暗く狭い地下、そのまた奥にそびえる威容。
地底の妖怪たちや最強と名高い鬼たちからも畏れられている。
地霊殿と呼ばれる巨大な屋敷。
その屋敷の前に、二人の少女が立っている。
「そこのあんた、あの屋敷へ入るのはやめておきな」
地底に似つかわしくないきらびやかなドレスを纏う少女に、妖怪が声をかけた。
振り向いてその妖怪を視界にいれると、大きな角が目に付いた。
どうやら声の主は鬼だったらしい。
もっとも、この地底の旧地獄街道ではそう珍しいものでもない。
「あの屋敷にいるのは地底で最も忌み嫌われている妖怪。
あんたたちは見たところ、地上の妖怪のようだが…やめておいた方がいいよ」
「それは困ったわね、私たちはあの屋敷に用があって来たのに」
ドレスの少女は口元を歪ませる。
それを見て、鬼も顔つきが変わった。
「おや、見かけとは違って随分と強いみたいだね」
「まぁ、それなりにね」
鬼の瞳にドレスの下から覗く黒い羽が映る。
その羽を見て鬼の直感は確信へと変わった。
「悪いね、あたしは強いものを見ると戦いたくなるんだよ。
そこへ行く前に一つ手合わせ願おうじゃないか。 そうだな、あたしに勝ったらあの屋敷の入り口を教えてやろう」
「…いいわ、準備運動くらいにはなりそうだもの。 さぁ、大人しく」
戦いの構えを見せるのとほぼ同時に、鋭い一撃が突き抜ける。
「おっと、いきなりかい。 これはまた随分速いね」
鬼は受け止めた拳を見て楽しそうに笑ってみせる。
「見えたのだから大したものよ」
「だが、速いだけじゃ鬼には敵わない!」
巨大な霊力がそのまま形になったかのような弾幕が吹き荒れる。
当たってしまえばその小さな体はひとたまりも無い。
しかし弾はすべて豪奢なドレスの端を掠めていくだけ。
その様に鬼は震えた。
「すごいじゃないか、地上にはまだまだこんなやつらがいたのかい!」
瞳を輝かせて鬼は笑う。
惜しげもなく力を揮い、地底を揺るがしながら。
「わくわくしてきたよ、まだあたしら鬼に敵うやつらがこんなにいたとはね」
「勘違いしないで欲しいわね。 私はあんたたちのような土着の民とは違う」
黒い翼を眼一杯広げて、少女は空を切り裂く。
暗い地の底を紅く染め上げて不敵に微笑む。
「誇り高き貴族、吸血鬼よ」
地霊殿の窓の数は、ざっと数えて3倍はあるだろうか。
自分の館の気高い姿を思い浮かべ、目の前の巨像と比べてみた。
確かに見た目の大きさではこちらに軍配が上がるだろう。
しかし、外装のセンスや内装ならば間違いなく自らの紅の館が圧倒する。
紅の館の主は満足げな笑みを浮かべた。
「どうかなさいましたか、お嬢様」
「なんでもないわ。 さぁ、霊夢から聞いた地底の館の主とやらに挨拶に行くわよ」
「予想通り、中は大した事は無いわね」
地霊殿に足を踏み入れた二人の前には見た目どおりの広さの屋敷があった。
これならば主も高が知れるというものだ。
靴を鳴らし、屋敷の奥へと足を踏み入れた。
「にゃーん!」
「あら…猫なんて飼っているのね」
「そのようですね」
踏み入れた瞬間、屋敷の奥から鳴き声が響き渡る。
後を追うように、黒い猫が暗がりから飛び出して二人の前に立ちふさがった。
「どきなさい、私は畜生とじゃれあう趣味はないわ」
「失礼ね、お姉さん」
猫の瞳が光るやいなや、猫の姿は見る見る変わっていき、大きな台車を持った少女が現れた。
少女は侵入者である二人を睨みつけ、挨拶代わりとばかりに弾幕を放つ。
隙間を埋めるように打ち出される弾幕は、二人の服を次々掠めて行く。
「猫のくせに意外にやりますね」
「そのようね。 じゃあ面倒はあなたに任せるわ、私は急ぐから。
くれぐれも、悪魔の犬が猫なんかに負けることが無いように、いいわね」
「かしこまりました」
メイド服を着込んだ少女は弾幕を交わしながら丁寧に頭を下げた。
返事を聞き終わるのと同時に、少女は羽根を広げ、ドレスをはためかせた。
「おっと、そう簡単に先
へはいかせないよ! 呪精「ゾンビフェアリー」 !」
持っていた台車を揮うと少女の周りに幾人もの妖精が顕れる。
妖精はどれもみな血色が悪い。
「あら、その妖精たちは調子が悪いのかしら?」
「さぁ、どうかしら」
少女は妖精たちへ向かって腕を振るった。
瞬間、妖精たちの華奢な体に銀の光が突き刺さり、次々に倒されていった。
「おお、すごいねお姉さん」
「あっけなさ過ぎるわ。 猫根性が足りないわね」
今度は黒猫目がけて腕を振りぬく。
屋敷の闇に煌いた光は大きな台車に弾かれ、宙を舞う。
「まだまだ、これからが本番よお姉さん」
「あら」
気づくと、倒したはずの妖精が目の前にまで迫ってきていた。
そして近づいてきたその姿を見て、その正体に気づいた。
「死んでまで働くなんて、随分と働き者の妖精なのね」
「驚いたかしら? 悪いけどお姉さんたち二人の死体はあたいがいただくわ♪」
眼を細めてにっこりと笑う。
活きのいい(?)死体が久々に手に入るのだ。
しかも二つも、彼女にとってこれほど嬉しいことは無かった。
「そっちのナイフのお姉さんと……あれ?」
もう一人、さっきまでそこにいたはずのドレスの少女がいない。
少し前までいたはずなのに。
「抜けられたような気は
しなかったんだけど…ってあれ?」
視線を戻すと、今度はナイフのお姉さんもいなくなっていた。
それどころか妖精たちがまた倒されている。
一体どうなっているのか、彼女はまるで悪い夢でも見ているかのような気分だった。
「甘いわね、猫にしては頑張った方だけど…猫じゃ私には勝てないわ」
「あっ後ろ!?」
悪魔の犬の瞳が紅く、真っ赤な血の色に光る。
「 傷魂「ソウルスカルプチュア」 」
「にゃんっ!」
紅い傷跡を全身に浴び、声を上げて地面に叩き落される。
間髪いれずに、駄目押しとなるナイフを大量に浴びせた。
刃はわずかに体を逸れたものの、服をかすめ、肌をかすめ、身動きが取れないようにしていた。
「これで終わりよ。 諦めな」
少女は眼を細め、小さく笑みを作った。
「甘いわね、お姉さん。 猫だからって嘗めると痛い目に合うわ」
ぎらついた眼を向け、鋭い針の山を投げつけた。
