米
このお話は、プチ作品集31『あのすばらしい地震をもう一度(前編)「ドキドキ!守矢神社の木の下で」』の続きになっています。
≪ 3 ≫
「そこで私はこう言ってやったわ。ヘイ、今は落成式の最中よ!」
守矢神社の居間、湯飲みと茶菓子の並べられた卓袱台を囲んで、天子は座ったまま熱弁を振るう。
向かい合うように座って、こちらの話に聞き入る女―――東風谷 早苗はにこやかに頷いた。
「勇敢なんですね。それで、どうなったんですか?」
「もちろん蹴散らしてやったわよ。妖怪の奴、ぴーぴー泣きながら逃げていったわ。まぁその戦いの余波で神社はまた壊れちゃったんだけど」
話しながらうんうんと頷く天子。ノリ良く話しているうちに、自分の記憶さえ書き換えられそうな気分になりながら、ふと思う事があり尋ねる事にする。
「それにしてもあんた、私の話がそんなに面白いわけ?」
「はい。私、この郷に来てもう一年ほどになるんですけど、まだまだ知らない事ばかりで。そんな事があったなんて知りませんでしたし」
「ふぅん……」
お互いに、もう自己紹介は済んでいた。なんでも彼女、早苗は外の世界から来た人間らしい。それも、外では信仰が得られないからといって神社と湖ごとこの山頂に引っ越したのだという。穏やかな顔をしてなかなか豪快な女だ、それとも巫女というのは皆そういうものなのだろうか?
外の世界から来た神社というだけあって、居間のあちこちには奇妙なガラクタが鎮座している。映像を映し出すという箱、電波を受信して音を鳴らす横長の装置、そのどれも実際に機能しているのを見た事はないが、ここにあるこれらは果たして動くのだろうか。
その他にも箪笥の上には、鮭を咥えた熊や首の揺れる蛙など意味の判らない置物が複数飾られている。全て外の世界の品々なのだろうか、その感性は天子にはとても理解出来るものではなかった。
ともあれ、居心地が良いのは確かだ。天人以外の付き合いとして、他人の家に招かれたのも初めてかも知れない。無論、招かれてやったわけだが。
膝の上に置いた帽子の唾を片手で弄びながら、天子はちらちらと室内を見回す。
「ここ、一人で住んでるの?妖怪の相手なんて大変じゃない?食べられたらどうするのよ?」
「あ、いえ。一人というわけでは……」
小さく手を振って、早苗が否定しかけた時だった。廊下から、ぎしぎしと床を踏みしめる音が聞こえる。
早苗がそちらを見やるのに釣られ、天子が振り返ると。そこには長身の女が立っていた。
否。決して背が高いというわけではない。こちらが座ったまま見上げているせいだけでもない。しかしながら女が漂わせるえも言われぬ威圧感、その原因は彼女が背中に背負っている注連縄でこさえられた極太の輪による物だった。
天子が口を半開きにして女を凝視していると、早苗がさも何でもないかのように声を上げる。
「かな……八坂様。もう起きて大丈夫なんですか?」
「ん、なんとか。仕事はサボれんからね。ったく大天狗め、DAKARA割りで呑み比べたぁ無茶振りをしてくれる……」
ぶつくさと零す注連縄女はあからさまに顔の血色が悪く、不機嫌そうな態度とあいまって恐ろしい形相が浮かべられている。その視線がぴくりとこちらに向けられ、思わず天子は方を震わせた。女が珍しげに呟く。
「……お客さんかえ?」
「はい。こちら、天人の比那名居さんです。比那名居さん、この方が―――」
「天人?比那名居だって?」
早苗の言葉を遮って、注連縄女はやや上擦った声を上げる。一歩詰め寄り、じろじろと見下ろしてくる相手に対して天子も流石に気分を悪くし、睨むような上目遣いで見返してやる。
「あの、私の顔に何かついてます?」
「……いや、失礼した。ゆっくりしていっておくれ」
女は意外とあっさり身を退いて、その表情を和らげ―――明らかに無理があったが―――微笑を浮かべてみせた。次いで、早苗へと声をかける。
「少しばかり出掛けてくるから、留守を頼むよ。早苗」
「はい。いってらっしゃいませ」
