毎年、初夏になると、僕はある外の世界の道具の使い方を探っていた。
もし、この道具を使いこなすことが出来れば、梅雨時も、真夏も快適に本を読んで過ごすことが出来るだろう。
冬もストーブの代わりになるかもしれない。
――カランカラン
「毎度お馴染み射命丸です。いやー、暑くなってきましたね」
「ああ、いらっしゃい。原稿はもう出来てるよ」
「あら、珍しい。まだ締め切りまで五日もあるのに」
文が毎度お馴染みの挨拶でやってきた。
新聞にコラムを書くようになって以来、新聞配達以外の日にも彼女が香霖堂にやって来る回数が増えている。
もっぱら、コラムに関しての事だが、おそらく半分は休憩所としての利用だろう。
出来れば、もう少し店の商品を買うようになって欲しいが。
まぁ、妖怪じみた人間たちよりも、よほど行儀が良いので文句は言わない。
「あの……。さっきから一体、何やってるんですか?」
「ちょっと道具の使い方を調べていたんだ。こいつはエアコンディショナーという外の世界の道具でね。
僕の能力によると、これ一つで部屋を涼しくすることも、暖かくすることも、更には湿気を取ることも出来るらしい」
「それだけ聞くと大変魅力的な道具ですが……」
「勿論、使用法がわからないから、こうして色々と調べている」
「やっぱりそうですよね。でも……その使い方は、多分間違ってると思います」
「考え付く手段は一通り試したよ。それでも動かなかったから、こうして変な方法だって試しているんじゃないか」
「変だっていう自覚はあったんですね」
エアコンディショナーは、大きな箱のような形をしており、軽い物でもない。
振り回したところで、疲れて暑くなるだけだった。当然、湿気など取れる筈がない。
取っ手も無く、手に持つモノではないのは、誰の目にも明らかなのだが……。
欲にとりつかれ、気が付くとどうも可笑しな方向に進んでいたようだ。
この道具には、どうやら人を惹きつける魔力のようなものがあるらしい。そういうことにしておく。
一度、思考をクリアーにする必要がある。やはり強引な手法では、動くものも動きはしないのだ。
道具の使用法は、本来の用途や名前から理によって導いていくべきだろう。
今日のところは潔く諦めることにして、僕はエアコンディショナーを壁に立てかけ、いつもの席に戻った。
「そういえば、紫さんの家で見たことがありますね、ソレ。動いてるところは見たことないけど。確か壁の上のほうに張り付いてましたよ」
「へぇ、機会があったら使い方を訊いて来てくれないか?」
「うーん……紫さんはちょっと苦手です。何考えてるのか、さっぱりわかりませんから。
店に来たときにでも、貴方が直接訊いてみたらいかがでしょう? ただ、どうせ変な答えしか教えてくれないと思いますけどね」
「僕だって苦手だよ。彼女が得意な者など、きっとこの世にはいないだろう」
「あの世にならいるんですけどね、一人」
――いるのか。一体どんな奴だろう。
ちょっと興味がある。あの世にいる者に、積極的に会いたいとは思わないが……。
「今度、動いているところを見計らって観察してきましょう。記事になりそうですし」
「山には似たような道具はないのか?」
「河童ならそういった道具を作る事もあるでしょうけど、私達、天狗の住んでる場所は山の上です。
暖房は必須ですが、夏でも冷房は必要ありません。風なら自由に吹かせることが出来ますから、湿気も関係ないですね」
「それは羨ましいな」
道具屋の僕としては天狗の棲家よりも、河童の道具に興味を惹かれた。
河童の創る道具は、外の世界の道具にも匹敵するとも言われている。
しかし、天狗や河童などの山の妖怪達は排他的に暮らしていて、人里まで彼らの道具が流通することは無かった。
