Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

暑っつい思い出と事件 ~ 始末人妹紅助

2008/08/06 18:23:27
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 妹紅助、もこすけ と読みます。
 前に投稿させていただいた、「花ともこ」の設定をやや引いています。
 ・慧音と妹紅が親しい ・慧音の妹紅に対する口調が丁寧 
 ・不死の妹紅に対して慧音はいずれ死ぬということ
 と、妹紅が里になじんでいる、という点があります。この他に前作との関連はありません。
 里の人たちが出ます あと、また剣が刺さったりしますが。死人も登場します。










 暑中、孟夏の昼間。
 夏休み中の寺子屋へ掃除をしに来ていた慧音は、昼飯時前に作業を終わらせ、一息ついて涼んでいた。遊びはしゃぐ子供の声が外から聞こえる。寺子屋の土地は広く、あたりが広場のようになっているから、子供がよく遊びに来る。
 窓際に座り、楽しそうな子供たちを眺める。遠くで遊ぶ子供の声、ふとそれに混ざって、近くからひそひそと話す声が聞こえる。耳を澄ましてみると、どうやら窓の下の壁の向こう側で数人が内緒話をしているようだ。シャモだの何だのという言葉が聞き取れる。興味がわいて、壁に耳を寄せると、ウチのシャモをとってきてトウケイゴッコをどうの、という内容のようだ。家の軍鶏を取って、というくだりに感心せず、慧音は立ってがらりと窓を開けた。
「おい、何をしている」
 下を向くと、子供が四、五人寄り合って壁にくっつき、慧音を見上げて固まっている。一人がうわっと言ったのを機に、みんな一斉に逃げ出した。ふふっと笑って、走っていく背中を目で追った。中に一人、養鶏をしている家の子がいた。喋っていたのはあの子供だろう。
 雑巾や箒を蔵にかたづけ、戸締りをして寺子屋を出た。裏の小道から大路に行き、市へ寄る。昼食はそうめんにするつもりで、ひやむぎと生姜を買った。途中、氷屋ののれんが目に入った。炎天の下で白と水色ののれんはひどく魅力的だ。慧音はかき氷を二つ頼み、二つともにいちごの味のする真っ赤な砂糖水をかけてもらった。ひやむぎと生姜の袋を手首に提げ、両手にかき氷を持ち、溶けてしまわぬようにと急ぎ足で家へ向かう。
 里の喧騒からはずれ、家のある林に近づくと、妙に騒がしい音が聞こえた。子供の喚声と、キーッという鋭い鳴き声。何だろう。駆け出し、家の前に出ると、庭に子供たちが集まってやんややんやとさわいでおり、その取り囲む中で、軍鶏が二匹、蹴ったりつつきあったりして、羽を撒き散らして戦っている。どちらかの攻撃が激しくなるたびにキーッという例の鳴き声があがり、子供たちがはやし立てる。
 こらっと怒鳴ると、子供たちはぴたりと静まって振り返った。軍鶏は戦いをやめずますます暴れだす。それを、さっき見た養鶏所の子供が一匹捕まえ、もう一匹を捕まえたのは赤いリボンの…女の子。
 家の縁にかき氷と袋を置き、びしっと前を指差して、並べ、と言う。十数人の子供が一列に並んだ。列の端に、軍鶏をかかえて羽だらけになった男の子と、同じく羽をいっぱいつけた藤原妹紅。
「何をしているのですか…妹紅さん…」
 いや、と腕をあげようとして、もがく軍鶏をぐっと抱える。
「この子たちが、闘鶏したいってぶつぶつ言いながら歩いてたから、ここでやったらどうかって言ったら鶏持って集まって来てね」
「とりあえず、その軍鶏を籠に入れてください」
 そこらへんに転がっていた籠を男の子が拾い、もう一つに妹紅も入れる。ぱっぱっと服をはらうと、羽が舞い上がった。それだけでなく、庭は草がぐしゃぐしゃで砂が散り、ぶわぶわと散らかった羽と血で、さながら戦のあとの有様だ。
「蔵にほうきがあるから、庭をきれいにしなさい」
 子供たちと妹紅は素直に従い、我先にと箒を取りに走り、箒を取れなかった者も羽を手にいっぱい拾い一箇所に集め、草をととのえ、血は砂で拭いてきれいにし、庭はもとに戻った。
「よし。さあ、今すぐ家に帰るんだ。家にだぞ!」
 怒鳴る慧音からみんな逃げて行った。男の子は軍鶏の籠を引っさげて。慧音に怒られるのは誰だって怖いから、きっと必ずそれぞれの家へ帰るだろう。
 残った妹紅は、寄せ集められた羽を手のひらの火であぶって燃やし始めた。
「…あの子は、家の人が十分叱るでしょう。軍鶏があんなに傷付いてしまいましたから」
 と、男の子のことを言い、ため息をつき妹紅のそばにしゃがむ。
「あはは…ごめん」
 苦く笑う。ぶすぶすと焦げ臭い煙が立ち上る。慧音の視線もぶすぶすしている。だが内心、妹紅が子供と仲良くしていた様子に、慧音は嬉しくなっていた。だから気分は悪くない。
「これから昼食にしますから、それが終わったら家にあがってください」
 そう言って立ち上がる。縁で靴を脱ぎ、見ると、赤い氷水ができあがっていた。
「あぁ…かき氷が溶けてしまいました」



