※:旧作・夢時空の登場キャラクターであるカナが主人公です。
旧作はわからないから読みたくない。夢時空? 何それおいしいの? とかいう方以外はこのままスクロールしていってください。
――何処に行こうか?
と、君が言うから。
――何処までも行こう。
と、私は応えた。
微睡みからゆっくりと目覚めていく。ゆっくりと、まるで深海魚が急激に海面に上がると気圧変化に耐えられないように、私の意識もまた幻から現へと徐々に這い上がっていく。
胡乱な意識は過去の記憶を夢見る。虚ろな眼はかつての風景を幻視する。
懐かしい、記憶だった。
懐かしい、風景だった。
失った世界だった。
徐々に現の表層へと這い上がってくる意識は、その過程に於いて現実を認識する。
「ああ――」
呟いて、完全に覚醒して、嘆く。
「ああ……」
此処は現実だなあ、と。
彼女の前には私がいる。
私の前には彼女がいる。
二人は細部に至るまで全く同一で同質。鏡合わせの存在。
当たり前だ。
私は彼女で、彼女は私なのだから。
つぅと私か彼女か、どちらともなく右手を中空に差し出す。
ぴたりと合わさる二つの掌。その大きさも同じ。指の長さも爪の長さも、掌に刻まれた皺さえも、全て同じ。
違うとすれば、
彼女は温かくて、私は冷たかった。
「貴女は誰?」
彼女が言う。
「貴女自身よ」
私が言う。
「私は此処にいるわ。私にそっくりな貴女は誰なの?」
「貴女にそっくりだから、私は貴女として此処にいる」
「気味が悪いわ」
「そうでしょう」
「名前は何?」
「貴女と同じ」
「カナ・アナベラルよ」
「カナ・アナベラルね」
「どういうことよ」
「私が聞きたいわ」
彼女は不気味そうに顔を歪めて、
私は心底おかしくなって笑った。
「つまりこういうことね。貴女は私、というよりも、私の心の一部分ということかしら」
ベッドで眠る彼女が言う。
「つまりそういうことね。私は貴女、というよりも、貴女の心が産み出した存在なのよ」
ベッドに座る私が応える。
「気味が悪いわ」
「そうかしらね」
「私と同じ顔をして同じ声をして同じ姿をした者が目の前にいるのよ? 気味が悪いわ」
確かに。と私は笑う。
「けれど、仕方ないじゃない。貴女が私を産みだしたのよ? だから仕方ないじゃない」
「そうなのかしらね」
「ええ。そうなのよ」
私がそう応えると、彼女は一つ溜息を吐く。
「貴女は何?」
その問いに、にやりと笑みを浮かべる。
「少女騒霊よ」
それが、私が此処に産み出された瞬間の出来事だった。
――時間は過ぎる。
「あぁ、なるほど。私はついに頭がおかしくなったのね。だからこんな妄想を見るのだわ」
「ふふん。確かにそうね。貴女は頭がおかしくなったのよ。だから私なんかが産まれたの」
「馬鹿げた妄想だわ。どうして騒霊なんかと会話しなければならないのかしら」
「あら、誰にでもあるでしょう? 自問自答。これはいわばそういうものよ」
「思考まで同じなの?」
「ある程度ならね。でも、私は産まれてしまった。だから私は貴女であって、貴女ではない存在になってしまった」
「ああ良かった。心まで覗かれたら堪らないもの」
「その心から私は産まれたのだけれどね」
――時間は過ぎる。
「騒霊と幽霊は違うのよね」
「現象と気質は異なるわよ」
「つまり、貴女は現象だと?」
「そういうことね。私は貴女が産みだした現象に過ぎないわ。幽霊とはまた違う存在ということよ」
「ポルターガイスト、騒霊現象。そういうことね」
「そういうことよ。理解が早くて助かるわ」
「それにしても、貴女が騒いでいるところを私は見たことがないのだけれど」
「それは当然でしょう。だって私は、貴女が眠っているときにしか騒げないのだから」
