あの方には逆らえないわ。 あなたも逃げた方がいいわよ?
大妖怪、八雲紫は言った。 そして逃げていった。
彼女は哀れな逃亡兵だった。
強大な敵に祖国を蹂躙され、その圧倒的な力に恐れを成し、己の職務を放棄し、その地に残る多くの同胞を見捨て、ただ一人安住の地へと逃げ込んだ。
彼女は哀れで、そして悲しい逃亡兵だった。
誰だって死にたく無い。
戦争は恐ろしい。
殺し合い等、まっぴらなのだ。
それでも彼女の元には、まだ仲間から知らせが届くのだ。
助けて欲しいと、あなたの力が必要だと、頼むから逃げてくれるなと。
彼女は毎日怯えていた。
だから彼女は隠れた。
隠れなければならない罪人達と共に、強大な術を使って自分が逃げてきた道を閉ざし、もし無理やり連れ戻しに来たのなら、荒事に頼ってでも追い返すつもりでいた。
でも幸いな事に、ここには彼等はやって来れないと言う。
彼女はようやく胸をなでおろした。
そんなある日の事だった。
閻魔は、その哀れな逃亡兵に地獄行きを宣告した。
閻魔は笑いながら、実に軽くこんな事を言うのだ。
わたしがお前を裁いたならば、きっと地獄に落とすだろうと。
逃亡兵はうろたえた。
慌てて言い訳をした。
自分は罪を反省していると。
閻魔は少し怒ると、罪を償えるのは自分の裁きのみと、実に傍若無人で冷たい事を言うのだ。
でも結局最後は笑いながら、少しは仲間の事を思出だしてみろと、本当に気安く言うのだった。
地獄は怖い。
地獄は怖い。
でも地獄がどんな所か、本当は誰も知らない。
彼女は優秀な清掃係だった。
彼女が掃除をした後には、首一つ落ちていないのである。
彼女は優秀な清掃係だったから、悪魔からも愛されていた。
彼女は本当に掃除が上手かった。
悪魔から信頼される程に上手かった。
彼女がどこで掃除を覚えてきたのか誰も知らなかったが、これだけ上手いのだから、きっと今までにたくさん練習してきたのは間違いない。
少なくとも、首一つ跡に遺さなくなるくらいには、たくさんたくさん練習してきたのだろう。
彼女は、人でありながら、人の中には居られなかったと言う。
人が彼女を嫌ったから。
彼女も人を嫌ったから。
ただ、悪魔だけが彼女に微笑んだ。
ただ悪魔だけが、彼女を頼るのだ。
その悪魔が、ただの清掃係の彼女をあまりに贔屓にしたものだから、羨む者も当然現れた。
でも、そんな事を言って散った者の数は、少なくともトリウム崩壊係数よりも多かった。
もちろん首一つ残っていないのだから、本当かどうか誰も知らないのだけれど、彼女は今でもすました顔をして、紅い御屋敷で働いている。
そんなある日の事だった。
閻魔は、彼女にもっと人に優しくしろと言った。
今のままでは三途の河すら渡れないと言うのだ。
怒りながら、怒鳴りながらそう言うのだ。
それでも掃除係は平気なものだった。
ナイフが冷たいのは当たり前だと、すまして言ってのけるのだ。
閻魔は怒った。
死後を良いものにしようと思うなら、生きている内に善行を積め。
ずっと怒りながらそう言うのだ。
結局、最後の最後までにこりともせずに、閻魔は怒鳴り散らしていたのだが、不思議な事に何故か言わないのだ。
悪魔に魅入られた優秀な掃除係が目の前に居るにも関わらず、それでも何故か言わないのだ。
本当に最後まで、地獄に落とすと言わなかったのだ。
地獄は怖い。
地獄は怖い。
でも地獄がどんな所か、本当は誰も知らない。
死神は言う。
そりゃあ閻魔様は怖いよ。
少しでも悪い事してれば説教は長いし、ほんのささいな罪で地獄に落とすと言うし、何しろ人使いが荒い。
本当にもう、無慈悲な事この上ない御方だ。
だから閻魔様の言う事にゃ、決してさからっちゃあいけない。
あの方のお膝元で働いてるあたいが言うんだから、これだけは間違いないよ。
死神は、野原に寝転がり、日向ぼっこをしながらそんな事を言うのだった。
大妖怪、八雲紫は言った。 そして逃げていった。
彼女は哀れな逃亡兵だった。
強大な敵に祖国を蹂躙され、その圧倒的な力に恐れを成し、己の職務を放棄し、その地に残る多くの同胞を見捨て、ただ一人安住の地へと逃げ込んだ。
彼女は哀れで、そして悲しい逃亡兵だった。
誰だって死にたく無い。
戦争は恐ろしい。
殺し合い等、まっぴらなのだ。
それでも彼女の元には、まだ仲間から知らせが届くのだ。
助けて欲しいと、あなたの力が必要だと、頼むから逃げてくれるなと。
彼女は毎日怯えていた。
だから彼女は隠れた。
隠れなければならない罪人達と共に、強大な術を使って自分が逃げてきた道を閉ざし、もし無理やり連れ戻しに来たのなら、荒事に頼ってでも追い返すつもりでいた。
でも幸いな事に、ここには彼等はやって来れないと言う。
彼女はようやく胸をなでおろした。
そんなある日の事だった。
閻魔は、その哀れな逃亡兵に地獄行きを宣告した。
閻魔は笑いながら、実に軽くこんな事を言うのだ。
わたしがお前を裁いたならば、きっと地獄に落とすだろうと。
逃亡兵はうろたえた。
慌てて言い訳をした。
自分は罪を反省していると。