 生姜を入れた美味いダシに麺をひたし、つるっと飲み込む。大皿いっぱいに盛られた麺はすぐになくなってしまう。作る手間も食べる手間もかからない上に体が冷えるそうめんは、暑くて体がぐったりとしている夏にはおあつらえ向きだと思ったが、これではなおさらぐたぐたしてしまうような気がして、慧音は今晩の夕食は思い切ってカレーにしようと思い立った。
 縁でうちわをうごかし、甘い氷水を飲んでいる妹紅の隣に座った。
「私はそれ、いらないので、妹紅さんもう一つ飲んでくれますか」
 幸せそうな顔をして冷たい液を流し込んでいる妹紅に言う。妹紅は頷いて、慧音の分も手にとって口に傾ける。その顔が憎らしく見えるだろうが、慧音は気にせず妹紅の横顔を見つめている。氷水で体を冷やし涼しそうな妹紅のさわやかな横顔が心地良い。
 二杯とも飲み干して妹紅は一息つき、きんきんする喉から細い声を出して言った。
「さっきはごめん、子供を庭で遊ばせて」 
「まあ、もういいですが、闘鶏はひどいです」
「うん。ごめん」
 慧音はもう少し何か言おうかと思ったが、怒ることが思い浮かばないからそれで止めた。妹紅は立ってそうめんの食器を片付けはじめた。
「私かたづけるよ」
「あ、私がやりますよ」
 慧音は休んでて、と妹紅に押し戻された。嬉しい気持ち半分とすまない気持ち半分、その合間にふと思いつき、慧音は縁に脱いであった靴をはき倉へ向かった。倉は予想したとおり、子供たちがいじっていったため物の配置がばらばらになり、長い間整理もしていなかったためだいぶ荒れている。先ほどの庭ほどではないが。
 食器を洗って片付け終えた妹紅が慧音の様子を見に倉庫へ来た。ごちゃごちゃだねぇ、と慧音のうしろに立って言う。
「片付けるのを手伝ってもらえませんか?」
「うん、もちろん」
 一旦物をすべて外に出して掃除をしてから、整頓しつつ物を戻す。倉とはいえそれほど小さくはなく、なかなか時間がかかりそうだったが、物を出す作業は妹紅の体力がすぐに済ませてしまい、慧音も真面目な性格でてきぱきと掃除をして、そこまでは比較的早く終わった。
「慧音、一休みしようよ」
 そうですね、と慧音は一息つく。そういえば、寺子屋でもここでも、朝から今まで掃除ばかりしている、と思った。まあこんな日があってもいい。暑い倉に入っていたため、外に出るとかっと照らす太陽の下でも少し涼しく感じた。風が熱した肌の熱を冷ましていく。妹紅のリボンがふわりと揺れる。
「あ、そうだ。ちょっと出かけてくる。すぐ戻るよ」
 ふわっとリボンをはねさせて、妹紅が駆け出した。何処へ、と言う暇もなく駆け去ってしまう。どこへ行くのだろう。だが、すぐ戻ると言っているからすぐに戻るだろう、とうちわをあおいでいた。
 間もなく妹紅が駆け戻った。竹の筒を持ち、ふうっと額の汗をぬぐう。ずっと走っていたのだろう。慧音は妹紅の顔にうちわで風をおくった。
「涼しい。ありがとう」
 と、慧音に筒を差し出す。筒は冷たく、表面に水滴がついている。冷えた液体が入っているようだ。
「これは?」
「冷やし飴。かき氷のおわび。それに、掃除して暑かったでしょ?だから飲んで涼しくなってよ」
「あ…ありがとうございます」
 嬉しくなって、礼もそぞろに筒の口を切った。ふっとのぼった甘い香りがそそる。一口傾けると、さわやかな甘みと生姜の風味が口に染み、冷たさに喉が震えた。美味しいかと聞かれ、こくっと飲み込んで頷いた。胃の腑に冷たさが落ち、体の中からひんやりとしてくる。生姜の酸っぱいような苦いような、それでいて甘い味に、やや疲れた体が目覚めたように元気になる心地がする。
 二口目、三口目と傾け、見ていた妹紅も欲しくなり、私も一口、と言う。慧音は筒を妹紅に渡した。冷やし飴は冷たいままに飲み干された。
「さて、再開しようか」
 妹紅が立ち上がる。空になった筒を縁に置き、慧音も立ち上がり倉へ向かうと、がさごそと音がした。嫌な予感がしたが、まさか子供ではあるまい。妹紅と顔を見合わせ、倉に近づくと、倉から真っ黒な犬が出てきた。口にかかしの頭をくわえている。二人の姿を見ると、かかしをずるずる引きずりながら歩いていってしまった。
「何だ、あれ。野良犬かな」
 妹紅は犬の真っ黒な後姿を見つめ、体の大きさやもさもさの毛並みに感心していた。
「かかし、取られちゃったけど?」
「あれは要りませんから…」
 倉の中を見てみると、特に何も荒らされておらず、足跡なんかも残っていない。かかしを玩具にでもするのだろうか。そういえば、あの犬を慧音は何度か見たことがあった。大路の脇に丸まっていたり、寂れた道を一匹で歩いたりしていた。おとなしく、何にも手を出さないから誰も気に留めず干渉しない。寺子屋で、子供がこの黒い犬について、あれは山から来たのだとか、狼と犬の合いの子なのだとか言いふらしていたことがあったが、いつから里にいて、どこから来たのか、本当のことを知っている者はいなかった。
「まあ、作業を始めましょう」
 犬のことはそれで忘れ、慧音と妹紅は倉の整頓を再開した。何をどこに置くか、揉めるでもないが、妹紅が実際的に使わぬものを奥に、使うものを手前に置くことを言えば、慧音は実際その通りに置くと物が入りきらない、見栄えがどうのと言い、置いては動かしを繰り返しているとすぐに数時間がたった。気づけば物がすべておさまっていて、それで二人は整頓をもう止めにした。
 薄青い空に、かすかな西日の名残を受けてピンク色に染まっている雲が浮かんでいる。夕風に頬を冷まし、遠い目をしている慧音を、妹紅は疲れていると見た。慧音は朝から寺子屋の掃除に出かけて、帰ってくると子供に庭を荒らされていて、子供たちを返してからまたすぐに倉の掃除だ。今日一日、慧音は疲れたろう。
「慧音、夕飯作ってあげるよ」
「え?」
 慧音は振り返った。
「いいのですか?」
「うん。何が食べたい?」
「今晩は、カレーにしようと考えていたのですが」
「カレーか、夏バテに良いんだっけ。材料はある?」
 頷き、二人の足は家へ向かう。慧音は妹紅といられる時間が延びたことで喜んで、足取りは疲れを知らず軽やかだ。むしろ、今日一日忙しくてよかった、真面目に働いてよかった、と思っている。禍福は糾える縄の如し。



 慧音の意向により、辛いカレーが出来上がった。妹紅が作ると言っても慧音は手伝おうとして台所離れない。慧音には休んでいてもらいたいのだが、したいようにさせる。味見をして、辛い、と舌を出してひーひー泣いても、まだ大丈夫、とカレー粉を足していくのが可笑しい。なぜそんなに辛くするかについて、慧音は、夏の暑さに打ち勝つ為だと言った。
 できあがったカレーを、妹紅はお茶を飲みながらなんとか食べたが、慧音はお茶や水を何杯飲んでも足りず、涙までにじませている。食べてやろうか、と言うと首を振る。
 カレーを完食し哀れな顔の慧音は、片付けは一人でやるという妹紅の言葉に甘んじて、卓に肘をついてずっと水をちびちびと飲んでいた。辛さが引かないらしい。そうしている間に浴槽に水を入れ、皿を洗い終わった頃にちょうどいい量に溜まった。
 妹紅も慧音もさっぱりして、縁に座ってうちわをぱたぱた煽った。涼しい風がちらちらと風鈴を鳴らす。ふと見ると、隣で慧音が舟をこいでいる。やはり疲れが溜まっているのだろう。
「慧音、布団で寝なよ」
 肩を揺すると、ぱちっと目を開けてこちらを振り仰ぐ。
「あーあ、そうですね。布団を敷きます」
 ふらっと立ち上がる慧音。
「妹紅さん、泊まって休んでいかれてはどうですか。掃除をお疲れ様でした」
「ん、ありがと。そうさせてもらおうかな」
 慧音は客間に妹紅の布団を敷き、目をこすりながらおやすみなさいと言って寝室へ行った。座敷の灯りが消え、妹紅は布団に入った。
 だが、枕が違うためか安眠できず、しばらくして目が冴えてしまった。少し部屋が暑い。起き上がり、座敷の縁へ出て障子を開けた。庭から涼しい風が吹き込む。妹紅は縁に腰を下ろした。
 月のない暗い夜だ。家は林の中にあるため、暗がりにつつまれて静かだった。時刻は真夜中頃だろうか。林の向こうの里も、明かりは全て消え寝静まっている。だがよく見ると、その中で一軒だけ灯りのともっている家がある。そちらへ目を向けてわずかに身を乗り出したとき、手が蚊取り線香の台にあたって倒してしまった。がらんと音を立てて台は倒れ、蚊取り線香は割れて灰を散らした。手のひらで灰を掻いて庭に落としていると、畳を踏む音がして、慧音が来た。
「どうしたのですか?」
「あ、起こしちゃった?ごめん」
 灰を捨てきって手をはたき、台を立て直す。慧音はふきんを持ってきて縁の床を拭いた。ふきんを裏返して妹紅の手を拭ってくれる。
 二人はしばし風に当たって涼んだ。風にざわめく林の音、風鈴の鳴る音。あれ、と妹紅は耳を澄ました。風の音の間に間に、弦をはじく音が聞こえだした。弱く、細く、琴線の震えがかすかに届く。非常に小さな音だが、一度捉えると徐々に聞こえてきた。
「慧音、琴の音がする」
 慧音も、外の暗闇に目を向けて琴の音を聞き取っているようだった。音を邪魔にならぬよう気遣うような、小さな声で語りだした。
「あそこに、一軒だけ灯りのついている家があるでしょう。あの家に住んでいる女が、夜もすがら糸車をひいているのです。
 女の夫は先頃、病気で早世し、女一人と幼子が残されました。身よりもなく、幼子の世話をして昼間は過ごし、夜にああして仕事をして生活を支えているのです。
 夫は生前に琴をよくしました。仕事の合間、夫を偲び、爪弾くのでしょう。夜な夜な、琴の音は聞こえてきます」
 物語る慧音は悲しげだった。哀れな事実を知っていてもどうかしようとするわけにはいかない。妹紅も悲しさを噛み締めた。弱い音色から、女の心の悲しみが伝わる気がする。
「こんなにか細い音なのは、距離のせいじゃないね」
「と、言うと?」
「琴には人の魂が篭ると言われている。女の夫の魂が篭っているのかもしれない。だから音が響かない」
 かつて、人間が霊を恐れ、その姿を目にすることのできなかった時代に、人々が信じていた考え。今は、特にここ幻想郷では、そのような考えが持たれることはない。古い、遠い時代の考えは、しかし音色を悲しい幻想で包み、やりきれない気持ちまでオブラートのように甘く覆ってしまう。
 そうかもしれませんね、と言った慧音は、さらに弱まった琴の音と同調してとても小さな声だった。二人は口を閉ざし、幻想の音に心を寄せていた。音はやがてかき消えるように、空気の振動の名残は風に吹かれてなくなった。