「そうなの? じゃあ、今此処にいる貴女は何? 私と今喋っている貴女は何?」
「私は私で、私は貴女よ」
「訳が解らないわ」
「当然な前提なのだけどね」
――時間は過ぎる。
「悪魔祓いが来るそうよ。貴女を祓いに」
「エクソシストね。効果はないでしょうけど」
「全く、私が知らない間にあらゆる物を壊してくれて、あのお気に入りのぬいぐるみをぼろぼろにしちゃうなんて酷いわ」
「お気に入りだったからこそ、念入りにぼろぼろにしたのよ」
「憎ったらしいたらないわ」
「あらいやだ。私は貴女よ。貴女が強く思うことが、強く私に影響するわ」
「じゃあ、好きなものでも嫌いなものでも、強く思っていれば貴女がどうにかしてしまうの?」
「あくまでも騒霊現象内でのことだけどね」
「ちぇ」
――時間は過ぎる。
「ねえ、どうやったら貴女はいなくなるの?」
「悪魔祓いは効果ないわよ」
「でしょうね。だから引っ越しの話が出てる。私ではなく、この家に悪魔が憑いてると思っているみたいよ。でも、貴女は私が産み出したものなのよね」
「ええそうよ。やっと認めたのね、嬉しいわ」
「認めてはいないけれど、でももしそうなら、引っ越したところで意味があるのかしら」
「ないわね。ないない。完全にない。貴女がどうにかならない限り、どうしようもない」
「ということは、やはり問題は私にあるということか……」
「そりゃそうでしょうとも。問題があるから私が生まれたのだから」
「……あぁ、本当憎ったらしいわ」
「自己嫌悪ってやつよ」
――時間は過ぎて、
――季節が巡る。
「結局、引っ越すことになったわ」
ベッドで眠る彼女は言う。
「そう。まぁ、そうでしょうね」
ベッドに座る私は応える。
「ねえ、私は貴女に触れることが出来るわ。でも、他の人は貴方のことを見ることさえ叶わない。どういうことなの?」
ベッドに眠る彼女は宙に手を伸ばして、
私は座ったまま動かない。
彼女の手は、何かに触れるように動く。
私は、動かない。
「手触りだって感じるわ。温もりは感じないけれど、其処に居る。私にはわかる。ねえ、どうして?」
「私が貴女だからよ」
座ったまま、身動き一つとれないまま、私は応える。
「またそれね。いつもそればかり。いいけど」
「いいの?」
「いいわ。もう認める。貴女は私。貴女は私が産み出したもの。素直に認めてあげる。だって、私にしか触れなくて私にしか見えない存在ですもの」
「そう? ――そうね」
「どうしたの?」
「なんでもない。なんでもないわ。それにしても引っ越しね、家は関係ないのに」
「仕方ないわよ。だって貴女は私にしか解らないんですもの。悪魔祓いが効果なかった今、他の人達からしてみれば家がおかしいと思うわ」
ベッドで眠る彼女はくすりと微笑んで、私は横目にその寝顔を見つめる。
「ねえ、どうして私は騒霊現象を見ることが出来ないのかしら」
「貴女が眠っているときに行っているからよ」
「じゃあ、どうして今、こうして会話出来るの?」
「私は貴女だからよ」
「前にもそう言ってたわね」
「そうだったかしら?」
「そうよ。そうやってはぐらかされたんだわ。ねえお願い。貴女が私なら答えて。どうしてなのかしら」
ベッドで眠る彼女。ベッドに座る私。彼女の手は宙に伸ばされて、何かを掴む。
「簡単なことよ」
私は彼女から目を逸らして、静かに答えを言う。
「貴女は夢を視ているだけだから」
「え?」
その声は、心底不思議そうな呟きだった。
「どうして? こんなにも近くにいるのに? 声だって聞こえているのに?」
「夢よ、夢。貴女は夢を視ているの」
「それじゃあ、私が触れている貴女は夢なの?」
「そうよ。私は此処にいるからね」
「――訳が解らないわ。目の前にいるじゃない」
