「おう」
「はい」
霊夢は、右手に持った空のひしゃくで、したたかに天子の頭を打った。
魔理沙は霊夢を止めようともせず、背後の博麗神社の残骸を漁っては「こりゃひでえ」を連呼している。
「はい、じゃねえよ」
「はい、すみません、はい」
天子は石畳の上で正座を強要されつつ、ひたすらにひしゃくを受け入れていた。
再び、頭を打つ音が響く。
「何とかしろよな、これ」
「うひゃ、卓袱台がめちゃくちゃだぜ。もうご飯食べられないぜ」
「はい、すみません」
梅雨独特の蒸し暑い空気は霊夢の衣装の中にも浸透し、それがまた彼女をいらつかせる。
すかさず、霊夢が天子の両頬をつねり上げた。
「痛てて」
「直せよな」
「はい、はい。直します。はい」
「霊夢のさらし見っけ」
壊れたタンスの中から、魔理沙が一枚の布を取り出した。
純白の布は、微かな風に乗ってひらりひらりとはためく。
「いつ直るんだよ、おい」
「一週間後には」
霊夢はひしゃくを持った手を高々と上げてから、力一杯振り下ろした。
ひしゃくは、柄の中腹の所でぽっきりと折れた。
「いよいよ、私の怒りが有頂天になった。魔法か仙術かで何とかしろ」
天子は頭を掻いた後、申し訳なさそうに、えへへへ、と笑った。
「さっき、あなたに撃ったレーザーで品切れです」
さあ、大変だ。
霊夢は軽やかに石畳を蹴って跳躍し、天子に跳び蹴りを入れた。
「あの変な帽子の女は。手伝わせろ、殺すぞ、手伝わせろ」
「彼女は私を好いていません」
ようやく起き上がった天子の体が再び吹っ飛んだ。
魔理沙は廃墟探索にも飽きたらしく、手から小型マジックミサイルを出して遊んでいる。
日が暮れてきた。
「これから、私はどこに泊まればいいのよ」
霊夢がいらいらと、つま先で小枝を転がした。
「えっと、あの、天界には、来ないでくださいね」
天子の体が再び吹っ飛んだ。
「頼まれても、行かねえよ」
魔理沙が箒に乗って低空飛行しながら近づいて来る。
箒に乗ったままで、霊夢を見上げながら聞いた。
「なあ、泊まるあてあんの? 野宿?」
霊夢はリボンに手をやって、少ししてから頷いた。
「紅魔館」
「あの、私は作業を始めますね、あの、明日からじゃ駄目ですか。今日はもう遅いし、いや、駄目ですよね。分かりました、今すぐやります」
天子がおずおずと立ち上がったのを見て霊夢は、「サボるなよ」と釘を刺した。
霊夢と魔理沙が、紅魔館の小応接室に通された時には既に日が落ちていた。
魔理沙はこの後、鬼と飲みに行く時刻まで時間潰しに付き合う、と付いて来た。
「え、まじで嫌なんだけど」
咲夜は気違いを見る目で霊夢を見て、すぐにそらした。
「何で」
「いや、一週間も泊まるとか、いきなり言われても聞いてないし。すごい邪魔」
霊夢はなるべく咲夜の機嫌を損ねないように言葉を選んでゆっくりと話した。
「何も、レミリア扱いしろって訳じゃないのよ。粗末な部屋でいいの。あ、でも紅魔郷以前のフランドールみたいな扱いは駄目よ。死んじゃうから」
あはははは。
と、その時である。
部屋が途端にカビ臭くなり、陰気に満ちた。
霊夢達が扉の方を見ると、やはり居た。
「ちょっと、お邪魔するわ。なんのお話?」
パチュリーがまず、部屋に入り、続いてレミリアが入って来た。
狭い応接室がにわかにうるさくなる。
咲夜の脇にパチュリーが座り、その隣にレミリアが座り、咲夜は席を立って新たにお茶を淹れ始めた。
「あら、パチュリーじゃない」
霊夢はここぞとばかりにパチュリーの細い手を取り、自分たちは親友であるという前提のもと、これまでの境遇を語り始めた。
「で、その天人ってのが家を壊しちゃって昨日から何も食べてないの。でもね、私ったら天人が怖くて何も言い返せなかったの」
霊夢の熱弁の後、放心状態にあったパチュリーは、冷めた紅茶を一啜りしてレミリアに何やら耳打ちした。
レミリアは顎に手をやって何か考えると、再びパチュリーに耳打ちした。
このような、やりとりが数度交わされ、その内二人は爆笑した。
「決まったのか」
居眠りしていた魔理沙も目を覚ました。
「ええ」
相変わらずにやけながら、パチュリーは頷く。
「泊めてくれる?」
