深々と降りしきる雪の中、私は一人湯気を立てる湯飲みを持ちながら積もりゆく雪をただ眺めていた。
真っ暗だった。
光源は背後の室内からの弱々しい行灯だけであり、
その淡い光に照らされた雪が、やはり弱々しい光を放っているだけであった。
「どうしたの? 雪が珍しいの?」
不意に背中にかけられる声。
振り向かずとも、私にはそれが博麗霊夢のものであると理解できた。
今、この場には私と彼女しかいないのだから。
「ええ、少しね。地上の雪は地下のものとはまた違った色なのね、と思って」
「ふーん」
彼女は、そんな私の返事を興味なさげに受け流し、そのまま室内に置かれている炬燵へと潜り込んだ。
寒いのだろう。わざわざ後ろを振り返り確認するまでもない。そう心の声が聞こえているから。
「月も出ていない、花が咲いているわけでもない。ごく普通の、ありふれた雪景色ね」
「そのようね」
背後から聞こえてくる無味乾燥な意見を事も無げに受け流す。
本当にそれだけの感想なのだろう、特に心の声は聞こえてこなかった。
そのまま、彼女は黙り込んでしまった。私も。
風が吹いているわけでもなく、ただ雪が降りてくる中で、
何も聞こえてくることのないその環境は、私にはとても新鮮に感じた。
手の中にある、心地よい暖かさを口へと運び、ほうと息を吐く。
降りしきる雪に照らされた白い息がゆらゆらと消えていくのを目で追い、ようやく私は室内へと目を移した。
彼女の、眠そうで、だが興味深そうな瞳が私を見つめていた。
ずっと観察されていたのだろうか。目があった瞬間、笑みが彼女から覗いた。
「もう良いの?」
「ええ」
彼女の言葉は同時に届いた。
表向きにはただ外を眺めていた私に対してそれが十分であるかを訪ねる言葉。
そして、裏では寒いからもう戸締まりをしてもいいかを確認する言葉。
「かまわないわ」
「そう、ならお風呂に入ってくれる? この寒さでは早晩冷め切ってしまうわ」
笑顔で私に語りかけてくる彼女は、ある意味裏表のない人間だった。
素早く立ち上がり、会話を続けながら戸締まりをしていく彼女に私はそんな印象を抱いた。
彼女は正直だ。
進められるままに身の回りのものを用意して、風呂へと浸かる。
湯は、彼女の言うとおり、冷めつつあるようだった。長時間浸かっていると逆効果だろう。
口元まで湯に沈めながら、窓のわずかな隙間から外を伺う。
先ほどと同様、深々と降りしきる雪がそこにはあった。
ただ、同じ雪であるはずなのに、先ほどまでの雪とはまた違うような気がした。
彼女が知り合いの妖怪から仕入れたという石鹸を使って身を洗い、寒さに震える体に湯を被って風呂からあがった。
手早く体を拭き、渡された寝具に袖を通した。
いつもと違う、慣れない感覚だった。肌触り、そして匂い。着心地そのものが知らないものだった。
そう言えば、さっき彼女が着ていたものと同じだ。なんだか少しばかり可笑しい。
「ああ、戻ってきた。長かったわね」
「そうだった?」
部屋に戻ってくると、すでに炬燵は片付けられており、布団が敷いてあった。
彼女は、すでに半分ほど布団に入ってしまっており、何をするでもなく天井を見上げていた。
「ええ、長かったわ。ところで、今日は泊まっていくのよね」
「いまさら、そう言うことはもっと前に確認するべきでしょう?」
「そうなんだけどね」
常識的な反論をされて、彼女は少しばかり拗ねたような返事を返した。
そのままごろりと転がり、私の方を向いて彼女は続けた。
「何で今日うちに泊まろうと思ったのかしらと思ってね。しかも一人で。
せっかくだから猫とか烏とか妹とかも一緒に連れてきてもよかったのよ」
「ふふ、ありがとう」
そんな彼女に私は少し笑って見せた。こんな彼女を見るのは初めてだったから。
「だって、今日は大晦日で、ここは神社でしょう? 二年参りもいいかなと思ったの、それだけよ」
「もう明けちゃってるけどね。……ああ、いっぱい持ってきたあの蜜柑、もしかしてお賽銭代わりだったのか」
「そうよ」
理解したとばかりに顔を曇らせる彼女に、やはり私は笑って見せる。
「それと、お燐やお空は地獄跡の管理もあるしね」
「そんなの、他にいっぱいいるんだし大丈夫じゃないの?」
「ええ、そうかもしれないわね。でも、これまでも特に呼ぶことはなかったのだし、今日呼ぶこともないでしょう」
