その夜、その湖に吹く風は、いつになく凍えた。
秋の盛りは過ぎ、これからいくらもせぬうちに紅葉は落ちて木枯らしが吹こう。まして山の天辺ともなれば、この時期、夜は吐く息が白くなるほど寒い。
さらに、今、湖上を吹き抜ける風は荒れていた。
轟々と吹き乱れるそれこそは、神の息吹。神の威徳だった。
八坂神奈子は、抑えることなくその威を振るう。神の意を受けて、風は歓喜の雄叫びをあげて逆巻き、猛りうねって湖面を乱した。
風が己の髪をなぶるにまかせて、神奈子は目を細めて笑う。
蛇の笑みだった。
「我を呼ぶのは何処の人ぞ」
蛇の眼が、夜闇を貫いてその先を見る。
「おや? なーんだ、麓の巫女じゃないの。私に何か用?」
夜目にも鮮やかな紅白衣装の娘が、荒ぶる風の中に泰然として浮かぶ。神の身である神奈子にとっては既知であった。
博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
「随分とフランクな神様ね」
霊夢にとっては初対面のはずだが、言葉には全く遠慮がなかった。
さて、どっちがフランクなものやら。神奈子は内心苦笑する。
「最近は、厳かな雰囲気を見せるよりも友達感覚の方が信仰が集まりやすいのよ」
神奈子の言葉に、霊夢は、ふーんと気のない様子で応えた。
はたして、うつけ者なのか。それともよほどの大物なのか。
神奈子は二千を越える神社を統べる祭神である。これほどにぞんざいに相対する人間などついぞ知らぬ。神奈子自身がいかに気安かろうと、常ならば決して埋まらない溝がある。
それこそは、人と神との隔たりなのだ。
だが、
「まあいいや、うちの神社を乗っ取ろうとするの、あれ困るからやめてくれない?」
これだ。
この巫女には、その隔たりが一切無かった。「まあいいや」ときたものだ。曲がりなりにも神に仕える身のくせに。
くっくっと神奈子は笑った。
幻想郷(ここ)は、予想外に楽しいところのようだ。そう思った。
「乗っ取ろうとなんてしていないわよ。私は貴方の神社を助けたいだけ」
神奈子は軽く指を振る。
ただ、それだけで、それまで吹き荒れていた風が一切ぴたりと治まった。
「貴方の神社に人が集まるようにしたいだけ」
雲が晴れて、円い月が姿を現す。
「妖怪の魔の手から救いたいだけ」
月光は水面で反射して白く輝き、中空に浮かぶ神と巫女を上下から照らした。
その光が眩しかったものか。霊夢はわずかに顔をしかめる。
「余計なお世話よ」
神を前にして、その力を目のあたりにして、一切動じない。
月の眩しさに目を細めこそすれ、神奈子を見据えて揺るがない。
「大体ねぇ、例えあんたを祀っても信仰が増えるかどうか判らないじゃん」
霊夢のその言葉を聞いて、ついに神奈子は声を出して笑った。
神奈子は、こういった撥ねっ返りがことのほか好きだった。相手が何者であっても怯まず、自分が思うところを胸を張って言う。神奈子自身、高い身分でありながらも、格式やら権威やらは堅苦しくて好まない性質(たち)だ。なにしろ、元々は荒事上等の戦神である。回りくどい上品な言い回しなどより、ずけずけと言い合う方が楽だった。
神奈子は、次第にこの人間の少女が気に入り始めていた。
なにしろ、その胆力が図抜けている。彼女は間違いなく神奈子と一戦交える気でいるが、どうして気負ったところが全く見られない。
戦い慣れている。それも、相当の修羅場をくぐった猛者だ。
なるほど、これでは早苗が敵わぬも道理か。そう、神奈子は思う。
早苗とて天稟があるし、修行も熱心にこなした。身内贔屓をさっ引いてもひとかどの力量あり、と神奈子は見ている。が、それでも霊夢との差は歴然である。これは単純に場数の差であろう。実戦でなければ学べないことは、確かにあるのだ。
しかし、悲しいかな、どれほどの実力があろうと、霊夢は人だ。
神奈子にも立場がある。神としての務めがある。
「信仰は零よりも減ることはあり得ない」
神の務めとは、