早苗に見送られて、女は廊下の奥へと姿を消す。よく注連縄が壁に引っ掛からないものだとは思ったが。仕事と言っていたからには、あれが何らかの正装なのだろう。
心の中に浮かべた疑問を察するように、早苗が声をかけてくる。
「あの方が、うちの神様であらせられる八坂 神奈子様です」
「は、神様!?神社に神様なんているの?」
驚きと共に振り返り、卓袱台から身を乗り出して早苗と向き合う。巫女は困惑した顔で、
「え、え?そりゃあいますけど」
「だって、麓の神社をこわし……壊れた時には、神様なんて出てこなかったわよ?」
「あそこは特別というか特殊というか……」
「そっか。貧乏だもんね」
なるほど、と自分でもよくわからないまま納得する事にする。あの注連縄女も、言われてみれば確かに風格というか逆らいようのない何かを背中に宿らせていたように思える。気のせいかもしれないが。
と、早苗がちらりと壁に掛けられた時計を見やる。あ、と彼女は小さな声を洩らして立ち上がった。
「いけない。お夕飯のお買い物してこないと」
「あ、そっか。ごめんね長居して」
「いえいえ。よろしければ、比那名居さんもご一緒にいかがですか?」
「え?」
思いもよらぬ誘いを受けて、天子は素っ頓狂な声と共に早苗を見上げる。彼女は胸の前で掌を合わせ、にこやかな表情で告げてきた。
「たまのお客様ですから。神奈子様たちにもきちんとご紹介したいですし」
「……え、えぇ。じゃあお言葉に甘えて」
控えめな声量で返事をかえす。早苗はいっそう嬉しそうな笑みを浮かべながら、棚の横に引っ掛けてある買い物カゴを手に取った。中身を覗き込んで確認しながら、居間から出て行く。そのついでに、彼女は天子の方を見やった。
「ちょっと出てきますね。どうぞ、くつろいでいてください」
そう言って、早苗もまた玄関の方へ歩いていってしまった。
遠くから、がらがらぴしゃり、と戸の開け閉めされる音を聞き、天子はなおもしばらく呆然と座っていた。
何かが、胸の中に渦巻いている。それは同時にしこりのように重たく、その正体も知れない。感じた事もないのだから、知りようがない。
古くさく、決して広くはない畳の間。懐かしさではない、しかし何処か温かみを覚える空間。彼女に招かれたのでなければ、こんな印象を抱きはしないだろう。
むず痒く、また快くさえある心地に浸りながら。
天子は、はっと顔を上げた。
「……神社乗っ取りに来たんじゃん!」
≪ 4 ≫
抜き足、差し足。我知らずぶつぶつと呟きながら、神社の廊下を歩く。
家主が出払っているとわかってはいても、決して気は抜けない。視線を這わせ、耳を澄まし、誰の気配もしない事を確認しながら進む。
(明日のための第二歩。虎穴にいらずんば工事しようにも設計わからずってね)
自身に言い聞かせながら、通路の壁をぺたぺたと触る。天子が調べているのは、この建物の構造だった。
神社を手に入れるためには、まず建物を倒壊させて敷地に要石を打ち込み、新たに天人の手で修復しなければならない。その際にある「仕込み」をするのだが、問題はそこではない。
(緋想の剣がないのは厳しいけど、まぁ、やれない事はないわ)
彼女一人の力では、この頑丈そうな神社を完璧に倒壊させるのは難しいだろう。その為、内部から探りを入れてこの建物の最も脆い部分を見つけ出し、そこを震源にして地震を起こしてやらなければならないのだ。しかも妖怪の山の頂上で下手に大きな地震を発生させてしまっては、天狗たちとの諍いに発展しかねない。土砂崩れなどのないよう、最小限の力で神社を倒壊させなければならないのだ。
何より、この神社は外の世界から来た建築物だ。建てられたのは昔でも、幻想郷の技術にはない改装を受けている可能性もある。地震への対策も当然取られている事だろう。
(やれない事は……なくないような気もしてきたかも)
立ち止まり、腕を組んで思案する。今さら何も考えようがないとは思いつつも。
(いやいやいや、ここまで順調に来たんだから。これはきっと私に課せられた天命なのよ)
「あー」
(ん?天人は私か。ならこれは私の意志。やると決めたらやるのよ天子)
