っただけでほとんど残っている恵方巻きが、その傍らに転がっていた。
「あー……早苗。たぶん神奈子、聞こえてないと思うよ……?」
「ああ、なんてこと……! 神奈子さま、どうか目をお覚ましください……」
「無理に起こさなくてもいいんじゃない? なんか幸せそうな顔で卒倒してるし」
「 _|\○_ 」
「うぅ、ごめんなさい~!」
こともあろうに、人が神を討ってしまった――。
その光景を目の当たりにして、諏訪子は早苗の末恐ろしさを感じずにはいられなかった。
「……だけど、意外でした。神奈子さまって、人一倍敏感でいらっしゃるのですね」
そういう話なのかなあ、と諏訪子は思う。
付き合いの永い諏訪子ですら、この手の勝負で神奈子に攻め勝ったことはついぞ無かったのである。
まあ、相性の問題なのかもしれない。諏訪子は早苗を下し、神奈子は諏訪子を陥落させ、そして今、早苗は神奈子を完膚なきまでに屠り去った。ぐーちょきぱー、あるいは蛇と蛙とナメクジに象徴される三すくみの関係のように。
そう考えると、さしずめ諏訪子が蛙、神奈子が蛇であるとして――。
「さなめ」
「はい。なんでしょう諏訪子さま?」
「……あ、ううん何でもない。呼んでみただけ」
「はぁ」
◇ ◇ ◇
一方その頃。
京都府内のあるアパートの一室では、二人の現役女子大生が巻き寿司の乗った皿を見下ろしていた――。
「実は、私も恵方巻きって食べた事ないのよね」
「そうなの? てっきり、日本人はみんな食べてるものだと思ってた」
「そうでもないわよ。もともとは関西地方限定の縁起物だし、第一、そんなに昔からある風習でもないから」
「そっか。蓮子は東京の人だもんね」
東京の人――宇佐見蓮子が頷く。
対する異国の人――マエリベリー・ハーンは立ち上がり、傍らのノートパソコンに手を伸ばした。
「それでメリー、具体的にはどうやって食べるんだっけ? これ」
「えっとね……」
あらかじめウェブ上で収集しておいた複数の情報を照合し、おおよそこのあたりが確かな話だろう、と思ったところをメリーは述べる。
「今年の恵方は東方微北、75プラスマイナス7.5度の方角。そちらを向いた状態で巻き寿司を丸かじりし、一言も発さずに完食すること」
「ふむ」
「あと、地域によっては『目を閉じたまま』というルールも付加されるみたいね」
「ふーん。どうせならそれも取り入れてみるか……」
とーほーびほく、と呪文のように呟きながら、蓮子はこのためにわざわざ持参してきたアンティークの羅針儀をいじくり回して方位を確認する。
「よしっと。それじゃ食べようか」
「あっ……待って、蓮子」
「ん?」
皿に手を伸ばしかけていた蓮子が、メリーの制止に顔を上げた。
「一年に一度の縁起物だし、ここはもう少し慎重にいくべきだと思うの」
「……慎重にって、どういうこと?」
「恵方を向いて目を閉じて――なんて言ったら簡単な事に思えるかもしれないけれど、なにか不測の事態が起こって失敗する可能性だってあるわ。だから、そのための予防策を講じておくのよ」
「はぁ」
一体どんな事態が起これば失敗するんだ。
蓮子はそう思ったが、とりあえずメリーの言うに任せることにする。
「で、その予防策って?」
「そうね。『目を閉じる』という点に関しては、うっかり瞼を開けても大丈夫なように、これを使えばいいと思うわ」
そう言いながらメリーがベッド脇の引き出しから取り出したのは、黒いアイマスクだった。
人の視界を封じるためのその小道具を、メリーはいそいそと蓮子の顔にあてがう。
「一つしかないから、蓮子が先にこれ着けて食べてね」
「ちょ、ちょっとメリー。いま着けたら方角もなにも判らなくなっちゃうってば……」
「大丈夫よ。私がナビしてあげるから」
「はぁ」
目隠しをされてしまった蓮子。当然ながら真っ暗である。
皿があったと思しき場所をそろそろと手探りする。
「それじゃ、もう食べていい?」
「駄目」
「まだなにかあるの?」
「ええ。視覚上の問題はこれでいいけれど、恵方巻きの最も重要な要素である『恵方を向く』という事についてまだなんの方策も立てていないわ」
「方策もなにも、向けばいいじゃない」
「念のためよ、蓮子。うっかり体が動いて恵方以外を向いてしまうような事があっては困るわ。というわけで、そんな時にはこれ」
「これって、私なにも見えないんだけど」
なにやらメリーがごそごそ漁る音。
さっきと同じ引き出しだろうか。
「縄」
「ああ、縄」
「そう縄。これで体を固定すれば、不用意に動いてしまう心配もないってわけ。それじゃ蓮子、はいっ、後ろで腕組んでー」
「ちょっと、メリー。縛られたら私、なにも食べられなくなっちゃうよ……」
