紅魔館大図書館にて、日陰の少女パチュリー・ノーレッジは本を読んでいた。別段珍しい光景ではなく、普段通りの姿だ。大図書館唯一の司書(?)である小悪魔は紅茶を持ちパチュリーの許へとやってくる。彼女の前にある机に紅茶の入ったカップを置く。わずかなその動作だけで埃が宙を舞うので、そろそろ掃除を考えたほうがいいかもしれないと小悪魔は思った。
「紅茶です、パチュリー様」
「ありがとう小悪魔」
本から顔を上げることなく礼を告げるパチュリー。これもまた普段通りなので、小悪魔は特に気分を害すということはなかった。どういたしまして、と返事をし、踵を返す。これから本の整理をしなくてはならないのだ。何せここは大図書館。奥のほうには未知の書物が眠っている。果たして彼女が顕在できている間に全てを掘り起こすことが出来ることどうか怪しいものだ。
小悪魔はお盆を片付け、すぐさま図書館の奥へと歩を進める。図書館といっても誰か借りに来るわけではなく(ただ一人の例外を除いて)、実質司書らしい仕事といえばこれくらいなのだ。かなり埃のたまっている本棚一つ一つに目を凝らす。その中から何か琴線に触れるものがあれば、それを取り出し拝見する。彼女自身の魔法を使えばすぐなのだが、それではわびさびに欠けるというもの、とは彼女の主パチュリー・ノーレッジの談。理解できなくは無いが、共感するところはある。現に小悪魔は魔法を使っていないのが、その証拠だろう。
大分奥へ進み、いよいよ日差しが差し込むスペースがただでさえ少ない図書館の深淵へと辿り着いた。ただし未だそこから無数の本棚が闇の中に鎮座しているのが見て取れる。
小悪魔はパチンと指をならし、人差し指の先から火を灯す。パッと辺りが明るくなる。彼女はそこでいったん足を止め、本棚の本を見やる。中々に面白そうなものばかりだが、生憎と彼女の琴線に触れるものは無かった。意味の無い落胆をし、もっと奥へと進もうかと思考しようとした矢先。明らかに他の本とは年季の入り方が若すぎる本の背表紙が目に入った。小悪魔はすぐさまそれを手に取り開こうとした。しかし手にとって気づく。その本は錠前が掛けられていた。他の本と比べ、さほど厚くないそれに、不格好な程しっかりとした錠前だ。このずっしりとした重さの半分は、きっとこの錠前の重さなのだろう。小悪魔はしばらくの間本とにらめっこをし、パチュリーならこれを開けられるかもしれないと思いつき、それを持ってもと来た道を戻り始めた。
その日、フランドール・スカーレットの幾度目かの誕生パーティーが催される予定だった。フランにそのことは知らされていない。レミリアも両親からは口止めされていた。もっとも、レミリアは他に懸念すべき事柄があり、それ以外のことに頭が回らなかったのだ。
リズの一件から数年が過ぎていて、その頃にはフランもショックから立ち直れていた。いつものように元気に遊んでいた。新しい友達も出来た。それを両親はとても快く思い喜んでいたが、レミリアは果たしてそうではなかった。彼女は自らの運命の力、妹フランドールの、破壊の力について、数年前のあの日から考えていた。特にフランの持つ破壊の力については、かなり危惧していた。おそらくフランは自分の力に気づいていない。リズの件や、カップの件。探せば他にもあるであろうそれらの事柄は、全て無意識でのことだったのだろう。気づいていないのなら、コントロールの仕様も無い。レミリアは、これを伝えるべきかどうか悩んだ。伝えることは簡単だが、しかしその後で彼女はリズを壊したのは自分だと自らを責め、再び奈落の底へ落ちたりはしないか。それが気がかりだった。しかし伝えなければいずれまた無意識の内に力を使い、何かが、或いは誰かが壊れるかもしれない。その対象が両親や自分になるという可能性はゼロではないのだ。
