年の瀬も迫りきった大晦日の日。
僕は時に何をするまでもなく、机に座り本を読んでいた。
大掃除なら、昨日の内に済ませてある。迎春準備も同様で、今更になって家事に追われることもなかった。
閉め切った店内には、外の世界から流れ込んできた暖房器具、ストーブの上に置かれたやかんが湯気を吹き上げる音と、本のページを捲る音だけが響き渡る。
寒い店内にわざわざ居るのは、勿論店番のためだが、今日はお客、いや、人を待っているからだ。
「霖之助さん、居る?」
ドアを最小限度に開いた霊夢が、するりと滑るように店内に足を踏み入れた。
彼女と共に入り込んだ冷たい空気が、ひやりと足を撫でた。
「霊夢、注文の品なら出来ているよ」
僕が机の上に、注文の品である新しい巫女服を置くと、霊夢はその品物を手にとってストーブの近くに移動した。
頼まれた品は冬用の巫女服で、生地の厚さが違うだけで、霊夢がいつも着ている物と寸分違わないものだった。
注文通りとは言え、肩の見える服は着ている本人よりも、その姿を見るものに寒さを連想させてしまう。
あれで本当に大丈夫なのだろうか…。
そんな心配はよそに、霊夢はストーブで体を温めながら、嬉しげに真新しい服の手触りを確かめていた。
「ところで、お代はやっぱりツケかい?」
「そうね、ツケでお願いしておくわ」
ツケと言うものは、大晦日を過ぎると全て無効になるのが慣例だ。
それを分かっていて聞いてしまう僕は、やはり商才に乏しいのかも知れない。
もっとも、霊夢はお金なんて持っていないだろうし、お金が無くても一向に困らないのだ。困るのは、僕ぐらいなものか。
服の手触りに満足したのか、霊夢が顔を上げると、おもむろに袂に手を入れた。
「そうそう、忘れてたわ。はいこれ」
霊夢が差し出したのは、数枚の神札だった。
「ああ、悪いね」
僕が博麗神社の氏子かと言えば、そうでないと同時に、そうであるとも言える。
つまるところ、この幻想郷に住んでいる全ての者は、博麗神社の氏子みたいなものだ。
「それじゃあ霖之助さん――」
改めてそう言った霊夢の言葉は、
「今日も今日とて寒いぜ」
勢いよくドアを開けて、店に入って来た魔理沙に遮られた。
入ってきた勢いのまま、魔理沙は真っ直ぐにストーブに向かって突進すると、寒そうに手をかざした。
「よぉ、霊夢も居たのか」
「もう帰るけどね」
「なんだ、もう帰るのか?」
霊夢は、そうよと答えて、魔理沙の方に向き直った。
「これからおせちを作るのよ」
「そうか、なら多めに頼むぜ」
「誰が、あんたの分まで作るって言ったのよ」
「で、何段の予定だ」
「五段だけど…。まぁ良いわ、どうせ今年も入り浸るつもりなんでしょ」
「おぅ。それとソバも食いに行くぜ」
「言うと思ったわ。もう、ちょっとは手伝いなさいよね」
「こっちの手が空いたらな」
「あーそれは無理って事ね。霖之助さんはどうするの?」
「え? 僕かい?」
話が振られるとは思ってなかったから、なんとも間の抜けた声になってしまった。
「二人分も三人分も同じようなものよ。但し、食べに来て貰うけどいいかしら?」
「香霖なら私が連れて行くぜ」
僕の返事も待たずに、魔理沙は勝手にそう言い切った。
彼女の中では、僕も神社へ行くことが決定事項になっているようだ。
一人で食べる年越し蕎麦も侘びしいものだし、ここは彼女たちの厚意に甘えるとしよう。
「それならお願いしようか」
「そう。じゃ、又後でね」
服を大事そうに抱え直すと、霊夢は神社へと戻って行った。
「今夜が楽しみだな」
上機嫌でそう言う魔理沙は、本当に楽しそうだ。
僕も楽しみではある。
博麗神社では、どんな騒動が起こるか分からない、と言うことを気にしなければだが。
「ん? なんだそれ?」
魔理沙は僕の手の中にある神札に気が付いた。
「お札だよ、霊夢が持ってきたんだ」
見やすいようにお札を魔理沙に向けると、魔理沙は僕の手からお札を抜き取った。
「博麗神社の護符に、火難避け、開運祈願もあるな。これって効果はあるのか?」
「ああ、火難避けは台所に貼っておくと類焼を起こしにくくなる効果はある。それに、延焼も防ぐこともできる」
霊夢お手製の護符の数々は、どれもしっかりと力を持ったものだった。
「へぇ、じゃあ後で霊夢に貰うとするか」
そう言いつつ懐に収めようとした魔理沙の手から、やんわりと神札を抜き取った。
「ところで今日はなんの用だい?」
「おお、忘れる所だった。香霖、確か昔うちで修行してたんだよな?」
