Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

文霖。新聞 第8刊

2008/12/23 23:46:29
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※プチ創想話、作品集29、30、31に投稿した文霖。新聞の続きとなっています。





















 ――カァー、カァー

 「うぅ……ぅん……」

 家の周りを飛ぶ、カラス達の喧しい鳴き声で私は目が覚めた。あまり気持ちの良い目覚め方ではない。
 鴉天狗である私の命令に、彼等は決して逆らわないが、残念なことに『鳴くな』と言う命令は効果が無い。
 朝、彼らがけたたましく鳴くのは、カラスとしての本能のようなものだ。
 食べ物がある場所を絶対に忘れないように、本能を抑えることは出来ない。
 鳴くなと言いつけたところで、すぐに忘れてしまうだろう。
 まあ、今でこそ妖怪の身と言えど、私だって元はカラスである。身体に馴染む生活サイクルは彼らと同じだ。
 夜にたっぷり寝て、朝はすっきり目覚めるのが、精神の安定には一番良い。
 ちょっと五月蝿い目覚ましだと思って、我慢するしかないわね。

「ふぁ……」

 大きく欠伸を一つ。
 さて、どうやら記事の内容を考えている間に、疲れて机に伏して寝てしまったみたいだ。
 この数日、記事になりそうな出来事も起きず、ストックも尽きて少々困っている。
 こんな事態も、然程珍しい事じゃないのが少し悲しい。
 なぁに、見つからなければ、探し出せばいいだけの話だ。
 記事にもならない小さな事から、記事にもならない不可思議な出来事まで、全てこの文花帖とカメラに収める。
 それが取材の何より楽しいところなのだから。

 寝ぼけた身体に活を入れるため、すくりと立ち上がり、うんと身体と翼を伸ばす。

「んっ―――――」

 ぼやけた体の隅々にまで、意識が行き渡る。
 長年、人の型で過ごしていると、多かれ少なかれ人間の影響を受けるものだ。
 今でこそ慣れて、むしろこの姿の方が自然体だと感じるが、天狗に成り立ての頃の私にとってこの縦長の体は、重力の影響を大きく受けて、血の巡りが悪いように思えた。
 そこからついた習慣だが、私の一日は、起きてまず温泉に入る事で始まる。
 朝でも夜でも、いつでも好きな時間に暖かい温泉に入れるのは、火山の齎す最大の恩恵だ。
 箪笥から着替えを取り出し、浴場で服をぱっと脱ぎ捨て、まず体を洗う。
 念入りに羽根を繕い、大きく美しい翼は保つ事は、天狗としての沽券に関わる事なのでとりわけ大事だ。
 つま先からゆっくりと風呂の中へと入って行く。肩までしっかりつかると、全身に血液が回った感じがして気持ちが良い。

「うーん、生き返るぅ……」

 実際に生き返った経験はないけどね。
 冥界から帰って来た時も、こんな気分にはならなかった。

 ところで、人間の諺に「カラスの行水」と言うものがある。
 入浴時間が短いという意味だが、『不衛生』だというニュアンスを含んでいるのが、私は気に食わない。
 とってもシツレイな誤解である。
 むしろ、鴉ほど頻繁に水浴びし、こまめに身を清める獣のほうが圧倒的に少ない。(そのためか、鴉天狗もお風呂が大好きだ)
 風呂嫌いと言う点では、白狼天狗達の方がよっぽどなのに!
 将棋に熱を上げるあまり、三日三晩、あるいはそれ以上、風呂にも入らず打ち続けてる事だってあるのだから堪らない。
 とにかく、この『カラスの行水問題』に関しては、いつか『文々。新聞』で特集を組んで取り上げ、人間達に啓蒙していく必要があるだろう。
 でも、まず、読んでくれる人を増やさなきゃ、効果が無いのよね……。

 そんな事を考えながら、風呂から上がった私は、言葉通り濡羽根色になった髪に頭襟を被せ、いつもの動きやすい服装にさっと着替える。
 鏡を見ながら、キュッとリボンを整え、取材の三大道具、文花帖、カメラ(フィルムも)、葉団扇を持てば準備は万端。
 かすかに残った水気は、空を翔るうちに風が乾かしてくれるでしょう。

 さてと、今日はどこから周りましょうか?