果たしてどうするべきか。ここ数年の間では、力を使った形跡は見当たらない。彼女の力はもとより、自らの持つ運命を力も。発動するには何かしらの条件があるのか。これもまた、懸案事項の一つだった。
とりあえずは保留するしかない。それに今日は友人が来る。彼女と調べれば何か分かるかもしれないと考え、その時を待った。
「まぁ実際のところ、そんな時間さえなかったのだけど」
悪魔は小さく微笑む。それはどこか自嘲気味で、どこか悲しげな微笑みだった。
両親は誕生日会の準備で忙しく動き、食堂にはケーキをはじめ色とりどりの料理が並べられた。私はそれを傍目に見ながら、友達と一緒に図書館へ向かい、いつものように話し合いを重ねた。
話し合いの焦点はやはり、フランの力についてがほとんどだった。あれをどうにかして止める、或いは抑える方法はないかと考えた。それと同時に、私自身がもつ運命の力も焦点に加えられた。友達が言うには、一度出てしまった力を消すことは出来ないとのことだ。止めるのも恐らく無理で、幾らかの間押さえ込むのが関の山だろうと。ではどうすれば抑えられるか。彼女曰く、最も平和的で、最小限の犠牲で行使できる方法を提示してくれた。
フランの力が勝手に発動するのは、暴走といっても差し支えない。では何故その暴走が起こるのか。彼女が言うには、フランの体(心、精神という言葉に置き換えられる)の中では、常に力の波が発生しているという。この波はある一定の周期で肥大化し、所有者の力ではコントロール仕切れなくなり、それが外側へ放出されるという。これが力の暴走であり、フランはこの暴走を繰り返すのだという。力をある程度自力でコントロール出来る様になれば、肥大化した波の捌け口も自らで作ることも出来るが、今のフランには難しいだろういうのが彼女の見解だ。だから単純に押さえこもうとして結界を張ってそこに閉じ込めたとしても、いずれ放出された力によって結界は壊されてしまう。そこで彼女は、三重の結界を作り上げるという。
まず一つ目の結界。この結界とはフランから放出された力の波の捌け口となるところであり、放出された波をこの結界が受け止め、全体に拡散させる。ただしこれだけでは延々と放出される波に耐え切れなくなりいずれ壊れてしまうのが目に見えているので、その外側にもう一つの結界を敷く。一つ目の結界で受け止めきれなかった波をそちらへ受け流し、更にそこで波を別のエネルギーへと変換させる。その変換させたエネルギーを、更にその外側の結界へ行き渡らせる。ただしこの結界の役割は内側の二つの結界の補助であり、変換したエネルギーを糧とし、結界全体へと供給する。エネルギーが供給されれば、結界が衰えることはない。すくなくとも展開させていられる限界点までは。
このプランを使えば、確実にフランの力を抑えることが出来る。しかしそれは同時にフラン自身も閉じ込めることになるのだ。更に彼女が言うには、この結界は大変規模が大きく、屋敷の中では行うことはほぼ不可能だという。決行するには、それなりのフィールドが必要になる。
さてどうしたものか。私は考えた。脳裏には、地下に新しい場所が築くという考えが浮かんだ。もしくは、この屋敷そのものを結界の土台として利用する・・・。思考を巡らせる最中、ふと奇妙な感覚を覚えた。
私は思考を中断した。何故か胸騒ぎがした。とても嫌なことを起こりそうな予感が頭を過ぎったのだ。その感覚と同時に、私は体の内側から衝動の様なものを感じた。
力の波、という彼女の説明を思い出す。まさか、これもその一種なのだろうか。だとしたら、また運命を垣間見ることになる。出来ることなら目を逸らしたいが、生憎とそれは無理な話だった。たとえ目を瞑ろうとも、無数に漂うその紅い糸は、直接心へと伝わってきたのだ。