雨のような弾幕の中を裂いて進む針の山を間一髪で交わし、再度ナイフを構えた。
だが地面に打ち付けられたはずの猫の姿は見えない。
「猫舌は舐められると痛いのよ」
少女の体は元の黒猫に戻り、屋敷の奥へと消えていった。
「…面倒ね」
少女は着衣の乱れを直すと、猫を追って屋敷の奥へと進んだ。
「それにしても、入り組んでいて分かりづらいわね」
黒い翼をはためかせ、華麗に空を飛んでいたが、目的のモノは見つからない。
それどころか妖精の数が増えてくるばかりである。
「まったく、同じような道が続いて分かりにくい屋敷ね」
立ち止まり、溜め息を吐いた。
あちらを向いてもこちらを向いても似たような内装で平衡感覚が狂う。
自分の館のように細かな意匠に凝らなければ良い建築とは言えない。
「これだから古いだけの妖怪は駄目ね」
発していないはずの自分の言葉が背後から聞こえて来たことに気づき、慌てて振り向いた。
どうして今考えていたことを見抜かれた。
「どうして今考えていたことを見抜かれた。 まぁ普通はそうですね」
「なっ、お前、私の考えを…」
目の前には自分と同じくらい…いや、少し小さい少女がいた。
どことなく、家の館の魔法使いに似ているような気がした。
「あら、あなたの家には魔法使いがいるんですか?」
「また…ふん、それがお前の力か」
何かを心に浮かべる度に少女の胸に見開いた不気味な眼がこちらを睨む。
まるで内側の何かを見透かされているような、そんな感覚。
「ええ、これが私の力。 どんな強力な妖怪や人間も恐れる力。
だから隠し事も出来ないわ、ここに何の用で来たの?」
「言わなくても分かるんだろう、なら話は早くて済むわ」
吸血鬼は負けじと睨み返した。
「…どちらが上か決めるだなんて馬鹿げた目的ですね」
少女は深い溜め息を吐く。
だが吸血鬼の目は本気だ、一分の迷いも無い。
「あなたには馬鹿げていても、私にとっては重要なことよ。
この私を差し置いて最も恐れられる妖怪? 笑わせる。
最強にして最恐の妖怪は夜の王、吸血鬼である私の他にはあり得ない」
「本当に馬鹿げていますね」
「なら大人しく私の前に跪きなさい。
そうすればわざわざ戦わずとも済む」
夜の王は不敵に笑う。
「私は手が早いほうではないですが、勝手にこの地霊殿を荒らされて、
はいそうですかと頭を下げるような妖怪ではありません」
三つ目の妖怪は怪しく笑う。
「一応名前を教えておいてやるよ。 お前を八つ裂きにする夜の王の名前を。
紅魔館の主、レミリア=スカーレット、覚えておきなさい」
「なら私も名乗らなくてはいけませんね、地霊殿の主、古明地さとりです。
夜の王であるあなたが映し出す恐怖の心象、どんなものかしらね」
「 想起「テリブルスーヴニール」 」
レミリアを近づけさせまいと、光の帯が宙を舞う。
主を守るようにさとりの周囲を走るそれはレミリアを捉えていく。
だが、吸血鬼の速さは光を遥かに上回っていた。
「この程度ならば、わざわざ顔を見せる必要もなかったかしら」
黒い翼を一打ち、さとりの眼前に迫ると大量の弾幕を浴びせかける。
「これが、吸血鬼ですか…」
「ふん、頭を下げる気になったの」
「まさか、期待はずれだっただけですよ」
三つ目が歪む。
それは嘲笑とも取れる歪な動きだった。
「所詮あなたもただの妖怪…恐怖の記憶(トラウマ)には勝てないわ」
途端にさとりの纏う雰囲気が変わった。
見開かれた三つ目の瞳も先ほどよりも暗く深く輝き、不気味な空気を作り出す。
「ああ、この間の巫女の知り合いだったのね、ちょうどいいわ。
知っていればより鮮明な記憶が蘇る、さぁ、恐怖に怯えなさい。 想起「封魔陣」 !」
「こいつ…」
三つ目の瞳はさらに怪しく輝く。
その光に照らされて、巨大な霊力を持った結界が現れる。
結界は恐ろしく巨大、いくら妖怪の中でも屈指の速度を誇る吸血鬼でも逃げる場所が無くては避けようが無い。
結界はまたたくまに辺りを覆いつくし、満ちた妖気を一瞬にして消し去ってしまった。
「どうかしら、これでもまだ…」
「ええ、まだよ」
消えたはずの妖気が、黒い塊となって現れる。
大量の蝙蝠によって形作られた黒い塊は見る見るうちにドレスへ、翼へと変わり、吸血鬼を生み出す。
その顔に一切の恐怖を浮かべずに、高らかに声を上げた。
「これがあなたの手品ね、すごいじゃない。
でも、私を倒すには足りない。 さぁ、大人しく」
光速よりも速く、レミリアの一撃はその体に叩きつけられる。
だが、地霊殿の主も引くことは無い。
咄嗟に出した次のスペルカードで直撃するはずの攻撃を逸らしていた。
「 想起「夢想封印・集」 」
「なら、こっちもスペルカードを出そうかしら。 「レッドマジック」 」
三つ目から光り輝く弾が次々に放たれる。
七色に輝くその光を、紅色の光が片端から叩き落していく。
いくら心が読めようと、反応するよりも速く動かれては対処の仕様が無い。
レミリアはそう考えていた。
だがさとりはそれを避けて見せたのだ。
その驚きと期待を、レミリアは楽しんでいた。
「さぁ、次は何が出てくるのかしら?」
「お望み通り、見せてあげますよ。 想起「夢想転生」 」
「あら」
視界を覆いつくさんばかりの大量の札と光の弾が降り注ぐ。
それを見て、さとりもいくらか驚いた。
あの巫女はこんな力も隠し持っていたのかと。
だが、レミリアはやはり身じろぎすることなく、それを見て不敵に微笑んだ。
「やるじゃない、でも、これくらいじゃあ駄目ね」
真っ黒な翼を雄々しく広げ、真っ紅な瞳を爛々と輝かせ、夜の王は飛んだ。
迫る札を千切り、光の弾をくぐり、立ち塞がる障害を切り裂き、空よりも低い地を飛んだ。
さとりの力はそれを避けることはできなかった。
「あっけなかったわね、とんだ無駄足だったわ」
「…まだ、私は負けを認めてはいませんよ」
ボロボロになった体を持ち上げ、さとりは声を上げる。
痛々しいほどに傷ついたその姿を見て、レミリアの興味は既に消えたようだった。
「それでまだやるつもり? もういいわ、話にもならない。
これならどこぞの亡霊やお姫様の方が強いわ」
「何を言っているのかしら。 さあ、これからが本番よ!
