キーボードを叩く手を止めると、何の音もしなくなる。それも当然で、店にはここ二刻ほど客の出入りがない。おかげでコンピュータの研究は思う存分できたが、そろそろ煮詰まってきた。これ以上を知るためには何かが足りないのだろう。
あまりの手持ち無沙汰に、商品の陳列棚をいじることにする。
僕の店の商品の多くは外の世界のもの。もの珍しい品目当ての人間と人間以外が来るには来るけど、商売として成り立っているかはちょっとばかり分析が難しいところだ。
例えば、今目の前にある、すっぽりと手に収まる大きさの円柱状の物体。金属特有の光沢を放つそれについて、僕の能力が「デンチ」という名前と、動力であるということを教えてはくれるのだが、どうすればこれが動力としての能力を発揮するのかという肝心なところがわからない。一度燃やしてみたが、燃料としては木炭のほうが数倍優秀だった。
とにかく、そんな用途不明の品々をお金と交換して手に入れようなどというのは酔狂以外の何ものでもないだろう。重々承知だ。まあ、幻想郷の連中の多くは普段から酔っているようにしか見えない言動をする輩ばかりなのだけど。そんな輩のおかげで多少の貨幣は手に入るのだから、僕に批評の権利はない。
棚をあらかたいじり終わる。商品を良く見せる配置を研究して、実行したつもりだがどうだろうか。これで売れ行きがよくなればいいのだけど、客が来ないことにはその効果のほどを確認する術もない。
日の傾きからいって、そろそろ酉の刻だろうか。一日の名残を惜しむかのように、最後の赤い光を店内に投げかける。デンチの鈍い光沢。もう日の落ちるのが早い。釣瓶落としに気をつけなくてはならない季節だ。
カランカラン、と戸につけた鈴が鳴ったのはそのときだった。
「邪魔はしないぜ。香霖、欲しいものがある」
入ってくるなり、魔理沙は僕の目の前でそんなことを言う。真っ直ぐなのはいいと思うけど、もう少し余計なことをする余裕があってもいいと思う。例えば、棚の商品を一通り見て回るとか、そして買っていくとか。できればツケ以外で。
何が欲しいのか、と聞くと、魔理沙は小脇に抱えていた厚めの本をカウンターに置いた。わずかに肌の色は上気して、少し息が上がっている。よほど急いで来たのだろうか。
「頼めるやつがお前以外にいないんだ」
僕が持っているものといえば、やはり外の世界のものだろうか。
見守っていると、魔理沙はすっと息を吸って、口にした。
「お前の精液をくれ」
……
……
数秒ほど言葉の意味を吟味して、真っ先に浮かんだ考えが、どこの春本の影響を受けたのだ、ということだった。混乱している。我ながら情けない。しかし、魔術師の本懐が世界の真実の探求とはいえ、急にそんな方面に興味を持つのはどうか。あまつさえ、よりによって相手が僕か。
どう返答すればいいかと言葉を捜していると、魔理沙はカウンターの上に本を広げる。
「これに要るんだよ」
……………………。
開かれたページの見出しには、こう書かれていた。
『ホムンクルスの製造法』
そして材料の一覧に、「馬糞、精液、ハーブ各種……」確かにあった。本は赤く硬いカバーの装丁で、本文は羊皮紙ではなくれっきとした、漉いて作った紙だ。ただし和紙でもない。こんな装丁をするのは外の世界のここ数百年以内に作られた本に限るし、幻想郷でそうお目にかかるものではない。なにせ、西洋の「錬金術」と呼ばれる魔術の書だ。おおかた例の図書館から持ってきたものだろう。探求に真っ直ぐなのはいいことだけど、もう少し知識を得る手段は考えるべきだと思う。
そこまで確認して、僕は安堵の息を吐く。真っ直ぐなことはいいことだけど、もう少し言葉は選んだほうがいいと思う。あと、最低限の恥じらいは持ったほうがいい。自分のためにも。
「そんなことはいいから、さっさとよこせ」
ちゃんとその言葉の意味がわかっているのだろうか。そして、ホムンクルスのことをちゃんと理解しているのだろうか。
「ああ、西洋の使い魔だろ」
わかっていなかった。ホムンクルスをまた式神や人形と同列に考えていたらしい。大方、製造に成功したら家事でもやらせるつもりだったに違いない。ホムンクルスは、いうなれば人間が「神」の似姿を作ろうとしたもの。そしてそんなものは幻想というよりは夢想だ。神は幻想にはなりえない。実在として実際に「いる」のと同時に、どこにも「いない」ものが、一神教の「神」なのだから。だから幻想郷に限らず、世界に神の形を与えることはどだい無理な話だ。
「なんだ、つまり使えんのか」
本当に道具として使うつもりだったらしい。魔理沙はつまらなさそうに本を閉じた。真実の探求はどうした。真っ直ぐなのはいいことだけど、もう少し自分の欲望以外にも目を向けるといいと思う。
「あ、でも待てよ。確か他の魔法薬に精液を使うのが」
魔理沙には丁重に帰ってもらうことにした。というか、それはきっと危ない暗黒魔術の類だ。霧雨流の黒魔術に飽き足らなくなったとはいえ、ヘタなことに手を出して火傷をしないほうがいい。
それに、僕としてもその、事情がある。
「……あー、よくわからんがわかったよ。今日のは貸しだぜ」
どこに僕が借りを作るところがあったのかよくわからないが、とにかく魔理沙は不満そうな顔をしながらも、森のほうへホウキを飛ばした。安堵が息をついて漏れた。
カランカラン……
そして店は再び静寂に沈む。陳列された商品たちは物言わずたたずむ。日もそろそろ落ち、デンチがのっぺりとした輪郭を影として落とす。
戸に「閉店」の札を下げることにした。
デンチをひとつつかんで、手の中でもてあそびながらカウンターに座る。思いつきでキーボードを叩くと、いつも通りのカタリという音がした。
理性は過去を生み出しやすく、感情は未来を作る力となりやすい。幻想が作るのは……いや、幻想には時間など意味を持たないだろう。
物事を知るには、冷静な分析力が必要だ。しかし同時に、いや、それより先に、愚直なほどの熱意こそが世界を進歩させたものだろう。そして、その情熱を燃料とする思い切りのよさ。それこそが美点だ。探求には、思い切りの良さと冒険心がなくてはいけない。僕も少し魔理沙を見習うべきだろう。……今回のことの詳細は置くとして。
さて、差しあたっては。
大切なのは思い切り。
大丈夫、まだ在庫は数台ある。
僕はコンピュータを一瞥してから、店の奥にカナヅチを取りに行くことにした。