そして私は考える、視界は先ほどから明滅を繰り返すばかり、こうして生きているだけでこんな煌くような世界は広がっているのだ、ということを私は普段から存外思考しているような気もするししていないような気もする、要するによくわかっていなくても生きてるってそれだけで素晴らしいことだ多分。
空だ、何処までも果てしなく青い青い空が広がっている、なんて美しいのだろう、まだらに散らばっている雲もまたご愛嬌、お天道様を隠してしまうまでには至らない、私は思うままにあの只中を舞うことが出来る。さぞ気持ちいいに違いない、だってこんなにも晴れていていて風は穏やか、空気は冷たいながらに澄み切っていて、凡そ私の飛翔を妨げる要因など見当たらない、ただのひとつも見当たらない、明滅はこの際あんまり関係ない、障害物が無ければ私は飛べるんだってば。
今の季節はなんだっけ、そうか冬か、冬の空はいい、なんというか混じりっ気が感じられない、ということを私は此処にやってきてから思うようになった気がする。雨の日も経験した、あれは好きになれなかった、なんていうかつめたいし寒いし良い事あんまりない、そんな日は空を翔けようとは思わないかもしれない、どうせ冬なら雨より雪がいい、そういえば雪って不思議だな、なんでこんなただ白っぽいのがひんやり固まっていられるのかわからない、食べてみるとやっぱり冷たかった、勢いに任せてとりもあえず私はきりもみ回転で柔らかそうなところに突っ込もうとした処をたった今遮られた、ええい止めてくれるな雪が私を呼んでるの! はーなーしーてー!
*
駄目だった、私は親愛なる友人の手を振り切ることが出来なかった、というか本気で爪を食い込ませてくるの勘弁して欲しい、それ痛いから。研いでるの? と試しに尋ねてみたら、そこそこばりばり、という返事が返ってきた、対して私はと言えばこの身を引き裂かれることなく済んだことにほっと胸を撫で下ろすばかり、なむなむ。なむなむ?
私はまた空を見上げる、抜けるように青い空。この「抜けるように青い空」という言葉を、私はやはり此処にきてから知ったのだ。
よし。
今ならいける、友人は油断している、まさか二度目はあるまいと油断してるだなんて甘いなあ。とろとろ煮詰めて溶かして美味しくいただきたいくらいあまいなあ。私の行動力を舐めてもらっちゃ困る、実際舐められたらもっと困る、というかざらざらしてて痛いんだってば。もうぱちぱちと私の視界で繰り返される明滅は止まらない、傍らからこの娘もうてれんてれーんだからそろそろ帰るよお姉さん、という言葉が聴こえたようなそうでもないような、何を言うてれんてれんとは一体如何なる造語、真に珍妙な響きなるかな! というかそれ何? ほんと。何よ何よまた私にそうやって盃を勧めようとする! この際潰した方が早いからってそれちょっと酷いんじゃない、その液体は私の視界のぱちぱちを促進させる、途方も無い速度で促進させる、ああ美味しいこれどうしようかないやいや無理しなくてもいいって何を今更言うのやらもう遅いったら私これ呑んだらもう飛ぶ飛ぶ飛んじゃうしさあ!
* *
「おー、高い高い」
「ああ、油断した。ごめんねえお姉さん。お空はほらさあ、頭からっぽだけど悪気はないんだよ」
「や、別段迷惑被ってるわけでもないし。酒持ってきたのあんたらだし。ありがとね、これ美味しいわ」
* *
そして私は考える、風に身を任せながら考える。
つめたい風がひんやりと私の身体と頭を冷やす。
酔いが若干さめて来たような……やっぱりそうでもないような。
とりあえず、ぱちぱちと明滅する視界は落ち着きを見せている。
いつだったろうか?
