「やーん。なにこれー。白くてべたべたする」と、こいしは言いました。
興奮しすぎです。
なに騙されてやがりますか、このロリコンめ。
などといったところで無駄ですね。
どうせ不治の病ですからせいぜい哀れんでやります。
ああそういえば、自己紹介がまだでした。
古明地さとりです。おはようございます。こんにちわ。こんばんわ。
どうでもいいですけど、地底だと時間がわかりようもないですね。
なので、ここは業界用語としておはようございますが適当だと思います。
ん。まだエッチなこと考えてますか。
しかたのない人ですね。
では少しだけ、ほんの少しだけ真実に近いお話をしてさしあげます。
ただで聞けるのですから、安いものだと思ってください。
そうですねぇ……なにをお話しましょうか。
私の妹のお話とかどうですか?
おや。
私の話を聞いている最中だというのに、いま一瞬、私のエロスを想像しましたね。妹という言葉から連想してしまったのですね。
羞恥――
ですか。
気にしないでもいいですよ。
人間の心は一瞬のうちに移り変わる極めて不安定なものです。
そんなことでいちいち目くじらを立てていてもしかたありませんし、そもそもが等価的です。
等価的に無価値であるがゆえに、等価的に価値を有しています。
きらめく宝石のようなものでして、価値があると思えばそこに価値があります。逆に言えば、ただの石ころに思えない人もいるわけです。
私にとっては秘された宝石というよりは、どちらかというと転がる石を想起します。
どこにでもあるような小石。
株価の変動のほうがまだ心躍る数値変動ではないですか。
今度は少しばかり怒り。
ほんのチョットM心。
いえ、これは……。
さとりんかわいいよさとりん、ですか。
度し難いですね……。
嘘ですよ。本当のところは転がる石だからこそかわいいと思うものです。
今度は幸福感……と、不審感の中間のような感情ですね。
私は日本語が表現できる心には限界があると思っておりますから、適当に番号をつけていたりします。F♯32が今のあなたの心。
と、言っても伝達できるものではありませんね。
残念ながら人間は自身の心のありようすらよくわかっていないものです。
大丈夫ですよ。
そんなに厳密な能力ではありません。
言葉で思考しなければ追いきれるものではないですから、たとえばぼんやりとした思考や数学的に展開されない曖昧な考えはわかりません。
言葉で考えるというのは一種の舗装された道路のようなものですから、逆に言えば獣道のような思考はなかなか理解できないのですよ。
それによしんば心の中の言葉がわかったところで、それに共感できるかは別問題です。
わかりあえないということがダイレクトにわかってしまうというのも考えものですね。
私の妹はそれを『嫌な事』と表現しました。私も半ばそう思っています。もう半分は秘密です。
恐怖?
しかしそれはたいしたことのない恐怖ですよ。
真の恐怖を知らないからこそ持ちえる感情です。私は本当に恐ろしいことを知っております。
未去勢の魂を見ることほど恐ろしいことはありませんから。
では、今からそのことをお話していきましょうね。
私の妹、古明地こいしは無意識を操る能力を有しております。
単純に言って、無意識で行動しているのです。無意識というと夢遊病のような感じを思い浮かべるかもしれませんけれど、正確に言えばそれは正しい表現ではないでしょう。
むしろ、日常的な生活でこいしはきわめて普通に振舞います。
これがどういうことかわかりますか?
無意識が、こいしを動かしているのです。
無意識が、状況に適合した最適な行動を選択し、彼女の表層的行動を取り繕うわけです。
では、少し話を具体化してみましょう。
カコバナってやつですよ。
「やーん。なにこれー。白くてべたべたする」
そのとき、こいしが驚いているように見えました。
新年が来たので、超がつくほど久しぶりにお餅をついてみたんですよ。
病むべき地底の住人にとってはあまりにも不釣合いな白いお餅。
晴れ晴れしい太陽を象徴化しているお餅は私たちにとっては憎むべき相手ですらある。
そんな複雑な私の心境を知ってか知らずか、私の妹は無垢な笑顔のまま、ぺちぺちとお餅の表面を叩いていました。
「そんなにしたらお餅が痛んでしまう」
と、私が話しかけます。
「すごく伸びるよ。お餅うにょ~んだよ」
「お餅だから当然でしょう。見たことないの?」
「さぁ?」
微笑ましい光景だと思いますか?
