私は暗い部屋で頬杖を突いていた。
それはもう机と肘がくっついてしまうんじゃないかっていうくらい長くそうしている。
ときおり、思い出したように背中の羽根を動かす。
そうしないことには彫像と間違われそうだ。
この国に渡ってきて、一番嫌いなのはこの季節だった。雨ばかりが飽きずによく降る。
雨が降らない日は、本番前の予行演習みたいな気負いで太陽がかんかん照りつける。
この季節は晴天と雨天しかない。雨の降る雨天と雨の降らない雨天だ。曇りの日はない。
あの分厚くまっ黒な雨雲は、薄曇りの日の心地良い無関心さとは全く違うものだと私は思う。
ロンドンの曇り空が懐かしい。ロンドン行ったことあったっけ、まあいいや。
梅雨の終わりは夏の始まりでしかない。そのことも私の気分を真下へと投げ落とす。
何かひとつ嫌な出来事があるとして、私がもっと嫌なのはそれを待っている時間だ。
私はカーテンを開ける。ついでに窓も開け放つ。濃灰色の雲が相変わらず低く立ちこめている。湖と山と黒い雲。鍋に蓋をされたみたいだ、と私は思った。太陽は蓋の取っ手くらいの位置にぽつんといる。このくらいの光なら外出には何の問題もなさそうだった。さあさあ降る雨さえなければの話。
「お嬢様、あまり乗り出すと濡れてしまいますよ」
階下の地面から声をかけてきたのは美鈴だった。小さな花柄の傘から顔の半分を覗かせてこちらを見上げている。もう片手にはじょうろを握っていた。じょうろ?
「ねえ、あんた雨の日に水を遣る気?」
美鈴ならやりかねないな、と私は心中思った。
「いえ、これは」
美鈴は手元のじょうろをちょっと見た。
「肥料です。水に溶かした」
ふうん、と私は言った。美鈴の後ろの植え込みには真っ青なあじさいが咲いていた。いつの間にか美鈴が植えたのだろう。私は記憶にあるピンク色のあじさいの花を思い浮かべる。紅魔館ならあじさいも紅くあるべきじゃないかとふと思った。
「美鈴」
雨が少し強くなってきた。二階の私は少し声を大きくする。
「咲夜はいつごろ帰ってきそう?」
その時、軒のどこかを伝ってきたのか、水滴が私のうなじに当たった。一滴なので体には何の影響もないが、ただ冷たい。私は高い声を上げ、びくりとした弾みで帽子が下へ落ちた。
白い帽子は逃げるような速さで下に落ち、音もなく地面でかたちを変える。美鈴が傘を捨てて駆け寄っていたが、間に合わなかった。肩を落とすのがここからも見えた。私は構わないという風に軽く手を振る。美鈴は手近なメイドを呼び、私の帽子を手渡した。洗っても、と私は思った。当分乾かないかもなぁ。
美鈴が再び私の方を見上げ、「夕方だそうです」と言った。
咲夜に頼んだのは簡単な伝言だった。夕方までかかる仕事のはずはない。結構。たまには分かりやすい形でサボってくれた方が私としても気が楽だ。咲夜がいつ休んでいるのか、私がちっとも把握できないのは問題といえば問題である。
もっとも咲夜のことだから、私の気のことまで考えてわざとサボっているに違いないのだが。
「ずいぶん長いのね」
私は一応不機嫌そうにそう言ってから窓を閉める。
一度体を動かすと、また椅子に座る気にはならなかった。パチェでもからかいに行こう、と私は図書館へ足を運ぶ。
――ついでに紅いあじさいの咲かせ方でも聞いてこよう。
今日のテーマは、「吸血鬼の庭のあじさいは何色であるべきか」。
テーマでもないと暇すぎてやりきれない。
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神社に白玉楼のような庭はないが、それでも私は縁側から眺める景色が好きだ。もっとも、お茶がなければ嫌いになるかもしれない。
「雨の音っていいわよねぇ、咲夜?」
言われた当人は、縁側に繋がった座敷の畳で横になっている。心持ち肘と膝を曲げ、枕もなしにすやすやと寝息を立てていた。ちょっと拗ねたような寝顔だ。
「まだ寝てるぜ」
呆れたように隣の魔理沙が言った。
「人の家にいきなり一人で来たと思ったら、何も言わずに寝るとはな。傍若無人だ」
他人のことが言えるか、と私は思った。ぶらりとやってきたと思ったら、魔理沙はかれこれ一週間ここに泊まっている。森の湿気はうんざりするとかなんとか理由をつけて。
来てから半刻寝続けている咲夜と比べると、魔理沙の傍若無人さは、実に百六十八倍。そう考えると咲夜の振る舞いも許せるから不思議だ。私はとても寛容な気分になる。
「疲れてるんでしょ」
私がそう言うと、魔理沙はごろんと上体を倒した。
「まあ、お前の家だしな。寝かしておけばいいさ」
庭の梅の木の根本には、いくつもまるい梅の実が転がっている。私はそれで梅酒と梅干しを作ろうとする。今年はジャムも作ろうか。
「あんたも寝るの?」
魔理沙は頭の後ろで両手を組み、目をつむっていた。
雨だからな、と魔理沙が言う。「退屈なんだ」
「分かってないわねぇ」
私はそう言って笑った。そのうちに魔理沙も静かな寝息を立て始める。魔理沙は、一言で言うなら、角がとれたような寝顔をしている。私は少し笑う。
静かな雨音、眠る二人、熱くて苦いお茶。
梅雨。
悪くない、と私は思った。
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「暇そうね」
椅子に前後逆に座り、背もたれから身を乗り出す私を見てパチェが言った。このまま前後にぎこぎこと椅子を動かしてみたかったが、やめにした。ずっと昔にそれでつまらない怪我をした覚えがある。
「うちの庭だけでいいから、去年みたいに雨を止められないの?」
私が言うと、パチェは片手を本から放して書斎の片隅にある得体の知れない装置を指さした。
「調子が悪いの」
そう言われると私としては納得せざるを得ない。どこの調子が悪いのかすら分からないほど、その装置は得体が知れなかった。巣穴を掘る最中のカモノハシにどこか似ている。私はふうん、と一言言った。
私がそれっきり黙ると、雨の音とページを繰る音だけがした。私も一緒に本を読みたくなるような静かさだった。私は小悪魔を呼ぶ。
「園芸の本を何か持ってきて頂戴」
例のの件はパチェに聞けば一発なのだが、それでは暇つぶしにならない。
「園芸ですか。けっこう幅が広いですよ」
花言葉を媒介にした呪術から、ヤマユリの家庭栽培まで、と小悪魔が言った。
「あじさいの本」
それだけ私が言うと、小悪魔はかしこまりました、と芝居めいたお辞儀をして書庫へ歩いていった。歩幅はゆっくりなのに、ふと気がつくとずいぶん遠くにいる。そんな歩き方を彼女はした。迷宮めいた本棚の壁を何度か行き来したと思ったら、すぐに小悪魔は五冊ほど本を抱えて戻ってきた。
「あじさいの魅力と楽しみ方」
「園芸綱目」
「Enciclopedia Ortensia」
「旅風景五月号 あじさいホテル特集」
「詩集 紫陽花」
「いま目についたのはそのあたりです」
小悪魔はそう言って笑顔を見せた。とにかく雑多な本である。私は本を適当に手に取り、膝の上に広げた。パチェは腰を据えて本を読む意気込みの私を意外そうに見ている。
私が一度ぱらり、と音を立てる間に、パチェは二回も三回もぱらりとやった。小悪魔が紅茶を二つ置いて出て行った。彼女は自分の部屋で本を読むのだろう。
――あじさいの色は土壌の性質によって決まります。酸性の土では青いあじさいが、アルカリ性の土では赤いあじさいが咲きます。欧州ではほとんどがアルカリの土壌のため、ピンクのあじさいが一般的です。
私はううむと考え込んだ。吸血鬼の庭のあじさいは何色であるべきだろうか。
レミリアAが言った。
「ここは日本だ。ならばあじさいがピンクという観念は捨て去るべきだ」
レミリアBが反論する。
「いや、伝統を捨て去るには忍びない。伝統の固持こそが吸血鬼の本質だ。ジャパネスクな青いあじさいなど不要である」
もとから吸血鬼にあじさいなんてイメージはない、とレミリアAがやり返す。「バラのトゲでも指に刺して泣け!」
泣かないもん!とレミリアB。「そっちが泣け!」
どっちでも良いよ、とレミリアCが言った。「景観で決めよう」
AとBは議論の続行が不可能だったので、私はCの意見を取り入れることにした。
私は壁の鏡をちらりと見た。そう言えば帽子を落としたのだった。今ごろ私の帽子は洗濯桶の中でじゃぶじゃぶやられているに違いない。
私は。紅い壁の色と、茶色い泥と、濡れた葉っぱと、あじさいの青い花を想像してみる。コントラストとしてはこの方が良さそうな気がした。
「ねえパチェ」
とりあえず専門家の判断も聞いてみることにしよう。そうでなくて何のためのパチェか。
「何?」
「あじさいの色は何色がいい?」
「紫」
私は頭を抱えた。
「どっちかっていうと、青に近い紫?」
「どっちかというと青に近い紫」
すがるように聞くと、パチェは眠そうな目で私の髪の色を見てからそう言った。
結論が出たので、小悪魔にあじさいの本を片付けてもらい、適当な物語を何冊か持ってきてもらう。書斎の高い位置に切ってある窓からは門柱の基礎と青いあじさいが見える。それから膝の本に目を落とし、役にも立たない知識で時間と頭の隙間を埋める。
「毎日が咲夜のいない雨の日だったら、私もパチェみたいになりかねないかな」
そう言うとパチェはくすっと笑った。おおかた、眼鏡をかけて机にしかめっ面で向かう私でも想像したのだろう。そのときノックの音がして、小悪魔が湯気の立つ皿を持って入ってきた。
「昼食をお持ちしました」
「ちょっとパチェ、今は四時よ?この時間にお昼を食べるの?」
「じゃあ夕食で」
シソとツナを和えたパスタと、豆とベーコンの煮込み。パスタの量はそんなに多くないので、どちらかというとツナとパスタを和えたシソみたいに見えた。パチェは手を合わせていただきます、とぼそりと言う。
私はここにくる直前に厨房でつまみ食いをしただけだった。ちらちらと皿に目を向ける私を小悪魔はちょっと悪魔的な微笑みを浮かべて見ている。
「よろしかったら、何かお持ちしましょうか?」
私の注文を聞いて、小悪魔はてってと厨房に走っていった。
パチェに私の注文は聞えていなかったらしい。本を片手に、豆を2,3粒ずつ口に運んでいる。
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「あんたたちが寝てばかりだったので」
二人は似たような眠そうな表情でちゃぶ台に座っている。
「ご飯がこんな時間になりました。さて、意見は?」
「お腹が空いた」
寝ぼけたことを抜かす魔理沙の額に私は陰陽玉を投げつけた。ぼっこんと間抜けな音がした。咲夜は状況が分かっていないのか、魔理沙をちらりと見たあと、「ごはんまだ?」と崩れた茶碗蒸しみたいな声で言った。咲夜にも投げつけてみると、やっぱり似たような音がした。
「起こしてくれたらいい話じゃない」
不満げに咲夜が言った。すっかり目は覚めたようで、いつもの切れ長な瞳が少し怒りの色を帯びている。陰陽玉のせいで額が赤いし、頬には畳の跡もついているのでどこかダメな人の匂いがした。
「全然起きなかった」
私はいなすようにして汁の椀を咲夜に手渡した。さすがにそれ以上は何も言ってこなかった。飯びつは私の手にある。
「疲れてたのか?」
魔理沙が聞くと、咲夜はあいまいに笑った。
「昨日は一日36時間労働。フラン様のお相手がその大半ね」
「それで、お使いにかこつけてサボっていたわけ?」
「ええ」
妙に堂々としたサボりもあったものだ。咲夜はぱくぱく飯と厚焼きと漬けものと汁を口に運ぶ。魔理沙も負けじとよく食べる。気がつくと、四合の米と明日の朝までを見込んで作った汁がなくなっていた。
「ところで、なんでサボり場所が神社なんだ?」
「それは…」
咲夜は一瞬あごに手を当て、顔を上げて言った。
「リラクゼーション効果がありそうだったから」
「この神社にはリラクゼーション効果が期待されます、と」
魔理沙が語感を確かめるように繰り返した。
「お前んちは滝とか岩盤浴とかそういうのか?」
「違う」
私は即答する。違う。
「というのは冗談で」と咲夜が言った。魔理沙がまた口を挟んだ。
「この神社にはリラクゼーション効果が期待されます」
そしてこう付け加えた。「というのはガセ」。
「お前んちは滝とか岩盤浴とかそういうのより下なのか?」
「違う」
私は即答する。違うと思う。
咲夜がずずっと残りの汁をすすり、ぽきぽきした威勢の良い音を立てて沢庵を一切れかじった。このメイド、和食も和食で様になるから不思議だ。それから一度咳払いをして続けた。
「でね、お嬢様の伝言。今晩晴れたら、暇だから紅魔館に来なさいって」
私と魔理沙はふと黙る。気がつくと雨音は止まっていた。霧のような細かい粒が風に吹かれて右往左往している。空は白みを帯びてきた。
「何をするの?」
私が聞くと咲夜はにやりと笑った。
「それを皆で考えるのよ」
私と魔理沙はため息をついた。
「宴会じゃだめか?」
「何か他のことがしたいって」
私はぼぉっと庭を眺める。木立の向こうに、人里の外れの家が小さく点々と見下ろせた。あとは一面の田んぼが、白灰色の空を映して広がっている。雨音の代わりに、蛙の鳴き声が風に乗るように聞えてきた。この時期は夜になれば田の水面を照らすみたいに――。
「蛍狩り」
私はそう呟いた。
それいい、と咲夜がこころもちはしゃいだような声で言った。
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「お願いだからレミィ」
ようやく半分くらいに減ったパスタをくるくる巻き付けながらパチェが言った。
「ここでそんなものを食べるのはやめて」
私は頓着せず、ぱくぱくと糸を引くそれを咀嚼する。おかずをつまもうとして、私の箸は空中で止まった。豆とベーコンの煮込み。控えめに考えても、それは納豆ご飯に合いそうもない。
「あー、お味噌汁欲しいな」
「私が発狂する。味噌の匂いが漂う図書館なんてご免だわ。ああもう、納豆もひどい匂い。髪に匂いがつきそう」
パチェが少しヒステリックな声を出す。
「ああ、パチェ和食嫌いだっけ。そういえば」
そうよ、苦手なの、発酵させたやつ、とパチュリーはつぶやき、またフォークをくるくると回しはじめた。視線は皿の上で止まっている。どうやら納豆を直視したくないらしいな、と私は察した。
「とりゃ」
「ひあぁんっ?!」
いきなり目の前に納豆をつまんだ箸を突き出してみると、面白いくらいの反応が返ってきた。この適応性のない友人に、ニッポンの食文化をぜひ味わわせてみたくなる。
小悪魔が茶と水差しを持って入ってきた。
「…何をなさっているんですか?」
「嫌がるパチェに納豆を食べさせようとしている」
右手に箸、左手に茶碗を持ったまま私はパチェを組み敷いていた。塞がった両手の代わりに羽根でパチェの体をくるむように押さえている。パチェは涙目で私を見上げた。ちょっといじめたくなる表情だ。
「嫌がっているならやめてあげて下さい」
「納豆には栄養が」
「ダメですって」
食事が終わって、時計を見ると五時半を少し回っていた。そろそろ咲夜も帰ってきそうだ。上手い具合に雨も上がっている。ようやくこの長くて単調な一日にヤマがくる、と思うととたんに時計の進みが遅くなった。
五時三十五分。
「ねえねえパチェ」
「何?」
「納豆ってどうやって作るの?」
「知りたくもない」
取り付くしまもなかった。明日あたり、咲夜に焼き菓子を差し入れさせないと当分このままだ。
私は本を閉じてまた時計を見上げた。五時三十七分。このままだと、五時四十五分あたりで時計が動かなくなりそうだ。油断すると逆に進み出すかも知れない。
「外に行ってくる」
私はそう言ってパチェの書斎を出る。
出ても何もすることはない。屋敷の中をうろうろと歩いてみたが、部屋ごとに目に入る時計はちっとも進んでくれない。仕方なく私は、時計を見なくて済むよう庭に出ることにした。舗装された散策路に沿って歩けば水たまりはないだろう。
晴れていればまだ明るい時間だが、今日はもう夕方の気配が濃い。思い出したように軒から落ちるしずくが、ぴと、ぴと、と音を立てる。そういえば外に出るのは久しぶりだった。何となく、跳ね回ったり飛んだりしてみる。
時計台を背にして屋根の縁に腰掛けた。これなら絶対に時計を見る心配はない。
黄色みを帯びた西の空はだんだんと東に行くにつれ暗くなる。湖はそっくりその灰色の色調を映し込んでいた。庭の一角で、美鈴がまだじょうろを持って歩いている。どうも幻想郷というのは、門番と庭師の区別が曖昧すぎると私は思う。おーい、と声をかけると美鈴はこっちを見て控えめに手を振った。私はそれで満足した。全てこの世は事もなし。
振り返ると、時計の針はもう六時をだいぶ過ぎている。
お嬢様、と今日久々に聞く声がした。
「天狗みたいで行儀が悪いですよ」
違いない、と私は地面に降りる。咲夜にあじさいを自慢しようかと思ったが、やめた。この瀟洒ときどきスットコドッコイはあじさいをお茶にしかねない。毒が入っているとさっきの本には書いてあった。
「ずいぶん遅かったじゃない」
「申し訳ありません、探すのに手間取りまして」
「…神社を?」
「いえ」
私は庭の芝生にいる霊夢たちを見た。魔理沙がいるのは予想通りとして、もう一人。