私は空ってなんのことだか知らなかったのに、こうやって飛ぶ前から、その言葉だけは知っていた。
普段から忘れっぽい忘れっぽいと言われても、多分深いところにあるものは消えない。
深いところ、というのが自分でもよくわからない。
飛ぶ速度を落として、ゆったりと、弧を描くようにする。
どんなに弧を大きくしても、何にもぶつからない。
だから考え事には丁度いい。
深いところへ沈んだものに、手をかける。
『あなたは、空(うつほ)。ここでは叶わずとも、いつか空を飛び立てますように。だって、あなたは鳥ですもの』
さとりさま。
私、今、空を飛んでます。
そうだ。空、とはなんですか、と。あの時、私は訊いたんだ。
『空、とは――』
お天道様が眩しい。
私はもっとこう、ぎらぎらしたあっつい感じを想像していた。
私のイメージとしては、少なくともそうだった。
でもあのお天道様とやらは、考えていたよりもずっと、ずっとずっと、やわらかい光を放っている。
『――空、とは。からっぽの、器。それ故、全てを受け入れられる。そういう存在です。あなたもきっと、そうなって。ねえ、お空』
ああ、そうか。
そうだったんですね。
帰ったら、お礼を言わなきゃ。
覚えてられるかな。
忘れるかも。
でも、覚えてなきゃ。
それにしても。
飛んでる最中でも。
眠くなるのね、……
* *
「おー、落ちてくる落ちてくる。きりもみ大回転」
「おおおおお姉さん! 何でそんなに落ち着いてるの! キャッチだよキャッチ! あの高さと角度無理だよ頭が下向いてるってば!」
「うーん……それも面倒くさいな」
「薄情! お姉さん薄情者だ! あたい哀しいよ、ものっそい哀しいよ、そんな血も涙もないなんて!」
「喋る暇あったらあんたが受け止めてやりゃいいでしょうが。ま、大丈夫でしょ。ほら」
「えっ?」
「雪よ雪。この辺結構積もってるし……お、着地」
「腰まで埋まってるー!」
「ああもう五月蝿い、腰まで埋まってよかったでしょスカート捲れないし……あ、駄目か丸見えだ。ああでもあんたらやたら頑丈なんだから、早々死なないったら。掘り出すのは手伝うわよ、お酒もいただいたことだしね」
* *
つめたかった。
けど今、なんだかあたたかい。
もうあんたとは酒呑まないとか言わないでよ、さみしいじゃない。
わざわざおんぶしてくれてるんだからさ。
借りくらい、返すってば。
直ぐ忘れるでしょって?
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
覚えてるわ、多分。
ふぁ。
ねむい。
おやすみ、お燐。
* * *
『さとりさま酷いったらないんですこいつってばもう心配かけてばっかりであたいは普段のお食事も喉を通らないくらいです!』
「概要は把握しました、あと喋るか食べるかどっちかにしてください。喉に詰まりますよ」
「ん、んぐ、んん……はぁ。もうこいつ、考え無しったらないです。くそう、いい顔して寝てる」
「あら。確かにこの娘は、色々と忘れてしまいがちのようですが。存外、よく思考しますよ? 酔ってるときは特に」
『うそ!?』
「……あなたは大変に正直ですね、お燐。でもまあ、嘘じゃありません。私が言うのですから、真実そうです」
「うーん、うーん、そう言われたら、あたいも返しようがないですけど」
「ええ。この娘は全てを受け入れながら、満たされ続ける。そういうのは、悪くないですね」
「よくわからないですけど……とりあえず、なんか心配なんで、一緒に寝ることにします。お腹もいっぱいになりましたし」
「寝る前にはちゃんと歯は磨いてくださいね?」
「はーい」
* * *
私はまた、空を飛んでた。
その最中、声が、聴こえたような気がした。
夢の中だって、なんとなくわかっていたけど。
ちゃんと返事をすることにした。
「……おやすみなさい、さとりさま、……」
>もうあんたとは酒呑まないのか言わないでよ
酒呑まないとか、かな?
ああもう可愛いなあ!