見かけることがあっても極めて稀で、さらに高価な値段で取引されている。
道具に限らず、積極的に山の外に出る者は非常に少ない。
そんな中、山の外で積極的に活動する文は数少ない山と麓を結ぶコネクションの一つだ。
――とするなら、比較的彼女と親しい僕は、このコネを活用すべきではないだろうか。
「ところで。あー……文さん」
「なんです? 貴方にかしこまられると何だかやり難いのですが……」
「河童の道具ってのは、麓の人間にも売ってくれるのかい?」
「山の道具が欲しいんですか?」
「僕も道具屋の端くれだからね」
むう、と唸り考え込む文。案外難しい質問だったらしい。
もしかすると、かつての幕府よろしく鎖国状態の山は麓との取引を禁止しているのかもしれない。
流通量から見てもその可能性は高いと踏んでいた。
「やはり麓との取引は禁止されているのか」
「いえ、ダメというわけではないですが基本的に取引が成り立ちません。でも、貴方にはまだ可能性がありますね」
「どういうことだい?」
「麓には河童達の欲しいものが無いんですよ」
きゅうり以外、と文は付け足す。
「河童の取引の基本は物々交換です。互いの創った道具を交換し、研究する事で切磋琢磨しています。
そうして、彼らは高い技術を共有し継承していきました。
食料品、医療品から諸々の道具に至るまでね。
一部の匠の道具を除けば、麓で売られている道具など、彼らにとって子供の玩具ほどの価値もありません」
「じゃあ、可能性っていうのは、僕の持つ外の道具となら交換出来るということなのかな」
「ええ。ですが、もう一つお忘れでないですか? 麓の者が河童の里に入るには、怖い怖い誰かの目を潜らなくてはいけません」
目の前にいるその誰かさんは、こちらをニヤニヤと見ていた。
物々交換であれば、河童と僕とが直に交渉しなければなるまい。
だが、河童達は臆病で、麓に降りてくることなど滅多にないため、こちらから出向く必要がある。
しかし、誰かの手引きがなければ、とても入れる場所ではないだろう。……そういうことだ。
「……はぁ。で、何が望みだい?」
「うふふ、それでは『ストーブ』を、と言いたい所ですが、貸し一つにしておきましょう。他ならぬ霖之助さんの頼みですからね」
タダより高いものはないという諺は誤りだ。やはり、タダより安いものはない。
だが、借りより高いものはないのだ。
文はそれを判っていて、大判振る舞いを装うのだから、なんともやり難い。
「それで、いつがいいですか?」
「別にいつでも構わないよ。君の都合に合わせてくれ」
それから、僕らは更に具体的な計画を話し合った。
文から聞かされた計画には、一部突飛なものがあったが、案内される手前文句をつけることも出来ない。
「じゃあ、明後日の朝八時、紅魔湖の河口でいいですね?」
「きゅうりでも手土産に持って行ってやろうか」
「それはきっと喜ぶでしょうね。では、私はこれで失礼します。明後日のデートを楽しみにしていてくださいな」
「ああ、楽しみにしているよ」
からかい気味の台詞を言って、文は香霖堂を後にした。
――そう、楽しみにせずにはいられないじゃないか。
麓の人間は、誰も知らない河童の道具。その秘密と恩恵にありつくチャンスを得たのだ。
道具屋としてこれほどのビッグチャンスは他にないだろう。
あまり出歩くことが好きではない僕だが、今から明後日が待ち遠しかった。
妖怪の山は、香霖堂から見て紅魔湖の方にある。
河童の里は紅魔湖に注ぐ川を何里か上った先にあるらしい。それほど標高の高い場所ではない。
普段、あまり外を出歩かない僕ではあるが、半分妖怪の血が混ざっているおかげか普通の人間よりは体力がある。
