「どうすれば」
冥界の庭師は剪定をしながら呟いた。
「どうすれば幽々子さまは食事の量を抑えていただけるのだろうか」
魂魄妖夢は考えた。幽々子の食事の量が突然増えた。
それも花の異変のときから特に、だ。そのおかげで白玉楼の財政状況はピンチに陥っていた。
このままでは幽々子の食事どころか自分の食べるものまでなくなってしまう。
「みょん……」
考えて悲しくなった。うな垂れたせいで桜の枝を間違えて切った。
それよりもなによりも閻魔から下界へ干渉するのは控えろ、と言われている。宴会のとき以外は下界へは降りないことにしている。
最悪、食事がなくなったとしても宴会の席へ招かれれば何とかなる。仮にも自分は半人半霊、人間よりは丈夫にできている。数日の食がなくとも耐えられる。
こうなったら他人の家より食料を譲っていただくか。否、そんな泥棒の真似事など魂魄の者として断固してなるものか。
幽々子さまのご友人である紫さまを頼るか。だがいつまでも頼りにするわけにもいかない。
何か、何か打開策を考えねば。
「おおい」
階段の下から誰かがやってきたらしい。
妖夢は一時作業を中止してそちらを見やった。
「? ああ、あなたは確か彼岸の……」
「小野塚小町だ。久しぶりだねえ、確か妖夢だろ?」
彼女は死神の証である鎌を肩に担ぎながら笑った。
「何か用事ですか?」
「いんや、いつもどおりぶらぶらと歩いているだけでさぁ。ところで妖夢、あんた今にも死にそうな顔しているね」
「これから先の私を想像したら気が滅入ってしまって……」
間違いなく全身が全霊になっている妖夢がいる。お師匠様、妖夢はもうダメかもしれません。
この魂魄妖夢、西行寺家を守る庭師として粉骨砕身のかぎり奮迅して参りましたが幽々子さまの悪食が治る気配は一向にありません。
お師匠様、あなたは幽々子さまの悪食に呆れて御家を出たのですか。それとも妖夢に試練を与えるためですか。
妖夢にはわかりません。幽々子さまに差し出す食事の量には限度があります。どうすれば幽々子さまに満足頂けるのでしょうか。
「先? 先って妖夢の場合、全身全霊になるだけだろう?」
「実は……」
かくかくしかじか。妖夢は小町に白玉楼の食糧難について打ち明ける。
「それはまた難儀なことで。しかし映姫さまの教えを律儀に守るこたぁないよ、流れゆく日々のなかで少しずつ重ねていけというだけで絶対守れとか強制しているわけじゃあない」
「はぁ………ですが私は冥界の人間ですし」
生まれというものだけは変えることができない。
輪廻転生の輪の中で人間が生まれ出る場所というものはすべて偶然、よって妖夢が冥界にいるのも偶然の一つでしかない。
生まれによって束縛されることもある。しかしそれを受け入れ難いのも事実。
要するに妖夢はとっくに揺らいでいた。幻想郷にありながら下界の人間たちと触れ合えない、あまりにも限られた我が身を呪いつつもあった。
もちろん庭師としての役目が一番である。だが庭師として果たすべき仕事もなくなって縁側に座り、呆として空を見上げるとき思うのだ。
――――なぜ私なのか、と。
自分は人間と幽霊の中間に立っている。だから冥界にも出入りできるし、現世でも当たり前のように生きられる。
それがいけないことなのだ、と閻魔―――――四季映姫ヤマザナドゥは言う。
彼女は冥界にあるべき存在は冥界にて務めを果たし、それにより自らの行いを戒めよと妖夢に言い渡した。
主―――――西行寺幽々子もおおよそ閻魔と同じことを言ったが、地上を降りること止めはしない。
むしろ頻繁に降りているのは主のほうで、妖夢はそれに付きあわされていることが多い。
もちろん妖夢が現世の霊を斬ることはなくなった。罪を抱える霊を成仏させることが悪いことであることは妖夢も十二分に理解した。
だが、在り方はとっくに揺らいでいる。毎日、それは息が詰まるほど毎日考え続けた。
答えは――――――まだ手にない。
「いいですね、小町さんは」
「あん?」
「自由で」
霊夢も、魔理沙も、同じ従者である咲夜や鈴仙でさえも住処を離れてどこへでも自分の意思で行ける。
妖夢は―――――どこへも行けない。
主の命がなければ下界へも降りられない。主が行かなければ誰かと会うこともない。静かで陰鬱な毎日。
飽いたわけではない、ただ寂しい。