眠りを覚ます恐怖の記憶(トラウマ)で眠るがいい!」
三つ目の瞳が一段と大きく見開いた。
「何度やっても、あなたじゃあ…」
「そうでしょうね、でもこのまま返すわけにはいかないわ。
あなたの記憶の奥底に閉ざされた本当の恐怖、それを呼び起こすまではね」
さとりの瞳には暗い光が宿っていた。
彼女には、彼女の、傷つけてはならない所があったのだ。
レミリアはそれに傷を付けてしまった。
「 想起「マーキュリポイズン」 」
どこからとも無く大量の流水が押し寄せる。
その合間を縫うように光の弾丸がドレスを掠める。
「あら、あなたの友人の技? 身内が一番のトラウマなのね」
「…気が変わった。 もう少し遊んでやるよ、地底の嫌われ者!」
「不可侵の国、地底に訪れたその恐怖、しっかりと味わいなさい」
止め処もなく溢れ出す流水、吸血鬼にとって、それは見るのもおぞましい猛毒。
彼女の友人が扱うこの魔法は彼女にとってこの上ない大敵だった。
それでも悪魔は笑う。
ぬるま湯に浸かりきった自分を奮い立たせるように、強く拳を握り締めた。
翼を広げ、宙を打ち、僅かな隙間目がけて飛んだ。
「 紅符「不夜城レッド」 !」
天を突く紅い十字架を、忌まわしい過去を振り払うかのように高く掲げた。
「にゃーん」
「しつこいですって、ならさっさと観念なさい」
黒猫は迫り来るナイフを右へ左へ見事にかわし続けていた。
全力で飛び続けても追いつかず、時を止めて近寄れば弾幕で突き放される。
その繰り返しに、少女は少々疲れと苛立ちを感じていた。
「ああ、もうどこまで逃げる気なのよ」
「にゃーん」
「ふん、助けを呼んだって誰も来やしないよ」
再度、時を止めて黒猫に近づく。
今度こそ仕留めてくれると言わんばかりにナイフを宙に投げ続ける。
そして視界がナイフで埋まった頃、その能力の限界が近づいた。
「さぁ、観念しな」
カチ、腰に下げた銀時計の針が音を立てる。
同時に勢いを取り戻したナイフが標的目がけ飛んでいく。
「にゃーん!」
同じく動き出した猫は声を上げ、逃げようとするがもはや逃げ場は無い。
「 メイド秘技「殺人ドール」 !」
「 想起「殺人ドール」 」
「今度は咲夜…」
気づけば視界は幾千のナイフで埋め尽くされている。
そしてそのナイフは待っていましたとばかりにこちらを目がけて飛んでくる。
普通の刃物ならば吸血鬼である彼女が恐れるほどのものではない。
しかし咲夜が扱う銀の刃は少々勝手が違い、吸血鬼である彼女の弱点になる。
「身内が敵に回る気分はどうかしら」
「さぁね」
レミリアは翼を羽ばたかせ、逃げようとするがもはや逃げ場は無い。
「 メイド秘技「殺人ドール」 !」
甲高い音を上げて、ナイフとナイフがぶつかり合う。
おかしな軌道を描いた銀の刃は次々にお互いを弾き合っていく。
残ったのは、主が二人とペットが二匹。
「遅いわ」
主人は文句を言う。
「申し訳ありません」
従者は深々と頭を下げる。
「大丈夫、お燐」
主人は気遣いの言葉をかける。
「にゃーん」
猫(ペット)は鳴き声を上げる。
「何よ、やっつけてないじゃない」
「申し訳ありません」
「まぁいいわ、さっさと片付けるわよ」
「かしこまりました」
「怪我は無い、お燐?」
「さとり様…地上の人間ってあんなのばかりなんですかね」
「さぁ、わからないけれど、ここから追い出す必要があるわ」
「わかりました、さとり様」
「まだ恐怖の記憶は終わりじゃないわよ」
三つ目を開き、銀の光が煌く。
「咲夜、あれ、落とすから手伝いなさい」
翼を広げ、紅の光が煌く。
「かしこまりました」
諸手を掲げ、銀の光が煌く。
「さとり様、手伝います」
尻尾を揺らし、赤の光が煌く。
「まとめて叩き落すわ。 獄符「千本の針の山」 !」
「ならこっちも。 贖罪「昔時の針と痛がる怨霊」 !」
針の山が銀の刃の波を裂いて火花を散らす。
あちこちにナイフや針を飛ばし、迷惑この上ない。
だが、その場に立つ四人の誰一人として傷を負ったものはいない。
「確かに猫のくせにやるわね、でも、足りない」
翼を広げて行き交うナイフの雨を切り裂く。
行く手を遮る刃は横からすべて咲夜が叩き落していく。
「所詮はイミテーション、本物には及ばないわ。 神槍「スピア・ザ・グングニル」 」
「く…」
真紅の槍が銀の空を突き破る。
ナイフの雨を貫いた槍はさとりの体を掠めるだけだったが、さとりの小さな体は後方へと吹き飛ばされてしまう。
「さぁ、これで満足かしら。 それとも止めを刺してあげようか」
「まだよ、あなたの深奥に眠る恐怖の記憶(トラウマ)は…
夜の王が真に恐れる禁忌の呪いは、今から眼を覚ますのよ!
