「……」
「……」
昼食のメニューは、卵焼きと目刺しと霊夢お手製のぬか漬け。
「……」
「……」
霊夢は見た目の割りに、よく食べる。私もまあ、同じ年頃のオンナノコの中では健啖家な部類であろう。多分。
自信を持って言い切れないのは、周囲の人間も人間でないのも、大喰らいなのが大半を占めるからだ。
量を食わないのは吸血鬼姉妹と、気難しくて多弁な道具屋の主人――曲がりなりにも男である彼が食わない部類である辺りは、幻想郷の男女間における力の分布の偏りを示しているのかもしれない――くらいのものだ。
「……」
「……」
して、自称健啖家の私が箸も握らず、ただじっと白米を見つめるだけで居るのは。
「ご馳走様」
早々に食べ終えた霊夢はパチンと音を立てて手を合わせると、使った食器を台所へ運んでいく。
――たまにどうしようもなく、霊夢に負けることが悔しくてどうしようもなくなる事がある。
半刻ほど放っておいた髪の乱れを、手櫛で撫で付けて元に戻そうとする。
うまく直ってくれず、苛々が積る。
霊夢は戻ってこない。
くしゃくしゃと掻き上げて、やや力を入れて押さえつける。
霊夢は戻ってこない。
エプロンの端に小さなかぎ裂きが出来ていた。
霊夢は――
苛々は最高潮に達した。
縁側から境内に飛び出し、そのまま箒を駆って神社を離れる。
「情けないぜ」
自嘲の呟きは、風の音にかき消されて自分の耳にも入らなかった。
今までにも2度か3度、尋常じゃない悔しさに苛まれた事がある。
年端も行かない子供じゃあるまいし。
別に、霊夢に負けるのはこれが初めてというわけでもない。
半年の間、研究に研究を重ねて完成させたスペルをあっさり破られた事だってある。
今日の弾幕ごっこだって、いつもやっている通りだったのに。
自分の情けなさから、余計に悔しくなってくる。
苛立ち紛れに前方を睨み付けると、鮮やかな紅と緑の混じった影が、進路上に立ちふさがっていることに気付いた。
「止まりなさぁーーーーーーーーい!!!!!!!!」
いつの間にか、紅魔館の付近まで来ていたらしい。
「まあ立ち話もなんだから、詰め所にでも」
戦意を見せない私を、美鈴は門の脇にある煉瓦造りの小さな小屋へ案内した。
内装は、何故か和風。畳敷きの部屋に、座卓。
「冬は炬燵になるのよ。咲夜さんとお嬢様の趣向」
「あの二人までこんなところに来るのか?」
咲夜はともかく、過剰な豪華さを好むレミリアが望む場所には思えない。
「和風を強力にプッシュしたのはお嬢様。神社でヤミツキになったんだって」
「……」
神社という単語に、またモヤモヤとした気分が蘇る。
「…ふーん?」
「…なんだ」
コイツは気を操るという能力のせいか、妙に他人の変化に目ざとい。
「まぁ、好都合」
「あー?」
「うーふーふー」
こんなキャラだったか? コイツ。
眉間にシワを寄せて美鈴を眺めていると、小屋にノックの音が響いた。
「あー、目ざといなぁ」
美鈴はそう小声で呟くと、次はノックの主にも聞こえる大きさで「どうぞ」と続けた。
ドアが開く音と同時に、振り返るようにして肩越しに扉に向いていた私の顔が、無理矢理に前に向けられた。
急転する視界。唇に柔らかな感触。翻弄される三半規管。
コンマ数秒の意識の空白の後、ようやく美鈴にマウストゥマウスで口を塞がれている事に気付く。
「…んー! んんー!」
「あらら」
呆れた様な咲夜の声が背後から聞こえる。
というか、この馬鹿力。がっちりホールドされて…!