あまりにも膨大なその紅に、私は吐き気がした。必死に倒れそうな体を抱え、私は紅い糸を辿った。辿り、近づくにつれて、料理のいい匂いが漂ってきた。まさか、と私は思った。とうとうたどり着いた場所は、両親がフランの為に料理をしていた食堂だった。確実だった。この紅い糸は、間違いなく両親の死期を告げるものだった。私は深く息を吸い込み、アンティーク調の扉を開けた。
「私ね、時々考えることがあるの」
空になったカップを弄び、レミリアは話を遮った。
「果たしてどちらが先だったのかかしら、って」
「どちらが先って、どういうことだ?」
魔理沙はその言葉の意味をうまく理解できなかった。それは霊夢と咲夜も同じようで、同意する様に頷いた。
「フランの“破壊”が先か、私の“運命”が先か、ということよ」
カップを置き、傍らに置かれたティーポッドを手に取り、自ら紅茶を注ぐ。普段紅茶を飲んでいる姿しか見る機会がなかったが、これもなかなか絵になる様だ。
「・・・さっぱり意味がわかんないぜ」
「そうね。では分かりやすく説明しましょうか。まずリズが壊された日。私はリズから紅い糸が垂れているのが見えた。その直後リズは壊れた。言ったわよね?」
魔理沙は頷いた。
「私はね、きっとフランが力を行使し、その結果彼女は死ぬ運命となり、紅い糸が見えたのだとばかり思っていたの。でもね、ある時その見方を変えてみたのは。フランが力を完全にコントロール出来てなかったように、私もまた力をコントロール出来ていなかったんじゃないか、て」
「つまり、リズが死んだ原因はフランの能力ではなく、あんたの能力だってこと?」
霊夢の言葉は的を得ていて、レミリアはそうよと肯定した。魔理沙は未だ理解出来ていない様子だった。
「私が無意識のうちに力を使い、彼女を死の運命へと誘い、その結果フランの能力に誘発し、リズは死んだのではないか、ということよ」
レミリアは新しく入れた紅茶で乾いた喉を潤す。
魔理沙はそこまで来てようやくレミリアの言葉を理解し頷いた。
「まぁどっちが真実にしろ、起こってしまった事実を変えることは出来ないわ。今更真実を探ろうにも無理な話し出しね」
でも、とリミリアは続けた。
「もしそれが真実だとしたら、裁かれるべきはあの子ではなく、私なのでしょうね」
そうやって呟くレミリアの表情は、静かで穏やかなモノだった。
錠前つきという奇妙な本を携え、小悪魔はパチュリーの許へたどり着く。紅茶は既に飲み終えたようで、新しい本を読んでいた。読書中に邪魔するというのは気が引けるが、空いたカップを下げるついでで良いだろう。そう考え、パチュリーに声をかける。
「パチュリー様、よろしいですか?」
パチュリーはすぐさま顔を上げ、小悪魔へと向いた。
「何?」
読書の邪魔をされて、別段不機嫌ではないらしい。小悪魔は小さく胸を撫で下ろし、先ほど見つけた本を掲げて見せた。
「小悪魔。その本、どうしたの?」
「奥の本棚から見つけたんです。妙に気になってしまって。でもほら、錠前がついているんですよ、何故か。だから読めないから、パチュリー様ならもしやと思いまして」
言って小悪魔は、先ほどとパチュリーの雰囲気が少し違っていることに気がついた。視線は小悪魔のほうではなく、彼女の持っているその奇妙な本へと注がれていた。
「パチュリー様?この本を知っているのですか?」
パチュリーは頭を振り、その本を小悪魔から受け取る。それから錠前の鍵穴に手をかざし、小さく詠唱する。二言程度の詠唱で錠前は光輝き、カチャリという見た目ほど大きくない音をたて封が解かれた。錠前の鎖は床に落ち、その都度埃がまったが、さほど気にならなかった。