 翌朝、人の話し声で目が覚めた。まだ惰眠を貪っていたくて妹紅は枕に顔を押し付けたが、話し声の中に慧音の声が聞こえて、気になって体を起こした。
 声は閉じた戸の向こうの座敷から聞こえる。村の者と慧音が話をしているようだ。急いた様子で、今すぐ来てほしいと話され、慧音は詳しいことを教えて欲しいと言う。とにかく、みんなが騒いでいるから来て鎮めて欲しい、のだそうだ。慧音は承知して隣の部屋に入り、準備をしたのだろう、すぐに村の者と家を出て行った。
 妹紅は水場で顔を洗い、寝間着を着替えて、縁の下に散らばって冷たくなっている靴に足を入れた。早朝の冷えた空気の心地よさとは対照的に、里は一部が騒がしく、騒がしくない大方は妙に静かで、異様な雰囲気だ。騒がしい場所へ慧音は行ったのだろう。妹紅はまず林を出、静かなところから里に入った。仕事始めや準備の作業で立ちまわっている者はいるが、それ以外に道を歩いている者が少ない。普段のように大声で話す声や元気な挨拶は聞こえず、黙ったり、ひそひそと何かを話していたり、違和感が神経にさわる静けさだった。
 妹紅を目にすると、じっと見つめたり、急に建物に駆け込んだりする者もいる。やっぱり、おかしい。堂々と道を歩かないほうがいいかと思い、建物と建物の間の暗がりへ身を隠して建物の屋根にのぼった。瓦に足を滑らせぬよう気をつけながら低姿勢で進んでいき、屋根を飛びつたって騒ぎの場所へ向かう。
 ざわざわと人の声がたくさんん入り交ざったのや、怒鳴る声も聞こえてくる。近づき、高めの建物の上から見下ろすと、辻の塀の前に人だかりができている。兜をかぶった官人が塀に寄り付こうとする人だかりを怒鳴りつけている、その向こうに小さな家がある。戸が開け放たれていて、中がごたごたに荒れているのが垣間見えた。
 人ごみのなかに慧音の帽子が見えた。何だか声をはりあげて話しているようだがざわつきで聞こえない。だがやがてざわつきは鎮まり、人もそれぞれに散っていった。官人も、慧音と二、三言話したあと役所の方へ帰ったようだ。
 人がいなくなってから、妹紅は屋根から飛び降りた。ざっと砂を踏んで着地する。その音で慧音が振り向いた。
「何があったの?」
 塀の向こうの小さな家に近づく。
「盗人です」
 戸から足を踏み入れると、何かに足をぶつけた。見ると、糸車が倒れている。家の中はひどい荒れ様だ。物が倒され転がり、棚の引き出しはすべて引かれ、中身が床に落ちて山となっている。足で踏み分けていくと、小さな寝台が転がされている。寝台をよけると、下に琴があった。
「この家、もしかして」
 慧音は頷いた。昨日、琴の音を聞いた女の家だ。
 慧音が官人に聞いたことを話しだした。夜が明る前の真夜中、物の倒れる音で隣家の者が目を覚ました。外に出た時には何の音もせず、戸の開け放たれた家は暗闇で、火を持ってきて中を照らすと、家の中がこのような状態だった。女と子供がいない。役所へ駆け込み、ややあって官人が来た。
 金や金目の物は家の中に一つもない。すべて持ち去られたのだった。倒れた灯りの先にあったものがやや燃えていたことから、灯りのついているときに盗人は家に入った。おそらく、夜中に一軒のみ灯りのともっていたこの家を狙ったのだろう、ということ。家人と盗人の行方は不明。誘拐されたのかもしれない。
 寝台が倒れたときにけずれたのか、琴には傷がいくつかついている。指で弦を一本はじくと、昨日聞いたのと同じ音が鳴った。
 がさりと藁を踏むような音がした。音は外から聞こえた。慧音と妹紅は家を出、家の裏に回った。家の裏には薪が積まれていて、その下にカカシが倒れている。慧音の倉で見たかかしだった。顔を上げると、薪の山の上に昨日の黒い犬が立っている。
 なんでここに、と妹紅が不審に思う間に黒い犬は狭い裏道へ駆けて行った。あっと言って、妹紅は追いかけた。何だか怪しい。慧音もあとから駆けてくる。犬の細い胴が道をさっさとすり抜けていくのに、妹紅や慧音は体を横にして慌てて追う。犬を見失いそうになると、犬は道に立ち止まって遅い二人を待った。何なのでしょう、と走りながら慧音が言う。わからないがとりあえず付いて行こうと妹紅は答え、進みづらい道を走る。
 裏道から道の一角に出、その通りをまっすぐ里のはずれへ向かった。この先は原っぱと山しかない。犬が駆けるのをやめ、地面に鼻をすりつけて歩き回りだして二人は追いついた。
ゆっくり歩く犬の後についていく。ふいと犬が顔を上げ、再び駆け出した先には池があった。
「何だ?」
 妹紅は池を覗き込む。濁って日の光も透き通らない水だ。犬は池の前で立ち止まっている。何がしたいのだろう。
 池のまわりを歩き、慧音はふと水際の草むらの中を見た。白いものが浮いている。かがんでよく見ると、水の中に何か布があるようだった。浮いている白い部分を摘み、引っ張ると、布生地が少し水から出てきた。妹紅が駆け寄り、慧音の手のとなりを掴んで二人で引っ張る。水を吸っているようでだいぶ重い。引けば引くほど重くなる。やがて、ずるっと、水ぎわに真っ白な手があがった。慧音の肩がびくりと震える。その肩に手を置き、
「慧音、役所に行ってきて」
 慧音は頷き、立ち上がる。妹紅は布…着物の袖であった…を両手でつかんで、一気に引っ張る。徐々に人の体があがった。腕から、胴、頭。髪の長い女の体だった。顔はうつぶせられていて見えない。最後にあがった反対側の腕は、きつく抱き締めたまま硬直している。小さな赤子を抱きかかえていた。黒い犬が遺骸に寄り、濡れた髪の合間から青い首を舐めるのを、妹紅はぞっとして見ていた。



