「咲夜ー? さくやぁー?」
大図書館の静寂を破る声。目当ての人物を捜し求める声。
その声は、紅魔館が主レミリア・スカーレットのものだ。
対して、答える声がある。
読書に耽っている、図書館が主パチュリー・ノーレッジの声だ。
「出かけてきます、って出て行ったわよ。忘れたの、レミィ?」
一瞥をくれただけで、図書館の主は視線を開いた本に戻してしまった。
そうだったっけ、とレミリア様は首を捻る。
私――小悪魔はその様子を一歩下がったところで眺めていた。
この冬はいつもよりずっと長引いていた。
地下にあり、パチュリー様の魔法の恩恵を授かっているこの図書館はともかく、上のお屋敷は底冷えするような夜を迎えているだろう。
まあ、まともな妖怪ならの話だが。吸血鬼はまともな感覚を持ち合わせているのだろうか。
そう疑問に思っていると、レミリア様は自分の体を抱きかかえるように腕を組み、
「今日は少し冷えるわね」
なんて言った。ちなみに半袖。
きっと咲夜さんがいないから自分で服を出さなくちゃいけなくて、半袖しか見つからなかったのだろう。
だらしねえなあ、おい。
……そういえばパチュリー様はほとんどが長袖だった。どうして揃って頓着無いのだろう。
「お風呂に入りたいわ」
吸血鬼もお風呂に入るものなのだろうか。確か水は苦手だったような気がする。
ここまで堂々と言われると自信が持てない。
その疑問に堪らなくなったので我慢せずに尋ねる。
「吸血鬼でもお風呂に入るんですか?」
「……嫌味?」
レミリア様は不機嫌そうに顔を顰める。
「レディなら、身嗜みに気を付けるのは当然でしょう?」
半袖が言っても説得力などない。
「確かに水は苦手よ。けれどもお風呂は特別。なんて言ったって――」
お嬢様は、ふふん、と誇らしげに微笑む。
「――特別な"血のお風呂"だもの」
紅魔館はその名を体現するように外装も内装も紅に統一されている。紅とは、血を意味する。
その紅魔館のレミリア様が入る浴槽は、本物の血で満たされている。幼い吸血鬼が、血を嗜む。
なんとも納得のいく光景だ。
うん、すごくべたつくと思う。乾いたらきっと気持ち悪いに違いない。
「そうねぇ、今日も"血のお風呂"に浸かりたいわ。でも咲夜はいないし……」
レミリア様は値踏みするように私を見つめる。悪い予感が過ぎる。そしてこれは的中する、そう私は直感した。
「――小悪魔、貴方が"血のお風呂"を用意しなさい」
そう来ると思った。
私は直接レミリア様の配下に置かれているわけではない。役どころはパチュリー様専属の司書だ。
だが、私がNOと首を横に振ることは出来ない。
理由は三つ。紅魔館は共同体だから。レミリア様が我が儘な性格だから。私がNOと言えない日本人的な性格を持ち合わせているからだ。
だから、私は二つ返事でOKを出した。
レミリア様専用の浴場。
冷蔵庫から備蓄の人肉を持ってきたが、さて、どうやって搾ろうか。
「血を搾る器械とかありましたっけ?」
厨房を探せば見つかるかもしれない。が、いかんせん広すぎる。時間がかかり過ぎる。
こういうとき、咲夜さんがいればなぁ、としみじみ感じる。私たちは優秀なメイド長に頼りすぎているのかもしれない。
仕方が無いので、力尽くと行こう。私は腕をひとつ取って、雑巾よろしく捻って……ちょっと待って色が変。
本当に仕方が無いので、ありあわせのもので済まそう。
例えば、紅しょうがとか。
魚の切り身から出てきた汁とか。
梅干とか。
レンガとか。
唐辛子とか。
お湯で誤魔化して。
人肉たくさん入れてかさ増ししておこう。
ついでに、外で摘んだ紅色の花を散らせば、ああ惚れ惚れするほどに豪華な"血のお風呂"の出来上がりである。
「ぎゃああああああぁぁああああああああぁぁぁ!!」
あ、やっぱり。
「小悪魔ぁ!! 私を生ゴミと一緒にするつもり!?」
「ええと、ほら、入ってみないとわからないですよ?」
「そう言うなら自分で入ってみなさいよ!」
「嫌ですよ、あんなゴミ溜め」
あれがお風呂だなんて冗談。蟲風呂に準ずる拷問だ。
浴槽を綺麗に掃除して第二回戦に突入である。むしろまだ私に任せようとするその心意気や良しというか。
まだ若干臭う浴槽を何で満たせば"血のお風呂"になるのだろうか。
私は頭を捻る。捻った結果が先の生ゴミだったのだが。
なので今回は、パチュリー様に助言を戴いた。
曰く、
「血を採取する何かなのよ、きっと。例えば針山地獄とか、たぶん」
さすがパチュリー様、と私は手を握り、あとで一緒普通のお風呂に入りませんかと誘ったが断られた。
いやまあその、とりあえず私はパチュリー様の教えを実践するのみである。
小さな四方の箱に満たすのは何か。
それは――注射器に他ならない――っ!