「随分と懐かしい本を見つけたわね、小悪魔」
そっと彼女は皮製の表紙を指でなぞる。そこには可愛らしい手書きで、“Diary”と綴られていた。その後ろには達筆な字で、“Scarlet”と続いている。
「それは、何ですか?」
小悪魔はパチュリーと並び覗き込む。
「絵日記よ」
「絵日記?」
パチュリーはパラパラとページを捲る。驚くことに、ページ一つ一つは新品の様に白さを保っていた。
「この日付って、もうずっと前ですよね?」
「当然よ。これはレミィが小さい頃につけていた日記だもの」
最初のページを開いてみせる。そこには紅魔館主人の名前と、その妹の名前が記されていた。
「お嬢様が?」
「えぇ。懐かしいわ。あの頃はまだ、平穏だったんだけどねぇ」
懐かしげに目を細め、丁寧にページを捲っていく。絵日記と言っても絵はあまりなく、時折思い出したかのように絵のような記号のようなものが文章の横に添えられているだけだ。
「平穏、ですか・・・」
今はそうではないのだろうか、と小悪魔は考え、先のフランドールの一件を思い出す。
「色々有ったわ。そして変わってしまった。一体どこで間違ったのかしらね、私とレミィは」
唇の端を吊り上げ、パタンと本を閉じる。
「・・・ねぇ小悪魔。少し、昔話をしましょうか」
唐突なパチュリーの言葉に、小悪魔は一瞬言葉を失う。
「長くなるかもしれないから、お茶のお代わりとお茶菓子を用意してくれる?」
「あ、はい。ただいま」
空いたカップを手にとり、パタパタと駆けていく。パチュリーはその後ろ姿を見つめながら、手元の革表紙をもう一度なぞった。
「本当に、どこで間違っちゃたのかしらね、レミィ。いつから貴女はメビウスの輪に自らを閉じ込め、いつから私たちは妹様をクラインの壷に落としたのかしら」
誰にでもなく呟く。その言葉の節々には、確かな後悔と失望があった。
パチュリーは静かに目を閉じる。今は小悪魔の淹れてくれる紅茶を待とう。少し唇を湿らしてから語ろう。そう考え、もう一度革表紙をなぞった。
つづく
「紅茶です、パチュリー様」
「ありがとう小悪魔」
本から顔を上げることなく礼を告げるパチュリー。これもまた普段通りなので、小悪魔は特に気分を害すということはなかった。どういたしまして、と返事をし、踵を返す。これから本の整理をしなくてはならないのだ。何せここは大図書館。奥のほうには未知の書物が眠っている。果たして彼女が顕在できている間に全てを掘り起こすことが出来ることどうか怪しいものだ。
小悪魔はお盆を片付け、すぐさま図書館の奥へと歩を進める。図書館といっても誰か借りに来るわけではなく(ただ一人の例外を除いて)、実質司書らしい仕事といえばこれくらいなのだ。かなり埃のたまっている本棚一つ一つに目を凝らす。その中から何か琴線に触れるものがあれば、それを取り出し拝見する。彼女自身の魔法を使えばすぐなのだが、それではわびさびに欠けるというもの、とは彼女の主パチュリー・ノーレッジの談。理解できなくは無いが、共感するところはある。現に小悪魔は魔法を使っていないのが、その証拠だろう。
大分奥へ進み、いよいよ日差しが差し込むスペースがただでさえ少ない図書館の深淵へと辿り着いた。ただし未だそこから無数の本棚が闇の中に鎮座しているのが見て取れる。
小悪魔はパチンと指をならし、人差し指の先から火を灯す。パッと辺りが明るくなる。彼女はそこでいったん足を止め、本棚の本を見やる。中々に面白そうなものばかりだが、生憎と彼女の琴線に触れるものは無かった。意味の無い落胆をし、もっと奥へと進もうかと思考しようとした矢先。明らかに他の本とは年季の入り方が若すぎる本の背表紙が目に入った。小悪魔はすぐさまそれを手に取り開こうとした。しかし手にとって気づく。その本は錠前が掛けられていた。他の本と比べ、さほど厚くないそれに、不格好な程しっかりとした錠前だ。このずっしりとした重さの半分は、きっとこの錠前の重さなのだろう。小悪魔はしばらくの間本とにらめっこをし、パチュリーならこれを開けられるかもしれないと思いつき、それを持ってもと来た道を戻り始めた。