「魔理沙はもうちょいガード固いかと思ってたんだけど」
横合いから咲夜がニヤニヤしながら覗き込んでくる。
「ぷはっ!」
ようやく美鈴から解放されたかと思うと、くるりと反転させられて、今度は咲夜が顔を寄せてくる。
「いきなり何をするか」
迫る咲夜の顔を必死に押し返す。コイツも馬鹿力だ。
鍔迫り合いを繰り広げる私の耳元で、美鈴が囁く。
「他にして欲しい人でもいたのかしら?」
「――っ」
脳裏に浮かんだ顔。
自分がどうすればいいのかわかった気がしたけれど、わかった瞬間に触れた咲夜の唇の暖かさに、また忘れてしまった――
「…初めは咲夜さんとのちょっとした遊びだったんだけど。秘密基地ごっこというか…」
畳に寝転がる私の左腕を抱いた美鈴が言う。
念のため言っておくが、この小屋に来てから、服を脱いだりはしていない。一枚も。
「そのうちにオフィスラブごっことか仕事中の逢引ごっことか」
私の右腕を抱えた咲夜が続ける。
「許されぬ恋に落ちた上司と部下ごっことかに使うようになって」
「お嬢様公認よ。時々混ざって歳の離れた姉妹ごっことか」
「もういい、もういいぜ…」
小ぢんまりとした和室は今や、桃色の魔窟にしか見えなくなってしまった。
「洒落が通じる可愛いメイドが居たら、ちょっと引き込んで悪戯してみたりとかね。魔理沙も前から狙ってたのよ」
うふふふふ、と美鈴は笑って言う。本当に、こんなキャラだったっけ…?
「しかしまあ、借りてきた猫みたいになっちゃって。あの人形使いと何かあった?」
「それともウチのパチュリー様かしら」
「道具屋の店主にでも叱られた?」
「里の半獣にでも手を出して不死人に引っ掻かれちゃったかしら」
わかってて的外れなことを言って遊んでいる。紅魔館の連中は底意地が悪い。
「ま。どうでもいいわ」
「そーですねー。魔理沙は堪能しましたし」
「淋しくなったらいつでもいらっしゃいな。話の相手くらいしてあげる」
手をひらひら振りながら、咲夜は出て行った。美鈴も扉に手をかけたところで呼び止めた。
「今日、ここに泊まっても良いか?」
「は…? いいけど…寝具も食べ物も無いからね? 添い寝する相手も」
「全部要らないぜ」
さっき理解した何かを、見つけたかった。
ここに居れば、またわかる気がした。
「ウチに来る頻度が減ったわね」
お茶を飲みながら、霊夢がポツリと呟いた。
「…そうかもな」
5日ぶりの神社だった。2日と空けずに遊びに来ていた以前に比べれば、成程随分と減っているだろう。
神社で過ごしていた時間がそっくりそのまま、紅魔館の小屋で過ごす時間に入れ替わっている。
美鈴と、咲夜と、時にはレミリアと。あまりおおっぴらには言えないような爛れた日々だ。
いやまあキス止まりだけれども。
「……」
霊夢はそれきり何も言わず、湯飲みを卓袱台に置いて境内に出て行った。おそらく、掃除でもするのだろう。
(――紅魔館に行くか)
もはや何の為に行くのか自分でもわからないが、惰性のように気持ちはあの和室へ向いていた。
縁側に立てかけておいた箒を手に取り、外に出る。
矢張り霊夢は掃除をしていた。おいとまするぜ、と声をかけて、紅魔館の方角を向く。ちょうど、霊夢に背を向ける形になった。
「あなた、誰?」
「…は?」
「なんだかわからないけど、魔理沙が魔理沙じゃなくなった気がする――」
霊夢の言葉がリフレインする頭を畳に擦り付けて、ため息をひとつ。
「今日はまた随分とやさぐれてるわねぇ」
「仕方ありませんよお嬢様。魔理沙はオトナへの階段をのぼったのです」
「え? アノ日?」
「うるさいぜ。何で今日は3人居るんだ」
レミリア咲夜美鈴。狭い和室に女四人寄ってかしましく一人をいじる。
「今日で諦める頃合だと思って」
「何を?」
「わかるでしょ」
わかっていた。