「……そう」
私の言葉を聞いて、彼女は少しばかり眉をひそめた。
彼女の心からは難しいわね、と言う声が聞こえてきた。
だが、彼女自身からその言葉は発せられることはなかった。
「さ、もう遅いわ。寝ましょう」
フイと逆方向に寝返りを打ち、私に背を向ける彼女からはもはや何の声も聞こえてはこなかった。
私は、行灯の火を吹き消し、本当に真っ暗になってしまった部屋の中を手探りで布団へと潜り込んだ。
「ところで霊夢」
「なに」
「何で私とあなたが同じ布団で寝ているのですか? まさか布団が一組しかないとかそんなことは」
「寒いのよ、せっかく天然の湯たんぽがあるのだから利用しても罰は当たらないでしょう」
「そうですか」
彼女の言葉は傍若無人そのものな表の声のみだった。
ただ、どういうことか私はその言葉を聞いて少しばかり笑いがこぼれてしまった。
そして、それが収まると、後は真っ暗で静かな空間があるのみだった。
私も彼女も何もしゃべらなかった。
今から寝るというときに会話なんてするものではないが、それでも、身じろぎ一つ無いというのは違和感があった。
目を開いても何も見えず、耳を澄ましても何も聞こえなかった。
先ほども、雪を眺めていた際に真に静かな時間があったが、それとはまた別の静けさだった。
そろりと顔に忍び寄ってくる冷気、そしてじんわりと背中越しに伝わってくる彼女の熱。
いつもと違う枕であることも相まって、私はなかなか寝つくことができなかった。
だから、余計なことを考えてしまった。
先ほど彼女が発した、難しいわねという心の声だ。
アレは何だったのだろう。
ぼんやりと、特に何も見えやしないのに天井に視線を向け考えた。
しかし、いつまでたっても答えは天井と同じく真っ暗闇の中で、見えてくることはなかった。
「ねえ」
そんなとき、ふと彼女が声を発した。
私はその声に現実へと引き戻され、浮ついた声で彼女に返事を返した。
「なに?」
「あなたとこいしの姉妹ってよく似ているわね」
「そう?」
「ええ、よく似ているわ。極端な所なんてそっくり」
くすくすと、微かな笑い声が聞こえてくる。
私とこいしが似ているというのは姉妹だし、当然なこと。何か可笑しいのだろうか。
「なるほど、こいしは山の神社や私なんかに興味を抱き始めていたようだし、あなたもそうなるか。
さすがは似たもの姉妹ね」
一人納得したように笑う彼女の心からは何も聞こえてはこなかった。
何かよく分からないが、彼女にとってはおもしろいことなのだろう。
「そこできょとんとするところが難しいのよ。仕方ないとは思うけど」
私ははっとして彼女を振り返る。
体を反転させた先では、彼女もまた寝返りを打つところだった。
暗闇の中で、私と彼女の視線が合う。見えたわけではないが、そう感じた。
「さとり、あなたおもしろいわ」
「え……、あの、霊夢?」
何も言葉にしなくとも、感じることはあるでしょう。
声ではなく、心の声でそう聞こえてきた。
目の前にいる霊夢が、にこにこ笑っていることもなぜかそれで分かった。
「うん、あなたこれからもうちにいらっしゃい。大歓迎よ。
もちろん猫や烏や妹も連れてきていいわ」
お賽銭も律儀に出してくれそうだし、
と笑うような弾んだ声が心へと聞こえてきた。
私は、彼女が何でそんなに笑っているのか完全に理解はできなかったが、少しばかり分かるような気がした。
「うん、決定。
さて、そういうことに決まったし、そろそろ本当に寝ましょう。明日は初詣客の相手を手伝ってくれるのでしょう?」
「え? そんなこと言ってませ……」
ん、と言いかけて私は口を噤んだ。
なぜかは分からないが、私はそれでも別にいいかと思ったのだ。
再び逆方向に寝返りをうち、布団を被りなおしたと思われる彼女にわずかばかり微笑んで、仕方ありませんねと呟く。
そして、私も元の方向に向き直り、布団を被りなおした。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
背後から聞こえる声に優しく返し、再び先ほどまでと同じ静寂が訪れる。
さっきまで、何か落ち着かず寝つくことができずにいたのに、
その暗闇と静けさ、少しばかりの冷たさと彼女の温もりは今度は不思議と心地よく、
私は何時ぶりとも思い出せないほどに久しぶりに、気持ちのよい眠りにつくことができた。
