今宵ばかりはメイド服でもいられまい。
十六夜 咲夜はメイド服を丁寧に畳み、黒いコスチュームに着替えた。
興奮のためか顔はほのかに紅潮している。
咲夜は時計を見つめる。
23時59分。秒針がゆっくりと進んでいき、ついに0時の鐘が鳴った。
咲夜は部屋を飛び出し、周囲を警戒しながら隣の部屋に入った。
暗い部屋に灯りをともすと、机の上にうっすらとカセットテープが浮かび上がった。
脇にはちゃんとイヤーフォン付きのウォークマンも置かれている。
咲夜は注意深く無ラベルのカセットテープをウォークマンに入れ、片耳にだけイヤーフォンをつっ込み再生ボタンを押した。
突如、パチュリーの声が耳に入る。
「(しばしノイズ) こんばんは。十六夜 咲夜君。とりあえず、ここまで来たことは認めるわ。おめでとう。しかし、本番はこれから。あなたにはこれから私の指示通り、ある物を回収して来てもらいます。まずは右手のクローゼットを開けなさい」
咲夜は右手のクローゼットを開ける。
「まずはサングラスよ。取りなさい。暗視効果があるわ」
咲夜は言われた通り、サングラスをかける。
「かけたかしら。次にガラガラを取りなさい。鳴らないように慎重に。そしてその脇のおしゃぶりも。それと妹様の部屋の鍵」
ガラガラとおしゃぶりと鍵を取って胸元に入れる。ガラガラというのは、赤ん坊をあやすあれを想像してもらって間違いない。
「次にブタさんぬいぐるみを取りなさい。ナイフもついでに」
肌色のブタさんぬいぐるみとナイフを取って、胸元に入れる。
「最後に上段のクリスタル球を取りなさい。取ったら強く握りなさい」
咲夜は上段のクリスタル球を取って強く握る。すると怪しく光り出し、そこから声が聞こえた。
「よし。ちゃんと作動したわね。これからはこのクリスタル球で連絡を取り合います。テープの方は自動消滅するわ」
何。聞いてないぞ。
払い落とす間もなくテープは煙を上げて爆発した。
胸が爆心地となり咲夜はむせた。
「大丈夫かしら。むせてない?」
「だ、大丈夫です。無事です」げほげほげほげほ。
「ならいいわ。任務開始よ。アンダーソン君」
アンダーソン。咲夜はこの任務の間、アンダーソンである。
「まずは廊下へ出て、極力静かに妹様のいらっしゃる地下室へ向かいなさい。通信はこれにてひとまず打ち切ります。指示を仰ぐ場合に限りクリスタル球を圧迫しなさい。(ノイズ)」
咲夜は内ポケットにクリスタル球をしまい、忍び足で移動し始めた。
ここは3階である。地下室へ向かうには1階まで降り、大広間を横切り、図書館を通る必要がある。
咲夜は走り出した。が、間もなく曲がり角の前で足を止めてクリスタル球を圧迫する。
「何かしら」
「10メートル先に人の気配がします。どうしますか」
「必要なら片付けなさい。極力静かに」
無理だろう。
咲夜は思った。
物陰から飛び出した二人のメイドはナイフを振るってきた。
「うお」
咲夜は引き下がってナイフを避けると、時を止めて一人ずつ延髄蹴りを入れた。
二人は音もなく倒れる。
「大丈夫?」
「はい」
「任務続行。通信切断」
咲夜は再び走る。
大広間に辿り着くまで襲われた回数、実に21回。
咲夜は息を切らして大広間に駆け込んだ。
「こんばんは。アンダーソン君?」
突如聞こえる声。
紅美鈴である。
机も椅子も撤去され、がらん、と開いた大広間の中央。ただ一つ置かれたソファーにサングラスをかけた紅美鈴が座っていた。
「任務の途中で邪魔して悪かったかな? アンダーソン君」
「アンダーソン君」のアクセントが実にいやらしい。
「いいえ? 何かご用?」
「罪もないメイド達を倒してここまで来た苦労、認めるよ。私の名前は」
「必要ないわ」
美鈴は座ったままで、中指を動かし「かかってこい」のポーズをした。
「は」
咲夜はソファーに座る美鈴に駆け寄り、その顔面目掛けて蹴りを繰り出した。
足刀蹴りである。