「いやああぁああああああぁぁああああああああぁぁぁ!!」
大袈裟だと思う。
抗議に全速力で飛んで来たレミリア様は服を着ていない。まったく、目のやり場に困る。
レミリア様は、唾を飛ばしながら抗議する。
「なんで注射器で一杯なのよ!? どこのホラー映画!? というか何であんなに注射器あるのよ!!」
「探せば見つかるもんですよねぇ……」
「遠い目で語るなぁ!!」
今にも噛み付かれそうな勢いだ。
注射器で威嚇したらちょっと怯んだ。可愛い。
レミリア様の我が儘を聞いては毎回碌なことにならない。今日もそうだった。
私は息を吐いた。
「……で、何が正解だったんですか?」
「どこで切れていいのかわからないわ」
答えになっていないし、もう散々切れたと思う。
レミリア様は何だか随分とげっそりして、言う。
「……紅い温泉の素を入れなさい、って意味よ」
温泉の素、といえば、お風呂に入れる粉末。
白湯に色を付けたり、呪術的な意味合いを込めたりするほか、簡単に温泉気分を楽しんだりするものだ。
なるほど、その色を例えて"血のお風呂"か。ワイン風呂ではなかったか。
普段私たちが使う大浴場も同じなので、大体想像はついていたんだけど。
それにしても、何度見ても紅すぎる。外の世界の温泉はここまで原色しているのだろうか。
これで青かったら藍染と変わらない。
……なるほど、レミリア様の服が紅いのはこれに起因しているのだろう。
きっとあの服を着たままお風呂に入っているのだ。そうに違いない。
そして――私はそれを見てみたい、と思ってしまった。
抑え難い衝動に駆られる。
それは好奇心という名の旺盛な知識欲。
奇しくもパチュリー様と同じ衝動が、私を突き動かそうとしているのだ。
レミリア様専用のバスルーム。扉の前に立ち、ドアノブを掴む。
だが。
「……ま、回らないっ!?」
「何で平然と入ってこようとしてるのよ!」
予想外の事態が、私の行動をレミリア様に知らせてしまう結果を招いてしまった。
自然な流れで入れてもらうはずだったがそれも叶わない。
作戦変更。私は扉を何度も叩く。必死さを伝えるのだ。
「開けてください! でないと私の知的欲求が満たされないんです!」
「それ多分性的欲求よ!」
そんなことは、決して無い。邪な気持ちなど一切無いのだ。
根負けするまで何度も何度も扉を叩いた。
だが、最後まで私の要求が飲まれることはなかった。
今夜は咲夜さんがいない。だから、改めて咲夜さんがいるありがたみがわかった。
たったひとり欠けただけで、これだけ苦労してしまう。
感謝の念を忘れてはいけないと、私はしみじみ感じていた。
一日の苦労を労ってくれるものはいても、癒してくれるものはあまりない。
その数少ないひとつは、やっぱりお風呂だと思う。
最初は疑問視したものだが、今では生活において掛け替えない要素になってしまった。
紅魔館の大浴場は広い。レミリア様の見栄もあってか、博麗神社の境内くらいはあると思う。
そこを、今は二人で独占していた。
紅い湯船に体を埋めると、熱がゆっくりと体に伝わった。
「……ふぅ」
息を吐く。体に溜まった毒素が抜けていく、そんな気がした。
呆けていると、一緒に入っている彼女と目が合った。
「疲れた?」
訊かれた。私は顔に笑顔を作り、
「……疲れましたっ」
後ろから抱きしめた。彼女はくすぐったそうに体を揺らす。
一日の苦労を労ってくれるものはいても、癒してくれるものはあまりない。
その数少ないひとつに、彼女のことを加えたい。
「ねぇ、フランちゃん」
――妹様のお世話をするようになったのはいつからだったろう。
放任主義に見かねて彼女の世話を自主的にするようになった。
最初はパチュリー様の護符の実験台だったが、今はいい関係を築けている。
そして、たまに愚痴を聞いて貰ったりするのだ。正確には、私は紅魔館の従者ではない。だからだろうか。
「レミリア様がお風呂に入れてくれないんですよー」
「……だって私も一緒に入ったことないもん」
拗ねる様に言う。今のは不味かった……って、そういう話だったっけ。
いつになれば、この姉妹は自然に手を取り合えるようになるのだろう。
どれだけ二人の間の溝が深いか、私は想像することができない。
ただ……もう埋めていくことが出来ると思う。
焦る必要なんてどこにもないのだ。
「……そうだ」
今度、一緒にお風呂に入ることを提案してみよう。
そして、この様を見せ付けるのだ。きっと羨むに違いない。
フラン様のことをこっそりフランちゃんと呼べるは紅魔館の従者が多いと言っても私くらい。
フランちゃんウフフといいながら少女三角地帯に触れられるのは幻想郷広しと言えども私くらいしかいないのだ。
うん、きっと羨むに違いない。
ついでに、服を着たままお風呂に入るのか、私の疑問も解決して万々歳。
そう画策していると顔はにやけて止まらなかった。
小悪魔め、グッジョブ !!
「注射器いっぱい」という状況でSAW2を思い出したww