霊夢は科をつくって、自らのティーカップに砂糖を注いだ。
「ええ、いいわよ」
ここまで言ってから、パチュリーとレミリアは声をそろえた。
「メイドになってくれるならね」
「メイドをしてくれるのなら」
咲夜の表情が急に曇った。嫌なのだ。
霊夢はあっけにとられ、魔理沙も目を丸くした。
「ちょっと待って、せめて門番に。それに私メイドなんて出来ない」
「反対です、私からもお願いします。この女にメイドは無理です」
レミリア達は、「今更、何を言うのか」といった表情で顔を突き合わせた。
「だってねえ、門番は美鈴がいるしねえ。働かざる者はねえ」
「ねえ。咲夜がサポートすればねえ」
「今晩は、ビーフシチューだしねえ」
霊夢の目が潤み、魔理沙はさらしの上から霊夢の背中を小突いた。
まずは、たっぷりとした黒髪をどうするかが問題であった。
一つ縛りにするにしては前髪が多すぎる。メイドは清潔第一である。
過激派兼反対派の咲夜は、はさみで切ってしまうよう提案したが、却下された。
結局、カチューシャで半分ほど前髪を上げ、横と後ろの髪は普段のリボンを使い、高い位置でポニーテールにした。
この場合、うなじが見える。
メイド服とシューズは咲夜らが着ているのと同型の物を着用した。(妖々夢の選択画面時のあれである)
また、さらしはメイドらしさに違反するため、白いブラジャーを身に付けた。
メイドは内側にも気を遣う。
「似合わねえ」
青いメイド服に赤いカチューシャとリボンを付けた霊夢を見て、魔理沙が手を叩いた。
「あんたには、ビーフシチューあげないわよ」
「いらないぜ、萃香と飲みにいくからな」
痛い所を突いたつもりが、全く効かなかったので、霊夢は地団駄を踏んだ。
「あんまりはしゃぐと、下着見えるわよ」
「もう、こんな時間。ご飯にしましょ」
レミリア達が出て行くので、霊夢も急いで後に続かんとしたが、慣れぬ靴にミニスカートである。動いた拍子に足を絡ませ、すっ転んだ。
またもや、魔理沙が笑う。
もはや振り返るのも苛立たしく、憤然と咲夜の後を追い、またすっ転んだ。
食堂には厨房担当のメイドを除いて、ほぼ全員が集合していた。
6列に及ぶ長テーブルを見て、ここにはこんなに人がいたものかと、霊夢は驚く。
先ほど、アシスタント係に命じられた咲夜に率先されて最上座に近づくにつれ、メイド達の視線が注がれる。
勿論、一番上にはレミリアとパチュリー、向かいにフランドール、少し離れて咲夜や美鈴、小悪魔の席があるわけだが、本日は咲夜と美鈴の間にもう一つ席が用意されていた。
メイド達としては、そこに座るのが誰か気になって仕方なかったのだ。
しかも、よりによって紅魔館ゲストのはずの霊夢がメイド服を着て出てきたのだから、彼女らの困惑は筆舌に尽くしがたい。
さて、ここでメイド長による公開陵辱が始まる。
彼女は、全員が着席したのを見計らうと、食事が始まる前に霊夢を立たせた。
「皆さん、こちらにいるのは今日から紅魔館で働くことになりました博麗 霊夢さんです。
博麗 霊夢さんは家が無くて大変です。みんなで色々教えてあげてください。さ、霊夢さん。自己紹介を」
「家が無い」のあたりで、メイド達が早速、噂話を始めた。
突如、アシスタント係に任命されたストレスを発散させるといった意味合いもあるが、それだけではない。
もともと、この手のいびりが好きなのである。
パチュリーとレミリアは必死に笑いをこらえていたが、フランドールらは、ぽかんと口を開けている。
「新しくメイドをさせていただく博麗 霊夢です。今日からよろしくお願いします」
屈辱以外のなにものでもない。
が、しかし、目の前に運ばれてくるビーフシチューを食べるためには仕方ない。
ミニスカートのせいか、大勢の聴衆のせいか、霊夢は頬を赤らめエプロンの端を握りながら頭を下げた。
拍手の音。
「さ、何か質問は」
美鈴が手を挙げたが、自分以外に誰も挙手していないことを確認するやいなや、すぐさま手を下ろした。
「では、いただきましょう」
一斉に、フォークとナイフを取る音が聞こえた。
霊夢はしばらく無心で皿に入ったビーフシチューを啜っていたが、サラダに取りかかろうとしてぽつりと漏らした。
「箸、無いの?」