 文霖。新聞 第8刊







 ――ミーンミンミンミンミー……

 真昼の香霖堂。魔法の森から、途切れる事なくミンミン蝉の鳴き声が聴こえてくる。
 今年の夏は暑い――。先週、香霖堂に着た霊夢と魔理沙は声を揃えて、僕にそう言った。
 夏が暑いのは当たり前なのに、まるでその年だけが特別であるような言い回しで、毎年同じ事を言う。
 それは彼女らに限った話ではない。人里に住む多くの人間もそうであった。
 勿論、特別な年が続く事など、そう多い筈が無い。これは人間の記憶の巡りが早いがために起こる矛盾なのだ。
 人間は妖怪よりも前日の事なら詳しく覚えているが、それが月、年と単位が大きくなるにつれ、段々と曖昧になってしまう。
 余程印象的な出来事でない限り、長く記憶に留めておく事は無いのだ。
 夏が暑いのも当然の事であって、強く印象に残るような出来事では無い。
 そのため、比較対象が曖昧になってしまい、毎年同じ事を口にする。
 一方、妖怪にとっての昨年は、比較対象がはっきりしているので、本当に暑い年でない限り『今年』と強調して言うことは無い。
 
 そして、今年の夏は確かに暑かった。
 だが、それは体感と言った主観的で曖昧なものでなく、僕が毎日書き留めている『歴史書』に記した気温の記録によって、読み取る事の出来る客観的事実だ。
 調べてみると、先月の平均気温は昨年や一昨年の記録と比べ、平均で摂氏にして二度ほど高い。
 適切な単位と道具を用いれば、曖昧な記憶と体感でしか語れなかった出来事を、妖怪、人間、双方が共通の物差しで語る事が出来るのだ
 これこそが僕の書く『客観的な歴史書』のメリットである。

 ――カランカラン

「毎度お馴染み射命丸文です。いやー、今年は暑いですね……」
「ああ、いらっしゃい」

 入るなり、腕でぐいっと額の汗を拭って、愛用の葉団扇を大きく扇ぎながら、文が店にやって来た。
 彼女から「今年は暑い」と言う台詞を聞いたのは、多分、今年で五回目くらいである。
 『歴史書』にも、流石にそんなどうでも良い事までは記録していない。
 麓と天狗の住処である山では、標高差によりかなりの温度差がある。
 そのせいもあって、余計に暑く感じるのだろう。

「……いつも思うんですが。貴方、よくそんな暑苦しい格好で涼しい顔していられますね」
「君こそ、冬でもそんな涼しそうな格好じゃないか」
「私はこの格好が一番動きやすいから良いんです」
「僕もこの格好が一番便利が良くてね。それに一応、夏用の生地だよ」
「はぁ、そうですか」

 文はまるで僕だけが可笑しいとばかりに、呆れた口調で言う。
 季節感が足りないのはお互い様だろうに。
 ともあれ、暑がりな彼女が吹かせる風のおかげで、店に篭った熱気と湿気が和らぐのは有難い。

「ここに来る前に、神社にも立ち寄ってきたんですけどね。巫女も暑そうにしてたわ」
「暑い暑いなんて言いながら、縁側で熱いお茶でも啜っていたんだろう?」
「そうそう、一人で我慢大会してるのよ、あの巫女は。でも、それを言ったら、どうしてこんなに暑いのよ! あんたのせい?! なんて言い始めて」

 眼前にその情景がありありと浮かぶようだ。
 霊夢としては、目の前にいるのなら誰が相手でも良かったのだろう。

「で、どっちが勝ったんだい?」
「私の完勝です。暑さですっかり弱っていて、全く相手になりませんでした」

 文は少し残念そうな口調で言った。
 勝ったところで自慢にもならない、それほど霊夢の調子が悪かったと言うことだ。
 夏が暑いのは異変でも何でもないのだから、博麗の巫女にだってどうする事も出来ない。
 霊夢としても、文の風に当たれば少しは涼しくなるとでも思って、適当に戦ったのではないだろうか。(痛いだけだと思うが)

 ふぅ、と、一つ息を吐く。座っているだけで、額からじわりと汗が出てくる。
 香霖堂は、魔法の森の前に建っているだけあって湿度が高く、熱が篭りやすい。
 窓の外を見ると、地面は真夏の日差しによりとても明るく輝いて見えた。
 これでは吸血鬼でなくとも、日光を避けて過ごしたくなるだろう。
 こんな日差しの強い日は、家の中でじっと本でも読んだり、進まない原稿でも書いたりしているのが良い。
 とにかく、暑さが早く過ぎ去ってくれるのを待つだけだ。

「ところで、原稿は進んでますか?」
「いいや、僕も調子が出なくてね……。書きたいネタはあるんだが、資料不足と、この猛暑のお陰でどうにもいけない」
「まぁ、焦らずやってください。私も今月はあんまり記事が出せそうにないですから。あ、そうそう、先月のコラムですが、霧雨道具店のご主人が面白いって褒めてましたよ」
「霧雨の親父さんが?」

