「いや、帰ってくれないか……営業妨害だ」
店の前にドロワーズを被って立っていた少女は、客と扱うには見た目がエクストリーム過ぎた。
今日は朝から湯飲みが粉砕してたりして、嫌な予感がしてたんだ。
早く忘れよう。理解できないことは気にしてはならない。そうでもないと幻想郷では生きていけない。
だが、ドロワーズ(を被った少女)は動じない。
「お客です」
さて。人妖どちらの相手にも商売できるように僕の店『香霖堂』を開いたつもりだったんだが。
まさかドロワーズのお客様が来るとは思わなかった。
いや、正確にはドロワーズという下着を被った誰かなのだが。
お客様は神様とは言うが、下着を頭に被った少女が出入りしていると知れれば大切なお客様を手放すことにも繋がりかねない。
何も見なかったことにして踵を返す。
「ま、待ちなさい! えーと……私はあなたの考えが読めますっ」
それは興味を惹きたいのだろうか。
外の世界の本で読んだことがある。何でも外の世界では詐欺が横行しているらしい。
『何故騙されるのか!』と力強い楷書体が表紙を飾る本には詐欺の手口から対処法まで事細かに書かれていた。
――これもその一例だろう。おかげで僕は騙されずに済むのだから、本の著者に感謝しなくてはならない。
では戻ろうか。
すると、袖を掴まれた。その手はわずかに震えている。
「お願いです。……入れてください」
声は、必死だ。
「……まずはそのドロワーズを脱いでくれ」
渋々了承したが、誰かがこの会話を聞いて勘違いしてしまわないかと心配になった。
ドロワーズを取った少女を店の中に招き入れる。
奥でお茶を淹れ戻ってくると、少女は物珍しそうに店内を見渡していた。
ここ香霖堂は古道具屋である。さらには外の世界から流れ着いたものを拾っては商品にしている。もちろん商品になるように手を加えてからだ。
古いものと、新しいようで古いものが並ぶこの店で、
「一体なにをお望みでしょうか?」
「いえ、特にこれと言って欲しいものはありません」
「帰ってくれ」
お茶を下げようとする前に、先に取られてしまった。
少女は一口飲み、ほう、と息を吐く。
「申し遅れました。私の名前はドロワーマン」
「帰れ」
何しにきたんだ。
だが、少女は仰々しく宣言する。
「……それもこれも、私には身元を隠す必要があるのです」
「……頭にドロワーズを被っていたのは、もしかしてそれかい?」
少女は小さく頷く。口振りからして恐らく気が付いていないのだろう。
僕は机の上に放置された、本来の役目を果たせていない布切れを指差す。
そこで、少女は何かに気がついたように自分の顔を触る。
そう――少女はもうドロワーズは被っていない。
「バレては仕様がありません」
「さっさと進めてくれないか」
軌道修正を促す。さとりの言動からは、いつもここにやってくる『客ではない人間』が思い起こされた。
「私の名前は古明地さとり」
少女は名乗る。僕も名乗らなくちゃいけない。
僕は森近――そう口を開く前に、古明地さとりは遮る。
「森近霖之助、さん? そう、素敵なお名前ね」
どきっとした。何故このさとりという少女が僕の名前を知っているのか。
……いや、考えすぎか。
わざわざここを目指して来たのだ。僕の名前を知っていても何もおかしくない。
ドロワーズを被っているのはおかしいが。
「だから、私には身元を隠す必要があると言ったでしょう」
……まただ。
何より会話が成立していない。まるで僕の考えたことに直接答えているようだ。
いや、まさにその通りなのだろう。
少女の名前。さとりとはまさに妖怪"さとり"のこと。つまりこの少女は心の読める妖怪なのだ。
さとりは僕の思考に直接答えている。
「まさにその通りですわ」
ご明察、と言わんばかりに僕の思考を肯定して、にやそと顔を歪めた。
僕の考えが読まれている。そうわかった途端、居心地が悪くなる。
露骨に心が見透かされているのだ。足場がぐらつくような、安心できる場所が奪われた気分だ。
いや、その考えも読まれている。
僕は、ふう、と息を吐いた。
お客様というのなら、非礼を詫びなくてはならない。
「これでお客だったら良かった」
「詫びる気まったくないわね」
「早く用件を話したまえ、ドロワーマン」
くっ……、とさとりが悔しそうな声を上げたのを無視する。
そもそも自分が言いだしたことだろうに。