「貴女が勝手にそう思ってるだけ。私と貴女の会話わね、言ってみれば自分の心の中で、自分と会話するようなものなのよ」
「だから本当は姿が見えない?」
「そういうこと。自問自答とはまさにその通りね」
「訳がわからなくなってきたわ……」
「私は貴女よ。貴女の心。貴女の喜びも悲しみも嬉しさも切なさも、全部全部混ざり合って一つの形になったのが私。在りし日、貴女の心を映し出した存在」
「……だから、貴女は私なのね」
「そうね。かつて思考がある程度同じだと言ったのは、そのときはまだ私が産まれてから間もなかったからで、今では全く違うものになってる筈よ」
「それじゃあ、私であって私じゃない存在になってるというのね」
「最初に言ったでしょう? 私は初めから騒霊という存在よ」
不思議そうな彼女の声に、私はくすくすと笑う。
最初は否定していたくせに、今では違うことのほうが信じられないというのがどこか可笑しかった。
「そう。初めから私達は違う存在だった。当然よね、人間と騒霊だもの」
「でも、貴女は私、なんでしょう?」
「そう。私は貴女、だったものよ」
「…………え」
「人の心は成長する。時に緩慢に、時に急速に成長してしまう。何時までも少女じゃいられない」
「……少女じゃ、いられない」
「此処はネバーランドじゃないからね。何時までも子供でいたいと思っても、身体と心は成長するものよ。気付けば大人になっていく。それが普通、それが当然」
「ねぇ、ちょっと待って……」
「まるで写真で映し取った風景のように、私はあの頃から何も変わらない。そして貴女は、ゆっくりとでも確実に変わって行った」
「で、でも貴女は私だってさっきだって言って――」
「……貴女は、私という心を置き去りにして変わっていったから」
「変わったって、何が……? 何も変わってなんか……」
「この数年、色んな事があったでしょう? 辛く悲しく楽しく嬉しい、そんな日々を過ごしてきたでしょう?
そうした日々の中、少しずつ少しずつ、貴女は変わってしまったわ」
それは、私にとって嬉しいことで、少し寂しいこと。
「…………ねえ」
「なあに?」
呼び声に、振り返り彼女の寝顔を見る。
「……貴女は私で、私は貴女なの?」
「たった今、違う存在になったわよ」
私は答える。
彼女の問いに、正しく答える。
「異なる存在になった私達は同時に存在することが出来るようになった。目を明けてご覧なさい。其処に、私が居るから」
私はそっと彼女に手を伸ばす。
触れられると、思いたくて。
「…………」
ゆっくりと彼女の瞼が開く。
瞳の焦点が、私の姿を捕らえて、
「あ……」
「おはよう」
驚いてる貴女に私は微笑む。
伸ばした手は彼女に触れることなく指先からゆっくりと粒子へと溶け出す。
「ああ……」
彼女は見ている。自分と同じ姿をした私を。
「貴女が……私だったのね……」
「私が貴女だったのよ」
腕と足が溶けだしながらも、私は彼女を見つめる。
「夢で会った私と同じ」
「私は変わらないから」
「どうして今まで見れなかったの?」
彼女が私に手を伸ばす。
「貴女が私を認めなかったからね」
「それだけ、で?」
「たったそれだけのこと。でも私は存在してしまったから貴女と話すことも出来る。自問自答は誰もが行うことだもの。でも私の存在を貴女は認めてなかったから姿を視認することが出来なかったの。だから貴女は夢という形を借りることによってつじつまを合わせた」
「騒霊現象を見ることが出来なかったのも」
「貴女がそれを自分がしたことだと認めていなかったから。ただ、それだけ」
「……そう」
「ええ……」
ゆっくりと、でも確実に私は消えていく。
「消えてしまうわ」
「驚かないのね?」