これで恐怖の底に沈むといいわ、吸血鬼! 想忌「495年の波紋」 」
突如として巨大な檻が二人を捕らえる。
黒く、ところどころに真っ赤な錆のついた檻は、懐かしいというようなものではなかった。
「…あぁ……確かに恐ろしいわね」
檻の内側に小さな波紋が浮かび上がる。
一つ、二つ、三つ、四つ。
次第に大きく、数も増えていく。
涙が水面に落ちるように、真っ紅な波紋が止め処なく溢れ出る。
ひたすらに、怯えるようにそれを避け続けるレミリアにさとりの声が響く。
「あら、妹がいるの?」
紅色の瞳が胸の黒い瞳を睨む。
「何百年も幽閉しなければいけなかったその気持ち、辛いでしょうね」
同情をしているような、蔑んでいるような、さとりの視線。
「でも、そうせざるを得なくなかったのは決してあなたの妹のせいじゃないわ」
それはどんなに隠したい気持ちも曝け出す。
「そうせざるを得なくしたのはあなたよ」
分かっていても、認めたくなくても、言葉として突きつけられる。
「あなたの未熟が、幼さが、その妹をそんな檻に閉じ込めたのよ」
こんな恐怖は今まで一度として味わったことなど無かった。
「何度自分を責めたのかしら、きっと心を読んでも理解できないほどでしょうね」
さとりの声は耳を塞いでも直接頭に響いてくる。
「でもそれであなたの罪は消えない。 これからもずっと罰を受けるのよ」
広がる波紋は、止まることを知らない。
「深く、深く深く、深く深く深く自分を傷つけなさい」
泣き出した子どものように、一気に溢れ出していく。
「自らの世界に閉じ篭り、見たくないモノから眼を背けてきたのは本当は誰」
逃げようにも、逃げる場所がない、たまらずスペルカードを取り出す。
「答えられないでしょうね、あなたはまだ、自分の世界から出てきていない」
紅い悪魔が波紋を瀬戸際で食い止める、それでも声は響く。
「その紅色の世界に閉じこもったまま、私の妹と同じよ、眼を瞑っているだけ」
波紋は狂ったように、止まることを忘れて溢れ続ける。
「眼を合わせるのが怖いだけ、なんて臆病な夜の王でしょう」
「涙を拭いて、その目で見てごらんなさい」
「違う…違う…嘘だ、こんなもの…私が流すわけが無い!」
頬を伝って落ちる雫は止まらない。
止まったはずの波紋をいくつもいくつも地面の上に作っていく。
落ちては広がり、静まってはまた落ちて、波紋はとどまるところを知らない。
「地上へお帰りなさい。
ここは人妖が簡単に足を踏み入れる場所じゃない。
それに…あまり長居をすると、太陽が顔を出します」
柱の影からこちらを見つめる視線に気づき、さとりは手をかざす。
ばれているのがわかると黒い髪と羽が奥へとすごすご帰っていった。
「待て、私は、まだ…」
「もう勘弁してください、私は限界です。
それに、力比べも退屈しのぎも出来たはずです。
あなたの妹と遊ぶのは体力を使うのでしょう、なら、早くお帰りなさい」
なるべく静かに気持ちを落ち着かせるように、言葉を選んだ。
二人ともカッとなっていた頭が、もう十分すぎるほどに冷えていた。
「その、すみません、売り言葉に買い言葉で…」
先にさとりが頭を下げたのを見て、レミリアも顔を覆っていた手をどけた。
「ふん、今日のところはこれくらいで勘弁してやるよ」
帰り道、明らかに不機嫌な様子のレミリアにおずおずと声をかけた。
「…大丈夫ですか、お嬢様」
「心配ないわ。 少なくとも、他の誰かに気にされるようなことじゃない」
「わかりました」
どうやら、変な恨みを持ったりした様子はなさそうだ。
地霊殿の主に言われた言葉について、いくらか考えてはいるようだが。
「咲夜」
今度はお嬢様の方から声がかかる。
「言っておくけれど誰かに余計なことを話したら…」
鋭い視線がこちらを睨みつけてくる。
あの泣いてしまったことだろうか。
それならば心配はない、あんなかわいい様子を誰が他の者に漏らそうか。
あの天狗の持っているカメラがあればずっと取って置けるのに、もったいない。
あ、いやいや、何にせよ私があのことを他言することはお嬢様に誓ってありはしない。
「あら、最近物覚えが悪くなってしまったようで、何かありましたか?」
「…もういいわ」
「咲夜」
「はい」
もう一度咲夜に声をかけて、レミリアは空を飛ぶ速度を落とした。
「フランは、あなたのケーキが好きだったわね」
「…ええ、好物だと仰ってくださいます」
顔を羽で隠すようにして、消え入りそうな声で呟いた。
「帰ったら……ケーキの作り方…教えなさい」
「はい、かしこまりました」
「散々でしたねーさとり様」
「まったく」
ぼろぼろになった屋敷を見て呟く。
柱は倒れ、窓は割れ、カーペットはぼろぼろ、床や壁には針やナイフがあちこちに刺さっている。
なんとも凄惨な光景だが、二人とも無事でよかったと胸を撫で下ろした。
「それにしても、吸血鬼なんてのが上に居ついていたのね」
「昔はいなかったんですか?」
「大昔はね」
でも、その吸血鬼も他の人妖と変わらなかった。
小さなことに心を痛め、悩み、苦しむ。
己の欲望だけで生きている妖怪も、ほとんどがそんな小さなことを気にしているのだ。
もちろん、ご他聞に漏れず自分も同じなのだが。
「でも、なんだか悪いやつじゃないと思うわ」
「そうですか? いきなり斬りつけてくるようなヤツですよ?」
「まぁ、それは、それ」
ところで、あの妖怪はどんな力を持っていたのだろう。
吸血鬼ならば相当の能力を持っているはずだ。
それならわざわざ私のような妖怪を狙わずに鬼たちと手合わせでもすればよかったのに。
それとも、何か彼女なりの理由があったのだろうか。
残念、それを読んでおけばよかった。
「さとり様?」
「何でもないわ。 さぁ、片付けてしまいましょう」
きっと、彼女はここに来て私と会わなければならなかったのだろう。
何だか分からないがそんな気がする。
そう、運命とでも言うべきものが、彼女と私を会わせたのだろう。
--------------------------------------------------------------------------
「もうすぐ地上ね、咲夜、何時?」
「まだ夜明け前です」
「そう、冬はいいわね、夜明けが遅くて」
「おねーさまー!」
「あら、フラン?」
「見つけたわよ! お空突撃ー!」
「うにゅー!」
「何か変なのがついてきた…」
「お姉ちゃんを負かした強い吸血鬼ってあなたね、勝負よ!」
「ねぇ、弾幕ごっこ? なら、私と遊ばない?」