白玉楼は幻想郷の空の上。そのうえ普通の人間が来るには厳しいため宴会の場所としてはあまり好まれない場所。
そのうえ庭師以外の取り得がない自分に誰も会いに来るはずもなく、けれど不器用な自分に何ができるわけでもなく。
主には虚仮にされ、閻魔には釘を打たれ、他人には必要とされない。
妖夢には――――――寄るべき場所がない。
人と上手く話せるほど饒舌ではない。冥界の空気と同じ暗い、明かりのない灯籠みたいな存在。
宴のときも気がつけば自分の周りには誰もいない。
本当に妖夢には主しかいない。主以外、妖夢を呼んでくれる人がいない。
もちろん従者としては喜ばしいことである。それでも時折、心に隙間風が吹く。
痛く、冷たい、針のような風が。
「じゃあ自由になればいいさね」
「そんな簡単に……」
「簡単さ。だけど縛鎖から逃げたあとのしっぺ返しはかなり痛い。あとは自分にどれだけ責任が持てるかだね」
「逃げることなんてできません!!」
逃げるなど最低の行為、恥ずべき行為である。
無責任で身勝手で、妖夢にとって何かから逃げるということは絶対にしたくないことだった。
そんな妖夢を小町は落ち着くようにと手で制し、うーんと腕を組んで何かを考える仕草をする。
視線をどこかへと彷徨わせた後、ようやく小町が口を開いた。
「悩みとかいて剪定と説く」
「? ……その心は?」
「無駄なものは切り捨てる。なんとなく妖夢っぽいだろ?」
「帰ってください」
現実は甘くないというのは妖夢自身がよく分かっている。切り捨てられる悩みならとっくに切り捨てている。
「わかった、帰るから楼観剣は収めてくれ。ああでも、帰るまえにひとつだけ」
「何ですか」
「そこまでして悩むほど下界に会いたい人がいるのかい?」
小町の質問に妖夢はわずかに顔を伏せた。
わずかな恭順ののち、妖夢はまっすぐに小町の顔を見て。
「……はい、います」
「そうかい」
本当に聞きたかっただけなのか、小町は背中を向けると「それじゃあ」とひらひらと手を振りながら去っていった。
◆
悩むこと、迷うこと、決めること。そしてまた悩みに陥る。
人生とは苦難と選択の連続でありその途中で後悔することもある。だがその途中、極稀にどちらを選んでも苦しい選択が迫られることがある。
俗に、ダブルバインドと呼ばれるものである。
妖夢にとっての苦しい選択肢はいつもどおりの生活と、閻魔の教えを押し切ってまで下界へ降りること。
いつもどおりの生活をすれば問題がないように思えるが妖夢にとって会いたい人物に会えない心苦しさがある。
下界へ行くことをすれば会いたい人物に会える代わりに閻魔の教えを破り、西行寺に仕えるものとしての役目を損なうことになる。
彼女にとって会いたい人物と宴会で会えることには会える。しかし酒の席だからか相手と二人で話すことはなく、妖夢も主の身の回りの世話で大変だった。
ゆっくりと話す機会は一向に訪れず、それならば自分から会いに行こうとしたところで閻魔の説教を受けた。
それにより妖夢の心苦しさは増した。止められないため息をつかない日がないくらいに。
きっとそれは、自分のせいだと幽々子は思っていた。
「………ままならないものね」
小町と妖夢のやりとりを彼女は木の陰から聞いていた。
昼食を終えてから自室で書に励んでいた幽々子だったのだが筆が進まなくなり、茶をもらおうと妖夢を探していたところ、ため息をついている妖夢を見つけた。
いいところにいた、と声をかけようとしたのだが小町が現れた。
これは妖夢の悩みを聞くチャンスではなかろうかと考えた幽々子は二人に気取られぬように声が聞こえる距離までこっそりと近づいた。ここまではよかった。
ところがすでに会話は終わりかけており、最初に聞いたのは妖夢の「小町は自由で羨ましい」という言葉。
肝心の悩みが聞けなかったのでは意味が無い。無駄足になるかと思われたとき、幽々子は小町と目が合った。
ちょうど妖夢が「逃げることはできない」と叫ぶほどの真剣さに、答えに困った小町が幽々子を見つけたのだ。
そして彼女は妖夢に見えないように片目でウインクをして、去り際に妖夢の悩みの核心に触れた。
『そこまでして悩むほど下界に会いたい人がいるのかい』
まるで幽々子の代弁をしてくれたかのような質問。
会いたい人。妖夢が切なくなるほど会いたいと思っている人。
