ドンドンドンドン
深夜。誰かが私の部屋のドアを叩いている。
「美鈴」
ドンドンドンドン
眠らないこの館の中においても、少々無遠慮過ぎる音量だ。
だが、私がドアを開けることは無い。
ノックの主が誰だか、もうとっくに解っているから。
「美鈴……美鈴!……入るわよ」
ノックの主はそういうと、私の部屋に入ってきたようだった。
「起きなさい、紅美鈴」
「……んあ?お嬢様?」
「……まずは目を覚ましなさい。顔を洗うことを許可するわ」
***
「腑抜けきっているわね」
私のベッドに腰掛ける幼い吸血鬼が言う。もしかしてその腑抜けているというのは、深夜に自分の部屋のベッドの中で寝ているという、この有様を指しているのだろうか。
「そりゃあまあ、お嬢様にとっては昼間でしょうが、私には真夜中ですので」
「でも、数年前までは貴女も私と同じ生活をしていた」
「そこはほら、私の体内時計の頑固さと言いますか、それとも柔軟さと言いますか」
「でも昼寝もしているのでしょう?」
「でしたら、頑固さといった方が正しかったですね」
「……はぁ、もういいわ」
益体のない話だ。喉の唸りを鼻から抜くようなため息を一つ吐き、主人は会話を切り上げた。
「それで?こんな真夜中に、いったい何の御用で?」
お茶を入れる準備をしながら聞く。従者としてあるまじき態度かも知れないが、それを咎める者はここにはいない。
主人は私の枕をベッドの足側に移したり、カーペットを動かして皺を寄せたりしている。なんと地味な嫌がらせだろう。そうして目だけで笑いながら、こんな事を言うのだ。
「単刀直入に言うわ。貴女、一線に戻りなさい」
……今なんと言ったのだろう。一線に戻れ?四百余年をこの吸血鬼に仕え、今やこの身の何処にも胆力は残っていない。そんな老体に、鞭打ってまた働かせようというのか。この悪魔。
「っていう顔してるわね」
「してません」
しまった、顔に出ていたか。
「貴女が退屈しているのは知っている」
「…………」
主人が続ける。私は火にかけたポットが気になるフリをする。
「ちょっと悪ノリしすぎたわね……最近では狩人どころか、頭の悪い人外ですらこの館に近づこうとしない」
私は何も言わない。
「大方、寝る他にすることもないんでしょう」
いつまでも黙っていてもしょうがない。口を開きかける、が、その瞬間何かが私の顔面へものすごい速さで飛んでくる。
「……危ないなあ」
飛んできた何かは今は私の掌の中にある。何か、とは言っているが、それが敬愛する主人の白く小さい拳だというのは、まあ、解っていた。
「誰が老体?誰の体に力が残ってないって?」
主人が言う。しまった。思わず受けてしまったが、おとなしく殴られておけば良かったか。だが痛いのは嫌いだ。
「貴女が退屈しているのは知っている」
さっきも聞いたセリフだ。
「攻め込んでくる者が絶えたのを嘆いていることも知っている。
自らの力を試せないのを嘆いていることを知っている。
……私付きのメイドをしていたのは、強者と闘えるから、それだけの理由だったと言うことも」
ここで言葉を切り、くつくつと笑う主人。
「挑んでくる者が無くなったと感じるや否や、貴女はメイド長の座をアレに引き渡して、とっとと隠居したわね。
そのくせ、いままでの代価とか何とか言って、部屋と三度の食事まで用意させる始末」
何がおかしいのか、くつくつ笑いは止まる気配を知らない。
「そして、惰性だか何だかは知らないが、今でも鍛錬を続けていることを知っている」
「……朝と夕だけですがね。お嬢様が知っていたとは意外でした」
「最近は朝ふかしもするんだよ」
「悪い子ですね」
「でもね」
タメを作る主人。もしかして自分に酔っているんじゃないだろうか。
「もう貴女に退屈なんてさせないわ」
「私たちは、この退屈で、どうしようもなく退屈な地を離れる」
まるでオペラ歌手か何かのように両手を広げ、私を見据えそう謳う。
私は主人が自分に酔っていることを確信した。だが、自分が酔えば周囲も酔う。それがカリスマだ。私は聞く。
「そして何処へ?」
「東だ」
「東……チャイナですか?」
たしかに、広い国だ。だが、退屈しないかというとそれはどうだろうか。
「そこよりもっと東、ちっぽけな島国の、ちっぽけな結界の中へだ」
「結界の中……どういう事です?」
主人の話は抽象度を増してきたように思える。
「幻想郷……という場所がある。忘れ去られたモノが流れ着く、幻想の終着駅さ」
そこで、つ、と上を向く。
「私はそこに乗り込み、支配する。
相当数の化け物と、少々の人。だが最近は活力を失っているらしいがな」
なんだ、やっぱり退屈そうじゃないか。少なからず私はがっかりした。
「っていう顔をしているな」
「しましたね」
今度は隠すこともない。主人のくつくつ笑い。
「心配するな。幻想が流れ着いていると言っただろう?
伝説の中に名を残し、人間どもがただの幻想にしてしまいたがった。そんな化け物級の化け物もゴロゴロいるんだよ。
……まあ、ちょっと喝を入れてやれば、少しは楽しめるんじゃないか?」
すうっと腕を降ろす。演説は終了したようだ。
「まあ良いでしょう。それがお嬢様の決定というのでしたら、何も言うことはありません」
もともと反対する理由も無いことだ。これ以上退屈になることもそうそう無いだろう。引っ越しだったら、あの魔女に役だって貰おう。
「それで?また私にメイドでもさせる気ですか?」
「そんなことはあの小娘でもできる」
「ええ、そうでしょうね。何てったってモノにしたのは私ですから」
「フン……やけに熱心に教え込んでいると思ったら、自分が隠居するためだってんだからな」
それもある。だが、彼女のことは純粋に気に入っていた。主人と、その妹、居候の魔女と、時を止める少女。遠い闘いの記憶を除けば、私をときめかせる存在というのはそう多くない。
「オマエの仕事場は」
「ん」
ここにはいない少女の事を夢想していると、主人が言った。
「オマエの大好きな、血湧き肉躍る最前線だよ」
「わあ、何処でしょう。厨房とかですかね」
主人は目だけで笑う。くつくつ笑えよ、結構上手いこと言ったと思ったのに。
「聞け、オマエの仕事は、この館の受付係だよ。
……私がその幻想郷で、派手に招待状を出す。きっとわんさとお客様が来るはずさ。
そしたらオマエが、お通しするお客様と、それ以外とを選別するだけ。簡単だろう?」
ああ、つまり門番か。メイドをやっていた頃、外勤の仕事を思い出す。暑い日は暑いし、寒い日は寒い。
先ほどの話を信じるとすればだが、きっと連日連夜人外が訪れる。忙しい日々になるのだろう。しばらくは昼寝もできまい。老体にむごたらしい仕打ちをする奴だ。この悪魔め。
「っていう顔をしているよ」
「していましたか」
「ああ、だってオマエ、笑っているもの」
お湯が沸いた音がした。そして、くつくつ笑い。
深夜。誰かが私の部屋のドアを叩いている。
「美鈴」
ドンドンドンドン
眠らないこの館の中においても、少々無遠慮過ぎる音量だ。
だが、私がドアを開けることは無い。
ノックの主が誰だか、もうとっくに解っているから。
「美鈴……美鈴!……入るわよ」
ノックの主はそういうと、私の部屋に入ってきたようだった。
「起きなさい、紅美鈴」
「……んあ?お嬢様?」
「……まずは目を覚ましなさい。顔を洗うことを許可するわ」
***
「腑抜けきっているわね」
私のベッドに腰掛ける幼い吸血鬼が言う。もしかしてその腑抜けているというのは、深夜に自分の部屋のベッドの中で寝ているという、この有様を指しているのだろうか。
「そりゃあまあ、お嬢様にとっては昼間でしょうが、私には真夜中ですので」
「でも、数年前までは貴女も私と同じ生活をしていた」
「そこはほら、私の体内時計の頑固さと言いますか、それとも柔軟さと言いますか」
「でも昼寝もしているのでしょう?」
「でしたら、頑固さといった方が正しかったですね」
「……はぁ、もういいわ」
益体のない話だ。喉の唸りを鼻から抜くようなため息を一つ吐き、主人は会話を切り上げた。
「それで?こんな真夜中に、いったい何の御用で?」
お茶を入れる準備をしながら聞く。従者としてあるまじき態度かも知れないが、それを咎める者はここにはいない。
主人は私の枕をベッドの足側に移したり、カーペットを動かして皺を寄せたりしている。なんと地味な嫌がらせだろう。そうして目だけで笑いながら、こんな事を言うのだ。
「単刀直入に言うわ。貴女、一線に戻りなさい」
……今なんと言ったのだろう。一線に戻れ?四百余年をこの吸血鬼に仕え、今やこの身の何処にも胆力は残っていない。そんな老体に、鞭打ってまた働かせようというのか。この悪魔。
「っていう顔してるわね」
「してません」
しまった、顔に出ていたか。
「貴女が退屈しているのは知っている」
「…………」
主人が続ける。私は火にかけたポットが気になるフリをする。
「ちょっと悪ノリしすぎたわね……最近では狩人どころか、頭の悪い人外ですらこの館に近づこうとしない」
私は何も言わない。
「大方、寝る他にすることもないんでしょう」
いつまでも黙っていてもしょうがない。口を開きかける、が、その瞬間何かが私の顔面へものすごい速さで飛んでくる。
「……危ないなあ」
飛んできた何かは今は私の掌の中にある。何か、とは言っているが、それが敬愛する主人の白く小さい拳だというのは、まあ、解っていた。
「誰が老体?誰の体に力が残ってないって?」
主人が言う。しまった。思わず受けてしまったが、おとなしく殴られておけば良かったか。だが痛いのは嫌いだ。
「貴女が退屈しているのは知っている」
