何しろ酔っぱらいながらの手術は始めてだ。
さしもの永琳、汗をかく。
「ウドンゲ、汗」
「はい」
この若者が運び込まれてきたのが10分前のこと。
竹林付近の村の衆に担ぎ込まれて来た時には既に呼吸が停止しており、明らかに心臓発作の症状を起こしていた。
ウドンゲと酒盛りの真っ最中だったため追い返そうかと思ったが、見殺しにするのも良心が咎めるのでそのまま座敷に運び込ませた。
患者の友達だろうか、真っ黒に日焼けしたいかにも純朴そうな若者たち5人は、襖一枚隔てた廊下の向こうで待機している。
てゐが付き添っているらしい。
ウドンゲと永琳、そして半死半生の患者の3人のみが入った6畳間には、宴会の痕跡が所々に見受けられ酒瓶、半分酒の残ったコップ、裂きイカ、握り飯、ローストビーフ、取り皿。
永琳は頭を抱えた。
「どうするんですか、師匠。酔っぱらったままで手術なんて」
ウドンゲの声はいつになくハイテンションで、相当酒が回っているらしい。
永琳はウドンゲの上唇をつまみ上げた。
「黙れ。廊下に聞こえたらどうふる。いいか。二度と私が酔っぱらっているなろと言うな」
何がおかしいのか、ウドンゲは必死に笑いをこらえた。
「そえに、この患者は生死の淵にいる。私が手を下さずとも、いや、何を言っているのかしら、私が手を出さずとも死ぬ運命にあるわ。失敗しても天命ってことにしましょう。言わなきゃ、酒が入っていうなんてばれないわ」
永琳は言うが早いか、患者の心臓マッサージを始めた。
着物の前をはだけさせ露出した厚い胸を圧迫するが、反応はない。
駄目で元々である。
やはり、手術しかないらしい。
「くっ。駄目ね。反応が無いわ」
「先生。そこは心臓ではありません。胃です」
永琳の手が止まる。
「汗」
「はい」
ウドンゲも汗を垂らしていた。
「やはり」
「はい」
永琳は千鳥足を踏み、患者の胸の上につんのめる。
「開胸しかないみたい」
「そうですね」
気合いを入れなければならない。
永琳は自分の顔を張った。少し頭が冷めた。
廊下の方から「大丈夫ですから落ち着いて」との声が響いてくる。
「大丈夫なわけないだろ」
永琳は独り言のように呟いた。
「器具を用意してちょうだい」
ウドンゲは廊下へ続く襖とは逆側の襖を開けて、器具を取りに走った。
自分もそこから逃げてしまいたく思われた。
間もなくウドンゲが器具を持ってきたが、永琳の手前で足をもつれさせ畳の上にそれらをぶちまけた。
気を取り直して、まず患者の体の下にシートを敷き部屋の不要品達を自分の後ろに追いやる。
永琳はゴム手袋を装着した。
「よし、いいでしょう。メス」
ウドンゲはマジックを差し出した。
「何、それ?」
「いや、目印つけとかなくて大丈夫かな? と思って」
永琳の脳に血が巡った。
「ふざけんのもいい加減にしなさいよね。私が切開場所も分からないなんてことがあるわけ無いでしょう。そんならあなたがやったらどう?」
「すみません。今のは忘れてください。私に開胸は無理です。どうぞ、切ってください」
永琳はウドンゲからメスを引ったくり、患者の胸部を一直線に切り開いた。
「お見事です」
永琳は首を傾げた。
何だか、いつもより血管が少ない気がする。
「血管ってこんなもんだっけ? 何かいつもより少ないような気がするんだけど」
「こんなもんじゃありませんでした?」
なら、問題はない。
永琳は邪魔な肉やら血管やらを取り除いていき、心臓を露出させた。
永琳は自分を褒め称えた。
手術が終わったら、もっと、うんと褒めてやろう。
心臓を揉むが、反応はない。
「ふう、駄目ね。心臓が死んでるわ。止めましょう」
ああ、ようやく終わりだ。仕方ない。もともと助かる患者ではなかったのだ。