 今の今まで、霧雨の親父さんが文々。新聞を読んでいただなんて知らなかった。
 僕はハッと驚き、思わず文に聞き返す。
 
「いつもは使用人の方が代わりに受け取るんですが、この前はたまたま外にいらしたので」
「そうか……」

 時たま文から伝えられる、面白い、興味が湧いたと言う感想を、僕は素直に嬉しいと感じる。
 それが恩人の言葉だと、一際嬉しくもあり、同時にこそばゆくもある。
 どこで知ったのか定かではないが、文は、僕にとって霧雨道具店が、特別な場所である事を見抜いているようだった。
 僕のやる気を出させるために、親父さんの名前を出したのならば、文に上手く手綱を握られているような感じがして、些か居心地が悪い。
 しかし、親父さんが『文々。新聞』を購読しているのは、決して僕のコラムを読むためではないだろう。
 理由など一つしかない。考えてみれば、購読しているのも当然の話なのだ。
 その手先の器用さに反比例して、なんと不器用な親子だろう。僕は心の中で大きくため息を吐く。

「で、書きたいネタってなんです? 資料が必要なら探しましょうか?」
「あんまり暑いものだから、ちょっと涼しげなモノを思い出したんだ。でもそいつは生憎幻想郷には無くてね。君なら見たことがあるだろうけど」
「えーと、ヒントは?」
「とても大きい」
「うーん……。それは生き物ですか?」
「ノーヒントだ。一発で当てられてもつまらないからな」
「ケチ」

 いつの間にか、文は文花帖と愛用の万年筆を手に持っていた。
 その万年筆を指の上でくるくると器用に回転させながら、右上にちらりと一度視線を向けて、それからうーんと唸って考え込む。

「海?」
「そう海だ。つまらないと釘を刺したのに、一発で当ててくれるのは困るね」
「まぁ、何となく貴方の考えそうな事ですから」

 思考を読まれたのは何となく癪だが、頭の良い彼女の事だから、最初のヒントを与えた時点で、すぐに答えは浮かんでいたのかもしれない。
 例えそうでなくても、そうであったかのように思えてくる、得体の知れなさが文にはある。
 コラムを書くようになる前から、なった後もその印象は変わらない。

「君は海に行った事があるのか?」
「それは勿論。まだ大結界が出来る以前の話ですけど、まぁ、山のない風景は殺風景ですよね」
「そうかな?」

 不満と言う訳でないが、やけにさっぱりした感想だと思った。
 生まれつき、空を飛べる生き物だからだろうか。
 幼い頃、初めて海を目にした時の衝撃を、僕は生涯忘れる事は無い。
 世界が広がる感覚とは、あの時の衝撃の事を言うのだろう。
 視界の端から端までを一切青く染める海水。不思議な懐かしさを感じさせる潮の香り。
 地球という概念を知らないうちは、あの水平線こそが世界の果てだと、考えていたものだ。

「海ねぇ……。うーん、それほど資料が少ない物では無いと思うんですが」
「僕が書きたいのは、外の世界の海じゃない。『幻想の海』の話だ」
「幻想の海ですって? 意味が判りません。さっき自分でも無いって言ったじゃないですか。ありませんよ、そんなもの」

 文は、何か悪いものでも食べたんじゃないかと言いたげな顔で僕を見る。
 それも無理は無い。むしろ幻想郷では常識的な反応だろう。
 この山奥にある、狭い幻想郷の一体どこに海があるのだという話だ。

「まぁ、そう言うと思ったが、とりあえず聞いて欲しい」
「はぁ」
「君に改めて言う程のことではないが、この幻想郷には外の世界で幻想になったものが入ってくる」

 と、前置きをして僕は話を続ける。

「それで考えたんだ。海に関する幻想は、一体どこへ行ったのだろうと」
「ふむふむ?」

 そう言えばと言った感じで、文はまたペンを廻し始める。

「考えれば考えるほど、幻想郷に海が無いなんて不思議な話なんだ。古来から、人間にとって幻想の地といえば『山』と『海』だと言うのに、この幻想郷には山しかない」
「山は私達を見守ってくださる、親のような存在ですから」

 高ければ高いほど、その姿が雄大であるほどに、山は数多の人々の目を引き、多くの幻想を生み出してきた。
 人間だけではない。妖怪、八百万の神をも引き付ける不思議な魅力を山は持っている。
 山自体が信仰の対象となり、神として扱われる事も得てして少なくない。
 人間や妖怪から、幅広く信仰を蒐めた山は、火を噴いて己の力を誇示したり、秋には錦色の服を、冬には雪化粧をしてその美しい山並みを披露する。
 幻想郷のどこからでも見る事ができ、文を始めとする天狗達や、多くの神々が住む妖怪の山も、そんな力を持つ神山の一つだ。