「え? うーん、いいよ!」
「あははっやった!」
「…なんか、疲れたから先に帰るわ」
「妹様はどうなさるのですか?」
「大丈夫でしょ…もう日の出だし。 と言うよりなんでここにいるのよ」
「おそらくお嬢様を探しに出たのでは」
「はぁ…」
「すごーいすごーい、強いねあなた」
「あなたも強い、すごいわ! うふふ、ねぇ、もっと遊びましょ」
「よーし、じゃあお空も一緒にやりましょ」
「え、いいの?」
「もちろんよ」
「じゃあ行くわよ、 「地獄の人口太陽」 !」
「なっ…うあー!」
「お、お嬢様ぁあああああああ!!!!」
「きゅっとして…」
「お嬢様しっかり…あ! いけません妹様…」
「ドカーン!」
その日、幻想郷は核の炎に包まれた。
地底の妖怪たちや最強と名高い鬼たちからも畏れられている。
地霊殿と呼ばれる巨大な屋敷。
その屋敷の前に、二人の少女が立っている。
「そこのあんた、あの屋敷へ入るのはやめておきな」
地底に似つかわしくないきらびやかなドレスを纏う少女に、妖怪が声をかけた。
振り向いてその妖怪を視界にいれると、大きな角が目に付いた。
どうやら声の主は鬼だったらしい。
もっとも、この地底の旧地獄街道ではそう珍しいものでもない。
「あの屋敷にいるのは地底で最も忌み嫌われている妖怪。
あんたたちは見たところ、地上の妖怪のようだが…やめておいた方がいいよ」
「それは困ったわね、私たちはあの屋敷に用があって来たのに」
ドレスの少女は口元を歪ませる。
それを見て、鬼も顔つきが変わった。
「おや、見かけとは違って随分と強いみたいだね」
「まぁ、それなりにね」
鬼の瞳にドレスの下から覗く黒い羽が映る。
その羽を見て鬼の直感は確信へと変わった。
「悪いね、あたしは強いものを見ると戦いたくなるんだよ。
そこへ行く前に一つ手合わせ願おうじゃないか。 そうだな、あたしに勝ったらあの屋敷の入り口を教えてやろう」
「…いいわ、準備運動くらいにはなりそうだもの。 さぁ、大人しく」
戦いの構えを見せるのとほぼ同時に、鋭い一撃が突き抜ける。
「おっと、いきなりかい。 これはまた随分速いね」
鬼は受け止めた拳を見て楽しそうに笑ってみせる。
「見えたのだから大したものよ」
「だが、速いだけじゃ鬼には敵わない!」
巨大な霊力がそのまま形になったかのような弾幕が吹き荒れる。
当たってしまえばその小さな体はひとたまりも無い。
しかし弾はすべて豪奢なドレスの端を掠めていくだけ。
その様に鬼は震えた。
「すごいじゃないか、地上にはまだまだこんなやつらがいたのかい!」
瞳を輝かせて鬼は笑う。
惜しげもなく力を揮い、地底を揺るがしながら。
「わくわくしてきたよ、まだあたしら鬼に敵うやつらがこんなにいたとはね」
「勘違いしないで欲しいわね。 私はあんたたちのような土着の民とは違う」
黒い翼を眼一杯広げて、少女は空を切り裂く。
暗い地の底を紅く染め上げて不敵に微笑む。
「誇り高き貴族、吸血鬼よ」
地霊殿の窓の数は、ざっと数えて3倍はあるだろうか。
自分の館の気高い姿を思い浮かべ、目の前の巨像と比べてみた。
確かに見た目の大きさではこちらに軍配が上がるだろう。
しかし、外装のセンスや内装ならば間違いなく自らの紅の館が圧倒する。
紅の館の主は満足げな笑みを浮かべた。
「どうかなさいましたか、お嬢様」
「なんでもないわ。 さぁ、霊夢から聞いた地底の館の主とやらに挨拶に行くわよ」
「予想通り、中は大した事は無いわね」
地霊殿に足を踏み入れた二人の前には見た目どおりの広さの屋敷があった。
これならば主も高が知れるというものだ。
靴を鳴らし、屋敷の奥へと足を踏み入れた。
「にゃーん!」
「あら…猫なんて飼っているのね」
「そのようですね」
踏み入れた瞬間、屋敷の奥から鳴き声が響き渡る。
後を追うように、黒い猫が暗がりから飛び出して二人の前に立ちふさがった。
「どきなさい、私は畜生とじゃれあう趣味はないわ」
「失礼ね、お姉さん」
猫の瞳が光るやいなや、猫の姿は見る見る変わっていき、大きな台車を持った少女が現れた。
少女は侵入者である二人を睨みつけ、挨拶代わりとばかりに弾幕を放つ。
隙間を埋めるように打ち出される弾幕は、二人の服を次々掠めて行く。
「猫のくせに意外にやりますね」
「そのようね。 じゃあ面倒はあなたに任せるわ、私は急ぐから。
くれぐれも、悪魔の犬が猫なんかに負けることが無いように、いいわね」
「かしこまりました」
メイド服を着込んだ少女は弾幕を交わしながら丁寧に頭を下げた。
返事を聞き終わるのと同時に、少女は羽根を広げ、ドレスをはためかせた。
「おっと、そう簡単に先
へはいかせないよ! 呪精「ゾンビフェアリー」 !」
持っていた台車を揮うと少女の周りに幾人もの妖精が顕れる。
妖精はどれもみな血色が悪い。
「あら、その妖精たちは調子が悪いのかしら?」
「さぁ、どうかしら」
少女は妖精たちへ向かって腕を振るった。
瞬間、妖精たちの華奢な体に銀の光が突き刺さり、次々に倒されていった。
「おお、すごいねお姉さん」
「あっけなさ過ぎるわ。 猫根性が足りないわね」
今度は黒猫目がけて腕を振りぬく。
屋敷の闇に煌いた光は大きな台車に弾かれ、宙を舞う。
「まだまだ、これからが本番よお姉さん」
「あら」
気づくと、倒したはずの妖精が目の前にまで迫ってきていた。
そして近づいてきたその姿を見て、その正体に気づいた。
「死んでまで働くなんて、随分と働き者の妖精なのね」
「驚いたかしら? 悪いけどお姉さんたち二人の死体はあたいがいただくわ♪」
眼を細めてにっこりと笑う。
活きのいい(?)死体が久々に手に入るのだ。
しかも二つも、彼女にとってこれほど嬉しいことは無かった。
「そっちのナイフのお姉さんと……あれ?」
もう一人、さっきまでそこにいたはずのドレスの少女がいない。
少し前までいたはずなのに。
「抜けられたような気は
しなかったんだけど…ってあれ?」
視線を戻すと、今度はナイフのお姉さんもいなくなっていた。
それどころか妖精たちがまた倒されている。
一体どうなっているのか、彼女はまるで悪い夢でも見ているかのような気分だった。
「甘いわね、猫にしては頑張った方だけど…猫じゃ私には勝てないわ」
「あっ後ろ!?」
悪魔の犬の瞳が紅く、真っ赤な血の色に光る。
「 傷魂「ソウルスカルプチュア」 」
「にゃんっ!」
紅い傷跡を全身に浴び、声を上げて地面に叩き落される。
間髪いれずに、駄目押しとなるナイフを大量に浴びせた。
