そうなるきっかけは魔理沙との茶会だったのか。
それともすでに前兆はあったのか。
なんてことのない普通の日。ふらりとやってきた魔理沙をアリスは口では文句を言いつつ、機嫌よくもてなす。
お茶の準備をしつつ、アリスは手に絡めた糸に意思を込め、上海を始めとした人形達を動かして茶会の準備をあっという間に整えた。
「いつ見ても器用に動かすな」
「人形遣いが人形を器用に操れなくてどうするのよ」
「それはそうだけどさ、そこらの芸人よりもはるかに腕は上だから思わず口に出たんだ。
これでも称賛しているつもりだぜ?」
「あら、ありがとう」
小さな笑みを浮かべて、紅茶を口に運ぶ。
良い感じに紅茶を入れることができたと内心嬉しく思い、カップをテーブルに置いて聞く。
「それで今日は何の用事?」
「用事なんてない。
ただ暇で喉が渇いたから来ただけだ」
あっけらかんと答える。
「……うちは喫茶店じゃないんだけど?
私はそれなりに忙しいのよ?」
「何か研究中だったのか?」
「いつもと同じね。自立人形製作のための研究よ」
「自立ってことは、自分で考え動くってことだろう?」
「ええ」
「前から思ってんだが、上海がそれに当てはまるんじゃないか?
時々意思を感じさせる挙動を見せるぞ?」
「そうね。でも上海は私が作り上げたい自立人形とは違うのよ。
あの子は作り上げたあとに、自然に自我を持ち始めた。
私は始めから意思を持った人形を作りたい。
いわば上海は付喪神になりかけているの。
付喪神って知ってる?」
「それくらい知っているさ。
あれだろ? 長年大事にされた物が意思を持って動き出すって奴だ。
ああ、そっか。自分で自我を持たせたわけじゃないから、自立人形とはカウントしてないのか」
「そうよ。
上海がそういった経緯で意思を持つことは嬉しくないわけじゃないけど、でもそれは私の目指しているものとは違うの」
「納得した。
私から言えることは頑張れってことだけだな」
「言われなくても頑張っているわ。
まあ、頑張っても研究状況はよくはなっていないのが現状だけど」
溜息吐きたそうに視線を下げる。
「難しいのか?」
「難しいわ」
「即答か。よほど難しいんだろうなぁ。
それじゃちょっとしたアドバイスだ」
「専門分野が違うのにできるわけないでしょ」
呆れた顔でアリスは魔理沙を見る。
それを気にせず魔理沙は話を続ける。
「技術的なアドバイスは無理だって私もわかってるさ。
私が言いたいのは、たまには視点を変えてみろってことだ。
私も研究で詰まることはある。そんなときは一度それから離れて、気分転換して、視点を変えるんだ。
研究するときは大抵使い手の視点で考えてる。それを使われる側から見るとどうなのか想像してみたりする。
すると見えなかった部分が見えたりするもんだ。
だからアリスも人形遣いとしてじゃなく、人形の視点で見てみたらどうだ?」
「違う視点ね。実行してみる価値はありそうね。
ありがと。
でもどうしてアドバイスなんかしようと思ったのよ?」
「今日の紅茶が美味かったからだな」
にやりと笑みを浮かべ言った。
魔理沙が帰ったあと、アリスは食器を片付け考える。
「魔理沙のアドバイス実行してみようかしら。
まずは、気分転換か」
今日明日は研究のことを忘れて、お菓子作りや読書や家事をこなし過ごそうと決めた。
研究用の部屋はしっかりと扉を閉める。
まずは掃除しましょうと動き出す。
ぱたぱたと家中を移動して普段は手の届かないところの掃除をしていく。いざ始めてみるとおもいのほか集中し、昼ずぎから始めた掃除は日が沈んだあとようやく終った。
アリスと人形たちは埃だらけだ。そのかいあって家は綺麗に片付いた。
外に出て人形達の埃を丹念に払い、アリス自身は風呂に入る。
夕食を食べた後はゆったりと読書で過ごし、眠気に誘われ、ベッドで心地よい眠りにつく。
次の日はお菓子作り、チョコチップクッキーとドライフルーツのバウンドケーキを作る予定だ。出来上がったものの一部は神綺たちに贈る予定なので気合が入っている。
一切手を抜かない丁寧な作業で、お菓子は作り上げられていく。
出来上がり余熱を抜いたクッキーを一つつまんで口に放り込む。
「うんっ上出来上出来」
今まで作ったものの中でも上位に位置する出来だと、満足した笑みを浮かべる。もちろんバウンドケーキも美味しくできていた。
自分で食べる分をわけてクッキーとバウンドケーキを箱詰めする。金糸で刺繍の入った細い赤のリボンでしっかりとふたが開かないように止め、リボンと箱の間にメッセージカードをはさみ、魔法で魔界へ送る。
喜んでくれるかしらと考える。いつものように、今度来る手紙に感想が書かれているだろうと、そのことを楽しみにしておくことにした。
そのあとは作ったクッキーとバウンドケーキをそばにおいて、のんびりと人形達の手入れをしつつ、時間が過ぎていった。
アリスの休日は充実したものだった。
「今日から研究再開っと。
違う視点で見る、人形の立ち場で見るだったかしら。
でも同じ視点といってもね」
とりあえず上海たちと同じ行動すればいいのかしら、と考え気づく。
同じ行動といっても指示を出しているのは自分自身だと。
「自分に命令される立ち場に立って行動?」