「何処かでそんな気がしていたから……、会えばきっと別れるのだろうって」
「ふふ。それじゃあ、またね」
「また、会えるの?」
彼女は驚いたように言って、
「さあね」
私は笑って、彼女の前から消えた。
ぎぃと足下で朽ちた床が鳴った。
もう何年も人が住んでいない廃屋。
二階にある部屋の中、私はいた。
懐かしい記憶が蘇る。
此処で、私は少女時代を過ごしたのだ。
何もないただ古びてしまった空っぽの部屋。
ベッドがあった。チェストがあった。本棚があって、お気に入りのぬいぐるみと、好きだったオルゴール。
今はもう、何もない部屋。
「……変わってしまったね」
騒霊現象。ポルターガイスト。
私が起こしていたというその現象によって、私達一家は引っ越して、この家には買い手がつかなかった。
以来放置され、ただ時の過ぎるまま朽ちている。
この家が朽ちていくように、私もまた成長し変わっていった。
大人になった。
「……変わっちゃったよ」
呟く。あの頃のように答える声はない。
皮肉っぽく笑いながら「当たり前よ」なんて誰も返してくれない。
あの時ここにいた少女騒霊は、もう消えてしまったのだから。
それでもよかった。
あの子に会えるなんて思ってない。
ただ、一言。この場所で言いたいことがあったのだ。
あの時言い損ねてしまった言葉。
「……ありがとう」
私と一緒に色んな物を背負ってくれて。
私の為に産まれてきてくれて。
きっと、貴女のお陰で私は変われたよ。
――それは良かったわね。
はっと振り返る。
朽ちた壁が、あるだけだった。
あの子の声が聞こえたような気がした。
でも私には、小さく微笑みながら立っている少女の姿が見えたんだ。
それは幻想だったけれど、それだけでよかった。
――さあ、これから何処に行こう?
そうだね。何処までも、私が行けるところまで。
少女時代の私を胸に、精一杯生きてみせよう。
旧作はわからないから読みたくない。夢時空? 何それおいしいの? とかいう方以外はこのままスクロールしていってください。
――何処に行こうか?
と、君が言うから。
――何処までも行こう。
と、私は応えた。
微睡みからゆっくりと目覚めていく。ゆっくりと、まるで深海魚が急激に海面に上がると気圧変化に耐えられないように、私の意識もまた幻から現へと徐々に這い上がっていく。
胡乱な意識は過去の記憶を夢見る。虚ろな眼はかつての風景を幻視する。
懐かしい、記憶だった。
懐かしい、風景だった。
失った世界だった。
徐々に現の表層へと這い上がってくる意識は、その過程に於いて現実を認識する。
「ああ――」
呟いて、完全に覚醒して、嘆く。
「ああ……」
此処は現実だなあ、と。
彼女の前には私がいる。
私の前には彼女がいる。
二人は細部に至るまで全く同一で同質。鏡合わせの存在。
当たり前だ。
私は彼女で、彼女は私なのだから。
つぅと私か彼女か、どちらともなく右手を中空に差し出す。
ぴたりと合わさる二つの掌。その大きさも同じ。指の長さも爪の長さも、掌に刻まれた皺さえも、全て同じ。
違うとすれば、
彼女は温かくて、私は冷たかった。
「貴女は誰?」
彼女が言う。
「貴女自身よ」
私が言う。
「私は此処にいるわ。私にそっくりな貴女は誰なの?」
「貴女にそっくりだから、私は貴女として此処にいる」
「気味が悪いわ」
「そうでしょう」
「名前は何?」
「貴女と同じ」
「カナ・アナベラルよ」
「カナ・アナベラルね」
「どういうことよ」
「私が聞きたいわ」
彼女は不気味そうに顔を歪めて、
私は心底おかしくなって笑った。
「つまりこういうことね。貴女は私、というよりも、私の心の一部分ということかしら」
ベッドで眠る彼女が言う。
「つまりそういうことね。私は貴女、というよりも、貴女の心が産み出した存在なのよ」