真っ暗だった。
光源は背後の室内からの弱々しい行灯だけであり、
その淡い光に照らされた雪が、やはり弱々しい光を放っているだけであった。
「どうしたの? 雪が珍しいの?」
不意に背中にかけられる声。
振り向かずとも、私にはそれが博麗霊夢のものであると理解できた。
今、この場には私と彼女しかいないのだから。
「ええ、少しね。地上の雪は地下のものとはまた違った色なのね、と思って」
「ふーん」
彼女は、そんな私の返事を興味なさげに受け流し、そのまま室内に置かれている炬燵へと潜り込んだ。
寒いのだろう。わざわざ後ろを振り返り確認するまでもない。そう心の声が聞こえているから。
「月も出ていない、花が咲いているわけでもない。ごく普通の、ありふれた雪景色ね」
「そのようね」
背後から聞こえてくる無味乾燥な意見を事も無げに受け流す。
本当にそれだけの感想なのだろう、特に心の声は聞こえてこなかった。
そのまま、彼女は黙り込んでしまった。私も。
風が吹いているわけでもなく、ただ雪が降りてくる中で、
何も聞こえてくることのないその環境は、私にはとても新鮮に感じた。
手の中にある、心地よい暖かさを口へと運び、ほうと息を吐く。
降りしきる雪に照らされた白い息がゆらゆらと消えていくのを目で追い、ようやく私は室内へと目を移した。
彼女の、眠そうで、だが興味深そうな瞳が私を見つめていた。
ずっと観察されていたのだろうか。目があった瞬間、笑みが彼女から覗いた。
「もう良いの?」
「ええ」
彼女の言葉は同時に届いた。
表向きにはただ外を眺めていた私に対してそれが十分であるかを訪ねる言葉。
そして、裏では寒いからもう戸締まりをしてもいいかを確認する言葉。
「かまわないわ」
「そう、ならお風呂に入ってくれる? この寒さでは早晩冷め切ってしまうわ」
笑顔で私に語りかけてくる彼女は、ある意味裏表のない人間だった。
素早く立ち上がり、会話を続けながら戸締まりをしていく彼女に私はそんな印象を抱いた。
彼女は正直だ。
進められるままに身の回りのものを用意して、風呂へと浸かる。
湯は、彼女の言うとおり、冷めつつあるようだった。長時間浸かっていると逆効果だろう。
口元まで湯に沈めながら、窓のわずかな隙間から外を伺う。
先ほどと同様、深々と降りしきる雪がそこにはあった。
ただ、同じ雪であるはずなのに、先ほどまでの雪とはまた違うような気がした。
彼女が知り合いの妖怪から仕入れたという石鹸を使って身を洗い、寒さに震える体に湯を被って風呂からあがった。
手早く体を拭き、渡された寝具に袖を通した。
いつもと違う、慣れない感覚だった。肌触り、そして匂い。着心地そのものが知らないものだった。
そう言えば、さっき彼女が着ていたものと同じだ。なんだか少しばかり可笑しい。
「ああ、戻ってきた。長かったわね」
「そうだった?」
部屋に戻ってくると、すでに炬燵は片付けられており、布団が敷いてあった。
彼女は、すでに半分ほど布団に入ってしまっており、何をするでもなく天井を見上げていた。
「ええ、長かったわ。ところで、今日は泊まっていくのよね」
「いまさら、そう言うことはもっと前に確認するべきでしょう?」
「そうなんだけどね」
常識的な反論をされて、彼女は少しばかり拗ねたような返事を返した。
そのままごろりと転がり、私の方を向いて彼女は続けた。
「何で今日うちに泊まろうと思ったのかしらと思ってね。しかも一人で。
せっかくだから猫とか烏とか妹とかも一緒に連れてきてもよかったのよ」
「ふふ、ありがとう」
そんな彼女に私は少し笑って見せた。こんな彼女を見るのは初めてだったから。
「だって、今日は大晦日で、ここは神社でしょう? 二年参りもいいかなと思ったの、それだけよ」
「もう明けちゃってるけどね。……ああ、いっぱい持ってきたあの蜜柑、もしかしてお賽銭代わりだったのか」
「そうよ」
理解したとばかりに顔を曇らせる彼女に、やはり私は笑って見せる。
「それと、お燐やお空は地獄跡の管理もあるしね」
「そんなの、他にいっぱいいるんだし大丈夫じゃないの?」
「ええ、そうかもしれないわね。でも、これまでも特に呼ぶことはなかったのだし、今日呼ぶこともないでしょう」
「……そう」
私の言葉を聞いて、彼女は少しばかり眉をひそめた。