それってどんなの? と戸惑う。
それは頭で考えたことを実行することとなんら変わらない。予定を立ててそれをこなしていくだけで、昨日アリスがお菓子を作ったこともこれに該当するだろう。
アドバイス実行が意外と難しく、考え込む。考えると考えるほどわからなくなっていく。
「これじゃ気分転換した意味がないわね」
考えることを止め、椅子に座り、上海を手元に飛ばせる。
両手で上海を持って、顔の前まで持っていく。
上海の目には、困った表情のアリスが映っている。
「上海たち側から見ることって難しいのね」
話しかけてみるも、返事はない。
返事させることは可能だが、それはアリスの意思で発音させているだけで、上海の意思ではない。
「簡単にいきましょうか。
上海たちに作業を任せっぱなしにしないで、一緒に行う。
これくらいでいいのかもね」
言いながら上海の髪をなでると、賛成の声が聞こえてきたような気がした。
アリスは動く、人形たちと共に。
掃除、洗濯、料理、休養、寝食を共にして、人形との生活をより身近にしていく。
ときに上海たちに囲まれ木陰で昼寝してみたり、
ときに上海たちに料理を作ってみたり、
ときに上海たちに自分と同じ服を作り、
「全員分作り上げるのは一苦労ね。
どう?」
作った服を上海たちに着せて問いかける。
「似合うわよ」
返事はなくとも話しかけ続ける。
頻繁に話しかけるため、静かだった家がわずかに賑やかさを見せていた。
人形を思い遣る温かな雰囲気の家となっていた。
アリスにはこころなしか上海たちの動きに精彩さが加わっているようにも思えた。
返事のない会話を楽しみ、人形たちとの暮らしに満足し、人形たち側に一歩近づけたと思っていた。
しかしアリスは気づく。
「今までのことって私が上海たちに合わせているんじゃなくて、上海たちを私に合わせているんじゃないの?
これでは駄目じゃないかしら?」
じっと上海たちを見る。
人形は話さない、人形は食べない、人形は眠らない、人形は動かない、人形は考えない。
自立人形を目指すならばこれらはあってもいいものだ。けれどアリスはそれを余計だと思う。
まるで最終目的を忘れたかのように。思考を誘導されたかのように。
今度こそ人形側に立ってみようと実行していく。
アリスは無口になった。
アリスは食べなくなった。
アリスは眠らなくなった。
アリスは上海たちが置かれている棚に寄りかかり動かなくなった。
アリスは思考を止めようとした。
いつしか温かな家は、元の静かな家へ。いや冷たい雰囲気すら漂う家へと。
動くものいなくなった家の中で、数日振りに動くものがいる。
それはアリスしかいない。
「駄目。考えることを止めることができない。
これじゃあいつまでたっても上海たち側からの視点を得ることなんて無理よ。
どうすればいいのかしら。どうすれば……」
取る必要がないとはいえ、当たり前のようにとっていた食事と睡眠を断ったせいで鈍る思考。
とりとめのないことが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
その隙間をぬうように囁きが聞こえてきた。
消耗による幻聴か、上海たちの声か。どちらかはわからない。
しかしその囁きはアリスにとって、とても素晴らしいものに思えたのは確かだった。
アリスの目に輝きが戻る。
しばらく時間が経った。日付にして、魔理沙との茶会から三ヶ月ほどだ。
家の中で動くものがある。アリスだろう。
動くたびに小さくキシキシと擦れるような音がする。
アリスは上機嫌だ。話しかけ続けてくれていた上海たちの声がはっきりと聞こえる。夢も叶った。
玄関からノックが聞こえ、扉が開く音がする。
返事を待たずに扉を開けるマナーの悪い客はアリスには一人しか心当たりがない。
いつもならば小言の一つもするところだが、魔理沙のアドバイスのおかげで夢が叶った今は咎める気すら起きない。
「アリスー、また紅茶飲ませてくれ」
「いくらでも飲ませてあげるわ」
「ん? そっちにいたの……か?」
「どうしたの? 驚いた顔して。
それよりどう? ずいぶん人に近づけたでしょう?
人間の体とはまた勝手が違ってね。間接部分とか苦労したの。
課題は間接が擦れて出る音をなくすことなんだけど、上手くいかなくて。
またいいアドバイスくれない?」
「ア、アリス?」
「なあに?」
口の動きに合わせてキシリとまた擦れる音がする。
「お、脅かすなよ! どこかで隠れて操ってるんだろう?
危うく騙されるとこだった。そんなアリスそっくりな人形まで用意して悪趣味な奴だな」
「なに言ってるの? 私は目の前にいるでしょう?」
アリスのガラスの目が魔理沙の青ざめた顔を映す。
アリスのそばに浮かぶ上海は、
『アリスガイッショ、ウレシイ』
と自立人形アリスを見て、アリスだけに聞こえる、自分の夢が叶った喜びの声を上げていた。
上海は常に語りかけ続けていたのだ。
一緒がいいと。
予想外のオチを楽しんだとともに、なんとも言えぬ寒気が……
神埼→神綺
早い段階でオチが読めてしまいました。
タイトル読んだ時点でアリス人形と読めてしまった
肉と血でできたアリスの身体はどこに行ってしまったのだろうか
問題はそれを面白い文に興せるかですよね
面白かったです