「幻想郷に足りない物は神様を信じる心。巫女の貴方なら判るでしょう?」
人を、導くことだ。
神奈子の言葉を聞いて、霊夢は、むっと口を尖らせた。
「私だって、神社に参拝客が来たらいいなあと思ってるわよ。でも、それは私の力で何とかするから……。貴方の力なんか借りないから……」
この場で、初めて見せる揺らぎだった。
なんとまあ、可愛いところもあるものだ。神奈子は、知らず口元を綻ばせる。
聡い娘だ。神奈子の言に理があることは、彼女だってわかっているはずだ。
そして、だからこそ、神奈子は告げねばならない。
「神社は巫女の為にあるのではない」
知らしめなければならない。
「神社は神の宿る場所」
神として、霊夢を憂えるからこそ、幻想郷を思うからこそ、
「そろそろ――神社の意味を真剣に考え直す時期よ!」
戦わねばならない。
お互い、戦闘態勢への移行は速やかだった。
神奈子が風の手綱を緩める。霊夢が袂の中の得物を握る。
神威が刃となって走るのと、霊夢がそれを投擲するのはほとんど同時だった。ただ、それだけで、神奈子はその疾さに内心舌を巻く。
その細いフォルムから、それが針の類であることは知れた。おそらくは退魔の技である。だが、神の身ですら、それを捌くのは間に合わない。それほどに、疾い。
狙いは、恐ろしく精確だった。神奈子の眉間。その一点である。
背中からうなじまで痺れそうだった。
痺れそうに、楽しい。
ああ、やはり自分は戦神なのだな、と神奈子は今更ながらに思い知る。この高揚感。この戦慄。永いこと忘れていた。そのどれもが、神奈子の心躍るものばかりだ。
身体は考えるまでもなく動いた。時間にすれば、開幕から半秒にも満たない。だが、それを止めるには十分であった。
右手の人差し指と中指が、それを止めた。眉間まで拳一つの距離である。
そこで、ようやくそれが何かを見ることができた。
それこそは、霊験もあらたかな……、
「……爪楊枝?」
爪楊枝だった。
「ちょ、ちょっとタンマ、タンマ! おいこら、何よこれはっ!」
「あー? 何って何よ」
「これよ、これ! あんたいったい何投げてんのよ!」
「え? あ、これ爪楊枝。やだ、間違っちゃった」
「間違う!? 間違うか、普通!?」
「ほら、河童からきゅうりもらっちゃったからさー。もろきゅう作って出がけにつまんでたのよねー。ちょうど良い位置にあったのよねえ、きっと」
「あんたねえ! これから戦おうって時にのんびりもろきゅうなんか食ってんじゃないわよ!」
「いや、これが美味しいのよ。結構、自信作」
「あ、ほんとだ。美味しい。いけるわね、これ」
「でしょう?」
「って、持ってきてんじゃないわよ、あんた! ここまでポリポリ食いながら来たんかいっ!」
「やーねえ。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「怒るわよ! この私のテンション、どうしてくれんのよ!」
「いーじゃん、別にこのまま続けても」
「よくないわよ! 雰囲気ってもんがあるでしょうが、雰囲気ってもんが! どこの世界に爪楊枝で戦う主人公がいるか! 仕切り直し、仕切り直し! いーから、とっとと出直しといで!」
「えー」
「えーじゃないっ!」
結局、神奈子は霊夢を山から叩き出した。
それにしても、ここに至るまで爪楊枝とは。早苗を含む各ボスの悲哀を思うと、涙を禁じ得ない。
「……帰ろ」
帰って、早苗を慰めよう。まずは家中の爪楊枝を処分せねばなるまい。きっと、今の早苗にはウサギさんリンゴに突っ立ったそれですら辛かろうから。
「ああ、でも美味かったな、もろきゅう」
翌日、霊夢は座布団を持ってやってきた。
秋の盛りは過ぎ、これからいくらもせぬうちに紅葉は落ちて木枯らしが吹こう。まして山の天辺ともなれば、この時期、夜は吐く息が白くなるほど寒い。
さらに、今、湖上を吹き抜ける風は荒れていた。
轟々と吹き乱れるそれこそは、神の息吹。神の威徳だった。