「海も山と同じく、あるいはそれ以上に多くの幻想を生み出してきたものだ。それら海の幻想が一つも入って来ないなんて、不自然だと思わないかい?」
「言わんとしている事は理解できるのですが……。それで、どこに行ってると思います?」
「……ああ、そこが資料不足なんだ」
「それではやはりコラムになりません。私だって幻想郷の海に関する噂や、資料なんて見た事も聞いた事もないですから」

 文はため息を吐き、やや残念そうな顔でそう言った。

「そうだな……」

 文は恐らく、僕よりも長い歳月を幻想郷で過ごしており、職業柄、幻想郷のありとあらゆる地域を自分の目で見て来ている。
 その彼女にも見当がつかないとなると、僕もそれ以上、仮説を発展させる事が出来ない。

「玄雲海と呼ばれる、雨雲の塊ならあるんですけどね。でも、あれは貴方や私が思い起こす海とは違う」
「月には海があったと、昨年、魔理沙と霊夢が言ってたな。だが、月の海には生物も妖怪も、潮の香りも無いらしい」
「それじゃあ、ただの大きな水溜りじゃないの……」

 身も蓋も無い言い様だが、その通りである。
 海は地上以上に豊かな生命の宝庫だからこそ、『産み』なのだ。生き物のない海など、水溜り以上の何者でもない。
 結局のところ、口に出して考えても思い当たる場所は無かった。
 その間もミンミン蝉は、会話の合間の沈黙を埋めるように、大きな声で鳴き続けている。
 その声が、余計に夏を印象付け、暑さを一割増しするようだ。

「あー。それにしても、暑いですねぇ……」
「そうだ、そう言えば、井戸で西瓜を冷やしていたんだ。食べるかい?」
「冷えた西瓜ですって? 食べます食べます!」

 文は夏のご馳走だと言って、四半分は嬉しそうに頬張った後、再びネタ探しへと戻っていった。
 最近は『香霖堂』ならぬ『食堂』のように使われているような気がしてならない。

 さて、西瓜を美味しく食べるには、ほんの一つまみに満たない量の塩をかけるのが良いが、その塩も元々は海から取れたものだ。
 僕の買っている塩の包装には、『伯方の塩』という文字が印字されており、元々は外の世界の商品であった事が判る。
 人里に行けば誰でも簡単に手に入れられるものだが、この塩がどこから供給されているのかは謎である。
 尤も、少し考えてみれば解る事だが、そんな事が出来る者など、この幻想郷に一人しかいない。
 僕にもストーブの燃料を提供してくれている、あの妖怪、八雲紫が里に塩を提供しているのだろう。
 塩は、人間の生活にとって欠かすことの出来ない必需品の一つなのだから。
 そして、彼女なら恐らく、僕の抱いた疑問、『幻想の海』の場所の答えも知っている筈である。
 だが、安易に答えだけを求めて、人から見聞きした事をそのまま飲み込んでも、それは自分を高める事にはならない。
 知識というものは、自分で考えて、自分の論を持って初めて身につくからだ。これは僕の持論である。
 そもそも、あの妖怪の言うことは、何もかもが胡散臭くて、とても全部信じる気にはなれないがね。

 結局、他にやる事もなく、日がな一日、その事ばかりを考えて過ごしてしまった。
 いや、考えていたというよりは、どこかで望んでいたと言った方が正しいのかもしれない。

「地底にだって太陽が隠れており、月にだって高度な文明があったのだ。狭い幻想郷のどこかに、広い海が隠れていたら面白いじゃないか」

 その日、僕は寝床に入っても、まだそんな子供が描いたような空想に思いを馳せていた。









 ああ、香霖堂の井戸の釣瓶が降りていたのを見つけて、本当に良かった――。
 もしも私が気付かなかったら、あの店主は閻魔様の裁きを受ける際、『冷えた西瓜を独り占めした罪』を咎められたに違い無いでしょう。
 夏の風物詩と言えば、冷えた西瓜であると私は思う。
 暑ければ暑いほどに、あの甘さ、冷たさが愛しく思えてくる。
 同じ瓜の名を冠していても、あの青臭い胡瓜とは似ても似つかない。河童達はどうしてあんなに胡瓜が好きなのだろう。
 とにかく、甘くて美味しいものは、精神の安定に欠かすことが出来ないものだ。
 私は幸せ一杯な気分に浸りながら香霖堂を後にした。

「それにしても、『幻想の海』ですか……」

 そんな可笑しな話を大真面目に語れるあたりが、あの店主の良いところでもあり、悪いところでもある。
 言われてみれば確かに、海の幻想はどこへ消えてしまったのかと言う疑問は浮かぶが、あれでコラムを書いても『空想の海』にしかならないだろう。
 私はふと、今では天狗の誰もが忘れてしまっているであろう、報道部隊の訓示を思い出した。

