Episode1
それはまだ霧の異変が終わり、紅い悪魔曰くじゃじゃ馬と対峙してから間もない頃。博麗神社には相変わらず、黒白の魔法使いと紅い悪魔と瀟洒な従者の姿があった。三人はさも当然のように居座り、霊夢から出されたお茶を啜っていた。
「あんた達、他にすることないの?」
霊夢のぼやきに、黒白の魔法使いは答える。
「することならあるぜ。こうやってお茶を飲んでる」
おかわりな、とでも言う様に空になった湯のみを突き出す。
「それはすることとは言わないのよ。あとそれくらい自分でやりなさい」
突き出された湯のみを押し戻し、悪魔と従者へと視線を向ける。悪魔は涼しげな顔で。従者はいつもの様に隣で、主とは別の意味で涼しげな顔でいる。
「あんた達二人も。いいの、館を空けて?」
霊夢は先の異変のことを思い出した。確かあの時も、この悪魔が館を留守にしていた時に起きたものだ。またあんなことになりはしないかと危惧しているのだ。
「大丈夫よ。あの子が外に出たとしても、パチュがどうにかしてくれるわ」
それが当たり前であるかのように呟き、湯のみに口を付ける。ある意味完璧なまでのその仕草に、霊夢は呆れ気味に息をついた。
「そんなこといってよ、レミリア。結局この間だって、パチュリーはあいつを止められなかったぜ?」
魔理沙の横槍に、レミリアではなく、その横に仕える従者が口を開いた。
「それはあなた達二人が介入したからでしょう?それさえしなければ、円滑に収まったかもしれないのに」
彼女の指摘は正しく、魔理沙はう~んと唸り反論を捻りだそうとしたが、結局いい案は浮かばず、誤魔化しに新しく注いだお茶をあおった。
「まぁいいじゃない咲夜。それがきっかけであの子は以前よりも外に出るようになったのだから」
レミリアは言い、空になった湯のみを魔理沙と同じ様に霊夢へと突き出す。
「なに?」
「お代わり、頂ける?」
霊夢はちらりと横の従者を睨む。お前の主が言っているのだ、従者であるあんたがやれ!という無言の訴えだ。しかしそんな訴えは咲夜に通じたのか否か。咲夜はただモアイよろしく静止しているままだった。
「自分でやりなさいよ」
「嫌よ。面倒くさい」
ピシャリと言い、湯のみを突き出す。霊夢はこの我が侭な悪魔の言動に半ば諦めの色を見せ、渋々湯のみを引っ手繰るように受け取り、お茶を注いだ。
「ありがとう」
そうやってまたあの完璧な仕草でお茶を啜る。紅茶ならその仕草は絵になっていただろうが、果たして日本茶とはこれいかに。しかし実際には、なかなかどうして絵になるものだ。それが妙に癪に障った霊夢は、一つ質問を投げかけた。
「そもそもさぁ、レミリア。何であんたは、フランと閉じ込めているの?」
ぴたり。レミリアは動きを止め、持っていた湯飲みを机に置いた。
「何故それを聞くの?」
湯のみの水面を見つめ、レミリアは問い返す。
「だって、あんたとフランは実の姉妹でしょ?確かにあのフランの能力は危険だけど、だからってなんであそこまでする必要があるの?」
「それは私も知りたいな。この間フランに聞いてみたけど、知らないの一点張りだったんだ。咲夜は何か知らないか?」
話に便乗してきた魔理沙は、質問の矛先を咲夜へと向けた。
「私が紅魔館に来た頃には、既に妹様は地下に幽閉されていたわ。詳しい事情は知らないわ」
答え、それから己の主へと視線を向ける。
「お嬢様、私もその理由を知りたいですね。何故実の妹を閉じ込める必要があったのか。教えていただけませんでしょうか?」
レミリアはしばし顔を伏せていたが、ゆっくりと首を上げた。
「他愛もない、姉妹喧嘩よ」
ポツリと呟き、そっと一冊の本を取り出した。それは本というにはあまりにも小さく、軽く、薄く。手帳という言葉がしっくり来るもので、かなりの年季が入っているのは一目だった。
レミリアはそれを慎重に。ともすれば、それは愛おしそうに捲り、始まりのページを開いた。そのページは無数の文字で埋め尽くされていた。彼女はその一行をすっと指でなぞり、語り始める。