ベッドに座る私が応える。
「気味が悪いわ」
「そうかしらね」
「私と同じ顔をして同じ声をして同じ姿をした者が目の前にいるのよ? 気味が悪いわ」
確かに。と私は笑う。
「けれど、仕方ないじゃない。貴女が私を産みだしたのよ? だから仕方ないじゃない」
「そうなのかしらね」
「ええ。そうなのよ」
私がそう応えると、彼女は一つ溜息を吐く。
「貴女は何?」
その問いに、にやりと笑みを浮かべる。
「少女騒霊よ」
それが、私が此処に産み出された瞬間の出来事だった。
――時間は過ぎる。
「あぁ、なるほど。私はついに頭がおかしくなったのね。だからこんな妄想を見るのだわ」
「ふふん。確かにそうね。貴女は頭がおかしくなったのよ。だから私なんかが産まれたの」
「馬鹿げた妄想だわ。どうして騒霊なんかと会話しなければならないのかしら」
「あら、誰にでもあるでしょう? 自問自答。これはいわばそういうものよ」
「思考まで同じなの?」
「ある程度ならね。でも、私は産まれてしまった。だから私は貴女であって、貴女ではない存在になってしまった」
「ああ良かった。心まで覗かれたら堪らないもの」
「その心から私は産まれたのだけれどね」
――時間は過ぎる。
「騒霊と幽霊は違うのよね」
「現象と気質は異なるわよ」
「つまり、貴女は現象だと?」
「そういうことね。私は貴女が産みだした現象に過ぎないわ。幽霊とはまた違う存在ということよ」
「ポルターガイスト、騒霊現象。そういうことね」
「そういうことよ。理解が早くて助かるわ」
「それにしても、貴女が騒いでいるところを私は見たことがないのだけれど」
「それは当然でしょう。だって私は、貴女が眠っているときにしか騒げないのだから」
「そうなの? じゃあ、今此処にいる貴女は何? 私と今喋っている貴女は何?」
「私は私で、私は貴女よ」
「訳が解らないわ」
「当然な前提なのだけどね」
――時間は過ぎる。
「悪魔祓いが来るそうよ。貴女を祓いに」
「エクソシストね。効果はないでしょうけど」
「全く、私が知らない間にあらゆる物を壊してくれて、あのお気に入りのぬいぐるみをぼろぼろにしちゃうなんて酷いわ」
「お気に入りだったからこそ、念入りにぼろぼろにしたのよ」
「憎ったらしいたらないわ」
「あらいやだ。私は貴女よ。貴女が強く思うことが、強く私に影響するわ」
「じゃあ、好きなものでも嫌いなものでも、強く思っていれば貴女がどうにかしてしまうの?」
「あくまでも騒霊現象内でのことだけどね」
「ちぇ」
――時間は過ぎる。
「ねえ、どうやったら貴女はいなくなるの?」
「悪魔祓いは効果ないわよ」
「でしょうね。だから引っ越しの話が出てる。私ではなく、この家に悪魔が憑いてると思っているみたいよ。でも、貴女は私が産み出したものなのよね」
「ええそうよ。やっと認めたのね、嬉しいわ」
「認めてはいないけれど、でももしそうなら、引っ越したところで意味があるのかしら」
「ないわね。ないない。完全にない。貴女がどうにかならない限り、どうしようもない」
「ということは、やはり問題は私にあるということか……」
「そりゃそうでしょうとも。問題があるから私が生まれたのだから」
「……あぁ、本当憎ったらしいわ」
「自己嫌悪ってやつよ」
――時間は過ぎて、
――季節が巡る。
「結局、引っ越すことになったわ」
ベッドで眠る彼女は言う。
「そう。まぁ、そうでしょうね」
ベッドに座る私は応える。
「ねえ、私は貴女に触れることが出来るわ。でも、他の人は貴方のことを見ることさえ叶わない。どういうことなの?」
ベッドに眠る彼女は宙に手を伸ばして、
私は座ったまま動かない。
彼女の手は、何かに触れるように動く。