その蹴りは常人では「これが人間の蹴りか?」と思ってしまうほどの凄い蹴りで咲夜の足先の動きは常人には見えない早さであった。
が、美鈴は右手の掌一つで止めた。
咲夜に衝撃走る。
「発気」
サングラスのせいで表情はほとんど読み取れなかったが、美鈴はおそらく笑っていた。
「握」
そのまま、美鈴の掌が狭められていく。
つま先が握りつぶされてしまう。
直感した咲夜は時を止めた。
片足を握られた不安定な体勢から左足だけで体を支え、美鈴の体をたこ殴りにする。
右頬3発、顎下2発、左肩6発、左あばら1発、そして右腕12発。
時が再始動すると、美鈴はサングラスを吹っ飛ばしながらよろめき、ソファーごと後ろに転がった。
「うおお」
美鈴は相当驚いたようで、殴られた箇所を抑えて呻いた。
「なる程、時間操作ね。だが、甘い。全然甘い。私の体は気で守られている」
美鈴だから大丈夫なのであって、常人であれば死ぬ。
咲夜は美鈴がサングラスを拾うのを待ってやる。
「油断していたことには変わりない、本気で行こう」
美鈴は一呼吸吸い込むと、あっという間に咲夜の懐に潜り込んだ。
常人であれば「これが人間の動きか?」と思ってしまうようなステップで、咲夜でさえも驚いた。
5メートル程開いていた距離は半呼吸の内に50センチに縮まり、踏み込んだままの勢いで美鈴は足を振り上げた。
咲夜は驚愕した。
右腕と左腕両方で辛うじて防いだのにも関わらず、体が宙に浮いた。
美鈴の顔は至って冷静である。
「そうら。堕(お)ちろ」
間髪入れず美鈴は飛び上がり、咲夜の肩口に踵落としを入れた。
「うっ」
カーペットの上に叩きつけられた咲夜は堪らず、うめき声を上げる。
「今のが本気だ。視(み)えたか? 骨がいったかな」
どうやら骨がいったかもしれない。咲夜は左肩を押さえて立ち上がる。
「どうやら連続して時を止められな」
咲夜は時を止めた。
美鈴に走り寄り、渾身のドロップキックを入れ、狂ったように鳩尾を叩き続けた。
時が始動する。
「い、う」
物理法則によって美鈴は4メートルほど吹き飛んだ。
が、しかし空中で姿勢を持ち直す。
「ふう。流石に効いたよ。常人なら骨も残さず死んでいた」
咲夜は愕然とした。
常人であれば、死ぬまで殺すはずの一撃を食らって平然としていられるものだろうか。
「今の私は調子がいい。全盛期のチャック・ノリスですら私の前では泣いて許しを乞う」
勝てない。
咲夜は本能的に悟った。
「時を止められない内に」
美鈴が再び迫ってくる。
咲夜の体力は限界であった。
が、駄目。
「発頸」
かけ声とともに美鈴の拳が三発、咲夜の脇腹を打った。
咲夜はきりもみして吹っ飛び、カーペットの上に這いつくばった。
止めて。もう止めて。ぶたないで。
「そろそろお別れだ。アンダーソン君」
美鈴がゆっくりと咲夜に近づいてくる。
もう駄目であった。時間が再び止められるタイミングが回って来たが、脇腹をしたたかに打たれて立ち上がることもままならず、美鈴もそれを知っているのだろう。
と、その時。咲夜の目はケーキを見つけた少女のように輝いた。
まあ、良いところにシャンデリア。
咲夜も惚れ惚れとするような巨大なシャンデリアが天井から垂れ下がっていたのだ。
「待って」
「何」
美鈴が足を止めた。
「ゆ、遺言」
咲夜は静かに時を止めた。
パチュリーから貰ったナイフを一本、天井に放り投げる。
シャンデリアを繋いでいた線がすっぱり両断され、ナイフは天井に突き刺さった。
咲夜は元の体勢に戻り、時が動き出す。
「だ。言ってみなさい」
相手が馬鹿でよかった。
巨大なウェディングケーキの様なシャンデリアは音もなく美鈴の頭上に落ちる。
飾りが砕け散り、美鈴は下敷きとなって倒れ伏す。
「見事だ。アンダーソン」
美鈴は気絶した。
咲夜は溜息一つ吐き、また走り出した。
ついにフランドールの部屋の前、図書館まで辿り着きクリスタル球を圧迫する。