咲夜が、口元に運びかけていた肉片をフォークごと取り落とし、テーブルクロスに染みを作った。
質問には誰も答えない。
「まっ、いっか」
霊夢は気を取り直してライスをかっこみ始めた。
レミリアは、聞こえぬふりをしてワインを口内でかき混ぜた。
向かいに腰を下ろす美鈴や、小悪魔は俯いたまま食事を続けている。
「日本茶も無いのかあ」
そして、レミリアがワインを飲み終わり真っ先に席を立とうとした時、霊夢が身を乗り出した。
「レミリア、大分小食ね。シチュー口付けてないじゃん。私、もらっていい?」
「とんだ恥をかかせてくれたわね」
食事終了後、厨房に連れ込まれた霊夢は、頬を膨らませた。
「だって、普段お箸だもん」
「あなた、頭の中がハッピーセットなんじゃないの? いい加減にしないと追い出すわよ」
咲夜は、堆く積まれた皿を指さした。
ざっと見積もって1000枚はある。
霊夢はメイド服なのも忘れて、大股で歩き、皿洗いに取りかかった。
皿洗い係は常に一人であるらしく、広い流しには霊夢一人残された。
ただ、後ろや横ではメイド達が残飯処理や翌日の食材の準備に勤しんでいる。
皿を洗うのも一枚や二枚ならいいが、何百枚も洗っていると、発狂しそうになる。
今、持っている皿は洗ったんだか、洗ってないんだか。はたまた拭いたか拭いてないか。
一度拭いた皿に洗剤をぶっかけて我に返った霊夢は、後ろのメイドに話しかけた。
「ねえ」
「はい」
怯えているのか、この茶髪のメイドは声を震わせた。
「水符で、一気に洗ったら楽だと思わない?」
「いえ、あの、それは」
霊夢は溜息を吐いて、また次の皿に取りかかった。
「冗談よ、冗談」
ちら、とメイドの方に目配せした霊夢の目にとんでもないものが飛び込んできた。
何と、このメイド。鍋に残ったシチューや、釜の底に残ったライス、あまつさえ口を付けていない焼き魚を捨てようとしているではないか。
「わ、何しているの。あなた」
「は」
メイドは訳が分からず、鍋から離れた。
「これ、このままにしておきなさい。私が使うから」
「はあ」
「その代わりに私の皿を手伝って」
霊夢は、泡の残った手で、茶髪メイドの手をがしりと掴まえた。
二人して、無言でひたすら皿を洗う。深皿、平皿、深皿、スープ皿、平皿。
「ねえ」
「はい」
茶髪メイドは無表情に返事した。
「毎日、こんなことやってるの?」
「はあ」
霊夢は力を込めて言った。
「妖怪退治の方が100倍楽ね、片目つぶってもいける」
「はあ」
また、沈黙して皿を洗い続けた。
ようやく、皿を洗い終えると茶髪メイドは心配そうに食べ残しの鍋や釜を見た。
「あの、あれ」
「大丈夫。私がやっとくから。手伝ってくれてありがとう」
「はあ、そうですか。それじゃお先に」
メイドが一礼して出て行ったのを見て、霊夢は大きく頷き、深い皿とスプーンを取り出した。
まずはシチューを火にかける。次に皿の中央に冷や飯を載せ、焼き魚を2つ程添える。クロワッサンも添える。
加えて、サラダを彩り良く盛りつける。
最後に上から温まったシチューをかけると、完成だ。
「やっぱ、あんな背筋伸ばしてたら飯も食えないって」
霊夢がかっ込んでいると、背後で皿が割れた。
わなわなと肩を震わせた咲夜が立っていた。
霊夢は気管に飯をつまらせる。
「何しているの?」
「や、夜食」
「それ、何?」
「貧乏丼」
咲夜の顔に青筋が浮き出たが、意外にも静かな調子で「食べ終わったら、片付けて寝なさい」と言ったきり厨房から出て行ってしまった。
ほっと、一息ついた霊夢はもう一杯白飯を盛った。
「着替えはこれよ」
霊夢はげっそりした。
クローゼットの中には、変わり映えしない半袖エプロンの、青いメイド服とシューズとタオルしか入っていない。
「さらしはないの?」
「ありません」
咲夜は霊夢に明らかな軽蔑の視線を向けると、部屋から出て行ってしまった。
霊夢は自分で淹れた紅茶を飲み、部屋風呂に入るとそのままソファーに倒れ込み爆睡した。
そして、朝が来て、咲夜がやって来た。
「おはようございます」
「おはようございます」
事務的な挨拶を交わした後、鏡を見ると、目の周りにくっきりと濃い隈が現れていた。慣れないブラジャーをしていたため背中も痛い。
「今日は図書館勤務です」
「はあ」
大体のメイドはローテーションが決まっており、図書館ならば図書館、厨房ならば厨房といった具合であるが、霊夢は飛び入りの新人であるためそうもいかない。
霊夢がのろのろとメイド服を着ていると、咲夜は叱り付けた。
「メイド服とはこう着るものです」
瞬きもせぬ内に、全裸となったメイド長が、次の瞬間には元通りメイド服を着た状態で立っていた。
「でも、それって」
「時間は止めていません。練習しなさい」
咲夜が合図すると、朝食とコーヒー、紅茶を持ったメイド達が部屋に入ってきた。
「相変わらず似合わないな」
図書館に行くと、パチュリーの隣に魔理沙が座っていた。
「神社の様子はどうだった?」
霊夢はぶっきらぼうに質問した。
「ん、まだまだだったな。それよりもお茶が欲しいぜ」
魔理沙の言葉を無視していると、パチュリーが声を掛けた。
「私も、二人前持ってきて」
霊夢は拳を握りしめながら、紅茶を淹れ、叩きつけるようにして魔理沙の前に出した。
「霊夢、小悪魔に案内してもらって、奥の掃除してきて」
霊夢が黙って頷き、早歩きに小悪魔の後を付いていくと、揺れるポニーテールを目で追っていた魔理沙が首を傾げた。
「大丈夫かね、あれ」
大広間よりさらに広い一室に、所狭しと巨大な本棚が並べられている。
霊夢は呆然とした。
「ここ全部掃除すんの?」
「はい、本棚の上に溜まった埃を掃いてから、カーペットの汚れをチェックしてください」
小悪魔は気を遣っているのか、霊夢がメイド服を着ている事情には触れなかった。
そして、ここから語調を強めた。
「一応、分かっているとは思いますが。まあ、魔法使いの常識ですが、本棚の中の本には一切触れないでくださいね。もし、何かあったら必ず、司書メイドか私を通してください」
とは言っても、辺りには自分と小悪魔しかいなかった。
霊夢は頷く。
「ま、大丈夫よ。任せて」
小悪魔は非常に不安そうな面持ちで、三列奥の棚の陰に消えた。
揺れる尻尾が視界から消えると、霊夢は半袖のメイド服をさらにまくり上げ、女子テニス部員のような格好になり、小箒を手に取った。
24×4×3=288。
霊夢は、自分が任せられた一区画の巨大本棚の数を計算して頭を掻いた。
自分の作業量を計算する、時計を見る、どちらも単純作業時のタブーである。
そして、黙々と、棚の上の埃を払い落として回っている時にふと気付いた。
ある棚の本の配列がおかしい。
「女子高生幻想1」、「女子高生幻想2」、「女教師・前編」、「女子高生幻想3」、「女教師・後編」。
2巻と3巻の間に別の本が紛れ込んでいるのだ。
「小悪魔、司書」
一応、名前を呼んでみたが返事は無かった。
霊夢も、まあ、これくらいは大丈夫だろうと「女教師・前編」を抜き取った時のことである。
飛び出す絵本の如く、本から緑や青の魔法弾が射出され、炸裂した。
「確認されている限りで、本棚7つ、書物1200冊が修復不可能、修復可能なものについては現在計測中です。加えて、本人は無傷です」
咲夜が読み上げた。
狭い応接室の中、レミリア、小悪魔、咲夜、魔理沙に囲まれてソファに座る霊夢は頬を膨らませた。
「パチェは?」
「図書館で泡吹いてたから置いてきたぜ」
「ともかく、うちでは面倒見切れません」
「だから、あれほど私が反対したのに。昨日の貧乏丼の話だってしたじゃないですか」
「どうして、どうして、ダミー本に手を出したんですか」
居心地悪そうにしていた小悪魔が霊夢の肩を掴んで揺する。
「直そうとしただけだもん。私、悪くないもん。それにメイドにしたのはそっちだもん」
霊夢がぶすくれる。
魔理沙は半分ふざけているため、必死に笑いをこらえている。
「出て行ってもらうわ」
「やだ。ご飯食べられないもん。普通に泊めてくれればいいじゃん」
レミリアは霊夢と目を合わせようともせず、紙を取り出した。
「黙りなさい。巫女だからといって働かなくてもご飯が食べられるなんて思ってはいけない。大丈夫、ここには置けないけど、ちゃんと次の勤め先へ紹介状を書いてあげる」
そして、紹介状は書き上がった。
「はい」
霊夢は、右手に持った空のひしゃくで、したたかに天子の頭を打った。
魔理沙は霊夢を止めようともせず、背後の博麗神社の残骸を漁っては「こりゃひでえ」を連呼している。
「はい、じゃねえよ」
「はい、すみません、はい」
天子は石畳の上で正座を強要されつつ、ひたすらにひしゃくを受け入れていた。
再び、頭を打つ音が響く。
「何とかしろよな、これ」
「うひゃ、卓袱台がめちゃくちゃだぜ。もうご飯食べられないぜ」
「はい、すみません」
梅雨独特の蒸し暑い空気は霊夢の衣装の中にも浸透し、それがまた彼女をいらつかせる。
すかさず、霊夢が天子の両頬をつねり上げた。
「痛てて」
「直せよな」
「はい、はい。直します。はい」
「霊夢のさらし見っけ」
壊れたタンスの中から、魔理沙が一枚の布を取り出した。
純白の布は、微かな風に乗ってひらりひらりとはためく。
「いつ直るんだよ、おい」
「一週間後には」
霊夢はひしゃくを持った手を高々と上げてから、力一杯振り下ろした。
ひしゃくは、柄の中腹の所でぽっきりと折れた。
「いよいよ、私の怒りが有頂天になった。魔法か仙術かで何とかしろ」
天子は頭を掻いた後、申し訳なさそうに、えへへへ、と笑った。
「さっき、あなたに撃ったレーザーで品切れです」
さあ、大変だ。
霊夢は軽やかに石畳を蹴って跳躍し、天子に跳び蹴りを入れた。
「あの変な帽子の女は。手伝わせろ、殺すぞ、手伝わせろ」
「彼女は私を好いていません」
ようやく起き上がった天子の体が再び吹っ飛んだ。
魔理沙は廃墟探索にも飽きたらしく、手から小型マジックミサイルを出して遊んでいる。
日が暮れてきた。
「これから、私はどこに泊まればいいのよ」
霊夢がいらいらと、つま先で小枝を転がした。
「えっと、あの、天界には、来ないでくださいね」
天子の体が再び吹っ飛んだ。
「頼まれても、行かねえよ」
魔理沙が箒に乗って低空飛行しながら近づいて来る。
箒に乗ったままで、霊夢を見上げながら聞いた。
「なあ、泊まるあてあんの? 野宿?」
霊夢はリボンに手をやって、少ししてから頷いた。
「紅魔館」
「あの、私は作業を始めますね、あの、明日からじゃ駄目ですか。今日はもう遅いし、いや、駄目ですよね。分かりました、今すぐやります」
天子がおずおずと立ち上がったのを見て霊夢は、「サボるなよ」と釘を刺した。
霊夢と魔理沙が、紅魔館の小応接室に通された時には既に日が落ちていた。
魔理沙はこの後、鬼と飲みに行く時刻まで時間潰しに付き合う、と付いて来た。
「え、まじで嫌なんだけど」
咲夜は気違いを見る目で霊夢を見て、すぐにそらした。
「何で」
「いや、一週間も泊まるとか、いきなり言われても聞いてないし。すごい邪魔」
霊夢はなるべく咲夜の機嫌を損ねないように言葉を選んでゆっくりと話した。
「何も、レミリア扱いしろって訳じゃないのよ。粗末な部屋でいいの。あ、でも紅魔郷以前のフランドールみたいな扱いは駄目よ。死んじゃうから」
あはははは。
と、その時である。
部屋が途端にカビ臭くなり、陰気に満ちた。
霊夢達が扉の方を見ると、やはり居た。
「ちょっと、お邪魔するわ。なんのお話?」
パチュリーがまず、部屋に入り、続いてレミリアが入って来た。
狭い応接室がにわかにうるさくなる。
咲夜の脇にパチュリーが座り、その隣にレミリアが座り、咲夜は席を立って新たにお茶を淹れ始めた。
「あら、パチュリーじゃない」
霊夢はここぞとばかりにパチュリーの細い手を取り、自分たちは親友であるという前提のもと、これまでの境遇を語り始めた。
「で、その天人ってのが家を壊しちゃって昨日から何も食べてないの。でもね、私ったら天人が怖くて何も言い返せなかったの」
霊夢の熱弁の後、放心状態にあったパチュリーは、冷めた紅茶を一啜りしてレミリアに何やら耳打ちした。
レミリアは顎に手をやって何か考えると、再びパチュリーに耳打ちした。
このような、やりとりが数度交わされ、その内二人は爆笑した。
「決まったのか」
居眠りしていた魔理沙も目を覚ました。
「ええ」
相変わらずにやけながら、パチュリーは頷く。
「泊めてくれる?」
霊夢は科をつくって、自らのティーカップに砂糖を注いだ。
「ええ、いいわよ」
ここまで言ってから、パチュリーとレミリアは声をそろえた。
「メイドになってくれるならね」
「メイドをしてくれるのなら」
咲夜の表情が急に曇った。嫌なのだ。
霊夢はあっけにとられ、魔理沙も目を丸くした。
「ちょっと待って、せめて門番に。それに私メイドなんて出来ない」
「反対です、私からもお願いします。この女にメイドは無理です」
レミリア達は、「今更、何を言うのか」といった表情で顔を突き合わせた。
「だってねえ、門番は美鈴がいるしねえ。働かざる者はねえ」
「ねえ。咲夜がサポートすればねえ」
「今晩は、ビーフシチューだしねえ」
霊夢の目が潤み、魔理沙はさらしの上から霊夢の背中を小突いた。
まずは、たっぷりとした黒髪をどうするかが問題であった。
一つ縛りにするにしては前髪が多すぎる。メイドは清潔第一である。
過激派兼反対派の咲夜は、はさみで切ってしまうよう提案したが、却下された。
結局、カチューシャで半分ほど前髪を上げ、横と後ろの髪は普段のリボンを使い、高い位置でポニーテールにした。
この場合、うなじが見える。
メイド服とシューズは咲夜らが着ているのと同型の物を着用した。(妖々夢の選択画面時のあれである)
また、さらしはメイドらしさに違反するため、白いブラジャーを身に付けた。
メイドは内側にも気を遣う。
「似合わねえ」
青いメイド服に赤いカチューシャとリボンを付けた霊夢を見て、魔理沙が手を叩いた。
「あんたには、ビーフシチューあげないわよ」
「いらないぜ、萃香と飲みにいくからな」
痛い所を突いたつもりが、全く効かなかったので、霊夢は地団駄を踏んだ。
「あんまりはしゃぐと、下着見えるわよ」
「もう、こんな時間。ご飯にしましょ」
レミリア達が出て行くので、霊夢も急いで後に続かんとしたが、慣れぬ靴にミニスカートである。動いた拍子に足を絡ませ、すっ転んだ。
またもや、魔理沙が笑う。
もはや振り返るのも苛立たしく、憤然と咲夜の後を追い、またすっ転んだ。
食堂には厨房担当のメイドを除いて、ほぼ全員が集合していた。
6列に及ぶ長テーブルを見て、ここにはこんなに人がいたものかと、霊夢は驚く。
先ほど、アシスタント係に命じられた咲夜に率先されて最上座に近づくにつれ、メイド達の視線が注がれる。
勿論、一番上にはレミリアとパチュリー、向かいにフランドール、少し離れて咲夜や美鈴、小悪魔の席があるわけだが、本日は咲夜と美鈴の間にもう一つ席が用意されていた。
メイド達としては、そこに座るのが誰か気になって仕方なかったのだ。
しかも、よりによって紅魔館ゲストのはずの霊夢がメイド服を着て出てきたのだから、彼女らの困惑は筆舌に尽くしがたい。
さて、ここでメイド長による公開陵辱が始まる。
彼女は、全員が着席したのを見計らうと、食事が始まる前に霊夢を立たせた。
「皆さん、こちらにいるのは今日から紅魔館で働くことになりました博麗 霊夢さんです。
博麗 霊夢さんは家が無くて大変です。みんなで色々教えてあげてください。さ、霊夢さん。自己紹介を」
「家が無い」のあたりで、メイド達が早速、噂話を始めた。
突如、アシスタント係に任命されたストレスを発散させるといった意味合いもあるが、それだけではない。
もともと、この手のいびりが好きなのである。
パチュリーとレミリアは必死に笑いをこらえていたが、フランドールらは、ぽかんと口を開けている。
「新しくメイドをさせていただく博麗 霊夢です。今日からよろしくお願いします」
屈辱以外のなにものでもない。
が、しかし、目の前に運ばれてくるビーフシチューを食べるためには仕方ない。
ミニスカートのせいか、大勢の聴衆のせいか、霊夢は頬を赤らめエプロンの端を握りながら頭を下げた。
拍手の音。
「さ、何か質問は」
美鈴が手を挙げたが、自分以外に誰も挙手していないことを確認するやいなや、すぐさま手を下ろした。
「では、いただきましょう」
一斉に、フォークとナイフを取る音が聞こえた。
霊夢はしばらく無心で皿に入ったビーフシチューを啜っていたが、サラダに取りかかろうとしてぽつりと漏らした。
「箸、無いの?」
咲夜が、口元に運びかけていた肉片をフォークごと取り落とし、テーブルクロスに染みを作った。
