※別に、前回『船べり会話録 Ⅰ』から続いているというわけでもなく。
三途の川の船着場。
よくよく居なくなる死神は、今日は珍しくそこに居た。
ボスがお呼びした客人を待つために─────
「あのー」
───うん?ああ、西行寺の。
「私を呼んだ閻魔さまはこの川の向こうでいいのかしら」
───ああ、そうだな。何か文構造がおかしい気がするが。
「私が呼ばれた閻魔さまはこの川の向こうでいいのかしら」
───ますますおかしくなってきているねぇ。彼岸花にでも毒されたかい?
「閻魔さまの呼んだ私はこの川のこちらにいるのかしら」
───もはや文意が通っていないね。
「あら、そう?」
───何でもいいさ。ちゃっちゃと乗りな。どうせ向こうに行きたいんだろう?
「もう逝きましたわ」
───いやいや、おまえさんは生きてはいまい。
「生きていたのが息絶えて逝きまして。死者の域に仲間入り、ってところかしら」
───相変わらず文意が伝わらないねぇ。乗りたいなら乗りたいと言えばいいのに。
「じゃあ、まあ、乗せてもらおうかしら」
───乗る分には運賃を出してもらうけどね。
「じゃあ乗らない」
───おう、そうかい。
「私が乗れなかったのはあなたが運賃を要求したからよ。閻魔さまが知ったら何と言うことか」
───むむぅ、あたいが怒られるじゃないか。
「そう。今、あなたに求められているのは私を乗せるか乗せないか。お金の出番は寸分もなしね」
───うまく惑わされそうになったけど、それってようはただ乗りってことか。
「2割ほど正解。6割ほど半正解」
───まあ、いい。ボスから呼び出されたのに、運賃のために帰らせちゃ笑い話だ。さっさと乗っちまいな。
「あら、じゃあ、さっそく」
───どーれ、出航。全く、あたいの舟にただ乗りする霊が現れるたぁ、こいつは何かの前触れかねぇ。
「何の前触れかしらねぇ。ここは前触れなしに奇怪なことが起こるところよ」
───もしかしたら、奇怪なことがパッタリと止む前触れかもしれない。
「それ自体が奇怪なことね。矛と盾の話を思い出すわ」
───矛盾って言えば、おまえさんの庭師も、いつだか冥界一固い盾と自称していなかったか?
「ええ、私が盾になりなさいと言えば、あの子は盾になるわ。固いけど」
───しかし、またいつだか、斬れないものは殆どないとも自称していた。
「ええ、私が剣になりなさいと言えば、あの子は剣になるわ。斬れるけど」
───こいつぁ、1つの矛盾って奴じゃないのかい?
「心配御無用。取り越し苦労は皺のもとよ」
───心配もしていないし苦労もしていないが。
「固い盾は、本当は防御に向いていない。固ければ固いほど通すものなのよ。矛なり剣なり振動なり」
───あまり通して欲しくないねぇ。
「柔よく剛を制す。地面に刺さった木の棒と、宙に舞う布。どっちが切れやすいかは、あなたにも分かるでしょう」
───あたいの鎌はそんなもんを斬るためにあるんじゃないんだが。
「盾の理想に近いのは、柔らかいものなのよ。ちくわとかはんぺんとか」
───パッとしないなぁ。
「この川の魚を釣上げてよく練ったら作れないかしら」
───この川の魚を釣り上げることはできない。残念ながら。
「釣れないなら潜ってみようかしら」
───止めはしないが、この川には浮力ってものはない。川底まで一直線だよ。
魚目当てにウキウキして飛び込んだら最後、浮かばれない結末を迎えるだろうねぇ。
「(ウキウキ)」
───ここを渡る霊は皆、憂き身だっていうのに。勝手に浮いてるのはおまえさんぐらいだよ。
もっとも、おまえさんはここを渡るのは初めてではないけど。
「公園のボートと同じ感覚なのよ」
───暴徒?なんのこったい?