「ついに図書館まで辿り着きました」
「うん。よくやったわ。図書館の一番奥の出口には栄養ドリンクが置いてあるから存分に飲みなさい」
「はい」
「それでは任務を伝えるわ。あなたの任務は、妹様の部屋のクマさんぬいぐるみをブタさんに代えてくること。以上よ」
愕然。強敵を倒したばかりでこの仕打ち。
「妹様はお腹いっぱいでぐっすりのはずよ」
「起こさずにですか」
「起こしてもいいわよ。やることやってくれば」
知ったこと。フランドールを起こせば即、首が飛ぶ。部屋で取ったガラガラやおしゃぶりはそういうことなのだ。
「分かりました。また連絡します」
通信が切れて、咲夜は走り出す。
図書館の出口で栄養ドリンクを飲むことも忘れて、ついにフランドールの部屋の前まで辿り着いた。
鍵を静かに開けて、中へ入る。
寝息らしい音が聞こえた。
部屋の構造はトイレ、バスタブの付いた個室が右側にあり、まっすぐ進むとそのままフランドールのベッドがある。
何度か入ってお世話をしていたため、知っていた。
暗視サングラスを頼りにクマのぬいぐるみを探す。
テーブルの上にはない。窓際にはない。
あった。
フランドールが抱えていた。そう。この任務はそういうことなのである。
何としても攻略しなければならない。
咲夜はフランドールに近づき、膨らんだ腹を撫でた。
柔らかい。
もう一度撫でてみる。その内に止まらなくなる。
自分は一体、何をしているのだ。危ないところであった。
咲夜はクマに手を伸ばした。
外れない。とてつもない力でがっちり抱えられている。
どうしよう。
「××××、お×××、×××××」
耳元でとんでもないセリフを呟いてみるが、反応は無い。
咲夜は懐からブタさんぬいぐるみを取り出した。
そして、フランドールの脇腹をくすぐる。
反応があった。フランドールは身をよじる。手が緩んだ。
咲夜は即座にクマを抜き取った。
フランドールが唸る。
咲夜にも緊張の一瞬だ。
フランドールの手が空中を掴んで彷徨っている。咲夜がすぐにブタのぬいぐるみを掴ませると収まり、再び安らかな寝息を立て始めた。
やった。ついにやりました。咲夜は小躍りした。
その瞬間、咲夜はうっかり机に胸をぶつけてしまう。
ご存じの通り、ここにはクリスタル球が入っている。
「(ノイズ)こちらパチュリー」
パチュリーの声が響いた。フランドールが呻く。
死んだ。咲夜は直感した。
「な、何でもありません。お戻りください」
「そう(ノイズ)」
フランドールが薄目を開けた。咲夜はとっさに顔を隠し身をかがめる。
「う、ううん。パチュリー? そこにいるの?」
「はい、そうですよ(裏声)」
「そう」
フランドールはブタのぬいぐるみを抱えて再び眠りに着き、咲夜は布団をかけるとすぐに部屋から出た。
大仕事だった。
咲夜は図書館で飲み忘れたドリンクを一気に飲み干し、レミリアの部屋へひた走った。
が、その必要はなかった。
大広間には全員が集合していた。
咲夜が入ると、打ち倒したメイド達と美鈴が駆け寄ってきた。
「どうでしたか」
咲夜はクマのぬいぐるみを高く掲げ、歓声が起こる。
クラッカーだかシャンパンだか弾ける音が聞こえた。
「おめでとうございます」
咲夜はよろめく美鈴の体を見る。
「大丈夫?」
「はい、何とか」
「シャンデリアは?」
「パチュリー様が元に戻すそうで」
美鈴が笑った。
パチュリーとレミリアも駆け寄ってくる。
咲夜は精一杯笑顔を作った。
「これは確かにクマさんのぬいぐるみね」
咲夜の周りに視線が集中する。
「合格」
パチュリーが高らかに叫んだ。
メイド達が拍手する。
レミリアは咲夜の肩を叩いて、全員に聞こえるように声を張り上げた。
「これからはこの十六夜 咲夜が新メイド長となる。以上だ」
十六夜 咲夜はメイド服を丁寧に畳み、黒いコスチュームに着替えた。
興奮のためか顔はほのかに紅潮している。
咲夜は時計を見つめる。
23時59分。秒針がゆっくりと進んでいき、ついに0時の鐘が鳴った。
咲夜は部屋を飛び出し、周囲を警戒しながら隣の部屋に入った。
暗い部屋に灯りをともすと、机の上にうっすらとカセットテープが浮かび上がった。
脇にはちゃんとイヤーフォン付きのウォークマンも置かれている。
咲夜は注意深く無ラベルのカセットテープをウォークマンに入れ、片耳にだけイヤーフォンをつっ込み再生ボタンを押した。
突如、パチュリーの声が耳に入る。
「(しばしノイズ) こんばんは。十六夜 咲夜君。とりあえず、ここまで来たことは認めるわ。おめでとう。しかし、本番はこれから。あなたにはこれから私の指示通り、ある物を回収して来てもらいます。まずは右手のクローゼットを開けなさい」
咲夜は右手のクローゼットを開ける。
「まずはサングラスよ。取りなさい。暗視効果があるわ」
咲夜は言われた通り、サングラスをかける。
「かけたかしら。次にガラガラを取りなさい。鳴らないように慎重に。そしてその脇のおしゃぶりも。それと妹様の部屋の鍵」
ガラガラとおしゃぶりと鍵を取って胸元に入れる。ガラガラというのは、赤ん坊をあやすあれを想像してもらって間違いない。
「次にブタさんぬいぐるみを取りなさい。ナイフもついでに」
肌色のブタさんぬいぐるみとナイフを取って、胸元に入れる。
「最後に上段のクリスタル球を取りなさい。取ったら強く握りなさい」
咲夜は上段のクリスタル球を取って強く握る。すると怪しく光り出し、そこから声が聞こえた。
「よし。ちゃんと作動したわね。これからはこのクリスタル球で連絡を取り合います。テープの方は自動消滅するわ」
何。聞いてないぞ。
払い落とす間もなくテープは煙を上げて爆発した。
胸が爆心地となり咲夜はむせた。
「大丈夫かしら。むせてない?」
「だ、大丈夫です。無事です」げほげほげほげほ。
「ならいいわ。任務開始よ。アンダーソン君」
アンダーソン。咲夜はこの任務の間、アンダーソンである。
「まずは廊下へ出て、極力静かに妹様のいらっしゃる地下室へ向かいなさい。通信はこれにてひとまず打ち切ります。指示を仰ぐ場合に限りクリスタル球を圧迫しなさい。(ノイズ)」
咲夜は内ポケットにクリスタル球をしまい、忍び足で移動し始めた。
ここは3階である。地下室へ向かうには1階まで降り、大広間を横切り、図書館を通る必要がある。
咲夜は走り出した。が、間もなく曲がり角の前で足を止めてクリスタル球を圧迫する。
「何かしら」
「10メートル先に人の気配がします。どうしますか」
「必要なら片付けなさい。極力静かに」
無理だろう。
咲夜は思った。
物陰から飛び出した二人のメイドはナイフを振るってきた。
「うお」
咲夜は引き下がってナイフを避けると、時を止めて一人ずつ延髄蹴りを入れた。
二人は音もなく倒れる。
「大丈夫?」
「はい」
「任務続行。通信切断」
咲夜は再び走る。
大広間に辿り着くまで襲われた回数、実に21回。
咲夜は息を切らして大広間に駆け込んだ。
「こんばんは。アンダーソン君?」
突如聞こえる声。
紅美鈴である。
机も椅子も撤去され、がらん、と開いた大広間の中央。ただ一つ置かれたソファーにサングラスをかけた紅美鈴が座っていた。
「任務の途中で邪魔して悪かったかな? アンダーソン君」
「アンダーソン君」のアクセントが実にいやらしい。
「いいえ? 何かご用?」
「罪もないメイド達を倒してここまで来た苦労、認めるよ。私の名前は」
「必要ないわ」
美鈴は座ったままで、中指を動かし「かかってこい」のポーズをした。
「は」
咲夜はソファーに座る美鈴に駆け寄り、その顔面目掛けて蹴りを繰り出した。
足刀蹴りである。
その蹴りは常人では「これが人間の蹴りか?」と思ってしまうほどの凄い蹴りで咲夜の足先の動きは常人には見えない早さであった。
が、美鈴は右手の掌一つで止めた。
咲夜に衝撃走る。
「発気」
サングラスのせいで表情はほとんど読み取れなかったが、美鈴はおそらく笑っていた。
「握」
そのまま、美鈴の掌が狭められていく。
つま先が握りつぶされてしまう。
直感した咲夜は時を止めた。
片足を握られた不安定な体勢から左足だけで体を支え、美鈴の体をたこ殴りにする。
右頬3発、顎下2発、左肩6発、左あばら1発、そして右腕12発。
時が再始動すると、美鈴はサングラスを吹っ飛ばしながらよろめき、ソファーごと後ろに転がった。
「うおお」
美鈴は相当驚いたようで、殴られた箇所を抑えて呻いた。
「なる程、時間操作ね。だが、甘い。全然甘い。私の体は気で守られている」
美鈴だから大丈夫なのであって、常人であれば死ぬ。
咲夜は美鈴がサングラスを拾うのを待ってやる。
「油断していたことには変わりない、本気で行こう」
美鈴は一呼吸吸い込むと、あっという間に咲夜の懐に潜り込んだ。
常人であれば「これが人間の動きか?」と思ってしまうようなステップで、咲夜でさえも驚いた。
5メートル程開いていた距離は半呼吸の内に50センチに縮まり、踏み込んだままの勢いで美鈴は足を振り上げた。
咲夜は驚愕した。
右腕と左腕両方で辛うじて防いだのにも関わらず、体が宙に浮いた。
美鈴の顔は至って冷静である。
「そうら。堕(お)ちろ」
間髪入れず美鈴は飛び上がり、咲夜の肩口に踵落としを入れた。
「うっ」
カーペットの上に叩きつけられた咲夜は堪らず、うめき声を上げる。
「今のが本気だ。視(み)えたか? 骨がいったかな」
どうやら骨がいったかもしれない。咲夜は左肩を押さえて立ち上がる。
「どうやら連続して時を止められな」
咲夜は時を止めた。
美鈴に走り寄り、渾身のドロップキックを入れ、狂ったように鳩尾を叩き続けた。
時が始動する。
「い、う」
物理法則によって美鈴は4メートルほど吹き飛んだ。
が、しかし空中で姿勢を持ち直す。
「ふう。流石に効いたよ。常人なら骨も残さず死んでいた」
咲夜は愕然とした。
常人であれば、死ぬまで殺すはずの一撃を食らって平然としていられるものだろうか。
「今の私は調子がいい。全盛期のチャック・ノリスですら私の前では泣いて許しを乞う」
勝てない。
咲夜は本能的に悟った。
「時を止められない内に」
美鈴が再び迫ってくる。
咲夜の体力は限界であった。
が、駄目。
「発頸」
かけ声とともに美鈴の拳が三発、咲夜の脇腹を打った。
咲夜はきりもみして吹っ飛び、カーペットの上に這いつくばった。
止めて。もう止めて。ぶたないで。
「そろそろお別れだ。アンダーソン君」
美鈴がゆっくりと咲夜に近づいてくる。
もう駄目であった。時間が再び止められるタイミングが回って来たが、脇腹をしたたかに打たれて立ち上がることもままならず、美鈴もそれを知っているのだろう。
と、その時。咲夜の目はケーキを見つけた少女のように輝いた。
まあ、良いところにシャンデリア。
咲夜も惚れ惚れとするような巨大なシャンデリアが天井から垂れ下がっていたのだ。
「待って」
「何」
美鈴が足を止めた。
「ゆ、遺言」
咲夜は静かに時を止めた。
パチュリーから貰ったナイフを一本、天井に放り投げる。
シャンデリアを繋いでいた線がすっぱり両断され、ナイフは天井に突き刺さった。
咲夜は元の体勢に戻り、時が動き出す。
「だ。言ってみなさい」
相手が馬鹿でよかった。
巨大なウェディングケーキの様なシャンデリアは音もなく美鈴の頭上に落ちる。
飾りが砕け散り、美鈴は下敷きとなって倒れ伏す。
「見事だ。アンダーソン」
美鈴は気絶した。
咲夜は溜息一つ吐き、また走り出した。
ついにフランドールの部屋の前、図書館まで辿り着きクリスタル球を圧迫する。
「ついに図書館まで辿り着きました」
「うん。よくやったわ。図書館の一番奥の出口には栄養ドリンクが置いてあるから存分に飲みなさい」
「はい」