刃はわずかに体を逸れたものの、服をかすめ、肌をかすめ、身動きが取れないようにしていた。
「これで終わりよ。 諦めな」
少女は眼を細め、小さく笑みを作った。
「甘いわね、お姉さん。 猫だからって嘗めると痛い目に合うわ」
ぎらついた眼を向け、鋭い針の山を投げつけた。
雨のような弾幕の中を裂いて進む針の山を間一髪で交わし、再度ナイフを構えた。
だが地面に打ち付けられたはずの猫の姿は見えない。
「猫舌は舐められると痛いのよ」
少女の体は元の黒猫に戻り、屋敷の奥へと消えていった。
「…面倒ね」
少女は着衣の乱れを直すと、猫を追って屋敷の奥へと進んだ。
「それにしても、入り組んでいて分かりづらいわね」
黒い翼をはためかせ、華麗に空を飛んでいたが、目的のモノは見つからない。
それどころか妖精の数が増えてくるばかりである。
「まったく、同じような道が続いて分かりにくい屋敷ね」
立ち止まり、溜め息を吐いた。
あちらを向いてもこちらを向いても似たような内装で平衡感覚が狂う。
自分の館のように細かな意匠に凝らなければ良い建築とは言えない。
「これだから古いだけの妖怪は駄目ね」
発していないはずの自分の言葉が背後から聞こえて来たことに気づき、慌てて振り向いた。
どうして今考えていたことを見抜かれた。
「どうして今考えていたことを見抜かれた。 まぁ普通はそうですね」
「なっ、お前、私の考えを…」
目の前には自分と同じくらい…いや、少し小さい少女がいた。
どことなく、家の館の魔法使いに似ているような気がした。
「あら、あなたの家には魔法使いがいるんですか?」
「また…ふん、それがお前の力か」
何かを心に浮かべる度に少女の胸に見開いた不気味な眼がこちらを睨む。
まるで内側の何かを見透かされているような、そんな感覚。
「ええ、これが私の力。 どんな強力な妖怪や人間も恐れる力。
だから隠し事も出来ないわ、ここに何の用で来たの?」
「言わなくても分かるんだろう、なら話は早くて済むわ」
吸血鬼は負けじと睨み返した。
「…どちらが上か決めるだなんて馬鹿げた目的ですね」
少女は深い溜め息を吐く。
だが吸血鬼の目は本気だ、一分の迷いも無い。
「あなたには馬鹿げていても、私にとっては重要なことよ。
この私を差し置いて最も恐れられる妖怪? 笑わせる。
最強にして最恐の妖怪は夜の王、吸血鬼である私の他にはあり得ない」
「本当に馬鹿げていますね」
「なら大人しく私の前に跪きなさい。
そうすればわざわざ戦わずとも済む」
夜の王は不敵に笑う。
「私は手が早いほうではないですが、勝手にこの地霊殿を荒らされて、
はいそうですかと頭を下げるような妖怪ではありません」
三つ目の妖怪は怪しく笑う。
「一応名前を教えておいてやるよ。 お前を八つ裂きにする夜の王の名前を。
紅魔館の主、レミリア=スカーレット、覚えておきなさい」
「なら私も名乗らなくてはいけませんね、地霊殿の主、古明地さとりです。
夜の王であるあなたが映し出す恐怖の心象、どんなものかしらね」
「 想起「テリブルスーヴニール」 」
レミリアを近づけさせまいと、光の帯が宙を舞う。
主を守るようにさとりの周囲を走るそれはレミリアを捉えていく。
だが、吸血鬼の速さは光を遥かに上回っていた。
「この程度ならば、わざわざ顔を見せる必要もなかったかしら」
黒い翼を一打ち、さとりの眼前に迫ると大量の弾幕を浴びせかける。
「これが、吸血鬼ですか…」
「ふん、頭を下げる気になったの」
「まさか、期待はずれだっただけですよ」
三つ目が歪む。
それは嘲笑とも取れる歪な動きだった。
「所詮あなたもただの妖怪…恐怖の記憶(トラウマ)には勝てないわ」
途端にさとりの纏う雰囲気が変わった。
見開かれた三つ目の瞳も先ほどよりも暗く深く輝き、不気味な空気を作り出す。
「ああ、この間の巫女の知り合いだったのね、ちょうどいいわ。
知っていればより鮮明な記憶が蘇る、さぁ、恐怖に怯えなさい。 想起「封魔陣」 !」
「こいつ…」
三つ目の瞳はさらに怪しく輝く。
その光に照らされて、巨大な霊力を持った結界が現れる。
結界は恐ろしく巨大、いくら妖怪の中でも屈指の速度を誇る吸血鬼でも逃げる場所が無くては避けようが無い。
結界はまたたくまに辺りを覆いつくし、満ちた妖気を一瞬にして消し去ってしまった。
「どうかしら、これでもまだ…」
「ええ、まだよ」
消えたはずの妖気が、黒い塊となって現れる。
大量の蝙蝠によって形作られた黒い塊は見る見るうちにドレスへ、翼へと変わり、吸血鬼を生み出す。
その顔に一切の恐怖を浮かべずに、高らかに声を上げた。
「これがあなたの手品ね、すごいじゃない。
でも、私を倒すには足りない。 さぁ、大人しく」
光速よりも速く、レミリアの一撃はその体に叩きつけられる。
だが、地霊殿の主も引くことは無い。
咄嗟に出した次のスペルカードで直撃するはずの攻撃を逸らしていた。
「 想起「夢想封印・集」 」
「なら、こっちもスペルカードを出そうかしら。 「レッドマジック」 」
三つ目から光り輝く弾が次々に放たれる。
七色に輝くその光を、紅色の光が片端から叩き落していく。
いくら心が読めようと、反応するよりも速く動かれては対処の仕様が無い。
レミリアはそう考えていた。
だがさとりはそれを避けて見せたのだ。
その驚きと期待を、レミリアは楽しんでいた。
「さぁ、次は何が出てくるのかしら?」
「お望み通り、見せてあげますよ。 想起「夢想転生」 」
「あら」
視界を覆いつくさんばかりの大量の札と光の弾が降り注ぐ。
それを見て、さとりもいくらか驚いた。
あの巫女はこんな力も隠し持っていたのかと。
だが、レミリアはやはり身じろぎすることなく、それを見て不敵に微笑んだ。
「やるじゃない、でも、これくらいじゃあ駄目ね」
真っ黒な翼を雄々しく広げ、真っ紅な瞳を爛々と輝かせ、夜の王は飛んだ。
迫る札を千切り、光の弾をくぐり、立ち塞がる障害を切り裂き、空よりも低い地を飛んだ。
さとりの力はそれを避けることはできなかった。
「あっけなかったわね、とんだ無駄足だったわ」
「…まだ、私は負けを認めてはいませんよ」
ボロボロになった体を持ち上げ、さとりは声を上げる。
痛々しいほどに傷ついたその姿を見て、レミリアの興味は既に消えたようだった。
「それでまだやるつもり? もういいわ、話にもならない。
これならどこぞの亡霊やお姫様の方が強いわ」
「何を言っているのかしら。 さあ、これからが本番よ!