私は、動かない。
「手触りだって感じるわ。温もりは感じないけれど、其処に居る。私にはわかる。ねえ、どうして?」
「私が貴女だからよ」
座ったまま、身動き一つとれないまま、私は応える。
「またそれね。いつもそればかり。いいけど」
「いいの?」
「いいわ。もう認める。貴女は私。貴女は私が産み出したもの。素直に認めてあげる。だって、私にしか触れなくて私にしか見えない存在ですもの」
「そう? ――そうね」
「どうしたの?」
「なんでもない。なんでもないわ。それにしても引っ越しね、家は関係ないのに」
「仕方ないわよ。だって貴女は私にしか解らないんですもの。悪魔祓いが効果なかった今、他の人達からしてみれば家がおかしいと思うわ」
ベッドで眠る彼女はくすりと微笑んで、私は横目にその寝顔を見つめる。
「ねえ、どうして私は騒霊現象を見ることが出来ないのかしら」
「貴女が眠っているときに行っているからよ」
「じゃあ、どうして今、こうして会話出来るの?」
「私は貴女だからよ」
「前にもそう言ってたわね」
「そうだったかしら?」
「そうよ。そうやってはぐらかされたんだわ。ねえお願い。貴女が私なら答えて。どうしてなのかしら」
ベッドで眠る彼女。ベッドに座る私。彼女の手は宙に伸ばされて、何かを掴む。
「簡単なことよ」
私は彼女から目を逸らして、静かに答えを言う。
「貴女は夢を視ているだけだから」
「え?」
その声は、心底不思議そうな呟きだった。
「どうして? こんなにも近くにいるのに? 声だって聞こえているのに?」
「夢よ、夢。貴女は夢を視ているの」
「それじゃあ、私が触れている貴女は夢なの?」
「そうよ。私は此処にいるからね」
「――訳が解らないわ。目の前にいるじゃない」
「貴女が勝手にそう思ってるだけ。私と貴女の会話わね、言ってみれば自分の心の中で、自分と会話するようなものなのよ」
「だから本当は姿が見えない?」
「そういうこと。自問自答とはまさにその通りね」
「訳がわからなくなってきたわ……」
「私は貴女よ。貴女の心。貴女の喜びも悲しみも嬉しさも切なさも、全部全部混ざり合って一つの形になったのが私。在りし日、貴女の心を映し出した存在」
「……だから、貴女は私なのね」
「そうね。かつて思考がある程度同じだと言ったのは、そのときはまだ私が産まれてから間もなかったからで、今では全く違うものになってる筈よ」
「それじゃあ、私であって私じゃない存在になってるというのね」
「最初に言ったでしょう? 私は初めから騒霊という存在よ」
不思議そうな彼女の声に、私はくすくすと笑う。
最初は否定していたくせに、今では違うことのほうが信じられないというのがどこか可笑しかった。
「そう。初めから私達は違う存在だった。当然よね、人間と騒霊だもの」
「でも、貴女は私、なんでしょう?」
「そう。私は貴女、だったものよ」
「…………え」
「人の心は成長する。時に緩慢に、時に急速に成長してしまう。何時までも少女じゃいられない」
「……少女じゃ、いられない」
「此処はネバーランドじゃないからね。何時までも子供でいたいと思っても、身体と心は成長するものよ。気付けば大人になっていく。それが普通、それが当然」
「ねぇ、ちょっと待って……」
「まるで写真で映し取った風景のように、私はあの頃から何も変わらない。そして貴女は、ゆっくりとでも確実に変わって行った」
「で、でも貴女は私だってさっきだって言って――」
「……貴女は、私という心を置き去りにして変わっていったから」
「変わったって、何が……? 何も変わってなんか……」
「この数年、色んな事があったでしょう? 辛く悲しく楽しく嬉しい、そんな日々を過ごしてきたでしょう?
