「我が屋敷へようこそ。九代目阿礼乙女、稗田阿求です」
「は、初めまして。ひえだのさん」
「ひえだ、でいいんですよ? 『の』は氏には入りませんから」
「は、はい。ひえださん」
「あ、でも名前で呼んでくれた方がいいかな」
「はい。のあきゅーさん」
「ちょっ」
稗田阿求はこの日、小さな珍客を座敷に迎えた。
湖に住む妖精たちの中でも特に強い力を持つひとり――俗に大妖精と呼ばれる幼い少女が、折り入ってお願いがある、と稗田家を訪ねてきたのである。
「――ははあ。幻想郷縁起に自分を載せて欲しい、と」
「お願いしますっ! できれば……その、チ、チルノちゃんの隣に……」
ほのかに顔を赤らめ、先細りの声でごにょごにょと大妖精は呟く。
なるほど。大好きなお友達と、本の中でも一緒にいたいというわけか。
その微笑ましい願いに、阿求も思わず顔を綻ばせる。
が、しかし――。
「あのですね、大妖精さん」
「はい」
「幻想郷縁起は、幻想郷の危険な生き物や場所の事をみんなに知ってもらって、その平和な暮らしを支えるためにあるんです」
「はい」
「ですから、そこに書かれる妖怪やら何やらというのは、日頃から人間に対して敵対的であるとか、怒らせると恐い程度の実力の持ち主であるとか、そういう人たちなわけです」
「はい」
「……で、あなたはそのどちらにも当てはまらないと思うのですが」
「はぅ」
淡々とした阿求の言葉に、大妖精はあっさりヘコんだ。
「で、でも力はある方ですよ私! 弾幕ごっこだって、チルノちゃんの次くらいには――」
「妖精たちの中では、でしょう? 残念ながら、その程度の力では取り立てて脅威とは言えませんね」
「そんなぁ……」
なにしろ、妖精も妖怪も、人間より遥かに数が多いのだ。
大妖精程度の存在をいちいち取り上げていては、阿求が死ぬまで書き続けても幻想郷縁起は完成すまい。
「それに、こうして会うのは今日が初めてですけど、あなたの評判は色々と聞いていますよ。いわく、あんなに人当たりの良い妖精は珍しいと」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、それはもう。里の者がお世話になったこともあるそうですね。湖で溺れかけた子供を助けてくれたり、迷子を家まで送り届けてくれたり」
「……それって、普通のことじゃないんですか?」
「いやまあ、清く正しい人間としては普通ですが、逆に言えば妖精らしくないってことなんですけどね……。とにかく、この際ですから里を代表してお礼を言っておきます。ありがとうございました」
「い、いえそんな……あはは」
やおら頭を下げる阿求に、戸惑いながらも照れ笑いを浮かべる大妖精。
「――って、それじゃ困ります! 私がちっともキケンじゃないってことじゃないですか!」
「だからそう言ってるんですってば。あなた、人間に悪戯したことなんて無いでしょう?」
「……あ、あります、よ」
「ほう。たとえばどんな?」
「え~と、え~っと……」
文字通り、頭を抱えて呻吟する大妖精。
やがて「あっ」という明るい声とともに、その目が再び上向いた。
「湖で、釣りをしながら居眠りしてるおじさんがいたんですよ」
「はい」
「おじさんの傍には、おにぎりの包みが置いてありまして」
「ほう」
「それで、そのおにぎりをこっそり――」
「盗んだんですか?」
「私のタマゴサンドと交換しました」
なにそのトレード。
「……なんで交換?」
「だ、だって、お昼ごはん抜きなんて可哀相じゃないですか」
「はあ。まあ、そうですねえ」