「我々天狗は、幻想郷をずっと見守っている。我々天狗程、幻想郷を見てきた者も居ない。我々天狗程、幻想郷に詳しい者も居ない」

 私はそうあろうと努力し、周りにもそうであるかのように振舞ってはいるが、それでも解らない事は、妖怪の山ほどもある。
 この山奥の田舎に海が隠れているだなんて、冗談にしても道理の無い話だが、この素敵な幻想郷ならばあるいは――と、思わない訳では無い。
 だが、それを加味しても、やはり新聞に載せるコラムとするには相応しくないだろう。
 私の記事と違い、彼のコラムに求められているのは真実では無いが、せめて『予想の海』以上であって欲しいのだ。
 私がどうこう言わずとも、そうすると思うが、今回は別の題材を取り上げてもらおう。
 気分転換にまた、河童の里にでも連れて行ってあげるのも良いかもしれないわね。

 ――さて、題材が無いのは私も同じである。コラムが出来ても、記事が出来なければ発行は出来ない。
 文々。新聞は不定期発行とは言え、目標は月三回以上、出来れば五回以上だ。
 しかし、今月の発行間隔では目標を下回る、月二回のペースにしかならない。
 報道部隊から、何かペナルティが下るわけでは無いが、回数が少なければ、購読者の満足度が下がってしまうだろう。
 そうなれば、新聞大会での優勝など、夢のまた夢になってしまう。

「……うーん、でもどうしても書くネタが無い時は。さっきの西瓜の事でも書くしかないのかしら」

 海の事なんか考えていたせいだろうか。
 いや、単に暑いからだろう。私の翼は気が付くと、紅魔湖の方へと向かっていた。
 山の麓にあるあの湖の霧は、夏でも晴れる事がなく、日光を程よく遮ってくれるので、麓の妖怪達には避暑地として人気が高い。
 湖の畔で、サボタージュの泰斗として高名な死神が、涅槃仏のような格好で寝入った姿を私も何度か目撃している。(あの死神はどこで見てもそうだけど)
 『湖の畔で休む妖怪達』なんて見出しの記事も、つまらないが、西瓜を記事にするよりはマシかもしれない。
 畔に降り立った私は、霧を飛ばしてしまわないよう纏った風をそよ風に変え、しゃがみ込んで手を水に差し入れる。
 冷たくて気持ちが良い。

「……私もちょっとだけ休んでいきますか」

 取材するにしても、もう少し陽が傾いた後でも良いだろう。
 一旦、家に帰ろうと思えばすぐにでも帰れるが、小一時間ほど、ここで羽を伸ばすのも悪くない。
 足をつけたらもっと気持ちが良いだろうと、私は椅子代わりに作った立風露に腰を掛け、高下駄と靴下を脱ぎ、踵をゆっくりと湖に沈める。

「冷たっ……」

 足の先にじぃんと冷気が伝わり、何とも言えずこそばゆい感覚が足から全身へと広がる。
 私は、はぁ、と深く息を吐き。そっと目を瞑る。
 足先から伝わる水の冷たさも、微かに匂う霧の臭いも、霧のせいかぼやけた蝉の鳴き声にも、心が安らぐ。
 死神がサボりたくなる気持ちも、何だか判ってしまった。

「あら?」

 十分程もそうしていただろうか。急に周りの気温が下がるのを感じた。
 風向きの変化では無い。不自然に強い冷気が近づいて来ている。
 ああ、そう言えば、この湖にはあの子がいるのだった。

「あー! 天狗の記者じゃないの!」
「五月蝿いわね、そんな大声出さなくたって聞こえますよ」

 やたらと元気の良い声が、私の耳に響く。
 声の主は、氷を使う妖精チルノ。
 相手が天狗と判っていても、ちょっかいを出しに来る、怖い物知らずのお転婆妖精だ。
 尤も、天狗は妖精の悪戯にかかったくらいで、無闇に怒ったりなんかしない。
 妖精なんかにムキになるのは、器の小さい証拠だからだ。

「こんな日に何しに来たのさ。昼寝? あんたもサボりなのね」

 アレみたいに、と言ってチルノは畔の木を指差す。
 気付かなかったが、よく見ると、深い赤の髪が木の幹からはみ出して見えた。
 ああ、あの髪は……。件のサボタージュの泰斗ね。