さっきも聞いたセリフだ。
「攻め込んでくる者が絶えたのを嘆いていることも知っている。
自らの力を試せないのを嘆いていることを知っている。
……私付きのメイドをしていたのは、強者と闘えるから、それだけの理由だったと言うことも」
ここで言葉を切り、くつくつと笑う主人。
「挑んでくる者が無くなったと感じるや否や、貴女はメイド長の座をアレに引き渡して、とっとと隠居したわね。
そのくせ、いままでの代価とか何とか言って、部屋と三度の食事まで用意させる始末」
何がおかしいのか、くつくつ笑いは止まる気配を知らない。
「そして、惰性だか何だかは知らないが、今でも鍛錬を続けていることを知っている」
「……朝と夕だけですがね。お嬢様が知っていたとは意外でした」
「最近は朝ふかしもするんだよ」
「悪い子ですね」
「でもね」
タメを作る主人。もしかして自分に酔っているんじゃないだろうか。
「もう貴女に退屈なんてさせないわ」
「私たちは、この退屈で、どうしようもなく退屈な地を離れる」
まるでオペラ歌手か何かのように両手を広げ、私を見据えそう謳う。
私は主人が自分に酔っていることを確信した。だが、自分が酔えば周囲も酔う。それがカリスマだ。私は聞く。
「そして何処へ?」
「東だ」
「東……チャイナですか?」
たしかに、広い国だ。だが、退屈しないかというとそれはどうだろうか。
「そこよりもっと東、ちっぽけな島国の、ちっぽけな結界の中へだ」
「結界の中……どういう事です?」
主人の話は抽象度を増してきたように思える。
「幻想郷……という場所がある。忘れ去られたモノが流れ着く、幻想の終着駅さ」
そこで、つ、と上を向く。
「私はそこに乗り込み、支配する。
相当数の化け物と、少々の人。だが最近は活力を失っているらしいがな」
なんだ、やっぱり退屈そうじゃないか。少なからず私はがっかりした。
「っていう顔をしているな」
「しましたね」
今度は隠すこともない。主人のくつくつ笑い。
「心配するな。幻想が流れ着いていると言っただろう?
伝説の中に名を残し、人間どもがただの幻想にしてしまいたがった。そんな化け物級の化け物もゴロゴロいるんだよ。
……まあ、ちょっと喝を入れてやれば、少しは楽しめるんじゃないか?」
すうっと腕を降ろす。演説は終了したようだ。
「まあ良いでしょう。それがお嬢様の決定というのでしたら、何も言うことはありません」
もともと反対する理由も無いことだ。これ以上退屈になることもそうそう無いだろう。引っ越しだったら、あの魔女に役だって貰おう。
「それで?また私にメイドでもさせる気ですか?」
「そんなことはあの小娘でもできる」
「ええ、そうでしょうね。何てったってモノにしたのは私ですから」
「フン……やけに熱心に教え込んでいると思ったら、自分が隠居するためだってんだからな」
それもある。だが、彼女のことは純粋に気に入っていた。主人と、その妹、居候の魔女と、時を止める少女。遠い闘いの記憶を除けば、私をときめかせる存在というのはそう多くない。
「オマエの仕事場は」
「ん」
ここにはいない少女の事を夢想していると、主人が言った。
「オマエの大好きな、血湧き肉躍る最前線だよ」
「わあ、何処でしょう。厨房とかですかね」
主人は目だけで笑う。くつくつ笑えよ、結構上手いこと言ったと思ったのに。
「聞け、オマエの仕事は、この館の受付係だよ。
……私がその幻想郷で、派手に招待状を出す。きっとわんさとお客様が来るはずさ。
そしたらオマエが、お通しするお客様と、それ以外とを選別するだけ。簡単だろう?」
ああ、つまり門番か。メイドをやっていた頃、外勤の仕事を思い出す。暑い日は暑いし、寒い日は寒い。
先ほどの話を信じるとすればだが、きっと連日連夜人外が訪れる。忙しい日々になるのだろう。しばらくは昼寝もできまい。老体にむごたらしい仕打ちをする奴だ。この悪魔め。
「っていう顔をしているよ」
「していましたか」
「ああ、だってオマエ、笑っているもの」
お湯が沸いた音がした。そして、くつくつ笑い。
この終わり方がよくわかりません
続きがあるならば、見てみたいです。
なんかこう、甘く熟れて腐りかかったような爛れた美鈴像を想像してしまった
美鈴可愛い。
なんだか、すごく良い。
美鈴は一体どれほどの妖怪を葬ったのだろうか
プロローグの終わりという感じがするのはこれから紅魔郷につながってくからかなぁ
GJ
できればまたこういう美鈴で何か書いてください
原作の策士っぽくて軽い感じで本気でやってるようには見えない美鈴が好きなんで
GJ
終わり方に良い感じ(言葉が思いつかん・・・)の余韻があって好きです
実は強そうなめーりんもいいですね。
いや、でも、ありだよこれは。悪魔の館の門番らしくて素敵だ。