「というわけで、お姉さんたちが哀れな魔理沙ちゃんを慰めてあげようと思ってね」
「外見幼女に言われても」
「トシは間違いなく上だからいいのよ」
言いながらレミリアはゆっくりと擦り寄ってきた。咲夜も、美鈴も。
拒否する気にも受容する気にもならないまま、暫く恋符は使いたくないと思った。
「……」
昼食のメニューは、卵焼きと目刺しと霊夢お手製のぬか漬け。
「……」
「……」
霊夢は見た目の割りに、よく食べる。私もまあ、同じ年頃のオンナノコの中では健啖家な部類であろう。多分。
自信を持って言い切れないのは、周囲の人間も人間でないのも、大喰らいなのが大半を占めるからだ。
量を食わないのは吸血鬼姉妹と、気難しくて多弁な道具屋の主人――曲がりなりにも男である彼が食わない部類である辺りは、幻想郷の男女間における力の分布の偏りを示しているのかもしれない――くらいのものだ。
「……」
「……」
して、自称健啖家の私が箸も握らず、ただじっと白米を見つめるだけで居るのは。
「ご馳走様」
早々に食べ終えた霊夢はパチンと音を立てて手を合わせると、使った食器を台所へ運んでいく。
――たまにどうしようもなく、霊夢に負けることが悔しくてどうしようもなくなる事がある。
半刻ほど放っておいた髪の乱れを、手櫛で撫で付けて元に戻そうとする。
うまく直ってくれず、苛々が積る。
霊夢は戻ってこない。
くしゃくしゃと掻き上げて、やや力を入れて押さえつける。
霊夢は戻ってこない。
エプロンの端に小さなかぎ裂きが出来ていた。
霊夢は――
苛々は最高潮に達した。
縁側から境内に飛び出し、そのまま箒を駆って神社を離れる。
「情けないぜ」
自嘲の呟きは、風の音にかき消されて自分の耳にも入らなかった。
今までにも2度か3度、尋常じゃない悔しさに苛まれた事がある。
年端も行かない子供じゃあるまいし。
別に、霊夢に負けるのはこれが初めてというわけでもない。
半年の間、研究に研究を重ねて完成させたスペルをあっさり破られた事だってある。
今日の弾幕ごっこだって、いつもやっている通りだったのに。
自分の情けなさから、余計に悔しくなってくる。
苛立ち紛れに前方を睨み付けると、鮮やかな紅と緑の混じった影が、進路上に立ちふさがっていることに気付いた。
「止まりなさぁーーーーーーーーい!!!!!!!!」
いつの間にか、紅魔館の付近まで来ていたらしい。
「まあ立ち話もなんだから、詰め所にでも」
戦意を見せない私を、美鈴は門の脇にある煉瓦造りの小さな小屋へ案内した。
内装は、何故か和風。畳敷きの部屋に、座卓。
「冬は炬燵になるのよ。咲夜さんとお嬢様の趣向」
「あの二人までこんなところに来るのか?」
咲夜はともかく、過剰な豪華さを好むレミリアが望む場所には思えない。
「和風を強力にプッシュしたのはお嬢様。神社でヤミツキになったんだって」
「……」
神社という単語に、またモヤモヤとした気分が蘇る。
「…ふーん?」
「…なんだ」
コイツは気を操るという能力のせいか、妙に他人の変化に目ざとい。
「まぁ、好都合」
「あー?」
「うーふーふー」
こんなキャラだったか? コイツ。
眉間にシワを寄せて美鈴を眺めていると、小屋にノックの音が響いた。
「あー、目ざといなぁ」
美鈴はそう小声で呟くと、次はノックの主にも聞こえる大きさで「どうぞ」と続けた。
ドアが開く音と同時に、振り返るようにして肩越しに扉に向いていた私の顔が、無理矢理に前に向けられた。
急転する視界。唇に柔らかな感触。翻弄される三半規管。
コンマ数秒の意識の空白の後、ようやく美鈴にマウストゥマウスで口を塞がれている事に気付く。
「…んー! んんー!」
「あらら」
呆れた様な咲夜の声が背後から聞こえる。
というか、この馬鹿力。がっちりホールドされて…!