そして妖夢は頷いた。戸惑いながら、しかし間違いはないと。
「世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛びたちかねつ 鳥にしあらねば」
今度小町に会ったときにお礼をしなければと思いながら幽々子は歌を口にする。
この世をつらく、身も細るような気持ちがするけれど何処かへ飛び去ることはできない。なぜなら鳥ではないのだから。
まるで今の妖夢の心境を表しているみたいで、幽々子はさらに胸を締めつけられた。
「良い主でいるのも、難しいことね」
静かにその場を立ち去る幽々子。
その背中はひどく悲しそうであった。
◆
数日後の朝食のあと、幽々子は妖夢を呼び出した。
「美味しい外の食材を手に入れたからって紫に呼ばれたの。そういうわけだから一日、あなたに暇を出すわ」
「はぁ。あの、それでどうして私だけ呼ばれないのでしょうか」
「あら、妖夢だけじゃなくて藍と橙も暇を出されたわよ。今日は紫と二人だけで飲み明かすの」
なるほど、と妖夢は納得した。
主とマヨヒガの大妖怪は大が付くほどの親友で、仲良く雑談をしている姿を見かけることも珍しくない。
それに自分だけでなく紫の式神たちにも暇が与えられたというのならば、自分に暇が与えられるのも道理。
「そうですか。わかりました、ではお言葉に甘えて暇を頂きます」
「はいはーい、いってらっしゃーい」
妖夢は主に礼をすると部屋を出て行った。
そして妖夢の気配がしなくなった頃、隙間が現れてひょっこりと紫が顔を出した。
「これで良かったの?」
「いいのよ。それよりいきなり頼んで悪かったわ、ありがとう紫」
「まあ、友人として当然のことをしたまでよ。それよりも妖夢が誰に会いに行ったか気にならない?」
「知りたいわ。でも、いいの。ずっとため息ばかりついている妖夢を見るよりは元気でいてほしいもの」
従者として懸命に尽くす妖夢を可愛がらない日などなかった。純粋で、必死で、どこまでもまっすぐな妖夢を幽々子はずっと見守ってきた。
困らせることになるとしても結果として妖夢のためになればいい。いつも幽々子はそれだけを考えてきた。
「そうよね、わざとたくさん食べてまで妖夢におつかいに行かせるほど親馬鹿だもの」
「紫は意地悪ね、恥ずかしいからあまり言わないでちょうだいな」
「はいはい。それじゃあ行きましょうか、もう準備だけは済ませてあるわよ」
「さすがは紫、さっそくお邪魔させていただくわ」
これから何を話そうか、幽々子と紫の二人は互いにくすぐったそうに笑いながら隙間のなかへと消えていった。
◆
翌日、朝のまぶしさに幽々子は目を覚ました。
「うう………ん」
遅くまで飲んでいたわりには早く起きてしまった。枕がない所為かも、と呆けた頭で考える。
枕がないのはマヨヒガで紫と酒を飲んでいたから。語らっている間に眠ってしまったのかと思ったところで藍がやってきた。
「幽々子殿、お目覚めですか」
「おめざめ~」
「朝食はどうします? よろしければ用意させていただきますが」
非常に魅力的な提案ではあったが白玉楼で妖夢が朝食を用意しているかもしれないと思った幽々子は、ふるふると首を横に振った。
「……よ~むがまってるし、かえるわ~」
「そうですか。では紫さまに起きてもらうとしましょう」
すうっと音もなくどこからかフライパンを取り出す藍。そしてなぜか呪符を貼り付ける。
そして主人の紫の背後に近づくと、大きくフライパンを振り上げて。
「起きろコラ」
「けんぷふぁッッ!!!?」
あろうことか主の頭を叩いた。まるっきり手加減なしで。
これに怒らないはずもなく、睡眠途中で起こされた紫は激怒した。
「なにをするの藍!! 痛いじゃない!!」
「寝たフリをするのは止めてください。ほら、幽々子殿がおかえりになるそうですからさっさと隙間を開いて差し上げたらどうですか」
「寝たフリですって!? ちゃんと寝てたわ!」
「ちゃんと寝ていたらあれぐらいでは起きないでしょう」
「ぐっ……」
言い負かされた紫は仕方ないといった感じで隙間を開いた。
幽々子はふらふらとしながらも隙間まで歩いていって、なんとか中へと入っていった。
そして隙間が閉じてから、再び紫は藍に文句を言った。
「……殴る必要はなかったわよねぇ」
「いえ、紫さまも幽々子殿くらいに良い主であってほしいという願いを込めて、涙をこらえて叩いた次第です」
「殺気を感じたわよ」
「フライパンで紫さまが死ぬはずないでしょう」
それもそうだ、と紫は納得して再び横になる。
さて、朝食まで再び仮眠でもとろうかと寝転んだ紫だったが即座に藍のカカト落としをもらった。
◆
「……おなかへった」
無事に白玉楼に送り届けてもらった幽々子だったが空腹で立てず、廊下に寝そべってしまう。
ゴロゴロと廊下を右へ左へと転がる。もちろん意味はない。
帰っているはずの妖夢は朝ごはんを作っている最中なのか、幽々子を探しにやってこない。
「よ~む~」
困った幽々子は自分から妖夢を呼ぶ。しかし妖夢はやってこない。
まさか、と幽々子の脳裏にイヤな考えが思い浮かぶ。腹ペコで起き上がれないはずの体がばね仕掛けのように跳ね起きる。
妖夢が―――――――朝帰り?
否、妖夢に限ってそんなことがありえるはずがないと否定するも、ため息ばかりついていた妖夢の行動がそれを裏付けているように思える。
だとすれば彼女は、恋、していたのではなかろうか。
相手は誰だ、霊夢か。それとも里の守護者か。魔理沙かもしれないがその場合は涙をいくら流しても足りぬ。
だらだらと一人妄想で冷や汗を流す幽々子。
そんな彼女の耳が土を勢いよく掻く音を聞いた。
「……? 裏の方からかしら」
不思議に思った幽々子が屋敷の裏にまわると、そこには頭にタオルを巻いて鍬を持った妖夢が農作業を行っていた。
どうやら土を耕しているようなのだが、なぜ朝から農作業などしているのだろうと幽々子はただ首を傾げる。
と、農作業をしていた妖夢が幽々子に気が付いた。
「幽々子さま! お帰りに気づけず申し訳ありません、すぐに朝餉のご用意をいたします!!」
「いやいや妖夢、それよりもなによりもあなたは何をしているの?」
「これですか? 庭の空いた場所で畑を作っております」
「うん、それは分かるわ。でもどうして畑なんか作っているのかしらと聞いているの」
それは、と妖夢がわずかに口ごもる。
言い辛いことなのだろうかと幽々子は次の言葉を待った。
「お屋敷の貯蓄がなくなったとき、自作農をしていれば困らないと思いまして。それで昨日農家の方に簡単な農作物の作り方を教わってきたのです」
「教わったって……」
好きな人に会いにいったのではなく、畑を作るために下界へ降りていった。
妖夢が言った「会いたい人」というのは農家の人で、恋愛感情などそこには一切なくて単に幽々子が一人で勘違いしていただけだった。
それを聞いた幽々子はそっと心のなかで安堵し、しかし妙だとさらに尋ねる。
「でも妖夢、そんなことしなくたってすぐにお金が無くなるわけないわよ」
「しかし、その」
「?」
しどろもどろになりながらも妖夢は言う。
「幽々子さまに食べていただく量を、減らすわけには、いきませんから」
だから少しでも自作農でできたものを使って出費を抑え、幽々子の食事量に差し障りがないようにしたい。
どこまでも主想いの妖夢に、幽々子は思わず廊下から降りて妖夢を抱き締めた。
「ゆ、幽々子さま!?」
「楽しみだわ、妖夢の作った野菜」
「―――――――はい」
幸せだ、と幽々子はさらにぎゅっと強く妖夢を抱き締める。
―――――――私は幸せ者ね。こんなに可愛くて、真面目で、優しい従者を持てて。
冥界の庭師は剪定をしながら呟いた。
「どうすれば幽々子さまは食事の量を抑えていただけるのだろうか」
魂魄妖夢は考えた。幽々子の食事の量が突然増えた。
それも花の異変のときから特に、だ。そのおかげで白玉楼の財政状況はピンチに陥っていた。
このままでは幽々子の食事どころか自分の食べるものまでなくなってしまう。
「みょん……」
考えて悲しくなった。うな垂れたせいで桜の枝を間違えて切った。
それよりもなによりも閻魔から下界へ干渉するのは控えろ、と言われている。宴会のとき以外は下界へは降りないことにしている。
最悪、食事がなくなったとしても宴会の席へ招かれれば何とかなる。仮にも自分は半人半霊、人間よりは丈夫にできている。数日の食がなくとも耐えられる。
こうなったら他人の家より食料を譲っていただくか。否、そんな泥棒の真似事など魂魄の者として断固してなるものか。