重々しくさとりは切り出した。
「……私には妹がいます」
ドロワーマンの妹はドロワーシスターなのだろうか。
「人の話を聞く時に余計なことを考えるのは止めなさい」
考えるな、とは酷い命令だ。
その考えもきっと読んだのだろうが、さとりは構わず話を続ける。
「ある日、床に何かこぼれていまして、私は近くにあった布で拭き取りました」
妖怪の家庭にも人間的な一面があるものなのか。
これは意外な事実だった。そして、微笑ましい。
「すると、その布は妹のドロワーズでした」
僕は想像する。
洗濯物の山から適当に抜き取ったのだろう。
それ時代はただの不注意で、また洗えばいいだけの話だ。
だが、さとりの表情は次第に暗くなる。
「焦りました。濡れたドロワーズを持っていては変態扱いされます」
「いや、それは早計だ。まだ言い訳できるんじゃないのか」
僕の言葉にさとりの目つきが険しくなる。
人間ではない者特有の鋭い目。幼い相貌とは裏腹に、さとりは妖怪にも恐れられるあの"さとり"なのだと理解する。
「私が妹のドロワーズを手にしていて、そのドロワーズに柑橘やら林檎の飲み物を拭き取った汚れが付着していて、弁解の余地があると思いますか?」
きつい口調。
だが言っていることはとんちんかんだと思う。
余地がない場合? その状況とは一体何か。言葉の頭に付いた『私が』から考える。
例えば、前科持ちだったとしたら――。
「前科とか言うな」
「口に出してはいない」
……多分、その通りなのだろう。
しかし、ここは大きな問題ではないはず。僕が関わる理由がないからだ。
さとりは話を再開する。
「とにかく、そのドロワーズを洗濯するまでの間、顔を見られないように気をつけないといけませんでした。そこで私は洗濯物に手を伸ばし」
手を伸ばし、その布を取る。
「それを被りました」
店の前に立っていたドロワーマンが姿を現した。
思わず溜め息を漏らしてしまう。呆れの。
「……つくづく不運と言うか、もっと注意した方がいい」
「だって仕方ないじゃない! 焦ってたんだもの!」
一理ある、ということにしておこう。
理解できないことは気にしてはならない。そうでもないと幻想郷では生きていけないのだ。
それとも。さとりにはそういう気があるのだろうか。
つまり、特殊なせいへ……。
「待ちなさいっ!」
思考を遮るようにさとりは叫ぶ。
「確かに私はドロワーズを被りましたが、被りましたが! 私は決して変態ではありません!」
ドロワーズを被って言われても説得力は微塵もない。
それに僕はまだ変態とは言っていないもないし考えてもいない。
……ああ、"まだ"か。
もしかしたら妖怪"さとり"には他人の考えを先読みする能力もあるのかもしれない。
これは留意事項にしておこう。
話を戻しましょう、とさとりは姿勢を直す。
もうぐだぐだになっているのに懸命な彼女が少し哀れに思える。
これもきっと聞こえているのだろう。さとりの眉がわずかにひくついていた。
「そして廊下に出ると……妹とペットに出くわしました」
自分のドロワーズを持った姉と妹との出会い。なんとも衝撃的だ。
「例えば……君の妹が君の下着を被っていたら、どう思う?」
「……えぇっと……」
できればそこは即答して欲しかった。
彼女にはことごとく運がない。思慮も足りない。
ドロワーズを被ったところでバレないわけがないのだ。一目で看過されたのが容易に想像できた。
だが、さとりは得意そうに微笑む。
「確かにそうでしたが、ペットの方はそうではありませんでした」
……ペット?
いや、幻想郷の少女達の言葉遊び。きっと彼女に従う者のことを指して言っているのだろう。
さとりも僕の考えに肯定するように頷いた。
「……『ドロワーマンだぁ!』と、嬉しそうに」
さとりは急に立ち上がり両手を広げた。
きっと翼か何か……天狗のような妖怪なのだろうか。それにしては馬鹿っぽい。
「それで、妹さんは?」
「半信半疑」
だろうね。
「私はドロワーマンを完璧に演じました」
何を持って完璧か。
「されども妹は半信半疑」
だろうね。
「その場はやり過ごしてきましたが、私はどうしても妹にドロワーマンを信じ込ませたいのです!」
「それで?」
「それで、ここ香霖堂に来ました」
急に話が飛躍した。
僕は新聞でも発行していただろうか? 香霖堂は古道具屋ではなかっただろうか?
