夜空を舞う風には、しかし影があった。
月に照らされた大地を、目にも止まらぬ速さで、影は流れていく。
山の斜面を這い、森の闇を抜け、湖の顔を撫でたところで。
影はぴたりと止まった。
その上、広がる湖面の上にふわりと浮かぶ姿がある。
頭には赤い帽子。背中の漆黒の翼が、三日月の淡い光で透き通って見える。
空中の影は一言呟いた。
「これは………」
※※※※※
紅魔館のテラスにて。
永遠に幼き主人と、完璧で瀟洒なメイドが、晩餐を楽しんでいた。
「いい夜ね、咲夜」
「はい。お嬢様」
「こんな月の夜は思い出すわね。貴方と初めて出会った夜のことを」
「私にとっては、お嬢様からこの名をいただいた、特別な夜です」
「そうだった。貴方が私に何と言ったか覚えていて?」
「お恥ずかしい限りです。あの時の私は、ほんの小娘でしたので」
「今はそうじゃない、とは言わせないわよ?
まあ、でも確かに、今の貴方からは想像が出来ないほどのじゃじゃ馬だった」
「お嬢様は、あの時と変わりませんね。ですが……」
「許す。言ってみなさい」
「少しお優しくなられました」
「それは誉めているの?」
「ただ感想を述べただけですので。どうあろうとお嬢様に仕える気持ちに変わりはありません」
「本当に変わるものね。あの時の貴方は私に向かって……」
※※※※※
同じ頃のマヨヒガ。
妖怪一家が縁側で星見をしていた。
「ほら、橙。あれが猫座だよ。尻尾は二つ無いけど」
「むにゃむにゃ……きれーですね~……」
「あらら。もう眠たくなってしまったか。いいよ、おやすみ」
「ふぁ~……らんしゃまおやすみ~……」
「……ふふふ。こうして見ると貴方の小さいときと同じね藍」
「そうですか? 私はもう少し起きていられたような気もしますが」
「寝顔の話よ。貴方も私の膝で、こんな顔でくてーんとしていたじゃない」
「いや、寝ている本人には寝顔は分かりませんので……」
「じゃあ、私の寝顔はどんなものでしょうかね」
「………………」
「呆れた目で見ないでほしいわね。もちろん、今じゃなくて子供の頃の話よ」
「……………………………………………」
「ちょっと藍。何で白目になるの」
「いや、紫様が子供の頃なんて、ちっとも想像できませんので」
「…………お仕置きね、これは」
「さあ、橙。行こうか」
「逃げるんじゃないの。こうなれば、私の可愛い子供時代をたっぷり聞かせてあげますわ」
「んんんん……聞きたいよーな、怖くて聞きたくないよーな」
「思い出すわ、こんな月の夜は。あの時は一人で放浪していて……」
※※※※※※
そんな時の永遠亭。
へにょり耳の兎が、夜空を見上げていた。
「……………………」
「あら、ウドンゲ。まだ起きていたの?」
「あ、師匠。……はい。何だか目が冴えちゃって。星が綺麗だったし」
「見ていたのは星じゃないんじゃないの?」
「……………………」
「ここから見ればそれなりに綺麗よね。姫だったら、単に他より近いだけじゃないの、とか言いそうだけど」
「ふふ、そうですね……」
「まだ気にしているの?」
「…………………いえ、別に」
「貴方ってね。嘘をつくと耳がへにょらなくなって、ビシっと立つのよ」
「ええええ!? 本当に!?」
「嘘に決まってるでしょ。これじゃあ、てゐに馬鹿にされるのも無理はないわね」
「うう……ひどい」
「ウドンゲ、何度でも言ってあげるわ」
「はい」
「貴方の家はここよ」
「…………はい」
「こんな月の夜だったかしらね。貴方と出会ったのは。最初はかなり険悪だったけど……」
※※※※※
その頃、幻想郷の端を、鬼が歩いていた。
「地上の空気も久しぶりだねぇ。……あ、いた。ほれ起きろ」
「いてっ、誰だ~。気持ちよく寝ているのを起こすのは」
「もう私の顔を見忘れたのかい」
「あれー? 勇儀じゃない。どうしたの?」
「よっ。萃香。この前は面白かったんで、久しぶりに地底から出てみようと思ってね」
「山に帰ると大騒ぎになるよ」
「別に山に用事はないよ。しいて言えば、お前と飲むくらいか」
「おお。いいね、いいね。飲もう。そういえば、あの二人は何してるんだろ」
「ん? ああ。あいつらか。私もしばらく会ってないから分からないね」
「また四人で飲みたいねぇ」
「生きてる限り、忘れ去られない限り、いつかは会えるさ」
「そうだね。こんな月の夜は思い出すなー。山にいた頃、みんなで散々無茶やってたこと」
「お前が一番無茶苦茶だったよ。例えばほら、河童縛って足におもりつけて、烏天狗と競泳させたり」
「勇儀だって笑ってたじゃんか。でも楽しかったね~。他にはたとえば……」
※※※※※
その頃、無縁塚では、死神が仕事をしていた。
「そう。私は仕事をしている」
「こら小町! またサボってたわね!」
「わっ、四季さま! や、やだなあ。ちょっと休憩していただけですって。いい月夜ですし。ほら、英気を養うっていうか」
「何がですか。英気を養う前に、映姫を養いなさい」
「おお、上手い。でもそのギャグはすでに先人によって使われてますよ」
「お黙り!」
「ぎゃんっ! なんかいつもより威力高っ!」
「ふふふ。三途の川砂を詰めた、特別製の笏です。ああ重たい」
「危険ですって! それって尻が腫れるくらいじゃすみませんよ!」
「そうなれば、座ることなく休むことなく貴方は働くじゃない」
「ぼそぼそ(ええい! 貴様は仕事馬鹿か! 変態だな!)」
「ギロリ。今、何と言いましたか小町」
「映姫様は仕事ばかりで大変だな、と言いました」
「嘘つきなさい。その舌を引っこ抜きますよ?
