手に少し力を入れただけで、それは音を立ててひしゃげた。
今はただの肉塊だ。誰のものでもなく、体からの信号は途切れ、凝然としている様はまるで自由のように思える。
暗い空が私を見下ろしていた。辺りにはそんな自由なものがたくさん転がっている。どれも生命の赤に彩られているのに、生きているような感じはしない。
静かだ。
とても静かだ。
――声が、聞こえなくなったから。私に浴びせられたどんな言葉も、続きを失い、過去に消え入る。
そうして私は自由になった。ずっと追い求めていた自由だ。
私の心は、少しだけ満たされたような気分になる。が、すぐに醒めてしまう。
殺戮の興奮は、長くは続かない。
もっと満たされるような殺戮を。
恋焦がれるような殺戮を。
――
「――聞いているのか、地霊殿の主よ」
どうして鬼はこんなにもエネルギッシュなのだろう。私は頭が痛かった。低血圧の私には鬱陶しくて仕方がない。
古明地さとりは思う。対する一角の鬼――星熊勇儀は、腕を組んでソファーに座っていた。堂々とした姿は、まさに力で他を支配してきた種族の貫禄を見せている。
そんな鬼に何故一対一で詰問されているのだろう。私にはわからなかった。
何でも、妹の古明地こいしのことで話があるらしかった。
「お前の妹が、妖怪を攻撃して回っている」
「はぁ……」
とりあえず頷いておく。私にはほとほと関係ない話だと思った。
こいしは相手の心を読む妖怪"さとり"の力を捨てた。こいしには他人の心の醜い部分を見続けることが耐えられなかったのだろう。そうしてこいしは私に近づいたのだが、妖怪"さとり"の本分を棄てたこいしを私は受け入れられず突っぱねてしまった。
それが一週間くらい前だったと思う。
それから私はこいしの顔を見ていない。
「流石にあんなものを見ては気分が悪いもんでね」
闘いは正々堂々とあるべきだ、と鬼は言う。それは勇儀も同じなのだろう。正義のない闘いは汚い殺戮と同じだ、と。
「恨み辛みがあるのはわかるがね」
だから勇儀は、私に妹のこいしを止めるように言いに来たのだ。
けれども、と私は思う。
「あなた方が力で教えてあげればいいでしょう。もちろん嫌味ではなく」
「ふン」
勇儀は心の中で、嫌な奴だ、と付け足した。たとえ鬼であろうとトラウマを引き出す妖怪"さとり"の相手はやり辛いのだろう。
そして、その反応から察するに勇儀はまだ事情を知らないらしい。だから、私は鼻で笑った。
「心配しなくても、あの子はもう心を読む力を持っていません」
「なんだと? それじゃあ――」
「『もう妖怪"さとり"ではないのか』、確かにその通りです。だから、私も責任は取りません」
勇儀は眉間に皺を寄せる。露骨に考えたことを読んで見せたのが気に入らなかったのだろう。もちろん私は意図してやっている。もうこの話は聞きたくなかった。すぐに帰ってもらいたかった。
そして、それが伝わったらしい。勇儀は腰を上げて、踵を返した。
しかし、動きは止まる。
「……それでいいのか?」
「何を言いたいのやら、さっぱり」
惚けてみせる。が、勇儀は動じない。
「姉妹の関係を断ってしまっていいのか?」
「――お心遣い、有難う」
私は遣いのペット顎で命令する。早く帰らせるように、と。
しかし、その仕草は見えていないはずだが、勇儀自ら進んで部屋を出て行った。
……ああ、鬼は嫌いだ。己に素直で率直だから、嫌いだ。
――
久しぶりに帰ってきても、家はほとんど変わっていなかった。もうずっと同じ姿を保っているのだから、たった数日で変化するようなことはないのだけれど。
私は中庭を散歩する。灼熱地獄は現役を退いてもなお熱を持っているので気温が高い。そこらでは見かけないような植物がたくさん生えている。
そんな木々や草花の姿をじっくりと見ていれば、気が紛れると思った。もしかしたら本当に気が紛れたのかも知れない。だが、私には実感できなかった。
私は満たされずにいる。私の心は空っぽのまま。
殺戮は楽しい、と思う。そうしている間は気が紛れていることを実感できた。どうしてかはわからない。最初は誰かのためだったように思うが、今はわからないでいる。
だから私は満たされない。
満たされずにいる。
私は求める。
恋焦がれるような殺戮を。