尤も、それが役に立つのは無縁塚から重い道具を持ち帰るときくらいだが。
ともかく、僕は店に一日休業の札を掲げ、文との合流地点に向かうことにした。
天気は運悪く快晴だった。
雨よりはマシだが、これから重たい荷物を抱えて何里も歩くというのに、初夏の日差しは容赦なく僕を痛めつけるだろう。
「おはようございます、霖之助さん」
「ああ、おはよう。言われたとおりの格好にしてきたが、こんなのでいいのかい?」
「ふふ、中々雰囲気が出てますよ。それなら大丈夫でしょう」
「快適さは欠片もないがね」
河童に変装する必要がある。それが文の意見だった。
彼女が言う河童の服装とは、ポケットのたくさんついた作業着、皿を保護するための帽子、それと甲羅、もといリュックサック。
作業着と帽子は外のものを、リュックサックはいつも無縁塚から道具を持ち帰るのに使う大きめの鞄。
その中に交換材料となる外の道具を詰めてきた。
少々暑苦しいものの、エンジニアらしい格好ではある。
ただ、僕の格好を見るなりクスクスと笑っていた文を見ると、もしかしてからかわれているんじゃないかと疑いたくなる。
「では出発しましょうか。目的地はここから五里ほど川沿いの道を歩いた先にあります」
「五里か。帰る頃には夜になっていそうだな」
「貴方は帰りより行きを心配したほうがいいのでは? 陽に当たりすぎて途中で灰になっちゃうかもしれませんよ」
「僕を何だと思ってるんだ、君は」
最近、人里では距離を表すのにメートルという単位を使うようになった。
これは外の世界の標準にあわせた単位である。一里をメートルで表すと、およそ四千メートルらしい。
だがこれは、地球の大きさを元に算出した単位であるため、人間には理解し難い単位だ
一メートルは一歩というわけでもないし、人間の身体にも一メートルの基準となる部位がない。
一方、昔ながらの一里という単位は、平均的な人間が歩く速度を元に決められた単位である。
一里は半刻、一時間歩いた距離。五里ならば五時間歩く距離だと、感覚的に理解する事が出来る。
こういった先人の知恵を、無闇に切り捨ててしまうのは問題だと僕は思う。
――ああ、これもコラムのネタになるな。
他愛も無い世間話などしながら二時間ほど歩くと、あたりは鬱蒼とした樹海になり、強い初夏の日差しも木漏れ日に変わっていた。
天候が快晴である場合大抵風も弱く、余計に暑さを感じるものだが、生憎道連れは風の化身である。
樹海の中でさえ、常に心地の良い追い風を感じる事が出来た。
加えて、傍らを流れる川のせせらぎも涼しげで何とも心地が良い。
そのため、道のりは案外心地の良いものだった。これは大変嬉しい誤算である。
さらに一時間ほど歩く。
時刻は午前十一時といったところだが、辺りに霧が立ち込め、薄暗くなってきた。
文は河童の里に近付いた証拠だと言う。
この霧は山の妖怪が張った結界であり、魔法の森や竹林のように人を惑わす効果があるらしい。
人間が迂闊に足を踏み入れれば、力尽き倒れるまで樹海をさまよう運命が待ち受けている。
と言うと、いかにも恐ろしげではあるが、幻想郷では特に珍しい話ではない。
元々、森とはそういうものなのだ。
「さて、つきましたよ」
「随分早くついたね」
「それは勿論。道案内は天狗の得意中の得意ですから」
河童の里についたのは、日の高さからいって丁度正午といったところだ。
五時間の道のりを四時間で歩いたのだから、かなり速いペースで歩いてきたことになるのだが、道中、それを感じたことは一切なかった。
流石は天狗と褒めるべきところか。
この手の道案内をさせれば、きっと天狗以上に心強い味方はいないだろう。
しかし……。
「思っていたより、随分と賑やかだな」
「これだけ河童が集まっていればね」
規模こそ人里には見劣りするものの、その喧騒は人里以上だ。
あちらこちらで、河童達が道具を手にとって論争していたり、道端で将棋を打っていたり、昼間からそこら中で宴会を開いている。
大きな通の沿いには、香霖堂にも負けない怪しげな店が立ち並び、見たことも無い道具が所狭しと並んでいた。
「参ったな。持参した道具だけじゃ全部見て周り切れそうにない」
「あらあら、本当に嬉しそうだこと」
「道具屋として至上の喜びだね」
「大袈裟ねぇ。そんなに喜ばれると私も連れて来た甲斐があったと言うものです。でも忘れないでください。今の貴方は河童なんですからね」
「ああ、判ってるよ」
さて、一体どこから周ろうか。
年甲斐も無くはしゃいで周りたい気分になる。
まず、僕の目に止まった道具は、『ロケットベルト』というものだった。
金属で出来たリュックの両側に、円筒状の物体が二つ、並行についている。
この妙な道具の用途は何と『空を飛ぶこと』だという。もし僕にも使えるものであるなら、なんと便利なことだろうか。
はたして、この道具でどうやって空を飛ぶというのだろう。
僕は、店主の河童に使用法を問うことにした。
「店主。こいつはどうやって使うんだい?」
「いらっしゃい。……おや? お前さん、初めてみる顔だね。何百年も引きこもってたクチかい?」
「いや……僕は……」
「ええ、そうなんですよ。何百年も一人で発明に没頭していたようで。
もし偶然私が発見しなければ、今頃は干乾びて木乃伊になっていたところでしょうね。
しかしその分、独創的で変わった発明品を沢山お持ちでして、密着取材をさせていただいてます」
言葉に詰まった僕をさえぎり、文がフォローを入れた。
咄嗟に思いついたのか、あらかじめ用意していたのかは知らないが、よくまあスラスラと嘘八百を言えるものだ。
しかし、まるで何百年も引き篭もっているのが、珍しくも無いような言い方である。
「お前さん運が良かったんじゃな。百年に一人はそんな木乃伊が出てくるよ」
「で、こいつはどうやって使うんだい?」
「何じゃ? そんなことも知らんのか。
お前さんが何百年引き篭もっていたのかは知らんが、黒色火薬がこの国に伝わった頃から使い方は変わっちゃいない。
名前は時代とともに変わっていったがね。背中に背負って、こっちのボタンを押す。それだけだよ。
明王朝時代、大陸の河童はこれで天蓋を越えて飛んでいったという。そこまでいくと、ちょっと眉唾な話だがね」
どうやらこのロケットベルト、河童の中ではそれなりに伝統的な道具の一つであるらしい。
「じゃが、儂の開発したこの最新型のロケットベルトならば、本当に天蓋まで飛んでいくことだって出来るだろう。
従来の黒色火薬式など、全く比べ物にならない代物だよ。
黒色火薬の代わりに、最新のニトロとか何とかいう火薬を使用することで、数十倍の飛行時間と速度を実現したんだ」
「ほほう、店主さん。実演して見せてもらえませんか? 是非、その姿を写真に収めたいです」
「勿論いいともさ。天狗様、かっこよく撮ってくれな!」
「わくわく」
店主はつばが広い帽子をクイッとあげた。いよいよ自慢の発明品のお披露目といくようだ。
「いつでもどうぞー!」
文はカメラをしっかりと構えて、シャッターチャンスを逃すまいとしていた。僕も興奮気味で河童の実演を見守る。
「ではいくぞい、3、2、1……」
次の瞬間、二つの筒から轟音と激しい炎が噴出し、店主は物凄い勢いで空にむかって飛び出していった。
――これは凄い……! 本当に天蓋まで届くかもしれない!