眠りを覚ます恐怖の記憶(トラウマ)で眠るがいい!」
三つ目の瞳が一段と大きく見開いた。
「何度やっても、あなたじゃあ…」
「そうでしょうね、でもこのまま返すわけにはいかないわ。
あなたの記憶の奥底に閉ざされた本当の恐怖、それを呼び起こすまではね」
さとりの瞳には暗い光が宿っていた。
彼女には、彼女の、傷つけてはならない所があったのだ。
レミリアはそれに傷を付けてしまった。
「 想起「マーキュリポイズン」 」
どこからとも無く大量の流水が押し寄せる。
その合間を縫うように光の弾丸がドレスを掠める。
「あら、あなたの友人の技? 身内が一番のトラウマなのね」
「…気が変わった。 もう少し遊んでやるよ、地底の嫌われ者!」
「不可侵の国、地底に訪れたその恐怖、しっかりと味わいなさい」
止め処もなく溢れ出す流水、吸血鬼にとって、それは見るのもおぞましい猛毒。
彼女の友人が扱うこの魔法は彼女にとってこの上ない大敵だった。
それでも悪魔は笑う。
ぬるま湯に浸かりきった自分を奮い立たせるように、強く拳を握り締めた。
翼を広げ、宙を打ち、僅かな隙間目がけて飛んだ。
「 紅符「不夜城レッド」 !」
天を突く紅い十字架を、忌まわしい過去を振り払うかのように高く掲げた。
「にゃーん」
「しつこいですって、ならさっさと観念なさい」
黒猫は迫り来るナイフを右へ左へ見事にかわし続けていた。
全力で飛び続けても追いつかず、時を止めて近寄れば弾幕で突き放される。
その繰り返しに、少女は少々疲れと苛立ちを感じていた。
「ああ、もうどこまで逃げる気なのよ」
「にゃーん」
「ふん、助けを呼んだって誰も来やしないよ」
再度、時を止めて黒猫に近づく。
今度こそ仕留めてくれると言わんばかりにナイフを宙に投げ続ける。
そして視界がナイフで埋まった頃、その能力の限界が近づいた。
「さぁ、観念しな」
カチ、腰に下げた銀時計の針が音を立てる。
同時に勢いを取り戻したナイフが標的目がけ飛んでいく。
「にゃーん!」
同じく動き出した猫は声を上げ、逃げようとするがもはや逃げ場は無い。
「 メイド秘技「殺人ドール」 !」
「 想起「殺人ドール」 」
「今度は咲夜…」
気づけば視界は幾千のナイフで埋め尽くされている。
そしてそのナイフは待っていましたとばかりにこちらを目がけて飛んでくる。
普通の刃物ならば吸血鬼である彼女が恐れるほどのものではない。
しかし咲夜が扱う銀の刃は少々勝手が違い、吸血鬼である彼女の弱点になる。
「身内が敵に回る気分はどうかしら」
「さぁね」
レミリアは翼を羽ばたかせ、逃げようとするがもはや逃げ場は無い。
「 メイド秘技「殺人ドール」 !」
甲高い音を上げて、ナイフとナイフがぶつかり合う。
おかしな軌道を描いた銀の刃は次々にお互いを弾き合っていく。
残ったのは、主が二人とペットが二匹。
「遅いわ」
主人は文句を言う。
「申し訳ありません」
従者は深々と頭を下げる。
「大丈夫、お燐」
主人は気遣いの言葉をかける。
「にゃーん」
猫(ペット)は鳴き声を上げる。
「何よ、やっつけてないじゃない」
「申し訳ありません」
「まぁいいわ、さっさと片付けるわよ」
「かしこまりました」
「怪我は無い、お燐?」
「さとり様…地上の人間ってあんなのばかりなんですかね」
「さぁ、わからないけれど、ここから追い出す必要があるわ」
「わかりました、さとり様」
「まだ恐怖の記憶は終わりじゃないわよ」
三つ目を開き、銀の光が煌く。
「咲夜、あれ、落とすから手伝いなさい」
翼を広げ、紅の光が煌く。
「かしこまりました」
諸手を掲げ、銀の光が煌く。
「さとり様、手伝います」
尻尾を揺らし、赤の光が煌く。
「まとめて叩き落すわ。 獄符「千本の針の山」 !」
「ならこっちも。 贖罪「昔時の針と痛がる怨霊」 !」
針の山が銀の刃の波を裂いて火花を散らす。
あちこちにナイフや針を飛ばし、迷惑この上ない。
だが、その場に立つ四人の誰一人として傷を負ったものはいない。
「確かに猫のくせにやるわね、でも、足りない」
翼を広げて行き交うナイフの雨を切り裂く。
行く手を遮る刃は横からすべて咲夜が叩き落していく。
「所詮はイミテーション、本物には及ばないわ。 神槍「スピア・ザ・グングニル」 」
「く…」
真紅の槍が銀の空を突き破る。
ナイフの雨を貫いた槍はさとりの体を掠めるだけだったが、さとりの小さな体は後方へと吹き飛ばされてしまう。
「さぁ、これで満足かしら。 それとも止めを刺してあげようか」
「まだよ、あなたの深奥に眠る恐怖の記憶(トラウマ)は…
夜の王が真に恐れる禁忌の呪いは、今から眼を覚ますのよ!