「発端はとても些細なことだったの。私のお気に入りのカップをあの子が割ってしまった。そんな良くありそうなシチュエーションだった」
その頃、まだ紅魔館という名ではなく、スカーレット家という大きな屋敷だった。私とフランはそこの姉妹として生を受けた。だいたい五百年前くらいだったかしらね。最初に私が生まれ、五年後にフランが生まれた。スカーレット家は元々吸血鬼の血を引く家柄でね、私とフランももちろんその血を注いだわ。ただし、私たちはそれと別にもう一つのものを持って生まれてきた。それは過去数百年続くスカーレット家の歴史を覗いても無かった類まれなる力。私、レミリア・スカーレットは、運命を操る力。フランは、ありとあらゆるモノを破壊する力を、それぞれ持って生まれた。でも最初のうちはそんな力の使い方なんか分かるわけもなく、そもそも気づかなかった。私たちの父と母も―――もう顔も名前も思い出せないけど―――も、私たちの力については気づいてなかったみたいだった。
あれは、そうね。私が10を二つばかし超えた頃だったから、フランは七歳くらいだった頃ね。私が甚く気に入っていたマグカップをね、フランが壊したの。私は酷く怒ったわ。何で人の物を壊すの!って。今にして思えば、随分と小さいことだな、と当時の自分が呆れるわ。でもね、子供っていうのは皆その頃は、自分が世界の中心なのよ。それは人と妖も同じよ。それでね、フランが言うの。私は何もしていない。私はお部屋で遊んでった、て。そんな嘘だと思ったわ。だってその時家には私とフランしかいなかったんだもの。証言してくれる人も誰もいないもの。そうやって私はあの子をいっていることを嘘だと決め付け、幼心から酷く傷つけてしまった。
後で頭を冷やして考えてみれば、その時間フランはいつもお昼寝をしていた時間なの。頭に血が上ってしまって、全く思考が回らなかったのよね。でも気がついたころには後の祭りよ。謝るタイミングは見つからなかったわ。
せめてカップが壊れさえいなければ。私はその夜、そんな“もしも”のことを思いながら床についたの。でね、その翌日。フランが私の部屋に朝早く飛び込んで来たの。見て!って。とても嬉しそうな顔で。一体何があったのだろうと眠気眼でそれを見て、酷く吃驚したわ。だって壊れていたはずのカップが、しっかりと元の形でそこにあったのだもの。私は喜んだわ。思いが叶ったんだって。それからフランに謝ったわ。酷いことを言ってごめんなさい、と。フランはそれを許してくれて、そのまま姉妹仲良くめでたしめでたし。だったら、どれほど良かったか。もしかしたら、もうこの時から、私たちの運命の糸は狂い始めていたのかもしれないわね。
「それから数年くらいは、別段何事もなく平穏な日々が過ぎていったわ」
レミリアはそこまでを語り終え、三人の顔を窺った。皆それぞれ思案顔だ。その中でもよりわけ眉間に皺を寄せている魔理沙は言った。
「それってさ、フランの力がカップを壊して、お前の力で、カップが壊れるという運命を変えたってことか?」
魔理沙の指摘は正しく、レミリアは肯定した。
「ただしそれに気づいたのはずっと後のことよ。いったでしょ?当時の私たちはそんな力の使い方も知らなければ、そもそもの存在にすら気づいていない。両親でさえ気づかなかったんだもの。それにまだ子供。そんな細かい原因まで追究しようとは思わないわ。まだ自分の手が届く範囲が、世界の全てだった頃だもの」
それは今でも変わらないのではないだろうか、という言葉を、魔理沙はかろうじて飲み込んだ。
「それで、レミリア。その後のことは?」
霊夢は手帳へと視線を投じる。レミリアは、そうね、と呟き咲夜へ首だけを傾けた。
「咲夜、紅茶を出して頂戴。きっと長くなるわ」
「はい。ただいま」
いって咲夜はその場から姿を消した。お得意のタネ無し手品だろう。紅茶の準備には十分と掛かるまい。レミリアはそれまでの間手帳をパラパラと捲っていく。霊夢も、きっと長くなるだろうと予想し、同時にこんな面倒なことになるなら、あんな質問しなければ良かったと若干の後悔を残し、新しいお茶を淹れる。ついでに魔理沙にも。