さ、坊主にバトンタッチだ。
「人工心臓使ったらどうですか」
何を言い出すか。
「え、人工心臓ってあれ? あの面倒くさい手順の? いや、もう死んでるし。いいじゃない。閉胸の必要も無いし」
「使わないんですか?」
どうして、こいつは変なところで律儀なのだろう。
「使うの?」
「ありますよ。裏に。使えば助かるかも」
その通りだ。多分、助かるだろう。普段の自分ならば。
だが、どうだ。今の自分は胸を開きながら「こんな所にも血管ってあるんだ」などと驚いているのだ。 手が震えて二、三度おかしな所も切った。
幸い、ウドンゲも酔っているため気付かれなかったようだが。
ウドンゲが今度は人工心臓を持ってきた。
本当に馬鹿な奴だ。
「どうぞ。先生、人工心臓です」
「うん。分かった。やるわ。うん」
永琳は乱暴に人工心臓を掴んだ。
さて、これはどのようにして使うものだったろうか。
いや、何となく思い出してきた。
「ウドンゲ」
「はい、どうしました?」
「あなた、人工心肺忘れてない?」
ウドンゲは「ああ。丁度取りに行こうと思ってたんですよねえ」と叫ぶと人工心肺を取りに行った。
何ということだろう。もう少しで解体になるところだった。
絶望的状況、打破しなければならない。
ウドンゲが人工心肺を持ってきた。
「それでは、いよいよお願いします」
永琳は一旦人工心臓を置き、人工心肺をセッティングした。
まず、心臓を摘出しなければならない。
そのためには血管を切る必要があるのだが、どれから切っていいものか。
部屋には、酒やつまみの匂いが充満して頭が痛くなってきた。
いいか。どうせ全部切るなら片端から切れば。
永琳は飛び切り太い血管を切った。
「鉗子」
次々に血管を切っていき、ついには心臓を摘出し、血管や筋肉をあれこれして人工心臓をつなげることに成功した。
衝撃を与えると心臓は動き始め、患者は自発呼吸を始めた。
特にミスも無かった。
「術式終わり」
永琳がマスクと手袋を放り投げると、真っ赤な顔で、立っているのがやっとの様子のウドンゲが手を叩いた。
「お見事でした。患者も喜ぶと思います」
まだ助かったかどうかも分からないのに、呑気なことだ。
いや、多分助かっただろう。
「疲れた。さあ、病室に運び出して」
「はい」
襖を開き、患者が廊下に搬出されていく。
廊下からは歓声が聞こえた。
襖の隙間から、ちらりと付き添いの若者が土下座しているのが見えた。
「多分助かるでしょう」
「ありがとうございました。永琳先生。本当にありがとう」
永琳は疲れていたので、すぐに襖を閉めた。
ウドンゲが既に後片付けを始めていた。
「本当にお疲れ様でした」
「疲れたわ。片付けたら飲み直しましょう」
「はい」
永琳の喉は酒を欲していた。
こらえきれず、近くにあった酒を飲む。
「師匠」
「何」
ウドンゲは何かを差し出した。
「心臓が2つあります」
ウドンゲが持っているのは人工心臓で、彼女の足下に転がっているのは摘出した心臓である。
その時、誰かが襖を叩いた。
「目覚めました。患者が息を吹き返しました。すぐに行ってください」
てゐの声だった。
「分かった。行くわ。先に行って」
「はい」
てゐの足音が遠ざかっていく。
永琳とウドンゲは顔を見合わせた。
沈黙が続く。
ウドンゲは永琳の言葉を待っているようだった。
永琳はかぶりを振って、一升瓶を傾けた。
「ほら、ローストビーフって体に良いのよね。知ってた?」
遠くから歓声が聞こえてきた。
患者さんの冥福を心からお祈りいt…あ、あれ?生きてるの?
月の頭脳すげえw
やはりPinkFloydでしたか。
牛がこっちを見てるジャケが頭をよぎります。
永琳師匠、さすがに一杯やった直後のオペはいかがなものかw