「失礼な。アレと一緒にしないでください。私はこう見えてもちゃんと仕事中なのです」
「ふーん」

 チルノはそんな事どうでも良いやといった感じで、私の言葉を聞き流す。

「ところでさ、あたい達、向こうで何か凄い事してるのよ」
「へぇ、そうですか」
「そうですかって……。それだけ? もっと訊いたり、記事にしたりしないの?」
「凄い事って、何です?」
「うーん、実はあたいもよく判らないんだけど……」
「それでは記事になりません」
「ケチ、せめて見てくれたっていいじゃないの。凄いものが見られるかもしれないわよ!」
「あー、はいはい、仕方ありませんね」

 確か――。あれは四年ほど前の事だったかしら。
 大蝦蟇にぱくりと食われた間抜けな姿を、私が新聞で取り上げた事に、この子が逆恨みしたのが発端だったと思う。
 それ以来、この子は私をギャフンと言わせるような、何か大きな事を成し遂げ、新聞のトップを飾る事を目標にしているらしい。
 勿論、やる事なす事妖精レベルで、とても記事には取り上げられないが、時折、その健気な姿にくすりと笑みがこぼれる程には面白い妖精だ。
 さあ、どうせ他にアテも無いわけだし、この子のお遊びにでも付き合ってやる事にしますか。
 魔理沙にせよ、椛にせよ、この子にせよ、私もよくよく面倒見の良い天狗だと思う。



 チルノに案内されてやってきた湖の反対側、紅魔館側の畔に妖精たちが集まっていた。
 見ると、湖の妖精達だけではない、メイド服を着た紅魔館のメイド妖精達もいる。
 竹筒を咥えて湖に潜ったり、一生懸命砂をすくったりと、一体何をやってるのだろう。

「何をしてるんですか?」

 畔にさっと降り立ち、チルノより話が通じそうな、メイド妖精の一人に声をかける。

「あっ! ええと……宝探しです!」
「宝探し?」

 メイド妖精はやや緊張した面持ちで、ハキハキと答える。
 やや私の好奇心をそそる単語が聞こえてきた。私はペンと文花帖を取り出し、メモをとり始める。

「ちょっとー! あたいを置いてかないでよー!」
「宝って言うと……ファラオの遺産とか、徳川埋蔵金とかの話ですか?」
「いえ、どんなものなのかは……。私達もよく判っていないのですが」
「よく判ってない?」
「はい、紅魔館のメイド達の間で広がっている噂なんです。湖の底に何か凄いものがあるって」
「成る程ねぇ……」

 それで湖の妖精を交えて、宝探しを楽しんでいるという訳だろうか。
 妖精たちはキャッキャッと声をあげてはしゃぎながら、タニシやサワガニなんかを湖底から拾っては、見せ合いっこしている。
 どう見ても、凄いものには見えない。
 ああ、すっかり忘れていたが、チルノは何故か私の横でしょんぼりとしていた。

「どうして貴方は入らないんですか?」
「だって、あたいが入ったら湖が凍っちゃうんだもん……」

 だから暇になって、湖の反対側まで、ふらふらと飛んで来たのだろうか。
 そう考えると、この氷の妖精が少し可愛そうにも思えてくる。
 この子は妖精としては少々強すぎる冷気を持っているが、コントロールも上手く出来ていないようなのだ。

「あー、いや……。そうじゃなくて、あたいは現場監督ってヤツなのよ。こうやって畔に立ってサボってるヤツがいないか見ているの!」
「現場監督のクセに、現場を離れちゃ駄目じゃないですか」
「あー、うん……。そうかもしれないわね。で、記事にするの? しないの?」
「出来ません。貴方達は何にも見つけていませんから」
「だから、それはこれから見つけるんだってば!」
「じゃあ、見つけた時に呼んでください」
「ふんだ! 判ったわよ、絶対何か見つけてやるんだからね! 後で吼えづ――うわっぷ!」

 熱くなっているチルノに、突然、横から水が飛んできた。
 チルノにかかった水は瞬時に凍り、その顔に張り付いている。
 犯人と思われる緑髪の妖精は、氷を取ろうともがくチルノを見て、クスクスと笑っている。

「むきー! よくも、やってくれたわねー!」
「ほら、チルノちゃん、こっちこっち!」
「こらー! 待てー!」

 チルノは私の事など忘れて、緑髪の妖精を追って霧の中へと消えていった。

「あらあら、現場監督失格ですね」

 妖精同士の何とも微笑ましい友情に、思わず優しい気持ちにさせられるが、これも記事にはなるようなネタでは無いわね。
 宝の噂も、その発生源が紅魔館にあると言うのは少々気になるが、なにぶん妖精の噂なので信憑性は薄いだろう。
 結局、湖にいても何一つ得られるネタも無く、その後に周った先でのネタ探しも、全て空振りに終わる事となった。