「確かも何も、確認する必要すらないことだろう?」
唐突な魔理沙の問いに、僕は呆れながらも返事を返した。
又、何か妙なことでも思いついたのかも知れない。
「だったら、魔法の一つや二つ使えるだろ? ならちょっと協力して貰いたい事があるんだが」
「先に断って置くけど、スペルカード用の魔法なら使えないよ」
「そっちじゃなくて、主に身の回りに関する魔法の方だ」
要するに、片付けに役立つような魔法を知らないかってことか。
「僕は道具なら作れるけど、使い魔みたいに身の回りを世話したり、掃除したりする魔法なんて知らないな」
先回りしてそう言うと、魔理沙は途端に落胆したような視線をこちらに寄越してくれた。
「おいおい、何のためにうちで修行してたんだ?」
「少なくても、片付けに便利な魔法を身につけるためじゃないよ」
「まぁ、あんまり期待はしてなかったけどな。この店内を見てれば判ることだし」
失礼な、魔理沙の家ほどは散らかってはいないと思う。
しかし、そんな事を言ったら、『だったら一度見に来るか?』なんて言われて片付けを手伝わされてしまうのは目に見えているから、口には出さなかった。
「あれだな、修行を積んだ割に出来る事と言えば、道具の使い方が判るとか、道具が作れるなんて、他にも出来そうな奴が居そうなもんだぜ」
「それはまぁ、居るだろうね」
魔法は常に術者オリジナル。そんなことを言いたいのだろう。
ふと、僕の頭に閃くものがあった。冗談にしては、まぁ上出来だろう。
「魔理沙、君は知っているかどうか判らないけれど、僕には一つ、どんな大妖怪も持っていない能力が一つあるんだ」
「あ、何だって?」
思った通り、魔理沙は僕の能力がなんなのか、必死に考えだした。
時折、思いついた事を出してくるが、そのどれも外れだった。
冗談なんだからあたりまえだけど。
「ああ、降参だ。一体何の能力があるって言うんだ?」
いつもなら判るまで考え続ける魔理沙だが、好奇心の方が勝っているようだ。
「知りたいかい?」
「ほらほら、けちけちしないで早く教えろ」
さて、これを言ったら魔理沙はどんな反応をするんだろうな。
「いいかい。僕だけが持っている能力とはすなわち
霊夢に『さん』付けで呼んで貰う程度の能力」
<了>
僕は時に何をするまでもなく、机に座り本を読んでいた。
大掃除なら、昨日の内に済ませてある。迎春準備も同様で、今更になって家事に追われることもなかった。
閉め切った店内には、外の世界から流れ込んできた暖房器具、ストーブの上に置かれたやかんが湯気を吹き上げる音と、本のページを捲る音だけが響き渡る。
寒い店内にわざわざ居るのは、勿論店番のためだが、今日はお客、いや、人を待っているからだ。
「霖之助さん、居る?」
ドアを最小限度に開いた霊夢が、するりと滑るように店内に足を踏み入れた。
彼女と共に入り込んだ冷たい空気が、ひやりと足を撫でた。
「霊夢、注文の品なら出来ているよ」
僕が机の上に、注文の品である新しい巫女服を置くと、霊夢はその品物を手にとってストーブの近くに移動した。
頼まれた品は冬用の巫女服で、生地の厚さが違うだけで、霊夢がいつも着ている物と寸分違わないものだった。
注文通りとは言え、肩の見える服は着ている本人よりも、その姿を見るものに寒さを連想させてしまう。
あれで本当に大丈夫なのだろうか…。
そんな心配はよそに、霊夢はストーブで体を温めながら、嬉しげに真新しい服の手触りを確かめていた。
「ところで、お代はやっぱりツケかい?」
「そうね、ツケでお願いしておくわ」
ツケと言うものは、大晦日を過ぎると全て無効になるのが慣例だ。
それを分かっていて聞いてしまう僕は、やはり商才に乏しいのかも知れない。
もっとも、霊夢はお金なんて持っていないだろうし、お金が無くても一向に困らないのだ。困るのは、僕ぐらいなものか。
服の手触りに満足したのか、霊夢が顔を上げると、おもむろに袂に手を入れた。
「そうそう、忘れてたわ。はいこれ」
霊夢が差し出したのは、数枚の神札だった。
「ああ、悪いね」
僕が博麗神社の氏子かと言えば、そうでないと同時に、そうであるとも言える。
つまるところ、この幻想郷に住んでいる全ての者は、博麗神社の氏子みたいなものだ。
「それじゃあ霖之助さん――」
改めてそう言った霊夢の言葉は、
「今日も今日とて寒いぜ」
勢いよくドアを開けて、店に入って来た魔理沙に遮られた。
入ってきた勢いのまま、魔理沙は真っ直ぐにストーブに向かって突進すると、寒そうに手をかざした。