相手を困らせるのが悪戯だろうに。
「で、それがあなたの数少ない悪戯の歴史ですか。こういうのも盗み食いっていうのかしら……」
「あ、食べてません。おにぎりの中身が苦手な梅干しだったから、ルナちゃんにあげました」
「あなたがお昼抜きになってどうするんですか!」
なんかもう、抱き締めてあげたくなってきた。
この子の優しさには、どんな大妖怪にも勝る希少価値があるのかもしれない。
「――とにかく無理、無理ですね。あなたみたいな筋金入りの善い子には、幻想郷縁起に載る資格なんてありません」
「やっぱり駄目ですか……。うー、チルノちゃんやルナちゃんは可愛く描かれてるのに……」
「あの子たちは、ほら、はた迷惑な能力の持ち主ですし。人間に迷惑をかける頻度という点では、妖怪以上のものがありますから――」
すっく。
やにわに、大妖精が立ち上がった。
両の拳を固く握り締め、決意に満ちた表情を浮かべながら。
「に、人間に悪い事をすれば、幻想郷縁起に書いてもらえるんですね……」
「えっ? いやちょっと――」
「失礼しますっ!」
言うが早いか大妖精は駆け出し、騒々しくも軽やかな足音を残して座敷を去っていった。
ぽつん、と一人取り残される阿求。
「……えーと」
あの大妖精がこの後なにをするつもりなのか、なんとなーく、予想はつく。
まず放っておいても大した事にはならないだろうが、ある意味で原因を作ったのは自分であろう。
やれやれと溜め息をつきながら、阿求は腰を上げるのだった。
草履を突っ掛けて外に出てみると、稗田邸の前を横切る大通りの片隅に、ぽつんと大妖精が立っているのが目に入った。
落ち着きなく胸の前で両手をもじもじさせながら、誰かが目の前を通り過ぎるたびに「やるぞ」と言わんばかりの決意の眼差しを向けかけ、しかし結局なにもしないまま「しゅん」と俯く――といった行為を繰り返している。
ああ、やっぱり。
そこらの人間になにか悪戯をしてみせるつもりなのだろう、と大妖精の意図を察した阿求だったが、ことさら制止に出ようとも思わなかった。
……というか、黙って妖精観察を続ける阿求の心中にあるのは、いささか不謹慎な期待感だった。
幻想郷縁起の編纂も秘蔵レコードの放出も一段落してしまい、次の仕事のオファーがあるんだかないんだか判らない今日この頃、稗田家の当主もちょっと暇なのである。
「おや、」
阿求の見守る中、大妖精が動く。
つぶらな瞳をきりりと澄ませ、腹をくくった様子で一歩踏み出すと、通りすがりの一人の青年の前に敢然と立ちはだかり――
「ぎゃおー!!」
「!?」
黄色い怒号が、慎ましやかに響いた。
驚いて――というよりは呆気に取られ、目をぱちくりさせる青年。ちなみに名は間稲助(はざま いねすけ)。
「たっ、食べちゃう、」
「……」
「ぞー……」
「……」
「――――……」
「……」
大妖精、失速。
声の勢いに正比例して、その視線もゆるゆると下に落ちてゆく。
無言の数秒間が過ぎた後、それでも悪戯の成果を確かめようと、大妖精が上目遣いに見上げると、
――なんか凄くキラキラした瞳で青年が微笑み返していた。
「ひっ!?」
たじろぐ大妖精の肩にポンと手を置きながら、優しい笑みを崩さぬ稲助は一言、
「食べてください」
「……えっ?」
状況が飲み込めぬ大妖精に対し――いきなり稲助のテンションが爆発した。
「妖精とか好きだから―――っ!!」
「きゃああああっ!?」
両手を振り上げ、グリコのポーズで跳躍する稲助。
食べてくださいなどという割に、その眼は完全に捕食者のそれであった。
あの子が危ない!