 遺骸は官人に運ばれていった。妹紅と慧音も役所に連れて行かれて、あれこれと聞かれたあと自由になった。慧音はいろいろのよしみでまだ話があるようだった。隣の大層な部屋で偉い人達といる。妹紅は先に帰ることにした。
 妹紅は気持ちが落ち着かなかった。
 女一人子一人の家を荒らし、盗んだあと母子を殺し池に捨てた。女の死因は刀で切られたことによるという。子供を抱き締め絶命した。それを盗人が池に捨てたのだろう。 
 水からあがったあの白い手が、昨夜のあの琴を弾いていたのだ。そして子供をきつく抱いた腕は、優しく子供をあやしていたのだろう。そう思うと悲壮感が募り、か弱い琴線の震えが思い出される。同時に、二人を殺した盗人に対する怒りが沸く。 
 ふと振り返ると、黒い犬が後ろについて歩いていた。立ち止まると犬も止まる。歩き出せば犬も歩く。
「何だ、お前」
 気がつくと、死んだ母子の家のある辻に来ていた。犬は家の裏へ行き、薪の山の上に乗る。ここが寝床なのだろうか。かかしを咥えあげて、首をがすがすと噛んでいる。がらりと音がして、隣の家の裏木戸が開いた。夜中に目を覚まして家の荒れているのを見つけた者だった。妹紅はここで、この犬が家の女と、以前は夫にもかわいがられていた、ということを聞いた。犬は野良だが、懐いてここにいるのだという。
 だから犬は母子の遺骸のある場所へ妹紅と慧音を連れて行き、遺骸を水からあげさせたのか、と思った。
 さっきはやや不気味にも思ったが、良い犬だ。妹紅は犬の頭をなでた。さらっと藁が噛み切られて、ぽろりとかかしの首が落ちる。何だか不吉で可笑しくなった。かかしの首を投げると、犬は首の飛んでいくほうへ駆けていった。
 家の表に、ぱたぱたと足音と子供の声がした。事の騒ぎを聞いて野次馬に来たのだろうか。家に入られてはたまらない、妹紅は表にまわって見ると、昨日闘鶏をして遊んだ男の子と子供たちだった。よう、と声をかけようとすると、子供たちはなんだか恐れたように、慌てて走って行った。朝から、どうも自分は浮いている。まさか怪しまれているのだろうか。
 もう太陽が空高くにのぼり、蝉が鳴きしきりいつもどおりの暑い昼間だった。竹林へ帰ろうかと思ったが、盗人のことが頭から離れず、慧音の家に戻り、じっとしていた。やがて慧音がかえって来た。卓に茶をならべ、座布団に座って話をする。
「何の話をして来た?」
「話はさして多くありませんでしたが、妹紅さんのことで一つ」
「ん」
「このような事件は長らく起きていなかったので、今日のことで里人は動揺し、外の者にややおびえているようです。官人も、疑ってはいませんが、妹紅さんをすこし警戒していました」
「やっぱり、そうか」
 妹紅はふうっとため息をついた。これは仕方がないことだ。すまなそうな顔をしている慧音に笑みを向ける。続けて、と話を促す。
「役所を出てから、もう一度池へ行って来ました。盗人のものらしい足跡を見つけました」
 え、と妹紅は身を乗り出した。
「池の向こう側の岸に、水際の泥を踏んだ足跡がありました。池のそちら側には山しかありません。山には、山賊の洞があります」
「盗人はそこの賊?」
「そうかもしれません。私は今晩、洞へ行って問いただしてきます」
「行く、って、場所はわかるの?」
 驚いて、真面目な顔をしている慧音を見た。とんだことを言い出したものだ。
「山賊は、以前私が里から追い出した悪人たちです。里へ下りてきたときに隠れ家近くまで追い詰めたことがありましたから、場所はわかります」
 へぇ、と妹紅は感心した。この頃は平和で落ち着いているが、里を守るために慧音はなかなかすごいことをしている。慧音の実力を妹紅も知っている。賊の洞へ行く、という大胆なことをするのもおかしくはないのだと思った。
 


 夜の暗闇に姿を隠しながら、洞へ近づくのだと言う。ならば、と妹紅は、夕飯時に森の屋台へ慧音を誘った。夜雀の八目鰻屋だ。八目鰻には鳥目防止の効用があり、夜目がよく効くようにもなる。夕飯がてらに目の準備をしておくのもいいことだ、と慧音は楽しそうに夜道を歩いていく。
 
 ヒトはアンヤにていをけせぇ、よるのトリぃ… ワダチにぃ…

 暗がりに赤提灯がうかびあがり、妙な歌と香ばしいかおりが漂ってくる。のれんをくぐると、店主がいらっしゃい、と歌った、と思ったら、
「げぇっ、焼き鳥屋!」
「何だよ、いきなり」
「店主を食おうたぁとんでもない~けぇれけぇれ」
「八目鰻二人分ね」
 はいはい、と言って串を火の上でくるくると回し始めるミスティア・ローレライという店主。妹紅は以前、人間に自分のことを焼き鳥屋だと何気なく言いふらしていたことがあり、それがミスティアに知れ、恨まれているのだった。誤解だと言ってもいつまでもこのようなままだ。飛ぶ鳥を落として焼いて食べることはよくあるけれど。何のことか、と慧音に聞かれて、鰻を待つ間に話をすると笑われた。
「私も、妹紅さんに竹林で助けられた人が、あの人は健康マニアの焼き鳥屋だそうだ、と言っていたのを聞いたことがありますよ」
「うぇー」
「はいおまちどさん」 
 脂身の美味そうなうなぎが二皿おかれた。慧音はお冷を飲んで口を冷たくしてから熱いうなぎをほおばった。妹紅はすぐに串を持って食べ始めた。
「ん…味が薄い」
「そうですか?塩が効いていて美味しいですよ」
「やい、どういうことだ店主」
「焼き鳥屋には塩なんか食べさせないわよ、あんたのにはかけてないのよ」
「何だって。タレもかかってないだろ、これ!」
「健康マニアが味の濃いものを食べていいのかしら?」
 確かに、と慧音が笑い出す。睨むとにやっと笑われる。
「それより、あんたが誰かと来るなんてめずらしいわね。その人間、?さんは知り合い?」
「そうだよ。これから一仕事あるんでね。鰻の効果を確かめさせてもらうよ」
「え、妹紅さんも来るのですか?」
「もちろん。留守番させるつもりだったの?」
「あんたら、まさか妖怪退治でもするの?」
「そんなところですね」
 と、慧音が言った。笑っている目が底光りしている。 
 妖怪が人間を食って罪になどならない。人殺しの人間を妖怪と言えば妖怪が怒るだろう。けだものとでも言うのだろうか。



 池に残っている盗人の足跡の向く方向へ山に踏み入る。弦のように細い月は山の中に一筋の光も落とすことすらできない。藪の中の獣道を、腰をかがめて慧音は進む。地面の起伏を手でつかみ傾斜をのぼる。その後ろを妹紅はついていく。うなぎの効果は確かなようで、暗い中に、よけるべき藪の枝や突き出た木の根、目の前で翻る慧音の裾がよく見分けられる。
 藪をくぐりぬけ、土の斜面に木や植物の根が這って出来た、わずかに道と呼べるような地面のでっぱりの上を歩いていく。水が流れ落ち、石がかたまった小滝を飛び越え、なお斜面を横断していく。山のずいぶん深くまで来たようだ。夜気のかおりが濃く、植物の立ち姿が荒々しい。木から落ちた枝や葉が積もっている向こうに、大きく口を開けた真っ暗闇が見えた。あれが洞だった。
 慧音がかがんで止まり、妹紅はそのうしろから洞の闇を眺める。かさっと葉を踏む音がした。息を潜めてあたりを伺うと、洞の上の山肌を、木々を縫って人間が歩いている。木肌を伝ってそこから下に降り、洞穴に入っていった。闇に飲まれたようにその姿は掻き消える。注意をし続けてあたりへ目をやるが、見張りや他の人間はいない。行くか、と慧音の目を見ると、慧音は頷いた。抜き足、差し足、洞へ近づく。
 慧音が洞穴の入り口を踏んだとき、頭上から人影が落ちてきた。山肌を蹴る音を聞いたときに妹紅はとっさに慧音の背を押した。慧音がつんのめり、前に一歩飛ぶと、二人の間に人影が着地した。棒を持って妹紅に打ちかかる。肩を蹴って、妹紅は倒れた賊の棒をむしりとった。
 音を聞きつけて、洞の中から何人も出てくる。目の前に飛び出した一人を慧音が殴る。一瞬小さく光った矢じりを見逃さず、洞の奥から弓を引き絞っていた賊に妹紅の投げた棒が飛ぶ。棒が頭に当たって高い音をたて、矢は慧音をそれて地面に突き立った。
 洞から次々と賊が出てくる。だが一人一人倒しに来たのではない。妹紅は炎を両腕に浮かべた。巨大な二つの炎が辺りを昼間のように明るく照らす。風が吹くとごぉっと音をたてて火花を散らした。眩しさに目を手でおおい、恐れなした賊共はその場にかたまってしまった。ほんの子供にしか見えない妹紅の容貌と、炎とを見比べて、化け物、とつぶやいた者がいた。そいつに向かってにやりと歯をむき出して笑ってやると、ひぃっとしりもちをついて面白かった。
 のっそりと洞から出てきた恰幅の良い奴が、賊の頭のようだった。炎に目を細め、慧音を見、あんたか、と睨みつける。だが戦意などなく、慧音を怖がっているように見える。かつて慧音が追い払ったと言うとおり、面識があるようだ。慧音も賊の頭を睨み、冷たい声で言う。
「里の民家に盗人が入った。家を荒らし金を奪い、女と子供を殺した奴がお前たちの中にいるだろう」
 誰も反応せず黙っている。しんとしたあたりを慧音が睨みまわすと、皆一歩ずつうしろにさがる。頭ににじり寄ると、それをやった奴はここにいない、と口を割った。
「どういうことだ?」
 さらに詰め寄ると、明らかに怯えて、慧音と距離をとってうしろずさりながら語りだした。
 真夜中、仲間の一人が無断で山を下りた。しばらくして帰ってきたと思ったら女と子供をかかえていて、これを人質にして金を取れると言い、頭に差し出そうとした。しかし慧音を恐れ悪事に手を出せずにいる頭は、女と子供もろとも、やっかいな賊を追い出そうとした。賊は、なさけない、見損なった、と頭を罵倒し、人質を抱えて出て行った、と言う。
 その後、不要になった女と子供を殺し池に捨てたのだろう。
 この賊は以前から仲間内でも凶暴な性質だった。盗みもせず山奥でおとなしくしているのを誰よりも嫌っていた、とも。
 慧音を恐れて割った口は嘘を話してはいないだろう。本当なのかと慧音が言うと、みながくがくと頷いている。妹紅が炎で照らして洞の中を見ると、外に出ている者の他には誰もいる様子はなく、外の連中にも、話に合うような者はいない。
 そいつはどこへ行ったか、と慧音が尋問している声が聞こえてくる。行方を知っている者はいなかった。どんなに怯えた声でも、わからないの一点張りだ。賊の中で孤立していたから親しかった者もおらず、行きそうな場所などもわからない。
 足元に光る物があり、拾い上げると、琴を弾く爪だった。爪の先に血がついている。思わずぞっとした。女がここへ連れてこられたとき、指につけていたのだろうか。としたら、この血は誰のものだろう。あがき、掻き削った賊の血だろうか。
 洞の外へ出て、何もない、と慧音に首を振った。残念そうな顔をしたが、ここでこれ以上えられる物はない。帰ろう、と言い踵を返す。
「今度仲間が同じようなことをしたら、そいつを捕まえて里に連れてきてくれないと。慧音が怖いのなら」
 賊に言い残し、妹紅は慧音の後に続いた。あれほど山賊が怖がるのだから、慧音は里の敵にはどんなに恐ろしいのだろう。



 山を下りた。慧音は落胆して肩を落としているように見えるが、顔をのぞくと、苛立ちと焦燥にさいなまれているような、複雑な表情をしている。妹紅も盗人を捕まえられずに舌を打ったが、情報は得られた。抜け出した賊一人を捕まえればいいのだ。きっと捕まえる。
「慧音、焦らなくても、罪人は罰から逃れられない」
 落ち着こうとするが、はやる気持ちが反して慧音は戸惑った顔をした。気持ちを切り替えなければならない。このままもやもやした気持ちでいては何もかも滞ってしまう。
 少し散歩をしないか、と妹紅は誘った。ちょうど風がよく吹き、蒸せていないから心地よく歩ける。里への方角をずれて草原を向き歩き始めた妹紅に、慧音はついていった。まだ気がせいて散歩をしたい気分ではないだろうと思ったけれど、それを落ち着かせたい。
 やわらかい土を踏み、草や植物を踏み分けていく。夏の植物の青っぽいにおいの立ち上る中、どこかの茂みの下に隠れている小川から清冽な空気が流れてくる。その冷たい香りをたどって小川を探すと、ツタの茂みの中に水が流れているようであった。茂みをまわりこみ、草がへこんでなくなったところを覗き込むと、暗闇の中で川は漆が流れているようだった。
「川だよ、慧音」
 慧音はしゃがみ、膝を抱えてうつむいているが、
「真っ暗です」
 とぽつりと言った。
「鰻の効果切れかな。私も見えないけど。あ、お酒飲みにいく?」
「お酒ですか…いえ、遠慮します」
「ん?」
 草の中に何かがいた。指でそっと草を避けると、緑色に明滅する、蛍が一匹いた。雨期が終わり、暑い夏が始まる頃にはみな姿を消してしまう蛍が、この時期にいることに驚いた。すでに、他のどこにも蛍はいない。このたったの一匹は草の葉のゆっくりとのぼっていき、光をあらわにする。慧音が草に手をついて乗り出した。
「この子だけ遅く生まれたのでしょうか。めずらしいですね」
「うん」
 草の先に指をつけると、草をのぼりきった蛍は妹紅の指につたい、手のひらの上で足を休ませた。光の明滅が早い。手をさし伸ばして、慧音に見せた。慧音の目に緑色の光の点がうつって、きれいだと思った。
 この蛍は源氏蛍だった。源氏蛍はあたりにいる仲間の光に同調して明滅する。一斉に消え、また光りだすのがきれいだった、と妹紅は思い出した。その蛍たちとおなじように、この遅生まれの蛍も数日後には死んでしまうのだろうか。
 生まれてきれいに輝き、すぐに死ぬ蛍も、地上に出てすさまじく鳴きしきり死ぬ蝉の声も、夏はどうしてすぐに終わってしまうものばかりなのだろう、とふと考えた。長いはずの昼でさえひぐらしに一日の終わりを予感させられ、今のような心地の良い夜が白みはじめるのも早い。
 命短い美しさに彩られて、夏は短く感じるのだろうか。
「何を考えているのですか?」
 慧音が妹紅を覗き込んでいた。ぼうっとしていたことに気づいてあっと言うと、蛍は羽を広げて手から飛び立っていった。二人はそれを見送り、茂みの間に隠れて見えなくなった光の跡を見つめる。
「蛍、きれいだなって思ってた」
 ふうっと息を吐く音が聞こえた。
「遅く生まれて、気づかれずに一匹だけで光っているあの子も、じきに死んでしまうのでしょうか」
 寂しい、とささやく。
 慧音も同じことを考えていたのか。寂しいという言葉に心が揺れる。感傷が二人の間をたゆたい、もう暗闇を見通せなくなった目で、わずかに浮かび上がる慧音の輪郭を切なくなぞる。
 ふと、感傷に何かが割り込んだ。かすかな震え、弱く、細く、風の間に間に…
「慧音…」
 言うまでもなく、慧音も気づいていた。昨夜と同じ、意識を寄せると聞き取れる。
「琴の音…、どうして」
 立ち上がり、空気の震えを探し、ゆっくりと歩き出す。里の方向ではない。徐々に音が大きくなっていく、その先には池。
 水際に伏した青白い姿が見える。地を踏み進むごとに、音色は頭の中でじかに弦をはじくように聞こえてくる。青白い首筋、短い髪。伏せた体の下で、手が弦を弾いている…琴を弾いている。
 ぞくりと背筋が冷たくなる。池をかこむ草地に足を踏み入れたとき、こちらを振り向いた。ぼっと浮き上がる、肉の削げ落ちた顔と血走らせ剥きだした目。それは生きた人間のものではなかった。
 かっと口を裂き、音にならない慟哭を発する。脳にびりびりと響き、頭蓋が割れそうだ。頭をかかえ両腕で耳を押さえつける。死者の叫びが迫るが、金縛りにあったように、動くことができない。
 青白い死者が妹紅に飛び掛ろうとしているのを見ている慧音も体を動かせない。妹紅が危ない、という警告が慧音を支配した。死者の腕が妹紅に伸びる直前、慧音は妹紅の歴史をかき消した。標的がなくなり、死者は腕をかすめて前にのめった。一層激しく叫び声をあげながら、青く焼け尽き、煙が琴に巻きついた。それきり静まり返って、何の気配もなくなった。
 ほんの一瞬間歴史を食われていた妹紅は、ぼうっとして地面にへたりこんだ。
「何だったの…?」
 緊張を解かれて、急に歴史を消した負担が一気におしよせ、慧音も草に座った。しばらく二人はそのままでいたが、やがて立ち上がり、恐る恐る水辺の琴に近づいた。煙のかけらも残っておらず、琴はただの琴であった。表面についている傷は、妹紅が昼間に、殺された母子の家で琴を見つけたときに発見したものと同じ傷だった。この琴は女の家の琴だ。
「今のは…女の夫の霊だったのでしょう」
 慧音が口を開いた。
「女と子供が殺された恨みで、怨霊に…」
「それで、琴が、ここまで歩いて来たのか」
 おそろしいことになった。あのようなものを目にするのは初めてだった。霊は嘆きと憎しみの塊となり、ああまで化けるものなのか。
「とりあえず、ここにこのままにしてはおけませんね…」
 そっと手を伸ばし、慧音が琴を持ち上げた。妹紅はそれに近づくことができなかった。ポケットから、血のついた琴の爪を取り出す…
 


 眠りにつくのが遅くなったため、やや長寝をして目覚めた慧音は琴をつつみ、背負って里を出、博麗神社へ向かう。道の大方、妖怪や獣のやっかいな森なんかは空を飛んでいくが、遠い神社に着く頃には昼を過ぎていた。鳥居の下に降り立つと、境内を掃除していた霊夢は、めずらしい訪問客と大きな荷物に、箒を止めて目を向けた。
「何を持って来たのよ?」
「急にすまんな。頼みたいことがあるんだが、とりあえず上がらせてくれ」
 神社の座敷に入り、背負っていた琴をおろして背中を伸ばした。背骨がばきばきと鳴る。茶の盆を運んできた霊夢の前で琴のつつみを解くと、琴を一瞥して霊夢は眉をひそめた。
「ちょっと、それ…何か憑いてるじゃない」
「わかるのか。これを見てもらいたいんだよ」
 茶を飲んでため息をつく。霊夢は琴をじっと見て、手をかざしたりしていたが、すぐに手を引いた。
「悪霊ね。こんなもの一体どこで手に入れたのよ?」
「まあいろいろと経緯があってな」
「こういうのは専門じゃないんだけど、祓えばいいのかしら」
「そうしてくれると助かる。里じゃあどうもできないし」
「準備にだいぶ時間が要りそうだから、お賽銭でも投げてなさい」
 そう言い残し、霊夢は神社の奥へ行った。手持ちの銭がないから、慧音はとりあえず賽銭箱の前で手を合わせて拝んだ。さて、これからどうするか。時間がかかるから里に一旦戻ることはできない。あたりを適当に歩き回り、縁の柱にもたれて休んで静かな時間をつぶした。なぜか琴に近寄らず、昨夜、竹林に帰ってしまった妹紅のことが気になっていた。

 妹紅は手に紙袋を持って里の中を歩いていた。寂れた辻を塀にそって歩き、殺された母子の家の前に立つ。戸は未だに開いたままで、風でかたかたと音を鳴らしている。妹紅は戸をぴたりと閉ざした。
 家の裏に回ると、昨日と同じように黒い犬が薪の上に寝そべっていた。紙袋をひろげ、中から肉の切れを出す。犬が鼻を寄せてきた。肉を指でたらして鼻の前にやると、がぶりと噛み付いた。
 まるごと飲み込んで舌なめずりしている頭を撫でてやる。
「お前、名前はあるのか?って聞いてもわからないか」
 頭を撫で回しながら耳元で笑うと、くすぐったがって犬が顔を舐めてきた。うぇっと言ってますます笑うと、犬も鼻を突き出してくる。人嫌いをしない犬のようだ。
「お前をかわいがった恩人のために、ちょっと手を貸してくれないかな?」
 手、と言うと妹紅の手の上に右前足を置いた。妹紅は噴きだした。
「その手じゃないよ。まぁ、来い!」
 妹紅が駆け出すと、犬も一緒に走り出した。

 いつの間にかうたた寝をしていた。柱の角に食い込んだ肩を起こし、あたりを見回すと、もう日が暮れかけていた。眠り始める前、黒白の魔法使いが箒に乗って飛んできて、霊夢は、と言ったが神社の奥で何かをしている最中だ。霊夢が飲まずに置いていった茶を飲んで、座敷の箪笥から煎餅を出して食べ始めた。でんと置いてある琴に触ろうとしたのを慌てて止めた。しばらく世間話をしてから魔法使いはまた箒で飛んでいった。
 霊夢の準備はまだ終わらないのだろうか。そういえば、朝食は食べて出てきたが、昼を食べていない。そろそろ夕食の時間も近く、空いた腹が気になってきた。煎餅を自分も食べればよかった、と思ったが情けなくなり、別のことを考える。
 琴の霊を祓うのはいいが、霊の恨み、母子の無念を晴らすことにはならない。実際、そこまでする必要はないのだろうが、だが慧音は盗人を許せない。災に遭うべきではなかった、哀れな母子を…気にしてはいたが、慧音にはどうするわけにもいかなかった女と子供を、殺した盗人を。怨霊と化した女の夫の、恨みの塊の如き姿を目の当たりにして、その気持ちは一層強くなった。
 とりあえず、今はこの恐ろしい琴をなんとかしなければならない。

 犬と一緒に、妹紅は例の池へ駆けてきた。立ち止まって息をつき、汗をぬぐう。犬は池の水を飲んだ。
 琴の爪を取り出し、犬ににおいをかがせる。血のにおいを。昨夜、琴の霊が妹紅を襲おうとしたとき、霊が狙っていたのはこの爪だったと気がついた。妹紅は琴の血が盗人の物だと確信した。霊は盗人の血に反応し、妹紅を盗人だと見たのだろう。
 犬に盗人のにおいを追わせることができれば、盗人に近づけるかもしれないと考えた。
 犬は十分ににおいをかいで覚えると、あちこちへ鼻をめぐらして、やがて歩き出した。歩みはゆっくり、一歩一歩と非常に遅い。においをたどるのが難しそうだった。妹紅はじっと待ち、犬が進んだほうについていった。
 時間がたち、ひぐらしの鳴き声を過ぎて日が沈みかける頃、妹紅と犬は草原のずっと向こうの、腰や肩まで伸びた草ばかりがどこまでも生い茂っている中にいた。ふっと犬が足を速めた。駆け足でおいつくと、そこには、いつのものかわからない、真っ黒に苔むした古い墓石がいくつもならんでいた。昔の墓場だろうか。石に刻まれた文字も読めない。わずかに差す西日と、東から迫る夜闇の下で突然現れた、ぞっとする不気味な光景だったが、なんとなく、あたり、という予感がした。盗人のようないかがわしい者が寄り付きそうな場所、というところだろうか。
 犬が一つの墓石の前で、くるくると回って一声吼えた。誰も来るはずのない場所なのに、墓石にはまだ新しい血のあとがついている。犬は吼えて、この血と爪の血のにおいが同じだということを知らせる。爪に削られた傷の血が落ちたのだろう。盗人はここにいたということだ。

 夕べの風が吹き始めた頃、襖を引く音がして、霊夢が札を持って奥から出てきた。
「準備できたわよ。琴を外に出して」
 言われて、慧音は琴を抱えあげた。神社の正面の石畳へ行く霊夢についていき、そこに琴を置く。
「大層なことをするのか?」
「相手は悪霊なんだからね。さがっていて」
 石畳からおり、琴と霊夢から離れた。それを確認すると、霊夢は墨の黒々と真新しい札を手に持ち、祝詞か呪文かを唱えはじめた。
 唱えるにしたがって札が広がっていく。宙に整然と並び、琴をかこむ。札は徐々に光を帯びていく。
 気がつくと、さっきまで聞こえていた蝉の声も、虫の鳴き声も聞こえない。風も吹かず、一帯が凪いでいる。あたりのすべてが、空気さえもが沈黙しているのだ。
 一枚の札が霊夢の手に残っている。唱えの最後の言葉を言い放ち、札を投げる。札が琴にあたり、張り付いたとたん、琴が震えだした。
 琴から煙が立ち昇る。青い、昨夜見た禍々しい姿そのままだ。琴が揺れ、ぎりぎりと弦が伸びる。霊が呻く…

 墓場からやや離れて、草の中にすっぽりと身を埋めて妹紅は犬を抱いた。草の海を吹き抜ける冷たい風を背に受け、腕の中の犬が温かい。犬は暑そうに舌を出しているが、しばらくおとなしくしていてもらう。
 盗人がまた来るかわからないが、妹紅はここで待ち伏せることにした。もし来たら捕まえる。
 日はすでに無く、夜が押し寄せる。草の中は真の闇だった。闇をしか見ない目を墓場のほうへ向け、息を潜めて感覚を研ぎ澄ます。犬もじきに舌をしまって静かになった。

 痛々しくねじれ、叫びをあげ、身をしめあげる結界の中で霊は暴れる。
「こいつ、しつこいわねっ」
 歯を噛み締め、霊夢は結界の霊力を強める。額から汗が零れる。
 霊と結界の霊力がせめぎあう波動がぴりぴりと肌に伝わる。まだ、恨みははれていない、慧音の耳にはそう聞こえるようだった。

 闇の中に浸り、時間の感覚が無くなり、どれくらいそうしていたかわからない。
 ぎりぎりまで鋭くした神経が、かすかな気配を感じ取った。
 何かが近づく。
 音も聞こえない距離からの気配に、妹紅の神経は集中する。犬が耳をたてた。草をかき分ける音が聞こえてきた。
 犬の胴をおさえる。
 動くな。
 気配が墓場に入った。石を踏む音。
 一層気配が濃くなったとき、犬が腕から飛び出した。しまった。妹紅は腕を伸ばすが尻尾をつかみ損ねる。
 吼え、犬は人影に飛び掛る。うなり声と、せわしくもみあう音が聞こえる。
 そうだ、犬にとって血のにおいの主は、恩人の仇なのだ。
 くぅっと悲鳴が上がり、身体が地に倒れる音。
 人影が立ち上がった。
 その手に、刃のかすかに光る刀。
 風でまいのぼる血のにおい。
 そのまま、数秒。
 犬は死んだ。
 妹紅は立つ。
 闇の中の人影を睨む。
 黒い姿。盗人。
 盗人が刀をあげる。
 妹紅は地を蹴った。
 盗人は墓場から出、刀を切り上げる。
 躱した妹紅の頭上から間髪なく振り下ろされる。
 肩を刀が切ると同時に盗人の首をつかみ、頭を額に思い切りぶつける。
 のけぞる盗人の手首をつかみ、ねじり、刀の刃先を盗人に向ける。
 押し込む。
 刃先は盗人の腹に突き立った。
 刀を立てた体が草の中に倒れる。
 風が吹き、血のにおいが流れた。
 じきににおいを嗅ぎつけてくるだろう。 
 人から堕ちたケダモノ、
 獣に食われるがいい。

 霊の抵抗がふっと止んだ。結界におとなしくまかれ、青い光が薄れていく。
 霊夢は拍子抜けしたような顔で、しかし霊力を休めず結界を詰めていく。
 どうしたのだろう。かすかな安堵が伝わったような気さえした。
 もう叫びもなく、霊は何も訴えず、結界の中に消えた。



 犬を抱えて来たが、どこに埋めてやればいいか迷った。母子は夫の墓に骨が納められた。そこには他の墓も集まっているから埋められない。致し方なく、慧音と蛍を見た小川のあたりの、土がむき出したところに穴を掘り、犬を埋めた。かぶせた土の上に藪のつたをのせて墓の体裁をとる。
 蛍が飛んでいた。川からふよふよと漂ってきて、つたの上に止まり、ゆっくりと明滅する。
 弔いのようだと思った。よかったな、とつぶやく。
 肩の辺りの服を引き裂き、傷をむき出して小川の水で洗った。ひどく沁みて痛んだ。血を洗い流し、裂いた服の生地をサスペンダーではさんで傷にあてておく。こうしておけばじきに塞がる。
 そういえば、慧音はそろそろ帰るだろうか。琴を抱えて神社を目指していった。祓いをしてもらったのだろう。慧音が帰る前に、服を着替えなければ。妹紅は竹林の家を目指した。
 


 母子と夫の一家には遠い縁者がいるらしい話を役所で聞いていた。役所から知らせが届けば縁者が来るだろう。
 琴を抱えて帰った頃にはもう夜遅くなっていた。まず里に入り琴を本来あるべき家に置いてきた。ずっと開け放されていた戸が閉まっていたのを見てやや驚いたが、誰かが閉めたのだろうと思った。中は未だ荒れたままだが、勝手に片付けるのも気が引ける。縁者に任せるしかない。
 しめった香りがたちこめてきたと思ったら、雨が降り出した。慧音はあわてて家へ走った。
 突然沸き起こった雨雲が地上を濡らす。この時期の雨はめずらしい。既に夢の中にいる人々は、屋根をたたく雨音に気づくことなく、下がった気温に心地よく眠り続けるだろう。小川の一匹の蛍も、雨を喜んでいるかもしれない。
 家に着いて濡れた体をふき、服を着替えた。妹紅のことが気になる。盗人のこと、琴の霊のことも。だが、直後に空腹を思い出した。台所に立ち、棚を探ってまず手に触れたひやむぎを取り出す。湯を沸かしてゆで始める。
 がらり、と音がして振り返ると、縁の雨戸があけられ、雨笠をかぶった妹紅が顔を出した。こんばんは、と言って雨笠をとり、靴を脱いで縁に座った。慧音は鍋を火から下ろして台所を出た。
「こんばんは。妹紅さん、昨日の夜からどうしていたのですか?」
「ん、ちょっと、調べごととか。慧音は?」
「あの琴を、博麗神社で祓ってもらいました。時間がかかってこんなに遅くなってしまいました」
「琴、どうなった?」
「それは、あぁ、今そうめんを茹でていたところなんです。妹紅さんも食べませんか?」
 そういえば、妹紅も食事をしていなかったことに気づいた。喜んで同席させてもらう。
 茹で上がった麺をざるに上げ、だしを二皿に入れて卓に並べる。食べながら慧音は話した。
「琴からあの青い煙があがって…祓いはだいぶ難航しました。盗人への恨みはまだあるからなのだと思いますが、抵抗が激しくて」
「うん」
「それが、急に静かになって、すぐに祓われてしまったのです」
「…ふむ」
「まるで、恨みがはれたようなふうでした。どうしたのでしょう」
 妹紅はやや黙って考えてから、わからないけど、と言った。
「でも、それでよかったんじゃないかな」
「けれど、まだ盗人は野放しです」
「霊がおさまったのなら、きっとそれで事は納まってるんだよ」
 でも、と言いかけた慧音を妹紅は目で制した。感情の読めない目だった。
 食べ終わって、二人は縁に並んで座った。二人の沈黙に、雨音が大きさを増す。外へ目をやると、雨の雫が室内の明かりを反射して、糸を引くように光りながら落ちていく。その向こうは林の暗がり。さらに奥の里では、灯りのある家は一軒もない。一軒も。
 しかし、しとしと落ちる雨滴を縫って、耳に届く音がある。幻聴だ、と慧音は思った。琴線の震え。音色は柔らかい。
 見ると、妹紅もこの幻に耳を澄ませているようだ。
 音の柔らかさが、悲しみの終わりを告げているように感じる。琴の音は暖かく心に触れる。
 やがて、屋根をたたく雨音だけになった。
「妹紅さん。もう、これでいいのでしょうか」
「うん。もういいんだよ」
 優しく見つめられる。
 盗人をつかまえることで気持ちがいっぱいだった。それが急になくなった。どうしてだか、わからないけれど。
 悲しかった事は終わった。三人は三途で会えたろうか。母子は、きっと夫を待っていたろう。
 これで、いいのだと思った。
 怒りや憎しみが消え、はじめて、純粋な悲しさが染みとおる。
 安堵と悲しさと、相反するものを抱え、心がおかしくなりそうだった。
 妹紅の目を見つめ返す。切なさがこみあげる。壊れそうな心を…
「慧音、安心して。もう悲しいことはないから」
 悲しそうな慧音を、妹紅は見かねた。言い聞かせると、慧音は頷いた。
 慧音は、二日前の夜、今と同じように、こうして二人で縁に座り、女の弾く琴を弾いていたことを思い出す。
「琴…そういえば、ずっと昔に弾いていたことがあったけど、もう忘れてしまったよ」
 妹紅が言った。
「では、弾けないのですか?」
「うん」
 慧音は雨滴にぼんやりと目を向け、放心していた。 

 私の篭る琴はありませんね

 ほんのわずかな、小さなささやき。しかし、妹紅は聞き取った。
 慧音は、口をもれた言葉に気づいていないようだった。外をむいたまま、動かない。

 ずっと後のことだから、今、一緒にいるんだから、そんなことを考えないでほしい。

 篭った琴の音はあんなに悲しげだったでしょ?だから、慧音はすぐに生まれ変わって。きっと探すから。

 千年以上も生きてきて、口に出す術も持たなかった。
 慧音亡き後、私は…

 雨音が悲しみを包み込む。悲しみも、なにもかも…



 夜明け前に雨雲は通り過ぎ、目を覚ました里の人々は、濡れた地面と水溜りの、雨の残していった跡に驚いていた。裸足、あるいは長靴でかけていく子供たちの声で、昨日一日ひっそりとしていた里は蘇ったように活気を取り戻した。世間は物を忘れるのが早い。
 世間とは人間それぞれを指す言葉ではない。未だ盗人を恐れて、金庫を堅く閉ざして抱きついている者もいる。だがみんな、久しぶりに見る雨後の風景と涼しさを楽しんでいる。
 露が朝日に輝いている犬の墓の上に、妹紅は薪の山の裏で拾ってきたかかしの頭をのせた。ほつれた藁のあいだに花をさす。犬の墓に線香などを焚いたら、けむたがって霊が嫌がるだろう。そういえば、動物の霊も三途の渡しは船に乗せるのだろうか。霊は口を利かないから、もしかしたら動物と人間の違いもないのかもしれない。
 活気を取り戻した様子を見て、もう道を歩いても大丈夫だろうと思った。通りをまっすぐ進み、にぎやかな大路に出る。朝市が盛んだ。ちょっと覗くと、大きなスイカが目に留まった。妹紅はそれを買って抱えて歩き出した。
 小さな体でスイカを抱えて歩いていると、子供たちが寄ってくる。うしろにぞろぞろついてくる。
「何だよ」
 振り返ると、きゃーきゃーと手を出してスイカに触ろうとする。昨日、妹紅を見て逃げだした子供たちだったが、一日前のことは誰も気にしない。
「スイカ割りやる?」
 言ったとたんに騒ぎだす。全員賛同者だ。

 縁の傍に足をくずして座り、畳に本を広げて読みふけっていた。だが子供の声が聞こえて、慧音は眉をひそめた。何だろう。また嫌な予感がする。
 庭に、棒を振り回しながら子供が駆け込んだ。今度はちゃんばらごっこをやらかす気か、と思いきや、子供たちに囲まれて妹紅がスイカを抱えてくる。スイカ割りだと合点がいった。
 慧音は立って、ゴザをとってきて庭に敷いた。慧音を見て、にやりと笑って妹紅はゴザにスイカを置く。
「妹紅さん、私の家の庭を公園だとでも思っているのですか」
「先生の家の庭だよ。子供が来るのはいいことじゃない?」
「ではあとで、私の生徒として叱られてくれるのですね」
「なんだって?」
 ばんっと音がして笑いがはじけた。棒がスイカに当たりはしたが、割れなかったようだ。こんなことや、地面にあたったりや、わざと人に向けようとした子供は慧音に軽いお叱りを受け、妹紅に番がまわってくると、おとなげなくスイカを一打ちで割った。目隠しを取ると歓声があがった。ようやく食べられることが単に子供たちは嬉しかったようだ。
 各々スイカを手に取り食べ始める。妹紅は二かけら持って縁側に座り、慧音にひとつ渡した。
 スイカを食べながらの雑談で、泳ぎに行くという提案があがったらしい。子供たちは今度は泳ぎたいと騒ぎだした。
「なんで私に言いにくるんだよ」
 と慧音を振り向くと、慧音は肩をすくめて笑った。
「川は雨で増水していそうですね」
「他に泳げるところ、ある?」
「ないのです。だから私も行きます、危ないことがないか様子を見ていますよ」
 先生も来る、と子供が言って騒ぎだした。人気な先生でよかったね、と独り言。
「その前に、スイカを片付けなさい」
 文句が沸き起こる。
 
 暑いし、あっというまに過ぎてしまうけれど、やっぱり夏はいいと思った。
 楽しい思い出ばかりが残るはずはないが、なににしろ楽しむのが一番いい。
 岸に座って足を水にひたしている慧音を見ると、微笑んでくれた。慧音も楽しそうでよかった。
 だが足を引っ張られて顔が水に沈んだ。誰だ、引っ張ったやつは。
 読んでくださりありがとうございました。
 もう苦し紛れで書き終わり(打ち終わり…?)ました。私の篭る穴はありませんか。
 いずれは触れずにはおけないだろうと思われる問題が一つ置き去りにされていますが…どうしよう。
 琴を弾くけれどどうも心苦しい、さてはお前(死んだ妻)、琴に篭っているのか、って内容のを思い出して、慧音に最後の台詞を言わせたくなってこうなりました。ちなみに、二日前の晩に蛍を一匹見つけたので登場させました。実は六月からずっと長生きしてる蛍で、じきにリグルみたいになるかもしれません。
 ところで、冒頭に『また剣が刺さったりします』とバトルシーンについて載せましたが、これってどういう程度で載せればいいのでしょうか。川からずるっと上がった死体についても載せるかどうか、迷ったので載せました。

 ありがとうございます~ 子供っぽいのいいですよねw最後ちゃっかり自分も泳いでたりとかして。
 
 てかノートPCのキーボードにカルピス倒しちまったのでじきに使えなくなるかも。どうする次作品…たすけてけーねっ
煙巻く
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
これはいいものだ。
子供に人気があるけど自分も子供な妹紅助かわいいよ。
2.名前が無い程度の能力削除
もっと評価されるべき。よかったです。
3.名前が無い程度の能力削除
力作ですね。ひとつの小説を読んでいるようでした。
とても読み応えがありました。面白かったです!