しばらくして咲夜は突然と姿を現し、同時にレミリアの前には暖かい紅茶が置かれていた。
レミリアはありがとうと呟き、そっと口を付ける。少量の紅茶で唇を湿らせた後、また語り始める。愛おしげに手帳の文字をなぞりながら。
それから随分の年月が経ったわ。基本的に吸血鬼というのは老いることは無いの。だから私とフランはその頃から今の姿だったわ。
あのカップのことから随分と時間が経ってたわね。たぶん、五十年くらいかしら。だいぶ昔だから、特別印象に残っていないことは多分覚えていないわね。でもだいたいそれくらいよ。その当時ね、フランにはお友達だいたの。リズっていう、とっても可愛らしい、まるでお人形の様な子だったわ。その子はいつも屋敷に遊びにきてフランと遊んでいたわ。ちなみにそのリズって子は純粋な人間で、フランが吸血鬼であることは知らないわ。いつも屋敷の中で遊んでいたけど、気にならなかったのね。ちなみに私に友達がいたけれど、それはこの話にはさして関わりはないわ。でね、リズが遊びに来たある日のこと。フランとリズはその時屋敷でかくれんぼをしていたの。私は図書館で本を読んでいたわ。友達と一緒に。でね、リズは隠れる場所として図書館へやって来た。彼女は私たちのところへ来て、フランちゃんが来てもここには居ないって言ってね、と釘を刺された。私たちは言うとおりにうなづいた。そして彼女は背を向けて図書館の奥の方へと向かっていった。私はさして見送るつもりはなかったのだけど、ふと彼女の後ろ姿を見たとき、彼女の体から1本の紅い糸が垂れているのが見えたの。あれはなんであろうかと思い、声をかけようとした矢先。彼女の体が突然爆ぜた。なんの予告もなく、何の予兆もなく。本当に突然に爆ぜたの。まるで体内に爆竹でも仕掛けられていたのではないかというくらい、大きく爆ぜた。彼女の体はバラバラに飛び散り、血や臓物らが辺りに散乱した。血に慣れた今思い出しても嫌な光景よ。ほとんど―――吸血鬼なのに―――血を見ることのなかった当時なら尚更よ。事態を飲み込むより先に、目の前で起きた惨劇を認識してしまった。柄にも無く大声を上げてしまったわ。その友達も驚いた顔をしていたわ。私ほど取り乱したりしなかったけど。それでね、どうするかと考えようとしていたところへ、きっと私の声を聞きつけたのであろうフランがやって来たわ。どうしたの?と心配そうに私に声をかけたわ。それから私の友達を見て、次にかつてリズであった物を見た。
私と同じ、きっとそれ以上の悲鳴を上げたわ。それからそのかつて人であった物に駆け寄り、泣きながら彼女の名前を叫んでいた。リズ、リズ、て。でももう壊れてしまったものは元には戻らない。私たちはどうすることも出来なかった。ただフランは泣き崩れ、私は立ち尽くしたまま。私の友達も何をする訳でもなく、ただただ私たち姉妹を眺めていたわ。その後父と母がやってきて、事後慮理をしたわ。それがどういうものであるのかは判らないけれど、屋敷の外に出る度に彼女のことを耳にしなかったから、何かしらのことはやったのでしょうね。
さて、それからよ。リズが突然の変死を迎えてから何ヶ月から経った日のこと。私はあの時リズの体に見えた、紅い糸のことを思い出したの。あの糸が見えた直後に、彼女は絶命した。ひょっとしたらそれが彼女の死と関係あるのかもしれない、と。その時のフランはまだ友人を亡くしたショックから完全には立ち直れていなかったから、友達にそのことを相談したわ。友達は快く相談に応じてくれた。それから私たちはそのことについて調べ始めた。幸いにも私の屋敷にある図書館には、古今東西様々な書物が陳列されていたから、どこか遠出をする必要は無かった。ちなみにその友達は私が吸血鬼であることを知っているわ。それはさておき、調べ始めることまた数ヶ月。それらしい書物を見つけることが出来た。とても古い書物で、触れただけで崩れてしまいそうな程年月が経過していたものだった。それをどうにかして読める状態にして読んだの。そこには紅い糸について、いくつかの記述がされていた。