「うー」
(うん。あーうー……って)
聞こえた声に釣られるように、天子は顔を上げかけて、止まる。
彼女のすぐ目の前、通路の真ん中にしゃがみ込んでこちらを見上げてくる少女と視線を交わす。
「―――ぎゃあああっ!?」
悲鳴を上げて、大きくあとずさる。得物がない事を忘れて腰周りにぱたぱたと手をかざしていると、突如として現れた少女は立ち上がり、天子を指差してけらけらと笑った。
「あはは、びっくりした?」
動きを止めて、天子は少女を観察する。驚くほどの事もないごく普通の子供だが、彼女もまた奇妙な格好をしていた。取り分けて目を引くのは、頭に被った帽子である。シルクハットのような筒状の麦藁帽子、そしてその頭には目玉のような飾りが二つ付いている。
この神社の住人だろうか。年齢から察するに早苗の妹といった風だが、外見的に血が繋がっているようには見受けられない。
平静を取り戻して、天子は少女へと歩み寄った。相手の背に合わせてやや腰を落とし、顔を覗きこむ。出来うる限りの笑顔を浮かべて、
「お、お嬢ちゃん、ここの子?」
「うん。お姉ちゃんは誰?」
「わ……私は、そう。お客様よ。早苗の」
「へぇ」
聞いておいてさほど興味はないのか、少女は続けざまに言ってくる。
「この先は行っちゃ駄目だよ。大事な場所だからね」
「……そう。大事な場所」
少女の言葉を胸中で何度か反芻して。手で口元を隠し、天子はにやりと笑った。
(ビーンゴ)
あどけない表情でこちらを凝視する少女をちらりと見下ろし、その視線をさっと脇にやる。
フェイントに釣られて少女がそっぽを向くのと同時に、天子は彼女を避けるようにして前に出た。しかし走ろうとした矢先、すぐさま少女に再び行く手を塞がれてしまう。
負けてなるものかと、真横に平行移動。それにも少女は即座に反応し、天子の前に立つ。
くっ、と歯を食いしばり、天子は少女としばらくの間対峙した。もはや笑顔も忘れて、口の端をひくつかせながら呻く。
「私、その奥にどーおしても用があるの。通してくれるよね?」
「うーん。駄目」
簡潔にそう答える少女は、あくまで無邪気に微笑んでいる。否、邪気があふれているように天子には思えた。
「この……」
腹の底に溜まった黒い感情を、片手に込める。
「わからずや!さっさと通しなさい!」
怒鳴り声と共に、腕を振り上げる。ただし握り拳ではなく、その手が掴んだものは少女の麦藁帽子だった。
「あーっ!」
少女の悲鳴を無視して帽子を取り上げ、それを他所へと放ってやろうとする。流石に大人気ないかと思い、ほんの一瞬だけ振りかぶる動作を躊躇するが。
その瞬間、帽子を掴む手に奇妙な柔らかい感触が伝わった。
(え…………?)
はっとして天子は帽子を見やる。その顔面に、緑色の物体が落ちてきた。
「~~~~~~っ!?」
全身を身震いさせて、声にならない絶叫を上げる。
取り上げた帽子の中から、まるで蛇口から出る水のような勢いで、次々とそれ―――拳大の蛙が溢れ出してきた。
尻餅をつく天子、その足元を蛙の群れはあっという間に覆い尽くし、次第に身体の上にまで降り積もっていく。
助けを求めようと、天子は慌てて振り返った。見やった先に立つ少女は、もう笑ってはいない。ゲコゲコとやかましい鳴き声越しに、彼女が何か言うのを聞く。
「痴れ者め。神を虐げるとは何事か」
(こいつも……神様……!?)
肩にまで昇ってきた蛙達によって、帽子が手から零れ落ちる。なおも絶えず沸いて出る緑の軍勢は、あっという間に天子の頭の上にまで群がり視界を塞いでしまう。
(なによ、これ……なんなのよもう……)
気味の悪い感触に声を出して嘆く事も出来ず。身動きの取れない四肢からは次第に感覚さえ途切れて。
最後に天子は、意識までを失った。
≪ つづく ≫
(フランスパンで)叩いて(ZUN帽を)被ってジャンケンポンですね。わかります。
>なんでこいつのお話なんて書いてるんだろう
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ?