幻想郷の青空を一人の少女が駆けてゆく。誰よりも速く、忙しなく。
彼女の名前は射命丸文。烏天狗の新聞記者だ。
幻想郷の天狗の多くは、新聞製作を生業にしている。文もその一人だ。
天狗の新聞。それは新聞とは名ばかりの、根も葉もない噂や、面白おかしく脚色した話からできたゴシップの塊である。
それもそのはず、天狗にとって新聞製作とは、長く生きる上での暇つぶしの一つでしかないのだ。
故に、面白ければ面白いほど良い新聞である。事実かどうかは然したる問題ではない。
文の発行する『文々。新聞』は、天狗の新聞の中では数少ない、山の外の出来事を中心に取り扱う新聞だ。
山での購読者数は少なく、代わりに人里や天狗以外の妖怪が主な購読者となっている。
「―― ええと、次の配達先は、っと」
文が向かっている先は、外の世界の道具を取り扱う、風変わりな道具屋『香霖堂』。
そこに住む、店主の森近霖之助は数少ない『文々。新聞』の購読者の一人だった。
霖之助も店に負けず劣らずの変わり者である。容姿こそ二十代そこそこに見えるが、外見よりもずっと長く生きている。
外の道具を拾いに、無縁塚に向かう以外はあまり外にも出ない。日光を避けて暮らすことに詳しい専門家でもある。
――カラン
「毎度お馴染み、射命丸です。今日は新聞を届けに参りました!」
「ああ、いつもご苦労様。そこに置いといてくれ」
「はーい」
昼下がりの香霖堂に、やたら元気な声が響いた。
毎度の事ながら、新聞を配るのにそんな喧しい口上が必要なものなのかと、森近霖之助は思う。
それでも、来訪者の中では幾分マシな部類だった。用事が済めば長居はしないし、商品も買っていく。
大まかに分類するなら『客』である。妙な話だが、香霖堂には『客』とは呼べない来訪者のほうが多いのだ。
「おや? ご主人、何をお読みで?」
文は新聞を置くと、カウンターに座る霖之助のほうにやって来た。
どうやら、霖之助が読んでいるモノに興味が惹かれたらしい。
「ああ、これかい? 外の世界の新聞だよ」
「へぇ、どれどれ」
文は興味津々といった様子で、霖之助の横から新聞を覗き込む。
外の世界の新聞。記事の大半は幻想郷の住人には理解できないし、新聞紙以上の価値はない。
無縁塚に落ちているモノとしても、大して珍しくはないものだ。
霖之助も普段はそんなもの持ち帰らないのだが、この新聞は少し気になる見出しだった。
「外でも地震ですか。しかし、これは酷い有様ですね……」
新聞に掲載された写真には、無残に倒壊した家々や、道路を塞ぐ土砂崩れの様子が、ありありと写っている。
幻想郷でもつい先日、博麗神社が地震で倒壊するといった異変が起こったばかりだった。
霖之助が霊夢や魔理沙から伝え聞いた話では、神社に要石を挿したことにより、もう大きな地震は起きないという。
しかし、そんな人の思惑を遥かに超えて襲い掛かるのが、災害が災害たる所以である。
大事なのは日々の心がけなのだ。
人より遥かに長い歳月を生きる妖怪達はそれを知っていた。
「この、見出しの『M7』ってなんでしょう?」
「どうやら、地震の規模を数値化したものらしい。数値が高いほど大規模な地震というわけだ」
「うーん。大きさ7の地震と言われても、全くピンときませんね。こんな数字だけで、地震の大きさが解るのでしょうか?」
「僕にもさっぱりだが、こう、大々的に見出しに使うくらいだから大きいのだろう。天狗でも地震は苦手なのかい?」
「そりゃあ嫌ですよ、私達は山に住んでますからね。土砂崩れなんか起きたら大変です。そういうご主人の店も、ちょっとごちゃごちゃしてるし。少しは地震対策してはいかが?」
「壊れて困るようなものは店頭には置かないよ。地震があろうとなかろうとね。大切なものは奥できちんと保管してある」
地震の有無に関わらず、この店の店頭に商品を置くリスクは計り知れない。
そういえばそうねと、文も苦笑してしまう。
「それにしても、外の新聞って随分ボリュームがあるのね。大天狗様の新聞よりも大きいじゃない。それにこのブ厚さ…」
「それだけじゃない、これが毎日二回発行されているんだ」
「げー」
「購読者数は、数十万から数百万人らしい」
「うげげげ…って、それは幾ら何でも嘘でしょう? 毎日そんなに印刷していたら、紙が無くなっちゃいますよ」
「ああ、僕もそう思う。しかし、全くの嘘というわけじゃない。
その証拠に、ここ数年、幻想郷に舞い込む紙の量が増えたじゃないか。
恐らく、紙が不足した外の世界では、紙媒体に代わる新しい情報伝達手段を使うようになったんだ。
そう、例えばそこにあるコンピュータという式神は、紙を使わずに情報を集めてくるらしい。それも超高速でだ。
こいつが俊敏に動くなんて、外見からは想像つかないがね」
「この箱が…ですか? 翼も脚も見当たらないのに? どこかに隠しているんでしょうか?」
「そう思って分解してみたが、それらしい器官はなかったよ。半導体とかいう部品がゴチャゴチャと詰まっているだけだった。
情報を集める式神なら、君のような天狗の外見を模したほうがよく働くと思うのだが…」
「それもイヤですね…」
文は怪訝そうな表情でコンピューターを見ていた。
このコンピュータという式神が、機敏に動き回る姿を想像しているのだろうか。
それとも、自分そっくりな式神が外の世界を飛び交ってる姿を想像しているのだろうか。
どちらにしても、大変奇妙な光景なのは間違いない。
「私の新聞も、もっとボリュームアップすれば購読する人が増えてくれるのかしら?」
「君の新聞は今のままが一番いいと思うよ」
「ふふ、ありがとうございます。お世辞でもそう言ってくれる人が一人でもいると、嬉しいものですね」
「別に世辞のつもりじゃないんだがね。あることないこと、面白可笑しく脚色した記事で埋め尽くされるより、
内容どうでもいいが、今の君の新聞のほうがずっと良い。内容はともかく」
「……あはは、精進しますね」
―― 嗚呼、その余計な一言がなければなぁ……。そんな声が聞こえてきそうだった。
文もご多分に漏れず、噂が好きで、好奇心の塊のような性格をした、天狗らしい天狗である。
だが、『裏の取れない情報は記事にしない』という天狗らしからぬ信念を持っていた。
生真面目な性格故に、誰よりも真剣に『新聞記者』という遊びに取り組んでいるからだ。
そのため、文の新聞はつまらない。平和な幻想郷で、面白い出来事などそうは起こらないのだ。
つまらないことをありのままに書けば、つまらないのは至極当然である。
皮肉にも、『文々。新聞』が、天狗に売れない理由も、霖之助が購読する理由も、つまらないからだ。
「ボリュームアップといっても、記事を増やそうとは考えていません。これでも手一杯ですしね。でも、もう少しコラムとか、記事以外の部分を充実させたいとは思うのですよ」
「なるほど、例えば?」
「例えば―― ええと、そう、知り合いのとても暇そうな死神に、連載お願いしてみようかなと思った企画があるんですよ、題して恐符『来週の死者』!」
「……」
「あー、今のは冗談ですから、本気にしないでください。……実のところ思っていただけで、いいアイデアが浮かびません」
「『幻想郷名所案内』はもうやらないのかい?」
「あれはもうネタ切れです。それに、できれば新しいコラムは、私以外の人に執筆してもらいたいのです。新聞に新しい風を吹き込むためにも」
文は腕を組んでうーんと唸りながら、考え込む仕草を見せる。そんな文の様子を、霖之助は腕を組みながら眺めていた。
ああでもない、こうでもないと呟きながら悩む。
そんな様子を眺めていると、文がどれだけ新聞に入れ込んでいるかが窺えるだろう。
―― ふと、文との霖之助の目があった。
そして、文は何か閃いたとばかりに、笑顔を見せ、手をポンと叩いた。
「私としたことが、目の前の方のことをすっかり忘れていましたわ」
ああ、どうして気付かなかったんでしょう、と文は続ける。
何を閃いたのだろう? 霖之助は腕を組んだまま、文の次の言葉を待っていた。
「ご主人、『文々。新聞』でコラム書いてみませんか?」
放たれた文の言葉は、霖之助の予想外だった。
「僕が?」
「そう、貴方のコラムです」
文は力強く言った。
「色々聞き返したいことはあるんだが…。僕にどんなコラムを書いて欲しいんだい?」
「何でも構いません。日光を避けて生活する専門家としての見解でも、道具に関する薀蓄でも、ご主人の思ったことを書き連ねてください」
「……そもそも、どうして僕なんだい?」
「ご主人が博識で、語りたがりだからですよ」
霖之助はどちらかというと、人付き合いの悪いタイプである。
人里離れた魔法の森に住んでいるのも、喧騒が苦手だからというのが一つ。
なのに、一度語り出すと止まらないという変わった性格の持ち主でもある。
「いつもの語り口でコラムを書けば、きっと長く連載できますわ。今の購読者層にもぴったりですし」
「しかし、僕はコラムの執筆なんてしたことないよ」
「あら、いつも日記を書いてたじゃないですか。中身は見たことないですけど」
「あれは歴史書だよ。日記やコラムのような、主観的なものじゃない。できる限り客観的に見た幻想郷を日々書き留めたものさ」
「うふふ、その歴史書の出版をお考えなら、私はお役に立てるんじゃありませんか?」
「む……」
乗り気でなかった霖之助の顔が僅かに歪んだ。
「すぐにお返事していただけるとは思っていません。気長にお待ちしていますね」
では、まだ配達がありますので。そう言って文は香霖堂を後にした。
残された霖之助は、自分が書いた『歴史書』を読み返すことにする。
まだ、とても出版するほどの量はたまっていないが、文が予想した通り、霖之助は『歴史書』をいつか出版したいと考えていた。
幻想郷で出版の技術を持つのは天狗だけだ。コネがなければ出版することなどできない。
コラムの執筆をすれば、この『歴史書』の出版を手助けしてくれるという事なのだろう。
―― それにしても、天狗ってヤツは本当に狡猾で抜け目がない…。
次の週、新聞配達にきた文に、霖之助は連載の承諾を伝えた。
(続く)
なんだか甘そうなニオイが文文してきますね。続きを期待してます!
続きぜひがんばってくださいね
第一話ってにおいがぷんぷんしました。
登場人物の文、霖之助の二人でスムーズに会話文や地文が流れていくので読みやすいです。
本文の『日光を避けて暮らすことに詳しい専門家でもある。』は何に詳しいんだ!と思ってしまいましたが(笑)
続きはまた>>1000をとったらよろしく…?
読んでいて疲れないし頭にしっかり入ります。
では、続きを読んできます。