紅い糸というのは、本来は人と人外、ありとあらゆる存在が視認することは出来ないモノと記されており、それは俗に運命の糸と称されていた。その糸には様々な色があり、紅い糸というのは即ち死期の象徴であると綴られていた。
私は首を捻った。その糸はその者の運命の様なもので、人である者は当然とし、人でない者―――つまり私のような吸血鬼を始めとする妖―――にも視ることは出来ない。それが何故、自分は視ることが出来たのだろうか。友達はそれからまた別の書物を取り出したわ。それにはある一つの能力について書かれていた。それは“運命を操る”という、まるで奇跡の様な能力。それは森羅万象の運命を視ることができ、それを自らの手で変えることが出来る能力。その能力を持った者なら、運命の糸を視ることも可能。友達はそう言った。つまりその瞬間よ。私は自らに備わった能力について理解したのは。それから私はあの時の出来事を思い出した。カップが壊れ、翌日そのカップが元に戻っていた時のことを。あれもその能力の為だったとしたら辻褄が合うのだ。友達にそのことを話すと、彼女―――その友達とは女の子―――は、カップが元通りになったことよりも、壊れたことに興味を持った。私が暫く目を離した隙に、カップが壊れていたのだと説明し、その時屋敷には自分とフランしか居なかったと補足した。そして彼女は一通り聞き終えると、先ほど開いた書物を更に捲り、あるページを私に見せた。
万物には必ず綻びが存在し、その綻びを“目”とする。その“目”を潰せば、いかに強靭なモノといえど、木っ端になる。
どういうことか、と私は疑問に思い、彼女は更にページを捲った。
この“目”というのは、本来視ることも触れることも出来ない。しかし。ある特殊な力を持った者は、この“目”を自在に扱い、壊すことが可能。たとえいかにその対象と離れていようと、自らの手中に“目”を移動させることが出来るのだ。
つまり、と私は理解した。フランは、その“目”を自在に扱うことの出来る能力を有している。だから、あの時カップは壊れた。おそらく無意識での行動だったのだろう。当時はまだそんな能力のことなんて知る由も無かったから。そして私ははたと気づく。もしかしたら、リズを絶命させたのは、フランなのではないだろうか、と。彼女もその可能性に気づいていたらしく、顔を伏せていた。
合点が行き過ぎていた。まるで最初から予定調和であるかのようだった。
そうだ。きっとこの時からだ。運命が確かに狂い始めたのは。私の力を使っても、どうしようもならないくらい、狂い始めたのは。
「悪夢はそれからよ。もう取り返しのつかないほど、狂っていたわ」
レミリアは紅茶を啜り、静かに呟いた。おそらく彼女の胸中には、その当時の想いが去来しているのだろう。それがいかほどのものであるのか、まだ十数年しか生きていない彼女たちには理解できるものではなかった。
明らかに変わってしまった空気の中、霊夢は口を開いた。
「フランにそのことを知らせたのは何時?」
「そうね・・・流石にいきなり知らせるなんてことはしなかったわ。そんなことしたら、あの子確実に壊れていたもの。きっと自らを壊すくらいしたでしょうね。ちなみにね、霊夢。私はフランに直接この事実を知らせていないわ」
「それじゃぁ、どうやってフランはそのことを知ったの?」
「・・・あの子はね、私なんかよりもずっと純粋だったの。感情や感性、心が剥き出しなのよ。だから自分のことにも他人のことにももの凄く過敏なの。私が言わなくても、もしかしたらずっと前からそのことに気づいていたのかもしれないわ」
きっと、ずっと悩んでいたのかもしれない。綻びだらけのツギハギの世界の真ん中で。まだ私の世界が手の届く範囲までだった頃から、ずっと独りで。レミリアは胸中で言葉を落とした。
「それから」
魔理沙は口を開く。聊か緊張しているのか、声が若干上ずっている。
「それから、どうなったんだ?」
レミリアは頷き、手帳を捲る。果たしてその手帳には、一体何が記されているのか。彼女はそっと文字をなぞり、語り続ける。
それは決定的となる、ある一夜の出来事からだった。
つづく
それはまだ霧の異変が終わり、紅い悪魔曰くじゃじゃ馬と対峙してから間もない頃。博麗神社には相変わらず、黒白の魔法使いと紅い悪魔と瀟洒な従者の姿があった。三人はさも当然のように居座り、霊夢から出されたお茶を啜っていた。
「あんた達、他にすることないの?」
霊夢のぼやきに、黒白の魔法使いは答える。
「することならあるぜ。こうやってお茶を飲んでる」
おかわりな、とでも言う様に空になった湯のみを突き出す。
「それはすることとは言わないのよ。あとそれくらい自分でやりなさい」
突き出された湯のみを押し戻し、悪魔と従者へと視線を向ける。悪魔は涼しげな顔で。従者はいつもの様に隣で、主とは別の意味で涼しげな顔でいる。
「あんた達二人も。いいの、館を空けて?」
霊夢は先の異変のことを思い出した。確かあの時も、この悪魔が館を留守にしていた時に起きたものだ。またあんなことになりはしないかと危惧しているのだ。
「大丈夫よ。あの子が外に出たとしても、パチュがどうにかしてくれるわ」
それが当たり前であるかのように呟き、湯のみに口を付ける。ある意味完璧なまでのその仕草に、霊夢は呆れ気味に息をついた。
「そんなこといってよ、レミリア。結局この間だって、パチュリーはあいつを止められなかったぜ?」
魔理沙の横槍に、レミリアではなく、その横に仕える従者が口を開いた。
「それはあなた達二人が介入したからでしょう?それさえしなければ、円滑に収まったかもしれないのに」
彼女の指摘は正しく、魔理沙はう~んと唸り反論を捻りだそうとしたが、結局いい案は浮かばず、誤魔化しに新しく注いだお茶をあおった。
「まぁいいじゃない咲夜。それがきっかけであの子は以前よりも外に出るようになったのだから」
レミリアは言い、空になった湯のみを魔理沙と同じ様に霊夢へと突き出す。
「なに?」
「お代わり、頂ける?」
霊夢はちらりと横の従者を睨む。お前の主が言っているのだ、従者であるあんたがやれ!という無言の訴えだ。しかしそんな訴えは咲夜に通じたのか否か。咲夜はただモアイよろしく静止しているままだった。
「自分でやりなさいよ」
「嫌よ。面倒くさい」
ピシャリと言い、湯のみを突き出す。霊夢はこの我が侭な悪魔の言動に半ば諦めの色を見せ、渋々湯のみを引っ手繰るように受け取り、お茶を注いだ。
「ありがとう」
そうやってまたあの完璧な仕草でお茶を啜る。紅茶ならその仕草は絵になっていただろうが、果たして日本茶とはこれいかに。しかし実際には、なかなかどうして絵になるものだ。それが妙に癪に障った霊夢は、一つ質問を投げかけた。
「そもそもさぁ、レミリア。何であんたは、フランと閉じ込めているの?」
ぴたり。レミリアは動きを止め、持っていた湯飲みを机に置いた。
「何故それを聞くの?」
湯のみの水面を見つめ、レミリアは問い返す。
「だって、あんたとフランは実の姉妹でしょ?確かにあのフランの能力は危険だけど、だからってなんであそこまでする必要があるの?」
「それは私も知りたいな。この間フランに聞いてみたけど、知らないの一点張りだったんだ。咲夜は何か知らないか?」
話に便乗してきた魔理沙は、質問の矛先を咲夜へと向けた。
「私が紅魔館に来た頃には、既に妹様は地下に幽閉されていたわ。詳しい事情は知らないわ」
答え、それから己の主へと視線を向ける。
「お嬢様、私もその理由を知りたいですね。何故実の妹を閉じ込める必要があったのか。教えていただけませんでしょうか?」
レミリアはしばし顔を伏せていたが、ゆっくりと首を上げた。
「他愛もない、姉妹喧嘩よ」
ポツリと呟き、そっと一冊の本を取り出した。それは本というにはあまりにも小さく、軽く、薄く。手帳という言葉がしっくり来るもので、かなりの年季が入っているのは一目だった。
レミリアはそれを慎重に。ともすれば、それは愛おしそうに捲り、始まりのページを開いた。そのページは無数の文字で埋め尽くされていた。彼女はその一行をすっと指でなぞり、語り始める。
「発端はとても些細なことだったの。私のお気に入りのカップをあの子が割ってしまった。そんな良くありそうなシチュエーションだった」
その頃、まだ紅魔館という名ではなく、スカーレット家という大きな屋敷だった。私とフランはそこの姉妹として生を受けた。だいたい五百年前くらいだったかしらね。最初に私が生まれ、五年後にフランが生まれた。スカーレット家は元々吸血鬼の血を引く家柄でね、私とフランももちろんその血を注いだわ。ただし、私たちはそれと別にもう一つのものを持って生まれてきた。それは過去数百年続くスカーレット家の歴史を覗いても無かった類まれなる力。私、レミリア・スカーレットは、運命を操る力。フランは、ありとあらゆるモノを破壊する力を、それぞれ持って生まれた。でも最初のうちはそんな力の使い方なんか分かるわけもなく、そもそも気づかなかった。私たちの父と母も―――もう顔も名前も思い出せないけど―――も、私たちの力については気づいてなかったみたいだった。
あれは、そうね。私が10を二つばかし超えた頃だったから、フランは七歳くらいだった頃ね。私が甚く気に入っていたマグカップをね、フランが壊したの。私は酷く怒ったわ。何で人の物を壊すの!って。今にして思えば、随分と小さいことだな、と当時の自分が呆れるわ。でもね、子供っていうのは皆その頃は、自分が世界の中心なのよ。それは人と妖も同じよ。それでね、フランが言うの。私は何もしていない。私はお部屋で遊んでった、て。そんな嘘だと思ったわ。だってその時家には私とフランしかいなかったんだもの。証言してくれる人も誰もいないもの。そうやって私はあの子をいっていることを嘘だと決め付け、幼心から酷く傷つけてしまった。
後で頭を冷やして考えてみれば、その時間フランはいつもお昼寝をしていた時間なの。頭に血が上ってしまって、全く思考が回らなかったのよね。でも気がついたころには後の祭りよ。謝るタイミングは見つからなかったわ。
せめてカップが壊れさえいなければ。私はその夜、そんな“もしも”のことを思いながら床についたの。でね、その翌日。フランが私の部屋に朝早く飛び込んで来たの。見て!って。とても嬉しそうな顔で。一体何があったのだろうと眠気眼でそれを見て、酷く吃驚したわ。だって壊れていたはずのカップが、しっかりと元の形でそこにあったのだもの。私は喜んだわ。思いが叶ったんだって。それからフランに謝ったわ。酷いことを言ってごめんなさい、と。フランはそれを許してくれて、そのまま姉妹仲良くめでたしめでたし。だったら、どれほど良かったか。もしかしたら、もうこの時から、私たちの運命の糸は狂い始めていたのかもしれないわね。
「それから数年くらいは、別段何事もなく平穏な日々が過ぎていったわ」
レミリアはそこまでを語り終え、三人の顔を窺った。皆それぞれ思案顔だ。その中でもよりわけ眉間に皺を寄せている魔理沙は言った。
「それってさ、フランの力がカップを壊して、お前の力で、カップが壊れるという運命を変えたってことか?」
魔理沙の指摘は正しく、レミリアは肯定した。
「ただしそれに気づいたのはずっと後のことよ。いったでしょ?当時の私たちはそんな力の使い方も知らなければ、そもそもの存在にすら気づいていない。両親でさえ気づかなかったんだもの。それにまだ子供。そんな細かい原因まで追究しようとは思わないわ。まだ自分の手が届く範囲が、世界の全てだった頃だもの」
それは今でも変わらないのではないだろうか、という言葉を、魔理沙はかろうじて飲み込んだ。
「それで、レミリア。その後のことは?」
霊夢は手帳へと視線を投じる。レミリアは、そうね、と呟き咲夜へ首だけを傾けた。
「咲夜、紅茶を出して頂戴。きっと長くなるわ」
「はい。ただいま」
いって咲夜はその場から姿を消した。お得意のタネ無し手品だろう。紅茶の準備には十分と掛かるまい。レミリアはそれまでの間手帳をパラパラと捲っていく。霊夢も、きっと長くなるだろうと予想し、同時にこんな面倒なことになるなら、あんな質問しなければ良かったと若干の後悔を残し、新しいお茶を淹れる。ついでに魔理沙にも。
しばらくして咲夜は突然と姿を現し、同時にレミリアの前には暖かい紅茶が置かれていた。