閻魔は少し怒ると、罪を償えるのは自分の裁きのみと、実に傍若無人で冷たい事を言うのだ。
でも結局最後は笑いながら、少しは仲間の事を思出だしてみろと、本当に気安く言うのだった。
地獄は怖い。
地獄は怖い。
でも地獄がどんな所か、本当は誰も知らない。
彼女は優秀な清掃係だった。
彼女が掃除をした後には、首一つ落ちていないのである。
彼女は優秀な清掃係だったから、悪魔からも愛されていた。
彼女は本当に掃除が上手かった。
悪魔から信頼される程に上手かった。
彼女がどこで掃除を覚えてきたのか誰も知らなかったが、これだけ上手いのだから、きっと今までにたくさん練習してきたのは間違いない。
少なくとも、首一つ跡に遺さなくなるくらいには、たくさんたくさん練習してきたのだろう。
彼女は、人でありながら、人の中には居られなかったと言う。
人が彼女を嫌ったから。
彼女も人を嫌ったから。
ただ、悪魔だけが彼女に微笑んだ。
ただ悪魔だけが、彼女を頼るのだ。
その悪魔が、ただの清掃係の彼女をあまりに贔屓にしたものだから、羨む者も当然現れた。
でも、そんな事を言って散った者の数は、少なくともトリウム崩壊係数よりも多かった。
もちろん首一つ残っていないのだから、本当かどうか誰も知らないのだけれど、彼女は今でもすました顔をして、紅い御屋敷で働いている。
そんなある日の事だった。
閻魔は、彼女にもっと人に優しくしろと言った。
今のままでは三途の河すら渡れないと言うのだ。
怒りながら、怒鳴りながらそう言うのだ。
それでも掃除係は平気なものだった。
ナイフが冷たいのは当たり前だと、すまして言ってのけるのだ。
閻魔は怒った。
死後を良いものにしようと思うなら、生きている内に善行を積め。
ずっと怒りながらそう言うのだ。
結局、最後の最後までにこりともせずに、閻魔は怒鳴り散らしていたのだが、不思議な事に何故か言わないのだ。
悪魔に魅入られた優秀な掃除係が目の前に居るにも関わらず、それでも何故か言わないのだ。
本当に最後まで、地獄に落とすと言わなかったのだ。
地獄は怖い。
地獄は怖い。
でも地獄がどんな所か、本当は誰も知らない。
死神は言う。
そりゃあ閻魔様は怖いよ。
少しでも悪い事してれば説教は長いし、ほんのささいな罪で地獄に落とすと言うし、何しろ人使いが荒い。
本当にもう、無慈悲な事この上ない御方だ。
だから閻魔様の言う事にゃ、決してさからっちゃあいけない。
あの方のお膝元で働いてるあたいが言うんだから、これだけは間違いないよ。
死神は、野原に寝転がり、日向ぼっこをしながらそんな事を言うのだった。
深い作品ありがとうございました
誰もが罪を絶対に逃れられないのは、自身。
誰だって死にたくもないし、……仲間を見捨てたくなんてない。
でも、かっこつけたって死んでしまうから…だから、生きる。たとえ罪を背負って、それにおびえ続けてでも……
清掃係……
醜いアヒルの子は虐げられる。そう言うものだと思います。
彼女はきっと、白鳥だったのでしょう。ええ、悪魔という名の、白き翼を持つ。彼女がともに羽ばたく仲魔は、きっとアヒルではなかった、ということなのだと思います。それにしても、そういえばどうして閻魔様は地獄へ落ちる、とはついぞ言わなかったのだろう……
私には氏のこの作品をどこまで読み取れたか、自信がありません。だから、私なりの言葉で、この長文の感想を締めたいと思います。
哀れなればこそ、どうかきっといつか、幸せの陽だまりに包まれた満面の笑顔を浮かべることができますように…… お見事。
閻魔様は断罪者であり、そしてあくまで他人。
その人の中に在る真実までは決して見えていない。
見えていたところで、それを事実に優先させることは出来ない。
『正論だけを掘り込んだ永久凍土の石版』
生前に説教することが彼女のやさしさだとしても、受け入れられることって少ないでしょうね。
っと何言ってんだろ……支離滅裂ですいません。
でも考えさせられるお話、ありがとうございました。
優しいよヤマザナドゥ、ヤマザナドゥ優しいよ。
生前を楽しむために死後に苦しむか
はて
いかに小さな罪でもそれを裁くのだろう。
死んだ時に地獄行きとなるのは悔いがある故なのかもしれない、
死に在る者が分を弁えず悔恨の念への生を望むそれが一番の罪かもしれない・・・
死後を楽しみたいのなら、生を楽しめるようにせよ
閻魔様が言いたいのはその一言なのかもしれない・・・
実は七死さんの味がある評価のコメントも、密に作品読後の楽しみです。
ここで作品が読めたのはまさに至福です。流石というか、やはりというか
味がある作品です。良作有難うございます。
地獄行きを宣告しても、やはり閻魔はそれでも皆天国へ行って欲しいことを願っているのですよね。
地獄が如何なるものかを誰も知らないということは、宣告する閻魔さえも知らないのでしょうから。
知らないからこそ、其処は怖い。知らないからこそ、見えないから怖い。
閻魔――映姫は、いわば天国への道案内人なのかもしれませんね。
まだ、私は読解力が足りないと思います。紫が言った「あの方」がまだ分かりませんから。