幽々子さまのご友人である紫さまを頼るか。だがいつまでも頼りにするわけにもいかない。
何か、何か打開策を考えねば。
「おおい」
階段の下から誰かがやってきたらしい。
妖夢は一時作業を中止してそちらを見やった。
「? ああ、あなたは確か彼岸の……」
「小野塚小町だ。久しぶりだねえ、確か妖夢だろ?」
彼女は死神の証である鎌を肩に担ぎながら笑った。
「何か用事ですか?」
「いんや、いつもどおりぶらぶらと歩いているだけでさぁ。ところで妖夢、あんた今にも死にそうな顔しているね」
「これから先の私を想像したら気が滅入ってしまって……」
間違いなく全身が全霊になっている妖夢がいる。お師匠様、妖夢はもうダメかもしれません。
この魂魄妖夢、西行寺家を守る庭師として粉骨砕身のかぎり奮迅して参りましたが幽々子さまの悪食が治る気配は一向にありません。
お師匠様、あなたは幽々子さまの悪食に呆れて御家を出たのですか。それとも妖夢に試練を与えるためですか。
妖夢にはわかりません。幽々子さまに差し出す食事の量には限度があります。どうすれば幽々子さまに満足頂けるのでしょうか。
「先? 先って妖夢の場合、全身全霊になるだけだろう?」
「実は……」
かくかくしかじか。妖夢は小町に白玉楼の食糧難について打ち明ける。
「それはまた難儀なことで。しかし映姫さまの教えを律儀に守るこたぁないよ、流れゆく日々のなかで少しずつ重ねていけというだけで絶対守れとか強制しているわけじゃあない」
「はぁ………ですが私は冥界の人間ですし」
生まれというものだけは変えることができない。
輪廻転生の輪の中で人間が生まれ出る場所というものはすべて偶然、よって妖夢が冥界にいるのも偶然の一つでしかない。
生まれによって束縛されることもある。しかしそれを受け入れ難いのも事実。
要するに妖夢はとっくに揺らいでいた。幻想郷にありながら下界の人間たちと触れ合えない、あまりにも限られた我が身を呪いつつもあった。
もちろん庭師としての役目が一番である。だが庭師として果たすべき仕事もなくなって縁側に座り、呆として空を見上げるとき思うのだ。
――――なぜ私なのか、と。
自分は人間と幽霊の中間に立っている。だから冥界にも出入りできるし、現世でも当たり前のように生きられる。
それがいけないことなのだ、と閻魔―――――四季映姫ヤマザナドゥは言う。
彼女は冥界にあるべき存在は冥界にて務めを果たし、それにより自らの行いを戒めよと妖夢に言い渡した。
主―――――西行寺幽々子もおおよそ閻魔と同じことを言ったが、地上を降りること止めはしない。
むしろ頻繁に降りているのは主のほうで、妖夢はそれに付きあわされていることが多い。
もちろん妖夢が現世の霊を斬ることはなくなった。罪を抱える霊を成仏させることが悪いことであることは妖夢も十二分に理解した。
だが、在り方はとっくに揺らいでいる。毎日、それは息が詰まるほど毎日考え続けた。
答えは――――――まだ手にない。
「いいですね、小町さんは」
「あん?」
「自由で」
霊夢も、魔理沙も、同じ従者である咲夜や鈴仙でさえも住処を離れてどこへでも自分の意思で行ける。
妖夢は―――――どこへも行けない。
主の命がなければ下界へも降りられない。主が行かなければ誰かと会うこともない。静かで陰鬱な毎日。
飽いたわけではない、ただ寂しい。
白玉楼は幻想郷の空の上。そのうえ普通の人間が来るには厳しいため宴会の場所としてはあまり好まれない場所。
そのうえ庭師以外の取り得がない自分に誰も会いに来るはずもなく、けれど不器用な自分に何ができるわけでもなく。
主には虚仮にされ、閻魔には釘を打たれ、他人には必要とされない。
妖夢には――――――寄るべき場所がない。
人と上手く話せるほど饒舌ではない。冥界の空気と同じ暗い、明かりのない灯籠みたいな存在。
宴のときも気がつけば自分の周りには誰もいない。
本当に妖夢には主しかいない。主以外、妖夢を呼んでくれる人がいない。
もちろん従者としては喜ばしいことである。それでも時折、心に隙間風が吹く。
痛く、冷たい、針のような風が。
「じゃあ自由になればいいさね」
「そんな簡単に……」
「簡単さ。だけど縛鎖から逃げたあとのしっぺ返しはかなり痛い。あとは自分にどれだけ責任が持てるかだね」