この身を焦がしつくすような、狂おしい殺戮を。
――
「こいし」
――どうしてここに来たのだろうか。
さとりは今になって後悔する。きっと鬼の言うことを真に受けてしまったのだろう。
ペットに話を聞いてこいしが戻ってきていることを知り、そうして声をかけたのに、私には次の言葉が見つからなかった。仕方がないので勇儀の言葉を代弁する。
「あなたがいろいろやっているせいで、迷惑しているらしいわ」
「ふぅん」
こいしはつまらなそうに相槌を打つ。私には、こいしの心が読めない。これも彼女が"さとり"の力を封じた副産物だ。
私は、問う。
「止めないの?」
こいしは、答える。
「止めないの?」
こいしの顔は大仏像のように微笑が彫りこまれていた。そのまま私を睨んだように思えた。
――ああ、そうか。この気持ちは、苛立ちか。妖怪"さとり"を棄ててもなお、私の顔に泥を塗ろうとしているこいしに対する苛立ちか。
どうしてそこまでして私を貶めたい。
どうして私を困らせたい。
「面汚し」
罵る。
だが、こいしはその微笑をぴくりとも歪ませない。
さとりを凝然と見つめているだけだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
こいしは、言う。
「――恋焦がれるような殺戮を」
――
腕を振り上げる。
光が生まれ、幾条もの光線が走る。
それは辺りの木々を焼き、地面を黒く焦がした。
だが、目標とする影は消えている。視界から姿を消してしまったのだ。
私は咄嗟に見上げる。
さとりは、空中に浮かんでいた。
私は再度問う。
「……殺るよ?」
「問い直す必要があったかしら?」
私も同じ高さまで飛び上がる。
手に力を込め、意識を集中させる。意識は収束し光を放つ。自らが解き放たれるのを今か今かと待ち望んでいるのだ。
それを後方へ投げた。さとりからはこいしの体で光の軌跡が見えなくなるのだ。
それは九つに裂け、時間差をもってさとりを追撃する。
接近には、一秒も数えない。
――さあ、避けてみてっ! この張り詰めた空気が私を満たすのだから!
しかし、さとりは回避運動を取らない。
命中する――!
「ひとつ!」
感覚が極限まで研ぎ澄まされていくのを感じていた。
まだ後続は止まない。
「ふたつ!」
触覚が痺れを伝える。戦闘が始まったのだ。殺戮が始まったのだ。
「みっつ!」
光が衝突し、さとりの体が弾かれる。
楽しい。
「よっつ!」
服はボロボロに破け、その身は朱に染まり……。
「いつつ!」
飛沫が飛ぶ。
「むっつ」
なんで。
「なな……」
あれ。
やっつ。
え。
ここのつ。
全て命中した。
さとりの体はそのまま宙に弧を描く。
敵を打ち倒した。
しかし、そこには湧き上がるような達成感も、広がるような充実感もない。
ただ虚無感だけがそこにあった。
「お姉ちゃん」
呼んだそれは、地面に叩きつけられて、不愉快な音を出した。
「……お姉ちゃん?」
私はすぐに飛んで、様子を確かめた。
撃った腹部は裂け、中から赤黒く粘り気のあるものが顔を覗かせていた。
いつも蒼白なさとりの顔はより白くなっている。
その顔に触れる。すると、目が開いた。
目が合う。
私はなんて言葉をかければいいのかわからなかった。淡い感情が浮かべど、心から言葉を紡げない。自分のうちに心を探しても、どこにあるのかがさっぱりわからないのだ。思うことがなければ、どのようなことを言えばいいのかがわかる。しかし、私には思うことがなかった。
いつからわからなくなったのだろう。
私にはどのように姉を思えばいいのかわからなくなっていたのだ。
だから、問う。
「……気分は、どう?」
さとりは、少し考えてから、答える。
「お腹がぱっくり口を開けている気分」
ふふ、とさとりは微笑んだ。
「ねぇ、こいしの気分はどう?」
こいしはじっくり考えたが、わからなかった。
わからないことは、哀しいのかもしれない。そんな薄っぺらい悲壮感だけがただそこに横たわっているだけだった。
――
息をするのも苦しい痛み。腹部は熱い。肌はどんどん冷たくなっているのを感じる。
それでも、こいしの顔を見つめる。
「ねぇ、こいし」
相変わらず、その顔は微笑が刻み込まれているだけの抜け殻だ。