八坂神奈子は、抑えることなくその威を振るう。神の意を受けて、風は歓喜の雄叫びをあげて逆巻き、猛りうねって湖面を乱した。
風が己の髪をなぶるにまかせて、神奈子は目を細めて笑う。
蛇の笑みだった。
「我を呼ぶのは何処の人ぞ」
蛇の眼が、夜闇を貫いてその先を見る。
「おや? なーんだ、麓の巫女じゃないの。私に何か用?」
夜目にも鮮やかな紅白衣装の娘が、荒ぶる風の中に泰然として浮かぶ。神の身である神奈子にとっては既知であった。
博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
「随分とフランクな神様ね」
霊夢にとっては初対面のはずだが、言葉には全く遠慮がなかった。
さて、どっちがフランクなものやら。神奈子は内心苦笑する。
「最近は、厳かな雰囲気を見せるよりも友達感覚の方が信仰が集まりやすいのよ」
神奈子の言葉に、霊夢は、ふーんと気のない様子で応えた。
はたして、うつけ者なのか。それともよほどの大物なのか。
神奈子は二千を越える神社を統べる祭神である。これほどにぞんざいに相対する人間などついぞ知らぬ。神奈子自身がいかに気安かろうと、常ならば決して埋まらない溝がある。
それこそは、人と神との隔たりなのだ。
だが、
「まあいいや、うちの神社を乗っ取ろうとするの、あれ困るからやめてくれない?」
これだ。
この巫女には、その隔たりが一切無かった。「まあいいや」ときたものだ。曲がりなりにも神に仕える身のくせに。
くっくっと神奈子は笑った。
幻想郷(ここ)は、予想外に楽しいところのようだ。そう思った。
「乗っ取ろうとなんてしていないわよ。私は貴方の神社を助けたいだけ」
神奈子は軽く指を振る。
ただ、それだけで、それまで吹き荒れていた風が一切ぴたりと治まった。
「貴方の神社に人が集まるようにしたいだけ」
雲が晴れて、円い月が姿を現す。
「妖怪の魔の手から救いたいだけ」
月光は水面で反射して白く輝き、中空に浮かぶ神と巫女を上下から照らした。
その光が眩しかったものか。霊夢はわずかに顔をしかめる。
「余計なお世話よ」
神を前にして、その力を目のあたりにして、一切動じない。
月の眩しさに目を細めこそすれ、神奈子を見据えて揺るがない。
「大体ねぇ、例えあんたを祀っても信仰が増えるかどうか判らないじゃん」
霊夢のその言葉を聞いて、ついに神奈子は声を出して笑った。
神奈子は、こういった撥ねっ返りがことのほか好きだった。相手が何者であっても怯まず、自分が思うところを胸を張って言う。神奈子自身、高い身分でありながらも、格式やら権威やらは堅苦しくて好まない性質(たち)だ。なにしろ、元々は荒事上等の戦神である。回りくどい上品な言い回しなどより、ずけずけと言い合う方が楽だった。
神奈子は、次第にこの人間の少女が気に入り始めていた。
なにしろ、その胆力が図抜けている。彼女は間違いなく神奈子と一戦交える気でいるが、どうして気負ったところが全く見られない。
戦い慣れている。それも、相当の修羅場をくぐった猛者だ。
なるほど、これでは早苗が敵わぬも道理か。そう、神奈子は思う。
早苗とて天稟があるし、修行も熱心にこなした。身内贔屓をさっ引いてもひとかどの力量あり、と神奈子は見ている。が、それでも霊夢との差は歴然である。これは単純に場数の差であろう。実戦でなければ学べないことは、確かにあるのだ。
しかし、悲しいかな、どれほどの実力があろうと、霊夢は人だ。
神奈子にも立場がある。神としての務めがある。
「信仰は零よりも減ることはあり得ない」
神の務めとは、
「幻想郷に足りない物は神様を信じる心。巫女の貴方なら判るでしょう?」
人を、導くことだ。
神奈子の言葉を聞いて、霊夢は、むっと口を尖らせた。
「私だって、神社に参拝客が来たらいいなあと思ってるわよ。でも、それは私の力で何とかするから……。貴方の力なんか借りないから……」
この場で、初めて見せる揺らぎだった。