……ああ、そうすれば昔の寡黙で仕事一筋な貴方に戻るかもしれませんね」
「いやいやあれは、私の若き過ちというか黒歴史というか」
「初心に帰り、業に励むこと。これが貴方にできる善行よ。初めて貴方の仕事ぶりを見たときは感心したわ」
「あはは。こんな月の夜は思い出しますね。映姫様の下に配属されたとき……」
※※※※※
「まさか5つもの反応があるなんて……。しかもどれも同じくらい凄い反応です」
天狗の新聞記者、射命丸文は興奮して、唇を舐めた。
射命丸レーダー。
それは文の脳内に存在する、新聞のネタ探知機である。
この夜、強力な反応をキャッチして飛び出してきたはいいが、信じられない事態に動揺してしまっていた。
なんと、ここに来て、それぞれ全く場所の違う五方向に反応が現れたのだ。
方角は紅魔館、永遠亭、マヨヒガ、幻想郷の端、無縁塚。
しかも、反応はどれも強力。一年に一度あるか無いかの特ダネだ。
全てを回っていては、中途半端な話になってしまうかもしれない。
こうして待っている間にも、大事な話を聞き逃すことになるかもしれない。
早急にどこを選ぶか決めなくてはならなかった。
――……とりあえず、五つのうちの一つからは、猛烈に嫌な予感もしてくるんでパスするとして。
湖の上で、しばし文は、首をひねって考えていたが、やがて決心した。
「決めた! とりあえず、永遠亭で!」
「あー! いた天狗! しゃめーまるあや!」
突如、甲高い声が響いた。
「チ、チルノさん?」
文はぎくしゃくと振り返る。
いつの間に現れたのだろうか。
そこには顔見知りの氷精チルノが、腕を組んで空中に仁王立ちしていた。
不敵な表情が浮かべながら、鼻を鳴らしてくる。
「ふん! こんな月の夜は思い出すわね! あんたと出会った、あの日のことを!」
「ええええマジですか!? あれって月夜でしたっけ!?」
予想しない展開に、悲鳴じみた声が出る。
どうも文の記憶とチルノのそれには相違があるようだ。
「あの時みたいに、弾幕ごっこで語り合おうじゃない!」
「すみません、私は急いでいるので失礼します!」
「えっ……付き合ってくれないの?」
「ぐっ」
思いのほか寂しげな言葉に、飛び去ろうとした文の足が寸前で止まった。
「せっかくいい夜だったのに……。いつもつけてくるあんたまで、あたいを置いてっちゃうなんて……」
「あ、あのですねチルノさん。実はいま大事な用事がありまして……」
「……そっか。はしゃいでいたのは、あたいだけだったんだ。楽しみだったのに」
「ですから、その~……」
「……さびしいなー。天狗もつきあってくれないから、一人ぼっちで」
「……わ、わかりました。ですからそんな悲しそうな顔をしないで」
「え? つき合ってくれるの?」
嬉しそうに顔を輝かせるチルノに、文は折れるしかなかった。
「もちろんですとも。ほら、こんないい月の夜だから語り合いましょうよ!」
「そうこなくっちゃ! 凄かったよね!
あの時あんたの弾幕が『ドヒューン!』ってきて、それを最強の私が『バババーン!』ってかわして、
反撃に『グワッシャッシャーン!』って氷を、こんな感じで!」
「たはははははは……」
はしゃぎながら、氷の礫を飛ばしてくるチルノに、文は苦笑いするしかなかった。
しばらく解放してくれそうにない。
こうしている間にも、特ダネは過ぎていく。
でも、こんな夜に仕事というのは野暮な話かも。
気心の知れた仲同士で、昔を語り合う方が有意義かもしれない。
だって、
こんなに月の綺麗な夜なのだから。
投稿日時の分と秒の欄がゾロ目な件
虫の鳴き声がすっかり小さくなった秋の静寂の中で見る月は、夏のそれとはまた違った趣なのでしょうか。
東方と現実の、月夜の風情が楽しめてよかったです。
マヨヒガ、永遠亭、幻想郷の端、どれも続きが気になる・・・
勇儀と萃香の昔を懐かしむほのぼのとしたSSが増えたらいいなぁ・・
しかし勇儀と萃香、お前らは後輩にムチャさせる応援団かw そりゃ天狗も河童も逃げ腰になる罠
ともあれ、さらっとした内容で程よい読後感でした