「逃げることなんてできません!!」
逃げるなど最低の行為、恥ずべき行為である。
無責任で身勝手で、妖夢にとって何かから逃げるということは絶対にしたくないことだった。
そんな妖夢を小町は落ち着くようにと手で制し、うーんと腕を組んで何かを考える仕草をする。
視線をどこかへと彷徨わせた後、ようやく小町が口を開いた。
「悩みとかいて剪定と説く」
「? ……その心は?」
「無駄なものは切り捨てる。なんとなく妖夢っぽいだろ?」
「帰ってください」
現実は甘くないというのは妖夢自身がよく分かっている。切り捨てられる悩みならとっくに切り捨てている。
「わかった、帰るから楼観剣は収めてくれ。ああでも、帰るまえにひとつだけ」
「何ですか」
「そこまでして悩むほど下界に会いたい人がいるのかい?」
小町の質問に妖夢はわずかに顔を伏せた。
わずかな恭順ののち、妖夢はまっすぐに小町の顔を見て。
「……はい、います」
「そうかい」
本当に聞きたかっただけなのか、小町は背中を向けると「それじゃあ」とひらひらと手を振りながら去っていった。
◆
悩むこと、迷うこと、決めること。そしてまた悩みに陥る。
人生とは苦難と選択の連続でありその途中で後悔することもある。だがその途中、極稀にどちらを選んでも苦しい選択が迫られることがある。
俗に、ダブルバインドと呼ばれるものである。
妖夢にとっての苦しい選択肢はいつもどおりの生活と、閻魔の教えを押し切ってまで下界へ降りること。
いつもどおりの生活をすれば問題がないように思えるが妖夢にとって会いたい人物に会えない心苦しさがある。
下界へ行くことをすれば会いたい人物に会える代わりに閻魔の教えを破り、西行寺に仕えるものとしての役目を損なうことになる。
彼女にとって会いたい人物と宴会で会えることには会える。しかし酒の席だからか相手と二人で話すことはなく、妖夢も主の身の回りの世話で大変だった。
ゆっくりと話す機会は一向に訪れず、それならば自分から会いに行こうとしたところで閻魔の説教を受けた。
それにより妖夢の心苦しさは増した。止められないため息をつかない日がないくらいに。
きっとそれは、自分のせいだと幽々子は思っていた。
「………ままならないものね」
小町と妖夢のやりとりを彼女は木の陰から聞いていた。
昼食を終えてから自室で書に励んでいた幽々子だったのだが筆が進まなくなり、茶をもらおうと妖夢を探していたところ、ため息をついている妖夢を見つけた。
いいところにいた、と声をかけようとしたのだが小町が現れた。
これは妖夢の悩みを聞くチャンスではなかろうかと考えた幽々子は二人に気取られぬように声が聞こえる距離までこっそりと近づいた。ここまではよかった。
ところがすでに会話は終わりかけており、最初に聞いたのは妖夢の「小町は自由で羨ましい」という言葉。
肝心の悩みが聞けなかったのでは意味が無い。無駄足になるかと思われたとき、幽々子は小町と目が合った。
ちょうど妖夢が「逃げることはできない」と叫ぶほどの真剣さに、答えに困った小町が幽々子を見つけたのだ。
そして彼女は妖夢に見えないように片目でウインクをして、去り際に妖夢の悩みの核心に触れた。
『そこまでして悩むほど下界に会いたい人がいるのかい』
まるで幽々子の代弁をしてくれたかのような質問。
会いたい人。妖夢が切なくなるほど会いたいと思っている人。
そして妖夢は頷いた。戸惑いながら、しかし間違いはないと。
「世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛びたちかねつ 鳥にしあらねば」
今度小町に会ったときにお礼をしなければと思いながら幽々子は歌を口にする。
この世をつらく、身も細るような気持ちがするけれど何処かへ飛び去ることはできない。なぜなら鳥ではないのだから。
まるで今の妖夢の心境を表しているみたいで、幽々子はさらに胸を締めつけられた。
「良い主でいるのも、難しいことね」
静かにその場を立ち去る幽々子。
その背中はひどく悲しそうであった。
◆
数日後の朝食のあと、幽々子は妖夢を呼び出した。
「美味しい外の食材を手に入れたからって紫に呼ばれたの。そういうわけだから一日、あなたに暇を出すわ」
「はぁ。あの、それでどうして私だけ呼ばれないのでしょうか」
「あら、妖夢だけじゃなくて藍と橙も暇を出されたわよ。今日は紫と二人だけで飲み明かすの」
なるほど、と妖夢は納得した。
主とマヨヒガの大妖怪は大が付くほどの親友で、仲良く雑談をしている姿を見かけることも珍しくない。
それに自分だけでなく紫の式神たちにも暇が与えられたというのならば、自分に暇が与えられるのも道理。
「そうですか。わかりました、ではお言葉に甘えて暇を頂きます」
「はいはーい、いってらっしゃーい」
妖夢は主に礼をすると部屋を出て行った。
そして妖夢の気配がしなくなった頃、隙間が現れてひょっこりと紫が顔を出した。
「これで良かったの?」
「いいのよ。それよりいきなり頼んで悪かったわ、ありがとう紫」
「まあ、友人として当然のことをしたまでよ。それよりも妖夢が誰に会いに行ったか気にならない?」
「知りたいわ。でも、いいの。ずっとため息ばかりついている妖夢を見るよりは元気でいてほしいもの」
従者として懸命に尽くす妖夢を可愛がらない日などなかった。純粋で、必死で、どこまでもまっすぐな妖夢を幽々子はずっと見守ってきた。
困らせることになるとしても結果として妖夢のためになればいい。いつも幽々子はそれだけを考えてきた。
「そうよね、わざとたくさん食べてまで妖夢におつかいに行かせるほど親馬鹿だもの」
「紫は意地悪ね、恥ずかしいからあまり言わないでちょうだいな」
「はいはい。それじゃあ行きましょうか、もう準備だけは済ませてあるわよ」
「さすがは紫、さっそくお邪魔させていただくわ」
これから何を話そうか、幽々子と紫の二人は互いにくすぐったそうに笑いながら隙間のなかへと消えていった。
◆
翌日、朝のまぶしさに幽々子は目を覚ました。
「うう………ん」
遅くまで飲んでいたわりには早く起きてしまった。枕がない所為かも、と呆けた頭で考える。
枕がないのはマヨヒガで紫と酒を飲んでいたから。語らっている間に眠ってしまったのかと思ったところで藍がやってきた。
「幽々子殿、お目覚めですか」
「おめざめ~」
「朝食はどうします? よろしければ用意させていただきますが」
非常に魅力的な提案ではあったが白玉楼で妖夢が朝食を用意しているかもしれないと思った幽々子は、ふるふると首を横に振った。
「……よ~むがまってるし、かえるわ~」
「そうですか。では紫さまに起きてもらうとしましょう」
すうっと音もなくどこからかフライパンを取り出す藍。そしてなぜか呪符を貼り付ける。
そして主人の紫の背後に近づくと、大きくフライパンを振り上げて。
「起きろコラ」
「けんぷふぁッッ!!!?」
あろうことか主の頭を叩いた。まるっきり手加減なしで。
これに怒らないはずもなく、睡眠途中で起こされた紫は激怒した。
「なにをするの藍!! 痛いじゃない!!」
「寝たフリをするのは止めてください。ほら、幽々子殿がおかえりになるそうですからさっさと隙間を開いて差し上げたらどうですか」
「寝たフリですって!? ちゃんと寝てたわ!」
「ちゃんと寝ていたらあれぐらいでは起きないでしょう」
「ぐっ……」
言い負かされた紫は仕方ないといった感じで隙間を開いた。
幽々子はふらふらとしながらも隙間まで歩いていって、なんとか中へと入っていった。
そして隙間が閉じてから、再び紫は藍に文句を言った。
「……殴る必要はなかったわよねぇ」
「いえ、紫さまも幽々子殿くらいに良い主であってほしいという願いを込めて、涙をこらえて叩いた次第です」
「殺気を感じたわよ」
「フライパンで紫さまが死ぬはずないでしょう」
それもそうだ、と紫は納得して再び横になる。
さて、朝食まで再び仮眠でもとろうかと寝転んだ紫だったが即座に藍のカカト落としをもらった。
◆
「……おなかへった」
無事に白玉楼に送り届けてもらった幽々子だったが空腹で立てず、廊下に寝そべってしまう。
ゴロゴロと廊下を右へ左へと転がる。もちろん意味はない。
帰っているはずの妖夢は朝ごはんを作っている最中なのか、幽々子を探しにやってこない。
「よ~む~」
困った幽々子は自分から妖夢を呼ぶ。しかし妖夢はやってこない。
まさか、と幽々子の脳裏にイヤな考えが思い浮かぶ。腹ペコで起き上がれないはずの体がばね仕掛けのように跳ね起きる。
妖夢が―――――――朝帰り?