「外は楽しいかもしれないけれど、たまには……家に帰ってきなさい」
「うん」
私の言葉にこいしは頷く。
「週一くらいは」
「うん」
こいしに、ゆっくり注いでいく。
「殺戮って、やっていい場合と悪い場合があるのよ」
「うん」
こいしを、満たす。
「それは……きっと鬼が詳しいから、今度聞いてみなさい」
「うん」
たとえ一杯にならなくても。
「ちゃんと、笑いなさい」
笑えるように。
「――うん」
――
「よおー、さとりのぉー」
一角の鬼――勇儀は、前来たときは真面目だったというのに、今日は出来上がってしまっている。
……そういえば前来た時もほんのに顔が紅かった気がする。何だそれ。
「何しに来たの」
「通りがかっただけさ。誰が好き好んでここに来るかっ」
そう言って、杯の酒を一気に飲み干す。背中に樽を背負っているので酒を出せとたかりにきたわけではないのだろう、と胸を撫で下ろす。
「――こいしは最近うちの集まりに顔を出してる。腕っ節も酒も強いね」
「ん、そう。仲良くしてやってください。誠意さえあれば言うことを聞くいい子ですから」
すると、勇儀は急に真面目な顔になる。以前と同じ、正を好み不正を嫌う、まるで裁きの司のような、鬼の顔に。
「向き合う気になったのか?」
「やぁー急に何言ってるの勇儀さん酔ってるのー?」
私は惚けてみせる。が、勇儀は動じない。
本心を読もうとしたが、早く宴会に戻りたい、と巧く隠しているので困った。
仕方ないから正直に答えるのだが……。
「わからないわ」
そう言うしかなかった。こいしとそっくりだな、と思った。
勇儀は短く笑う。
「もうちょっと頭を使え。言っておくけどな、単に姉妹仲はいいものだなんて押し付けたわけじゃないぞ」
「わかってます」
「んじゃあ、私は行くからな」
どこへでもいいからさっさと行けよ、と私は毒づく。
「二度と来なくていいですから」
「ああ、そんなのこっちから願い下げさ」
そう言って、私は勇儀を見送った。
――
「今日も泊まっていくかい」
「んん、今日は帰る日だから」
「はぁ……あんたも律儀だねぇ」
私は、二つの角を生やした小さい鬼に手を振り、そこを後にした。
今はただの肉塊だ。誰のものでもなく、体からの信号は途切れ、凝然としている様はまるで自由のように思える。
暗い空が私を見下ろしていた。辺りにはそんな自由なものがたくさん転がっている。どれも生命の赤に彩られているのに、生きているような感じはしない。
静かだ。
とても静かだ。
――声が、聞こえなくなったから。私に浴びせられたどんな言葉も、続きを失い、過去に消え入る。
そうして私は自由になった。ずっと追い求めていた自由だ。
私の心は、少しだけ満たされたような気分になる。が、すぐに醒めてしまう。
殺戮の興奮は、長くは続かない。
もっと満たされるような殺戮を。
恋焦がれるような殺戮を。
――
「――聞いているのか、地霊殿の主よ」
どうして鬼はこんなにもエネルギッシュなのだろう。私は頭が痛かった。低血圧の私には鬱陶しくて仕方がない。
古明地さとりは思う。対する一角の鬼――星熊勇儀は、腕を組んでソファーに座っていた。堂々とした姿は、まさに力で他を支配してきた種族の貫禄を見せている。
そんな鬼に何故一対一で詰問されているのだろう。私にはわからなかった。
何でも、妹の古明地こいしのことで話があるらしかった。
「お前の妹が、妖怪を攻撃して回っている」
「はぁ……」
とりあえず頷いておく。私にはほとほと関係ない話だと思った。
こいしは相手の心を読む妖怪"さとり"の力を捨てた。こいしには他人の心の醜い部分を見続けることが耐えられなかったのだろう。そうしてこいしは私に近づいたのだが、妖怪"さとり"の本分を棄てたこいしを私は受け入れられず突っぱねてしまった。
それが一週間くらい前だったと思う。
それから私はこいしの顔を見ていない。
「流石にあんなものを見ては気分が悪いもんでね」
闘いは正々堂々とあるべきだ、と鬼は言う。それは勇儀も同じなのだろう。正義のない闘いは汚い殺戮と同じだ、と。
「恨み辛みがあるのはわかるがね」
だから勇儀は、私に妹のこいしを止めるように言いに来たのだ。
けれども、と私は思う。
「あなた方が力で教えてあげればいいでしょう。もちろん嫌味ではなく」