「それでは任務を伝えるわ。あなたの任務は、妹様の部屋のクマさんぬいぐるみをブタさんに代えてくること。以上よ」
愕然。強敵を倒したばかりでこの仕打ち。
「妹様はお腹いっぱいでぐっすりのはずよ」
「起こさずにですか」
「起こしてもいいわよ。やることやってくれば」
知ったこと。フランドールを起こせば即、首が飛ぶ。部屋で取ったガラガラやおしゃぶりはそういうことなのだ。
「分かりました。また連絡します」
通信が切れて、咲夜は走り出す。
図書館の出口で栄養ドリンクを飲むことも忘れて、ついにフランドールの部屋の前まで辿り着いた。
鍵を静かに開けて、中へ入る。
寝息らしい音が聞こえた。
部屋の構造はトイレ、バスタブの付いた個室が右側にあり、まっすぐ進むとそのままフランドールのベッドがある。
何度か入ってお世話をしていたため、知っていた。
暗視サングラスを頼りにクマのぬいぐるみを探す。
テーブルの上にはない。窓際にはない。
あった。
フランドールが抱えていた。そう。この任務はそういうことなのである。
何としても攻略しなければならない。
咲夜はフランドールに近づき、膨らんだ腹を撫でた。
柔らかい。
もう一度撫でてみる。その内に止まらなくなる。
自分は一体、何をしているのだ。危ないところであった。
咲夜はクマに手を伸ばした。
外れない。とてつもない力でがっちり抱えられている。
どうしよう。
「××××、お×××、×××××」
耳元でとんでもないセリフを呟いてみるが、反応は無い。
咲夜は懐からブタさんぬいぐるみを取り出した。
そして、フランドールの脇腹をくすぐる。
反応があった。フランドールは身をよじる。手が緩んだ。
咲夜は即座にクマを抜き取った。
フランドールが唸る。
咲夜にも緊張の一瞬だ。
フランドールの手が空中を掴んで彷徨っている。咲夜がすぐにブタのぬいぐるみを掴ませると収まり、再び安らかな寝息を立て始めた。
やった。ついにやりました。咲夜は小躍りした。
その瞬間、咲夜はうっかり机に胸をぶつけてしまう。
ご存じの通り、ここにはクリスタル球が入っている。
「(ノイズ)こちらパチュリー」
パチュリーの声が響いた。フランドールが呻く。
死んだ。咲夜は直感した。
「な、何でもありません。お戻りください」
「そう(ノイズ)」
フランドールが薄目を開けた。咲夜はとっさに顔を隠し身をかがめる。
「う、ううん。パチュリー? そこにいるの?」
「はい、そうですよ(裏声)」
「そう」
フランドールはブタのぬいぐるみを抱えて再び眠りに着き、咲夜は布団をかけるとすぐに部屋から出た。
大仕事だった。
咲夜は図書館で飲み忘れたドリンクを一気に飲み干し、レミリアの部屋へひた走った。
が、その必要はなかった。
大広間には全員が集合していた。
咲夜が入ると、打ち倒したメイド達と美鈴が駆け寄ってきた。
「どうでしたか」
咲夜はクマのぬいぐるみを高く掲げ、歓声が起こる。
クラッカーだかシャンパンだか弾ける音が聞こえた。
「おめでとうございます」
咲夜はよろめく美鈴の体を見る。
「大丈夫?」
「はい、何とか」
「シャンデリアは?」
「パチュリー様が元に戻すそうで」
美鈴が笑った。
パチュリーとレミリアも駆け寄ってくる。
咲夜は精一杯笑顔を作った。
「これは確かにクマさんのぬいぐるみね」
咲夜の周りに視線が集中する。
「合格」
パチュリーが高らかに叫んだ。
メイド達が拍手する。
レミリアは咲夜の肩を叩いて、全員に聞こえるように声を張り上げた。
「これからはこの十六夜 咲夜が新メイド長となる。以上だ」
メイド長への道のりはこんなにも険しい…のかな? 俺にはご褒美に見えた。
門衛と戦闘メイドによる戦闘力審査に併せ
高度なスニーキングが必要とされるとは
いや、おそらくこれは最終審査で、第一次、二次と料理炊事洗濯が課されたに違いない!
アンダーソン君はいやらしくねっとり発音するべきだよやっぱり