 陽が暮れて、家に戻った私は、また温泉に浸かり、真夜中までゆっくりと休む事にする。
 昼間が不発なら、夜にもう一度取材に出るしかない。

「あーあ……。ついてないなぁ……」

 ため息を吐くと、どっと疲れも溢れてくる。
 何だかんだで、場つなぎの記事は書きたくない。
 そんな事を続けていたら、いつかコラムと記事の立場が逆転しまうだろう。
 風呂から上がった私は、景気付けに酒を軽く一升飲み干し、暇なので九天滝の裏に遊びに行く事にした。
 今の時間は、確か椛も休憩時間の筈である。
 二十四時間休憩時間のようなものだけど。



「椛、いるー?」

 洞窟の入り口から、中に向かって呼びかける。この洞窟は、椛の仕事場兼寝ぐらでもあるのだ。
 夏は陽の光が入らずに涼しく、冬は暖気が逃げずに暖かく、見かけの割りに案外と居心地が良い。
 しかし、一軒家と違って備え付けの温泉が無く、白狼天狗の風呂嫌いを悪化させる要因の一つにもなっている。

「文様ですかー? 今晩はー!」
「遊びに来たわよー」

 蛍魂灯の淡い光が漏れる洞窟の奥から、元気の良い声が響いて来る。
 中に入ると、既に先客が訪れていたようだ。

「あら、にとりもいたのね。どう調子は?」
「ふふん、私の優勢かな」

 自慢げに、ふんぞりかえってにとりが言う。
 今日も相変わらず、二人は大将棋に興じていたようだ。
 加えて、にとりは傍らにエアコンを置いていた。
 香霖堂でエアコンを手に入れて以来、ずっと研究を続けているみたいだが、椛の家にまで持ち込むとはね。
 椛が長考している間に、ちょこちょこと手をつけているようだった。

「文様、今日の取材はどうでしたか?」

 椛が無邪気な顔で私に問う。この子は私の事を姉や師のように慕ってくれるが、時にその笑顔が重い。

「記事に出来そうな事なんて、なーんにもありませんでした」

 少しいじけたような口調で、椛に愚痴をぶつける。

「……あ、すいません」
「別に謝らなくていいのよ、だから気晴らしに来たんだから」
「私らは山に住んでてよかったね。麓は暑そうだ」
「そうねぇ……。人間も妖怪も、それに妖精も暑そうにしてたわ」

 そう言えば、メイド妖精たちが湖底に眠る宝について噂をしていたのを思い出す。
 信憑性の薄い話だが、どうしたことか頭の片隅に引っかかって離れない。
 湖の事は、水の専門家にでも訊いて見る事にしよう。
 知らなければ、この話はそれでお仕舞いというだけの話だ。

「ねぇ、にとり。麓の湖の底に凄いモノが眠ってる、なんて噂聞いた事あるかしら?」
「あの湖の底? ああ、聞いた事あるよ」
「へぇ?」

 『聴いた事がある』。返ってきたのは意外な答えだった。

「あの湖、私達河童の間ではいい話を聞かないんだ。何か色々とおかしいんだよー。霧もそうだけど」
「ちょっと詳しく聞かせてもらえます?」
「まず、湖の深さすらも判らないんだ。あの規模の湖にしては水深が深すぎる。私達河童は、泳ぐのは得意だけど、潜るのは得意じゃなくてね。
 底の方から、何か唸り声のような恐ろしい声が聞こえたって話もあって、誰も調べようとしない」
「ふむ」

 河童達の臆病さは私も良く知るところだ。
 ちょっとでも危ない、危険だという噂がある場所には決して近づこうとしない。
 彼等が盟友と呼ぶ人間にすら、びくびくして逃げ出してしまうのだ。
 そのくせ、危険な薬品、爆発物の取り扱いには微塵も躊躇しないと言う、相反する一面も持ち合わせているのが不思議なところでもある。

「あの霧の発生原因だって解明出来ないし、外から見ればあんなに小さいのに、湖面を飛んでいたら迷ったり、面積ですら定かじゃないんだ。まるで妖怪湖だよ。
 私ならあんなおかしな湖で泳いだりしたくないね。ぞっとする」
「別に湖は襲って来たりしないわ」
「……それもどうかなぁ。それで、一説によると、湖の底に隠された何かとてつもないモノが、影響を及ぼしてるんじゃないかって話なんだよ」
「一説もって言うか……。それって要するに何も判らないですって事よね?」
「まぁ、そう言う事。……って文、もしかして調べる気なの?」
「いいえ? 単に興味が湧いただけです」
「そう。ならいいんだけど……。止めといたほうが良いと思うよ、私は」