「わぁ……ってあれ? ……マズイですね」
「ん、どういうことだい?」
「気絶してますよ、アレ」
気のせいだと思っていたが、そういえば、打ち上げの際、叫び声のようなものが聞こえていた。
文は心配しつつも、ちゃっかり撮影はしていた。
「はぁ……。面倒だけど助けてあげますか。焚きつけた手前、死なれると寝覚めが悪いし」
そう言うと文は、先ほどの店主以上の勢いで空に翔けあがっていった。
「……いやぁ面目ない。天狗様がおらねば、今頃三途の川までぶっ飛んでいくところだったよ。計算上は完璧だったんじゃがなぁ」
「貴方の店は、もっと安全性というものを考慮する必要がありますわ。せめて、ダミー人形あたりで実験してから売るべきです」
店主の話によると、ロケットベルトとはどうやら、緊急脱出のための道具であり、常時空を飛ぶための道具ではないらしい。
着地するときは、背中のリュックから落下傘を開いて降下する。なんとも臆病な河童らしい発明である。
そういえば、なんとも下品だが河童は屁で空を飛ぶ、という言い伝えがあった。
何でも河童の尻には三つの肛門があり、そこから一気に……所謂瓦斯を噴出させて空を飛ぶそうだ。
恐らく、人間に驚いた河童が、ロケットベルトで緊急脱出を試みた姿が捻じれ伝わった物なのだろう。
その後も二時間ほど、色々な店を周ってみたがどうも欲しいと思える道具がなかった。
数分で大木を切り倒すことの出来る鎖鋸、誰もが手軽に厚い弾幕が放てるようになるという、自動小銃。
どれも驚異的な道具であることは疑いようがないが、偉く物騒だ。
何より僕には使い道が無い。
河童は決して強い妖怪ではない。身体能力は人間と大差がなく、空を飛べる者も少ないという。
そんな彼らが山で平穏な生活を送れているのは、強大な天狗や鬼の庇護を受けてきたからだ。
だからこそ、自力で身を守るために、物騒な道具を多く作るようになったのかもしれない。
僕が過度な期待と幻想を抱いていたせいもあったが、河童の道具のそういう点には少々幻滅である。
彼らは道具を生かして生活しているというより、道具によって生かされているのだ。
どこかに面白い道具はないものかと歩き回っていると、一人の河童が僕らに近付いてきた。
「文じゃない。河童の里にいるなんて珍しい」
「あら、にとり。久しぶりね」
「そっちのひょろ長いのは誰だい? ……何処かで見た顔だけど」
「ああ、僕は……」
「いや、思い出した。森近霖之助だね。文の新聞にコラムを書いてる」
「あやや、バレましたね。あっさり」
「いや、バレましたじゃないよ。いいのかい、知り合いとはいえ、麓の者を山に入れちゃって……」
「自警団には沢山貸しがありますから。口止めくらい容易いことだわ」
「……言うねえ。最近の文は、なんだか見てて気持ちがいいよ」
にとりと名乗った小柄な河童は、どうも文と親しいらしい。
「それで、霖之助だっけ。あんた外の道具を取り扱ってるんだろう? 文の新聞で何度か見たことがあるよ」
「ああ、わざわざ河童に変装して外の道具と河童の道具を交換しに来たんだ。しかし、いまいち気に入った道具がなくてね、この通り在庫を持て余している」
「なら私の工房を見に来なよ、通りの奴らの道具なんて比べ物にならんよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうか」
自信たっぷりの物言いといい、雰囲気といい、どこか魔理沙に似ているような気がする。
その為かどうか判らないが、この河童はきっと面白い道具を持っている。
僕の直感がそう告げていた。
にとりの工房は、河童の里から十分ほど歩いた場所にあった。
工房の大きさは、香霖堂が5軒は余裕で入ってしまいそうな大きさであり、中には大型の作業機械が何台も並べられている。
人里にだって、こんな巨大な工房はない。
しかも、これがにとり一人の工房だというのだからますます驚きである。
お茶とかきゅうりとか持ってくるから座って待ってて。そう言ってにとりは工房の奥に入っていった。
「山に来て一番驚いたな。工房というより、まるで工場じゃないか」
「にとりは河童の中でも、五指に入る発明家ですからね。私のカメラも彼女に創ってもらったものです」
「最初から此処に案内してくれても良かったんじゃないのか?」
「そんな無粋な真似はしません。自分で商品を見て歩くから、買い物は楽しい。そうでしょう? それに一番の楽しみは最後にとっておくものですからね」
そこまで考えていたのなら、文も随分優秀な案内役だと思う。
記者より才能があるんじゃないか? とは、例え思っても口にはしないが。
「お待ちどう。きゅうりの酢漬けと、里で話題のホットキューカンバーだよ。さっきはコレを買いにいってたんだ」
「ああ、どうも……」
きゅうりの酢漬けはさておき、……ホットキューカンバーとは一体なんだろう?