その日、フランドール・スカーレットの幾度目かの誕生パーティーが催される予定だった。フランにそのことは知らされていない。レミリアも両親からは口止めされていた。もっとも、レミリアは他に懸念すべき事柄があり、それ以外のことに頭が回らなかったのだ。
リズの一件から数年が過ぎていて、その頃にはフランもショックから立ち直れていた。いつものように元気に遊んでいた。新しい友達も出来た。それを両親はとても快く思い喜んでいたが、レミリアは果たしてそうではなかった。彼女は自らの運命の力、妹フランドールの、破壊の力について、数年前のあの日から考えていた。特にフランの持つ破壊の力については、かなり危惧していた。おそらくフランは自分の力に気づいていない。リズの件や、カップの件。探せば他にもあるであろうそれらの事柄は、全て無意識でのことだったのだろう。気づいていないのなら、コントロールの仕様も無い。レミリアは、これを伝えるべきかどうか悩んだ。伝えることは簡単だが、しかしその後で彼女はリズを壊したのは自分だと自らを責め、再び奈落の底へ落ちたりはしないか。それが気がかりだった。しかし伝えなければいずれまた無意識の内に力を使い、何かが、或いは誰かが壊れるかもしれない。その対象が両親や自分になるという可能性はゼロではないのだ。
果たしてどうするべきか。ここ数年の間では、力を使った形跡は見当たらない。彼女の力はもとより、自らの持つ運命を力も。発動するには何かしらの条件があるのか。これもまた、懸案事項の一つだった。
とりあえずは保留するしかない。それに今日は友人が来る。彼女と調べれば何か分かるかもしれないと考え、その時を待った。
「まぁ実際のところ、そんな時間さえなかったのだけど」
悪魔は小さく微笑む。それはどこか自嘲気味で、どこか悲しげな微笑みだった。
両親は誕生日会の準備で忙しく動き、食堂にはケーキをはじめ色とりどりの料理が並べられた。私はそれを傍目に見ながら、友達と一緒に図書館へ向かい、いつものように話し合いを重ねた。
話し合いの焦点はやはり、フランの力についてがほとんどだった。あれをどうにかして止める、或いは抑える方法はないかと考えた。それと同時に、私自身がもつ運命の力も焦点に加えられた。友達が言うには、一度出てしまった力を消すことは出来ないとのことだ。止めるのも恐らく無理で、幾らかの間押さえ込むのが関の山だろうと。ではどうすれば抑えられるか。彼女曰く、最も平和的で、最小限の犠牲で行使できる方法を提示してくれた。
フランの力が勝手に発動するのは、暴走といっても差し支えない。では何故その暴走が起こるのか。彼女が言うには、フランの体(心、精神という言葉に置き換えられる)の中では、常に力の波が発生しているという。この波はある一定の周期で肥大化し、所有者の力ではコントロール仕切れなくなり、それが外側へ放出されるという。これが力の暴走であり、フランはこの暴走を繰り返すのだという。力をある程度自力でコントロール出来る様になれば、肥大化した波の捌け口も自らで作ることも出来るが、今のフランには難しいだろういうのが彼女の見解だ。だから単純に押さえこもうとして結界を張ってそこに閉じ込めたとしても、いずれ放出された力によって結界は壊されてしまう。そこで彼女は、三重の結界を作り上げるという。