「よぉ、霊夢も居たのか」
「もう帰るけどね」
「なんだ、もう帰るのか?」
霊夢は、そうよと答えて、魔理沙の方に向き直った。
「これからおせちを作るのよ」
「そうか、なら多めに頼むぜ」
「誰が、あんたの分まで作るって言ったのよ」
「で、何段の予定だ」
「五段だけど…。まぁ良いわ、どうせ今年も入り浸るつもりなんでしょ」
「おぅ。それとソバも食いに行くぜ」
「言うと思ったわ。もう、ちょっとは手伝いなさいよね」
「こっちの手が空いたらな」
「あーそれは無理って事ね。霖之助さんはどうするの?」
「え? 僕かい?」
話が振られるとは思ってなかったから、なんとも間の抜けた声になってしまった。
「二人分も三人分も同じようなものよ。但し、食べに来て貰うけどいいかしら?」
「香霖なら私が連れて行くぜ」
僕の返事も待たずに、魔理沙は勝手にそう言い切った。
彼女の中では、僕も神社へ行くことが決定事項になっているようだ。
一人で食べる年越し蕎麦も侘びしいものだし、ここは彼女たちの厚意に甘えるとしよう。
「それならお願いしようか」
「そう。じゃ、又後でね」
服を大事そうに抱え直すと、霊夢は神社へと戻って行った。
「今夜が楽しみだな」
上機嫌でそう言う魔理沙は、本当に楽しそうだ。
僕も楽しみではある。
博麗神社では、どんな騒動が起こるか分からない、と言うことを気にしなければだが。
「ん? なんだそれ?」
魔理沙は僕の手の中にある神札に気が付いた。
「お札だよ、霊夢が持ってきたんだ」
見やすいようにお札を魔理沙に向けると、魔理沙は僕の手からお札を抜き取った。
「博麗神社の護符に、火難避け、開運祈願もあるな。これって効果はあるのか?」
「ああ、火難避けは台所に貼っておくと類焼を起こしにくくなる効果はある。それに、延焼も防ぐこともできる」
霊夢お手製の護符の数々は、どれもしっかりと力を持ったものだった。
「へぇ、じゃあ後で霊夢に貰うとするか」
そう言いつつ懐に収めようとした魔理沙の手から、やんわりと神札を抜き取った。
「ところで今日はなんの用だい?」
「おお、忘れる所だった。香霖、確か昔うちで修行してたんだよな?」
「確かも何も、確認する必要すらないことだろう?」
唐突な魔理沙の問いに、僕は呆れながらも返事を返した。
又、何か妙なことでも思いついたのかも知れない。
「だったら、魔法の一つや二つ使えるだろ? ならちょっと協力して貰いたい事があるんだが」
「先に断って置くけど、スペルカード用の魔法なら使えないよ」
「そっちじゃなくて、主に身の回りに関する魔法の方だ」
要するに、片付けに役立つような魔法を知らないかってことか。
「僕は道具なら作れるけど、使い魔みたいに身の回りを世話したり、掃除したりする魔法なんて知らないな」
先回りしてそう言うと、魔理沙は途端に落胆したような視線をこちらに寄越してくれた。
「おいおい、何のためにうちで修行してたんだ?」
「少なくても、片付けに便利な魔法を身につけるためじゃないよ」
「まぁ、あんまり期待はしてなかったけどな。この店内を見てれば判ることだし」
失礼な、魔理沙の家ほどは散らかってはいないと思う。
しかし、そんな事を言ったら、『だったら一度見に来るか?』なんて言われて片付けを手伝わされてしまうのは目に見えているから、口には出さなかった。
「あれだな、修行を積んだ割に出来る事と言えば、道具の使い方が判るとか、道具が作れるなんて、他にも出来そうな奴が居そうなもんだぜ」
「それはまぁ、居るだろうね」
魔法は常に術者オリジナル。そんなことを言いたいのだろう。
ふと、僕の頭に閃くものがあった。冗談にしては、まぁ上出来だろう。
「魔理沙、君は知っているかどうか判らないけれど、僕には一つ、どんな大妖怪も持っていない能力が一つあるんだ」
「あ、何だって?」
思った通り、魔理沙は僕の能力がなんなのか、必死に考えだした。
時折、思いついた事を出してくるが、そのどれも外れだった。
冗談なんだからあたりまえだけど。
「ああ、降参だ。一体何の能力があるって言うんだ?」
いつもなら判るまで考え続ける魔理沙だが、好奇心の方が勝っているようだ。
「知りたいかい?」
「ほらほら、けちけちしないで早く教えろ」
さて、これを言ったら魔理沙はどんな反応をするんだろうな。
「いいかい。僕だけが持っている能力とはすなわち
霊夢に『さん』付けで呼んで貰う程度の能力」
<了>