湯気と共に、湯のみから異様なほどのきゅうりの匂いが立ち込めている。
記憶が確かなら、にとりはお茶を持ってくると言っていた筈だ。
だが、お茶と共通しているのは色だけだった。
隣にいた文も「げげっ」といった険しい表情で湯飲みを見つめていた。
――どうする? 飲むべきか?
「あー。ところでにとり、霖之助さんの持ってきた道具を見せてもらったらどう?」
「ん? そうだねえ。じゃあ早速見せてもらおうか」
「ああ、そうしよう。そんなに多くは持ってこなかったんだが……」
文の少々強引な話題転換により、窮地を脱することが出来た。
さて、ちょっとやそっとの道具では、河童は驚かないだろう。
そう考えていた僕は、自分でも使い方のよくわからない道具を中心に持ってきていた。
テレビジョン、コンピュータ、デジタルカメラ、携帯電話。
どれも非常に高度な技術で作られた道具ではあるが、使い方は全くわからない。
――さて、何と説明しようか。
商品を取り出しながら、僕は悩んでいた。
だが、そんな僕の悩みは杞憂だったらしい。
「……凄い。こん、精密加工技術の結晶、山じゃ見たことないよ」
「一見でわかるとは、流石にお目が高い」
「私が一体、何百年道具創りをやってると思ってるのさ。素材一つとっても、山じゃ作れないものばかりだよ。
素材だけじゃない。部品のはめ合わせにしても、ぎやまんの曲面も精密に出来ていて、この印字も……」
「まぁまぁ、落ち着いてにとり。その様子だと訊くまでもなさそうだけど。……欲しいのね?」
「当たり前さ、こんな凄い物、むざむざ他の連中に渡したりするものか。さあ、あんたの番だ。何でも好きな道具と交換するよ!」
「使い方や用途は訊かなくていいのか?」
「言わなくていいよ、そんなことしたら、私の楽しみが減るじゃないか。時間だけは有り余ってるんだ。何十年もかけてゆっくり解析させてもらうよ」
あまりの即決に、思わず訊かなくて良いことまで訊いてしまった。
正直に、使い方はわからないと言ってしまえば、こちらの不利は間違いないのだ。
しかし、にとりは用途の説明すらも必要ないと断じ、好きな道具を持っていけとまで言い放った。
まぁ、悪い条件ではないが、どうも負けてしまったような気分になる。
「判った。じゃあ、工房を少し見回らせてもらうよ」
にとりは既に外の道具に夢中になっていた。文はと言えば、そんなにとりを楽しそうに撮影している。
にとりの工房にある機械は、里の河童の道具とは一線を画していた。
活版印刷機、紡績機、ラジオの放送用アンテナ、映写機、モーターボート。
麓に流れることがあれば、人里の生活を大きく変化させてしまう力を持つ道具だ。
しかし、どれも持ち運べる大きさではなかった。
大体、僕は人里を発展させようなんて気持ちなど毛頭無い。
浅はかな施しは、人の力をいたずらに強めて、幻想郷のバランスを崩してしまうだけだ。
そして何より、僕の使い道がないのが問題である。
持ち運べそうなサイズの道具として、文と同型のカメラ、幺樂を奏でる蓄音機(少々厳しいが)、冷蔵庫(無理をすれば)という物もあった。
空中魚雷、なんていう物騒な兵器もやっぱりある。
しかし何より、僕の興味を惹いたのは、車輪の二つついた奇妙な木製の道具だった。
といっても、大八車のように二つの車輪が並行についてるわけではない。
二つの車輪は一つの直線上に並んでいた。
――名前はバイク。物を乗せて走る程度の能力。