レミリアはありがとうと呟き、そっと口を付ける。少量の紅茶で唇を湿らせた後、また語り始める。愛おしげに手帳の文字をなぞりながら。
それから随分の年月が経ったわ。基本的に吸血鬼というのは老いることは無いの。だから私とフランはその頃から今の姿だったわ。
あのカップのことから随分と時間が経ってたわね。たぶん、五十年くらいかしら。だいぶ昔だから、特別印象に残っていないことは多分覚えていないわね。でもだいたいそれくらいよ。その当時ね、フランにはお友達だいたの。リズっていう、とっても可愛らしい、まるでお人形の様な子だったわ。その子はいつも屋敷に遊びにきてフランと遊んでいたわ。ちなみにそのリズって子は純粋な人間で、フランが吸血鬼であることは知らないわ。いつも屋敷の中で遊んでいたけど、気にならなかったのね。ちなみに私に友達がいたけれど、それはこの話にはさして関わりはないわ。でね、リズが遊びに来たある日のこと。フランとリズはその時屋敷でかくれんぼをしていたの。私は図書館で本を読んでいたわ。友達と一緒に。でね、リズは隠れる場所として図書館へやって来た。彼女は私たちのところへ来て、フランちゃんが来てもここには居ないって言ってね、と釘を刺された。私たちは言うとおりにうなづいた。そして彼女は背を向けて図書館の奥の方へと向かっていった。私はさして見送るつもりはなかったのだけど、ふと彼女の後ろ姿を見たとき、彼女の体から1本の紅い糸が垂れているのが見えたの。あれはなんであろうかと思い、声をかけようとした矢先。彼女の体が突然爆ぜた。なんの予告もなく、何の予兆もなく。本当に突然に爆ぜたの。まるで体内に爆竹でも仕掛けられていたのではないかというくらい、大きく爆ぜた。彼女の体はバラバラに飛び散り、血や臓物らが辺りに散乱した。血に慣れた今思い出しても嫌な光景よ。ほとんど―――吸血鬼なのに―――血を見ることのなかった当時なら尚更よ。事態を飲み込むより先に、目の前で起きた惨劇を認識してしまった。柄にも無く大声を上げてしまったわ。その友達も驚いた顔をしていたわ。私ほど取り乱したりしなかったけど。それでね、どうするかと考えようとしていたところへ、きっと私の声を聞きつけたのであろうフランがやって来たわ。どうしたの?と心配そうに私に声をかけたわ。それから私の友達を見て、次にかつてリズであった物を見た。
私と同じ、きっとそれ以上の悲鳴を上げたわ。それからそのかつて人であった物に駆け寄り、泣きながら彼女の名前を叫んでいた。リズ、リズ、て。でももう壊れてしまったものは元には戻らない。私たちはどうすることも出来なかった。ただフランは泣き崩れ、私は立ち尽くしたまま。私の友達も何をする訳でもなく、ただただ私たち姉妹を眺めていたわ。その後父と母がやってきて、事後慮理をしたわ。それがどういうものであるのかは判らないけれど、屋敷の外に出る度に彼女のことを耳にしなかったから、何かしらのことはやったのでしょうね。
さて、それからよ。リズが突然の変死を迎えてから何ヶ月から経った日のこと。私はあの時リズの体に見えた、紅い糸のことを思い出したの。あの糸が見えた直後に、彼女は絶命した。ひょっとしたらそれが彼女の死と関係あるのかもしれない、と。その時のフランはまだ友人を亡くしたショックから完全には立ち直れていなかったから、友達にそのことを相談したわ。友達は快く相談に応じてくれた。それから私たちはそのことについて調べ始めた。幸いにも私の屋敷にある図書館には、古今東西様々な書物が陳列されていたから、どこか遠出をする必要は無かった。ちなみにその友達は私が吸血鬼であることを知っているわ。それはさておき、調べ始めることまた数ヶ月。それらしい書物を見つけることが出来た。とても古い書物で、触れただけで崩れてしまいそうな程年月が経過していたものだった。それをどうにかして読める状態にして読んだの。そこには紅い糸について、いくつかの記述がされていた。