にわかに危険度と春度の増した状況に、傍観していた阿求が動く。
「……稲助さんごめんなさい! 『あなたは何も見えなくなって吹っ飛ぶ』ッ!!」
阿求がどこからか取り出した筆を一振りするとあら不思議、筆先に含まれていた墨汁が宙を飛んで稲助の目を潰し、次の瞬間には阿求渾身の掌底突きが彼を通りの反対側まで吹っ飛ばしていた。
どがしゃーん。
いやマジごめん、と心の中で平身低頭しながら、ひとまず阿求は怯えきった大妖精を気遣うことにする。
「ほら、もう大丈夫ですから」
「ひっ、ひ……ぅ……」
よほど恐ろしかったのか、言葉を失い、阿求の腕の中でがたがた震える大妖精。
つくづく善良で可憐なその様に、事態を放っておいた阿求としてはちょっと罪悪感を感じてしまう。
ちなみに、通りの反対側でグロッキーしている稲助の頭上では数匹のヒヨコがぴよぴよ舞っており、通りすがりの化猫がそれを食べようとするのを必死で止める夜雀を食べようとする亡霊嬢を必死で止める庭師を
「……ちょっと騒がしくなってきましたね。とりあえず中に戻りましょう」
「ぐすっ……は、はぃ……」
華奢なその肩を抱いて歩きながら、なんとかしてあげたいなあ、と阿求は思う。
幻想郷縁起は半ば公共の知的財産であり、阿求だけの思惑で勝手に改変していいというものではない。しかし実際のところ、当代の編纂においてはかなりの部分で阿求自身の趣味に則ったアレンジを加えているのだ。
その辺りの、幾許かの裁量が許されている範囲で、大妖精のことを書いてあげられる余地はないものか。
「うーん、しかし、こうも人間に対して友好的な子ではどうにも……」
――あっ。
人間に友好的。
自らのその言葉が、阿求の中でぴかっと光った。
稗田阿求、思いついたのである。
それも、おそらくは大妖精自身が期待していた以上の形を。
◇
「あ、阿求さん。いらっしゃいませ!」
里の茶店を訪ねた阿求を、黄色い歓待の声が迎える。
声の主は、朽葉色の着物と純白のエプロンを纏った大妖精である。
彼女は今この店でアルバイト中なのだ。
「こんにちは。仕事の調子はどうですか?」
「はい、なんとかやってます。お店の方にも優しくして頂いて……」
この度、幻想郷縁起は改訂され、再版の運びとなった。
新たに判明した事柄の追記、不十分と思われた箇所の補足、ヒゲの修正などを盛り込み、より幻想郷の平和に寄与する形となるべく生まれ変わるのである。
そんな幾つかの改変の中、妖精チルノを紹介するページの「対策」の項には、こんな記述が加えられた。
……チルノの悪戯に困ったら、力づくの対抗策を講じる前に、「大妖精」と呼ばれる妖精に相談するのも手である。
珍しいことに彼女は人間に対して非常に友好的で、チルノを始めとする多くの妖精に顔が利き、それなりに発言力もある。
あるいは直截チルノに働きかけるよりも、彼女に話を通してもらった方が簡単に事態を収拾することができるかもしれない……
そして、その記述の隣には、小さくデフォルメされたものながら、しっかりと大妖精の姿が描かれているのである。
改訂版の原稿を阿求が披露したところ、大妖精は泣き出さんばかりに喜び、再版の暁には是非に欲しい、と言った。
しかし妖精は基本的に無一文である。経済的問題に突き当たった大妖精はしゅんとなったが、そこで阿求、仲良しの女友達が給仕を務める茶店を働き口として紹介してやったのだった。
「結構な評判ですよ。可愛くて気立てのいい妖精が迎えてくれるって」
「か、可愛いなんて……そんな」
実際、客は増えた。
妖精が働いているという物珍しさもあろうが、最近のにわか常連客に言わせればこうである。幼く舌っ足らずな声で律儀に注文を復唱する彼女が、ときどき品名を言い損なって恥ずかしがるのが可愛い、と。
まったく困った趣味のSさんが多いものだ、と阿求は思う。
「えっと、ご注文は何になさいますか?」
「そうですね。それじゃ、この新メニューの『黒胡麻白玉抹茶パフェ』を」
「ひっ」
~終~
>通りすがりの化猫がそれを食べようとするのを必死で止める夜雀を食べようとする亡霊嬢を必死で止める庭師を
妖夢も食べられそうであると。
もう勘弁してくれ大妖精……
さて、次はこぁだ
てっきりあきゅ大かと思ってしまいました。
最初、「Sさん」をイニシャルと勘違いしてしまいました。
>「はい。のあきゅーさん」
>「ちょっ」
コーンスープ吹いたww
のあきゅーさんと大ちゃんかわいいな
なんだっけと引っかかってたんですよね。いえ、実際にやってることは実に実戦的な力技ですが。
しかし、大妖精が可愛らしすぎる。
あと、こういう『縁起作成後の阿求さん』を見てると、なんとなく早死が確定している阿礼乙女の哀愁を感じてしまうのは私だけでしょうか?
これはいい!すごくいいです!
思えば、店側も新メニューに黒胡麻~の長い名前のパフェを入れるなんてSですね。w
>幻想郷の危険な生き物や場所
妖怪ど突きまくる貧乏巫女とか、薀蓄が終わらない閑古鳥店主とか……
確かに危険だ。