「おや、確かいつぞやの」
「リグルよ。リグル・ナイトバグ」
「なんで?」
「こっちが聞きたい」
よく見ると、後ろ手に霊夢のお札が手錠みたいに絡まっている。今夜の趣向はひょっとすると「ふくろだたき」であろうか。確かにストレスは溜まっているので面白そうではある。私は恥じらうようにしなを作った。
「あんまりバイオレンス沙汰は…ちょっと…。でもどうしてもっていうなら…ねぇ?」
爪をぎらりとさせると、リグルは面白いくらいにすくみ上がった。
「理不尽よ!」
確かに。
「あそこがいいかしらね」
霊夢がそう言って、庭の隅の小さな流れを指さした。
「ね、頼める?」
リグルはしばらく憮然とした顔で霊夢を見ていたが、小さく息を吐いて頭を振った。
「これほどいてくれる?」
「はいはい」
霊夢がリグルの後ろに回って戒めを解くと、リグルは一度伸びをして、さっと右手を挙げた。どういう構造かは分からないが、虫の幽かな鳴き声のような音が辺りに響いた。
ぽっと音が聞えたような気がする。
蛍が一匹、唐突に水辺で光りはじめた。緑色の光はふよふよと飛ぶと、瞬くように消えた。次にまた光ったとき、光は二つになっている。水の上まで飛んでくると、像が映って光は四つになった。しばらく眺めているうちに光はどんどんと増え、水辺はそこだけが薄緑色にぼんやりと照らされているようになった。どれが本物の蛍で、どれが水に映った蛍なのかも分からない。
「あんたさ」と霊夢が言った。「これバイトにすればいいのに」
「こんなのが面白いの?」
理解できない、という風にリグルが肩をすくめた。蛍が一匹、水辺から離れて私の方へ飛んできた。私が手を伸ばすと、光はそれから逃げるように身を翻し、庭の花壇に腰掛けていたリグルの肩に止まった。満足げな明滅だった。
私たちは流れのそばに、デッキチェアーとテーブルを運んだ。
魔理沙が神社からくすねてきたらしい団扇を並べ、ちょっとした夕涼みのようになった。
「おみやげ?」
私は霊夢が持ってきたその透明な瓶を見る。霊夢がおみやげ?
その怪しい品を振ってみようとしたら慌てて霊夢が止めてきた。
「ラムネだから」
青みがかった瓶の外側は滴が浮かび、中では小さな泡がひっきりなしにぶくぶく立ち上っている。どんな味かは知らないが、涼しげな見た目は気に入った。ビー玉が鎮座するようにひとつ瓶の中に入っていて、私にはそれが気になってしょうがない。
霊夢がラムネを一本ひょいと持つと、水辺に腰掛けていたリグルにお礼よと手渡した。リグルは受け取ろうか迷っている風だった。
「不満?」
「あと二本。ルーと、ミスティの分」
霊夢は笑いながら三本のラムネをリグルに渡した。
リグルは満足げに礼を言ってどこかに飛んでいった。
私たちは腰掛け、蛍を眺め、ラムネを飲む。
夏の湧き水がこういう味だったらみんな喜ぶに違いない。
薄い雲がときおり裂け、そこからまだ浅い星空が見える。東の山が黄色く光っているのは裏に月があるからだろう。月明かりの下で蛍を見るのが待ち遠しく思える。
私は咲夜に、門番と図書館の居候を呼ぶように伝えた。咲夜は頷くと、トランプを残し溶けるように消えた。私はそれを見て満足する。能力を無駄遣いできる程度に休んできたらしい。
「明日は曇りだそうだ」
星空を眺めながら魔理沙が言った。
いいね、と私は手元のビー玉を見ながら答えた。ふと視界の左端に緑の光が見えると思ったら、肩に蛍がとまっていた。
「ねえ、霊夢」
ん?と霊夢がこっちを向く。
「梅雨って好き?」
霊夢は瓶をテーブルに置き、少し考える素振りをした。
「悪くないと思うけど」
同じ意見ね、そう言って私は笑いかける。
まのちひろさんの描く、なんということのない日々の営みがとても愛しいです。
そういえば最近、初めて蛍を見たな。
素敵な幻想郷の一日をありがとうございました。
ともあれいい雰囲気の幻想郷ご馳走様でした。
それにしても、ラムネが飲みたくなってきた。今から買って来ようかなー?
吸血鬼にも梅雨を楽しく過ごしていただきたいものです
紅、紫、青の紫陽花に蛍が止まったら、とても綺麗な花が
見れるでしょうね。彩りのある作品をありがとうございました。
納豆に怯えるパチュリーもいい感じでした。
丸まって寝転がってる咲夜さんを想像して悶えました。
吸血鬼って鏡にうつらないんじゃ(ry