紅い糸というのは、本来は人と人外、ありとあらゆる存在が視認することは出来ないモノと記されており、それは俗に運命の糸と称されていた。その糸には様々な色があり、紅い糸というのは即ち死期の象徴であると綴られていた。
私は首を捻った。その糸はその者の運命の様なもので、人である者は当然とし、人でない者―――つまり私のような吸血鬼を始めとする妖―――にも視ることは出来ない。それが何故、自分は視ることが出来たのだろうか。友達はそれからまた別の書物を取り出したわ。それにはある一つの能力について書かれていた。それは“運命を操る”という、まるで奇跡の様な能力。それは森羅万象の運命を視ることができ、それを自らの手で変えることが出来る能力。その能力を持った者なら、運命の糸を視ることも可能。友達はそう言った。つまりその瞬間よ。私は自らに備わった能力について理解したのは。それから私はあの時の出来事を思い出した。カップが壊れ、翌日そのカップが元に戻っていた時のことを。あれもその能力の為だったとしたら辻褄が合うのだ。友達にそのことを話すと、彼女―――その友達とは女の子―――は、カップが元通りになったことよりも、壊れたことに興味を持った。私が暫く目を離した隙に、カップが壊れていたのだと説明し、その時屋敷には自分とフランしか居なかったと補足した。そして彼女は一通り聞き終えると、先ほど開いた書物を更に捲り、あるページを私に見せた。
万物には必ず綻びが存在し、その綻びを“目”とする。その“目”を潰せば、いかに強靭なモノといえど、木っ端になる。
どういうことか、と私は疑問に思い、彼女は更にページを捲った。
この“目”というのは、本来視ることも触れることも出来ない。しかし。ある特殊な力を持った者は、この“目”を自在に扱い、壊すことが可能。たとえいかにその対象と離れていようと、自らの手中に“目”を移動させることが出来るのだ。
つまり、と私は理解した。フランは、その“目”を自在に扱うことの出来る能力を有している。だから、あの時カップは壊れた。おそらく無意識での行動だったのだろう。当時はまだそんな能力のことなんて知る由も無かったから。そして私ははたと気づく。もしかしたら、リズを絶命させたのは、フランなのではないだろうか、と。彼女もその可能性に気づいていたらしく、顔を伏せていた。
合点が行き過ぎていた。まるで最初から予定調和であるかのようだった。
そうだ。きっとこの時からだ。運命が確かに狂い始めたのは。私の力を使っても、どうしようもならないくらい、狂い始めたのは。
「悪夢はそれからよ。もう取り返しのつかないほど、狂っていたわ」
レミリアは紅茶を啜り、静かに呟いた。おそらく彼女の胸中には、その当時の想いが去来しているのだろう。それがいかほどのものであるのか、まだ十数年しか生きていない彼女たちには理解できるものではなかった。
明らかに変わってしまった空気の中、霊夢は口を開いた。
「フランにそのことを知らせたのは何時?」
「そうね・・・流石にいきなり知らせるなんてことはしなかったわ。そんなことしたら、あの子確実に壊れていたもの。きっと自らを壊すくらいしたでしょうね。ちなみにね、霊夢。私はフランに直接この事実を知らせていないわ」
「それじゃぁ、どうやってフランはそのことを知ったの?」
「・・・あの子はね、私なんかよりもずっと純粋だったの。感情や感性、心が剥き出しなのよ。だから自分のことにも他人のことにももの凄く過敏なの。私が言わなくても、もしかしたらずっと前からそのことに気づいていたのかもしれないわ」
きっと、ずっと悩んでいたのかもしれない。綻びだらけのツギハギの世界の真ん中で。まだ私の世界が手の届く範囲までだった頃から、ずっと独りで。レミリアは胸中で言葉を落とした。
「それから」
魔理沙は口を開く。聊か緊張しているのか、声が若干上ずっている。
「それから、どうなったんだ?」
レミリアは頷き、手帳を捲る。果たしてその手帳には、一体何が記されているのか。彼女はそっと文字をなぞり、語り続ける。
それは決定的となる、ある一夜の出来事からだった。
つづく
続きを楽しみにまっています