質問には誰も答えない。
「まっ、いっか」
霊夢は気を取り直してライスをかっこみ始めた。
レミリアは、聞こえぬふりをしてワインを口内でかき混ぜた。
向かいに腰を下ろす美鈴や、小悪魔は俯いたまま食事を続けている。
「日本茶も無いのかあ」
そして、レミリアがワインを飲み終わり真っ先に席を立とうとした時、霊夢が身を乗り出した。
「レミリア、大分小食ね。シチュー口付けてないじゃん。私、もらっていい?」
「とんだ恥をかかせてくれたわね」
食事終了後、厨房に連れ込まれた霊夢は、頬を膨らませた。
「だって、普段お箸だもん」
「あなた、頭の中がハッピーセットなんじゃないの? いい加減にしないと追い出すわよ」
咲夜は、堆く積まれた皿を指さした。
ざっと見積もって1000枚はある。
霊夢はメイド服なのも忘れて、大股で歩き、皿洗いに取りかかった。
皿洗い係は常に一人であるらしく、広い流しには霊夢一人残された。
ただ、後ろや横ではメイド達が残飯処理や翌日の食材の準備に勤しんでいる。
皿を洗うのも一枚や二枚ならいいが、何百枚も洗っていると、発狂しそうになる。
今、持っている皿は洗ったんだか、洗ってないんだか。はたまた拭いたか拭いてないか。
一度拭いた皿に洗剤をぶっかけて我に返った霊夢は、後ろのメイドに話しかけた。
「ねえ」
「はい」
怯えているのか、この茶髪のメイドは声を震わせた。
「水符で、一気に洗ったら楽だと思わない?」
「いえ、あの、それは」
霊夢は溜息を吐いて、また次の皿に取りかかった。
「冗談よ、冗談」
ちら、とメイドの方に目配せした霊夢の目にとんでもないものが飛び込んできた。
何と、このメイド。鍋に残ったシチューや、釜の底に残ったライス、あまつさえ口を付けていない焼き魚を捨てようとしているではないか。
「わ、何しているの。あなた」
「は」
メイドは訳が分からず、鍋から離れた。
「これ、このままにしておきなさい。私が使うから」
「はあ」
「その代わりに私の皿を手伝って」
霊夢は、泡の残った手で、茶髪メイドの手をがしりと掴まえた。
二人して、無言でひたすら皿を洗う。深皿、平皿、深皿、スープ皿、平皿。
「ねえ」
「はい」
茶髪メイドは無表情に返事した。
「毎日、こんなことやってるの?」
「はあ」
霊夢は力を込めて言った。
「妖怪退治の方が100倍楽ね、片目つぶってもいける」
「はあ」
また、沈黙して皿を洗い続けた。
ようやく、皿を洗い終えると茶髪メイドは心配そうに食べ残しの鍋や釜を見た。
「あの、あれ」
「大丈夫。私がやっとくから。手伝ってくれてありがとう」
「はあ、そうですか。それじゃお先に」
メイドが一礼して出て行ったのを見て、霊夢は大きく頷き、深い皿とスプーンを取り出した。
まずはシチューを火にかける。次に皿の中央に冷や飯を載せ、焼き魚を2つ程添える。クロワッサンも添える。
加えて、サラダを彩り良く盛りつける。
最後に上から温まったシチューをかけると、完成だ。
「やっぱ、あんな背筋伸ばしてたら飯も食えないって」
霊夢がかっ込んでいると、背後で皿が割れた。
わなわなと肩を震わせた咲夜が立っていた。
霊夢は気管に飯をつまらせる。
「何しているの?」
「や、夜食」
「それ、何?」
「貧乏丼」
咲夜の顔に青筋が浮き出たが、意外にも静かな調子で「食べ終わったら、片付けて寝なさい」と言ったきり厨房から出て行ってしまった。
ほっと、一息ついた霊夢はもう一杯白飯を盛った。
「着替えはこれよ」
霊夢はげっそりした。
クローゼットの中には、変わり映えしない半袖エプロンの、青いメイド服とシューズとタオルしか入っていない。
「さらしはないの?」
「ありません」
咲夜は霊夢に明らかな軽蔑の視線を向けると、部屋から出て行ってしまった。
霊夢は自分で淹れた紅茶を飲み、部屋風呂に入るとそのままソファーに倒れ込み爆睡した。
そして、朝が来て、咲夜がやって来た。
「おはようございます」
「おはようございます」
事務的な挨拶を交わした後、鏡を見ると、目の周りにくっきりと濃い隈が現れていた。慣れないブラジャーをしていたため背中も痛い。