少なくとも衣服の染み抜きをやった憶えは――それは若干あるが。
とにかく、思い当たるものがなかった。
さとりは呟く。
「日記」
思考が、一箇所に落ち着いた。
確かに、僕は日記を書き溜めている。ゆくゆくは幻想郷初の歴史書として、文化の新しい風を吹かす予定だ。
ついでに香霖堂の売り上げを伸ばしてくれると嬉しい。
だが腑に落ちない。
歴史と言えば、もっと他の場所があるはずだ。ドロワーマンの存在を世に広めるにはもっといい方法があるはずだ。
例えば……。
「稗田も上白沢もすでに手は打ってあります」
なら、わざわざここに来る必要はない。
わざわざここに来なければいけない理由がある。
……失敗したのか。
そう考えた途端さとりは、よよよ、と泣いた。まだドロワーズを被っているのでよくわからないが。
「とにかくっ! ドロワーマンを現実のモノにしなければいけませんっ!」
「そのために、僕の日記に架空の人物を書けと?」
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。ドロワーマンの存在ひとつでその歴史書の価値はどれだけ下がるだろうか。
もしも成功すれば、やがては幻想縁起の怪人の項に名を載せることもできるだろう。
だが実績が伴わないのだ。
ドロワーマンが何をした? 妹のドロワーズを一枚汚しただけだ。
さとりがまた泣いているような気がしたが、気のせいにしておこう。
更なる狼藉を働いたところで変態という言葉ひとつ。過去のものにされてしまうだけだ。
他のところで断られたのも納得できた。
しかし……思惟しているうちに今度は諦めの溜め息が出た。
適当にお膳立てをして何か商品を売れないかと思ったが、いい案が浮かばない。そもそもさとりにはその考えがわかるのである。
なんとも商売にならない話だ。僕はどっと疲れてしまった。
「……もう帰りたまえ」
眼鏡をブリッジを押し上げ、掛け直す。
するとその腕にしがみつかれてしまった。
「ここで帰ったらどんな顔をして妹に会えばいいんですか!?」
「ドロワーズを被っていれば顔を見られずに済むだろう!」
「それだとただの変態です!」
「ここまでドロワーズを被って来たのなら君はもう十分に変態だ!」
ドロワーマンの顔をぐいと近づく。これでは迫力のひとかけらもない。
僕は腕を振りあげてなんとかドロワーマンを引き剥がした。
ドロワーマンは、口元の布が濡れていた。はあはあと肩で息をしている。
言おう、彼女は変態だ。僕の名称が判る能力もそう教えてくれるに違いない。
その時、カランカラッ、と扉の開く音が聞こえた。
なんという僥倖。いや、悲運か!
ドロワーズを頭に被った少女が居るとわかれば、客が離れてしまうだろう。
それに客でない可能性の方が高い。それも噂が広まるのでアウト。
「お客だ。とにかくそのドロワーズを取ってじっとしていてくれ」
僕はさとりを置いて、その来訪者を出迎えに行った。
あまりに静かなのできっと霊夢や魔理沙ではないのだろう。
「いらっしゃいませ。今出ます」
来訪者の顔を見る。
僕は絶句した。そのお客には顔がないのだ。いや、顔が布。
布――一般的にはドロワーズと呼ばれる下着で頭が覆われていた。
そして、ふがふが、とドロワーズは口を動かした。
「お客じゃないわ、ドロワーマンよ」
ああ、ドロワーマン。出来ればその紅い服を着るのはやめてほしかった。
だが今度はお得意様なので強く言うことは出来ない。
僕は、顔に無理矢理笑顔を作ることで精一杯だった。
誤字
再会→再開
おねぇちゃんがそんなことになったらもう・・・幻想郷は終わりだ。
香霖とさとりのやりとりがテンポよくて良い感じ
ここは敢えて静葉様を推す
それはそうと、いい桃色さとりんでした。
つまり、さとり様は不運なだけなんだ…!
無自覚変態シスコン覚り妖怪なさとりんに乾杯!!!
おもしろいのでもっと書いてください。