まず一つ目の結界。この結界とはフランから放出された力の波の捌け口となるところであり、放出された波をこの結界が受け止め、全体に拡散させる。ただしこれだけでは延々と放出される波に耐え切れなくなりいずれ壊れてしまうのが目に見えているので、その外側にもう一つの結界を敷く。一つ目の結界で受け止めきれなかった波をそちらへ受け流し、更にそこで波を別のエネルギーへと変換させる。その変換させたエネルギーを、更にその外側の結界へ行き渡らせる。ただしこの結界の役割は内側の二つの結界の補助であり、変換したエネルギーを糧とし、結界全体へと供給する。エネルギーが供給されれば、結界が衰えることはない。すくなくとも展開させていられる限界点までは。
このプランを使えば、確実にフランの力を抑えることが出来る。しかしそれは同時にフラン自身も閉じ込めることになるのだ。更に彼女が言うには、この結界は大変規模が大きく、屋敷の中では行うことはほぼ不可能だという。決行するには、それなりのフィールドが必要になる。
さてどうしたものか。私は考えた。脳裏には、地下に新しい場所が築くという考えが浮かんだ。もしくは、この屋敷そのものを結界の土台として利用する・・・。思考を巡らせる最中、ふと奇妙な感覚を覚えた。
私は思考を中断した。何故か胸騒ぎがした。とても嫌なことを起こりそうな予感が頭を過ぎったのだ。その感覚と同時に、私は体の内側から衝動の様なものを感じた。
力の波、という彼女の説明を思い出す。まさか、これもその一種なのだろうか。だとしたら、また運命を垣間見ることになる。出来ることなら目を逸らしたいが、生憎とそれは無理な話だった。たとえ目を瞑ろうとも、無数に漂うその紅い糸は、直接心へと伝わってきたのだ。
あまりにも膨大なその紅に、私は吐き気がした。必死に倒れそうな体を抱え、私は紅い糸を辿った。辿り、近づくにつれて、料理のいい匂いが漂ってきた。まさか、と私は思った。とうとうたどり着いた場所は、両親がフランの為に料理をしていた食堂だった。確実だった。この紅い糸は、間違いなく両親の死期を告げるものだった。私は深く息を吸い込み、アンティーク調の扉を開けた。
「私ね、時々考えることがあるの」
空になったカップを弄び、レミリアは話を遮った。
「果たしてどちらが先だったのかかしら、って」
「どちらが先って、どういうことだ?」
魔理沙はその言葉の意味をうまく理解できなかった。それは霊夢と咲夜も同じようで、同意する様に頷いた。
「フランの“破壊”が先か、私の“運命”が先か、ということよ」
カップを置き、傍らに置かれたティーポッドを手に取り、自ら紅茶を注ぐ。普段紅茶を飲んでいる姿しか見る機会がなかったが、これもなかなか絵になる様だ。
「・・・さっぱり意味がわかんないぜ」
「そうね。では分かりやすく説明しましょうか。まずリズが壊された日。私はリズから紅い糸が垂れているのが見えた。その直後リズは壊れた。言ったわよね?」
魔理沙は頷いた。
「私はね、きっとフランが力を行使し、その結果彼女は死ぬ運命となり、紅い糸が見えたのだとばかり思っていたの。でもね、ある時その見方を変えてみたのは。フランが力を完全にコントロール出来てなかったように、私もまた力をコントロール出来ていなかったんじゃないか、て」
「つまり、リズが死んだ原因はフランの能力ではなく、あんたの能力だってこと?」
霊夢の言葉は的を得ていて、レミリアはそうよと肯定した。魔理沙は未だ理解出来ていない様子だった。
「私が無意識のうちに力を使い、彼女を死の運命へと誘い、その結果フランの能力に誘発し、リズは死んだのではないか、ということよ」
レミリアは新しく入れた紅茶で乾いた喉を潤す。
魔理沙はそこまで来てようやくレミリアの言葉を理解し頷いた。