「大丈夫よ。私が食べさせてあげるから」
「はぁ」
気付けば、蓮子は全身をみっちりと縛り上げられていた。
メリーに肩を抱かれ、右へ左へぐいぐいと姿勢を正され、ようやっと理想の方角を向くことができたらしく、塞がれた視界の外でメリーが満足げに頷く。
「うん。ここまでやれば完璧ね」
「食べていいの?」
「ええ。いま食べさせてあげるね」
目の前に、なにかが突きつけられる気配。
磯の香りが鼻をつく。
「はい蓮子、あーんして」
「あーん」
「食べ始めたらしゃべっちゃ駄目よ?」
「ん、わかってる……あむっ」
蓮子は、差し出された恵方巻きの先端を一口噛り取った。
もぐもぐ。
味はといえば、なんてことのない普通の海苔巻きである。この日にこうやって食べるという事が恵方巻きの本質なのであって、料理としての独自性などはどうでもいいのだろう。
「…………」
もぐもぐ。
食べている物が見えないから、あとどれくらい残っているのかも判らない。
私はこのまま永遠に海苔巻きを食べ続けるのではないか、などという妙な錯覚を覚える。
「……はぁ……」
もぐもぐ。
それにしてもこの、目隠しプラス緊縛状態の女子大生甲が女子大生乙に巻き寿司を食べさせられている光景というのは、他人の目にはどう映るのだろう。
これこそ恵方巻きの一つの極致なのだ、と解っていただけるだろうか。
「……ハァハァ……」
もぐもぐ。
なんか、さっきからメリーの変な息遣いが聞こえる。
「……ふ~……ふしゅ~……」
心なしか、恵方巻きが小刻みに震えているような。
メリーも早く食べたいのだろうか? じゃあ、なるべく急いで食べ終わってあげ――
「あぁーんもう駄目! 蓮子かわいいわ蓮子―――っ!!」
「ぎにゃあぁぁぁぁっ!?」
京都府内のあるアパートの一室にて。
現役女子大生甲が、乙の傷口に薬を塗ってやっていた。
「うぅ……」
「ご、ごめんねメリー。あの、わざとじゃなかったのよ? ものを食べてるときに、急にその、ああいう事をされたから、反射的にね……」
「うん、わかってる。私の方こそ悪かったわ」
蓮子がもう一度指先に軟膏を取り、それに促されてメリーが傷口を示す。
消毒と痛み止めのクリームが小さな傷の上に延ばされ、メリーがわずかに顔をしかめる。
「ひひゃい……」
「あっ、ごめん。痛かった?」
慌てて手を引っ込める蓮子。
しかしメリーはううん、と首を振った。
「苦い、って言ったの」
◇ ◇ ◇
一方その頃。
某天狗少女Aは、今日も今日とて自宅に氷精を連れ込んでいた――。
「さあチルノさん、恵方巻きが出来ましたよ」
「わぁ、綺麗!」
天狗――文が巻き寿司の乗った皿を卓袱台に置き、氷精のチルノがそれを覗き込んで目を輝かせる。
チルノが『綺麗』と評したその巻き寿司は、淡い黄金色に輝いていた。文は、愛しの氷精の好みに合うようにと、甘い薄焼き卵で寿司を巻いたのである。
「いいですか? 恵方巻きはあっちの方を向いて、切ったり残したりせずに、黙ったまま食べるんですよ」
「うん、わかった!」
東方微北を指してルールを説明する文に、チルノが元気よく応える。
さあ食べよう。いつもは卓袱台を挟んで座る二人が、今日は片側に寄り添って並ぶ。二の腕を文とぴったりとくっつけたチルノが、えへ、と嬉しげに文を見上げる。
恵方サイコー、と文は思った。
「ハァハァ……それではチルノさん、いただきましょうか」
「うん」
文が小刻みに震えながら恵方へ手を合わせ、チルノもそれに倣う。
では、いただきます――と、二人が言いかけたその時だった。
ばさばさっ、という激しい羽ばたきの音とともに、冬だというのに何故か開けっぱなしだった窓から、大きな黒い鳥が躍り込んできた。
「わぁっ!?」
仰天したチルノが、文にしがみつきながら目を見張る。
鳥は天井で急旋回してスピードを殺し、二人の目の前にふわりと舞い降りる。そして、その躯が卓袱台に触れるか触れないかのところで再び大きく羽ばたき――
「あーっ!」
絶叫するチルノが呆然と見送る中、鳥は侵入したのと同じ窓から風のように飛び立ってゆく。
その脚には、二つあった恵方巻きのうちの一つが、しっかりと掴み取られていた。
「あ、文っ! 泥棒よどろぼー! 追っかけて取り返さなきゃ!」
「いえ……無理ですね。残念ですが、私の脚ではとても追いつけそうにありません」
幻想郷最速の天狗が口惜しそうにほざく。
「そんなあ~」
「いやいやチルノさん、一つが無事に残っただけでもありがたいじゃないですか」
「それは、そうだけど」
「これを二人で食べましょう。ねっ?」
「……うん」
どうにか納得した様子のチルノ。
残った一つの恵方巻きをしげしげと眺め、腕を組む。