「今日は図書館勤務です」
「はあ」
大体のメイドはローテーションが決まっており、図書館ならば図書館、厨房ならば厨房といった具合であるが、霊夢は飛び入りの新人であるためそうもいかない。
霊夢がのろのろとメイド服を着ていると、咲夜は叱り付けた。
「メイド服とはこう着るものです」
瞬きもせぬ内に、全裸となったメイド長が、次の瞬間には元通りメイド服を着た状態で立っていた。
「でも、それって」
「時間は止めていません。練習しなさい」
咲夜が合図すると、朝食とコーヒー、紅茶を持ったメイド達が部屋に入ってきた。
「相変わらず似合わないな」
図書館に行くと、パチュリーの隣に魔理沙が座っていた。
「神社の様子はどうだった?」
霊夢はぶっきらぼうに質問した。
「ん、まだまだだったな。それよりもお茶が欲しいぜ」
魔理沙の言葉を無視していると、パチュリーが声を掛けた。
「私も、二人前持ってきて」
霊夢は拳を握りしめながら、紅茶を淹れ、叩きつけるようにして魔理沙の前に出した。
「霊夢、小悪魔に案内してもらって、奥の掃除してきて」
霊夢が黙って頷き、早歩きに小悪魔の後を付いていくと、揺れるポニーテールを目で追っていた魔理沙が首を傾げた。
「大丈夫かね、あれ」
大広間よりさらに広い一室に、所狭しと巨大な本棚が並べられている。
霊夢は呆然とした。
「ここ全部掃除すんの?」
「はい、本棚の上に溜まった埃を掃いてから、カーペットの汚れをチェックしてください」
小悪魔は気を遣っているのか、霊夢がメイド服を着ている事情には触れなかった。
そして、ここから語調を強めた。
「一応、分かっているとは思いますが。まあ、魔法使いの常識ですが、本棚の中の本には一切触れないでくださいね。もし、何かあったら必ず、司書メイドか私を通してください」
とは言っても、辺りには自分と小悪魔しかいなかった。
霊夢は頷く。
「ま、大丈夫よ。任せて」
小悪魔は非常に不安そうな面持ちで、三列奥の棚の陰に消えた。
揺れる尻尾が視界から消えると、霊夢は半袖のメイド服をさらにまくり上げ、女子テニス部員のような格好になり、小箒を手に取った。
24×4×3=288。
霊夢は、自分が任せられた一区画の巨大本棚の数を計算して頭を掻いた。
自分の作業量を計算する、時計を見る、どちらも単純作業時のタブーである。
そして、黙々と、棚の上の埃を払い落として回っている時にふと気付いた。
ある棚の本の配列がおかしい。
「女子高生幻想1」、「女子高生幻想2」、「女教師・前編」、「女子高生幻想3」、「女教師・後編」。
2巻と3巻の間に別の本が紛れ込んでいるのだ。
「小悪魔、司書」
一応、名前を呼んでみたが返事は無かった。
霊夢も、まあ、これくらいは大丈夫だろうと「女教師・前編」を抜き取った時のことである。
飛び出す絵本の如く、本から緑や青の魔法弾が射出され、炸裂した。
「確認されている限りで、本棚7つ、書物1200冊が修復不可能、修復可能なものについては現在計測中です。加えて、本人は無傷です」
咲夜が読み上げた。
狭い応接室の中、レミリア、小悪魔、咲夜、魔理沙に囲まれてソファに座る霊夢は頬を膨らませた。
「パチェは?」
「図書館で泡吹いてたから置いてきたぜ」
「ともかく、うちでは面倒見切れません」
「だから、あれほど私が反対したのに。昨日の貧乏丼の話だってしたじゃないですか」
「どうして、どうして、ダミー本に手を出したんですか」
居心地悪そうにしていた小悪魔が霊夢の肩を掴んで揺する。
「直そうとしただけだもん。私、悪くないもん。それにメイドにしたのはそっちだもん」
霊夢がぶすくれる。
魔理沙は半分ふざけているため、必死に笑いをこらえている。
「出て行ってもらうわ」
「やだ。ご飯食べられないもん。普通に泊めてくれればいいじゃん」
レミリアは霊夢と目を合わせようともせず、紙を取り出した。
「黙りなさい。巫女だからといって働かなくてもご飯が食べられるなんて思ってはいけない。大丈夫、ここには置けないけど、ちゃんと次の勤め先へ紹介状を書いてあげる」
そして、紹介状は書き上がった。
俺は好き
なんか、イイw
こんな性格の悪い咲夜さんはなかなかいないw