「まぁどっちが真実にしろ、起こってしまった事実を変えることは出来ないわ。今更真実を探ろうにも無理な話し出しね」
でも、とリミリアは続けた。
「もしそれが真実だとしたら、裁かれるべきはあの子ではなく、私なのでしょうね」
そうやって呟くレミリアの表情は、静かで穏やかなモノだった。
錠前つきという奇妙な本を携え、小悪魔はパチュリーの許へたどり着く。紅茶は既に飲み終えたようで、新しい本を読んでいた。読書中に邪魔するというのは気が引けるが、空いたカップを下げるついでで良いだろう。そう考え、パチュリーに声をかける。
「パチュリー様、よろしいですか?」
パチュリーはすぐさま顔を上げ、小悪魔へと向いた。
「何?」
読書の邪魔をされて、別段不機嫌ではないらしい。小悪魔は小さく胸を撫で下ろし、先ほど見つけた本を掲げて見せた。
「小悪魔。その本、どうしたの?」
「奥の本棚から見つけたんです。妙に気になってしまって。でもほら、錠前がついているんですよ、何故か。だから読めないから、パチュリー様ならもしやと思いまして」
言って小悪魔は、先ほどとパチュリーの雰囲気が少し違っていることに気がついた。視線は小悪魔のほうではなく、彼女の持っているその奇妙な本へと注がれていた。
「パチュリー様?この本を知っているのですか?」
パチュリーは頭を振り、その本を小悪魔から受け取る。それから錠前の鍵穴に手をかざし、小さく詠唱する。二言程度の詠唱で錠前は光輝き、カチャリという見た目ほど大きくない音をたて封が解かれた。錠前の鎖は床に落ち、その都度埃がまったが、さほど気にならなかった。
「随分と懐かしい本を見つけたわね、小悪魔」
そっと彼女は皮製の表紙を指でなぞる。そこには可愛らしい手書きで、“Diary”と綴られていた。その後ろには達筆な字で、“Scarlet”と続いている。
「それは、何ですか?」
小悪魔はパチュリーと並び覗き込む。
「絵日記よ」
「絵日記?」
パチュリーはパラパラとページを捲る。驚くことに、ページ一つ一つは新品の様に白さを保っていた。
「この日付って、もうずっと前ですよね?」
「当然よ。これはレミィが小さい頃につけていた日記だもの」
最初のページを開いてみせる。そこには紅魔館主人の名前と、その妹の名前が記されていた。
「お嬢様が?」
「えぇ。懐かしいわ。あの頃はまだ、平穏だったんだけどねぇ」
懐かしげに目を細め、丁寧にページを捲っていく。絵日記と言っても絵はあまりなく、時折思い出したかのように絵のような記号のようなものが文章の横に添えられているだけだ。
「平穏、ですか・・・」
今はそうではないのだろうか、と小悪魔は考え、先のフランドールの一件を思い出す。
「色々有ったわ。そして変わってしまった。一体どこで間違ったのかしらね、私とレミィは」
唇の端を吊り上げ、パタンと本を閉じる。
「・・・ねぇ小悪魔。少し、昔話をしましょうか」
唐突なパチュリーの言葉に、小悪魔は一瞬言葉を失う。
「長くなるかもしれないから、お茶のお代わりとお茶菓子を用意してくれる?」
「あ、はい。ただいま」
空いたカップを手にとり、パタパタと駆けていく。パチュリーはその後ろ姿を見つめながら、手元の革表紙をもう一度なぞった。
「本当に、どこで間違っちゃたのかしらね、レミィ。いつから貴女はメビウスの輪に自らを閉じ込め、いつから私たちは妹様をクラインの壷に落としたのかしら」
誰にでもなく呟く。その言葉の節々には、確かな後悔と失望があった。
パチュリーは静かに目を閉じる。今は小悪魔の淹れてくれる紅茶を待とう。少し唇を湿らしてから語ろう。そう考え、もう一度革表紙をなぞった。
つづく
確かにそうかも。
でも続きを読みたいと思わせるには十分。
待ってますよ