なんとまあ、可愛いところもあるものだ。神奈子は、知らず口元を綻ばせる。
聡い娘だ。神奈子の言に理があることは、彼女だってわかっているはずだ。
そして、だからこそ、神奈子は告げねばならない。
「神社は巫女の為にあるのではない」
知らしめなければならない。
「神社は神の宿る場所」
神として、霊夢を憂えるからこそ、幻想郷を思うからこそ、
「そろそろ――神社の意味を真剣に考え直す時期よ!」
戦わねばならない。
お互い、戦闘態勢への移行は速やかだった。
神奈子が風の手綱を緩める。霊夢が袂の中の得物を握る。
神威が刃となって走るのと、霊夢がそれを投擲するのはほとんど同時だった。ただ、それだけで、神奈子はその疾さに内心舌を巻く。
その細いフォルムから、それが針の類であることは知れた。おそらくは退魔の技である。だが、神の身ですら、それを捌くのは間に合わない。それほどに、疾い。
狙いは、恐ろしく精確だった。神奈子の眉間。その一点である。
背中からうなじまで痺れそうだった。
痺れそうに、楽しい。
ああ、やはり自分は戦神なのだな、と神奈子は今更ながらに思い知る。この高揚感。この戦慄。永いこと忘れていた。そのどれもが、神奈子の心躍るものばかりだ。
身体は考えるまでもなく動いた。時間にすれば、開幕から半秒にも満たない。だが、それを止めるには十分であった。
右手の人差し指と中指が、それを止めた。眉間まで拳一つの距離である。
そこで、ようやくそれが何かを見ることができた。
それこそは、霊験もあらたかな……、
「……爪楊枝?」
爪楊枝だった。
「ちょ、ちょっとタンマ、タンマ! おいこら、何よこれはっ!」
「あー? 何って何よ」
「これよ、これ! あんたいったい何投げてんのよ!」
「え? あ、これ爪楊枝。やだ、間違っちゃった」
「間違う!? 間違うか、普通!?」
「ほら、河童からきゅうりもらっちゃったからさー。もろきゅう作って出がけにつまんでたのよねー。ちょうど良い位置にあったのよねえ、きっと」
「あんたねえ! これから戦おうって時にのんびりもろきゅうなんか食ってんじゃないわよ!」
「いや、これが美味しいのよ。結構、自信作」
「あ、ほんとだ。美味しい。いけるわね、これ」
「でしょう?」
「って、持ってきてんじゃないわよ、あんた! ここまでポリポリ食いながら来たんかいっ!」
「やーねえ。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「怒るわよ! この私のテンション、どうしてくれんのよ!」
「いーじゃん、別にこのまま続けても」
「よくないわよ! 雰囲気ってもんがあるでしょうが、雰囲気ってもんが! どこの世界に爪楊枝で戦う主人公がいるか! 仕切り直し、仕切り直し! いーから、とっとと出直しといで!」
「えー」
「えーじゃないっ!」
結局、神奈子は霊夢を山から叩き出した。
それにしても、ここに至るまで爪楊枝とは。早苗を含む各ボスの悲哀を思うと、涙を禁じ得ない。
「……帰ろ」
帰って、早苗を慰めよう。まずは家中の爪楊枝を処分せねばなるまい。きっと、今の早苗にはウサギさんリンゴに突っ立ったそれですら辛かろうから。
「ああ、でも美味かったな、もろきゅう」
翌日、霊夢は座布団を持ってやってきた。
ラストでやられたwwww
爪楊枝で6面まで来れたのは凄いけど、結局BAD ENDなのねwww
そっか爪楊枝か……爪楊枝か……とりあえず早苗さん乙でしたw
シュールだww
そんなもん大量に持ってくる霊夢の筋力にまずはすげえ
いっそ拳で神奈子が一撃というのもじゅうぶんありえる
こう来ると『TYPE C』は溜まりに溜まった文々。新聞とかですか違いますねすいません。
序盤のかっこよさを微塵も生かそうとしない展開にすっ転びました。あなたって人はー!
想像したらシュールにもほどがあるwwww
>どこの世界に爪楊枝で戦う主人公がいるか
黄昏酒場の世界ww