「それじゃこれ、半分こする?」
「それはいけません」
「……へっ?」
至極当然の提案をいきなり却下され、チルノは目をぱちくりさせる。
「忘れちゃ駄目ですよ、チルノさん。恵方巻きを切るのは御法度なのです」
「あっ……そっか。じゃあ、どっちかが先に食べて半分残すとか?」
「それも同じ事です。切ったところから福が逃げちゃいますからね。あくまで、このまま食べなければいけません」
「だけど、それならどうすればいいの? 二人で食べるのに、切っても残しても駄目なんて……」
思わぬ謎掛けに、文字通り頭を抱えて唸るチルノ。
しかしそんなチルノに、文はふふふと不敵に笑いかける。
「ご心配なく。その難問、すでに解決策は考えてあります」
「ほんと?」
「ええ。こうすればいいんですよ。ほら――」
文が皿の上の恵方巻きを取った。
そして、わずかに身を低くしてチルノと目線を合わせると、手にしていたそれを、二人の口を橋渡しするような位置に掲げて見せる。
「こうして、二人で一緒に両端から食べましょう。それで万事解決です」
「そ、そうなのか!」
チルノが雷撃でも喰らったかのようにおののく。
どうやら本気で感心しているらしい。
「こんな方法をすぐに思いついちゃうなんて、文ってば天才ね!」
「いやぁ、それほどでも……」
三日三晩考えた計画ですから、とは言えない。
さて、あとは食べるばかりである。再び荒くなってきた呼吸をどうにか静めながら、文はチルノに笑いかける。それではいただき――
「……あれっ?」
「どうかしましたか? チルノさん」
「うん。あのね、こうやって二人で食べたら、二人ともあっちの方を向くのって無理じゃないかなって……」
「はぅあ!?」
予想だにしなかったチルノの指摘に、文は雷電怒涛に見舞われたかのように戦慄する。
言われてみればそうだった。一本の恵方巻きを両端から同時に食べるとなれば、二人は互い違いの方位に顔を向けることになる。これでは共に恵方を拝むことができない。
まさかこの計画にそんな穴があろうとは。なんとかしてこの局面を乗り切らなければ――。
文は、鬼気迫る表情でチルノの両肩を掴んだ。
「チルノさん!」
「は、はいっ!?」
「恵方というのは、おめでたい方角。歳神様がおわし、皆の願いを聞き届けてくれる、幸せの方角です」
「う、うん」
でも――と文は続ける。
潤んだ瞳で、まっすぐにチルノを見つめる。
「東とか北とか、神様とか……。そんなこと、私にとってはどうだっていいんです。私は、あなたの方を向いて恵方巻きを食べたい。あなたのいる所が、私の恵方ですから……」
「――っ!!」
劇的であった。
チルノは轟雷にでも打ちのめされたかのように激しく身震いし、にわかに熱を帯びた瞳で文を見つめ返す。
「あ、文ぁ……」
「チルノさん……」
もはや言葉は要らない。
文とチルノは解き放たれたように恵方巻きにむしゃぶりついた。
恵方におわす神様に、そろって横顔を向けながら。
黒い大きな鳥――人はそれを鴉と呼ぶ。
文の家から飛び立った鴉は、妖怪の山周辺の空を軽く流した後、麓の平野の片隅でその羽を休めていた。上空から眺めると三日月形に見える岩のある、彼のお気に入りの場所である。
鴉の目の前には、淡い黄金色の巻き寿司があった。彼が文の家からここまで運んできたのだ。
この恵方巻きは報酬として、彼が食べてもいいことになっていた。
きょろきょろと辺りを見回し、他の鳥や獣がいないことを確かめる。恵方巻きにくちばしを寄せると、控えめに酢をきかせた飯がぷんと香る。具は胡瓜と鰻と炒った白胡麻。二つに一つは鳥の餌になる代物だというのに、主はかなり奮発してこれを作ったようである。
(しかし、いくら相手が餓鬼だからってなあ……)
鴉は思う。
主である鴉天狗のことを。
彼女が今回の計画を持ちかけてきた時の、まるで人間の小娘のような、恋する幸せと焦りが混じった表情を。
(あんまり安い策略ばっか使ってっと、そのうち見破られますぜ、姐さん……)
相思相愛ではあるものの、相手が幼すぎてなにかと欲求不満の絶えない主。
そんな彼女と氷精の末永い幸せを願いながら、鴉は東方微北に向かい、黙して恵方巻きをつつくのだった。
~終わり~
鴉…お前、文の事が…
食べてないのに恵方巻きでおなかいっぱいです。
ごちそうさまでした。
あと麓の神社についてkwsk。
さっそくうちのれみりゃ様とt(グングニル
鴉の兄貴が渋すぎて惚れそうです。
苦いってどういうことだよ!w
爆笑したwww
恵方巻の他には具体的にナニをドコに突っ込んできたのか考え出すと夜も眠れません。そそり立つオンバシラが夢に出てきました考えすぎでしょうか。
いいよいいよおまいら夫婦でもうwww