「お目が高いね、そいつに興味が沸いたのかい」
後ろを振り返ると、文とにとりが立っていた。
「この道具初めてみるわね、最新作?」
「空を飛べない河童のための、足代わりになる道具さ。これは試作第一号」
「どうやって動かすんだい?」
「座席の下のタンクに水を入れるんだ。木が水を吸って得た力を動力に動く。
速度はその取っ手を捻って調整するだけさ。誰でも簡単に運転出来るのが、こいつのコンセプトだからね」
「水生木か。理に適っている」
水は木を育てる。五行の基本である。
木の楔に水をかければ、巨岩さえも割る力を出すのだ。人を乗せて動かすことくらい、造作もないだろう。
「決めた、この道具をもらっていくよ」
「試乗しなくていいんですか?」
「あちらさんは用途も使用法も訊く必要がないそうだ。なら僕も試乗など必要ない」
「貴方、ヘンなところで負けず嫌いですよね……」
「いいね、そういう趣向嫌いじゃないよ」
商談が決まったあとも、しばらくにとりの工房を拝見させてもらうことにした。
見ていると、アレもコレも欲しくなってしまうのが難点だ。
だがこれ以上、負けた気分にさせられる訳にもいかないので、入場料代わりにきゅうりを置いていくことにした。
森の中をバイクに跨り走ってゆく。振動は激しいが、運転は案外楽だった。
河童向けのため、多少サイズが小さいので立って乗る必要がある。
陽は傾きかけたばかりだが、これ以上暗くなると少々危険かもしれない。
だが、この速度で走れば、五里の道も一時間といったところだ。
「思ったよりも滑らかに動きますね。でもちょっと遅くないですか?」
「君と比べたら何だって遅いだろう」
文は後ろの荷台に、横を向いて座っていた。
この道具を記事にするつもりらしく、ご自慢の文花帖を開いて何やら書き込んでいる。
この振動の中、よく字が書けるものだ。
「ん?」
三十分も走った頃だろうか。バイクが動力を失い、止まってしまった。
「水切れか」
「ふむふむ、連続で二里半ほどしか走れない、と」
「長く走るときは、水を持ち歩かないといけないな」
幸い、紅魔湖までの道のりはずっと川沿いである。水補給には事欠かない。
「水で動くってのは安上がりでいいですね」
「水が安いなんて思わないで欲しいね。特に君はもっと水というものに、感謝するべきだと思う」
「はぁ……。それはどういう意味でしょう? 新暦の水無月だからですか?」
「さて、もう三十分、頑張って走ってくれよ」
「あっ、無視されました」
天狗は風、風は木行、そして河童は水行である。
一見、天狗が河童を守っているようにも見える両者の関係であるが、天狗も河童の恩恵を得て成長しているのだ。
そして僕も霖(ながあめ)。水である。
購読者として、執筆者として文を支えている構図は、正に水生木だ。
貸しなどと言わず、本来お返しするべき立場ではないだろうか?
――まあ、楽しい『デート』だったから、それは良しとしよう。
文といるのも、案外心地が良かった。
(続く)
要は面白いか否かだ。
そしてこの物語は面白かった。語るべくはそれだけで十分でしょう?
続きを楽しみにさせていただきます。
地球の円周から求めてたのはもう昔
ロケットベルトを作った河童はきっとアダムだなwww
香霖の普段の服ではバイクに似合わないが、作業着だとかなりマッチするな。不思議!
GJ!
文とのデートがみるべきところかもしれませんが、それよりもにとりの方が気になって。もっと出して!