否、妖夢に限ってそんなことがありえるはずがないと否定するも、ため息ばかりついていた妖夢の行動がそれを裏付けているように思える。
だとすれば彼女は、恋、していたのではなかろうか。
相手は誰だ、霊夢か。それとも里の守護者か。魔理沙かもしれないがその場合は涙をいくら流しても足りぬ。
だらだらと一人妄想で冷や汗を流す幽々子。
そんな彼女の耳が土を勢いよく掻く音を聞いた。
「……? 裏の方からかしら」
不思議に思った幽々子が屋敷の裏にまわると、そこには頭にタオルを巻いて鍬を持った妖夢が農作業を行っていた。
どうやら土を耕しているようなのだが、なぜ朝から農作業などしているのだろうと幽々子はただ首を傾げる。
と、農作業をしていた妖夢が幽々子に気が付いた。
「幽々子さま! お帰りに気づけず申し訳ありません、すぐに朝餉のご用意をいたします!!」
「いやいや妖夢、それよりもなによりもあなたは何をしているの?」
「これですか? 庭の空いた場所で畑を作っております」
「うん、それは分かるわ。でもどうして畑なんか作っているのかしらと聞いているの」
それは、と妖夢がわずかに口ごもる。
言い辛いことなのだろうかと幽々子は次の言葉を待った。
「お屋敷の貯蓄がなくなったとき、自作農をしていれば困らないと思いまして。それで昨日農家の方に簡単な農作物の作り方を教わってきたのです」
「教わったって……」
好きな人に会いにいったのではなく、畑を作るために下界へ降りていった。
妖夢が言った「会いたい人」というのは農家の人で、恋愛感情などそこには一切なくて単に幽々子が一人で勘違いしていただけだった。
それを聞いた幽々子はそっと心のなかで安堵し、しかし妙だとさらに尋ねる。
「でも妖夢、そんなことしなくたってすぐにお金が無くなるわけないわよ」
「しかし、その」
「?」
しどろもどろになりながらも妖夢は言う。
「幽々子さまに食べていただく量を、減らすわけには、いきませんから」
だから少しでも自作農でできたものを使って出費を抑え、幽々子の食事量に差し障りがないようにしたい。
どこまでも主想いの妖夢に、幽々子は思わず廊下から降りて妖夢を抱き締めた。
「ゆ、幽々子さま!?」
「楽しみだわ、妖夢の作った野菜」
「―――――――はい」
幸せだ、と幽々子はさらにぎゅっと強く妖夢を抱き締める。
―――――――私は幸せ者ね。こんなに可愛くて、真面目で、優しい従者を持てて。
これはいいゆゆみょんですね
良いお話でした。
妖夢が好きな人が誰なのかずっと気になっていましたが、そういうことでしたか。
納得ですw
横に一文字ずらすと巫女と普通の魔法使いになりますね
想いが呪となり言葉となる。愛って、互いの想いに縛り縛られる関係だと思うんですよね。
だから隠された単語にマイセンサーが反応したのも呪の一つ。
想いあってるなこの主従。
八雲組は遠慮のなさがすごいわw
ゆかゆゆ好きだけど、このはなしは嫌いじゃない
幽々子様はいい主人だな