 実のところ、少しワクワクとして来たことを否定できない。
 そんな不思議な湖であるならば、何も無い訳がない。

 ――『湖底に眠る謎に、文々。新聞が迫る!』

 なんとも読者の好奇心を刺激する企画では無いだろうか。
 これはもしかして、もしかすると、部数増大のチャンスに繋がるかもしれない。



 椛とにとりと、軽い飲み会を済ませた後、私は深夜の取材を取り止めて、ぐっすりと眠る事にした。
 明日は、人里へいって湖の情報を漁ってこようと思う。
 そういう類の情報であれば、私達、天狗以上のエキスパートが人里にはいるのだ。





(9刊に続く)
ご無沙汰しておりました。
プロットが出来上がっていたのに、中々続きを書けずにいて申し訳ありません。
前編(コレ)、後編(9話)の二本仕立てとなっています。
なのに、現実の都合により後編の投下がまた遅くなってしまいそうで申し訳有りません。
ああ!

感想、酷評、誤字脱字指摘、緋想天のお相手(ちょっと苦しい)、何でもお待ちしています。

12/26
先ほど、過去作品(4刊)にコメントがついていたのを発見しました。

18. 名前が無い程度の能力 ■2008/12/18 12:30:39
あとがきの甘いの、がリンク切れて見れなくなってるので出来れば再度貼ってもらえるとうれしいな

ttp://merupo.orz.hm/ko_rindo/upload/data/poki_0040.txt

コレになります。人生初のSSって事で色々と拙いです。
霖之助スレの旗折職人のうぷろだを利用させていただいてます。管理人さんに感謝!
千と二五五
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
いいなぁ。とても「らしい」文と霖之助が好印象です。
9刊も期待しています。
2.名前が無い程度の能力削除
待ってましたよww
この新聞をww
しかし、確かに幻想になった海もありそうですけどね・・・
海にも神様はいるわけですし、それこそ海に関連する伝説や伝承は多々あるんですよね。
海問題どう決着がつくのか9刊期待してます。
3.久我削除
新作だ~♪
最近、1から読んでいって大ファンになりました~。
この雰囲気が大好きです!

>――さて、題材が無いのは私も同じである。コラムが出来ても、記事が出来なければ発酵は出来ない。

誤字を発見しましたので、報告します。
新聞が腐っちゃうw
4.名前が無い程度の能力削除
おおお、新作が来ている。
久しぶりに見れてうれしいです。
続編を楽しみにしています。
5.名前が無い程度の能力削除
ほのぼのして良い感じですね

>伯方の塩
ちょww
6.名前が無い程度の能力削除
お、これは続きが気になる…香霖堂発売を待つ我々にとってこれくらいの期間など三途の川の渡り時間にも及びません。
自然な描き方が何より素晴らしいの一言です。
7.名前が無い程度の能力削除
お、新作愉しませていただきました。確かに幻想の海は何処へ消えた
8.名前が無い程度の能力削除
海の妖怪とかもいますしね、どこにあるんでしょうか
9.千と二五五削除
毎回沢山ご感想が頂けて有難いです。
なるべく早く続きを書きたいところですが、1月~2月になってしまいそうです

>1さん
文の一人称を考えるのは、東方香霖堂と言う資料が豊富な霖之助よりも難しく感じました。

>2さん
待っててくださってありがとう御座います。気が付けば1ヶ月、2ヶ月と時間が過ぎ今頃になって……。
なんとなく次回作は海じゃないかなぁと予想して、幻想郷の住人が海について考えたらこうなるのではという話を考えて書いてみました。
前編なので多く語れませんが、白黒はっきりはつけないかもしれません。

>3の久我さん
おお、初めまして! 私こそ貴方のファンで御座います。
先ほど貴方の新作の投下を確認したので、これから読もうと思っていたところでした。

ご指摘の誤字、読んで直ぐに直させていただきました。
今見直すと、書き込みされてから1分35秒とか、リロードしすぎだろう、私。

>4さん
本当、時間をかけてしまって申し訳有りません。
ああ、某作家さんのような速筆が欲しい……。

>5さん
あー。思わず商品名書いちゃったけど……伏字にした方が良かったかな?
霖之助なら、絵柄とか書体が面白いなどの理由で塩を選びそうな気がして伯方の塩を採用しました。

>6さん
>香霖堂発売
今年の終わりまであと六日ある、諦めちゃいけない……!
初回の方の何本かを入手できていなくて、私も速く欲しい……!

>7さん、8さん
関係ないけど、深海調査のドキュメンタリー番組などを見ると、妖怪よりも妖怪っぽい生き物が現れたりと
面白いですよね。
10.名前が無い程度の能力削除
待ってました
製本して出して欲しいくらい大好きです
原作の世界観を壊さず、色んな登場人物がチョコチョコ顔を出してくれる、
あー楽しい
次回も楽しみにしています