彼女の心からは難しいわね、と言う声が聞こえてきた。
だが、彼女自身からその言葉は発せられることはなかった。
「さ、もう遅いわ。寝ましょう」
フイと逆方向に寝返りを打ち、私に背を向ける彼女からはもはや何の声も聞こえてはこなかった。
私は、行灯の火を吹き消し、本当に真っ暗になってしまった部屋の中を手探りで布団へと潜り込んだ。
「ところで霊夢」
「なに」
「何で私とあなたが同じ布団で寝ているのですか? まさか布団が一組しかないとかそんなことは」
「寒いのよ、せっかく天然の湯たんぽがあるのだから利用しても罰は当たらないでしょう」
「そうですか」
彼女の言葉は傍若無人そのものな表の声のみだった。
ただ、どういうことか私はその言葉を聞いて少しばかり笑いがこぼれてしまった。
そして、それが収まると、後は真っ暗で静かな空間があるのみだった。
私も彼女も何もしゃべらなかった。
今から寝るというときに会話なんてするものではないが、それでも、身じろぎ一つ無いというのは違和感があった。
目を開いても何も見えず、耳を澄ましても何も聞こえなかった。
先ほども、雪を眺めていた際に真に静かな時間があったが、それとはまた別の静けさだった。
そろりと顔に忍び寄ってくる冷気、そしてじんわりと背中越しに伝わってくる彼女の熱。
いつもと違う枕であることも相まって、私はなかなか寝つくことができなかった。
だから、余計なことを考えてしまった。
先ほど彼女が発した、難しいわねという心の声だ。
アレは何だったのだろう。
ぼんやりと、特に何も見えやしないのに天井に視線を向け考えた。
しかし、いつまでたっても答えは天井と同じく真っ暗闇の中で、見えてくることはなかった。
「ねえ」
そんなとき、ふと彼女が声を発した。
私はその声に現実へと引き戻され、浮ついた声で彼女に返事を返した。
「なに?」
「あなたとこいしの姉妹ってよく似ているわね」
「そう?」
「ええ、よく似ているわ。極端な所なんてそっくり」
くすくすと、微かな笑い声が聞こえてくる。
私とこいしが似ているというのは姉妹だし、当然なこと。何か可笑しいのだろうか。
「なるほど、こいしは山の神社や私なんかに興味を抱き始めていたようだし、あなたもそうなるか。
さすがは似たもの姉妹ね」
一人納得したように笑う彼女の心からは何も聞こえてはこなかった。
何かよく分からないが、彼女にとってはおもしろいことなのだろう。
「そこできょとんとするところが難しいのよ。仕方ないとは思うけど」
私ははっとして彼女を振り返る。
体を反転させた先では、彼女もまた寝返りを打つところだった。
暗闇の中で、私と彼女の視線が合う。見えたわけではないが、そう感じた。
「さとり、あなたおもしろいわ」
「え……、あの、霊夢?」
何も言葉にしなくとも、感じることはあるでしょう。
声ではなく、心の声でそう聞こえてきた。
目の前にいる霊夢が、にこにこ笑っていることもなぜかそれで分かった。
「うん、あなたこれからもうちにいらっしゃい。大歓迎よ。
もちろん猫や烏や妹も連れてきていいわ」
お賽銭も律儀に出してくれそうだし、
と笑うような弾んだ声が心へと聞こえてきた。
私は、彼女が何でそんなに笑っているのか完全に理解はできなかったが、少しばかり分かるような気がした。
「うん、決定。
さて、そういうことに決まったし、そろそろ本当に寝ましょう。明日は初詣客の相手を手伝ってくれるのでしょう?」
「え? そんなこと言ってませ……」
ん、と言いかけて私は口を噤んだ。
なぜかは分からないが、私はそれでも別にいいかと思ったのだ。
再び逆方向に寝返りをうち、布団を被りなおしたと思われる彼女にわずかばかり微笑んで、仕方ありませんねと呟く。
そして、私も元の方向に向き直り、布団を被りなおした。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
背後から聞こえる声に優しく返し、再び先ほどまでと同じ静寂が訪れる。
さっきまで、何か落ち着かず寝つくことができずにいたのに、
その暗闇と静けさ、少しばかりの冷たさと彼女の温もりは今度は不思議と心地よく、
私は何時ぶりとも思い出せないほどに久しぶりに、気持ちのよい眠りにつくことができた。
新年早々さと霊ありがとうございました