「魔理沙はもうちょいガード固いかと思ってたんだけど」
横合いから咲夜がニヤニヤしながら覗き込んでくる。
「ぷはっ!」
ようやく美鈴から解放されたかと思うと、くるりと反転させられて、今度は咲夜が顔を寄せてくる。
「いきなり何をするか」
迫る咲夜の顔を必死に押し返す。コイツも馬鹿力だ。
鍔迫り合いを繰り広げる私の耳元で、美鈴が囁く。
「他にして欲しい人でもいたのかしら?」
「――っ」
脳裏に浮かんだ顔。
自分がどうすればいいのかわかった気がしたけれど、わかった瞬間に触れた咲夜の唇の暖かさに、また忘れてしまった――
「…初めは咲夜さんとのちょっとした遊びだったんだけど。秘密基地ごっこというか…」
畳に寝転がる私の左腕を抱いた美鈴が言う。
念のため言っておくが、この小屋に来てから、服を脱いだりはしていない。一枚も。
「そのうちにオフィスラブごっことか仕事中の逢引ごっことか」
私の右腕を抱えた咲夜が続ける。
「許されぬ恋に落ちた上司と部下ごっことかに使うようになって」
「お嬢様公認よ。時々混ざって歳の離れた姉妹ごっことか」
「もういい、もういいぜ…」
小ぢんまりとした和室は今や、桃色の魔窟にしか見えなくなってしまった。
「洒落が通じる可愛いメイドが居たら、ちょっと引き込んで悪戯してみたりとかね。魔理沙も前から狙ってたのよ」
うふふふふ、と美鈴は笑って言う。本当に、こんなキャラだったっけ…?
「しかしまあ、借りてきた猫みたいになっちゃって。あの人形使いと何かあった?」
「それともウチのパチュリー様かしら」
「道具屋の店主にでも叱られた?」
「里の半獣にでも手を出して不死人に引っ掻かれちゃったかしら」
わかってて的外れなことを言って遊んでいる。紅魔館の連中は底意地が悪い。
「ま。どうでもいいわ」
「そーですねー。魔理沙は堪能しましたし」
「淋しくなったらいつでもいらっしゃいな。話の相手くらいしてあげる」
手をひらひら振りながら、咲夜は出て行った。美鈴も扉に手をかけたところで呼び止めた。
「今日、ここに泊まっても良いか?」
「は…? いいけど…寝具も食べ物も無いからね? 添い寝する相手も」
「全部要らないぜ」
さっき理解した何かを、見つけたかった。
ここに居れば、またわかる気がした。
「ウチに来る頻度が減ったわね」
お茶を飲みながら、霊夢がポツリと呟いた。
「…そうかもな」
5日ぶりの神社だった。2日と空けずに遊びに来ていた以前に比べれば、成程随分と減っているだろう。
神社で過ごしていた時間がそっくりそのまま、紅魔館の小屋で過ごす時間に入れ替わっている。
美鈴と、咲夜と、時にはレミリアと。あまりおおっぴらには言えないような爛れた日々だ。
いやまあキス止まりだけれども。
「……」
霊夢はそれきり何も言わず、湯飲みを卓袱台に置いて境内に出て行った。おそらく、掃除でもするのだろう。
(――紅魔館に行くか)
もはや何の為に行くのか自分でもわからないが、惰性のように気持ちはあの和室へ向いていた。
縁側に立てかけておいた箒を手に取り、外に出る。
矢張り霊夢は掃除をしていた。おいとまするぜ、と声をかけて、紅魔館の方角を向く。ちょうど、霊夢に背を向ける形になった。
「あなた、誰?」
「…は?」
「なんだかわからないけど、魔理沙が魔理沙じゃなくなった気がする――」
霊夢の言葉がリフレインする頭を畳に擦り付けて、ため息をひとつ。
「今日はまた随分とやさぐれてるわねぇ」
「仕方ありませんよお嬢様。魔理沙はオトナへの階段をのぼったのです」
「え? アノ日?」
「うるさいぜ。何で今日は3人居るんだ」
レミリア咲夜美鈴。狭い和室に女四人寄ってかしましく一人をいじる。
「今日で諦める頃合だと思って」
「何を?」
「わかるでしょ」
わかっていた。
「というわけで、お姉さんたちが哀れな魔理沙ちゃんを慰めてあげようと思ってね」
「外見幼女に言われても」
「トシは間違いなく上だからいいのよ」
言いながらレミリアはゆっくりと擦り寄ってきた。咲夜も、美鈴も。
拒否する気にも受容する気にもならないまま、暫く恋符は使いたくないと思った。