どうしてこう普段使わない言葉がすらすら出てくるのか不思議w つい辞書片手に読んでしまう
でも水だけで動くとか夢があっていいよね。個人的にはもうちょっと空想の道具とかの話があったらより面白かったなぁ。
森近霖之助とにとりは接点が結構あるのに、
その割にはその手の話を見かけることが少ないので読むことが出来てよかったです。
河童の里やにとりの工房のやり取りが想像力を欠きたてられて
読んでてワクワクしました。
ああもう霖之助大好きだよ、霖之助!
感想くれた皆様、本当に有難う御座います。
>1
楽しんで頂けたようで光栄です。
実は最初は前後編にしようかとも思ったのですが、中途半端なので纏めたという感じです。
>2
外の世界では、光の速度を基準にしているのは知っていましたが、
より幻想郷らしい雰囲気を出すために、幻想になったメートル法で書きました。
メートル原器も香霖堂辺りに眠ってるかもしれませんね。
>3
>こうりんころす
ああ、最高の褒め言葉だ!
>4
はて…何のことでしょう
>5
中々プロットがまとまらず、書いてる最中に何度も変更した結果、
投稿ペースが大分落ちてしまいました。今後もペースが上がることは無いかもしれません。
しかし、完結まではしっかりと書いていきます。
>6 名乗ることができない程度の能力さん
このSSの妙な知識には、キバヤシ理論が十割近く含まれているので、お気をつけください。
>7
本物の彼等はこのSSの河童以上に危険ですよ。現実は幻想より奇なり。でしょうかね
>8
私は原付に乗った坊さんが未だに慣れません。
ああ、でも最近見なくなったかな。幻想入りしたのかしら。
>9
バイクというよりは、小さなカブみたいな原付っぽいものをイメージしました。
最高時速五里毎時くらいの。無縁塚って、香霖堂からどれくらい離れてるんでしょうかね。
幻想郷の端にあるそうだけど
>10
デートというよりは、珍道中がお似合いだと思ってます。
薀蓄は、できるだけ原作に似せようとしましたが、流石に無理だった…
>11
私も辞書を片手に香霖堂を読んでいました。霖で「ながあめ」とか、調べないと普通わかりませんね…。
>12
多分、よくわからない幻想の力で動いてるんじゃないでしょうか。
外見は似ていても、外の世界とは全く違う動力を使っているような感じで。
レトロなんだけど、例えばページの減らない手帖とか、隠れ蓑のような。
外の世界とは別のベクトルで発達し、優れているようなイメージがあります。
キバヤシ理論が成り立つ世界でしょうか。
もっと、道具は空想的にしたかったですね…。
想像力が足りなくて、外の道具と同じ名前を使ってしまいました。
>13
二人とも引き篭もりっぽいですからね。何らかの橋渡しがないと、中々絡めないのかも。
私は、山の妖怪達が好きです。文、にとり、椛の組み合わせはほのぼのしていて。
>14
激甘にすると、私が死んでしまいそうなので、この程度にしかなりません。
これでも結構死にそうだったけども
>15
最後のコラムは、実は最初に書き上げたものでした。
オチにつなげる予定だったんだけど、つながらなくなったので後書きに。
ある意味お似合いのカップルですなwww
バイクで二人乗りとかもう完全にカップルですねw
この二人の関係がゆっくり確実に進みつつあるのがたまりません。
そして木林近コラム吹いたwww
いつも感想有難う御座います。
そういえば、この話を書く時に五行について調べていたときに偶然知ったことなのですが
『青春』の語源も、木行に由来しているそうです。青と春はどちらも木行で、あわせて青春と。
他に、朱夏、白秋、玄冬がそれぞれ、火、金、夏というワケらしいです。
>18
既に進ませすぎちゃったような感じがしてたり。
天狗って、仲間と認めた相手には凄く優しかったり贔屓しそうな感じがします。