「外の世界じゃ、こういう小船はボートって呼ばれるらしいわよ。紫が教えてくれたわ」
───外の舟はそんなに凶暴なのか。乗る奴らは振り落とされないのかな。
「馬じゃないんだから」
───そう言えば、昔は暴風雨の中に出航し、嵐に呑まれて逝ってしまった船乗りを運んだこともあったねぇ。
「船頭多ければ船山に登る。もし、また船乗りの霊が来たら私も誘ってくださらない?」
───今度はお花見に行くつもりなのかい?
「ピクニックとハイキング、どちらがいいかしら」
───何でもいいが、外来語をあまり使わんでくれ。あたいはその手には弱いんだ。
「あら、江戸っ子はいまだ鎖国中?」
───あたいも、あたいの将軍様も、外国にはそんなに興味はない。
そんな余裕はどこにもないのさ。ボスは死者を裁くのに忙しく、あたいは暇を潰すのに忙しい。
「ボスも立派な外来語♪」
───確かに。
「あなたは外界の霊を担当しないから、そういう言葉はごく稀にしか輸入されないのね」
───これ以上仕事が増えるのも嫌だが、ちょっと興味が湧くなぁ。
「杞憂ね。木の葉は垣根を乗り越えて隣の家の庭にまで落ちてくることがあるわ。言の葉も同じこと。
風がどう吹くかは私たちの知るべき範囲ではない。気がつけば葉っぱが舞い込んでくる程度なのよ」
───あたいの元に”ボス”を届けたのはどこのどういう風だ?偏西風かな。
「偏っているのはよくないわ。うちの庭も、偏りなく色々な草木が植えられているもの」
───ほう、冥界一固い盾はお庭の整理までこなせるのか。しかもおまえさんのお望みどおりに。
「固ければ固いほど通じるものなのよ。心なり想いなり。そして、垣根を越える言の葉よりも確実に」
───硬度の話じゃなかったのかい。
「表面は何でもいいのよ。でも、できれば柔らかいほうがいいわねぇ。芯は固く、表は柔らかく」
───変わっても変わらない、ってことかい?
「6割ほど正解。3割ほど半正解」
───うぬぬ、流石は西行寺の。いつから布石を敷こうと思ったのか、あたいにはさっぱりだ。
「私は最初から敷こうと思っていたわよ。座り心地がいまいちだもの」
───またそうやって話をずらす。
「そういうわけで、船頭さん、次までに座布団準備してくださいな」
───そういうのは、あたいじゃない船頭さんに頼みな。その時、山を登ってやる。
「楽しみにしているわ」
───さて、もうすぐ川岸を引き寄せるとするか。おまえさんとの話はいやに疲れる。
「そうだ、最後に、死神さん。あなたは盾をお持ち?」
───うん?
「柔らかい盾は、防御には一流だけど、決定的な弱点があるわ。どう考えても持ちにくいじゃない」
───うん、まあ。はんぺんに取っ手をつけるわけにもいかんしなぁ。
「固い盾は、持ちやすいの。そして、適度にものを通す。決して1人で抱え込まない。私はそういうところが好き。
衝撃を吸収しすぎれば、戦士は攻撃を受けたことに気づかない。そしていつしか愚かな戦士は盾を持つ意味を忘れるの」
───攻撃されるほどお前さんは激動の身でもないだろう。
「攻撃は敵意を伴うものだけとは限らないわ。盾にとって、持つ者に苦痛となるものは全てが攻撃。
例え気苦労ですら、その対象になるのよ。あの子が私の盾であるならば、私もあの子の盾になりたい。
もう1度聞くわ。死神さん、あなたは盾をお持ち?いえ、盾を持っていることを、本当に覚えているのかしら?」
───言いたいことはよく分かったが、自信がなくなってきたねぇ。
「駄目よ。死神と閻魔は表裏一体。
あなたは盾を持っていて、なおかつあなた自身が盾である。このことを忘れてはいけないの」
───相変わらず、西行寺の器量には驚かされるねぇ。
あたいもちょっと頑張ってみるよ。さあ、よっと、これで、彼岸に到着さ。最高の運賃、感謝するよ。
「あら、もう着いたの?じゃあ、どんなお話があるのか、行ってくるわ」
楽しく読ませていただきました。
はんぺん食べたくなってきた。