それは大きな間違いです。
こいしのこれらの会話、行動、そのすべては無意識的になされたものであり、彼女自身が自発的に何かをなしたわけではありません。
無意識はこいしの本能ともまた違います。
無意識とは言ってみれば、自動的に蒐集されていく生命の記録装置です。
種族としての知識、そして個体の知識が、集積された回路。
その回路が、こいしの生存にとって適した形として出力されます。
なんという茶番でしょうか。
私はこいしと一言も会話を交わしていないのです。真の意味でこいしと出会ってすらいない。
心を読める能力も無意識を操るこいしには届きません。
私が彼女の心を覗いてみても、見えるのは暗闇の中の大海。
まっくらな海。
ただひたすら波の音が反響しています。
『……』
沈黙です。
ぞっとします。
例えば、ここでもしも仮にこいしの頭をこづいてみたところで、彼女は決して怒らず、少女らしい笑顔を浮かべて「お姉ちゃんなにすんのー」とでも言うのでしょう。
それが私にはわかりすぎました。
わかりすぎてつらいというのは悟りにはありがちな事実ですが、今回もまたそうなのです。
こいしがこころを閉じたのは、ほんの些細なきっかけでした。
私が心の中にほんの小さな想念を浮かべた。
それが始まりです。
それが罪の形態なのです。
我々が人々に虐げられているのはあなたもご存知ですよね。
そして私たち姉妹は二人で人目を避けて暮らしていたのですが、ふと――ある想念を私が浮かべてしまったのです。
例えれば、湖に映る月のようなもの。
言語化できるようなものではないのですが――あえて言葉にするなら存在否定でした。
こいしが、いなければ。
と想ってしまったのです。
もちろん一瞬のうちにかき消しました。しかし、思考を読むというより肌で感じるタイプのこいしにとっては、その一瞬は致命的な時間だったのでしょう。
彼女はわかってしまったはずです。
それから――少しタイムラグ。すぐに心を閉じたわけではありません。きっかけもなく、ただ自然とそうなることを止められないようでした。
ですが契機を遡れば、その想念に思い至るわけです。
問題は――
想念は罪なのかということです。
私が思い浮かべた思考が醜悪であることは私自身にもわかっています。
ただ、こうも思うのですよ。
ある人が一生涯、心の中に悪を抱きながら他人に親切にしつづけたら、やっぱりその人は親切な人。
そして逆にある人が一生涯、悪をなしながら心の中は善意に満ちていても、やっぱりその人は悪人です。
言い訳に終始しているように聞こえてしまうかもしれませんね。
ただ、悟りに必要なのは、想念に対する赦しです。
先述した心を読むという行為の残り半分は赦しであると思っています。他者の心を覗いてみたところで決して到達しえない思考が存在します。その思考や思想や想念に対して、『嫌なこと』と思うのは確かにありえる考え方です。わかりあえないことがわかってしまうのは哀しいことですからね。
ですが、わかりあえないことが、赦しでもあるのです。
無意識による連帯から浮揚する意思を確認させてくれます。
集合化された独りよりも、孤高の多数である方が良い。
そういう意味で、わかりあえず、共感できず、理解しあえないということは赦しです。人は常に赦されて生きています。
だから私も赦さなければならないのかもしれません。
たとえあなたが心の中で『さとりんとちゅっちゅしたいよー』などと卑猥な思考を抱いていても……って実際に抱いてますね。
ともかく、抱いていても。
私はそのことを不快に思いつつも結局は受け入れるでしょう
実際に私の肌に触れない限り、
最後の最後の段階まで、受け入れ続けるでしょう。
あのときの私が赦されるためにそうしているのではありません。
こいしに赦されるためにそうしているわけでもありません。
そうしなければならないのです。
それが悟りに課せられた業というものです。
ん……、こいしが帰ってきたようですよ。
フラフラとどこかへ遊びに行くこいしも最近はちゃんと家に帰ってくるようになりました。
喜ばしいことです。
たとえ無意識的な帰巣本能だとしても、その行動には彼女自身の自発的な意思も隠されていると信じたいですからね。
「お姉ちゃん。赤くてべたべたするのー」
「血だらけね」
「白くてバタバタしてるの殺しちゃったから。どうして白いのに赤くなるのかな」
「外見が白くても中身はそうとは限らないってことよ」
「ふーん。そうなんだ。ところで隣にいる人だーれ?」
「お燐がまちがえてつれてきた生きている人間」
「死んでないの?」
「死んでない」
「そいつも中身は赤いのかな?」
「そうかもしれないわね」
「確かめてみないとね」
「確かめないと気がすまない?」
「うん。そりゃあ……中身は見えないもの」
「こいし、こっちに来て」
「どうしたの」
「ほら……」
あなたがそうであるように、私もまた血が流れていたりするのですよ。
ほら、よく見てください。
こいしの爪先を私の顔にあてがって、そのまま、ひっかき疵をつくります。
彼女は彼女の生存に関わりがない事柄については基本、されるがまま。よって、私の行動は止められることはありません。
理論的に論理的に、彼女はそうであるようにそうであるのです。
そして、頬のあたりから一筋の血が流れ出ます。
それも当然の帰結。
「お姉ちゃん。肌白いのに、中身は赤いんだね。始めて知ったよ」
こいしは少し驚いているようでした。
私はこいしの頬にそっと手を触れます。
なぜか冷たい感覚。
呼吸を停止し、思考が一瞬止まる。
海。
海が溢れたのでしょうか。
あるいは、あまりにも魅入りすぎて、瞳が乾いただけでしょうか。
私は事実にすがり、事実を告げることにします。
「透明なのにべたべたする」
そう遠くない日に、彼女達はべたべたすることになる。
追記
you氏に答えます。
ここまで言い切っていいかは謎ですが、無意識で行動するというのは要するに反射の複合で動いているようなものだと思います。反射の見極めさえできればある程度の予想はつくという考え方です。
ですが、無意識はしつがいけん反射よりもずっと複雑なので、読みきれずに、SATSUGAIされてしまう可能性もあります。
他にも感想くれた方に感謝。無意識レベルで感謝しています。反射的に嬉しいという意味です。
超空気作家まるきゅー
でも最後が若干尻切れトンボ感がもったいないと感じました。
ちょっと残酷かもしれない希望に包まれたラストがステキ。
まるきゅーさんのそんな文章が結構好きだったりします。
でも無意識が危害として捉えない限りこいしちゃんはされるがままでOK?
今後も応援しますので頑張ってくださいー。