「ふン」
勇儀は心の中で、嫌な奴だ、と付け足した。たとえ鬼であろうとトラウマを引き出す妖怪"さとり"の相手はやり辛いのだろう。
そして、その反応から察するに勇儀はまだ事情を知らないらしい。だから、私は鼻で笑った。
「心配しなくても、あの子はもう心を読む力を持っていません」
「なんだと? それじゃあ――」
「『もう妖怪"さとり"ではないのか』、確かにその通りです。だから、私も責任は取りません」
勇儀は眉間に皺を寄せる。露骨に考えたことを読んで見せたのが気に入らなかったのだろう。もちろん私は意図してやっている。もうこの話は聞きたくなかった。すぐに帰ってもらいたかった。
そして、それが伝わったらしい。勇儀は腰を上げて、踵を返した。
しかし、動きは止まる。
「……それでいいのか?」
「何を言いたいのやら、さっぱり」
惚けてみせる。が、勇儀は動じない。
「姉妹の関係を断ってしまっていいのか?」
「――お心遣い、有難う」
私は遣いのペット顎で命令する。早く帰らせるように、と。
しかし、その仕草は見えていないはずだが、勇儀自ら進んで部屋を出て行った。
……ああ、鬼は嫌いだ。己に素直で率直だから、嫌いだ。
――
久しぶりに帰ってきても、家はほとんど変わっていなかった。もうずっと同じ姿を保っているのだから、たった数日で変化するようなことはないのだけれど。
私は中庭を散歩する。灼熱地獄は現役を退いてもなお熱を持っているので気温が高い。そこらでは見かけないような植物がたくさん生えている。
そんな木々や草花の姿をじっくりと見ていれば、気が紛れると思った。もしかしたら本当に気が紛れたのかも知れない。だが、私には実感できなかった。
私は満たされずにいる。私の心は空っぽのまま。
殺戮は楽しい、と思う。そうしている間は気が紛れていることを実感できた。どうしてかはわからない。最初は誰かのためだったように思うが、今はわからないでいる。
だから私は満たされない。
満たされずにいる。
私は求める。
恋焦がれるような殺戮を。
この身を焦がしつくすような、狂おしい殺戮を。
――
「こいし」
――どうしてここに来たのだろうか。
さとりは今になって後悔する。きっと鬼の言うことを真に受けてしまったのだろう。
ペットに話を聞いてこいしが戻ってきていることを知り、そうして声をかけたのに、私には次の言葉が見つからなかった。仕方がないので勇儀の言葉を代弁する。
「あなたがいろいろやっているせいで、迷惑しているらしいわ」
「ふぅん」
こいしはつまらなそうに相槌を打つ。私には、こいしの心が読めない。これも彼女が"さとり"の力を封じた副産物だ。
私は、問う。
「止めないの?」
こいしは、答える。
「止めないの?」
こいしの顔は大仏像のように微笑が彫りこまれていた。そのまま私を睨んだように思えた。
――ああ、そうか。この気持ちは、苛立ちか。妖怪"さとり"を棄ててもなお、私の顔に泥を塗ろうとしているこいしに対する苛立ちか。
どうしてそこまでして私を貶めたい。
どうして私を困らせたい。
「面汚し」
罵る。
だが、こいしはその微笑をぴくりとも歪ませない。
さとりを凝然と見つめているだけだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
こいしは、言う。
「――恋焦がれるような殺戮を」
――
腕を振り上げる。
光が生まれ、幾条もの光線が走る。
それは辺りの木々を焼き、地面を黒く焦がした。
だが、目標とする影は消えている。視界から姿を消してしまったのだ。
私は咄嗟に見上げる。
さとりは、空中に浮かんでいた。
私は再度問う。
「……殺るよ?」
「問い直す必要があったかしら?」
私も同じ高さまで飛び上がる。
手に力を込め、意識を集中させる。意識は収束し光を放つ。自らが解き放たれるのを今か今かと待ち望んでいるのだ。
それを後方へ投げた。さとりからはこいしの体で光の軌跡が見えなくなるのだ。
それは九つに裂け、時間差をもってさとりを追撃する。
接近には、一秒も数えない。
――さあ、避けてみてっ! この張り詰めた空気が私を満たすのだから!
しかし、さとりは回避運動を取らない。
命中する――!