これで恐怖の底に沈むといいわ、吸血鬼! 想忌「495年の波紋」 」
突如として巨大な檻が二人を捕らえる。
黒く、ところどころに真っ赤な錆のついた檻は、懐かしいというようなものではなかった。
「…あぁ……確かに恐ろしいわね」
檻の内側に小さな波紋が浮かび上がる。
一つ、二つ、三つ、四つ。
次第に大きく、数も増えていく。
涙が水面に落ちるように、真っ紅な波紋が止め処なく溢れ出る。
ひたすらに、怯えるようにそれを避け続けるレミリアにさとりの声が響く。
「あら、妹がいるの?」
紅色の瞳が胸の黒い瞳を睨む。
「何百年も幽閉しなければいけなかったその気持ち、辛いでしょうね」
同情をしているような、蔑んでいるような、さとりの視線。
「でも、そうせざるを得なくなかったのは決してあなたの妹のせいじゃないわ」
それはどんなに隠したい気持ちも曝け出す。
「そうせざるを得なくしたのはあなたよ」
分かっていても、認めたくなくても、言葉として突きつけられる。
「あなたの未熟が、幼さが、その妹をそんな檻に閉じ込めたのよ」
こんな恐怖は今まで一度として味わったことなど無かった。
「何度自分を責めたのかしら、きっと心を読んでも理解できないほどでしょうね」
さとりの声は耳を塞いでも直接頭に響いてくる。
「でもそれであなたの罪は消えない。 これからもずっと罰を受けるのよ」
広がる波紋は、止まることを知らない。
「深く、深く深く、深く深く深く自分を傷つけなさい」
泣き出した子どものように、一気に溢れ出していく。
「自らの世界に閉じ篭り、見たくないモノから眼を背けてきたのは本当は誰」
逃げようにも、逃げる場所がない、たまらずスペルカードを取り出す。
「答えられないでしょうね、あなたはまだ、自分の世界から出てきていない」
紅い悪魔が波紋を瀬戸際で食い止める、それでも声は響く。
「その紅色の世界に閉じこもったまま、私の妹と同じよ、眼を瞑っているだけ」
波紋は狂ったように、止まることを忘れて溢れ続ける。
「眼を合わせるのが怖いだけ、なんて臆病な夜の王でしょう」
「涙を拭いて、その目で見てごらんなさい」
「違う…違う…嘘だ、こんなもの…私が流すわけが無い!」
頬を伝って落ちる雫は止まらない。
止まったはずの波紋をいくつもいくつも地面の上に作っていく。
落ちては広がり、静まってはまた落ちて、波紋はとどまるところを知らない。
「地上へお帰りなさい。
ここは人妖が簡単に足を踏み入れる場所じゃない。
それに…あまり長居をすると、太陽が顔を出します」
柱の影からこちらを見つめる視線に気づき、さとりは手をかざす。
ばれているのがわかると黒い髪と羽が奥へとすごすご帰っていった。
「待て、私は、まだ…」
「もう勘弁してください、私は限界です。
それに、力比べも退屈しのぎも出来たはずです。
あなたの妹と遊ぶのは体力を使うのでしょう、なら、早くお帰りなさい」
なるべく静かに気持ちを落ち着かせるように、言葉を選んだ。
二人ともカッとなっていた頭が、もう十分すぎるほどに冷えていた。
「その、すみません、売り言葉に買い言葉で…」
先にさとりが頭を下げたのを見て、レミリアも顔を覆っていた手をどけた。
「ふん、今日のところはこれくらいで勘弁してやるよ」
帰り道、明らかに不機嫌な様子のレミリアにおずおずと声をかけた。
「…大丈夫ですか、お嬢様」
「心配ないわ。 少なくとも、他の誰かに気にされるようなことじゃない」
「わかりました」
どうやら、変な恨みを持ったりした様子はなさそうだ。
地霊殿の主に言われた言葉について、いくらか考えてはいるようだが。
「咲夜」
今度はお嬢様の方から声がかかる。
「言っておくけれど誰かに余計なことを話したら…」
鋭い視線がこちらを睨みつけてくる。
あの泣いてしまったことだろうか。
それならば心配はない、あんなかわいい様子を誰が他の者に漏らそうか。
あの天狗の持っているカメラがあればずっと取って置けるのに、もったいない。
あ、いやいや、何にせよ私があのことを他言することはお嬢様に誓ってありはしない。
「あら、最近物覚えが悪くなってしまったようで、何かありましたか?」
「…もういいわ」
「咲夜」
「はい」
もう一度咲夜に声をかけて、レミリアは空を飛ぶ速度を落とした。
「フランは、あなたのケーキが好きだったわね」
「…ええ、好物だと仰ってくださいます」
顔を羽で隠すようにして、消え入りそうな声で呟いた。
「帰ったら……ケーキの作り方…教えなさい」
「はい、かしこまりました」
「散々でしたねーさとり様」
「まったく」
ぼろぼろになった屋敷を見て呟く。
柱は倒れ、窓は割れ、カーペットはぼろぼろ、床や壁には針やナイフがあちこちに刺さっている。
なんとも凄惨な光景だが、二人とも無事でよかったと胸を撫で下ろした。
「それにしても、吸血鬼なんてのが上に居ついていたのね」
「昔はいなかったんですか?」
「大昔はね」
でも、その吸血鬼も他の人妖と変わらなかった。
小さなことに心を痛め、悩み、苦しむ。
己の欲望だけで生きている妖怪も、ほとんどがそんな小さなことを気にしているのだ。
もちろん、ご他聞に漏れず自分も同じなのだが。
「でも、なんだか悪いやつじゃないと思うわ」
「そうですか? いきなり斬りつけてくるようなヤツですよ?」
「まぁ、それは、それ」
ところで、あの妖怪はどんな力を持っていたのだろう。
吸血鬼ならば相当の能力を持っているはずだ。
それならわざわざ私のような妖怪を狙わずに鬼たちと手合わせでもすればよかったのに。
それとも、何か彼女なりの理由があったのだろうか。
残念、それを読んでおけばよかった。
「さとり様?」
「何でもないわ。 さぁ、片付けてしまいましょう」
きっと、彼女はここに来て私と会わなければならなかったのだろう。
何だか分からないがそんな気がする。
そう、運命とでも言うべきものが、彼女と私を会わせたのだろう。
--------------------------------------------------------------------------
「もうすぐ地上ね、咲夜、何時?」
「まだ夜明け前です」
「そう、冬はいいわね、夜明けが遅くて」
「おねーさまー!」
「あら、フラン?」
「見つけたわよ! お空突撃ー!」
「うにゅー!」
「何か変なのがついてきた…」
「お姉ちゃんを負かした強い吸血鬼ってあなたね、勝負よ!」
「ねぇ、弾幕ごっこ? なら、私と遊ばない?」
「え? うーん、いいよ!」
「あははっやった!」
「…なんか、疲れたから先に帰るわ」
「妹様はどうなさるのですか?」
「大丈夫でしょ…もう日の出だし。 と言うよりなんでここにいるのよ」
「おそらくお嬢様を探しに出たのでは」
「はぁ…」
「すごーいすごーい、強いねあなた」
「あなたも強い、すごいわ! うふふ、ねぇ、もっと遊びましょ」
「よーし、じゃあお空も一緒にやりましょ」
「え、いいの?」
「もちろんよ」
「じゃあ行くわよ、 「地獄の人口太陽」 !」
「なっ…うあー!」
「お、お嬢様ぁあああああああ!!!!」
「きゅっとして…」
「お嬢様しっかり…あ! いけません妹様…」
「ドカーン!」
その日、幻想郷は核の炎に包まれた。
あっさりとしていて逆にそれが良かったです。
個人的な話なんですが、もっとレミリアの心の奥深くどぎつい部分まで弄くられるのは流石に辛かったので。このぐらいで双方引いてくれて本当に良かったです。個人的な話なんですが。