そうした日々の中、少しずつ少しずつ、貴女は変わってしまったわ」
それは、私にとって嬉しいことで、少し寂しいこと。
「…………ねえ」
「なあに?」
呼び声に、振り返り彼女の寝顔を見る。
「……貴女は私で、私は貴女なの?」
「たった今、違う存在になったわよ」
私は答える。
彼女の問いに、正しく答える。
「異なる存在になった私達は同時に存在することが出来るようになった。目を明けてご覧なさい。其処に、私が居るから」
私はそっと彼女に手を伸ばす。
触れられると、思いたくて。
「…………」
ゆっくりと彼女の瞼が開く。
瞳の焦点が、私の姿を捕らえて、
「あ……」
「おはよう」
驚いてる貴女に私は微笑む。
伸ばした手は彼女に触れることなく指先からゆっくりと粒子へと溶け出す。
「ああ……」
彼女は見ている。自分と同じ姿をした私を。
「貴女が……私だったのね……」
「私が貴女だったのよ」
腕と足が溶けだしながらも、私は彼女を見つめる。
「夢で会った私と同じ」
「私は変わらないから」
「どうして今まで見れなかったの?」
彼女が私に手を伸ばす。
「貴女が私を認めなかったからね」
「それだけ、で?」
「たったそれだけのこと。でも私は存在してしまったから貴女と話すことも出来る。自問自答は誰もが行うことだもの。でも私の存在を貴女は認めてなかったから姿を視認することが出来なかったの。だから貴女は夢という形を借りることによってつじつまを合わせた」
「騒霊現象を見ることが出来なかったのも」
「貴女がそれを自分がしたことだと認めていなかったから。ただ、それだけ」
「……そう」
「ええ……」
ゆっくりと、でも確実に私は消えていく。
「消えてしまうわ」
「驚かないのね?」
「何処かでそんな気がしていたから……、会えばきっと別れるのだろうって」
「ふふ。それじゃあ、またね」
「また、会えるの?」
彼女は驚いたように言って、
「さあね」
私は笑って、彼女の前から消えた。
ぎぃと足下で朽ちた床が鳴った。
もう何年も人が住んでいない廃屋。
二階にある部屋の中、私はいた。
懐かしい記憶が蘇る。
此処で、私は少女時代を過ごしたのだ。
何もないただ古びてしまった空っぽの部屋。
ベッドがあった。チェストがあった。本棚があって、お気に入りのぬいぐるみと、好きだったオルゴール。
今はもう、何もない部屋。
「……変わってしまったね」
騒霊現象。ポルターガイスト。
私が起こしていたというその現象によって、私達一家は引っ越して、この家には買い手がつかなかった。
以来放置され、ただ時の過ぎるまま朽ちている。
この家が朽ちていくように、私もまた成長し変わっていった。
大人になった。
「……変わっちゃったよ」
呟く。あの頃のように答える声はない。
皮肉っぽく笑いながら「当たり前よ」なんて誰も返してくれない。
あの時ここにいた少女騒霊は、もう消えてしまったのだから。
それでもよかった。
あの子に会えるなんて思ってない。
ただ、一言。この場所で言いたいことがあったのだ。
あの時言い損ねてしまった言葉。
「……ありがとう」
私と一緒に色んな物を背負ってくれて。
私の為に産まれてきてくれて。
きっと、貴女のお陰で私は変われたよ。
――それは良かったわね。
はっと振り返る。
朽ちた壁が、あるだけだった。
あの子の声が聞こえたような気がした。
でも私には、小さく微笑みながら立っている少女の姿が見えたんだ。
それは幻想だったけれど、それだけでよかった。
――さあ、これから何処に行こう?
そうだね。何処までも、私が行けるところまで。
少女時代の私を胸に、精一杯生きてみせよう。