「ひとつ!」
感覚が極限まで研ぎ澄まされていくのを感じていた。
まだ後続は止まない。
「ふたつ!」
触覚が痺れを伝える。戦闘が始まったのだ。殺戮が始まったのだ。
「みっつ!」
光が衝突し、さとりの体が弾かれる。
楽しい。
「よっつ!」
服はボロボロに破け、その身は朱に染まり……。
「いつつ!」
飛沫が飛ぶ。
「むっつ」
なんで。
「なな……」
あれ。
やっつ。
え。
ここのつ。
全て命中した。
さとりの体はそのまま宙に弧を描く。
敵を打ち倒した。
しかし、そこには湧き上がるような達成感も、広がるような充実感もない。
ただ虚無感だけがそこにあった。
「お姉ちゃん」
呼んだそれは、地面に叩きつけられて、不愉快な音を出した。
「……お姉ちゃん?」
私はすぐに飛んで、様子を確かめた。
撃った腹部は裂け、中から赤黒く粘り気のあるものが顔を覗かせていた。
いつも蒼白なさとりの顔はより白くなっている。
その顔に触れる。すると、目が開いた。
目が合う。
私はなんて言葉をかければいいのかわからなかった。淡い感情が浮かべど、心から言葉を紡げない。自分のうちに心を探しても、どこにあるのかがさっぱりわからないのだ。思うことがなければ、どのようなことを言えばいいのかがわかる。しかし、私には思うことがなかった。
いつからわからなくなったのだろう。
私にはどのように姉を思えばいいのかわからなくなっていたのだ。
だから、問う。
「……気分は、どう?」
さとりは、少し考えてから、答える。
「お腹がぱっくり口を開けている気分」
ふふ、とさとりは微笑んだ。
「ねぇ、こいしの気分はどう?」
こいしはじっくり考えたが、わからなかった。
わからないことは、哀しいのかもしれない。そんな薄っぺらい悲壮感だけがただそこに横たわっているだけだった。
――
息をするのも苦しい痛み。腹部は熱い。肌はどんどん冷たくなっているのを感じる。
それでも、こいしの顔を見つめる。
「ねぇ、こいし」
相変わらず、その顔は微笑が刻み込まれているだけの抜け殻だ。
「外は楽しいかもしれないけれど、たまには……家に帰ってきなさい」
「うん」
私の言葉にこいしは頷く。
「週一くらいは」
「うん」
こいしに、ゆっくり注いでいく。
「殺戮って、やっていい場合と悪い場合があるのよ」
「うん」
こいしを、満たす。
「それは……きっと鬼が詳しいから、今度聞いてみなさい」
「うん」
たとえ一杯にならなくても。
「ちゃんと、笑いなさい」
笑えるように。
「――うん」
――
「よおー、さとりのぉー」
一角の鬼――勇儀は、前来たときは真面目だったというのに、今日は出来上がってしまっている。
……そういえば前来た時もほんのに顔が紅かった気がする。何だそれ。
「何しに来たの」
「通りがかっただけさ。誰が好き好んでここに来るかっ」
そう言って、杯の酒を一気に飲み干す。背中に樽を背負っているので酒を出せとたかりにきたわけではないのだろう、と胸を撫で下ろす。
「――こいしは最近うちの集まりに顔を出してる。腕っ節も酒も強いね」
「ん、そう。仲良くしてやってください。誠意さえあれば言うことを聞くいい子ですから」
すると、勇儀は急に真面目な顔になる。以前と同じ、正を好み不正を嫌う、まるで裁きの司のような、鬼の顔に。
「向き合う気になったのか?」
「やぁー急に何言ってるの勇儀さん酔ってるのー?」
私は惚けてみせる。が、勇儀は動じない。
本心を読もうとしたが、早く宴会に戻りたい、と巧く隠しているので困った。
仕方ないから正直に答えるのだが……。
「わからないわ」
そう言うしかなかった。こいしとそっくりだな、と思った。
勇儀は短く笑う。
「もうちょっと頭を使え。言っておくけどな、単に姉妹仲はいいものだなんて押し付けたわけじゃないぞ」
「わかってます」
「んじゃあ、私は行くからな」
どこへでもいいからさっさと行けよ、と私は毒づく。
「二度と来なくていいですから」
「ああ、そんなのこっちから願い下げさ」
そう言って、私は勇儀を見送った。
――
「今日も泊まっていくかい」
「んん、今日は帰る日だから」
「はぁ……あんたも律儀だねぇ」
私は、二つの角を生やした小さい鬼に手を振り、そこを後にした。